錢形平次捕物控
地中の富
野村胡堂
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「へツ、へツ、へツ、親分」
ある朝、八五郎が箍の外れた桶見たいに、笑ひながら飛び込んで來ました。九月もやがて晦日近く、菊に、紅葉に、江戸はまことに良い陽氣です。
「挨拶も拔きに、人の家へ笑ひ込む奴もねえものだ。少しは頬桁の紐を引締めろよ、馬鹿々々しい」
平次は、精一杯に不機嫌な顏を見せながらも、實はこの二三日、八五郎を待ち構へて居たのです。八が來てくれないと、良いニユースも入らず、平次の活動もきつかけがなくて、手につかない樣に、その心持は、連れ添ふ戀女房のお靜には、わかり過ぎるほど、よくわかつて居ります。試しに、あの佛頂面を、ちよいと突いてやつたら、顏の造作を崩して、笑ひ出すに違ひありません。
「でも、こいつは、親分だつて笑ひますよ。あつしが三日も來なかつたわけ、見當はつきますか、親分」
「いやにニヤニヤして、笑ひの止まないところを見ると、新色でも出來たか。──人の戀路を邪魔する氣はねえが、お前のお膝もとの土手に陣を敷いてるのは止せよ。鼻を取拂はれたひにや、好い男の恰好が付かねえ」
「そんな、氣障な話ぢやありませんよ。あつしはこの三日の間、金掘りに夢中だつたんで」
「ハテね、江戸の眞ん中で金掘りが始まつたのかえ」
「親分は、あれを聽かなかつたんで? 大膳坊覺方の話を」
「そんな坊主は知らねえな」
「へエ、呑氣ですね。この邊も名題の神田御臺所町で、由緒のあるところだ。大膳坊に頼んで觀て貰つちやどうです。相馬の御所から持ち運んで來た、平將門の軍用金が埋めてないとは限りませんぜ」
「脅かすなよ。──うんと金が出來て、岡つ引を止してしまつたら、俺はこの世の中が退屈で、首を縊り度くなるかも知れない」
「へエ、そんなものですかね。──兎も角も近頃は麹町から、四ツ谷、赤坂へかけて、金掘り騷ぎで大變ですよ。行つて見ませんか」
「御免蒙らうよ。眼の毒だ」
「親分は慾がなさ過ぎる。──斯う言ふわけですよ」
その頃の江戸の地下には、何萬兩とも知れぬ硬貨──わけても、錆びも變質もしない、小判や小粒が埋まつて居るに違ひないといふことは、誰でも考へて居る、一つの常識だつたのです。
封建時代──幕府の財政に信用がなく、銀行制度もない世の中で、裕福な町人達が一番閉口したのは夥しい通貸を貯へて置く場所でした。その頃の人達は、何より火事が恐ろしかつたのと、兌換制度があやふやだつた爲に、地方には藩札といふものはあつても、庶民の間には強制的に流布させる外はなく、一歩藩の外へ出ると、その藩札といふ紙幣の通用はむづかしかつたので、勢ひ貯蓄の目標は、硬貨による外はなかつたわけです。
足利義政の亂脈な財政で、支那から鑄造錢を買ひ入れたり、秀吉の朝鮮征伐で、かなりの黄金を持出した上、その頃から盛んになつた、長崎の貿易で、目に餘るほどの金が外國に流出したことは事實ですが、それでも、當時の日本は、金の産出の豐富な國でした。金華山や、甲州や、伊豆や──關東以北だけでも大變な産金です。その上、佐渡の金がドツと掘出されたのですから、徳川初期の日本の富は大したもので、日光などといふ、飛んでもない贅澤な建物が、ヒヨイヒヨイと出來たのもその爲です。
日本一の都、殷賑を極めた江戸の大町人達が、手もとに集まつて來る黄金を、何處に隱して置いたか、考へて見てもわかることです。
戰國時代の後を承けて、その頃の日本には、二、三十萬の浪人が居たと言はれ、その半分や三分の一は江戸に住んで居たと見なければならず、仕官の出來るのは、その又何割で、多くの浪人達は、市井に隱れて、芽の出るのを待つたのです。
その何割かは商人になり、何割かは橋の袂に立つたり、町道場を開いたり、小内職をしたり、寺子屋を開きました。が、甚だ正直でないもの、世渡りの道を知らないもの、道徳覿念のお粗末なのは、『斬取り強盜は武士の慣ひ』と觀じたのも已むを得ないことでした。
銀行制度もなく、投資機關もなく、そのくせ、うんと金の集まつて來る大町人達は、これを瓶に容れ、箱に納めて、大地の下深く匿したのはまことに當然な財産保護の方法だつたのでせう。
江戸の通貨は相當のものであつたに拘らず、今日まで殘つて居る、その容器の千兩箱や金箱といふものが、非常に少ないのを見ても、その間の消息はわかることと思ひます。
封建時代の通貨隱匿は、日本も外國も同じことで、歐羅巴の中世にもこの事情は共通して、埋藏金を扱つた小説や物語は、夥しく殘されて居ります。恐らく我々の踏んでゐる、この大地の底には、かなりの黄金と銀が埋沒して居るのではあるまいか──とまで考へられたことがあり、既に歐羅巴の中世から十九世紀の頃までは、地下の埋藏金を探し出す、いろ〳〵の方法が考へられました。
占ひ、禁呪、呪文、そんなものの外に、或種の魔法の杖を持つて歩き、それが倒れた方角と角度と、顫動とで、地下の埋藏金を見出す方法をさへ、一般に信じられた時代があつたのでした。占者のやうなのが、物々しい杖を持つて歩くと、地下に金の埋まつて居るところでは、魔法の杖がそれに感應して、一種の運動を起すと言はれて居たのです。
八五郎の話といふのは斯うでした。
「大膳坊覺方といふ修驗者が、江戸中の地下には、量り知れないほどの寳が埋まつてゐるに違ひない。それを片つぱしから掘り出して、諸人に援けを與へようといふ大願をたて、山を下つて江戸の町へ入られた」
「大層なことだな。それで、いくらか掘り出したのか」
「掘り出しましたよ。最初は江戸の町人達も、どうせ、山かん野郎のペテン師だらうと多寡をくくつて、──お寺の墓を掘り返して見ねえ、骸骨と一緒に、間違ひもなく六道錢は入つて居るよ。──などと笑つて居たが、さう言ふお前の家の土竈の下には、十五枚の小判が埋まつて居ると言はれ、大膳坊立ち會ひの上で掘つたのは、麹町六丁目の洒屋久兵衞だ」
「フーン」
「何んにも出なかつたら、思ふ存分に毆つて、大耻を掻かせてつまみ出す約束で掘らせましたが──」
「出たらどうするんだ」
「若し言つた通りの金が出たら、三つ一つ、つまり、十五兩出たら、五兩は大膳坊に差しあげ、大膳坊はそれを、貧乏人への施しにする約束で掘ると、土竈の下、床板を剥いで、一尺五寸ほどの深さの地中から、古い小さい梅干瓶が一つ出ましたよ。汚れた蓋を拂つて見ると、中から現はれたのは、吹き立て見たいな、山吹色の小判が十五枚。洒屋久兵衞膽をつぶして觸れたからたまりません」
「──」
「山の手一圓の評判になつて、俺の家も見てくれ、此方の土藏も掘つてくれといふ騷ぎだ」
「お前はその金掘りに手傳つて居たのか」
「大膳坊に手傳つたわけぢやありませんが、何しろたいした評判で、あつしも叔母さんに手傳はされましたよ」
「お前の叔母さんのところからも小判が出たのか」
「小判とまでは行かないが、金が出たことは確かで」
「それはたいしたことぢやないか」
「まア聽いて下さい。──金掘りは麹町から、四ツ谷、赤坂と擴がつて行きましたが、皆んなが皆んな、金を埋めてある家ばかりではなく、中にはいくら掘つても、何んにも出て來ないのもある、大膳坊は法力が廣大だから、ちよつと見ただけでも、金を埋めてある家と、何んにもない家とわかります。金が埋めてあるとわかると、家中の者に沐浴齋戒させ、家の眞ん中に祭壇をつくり、揉みに揉んで祈る。──すると、埋めた金があるものなら、三日のうちに埋めた場所までわかるといふからたいしたものでせう」
「本當ならたいしたものだが、眉に唾をこつそり附けて聽くことだな。世の中に儲かる話ほど怖いものはない」
「叔母さんが、それを聽いて來たからたまりませんよ。四谷のお常客樣から、冬支度の仕立物を頼まれて、泊りがけで縫つて居るうち、現に目の前で、大膳坊が土竈の下から、小粒と小判交ぜて二兩三分と掘り出したのを見て來て、私の家の土竈の下にも、きつとあんな瓶があるに違ひない。この向柳原の家に三代も住んで居るが、死んだ亭主が持つて居た筈の金が、死んでしまつてから搜して見たが、どうしても一兩二分ほど足りない──と言ひ出したんで」
「成る程ね」
「大膳坊を頼むと、金を掘出しても三つ一つの二分は取られる、見す〳〵無駄をしたくないから、お前が掘り出してくれと、叔母さんの頼みだ。早速土竈の下の床板を剥がし、ジメジメする土を、三日がゝりで、一萬五千兩も隱せるほど掘りましたよ」
「ところで、小判は?」
「小判なんざ、片らも出やしません。出て來たのは、古釘と五徳のこはれと、鐵漿の壺だけ、これでも金には違ひありませんが、──飛んだくたびれ儲けで」
「叔母さんはどうした」
「まだ諦らめきれないやうですよ。今度は大膳坊を呼んで來て、一と揉み祷らせて見るといふ張りきりで、いやもう、儲けたのは肉刺が三つ。こいつは近頃の大笑ひぢやありませんか」
八五郎は、またコミ上げるやうに笑ふのです。八五郎が斯んな呑氣なことをして居るうちに、大膳坊覺方の活躍は見事でした。そのうちでも大口は、八五郎のその後の報告によれば、──
