曉月夜
樋口一葉
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櫻の花に梅が香とめて柳の枝にさく姿と、聞くばかりも床しきを心にくき獨りずみの噂、たつ名みやび男の心を動かして、山の井のみづに浮岩るヽ戀もありけり、花櫻香山家ときこえしは門表の從三位よむまでもなく、同族中に其人ありと知られて、行く水のながれ清き江戸川の西べりに、和洋の家づくり美は極めねど、行く人の足を止むる庭木のさまざま、翠色したヽる松にまじりて紅葉のあるお邸と問へば、中の橋のはし板とヾろくばかり、扨も人の知るは夫のみならで、一重と呼ばるヽ令孃の美色、姉に妹に數多き同胞をこして肩ぬひ揚げの幼なだちより、いで若紫ゆく末はと寄する心の人々も多かりしが、空しく二八の春もすぎて今歳廿のいたづら臥、何ごとぞ飽くまで優しき孝行のこヽろに似す、父君母君が苦勞の種の嫁いりの相談かけ給ふごとに、我まヽながら私し一生ひとり住みの願ひあり、仰せに背くは罪ふかけれど、是ればかりはと子細もなく、千扁一律いやいやを徹して、はては世上に忌はしき名を謠はれながら、狹き乙名の氣にもかけず、更けゆく歳を惜しみもせず、靜かに月花をたのしんで、態とにあらねど浮世の風に近づかねば、慈善會に袖ひかれたき願ひも叶はず、園遊會に物いひなれん頼みもなくて、いとヾ高嶺の花ごヽろに苦るしむ人多しと聞きしが、牛込ちかくに下宿住居する森野敏とよぶ文學書生、いかなる風や誘ひけん、果放なき便りに令孃のうはさ耳にして、可笑しき奴と笑つて聞きしが、その獨栖の理由、我れ人ともに分らぬ處何ゆゑか探りたく、何ともして其女一目見たし、否見たしでは無く見てくれん、世は冠せ物の滅金をも、秘佛と唱へて御戸帳の奧ぶかに信を増さするならひ、朝日かげ玉だれの小簾の外には耻かヾやかしく、娘とも言はれぬ愚物などにて、慈悲ぶかき親の勿体をつけたる拵へ言かも知れず、夫れに乘りて床しがるは、雪の後朝の末つむ花に見參まへの心なるべし、扨も笑止とけなしながら心にかヽれば、何時も門前を通る時は夫れとなく見かへりて、見ることも有れかしと待ちしが、時はあるもの飯田町の學校より歸りがけ、日暮れ前の川岸づたひを淋しく來れば、うしろより、掛け聲いさましく駈け拔けし車のぬしは令孃なりけり、何處の歸りか高髷おとなしやかに、白粉にはあるまじき色の白さ、衣類は何か見とむる間もなけれど、黒ちりめんの羽織にさらさらとせし高尚き姿、もしやと敏われ知らず馳せ出せば、扨こそ引こむ彼の門内、車の輪の何にふれてか、がたりと音して一ゆり搖れヽば、するり落かヽる後ろざしの金簪を、令孃は纎手に受けとめ給ふ途端、夕風さつと其袂を吹きあぐれば、飜がへる八つ口ひらひらと洩れて散る物ありけり、夫れと知らねば車は其まヽ玄關にいそぐを、敏何ものとも知らず遽しく拾ひて、懷中におし入れしまヽ跡も見ずに歸りぬ。
乘り入れし車は確かに香山家の物なりとは、車夫が被布の縫にも知れたり、十七八と見えしは美くしさの故ならんが、彼の年齡の娘ほかに有りとも聞かず、噂さの令孃は彼れならん彼れなるべし、さらば噂さも嘘にはあらず、嘘どころか聞きしよりは十倍も二十倍も美し、さても、其色の尋常を越えなば、土に根生ひのばらの花さへ、絹帽に挾まれたしと願ふならひを、彼の美色にて何故ならん、怪しさよと計り敏は燈下に腕を組みしが、拾ひきしは白絹の手巾にて、西行が富士の烟りの歌を繕ろはねども筆のあと美ごとに書きたり、いよいよ悟めかしき女、不思議と思へば不思議さ限りなく、あの愛らしき眼に世の中を何と見てか、人じらしの振舞ひ理由は有るべし、我れ夢さら戀なども厭やらしき心みぢんも無けれど、此理由こそ知りたけれ、若き女の定まらぬ心に何物か觸るヽ事ありて、夫れより起りし生道心などならば、かへすがへす淺ましき事なり、第一は不憫のことなり、中々に高尚き心を持そこねて、魔道に落入るは我々書生の上にもあるを、何ごとにも一と筋なる乙女氣には無理ならねど、さりとは歎かはしき迷ひなり、兎も角も親しく逢ひて親しく語りて、諫むべきは諫め慰むべきは慰めてやりたし、さは言へど知りがたきが世の中なれば令孃にも惡き虫などありて、其身も行きたく親も遣りたけれど嫁入りの席に落花の狼藉を萬一と氣づかへば、娘の耻も我が耻も流石に子爵どの宜く隱くして、一生を箱入りらしく暮らさせんとにや、さすれば此歌は無心に書きたるものにて半文の價値もあらず、否この優美の筆のあとは何としても破廉耻の人にはあらじ、必らず深き子細ありて尋常ならぬ思ひを振袖に包む人なるべし、扨もゆかしや其ぬば玉の夜半の夢。
はじめは好奇の心に誘はれて、空しき想像をいろいろに描きしが、又折もがな今一と度みたしと願へど、夫よりは如何に行違ひてか後ろかげだに見ることあらねば、水を求めて得ぬ時の渇きに同じく、一念此處に集まりては今更に紛らはすべき手段もなく、朝も晝も燭をとりても、はては學校へ行きても書を開らきても、西行の歌と令孃の姿と入り亂だれて眼の前を離れぬに、敏われながら呆れる計り、天晴れ未來の文學者が此樣のことにて如何なる物ぞと、叱りつける後より我が心ふらふらと成るに、是非もなし是上はと下宿の世帶一切たヽみて、此家にも學校にも腦病の療養に歸國といひ立て、立いでしまヽ一月ばかりを何處に潜みしか、戀の奴のさても可笑しや、香山家の庭男に住み込みしとは。
敏おさなきより植木のあつかひを好きて、小器用に鋏も使へば、竹箒にぎつて庭男ぐらゐ何でもなきこと、但し身の素性を知られじと計り、誠に只今の山出しにて、土をなめても是れを立身の手始めにしたき願ひと、我れながら宜くも言へたる嘘にかためて、名前をも其通り、當座にこしへらて吾助とか言ひけり、さても氣の利かぬとて是れほどの役廻りあるべきや、浮世の勤めを一巡終りて、さても猶かヽるべき子の怠惰にてもあらば、如來樣お出迎ひまで此口つるしても置かれず、草むしりに庭掃除ぐらゐはとて、六十男のする仕事ぞかし、勿躰なや古事記舊事記を朝夕に開らきて、万葉集に不審紙をしたる手を、泥鉢のあつかひに汚がす事と人は知らねど、埒もなく万年青の葉あらひ、さては芝生を這つて木の葉を拾ふ姿、我ながら見られた体でなく、これを萬一も學友などに見つけられなばと、心笹原をはしりて、門外の用事を兎角に厭へば、勝手ばたらきの女子ども可笑しがりて、東京は鬼の住む處でもなきを、土地なれねば彼のやうに怕きものかと、美事田舍ものにしてのけられぬ。
君ゆゑこそ可惜青年一人、此處にかく淺ましき躰たらくと、窓の小笹を吹く風そよとも告げねば、知らぬ令孃は大方部屋に籠りて、琴の音などにいよいよ心を腦まさせけるが、折ふしの庭あるきに微塵きずなき美くしさを認め、我れならぬ召使ひに優しき詞をかけ給ふにても情ふかき程は知られぬ、最初の想像には子細らしく珠數などを振袖の中に引きかくし、經文の讀誦に抹香くさくなりて、娘らしき匂ひは遠かるべしと思ひしに、其やうの氣ぶりもなく、柳髮いつも高島田に結ひ上げて、後れ毛一と筋えりに亂ださぬ嗜みのよさ、さても好みの斯くまでに上手なるか、但しは此人の身に添ひし果報か、銀の平打一つに鴇色ぶさの根掛むすびしを、優にうつくしく似合ひ給へりと見れば、束髮さしの花一輪も中々に愛らしく、此處一つに美人の價値定まるといふ天然の衣襟つき、襦袢の襟の紫なる時は顏色こと更に白くみえ、態と質素なる黒ちりめんに赤糸のこぼれ梅など品一層も二層もよし、あるが中にも薄色綸子の被布すがたを小波の池にうつして、緋鯉に餌をやる弟君と共に、餘念もなく麩をむしりて、自然の笑みに睦ましき咡きの浦山しさ、敏もとより築山ごしに拜むばかりの願ひならず、あはれ此君が肺腑に入りて秘密の鍵を我が手にしたく、時機あれかしと待つま待遠や、一月ばかりを仇に暮して近づく便りの無きこそは道理なれ、令孃は高嶺の花これは麓の塵、なれども嵐は平等に吹く物ぞかし。