「大膳坊が乘り出して行つても、ないところからは小判はおろか、腐つた鍋づるも出て來ない。尤もいざ掘り出す前に、大膳坊ははつきり言ふさうで、──お前のところには埋まつて居る寳はない、昔寳を埋めたといふ言ひ傳へはあつても、代々善根を積まず、惡業ばかり重なると、荒神樣が惜しんでこれを隱される、諦らめなさいと、はつきり斷るさうで、それでも掘つたところで、何んにも出て來るわけはありません」
「本當に金の出た家は、そんなに澤山あるのか」
平次もツイ釣られて訊く氣になりました。一ヶ所や二ヶ所なら兎も角、五ヶ所十ヶ所と天下の通用金が、大地の底から出て來るやうでは、これを簡單にペテンや詐僞で片付けられなかつたのです。
「ありますよ。一番の大口は、鹽町の小間物屋で、上州屋周太郎。その家の隅を剥がして、大地の下三尺も掘ると、石の蓋をした瓶の中から、ピカピカする慶長小判が二十枚と出て來た」
「二十兩は大きいな」
その頃の相場から言へば、二十兩は全くのひと身上でした。
「おかげで、つぶれかけて居た上州屋が、一ぺんに身上を起しましたよ」
「大膳坊が前に隱して置いたのではあるまいな」
「それは大丈夫で、床下三尺のところへ、外から忍び込んで隱せる筈はありません。それに床下は埃で煉り固めたやうになつて居るし、新しく掘つた跡なんか一つもありません」
「で?」
平次もツイその先を促しました。
「二十兩の三つ一つ、七兩は大膳坊が貰つて、即座に町役人方と相談をし、町方で其の日に困つて居る人に、綺麗にバラ撒いてしまひました。一兩だつて大膳坊の身へはつけません、──私は二分の祈祷料を頂くから、それで結構──と言つた、サバサバした坊主ですよ」
「外に?」
「廣尾の百姓喜左衞門は、土地の舊家で、金の牛を祀つて居ると言はれたが、先代の頃からそれが見えなくなつた。是非搜し出してくれと頼まれ、氣の進まない樣子で行つたが、これはいくら祷つても出なかつた。代々の因業で、人から怨まれて居るから、黄金の牛は石の牛になつたんださうで、土藏の床下から、ひと握りの石ころが出て來ましたよ」
「?」
「内藤新宿の喜之字屋といふお茶屋からも、是非にと頼まれて行つたが、これも何んにも出なかつた。お酌に雇入れた若い娘は、人買の手から入れた可哀想なのが多く、人は知らなくても、天道樣は見通しで」
「それつきりか」
「まだ、金を掘り當てたのは、三つか四つぢやありません。一番變つたのは、青山の御武家、百石取りの御家人で、丹波小三郎樣。物はためしで、大膳坊に祷らせて見ると、翌る日井戸の中から小判が八枚出て來た。毎年井戸替をしながら、こんなものが沈んでゐることに氣がつかなかつたんですね。井戸の底の、砂の中に潜つたのを出すのは、大膳坊の法力だといふことで」
「フーム、面白いな。金が出たばかりで、誰も盜られたわけぢやないから、叱りも縛りもなるまい。だが、腑に落ちないことばかりだ。暫らく眼を離さずに、樣子を見て居てくれ」
「へエ」
八五郎は何が何やらわからぬまゝに引受けました。これが大變な事件に發展しようとは、思ひもよらなかつたのです。
「御免下さい」
そんな話の最中に、障子一重の入口に物々しく訪づれる聲がしました。
「ハイ、ハイ」
お勝手から廻つて、取次いだ女房のお靜は、平次の後ろの唐紙をあけて、
「あの、四ツ谷傳馬町二丁目の、越前屋谷右衞門さんと仰しやる方が、内證で御話を申上げ度いことがあるとか──で」
と囁やくのです。
「よし〳〵、此處へお通し申すんだ。八五郎はちよいとお勝手へ姿を隱すが宜い、──唐紙一重だから内證話も筒拔けだ。越前屋さんとやらの氣が濟めば宜いわけだから」
平次は顎をしやくると、八五郎は煙草入をさらつて姿を隱し、入れ違ひに、立派な中年者が通されました。路地の外には、供の者らしいのが、それとはなしに見張つて居る樣子です。
丁寧過ぎるほど丁寧な挨拶、天氣のこと、世並のこと、疝癪で歩くのに骨が折れ、思はず手間取つた話などひとわたりあつて、さて、
「實は折入つてのお願ひがあつて參りましたが──」
ときり出すのです。物に間違ひのない商人氣質で、どんな忙しい時でも、これだけのプロローグがなければ、用事をきり出せなかつたのでせう。
見たところ、四十近い好い男、小紋の羽織、紬らしい袷、煙草は呑まず、澁茶にも手を觸れず、いかにも強かな感じのする中年者です。
「どんなことでせう、この通り外に聽く者もございません。打ち明けてお話をなすつて──」
「へエ、へエ、實はその、親分さんもお聽きでせうが、近頃山の手に評判の大膳坊覺方と仰しやる修驗者」
「あの、埋めた金を搜し當てるといふ?」