甚之助とて香山家の次男、すゑなりに咲く花いとヾ大輪にて、九つなれども權勢一家を凌ぎ、腕白さ限りなく、分別顏の家扶にさへ手に合はず、佛國に留學の兄上御歸朝までは、此君にあたる人あるまじと見えけるが、孃とは隨一の中よしにて、何ごとにも中姉樣と慕ひ寄れば、もとより物やさしき質の、これは又一段に可愛がりて、物さびしき雨の夜など、燈火の下に書物を開らき、膝に抱きて畫を見せ、これは何時何時の昔し何處の國に、甚樣のやうな剛き人ありて、其時代の帝に背きし賊を討ち、大功をなして此畫は引上の處、この馬に乘りしが大將と説明せば、雀躍して喜び、僕も成長ならば素晴らしき大將に成り、賊などは何でもなく討ち、そして此樣に書物に記かれる人に成りて、父樣や母樣に御褒美を頂くべしと威張るに、令孃は微笑みながら勇ましきを賞めて、その樣な大將に成り給ひても、私しとは今に替らず中よくして下されや、大姉樣も其外のお人も夫々に片付て、人の奧樣に成り給ふ身、私しにはお兄樣とお前樣ばかりが頼りなれど、誰れよりも私しはお前樣が好きにて、何卒いつまでも今の通り御一處に居りたければ、成長くなりてお邸の出來し時、かならず伴なひてお茶の間の御用にても爲せ給へ、お分りに成りしかと頬ずりして言へば、しだらも無く抱かれながら口ばかりは大人らしく、それは僕が大將に成りて、そしてお邸が出來さへすれば、其處に姉樣を連れて行きて、いろいろの御馳走をなし、いろいろの面白きことをして遊ぶべし、大姉樣や小姉樣は僕を少しも可愛がりて呉れねば、彼んな奴には御馳走もせず、門をしめて内へ入れずに泣かしてやらん、と言ふを止めて、其樣な意地わるは仰しやるな、母樣がお聞にならば惡るし、夫れでも姉樣たちは自分ばかり演藝會や花見に行きて、中姉樣は何時もお留守居のみし給へば、僕が我長ならば中姉樣ばかり方々に連れて行きて、ぱのらまや何かヾ見せたきなり、夫れは色々の畫が活たる樣に描きてありて、鐵砲や何かも本當の樣にて、火事の處もあり軍の處もあり、僕は大變に好きなれば、姉樣も御覽にならば吃度お好きならん、大姉樣は上野のも淺草のも方々のを幾度も見しに、中姉樣を一度も連れて行かぬは意地わるでは無きか、僕は夫れか憎くらしければと、思ふまヽを遠慮もなく言ふ可愛さ、左樣おもふて下さるは嬉しけれど、其樣のこと他人に言ふて給はるなよ、芝居も花見も行かぬのは私しの好きにて、姉樣たちの御存じはなき事なり、もう此話しは廢しまするほどに、何ぞお前樣が今日あそびて、面白く思ひしお話しがあらば聞かして下され、今日は吾助がどの樣なお話しをいたしました。
この大將の若樣難なく敏が擒になりけり、令孃との中の睦ましきを見るより、奇貨おくべしと竹馬の製造を手はじめに、植木の講譯、いくさ物語、田舍の爺婆は如何にをかしき事を言ひて、何處の野山は如何にひろく、某の海には名のつけ樣もなき大魚ありて、鰭を動かせば波のあがること幾千丈、夫れが又鳥に化してと、珍らしきこと怪しきこと取とめなく詰らなきことを、可笑しらしく話して機嫌を取れば、幼な心に十倍も百倍も面しろく、吾助々々と付きまとひて離れず、我が心に面白しと聞けば夫れを其まヽ令孃に語りて、吾助が話しは何ごとも嘘ならぬ顏つき、眞