「あの方が、私の家──傳馬町二丁目の越前屋にも、大層な寳が埋めたまゝにしてあると申すのださうで、──私の家は、御存じかも知れませんが、江戸兩替屋の山の手の組頭になつて居ります。東照宮樣御入國以來の家柄で、少しの貯へもございますが、三代前の主人が、公儀の冥加金の、際限もない御申付けを惧れ、一萬兩にも上る小判を、何處かに隱したに違ひないといふ、不思議な噂が世上に傳はつて居ります。そんな馬鹿な筈はないと、一生懸命に申開きをしたところで、面白づくの世上の噂は消えるわけはなく、ほと〳〵困つて居りますと、大膳坊覺方さんが現はれたのでございます」
「?」
越前屋谷右衞門の話は、丁寧ですが、要領よく運ぶのです。
「一萬兩などと申す大金は、狹い屋敷のなかに隱してある筈もございません。若しまたそれが本當にあつて、大膳坊の法力で出て來るものなら、大膳坊の申入れ通り、一萬兩のうち、三つ一つは、何處かに寄附をするなり、神佛に納めるなり、お困りの人達に差上げても、一向に構ひませんが、──祈つたり掘つたり、散々の騷ぎをして、若し何んにもなかつたら、この谷右衞門、江戸中の笑ひ者になります。どうしたものでせう、親分さん。私は思案に餘つて、お智慧を拜借に參つたのでございます」
「?」
「もしまた、大膳坊と申す人が、お上で目をつけて居る、良くない方であつたりしては、家の中を覗かせ度くもございません。いかゞなもので」
越前屋谷右衞門の言葉は、用心深過ぎるやうですが、手堅い商賣をして居る大町人としては、まことに尤もなことでもあつたのです。
平次は併し、これに何んとも答へることは出來なかつたのです。法力で金を搜すといふ話は、充分に疑はしいことですが、一應は注意しましたが、既に五軒も十軒も成功をした例があり、大膳坊が掘り出した金を私したといふ話も聽かないのですから、正面から反對する理由は一つもなかつたのです。
平次はこの埋藏金事件を、全部八五郎に任せて見ようといふ氣になりました。別に盜まれた金もなく、怪我をした者も、殺された者もない事件に、ノコノコ顏を出すのは、大人氣ないやうでもありますが、事件の奧にはなんとなく異樣な匂ひがあり、滿更放つても置けないやうな氣がしたのです。
それに、これは一番大事なことでしたが、平次はこの邊で一番、八五郎に素晴らしい手柄を立てさせたかつたのです。今までも、隨分いろ〳〵の場合に、八五郎を表面に立てて見ましたが、ツイその見當違ひを見兼ねて、平次が顏を出してしまひ、結局は平次の手柄になつて、何時まで經つても八五郎は下積みのまゝ、主役にはなれさうもありません。
尤も八五郎も立派に十手取繩を預かつて、一本立の御用聞にはなつて居る筈ですが、八丁堀の旦那衆も、平次といふ控があるからの八五郎で、八五郎一人には、むづかしい事件を任せてはくれないのです。
幸ひと言つては變ですが、まだ表面には、何んの犯罪事實も現れない事件──しかも行先は混沌として、容易に見當もつかないこの事件を、八五郎の手に任せて、暫らく平次は靜觀して見ようといふ氣になつたのも無理のないことでした。
平次の常識と、長い間の經驗から見ると、地下埋藏金といふものは、實際あるかも知れませんが、祈祷や禁呪でそれが發見されるなどといふことは、考へられないことです。
「氣をつけるが宜い、大膳坊は多分──いや間違ひもなく山師坊主だらう。どんな手品で、何をやらかすか、眼を大きくして見張つて居ろ」
と、注意を與へてやつたのも、當然のことでした。
「でも、金はあちこちから出たが、大膳坊は一兩だつて誤魔化しちや居ませんよ」
「種のない手品は使はれないよ、氣をつけることだ」
「へエ」
八五郎は不承々々に出て行きました。
それから四五日。
「たうとう掘り始めましたよ」
八五郎の第三回目の金掘り事件の報告は來ました。
「傳馬町の越前屋は、たうとうその氣になつたのか」
平次もこの報告を待ち構へて居た樣子です。
「隨分澁つて居ましたが、この間店の床下から、二十兩も掘り出して貰つた、鹽町の上州屋周太郎が大乘氣で、豫て知り合ひの越前屋を口説き落したんで」
「フーム、上州屋と越前屋は昵懇でもあるのか」
「似寄りの年輩で、店だつて遠くはありません。越前屋は美男で金持だが、上州屋は貧乏で不景氣で、尤も、十年くらゐ前までは上州屋も良い暮しだつたさうですよ。米相場でひどい損をして、近頃は店も開けたり閉めたり、旅へ出たり江戸へ歸つたり、大膳坊に二十兩の金を掘り出して貰はなきや、この暮には夜逃げでもしなきやならなかつたと本人が言ふんだから嘘ぢやないでせう」
「大膳坊は何處に泊つて居るのだ」
「相州小田原に住んで居るが、今は江戸に來て、上州屋の離室に住んで居ます」
「上州屋は配偶はないのか、──それから、大膳坊の身持はどうだ」
「二人共四十近い獨り者で、尤も大膳坊の方は蝠女とか言ふ蝙蝠が化けたやうな女の巫女をつれて歩いて居ます。ちよいとした年増で」
「相變らず、お前は女の鑑定は早い」
「尤も、越前屋の御新造に比べると、月とすつぽんで。これはたいした女ですよ」
「フーム」
「お菊さんと言つて、後添へですがね。まだ三十そこ〳〵、たまらねえ年増で」
「その、女の噂をする時、舌舐めずりをするのだけは止せよ。大江山の洒呑童子見たいで氣味がよくねえ」
「へエ」
「不足らしい顏をするな、──ところで?」
「三日前に越前屋の一の倉に壇を拵へて、大膳坊と蝠女の二人、其處に籠つたきりの祈祷が始まりましたよ。その一の倉といふのは、雜用倉で、あまり大したものは入つちや居ません。その隣りは兩替組頭の越前屋が、大事な質の物と金箱を入れて居る倉だ。大膳坊は、金倉の方は、それつきりのものだが、祖先の埋めた一萬兩の寳は、雜用倉の床下にあるに違ひないといふので」
「フーン、變つてるな」
「祈祷は、三七、二十一日くらゐはかゝるさうですよ。何しろ大金だから、三日や五日では掘出せない」
「──」
「大膳坊と蝠女は、鳴物入りで祈り續けて居まさア、倉の中へは、誰も入れてくれず、竹矢來を結つて、側へも寄り付けやしません。時々大膳坊と蝠女が、息を入れに出たり、手を洗ひに出たり」
「上州屋の周太郎はどうした?」
「時々覗きに來ますよ、──大抵は夜で、尤も、この男も倉の中へは入れません」
「三度の食ひ物はどうする?」
「倉の前へ供へて聲をかけると──蝠女が出て來て、運び込みます。修驗者は腹が減らないのか、あまり食はないやうですね」
「フーム」
「尤も、雜用倉で井戸も近く、手輕な流しも附いて居るから、倉の中でも食物の支度は出來ないこともありません」
八五郎の報告はこんなことでした。
その次の八五郎の報告は、七日ほど經つて居りました。月はもう明るくなつて、江戸の秋も次第に薄ら寒くなります。
「妙なことばかりですよ、親分」
八五郎のせりふは、相變らず突つ拍子もなく彈みきつて居ります。
「何が妙なんだ、大膳坊が尻尾でも出したのか」
「そんなものを出しや、生捕つて香具師に賣るが、どうも、狐や狸の化けたのではなくて、矢つ張り人間の化けたのだから氣になるぢやありませんか」
「人間が人間に化ける? 面白いな」
「だつて、どう見たつてあの糞坊主は、顏や姿を拵へて居ますよ」
「どんな具合に」
「眼尻に紅を差して、顏一面に煤と砥の粉を塗つて、含み綿をして顏をふくらませて居るに違ひありません」
「フーム」
「それだけなら兎も角、あの總髮は鉢卷をして居るから誤魔化されたが、間違ひなく鬘ですよ。それに、顏半分の不精髭だつて、よく見ると、無二膏をなすつて、その上から火口を附けて居る樣子で」
「どうしてそれがわかつた」
「滅多に傍へ寄せないが、鼻をかんだ紙へ黒いものがべつとり、眞物の髭なら、鼻をかむ度毎に落ちる筈もありません。その上、あの聲だつて、猫撫で聲の裏聲で、餘つ程變ですよ」
「フーム、そんなことはあるかも知れないな。誰がそんな樣子をして居るか、正體の見當はつかないのか」
「たしかに、何處かで見たことのある顏ですよ。この間から考へて居るが、どうしても思ひ出せねえ。癪にさはるぢやありませんか」
八五郎は口惜しがるのです。毎日顏を合せる男、それが明かに假裝の人間とわかつたとき、八五郎の職業意識がうづくのも無理のないことでした。
「精一杯氣をつけることだ、外に變つたことはないのか」
「大膳坊をつれ込んだ、上州屋の周太郎、あれも變な男ですね」
「何が變なんだ」
「何遍も身代限りをしさうになつて、半分は旅から旅に暮して居る樣子ですが、訊いて見ると、可哀想なところもあるんで」
「可哀想?」
「さうぢやありませんか。今から十二年前、今では越前屋の内儀になつて居る、お菊さんを、越前屋谷右衞門と張り合つて、山の手中の騷ぎだつたさうですよ」
「そいつは初耳だ」
「上州屋周太郎も若い時は好い男だつたさうで、その上金もちよいとは持つて居た。お菊さんは貧乏人の娘で、親達も何方にしようかと迷つたらしいが、男つ振りは大した違ひはなくても、金の方は三倍も五倍も持つて居た、越前屋に札が落ちた、──よくある奴ですね」
「で、上州屋周太郎は、今でも越前屋を怨んで居るのか」
「心の中では何んと思つてるか、覗いたつてわかりやしませんが」
「當り前だ、臍の穴を覗いたつて、腹の中まではわかりやしない」
「十二年も經つたことだから、今では平氣で附き合つて居ますよ。何んと言つても越前屋は、あの土地では大した羽振りだ、あれに楯を突いちや、四ツ谷に住んで居られません」