面目らしく取りつぐを聞けば、時鳥と鵙の前世は同卿人にて、沓さしと鹽賣なりし、其時に沓を買ひて價をやらざりしかば、夫れが借金になりて鵙は頭が上がらず、時鳥の來る時分に餌をさがして蛙などを道の草にさし、夫れを食はせてお詫をするとか、是れは本當の本當の話しにて和歌にさへ詠めば、姉樣に聞きても分ることヽ吾助が言ひたり、吾助は大層な學者にて何ごとも知らぬ事なく、西洋だの支那だの天竺や何かのことも宜く知りて、其話しが面白ければ姉樣にも是非お聞かせ申たし、從來の爺と違ひ僕を可愛がりて姉樣を賞めて、本當に好い奴なれば、今度僕の沓したを編みてたまはる時彼れにも何か製らへて給はれ、宜しきか姉樣、屹度ぞかし姉樣、と熱心にたのみて、覺束なき承諾の詞を其通り敏に傳ふれば、此消息は人目の關の憚りもなく、玉簾やすやす越えて、見るは邂逅なる令孃の便りを敏は日毎に手に取るばかり、事故ありげなる心の底も、此處にはじめて朧々わかれば、可憐の念むらむらと堪へがたく、君ゆゑにこそ斯くまでに身を盡くす我、木石ならぬ令孃に憎くかるべき筈なし、此荊棘の中すくひ出してと、影も未だなる戀に竹の柱の詫住居を思ひぬ。
闇を常なる人の親ごヽろ、子故の道に迷はぬは無きものをと敏此處に眼を止むれば、香山家三人の女子の中、上は氣むづかしく末は活溌にて、容貌大底なれども何として彼の君に及ぶ者なく、是れにても同胞かと思ふばかりの相違なるに、怪しきは母君の仕向にて、流石かるがるしき下々の目に立し分け隔ては無けれども、同じ物言ひの何處やら苦がく、愁らかるべしと思ふこと折々に見えけり。
子爵の君最愛のおもひ者など、桐壼の更衣めかしき優さ形なるが、此奧方の妬みつよさに、可惜花ざかり肺病にでもなりて、形見の止めし令孃ならんには、父君の愛いかばかり深かるべきを、いよいよ胸わるく憎くらしく思ひ、然るべき縁にもつけず生殺しにして、他處目ばかりは何處までも我儘らしき氣隨ものに言ひ立て、其長き舌に父君をも卷き込みしか、この一家に令孃ありと見て心を盡くす者なく、有るは甚之助殿と我れ計なる不憫しさよ、いざや此心筆に言はして、時機よくは何處へなりとも暫時伴なひ、其上にての策は又如何樣にもあるべく、よし一時は陸奧の名取川、清からぬ名を流しても宜し、憚かりの世の中打割りて見れば、天縁我れに有つて此處に運びしかも知れず、今こそ一寒書生の名もなけれど、やがては令孃をも幸福の位置に据ゑて、不名譽の取り返へしは譯もなきことなり、扨も濱千鳥ふみ通ふ道はと夜もすがら筆を握りしが、もとより蓮葉ならぬ令孃の、殊に我れ庭男などに目の付く筈なければ、最初より艷書と知りては、手に觸れ給ふか否か其處まことに危ふし、如何にせんと思案に苦みしが、夫れよ、人目にふるヽは何の道おなじこと、何も度胸と半紙四五枚二つ折にして、墨つぎ濃く淡く文か有らぬか書き紛らはし、態と綴ぢて表紙にも字を書き、此趣向うまくゆけかしと明くるを待ちけるが、人しらぬこそ是非なけれ、此處は隣りざかひの藪際にて、用心の爲にと茅葺の設けに住まはする庭男、扨も扨も此曲物とは。
日影うらうらと霞みて朝つゆ花びらに重く、風もがな蝴蝶の睡り覺ましたきほど、靜かなる朝の景色、甚之助子供ごヽろにも浮き立て、何時より早く庭にかけ下りれば、若樣、と隙かさず呼びて、笑顏をまづ見する庭男に、其まヽ縋りて箒木の手を動かせず、吾助お前は畫がかけるかと突然に問ふ可笑しさ。