「で?」
「内儀──と言つても、あの綺麗さで、娘のやうに若い、そのお菊さんの顏を見る、上州屋の眼といふものはありませんよ。怨めしさうな、悲しさうな、口惜しさうな、そのくせ人を小馬鹿にしたやうな」
「そんなところは感心に眼が屆くな」
「あの内儀のお菊さん、一度親分に見せ度いな、三十と言つても、好い女は不思議に年を取りません。脂が乘つてるけれど、細つそりして」
「もう澤山、お前が見ると、大概の女は綺麗に見える。ところで──まだ話があるだらう」
「上州屋周太郎、口惜し紛れに米相場に手を出して、すつてんてんになつたのはそれから二三年も後、今から十年ほど前でさ。四ツ谷を離れるのが口惜しいと言つて居たさうで、家はそのまゝに、旅へ出ちや、變な稼ぎをして居たやうです。まさか、泥棒はしなかつたでせうが、男前が好いから、習ひ覺えた遊藝を資本に、田舍芝居の一座に入つたり、香具師の仲間に入つたり、やくざの仲間に入つたり、左右の腕に上り龍と下り龍の彫物があるさうですよ。こいつは關東でも名題の、何んとか組の合印なんださうで」
「大變な男だな」
「こんな男の後押しぢや、大膳坊倉の中で何をやり出すか、わかりやしませんね」
「ところで、もう一つ、蝠女とかいふ巫女は何をして居るんだ」
「變な女だと思つたが、段々見て居ると、こいつも惡くない女ですよ。前帶に紫頭巾で、變てこな風をして居ますが、ありや大膳坊の女房かも知れませんね。何しろ倉の中に籠つたきり、もう、十日にもなるのに、滅多に顏も見せません」
「何しろ、變なことばかりだ。いづれ、俺も行つて見るが、御用が多くて今は手が拔けねえ、暫らく念入りに見張つて居てくれ」
「へエ」
八五郎は不足らしい顏をしますが、まだ何んの變化もないので、平次を引つ張り出したところで、縛る相手もない有樣です。
「確りするんだよ、お前といふものの、良い手柄になるかも知れない」
さう言つて激勵するのが精々です。
「親分、大變ツ」
八五郎が刷毛先で梶を取つて、明神下の家に乘り込んで來たのは、月が圓くなつた頃、ある夜の戌刻(八時)過ぎでした。
「到頭來やがつた。お前の大變が來さうな時分だと思つたよ」
平次はニヤリニヤリと一向に驚く風もありません。
「忙がしいなんて言つちや居られませんよ。直ぐ出かけて行つて、あの野郎を縛つて下さい」
八五郎は、何うやら、興奮しきつて居る樣子です。
「まア、落着いて話せ、何處へ行つて、誰を縛るんだ」
「上州屋の周太郎ですよ。あの野郎が」
「上州屋の周太郎がどうしたんだ」
「混んがらかつちやいけません。順序を立てて聽いて下さい」
「混んがらかるのはお前の方ぢやないか、何がどうしたんだ」
「あつしが、先刻、──まだ薄明るい時でした、大膳坊の野郎何をして居るのかと思つて、越前屋の一の倉の後ろへ廻つて、そつと覗いて見ると──」
「あまり結構な圖ぢやないな。まア宜い、其處に何があつたんだ」
「大膳坊が井戸端で、大肌脱ぎになつて、身體を拭いて居たと思つて下さい」
「思ふよ」
「ぬれ手拭を使つて、背中を拭いて居るところでしたが、何氣なく見ると、左右の腕に彫物があるぢやありませんか。──二の腕から肩へかけて、左は上り龍、右は下り龍だ」
「フム」
「はつと思つたが、あの蝠女といふのが見張つて居て、暫らく動けやしません。我慢をして、ヂツと物蔭から見て居ると、大膳坊は引つ込んで、今度は蝠女の行水が始まつた」
「──」
「巫女でも市子でも、三十そこ〳〵の餅肌、惡くねえ女だ。その行水を、始めから終りまで、ヂツと眺めて居るのは、樂ぢやありませんね」
「馬鹿野郎、何んだつて逃げ出さないんだ」
「だつて、動き出せば、相手も氣がつくでせう。さぞ、若い男のあつしに行水姿を見られて、極りが惡からうと」
「馬鹿だなア、お前の馬鹿は底が知れない」
「バアと飛び出しや、どんなにびつくりするか、それを考へると。あつしは眼をつぶつてぢつとして居る外はありません、──そのまた行水の長いこと」
「──」
「漸く濟んだから、飛び出さうとしましたよ」
「何處へ」
「大膳坊は上州屋周太郎に違ひありません。一人二た役、鹽町に飛んで行つて、引拔いて居るところを、この眼で見ようと思つたんで」
「上州屋周太郎と大膳坊と、顏を合せるやうなことはなかつたのか」
「あとで思ひ當ると、不思議に二人は顏を合せなかつたやうで。大膳坊は朝から夕方まで藏の中で祷つて居るし、上州屋周太郎が、越前屋へ來るのは、いつでも夜で、その時は藏が閉つて、大膳坊は寢てしまつた樣子で、物音もしなかつたのです」
「フーム」
「それに、大膳坊は變な拵へをして居ましたが、思ひ合せると、上州屋周太郎の顏立ちで、作り聲をして居ても、聞いたことのある地聲が出ました」
「それから、どうした」
「飛び出さうとすると、蝠女につかまつたんです。──何んだつて私の行水を覗くんです? これでも若い女ぢやありませんか──と胸倉つかまれて、どうすることも出來ない」
「間拔けだなア」
「三十女は強い、帶ひろどけて、變な風をして居る癖に、何んとしても放してくれない、──おしまひには、私はまだ娘なんだから、この儘では濟ませない、畜生奴、どうしてくれよう──と、斯う言つた具合」
八五郎は仕方話になるのでした。
「見たかつたな、紫頭巾の巫女と取つ組合ひの場を」
「冗談ぢやありませんよ、あつしもあれほど執こく女に絡まれたことはありませんよ」
八五郎の話の馬鹿々々しさに、平次の女房のお靜は、たまり兼ねてお勝手に逃げ込んでしまひました。多分、腹を抱へて笑つて居ることでせう。
「それつきりか」
「話はこれから大變なんで、漸く蝠女の手を振りきつて、鹽町へ飛びましたよ。上州屋周太郎がどんな顏をして居るか、それを見度かつたのです」
「?」
「表は締つて居て、叩いても押しても開きやしません。裏へ廻つて飛び込むと、主人の周太郎、男のくせに、鏡と首つ引で化粧をして居るぢやありませんか」
「化粧?」
「あつしもあんなに驚いたことはありませんが、周太郎はなほ驚いた樣子で、顎や頬から、火口を剥ぐのに夢中でしたよ」
「フム」
「どう思ひます、親分。大膳坊は間違ひもなく上州屋周太郎でせう。一人二た役で、何んか惡いことを企んでるに違ひありません。その場で縛つてやらうと思ひましたが、待てよ、別に何んにも惡いことをしたわけでもなし、いきなり縛るわけにも行きません。照れ隱しに何んか言つて、飛び出して來ましたが、どうしたものでせう、親分」
成程これは、八五郎一人の手に了へさうもありません。
「そいつは容易ならぬことだ。それほど用心深い大膳坊が、薄明るい井下端で、彫物を見せて肌脱ぎになつたり、蝠女とやらがお前に執こく絡み付いたり、上州屋の周太郎が顏の火口を刺して居るのを見せたり、皆んなする事がわざとらしいぢやないか」
「さうでせうか?」
八五郎にはまだ腑に落ちないものがあります。
「惡者共の仕事は濟んだのだよ。そんなところをお前に見せるのは、勝負を仕掛けたやうなものだ。行つて見よう、八」
「何處へ?」
「知れたこと、傳馬町の越前屋だ、──お前一人に任せて置いたのが手ぬかりだつたかも知れぬ」
平次は手早く支度をしながら、斯んなことを言ふのです。
道々、平次は八五郎に訊ねました。
「お前が越前屋の倉の裏を覗いたのは、誰かにけしかけられたのか。お前の思ひ付きぢやなささうだが」
「その通りで、──前の晩周太郎が、越前屋へ來た時、あつしを門口に呼出して、さう言ひましたよ、──大膳坊さんは、明日あたり、身體を洗ひ度いと言つて居たが、あの人は、俗人に身體を見られるのを、ひどく嫌がるから、親分はそのつもりで、人を近くへやらないやうにして下さい──とね」
「覗いて見てくれと言はぬ許りだ。ところで、蝠女と周太郎は口をきく事があるのか」
「大膳坊は周太郎と顏を合せない代り、蝠女が皆んな取次ぎますよ、──あの蝠女といふのが大變な女で、周太郎と出來て居ますね」
「何んだと?」
「女の素振りの鑑定にかけては、親分はだらしがねえが、あつしの方は本阿彌で、ちよいと物を渡すんでも、思ひ入れ澤山に、手なんか握りますよ」
「畜生ツ、それでわかつた。急げ、八。大詰の幕は開いたかも知れない」
二人は本當に宙を飛びました。
夜中の街を、神田から四ツ谷傳馬町へ、二人が越前屋へ着いた時は、平次が心配したやうに、事件はもう、殘酷で、念入りで、憎んでも憎み足りない、そのくせ手のつけやうのない破局に持込まれて居たのです。
越前屋の主人谷右衞門は、平次が來たと聽いて跣足で飛び出しました。
「錢形の親分さん、これを見て下さい」
手を取るやうに導かれると、奧の一と間、主人の居間の隣り、綺麗に片付いた女部屋に、平常着のまゝ、内儀のお菊は後ろから刺されて心の臟を一と突きに、標本臺の上の美しい蝶のやうに死んで居り、土地の御用聞と町内の外科が、調べたり、手當てをしたり、いろ〳〵試みて居りますが、最早手の盡しやうもありません。
「これは何時頃見付けました」
「ツイ先刻です、私は仲間の相談事があつて夕方から外に出て居りました。先刻歸つて、いつも寢ずに待つて居る、家内の部屋を覗くとこの有樣で」
「まだあまり時は經つて居ない」
血も固まらず、體温も殘つて居り、この兇行は半刻とも經つて居ない樣子です。
「親分、──この下手人は、私にはよく判つて居ります」
「?」
「十二年前、この家内を、私と張合つた男、あの男に違ひありません、近頃は昔のことを忘れてしまつたやうに、馴々しく出入りして居りましたが──」
谷右衞門は口惜しがるのです。言ふ迄もなく、若かりし頃のお菊を爭つた、上州屋の周太郎を指すものでせう。
「それより、大膳坊に逢はせて下さい。一の倉で祈祷をして居ると聽きました」
「さア、それは」
主人谷右衞門には、まだ躊躇があります。
「そんな事を言つてる時ではない、早く、早く」
平次に促されて谷右衞門は漸く案内しました。八五郎も、土地の御用聞も、それに從つたことは言ふ迄もありません。
土藏は開けられました。祭壇はそのまゝですが、中は全くの空つぽ、大膳坊の姿は言ふ迄もなく、巫女の蝠女の姿も其處には見えなかつたのです。
「祭壇の下に穴があるだらう、灯を」
平次が言ふと、持つて來ただけの灯は其處に集中されました。床板は剥がれて、其處から、何うして掘つたか、深い〳〵穴が續くのです。
土藏の下四五尺のところから、穴は横に掘られて、三間五間と續き、第二の倉、あの越前屋の富をしまひ込んで居る。金藏の下へと掘られて居るではありませんか。
「あ、これは?」
暫らく行くと、穴の天井が崩れ、土砂に埋まつて一人の男の死體があります。
「おや、大膳坊だ」
その死骸は、顏、口、頭は石で碎かれて居りますが、左右の腕に上り龍下り龍の彫物のある、紛れもなく大膳坊覺方の無殘な姿だつたのです。
「もう冷たい」
死骸に觸つて見ると、もう冷えきつて居りました。少なくとも内儀のお菊よりは、一刻も前に死んだものでなければなりません。
大膳坊の死骸の先に、なほも穴が續いて居ります。平次と谷右衞門と八五郎が、相戒めて進むと、その先は金藏の床下になり、其處に開いた穴から登ると、
「あツ」
金藏の中に貯へた、越前屋の全部の富、五つの千兩箱のうち、三つまでが紛失して居ることがわかつたのです。
× × ×
「これは一體どうしたことでせう。上州屋の周太郎が大膳坊に化けて越前屋の藏の中に入り込み、蝠女に手傳はせて、十五六日もかゝつて穴を掘り、金藏へ入つて三千兩の金を盜んだのでせうね」
歸り途、八五郎は言ふのです。
「その通りだよ。お前もなか〳〵勘が良い」
「ところで、金は盜んだが、大膳坊は穴の天井が落ちて死んでしまつた。蝠女は逃げ出さうと思つたが、周太郎の大膳坊と出來て居たので、周太郎が越前屋の内儀のお菊に、まだ未練があるのを口惜しがり、母屋に忍び込んで、内儀を殺して逃げた──この鑑定は間違ひはないでせうね」
八五郎はシタリ顏でした。
「大違ひさ」
平次の言葉は豫想外でした。
「どこが違ふんです」
「あんなに多勢顏を知つてる者の居る中で、いかに田舍芝居の一座に入つたことがあつても、周太郎は大膳坊には化けられないよ」
「へエ、するとあの上り龍下り龍の彫物は?」
「同じ惡者仲間の符牒で、周太郎にも大膳坊にもあの彫物はあつたのさ」
「へエ?」
「周太郎は、少し甘口な大膳坊をだまし込み、人に顏を見られちや惡いとか何んとか、姿を變へさせて、ちよつと自分に似せ、三人力を協せて三千兩持出したが、バレさうになつたので、大膳坊を殺して、わざと穴を崩したに違ひない。大膳坊は刄物で殺されたのでなく、石で打たれて殺されたから、うつかり見ると騙されるよ」
「?」
「行きがけの駄賃に、昔の戀の怨みの内儀を殺した。あれも大膳坊の姿では、内儀に騷がれて出來ない仕事だ。そして蝠女と手を取つて逃げ出したが、どつこい」
「何處へ逃げたでせう、親分」
「手配はちやんとしてあるよ。周太郎が品川にもう一つ足場を拵へて居ることを、二三人の下つ引を使つて、前から調べてある。今頃は蝠女と三千兩を右左に、ニヤニヤして居るに違ひない。夜は明けかけたが、品川まで行つて見るか」
「行ますとも親分、何處まででも──」
八五郎は自分の不面目さも忘れて、八五郎らしく張りきるのです。
もう吐く息が白く見えます。品川の海が曉け始めて、驛馬の鈴の音。
底本:「錢形平次捕物全集第三十三卷 花吹雪」同光社
1954(昭和29)年10月15日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
1953(昭和28)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年12月9日作成
2017年3月4日修正
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