畫もかきまする歌も詠みまする騎射でも打毬でもお好み次第と笑へば、夫ならば畫を描きて呉れよ、夕べ姉樣と賭をして、これが負ければ僕の小刀を取られる約束、夫れは吾助のことからにて、僕は吾助に畫が描けると言ひしを、姉樣はかけまじと言ひたり、負けては口惜しければ姉樣が驚ろくほど上手に、後と言はずに今直に畫きて呉れよ、掃除などは爲ずとも宜しとて箒木を奪へば、吾助少し困りて、描きてはあげまするが今は少し、後に吾助の部屋へお出なされ騎馬武者をかきて參らせん、夫れとも山水の景色にせんかと紛らせば、嫌、嫌、嫌、今でなくては何でも嫌なり、後になぞと言はヾ其うちに僕は負けて、小刀を取られるから嫌、どうぞ是非今直に描て呉れよ、紙や筆は姉樣のを借りて來べし、と箒木を捨てヽ欠け出すに、先づお待なされと遽たヾしく止め、直ぐと仰しやれば是非なけれど、下手に出來なば却りて姉樣に笑はれ、若樣の負と言ふ物なり、斯うなされ、畫はゆるゆると後日の事になし、吾助は畫よりも歌の名人にて、田舍に居りし時は先生なりし故、其和歌を姉樣にお目にかけて驚かし給へ、夫こそ必らず若樣の勝に成るべしと言へば、早く其歌を詠めとせがむに懷中より彼の綴ぢ文を出し、是れは極大切の歌にて人に見すべきでは無けれど、若樣をお勝たせ申たく、他の人に内證にて姉樣ばかりに御覽に入れ給へ、早く、内證で、姉樣にお上げなされ、と三つ四つに折りて甚之助の懷中に押いれしが、無心の處何とも氣づかはしく、落さぬやうに人に見せぬ樣にと呉々をしへ、早くお出でなされと言へば、兩手に胸を抱きて一心に駈け出す甚之助、お落しなさるな、と呼びもならず、俄かに心付て四邊を見れば、花に吹く風我れを笑ふか、人目はなけれど何處までも恐ろしく、庭掃除そこそこに唯人に逢はじと計り、敏これほどの小膽とも思はざりしを。
我が思ふ人ほど耻かしく恐ろしき物はなし、女同志の親しきにても此人こそと敬ふ友に、さし向ひては何ごとも言はれず、其人の一言二言に、耻かしきは飽くまで耻かしく、恐ろしきは飽くまで恐ろしく、塵ほどの事身にしみぬべし、男女の中もかヽる物にや、甚之助の吾助を慕ふは夫れとも異なりて淡き物なれど、我が好む人の一言重く、文を懷にして令孃の部屋に來し時は、末の姉君此處にありて、お細工物の最中なるに、今見せては惡るかるべしと、情實は素より知る筈なけれど、吾助とも言はで遊び居けるが、甚樣私しの部屋へもお出なされ、玉突して遊びますほどに、と面白げに誘ひて座を立つ姉君、早く去ねがしにはたはたと障子を立てヽ、姉樣これ、と懷中より半ば見せ、吾助は畫も上手なれど歌の方が猶名人ゆゑ、これを御覽に入れさへすれば、僕が勝つと吾助が言ひたり、勝てば僕の小刀は僕のにて、姉樣のごむ人形はお約束ゆゑ頂くのなり、さあ賜はれと手を重ねれば、令孃は微笑みながら、嫌、嫌、お約束は畫なるに歌にては嫌よ、ごむ人形は上げまじと頭をふるに、夫れでも姉樣この歌は極大切のにて、人にも見せず落さぬ樣に御覽に入れろと吾助の言ひしは、畫よりも良きに相違はなし、是非人形を賜はれとて手渡しするに、何心なく開らきて一二行よむとせしが、物言はず疊みて手文庫に納めれば、其顏を不審げに仰ぎて、姉樣人形は下さるか、進げますると僅かに諾く令孃、甚之助は嬉しく立あがつて、勝つた勝つた。
此思ひ通じさへせば此心安かるべしと願ふは淺し、入立つまヽに欲は増さりて、はてなき物は戀なりとかや、敏はじめての艷書に心をいためて、萬一落ち散りもせば罪は我れのみならず、知らじとて令孃も免るされまじ、さらでもの繼母御前如何にたけりて、どの樣の事にまで立いたるべきか、思へば我が思慮あさはかにて、甚之助殿に頼みしは萬々の不覺なりし、とも思ひ又自から勵ましては、何の譯もなきこと、大英斷の庭男とさへ成りし我、此上の出來ごと覺悟の前なり、只あやふきは令孃が心にて、首尾よく文は屆きたりとも、つれなく返へされなば甲斐もなきこと、兎角に甚之助殿の便り聞きたしと待けるが、其日の夕方彼の人形を持ちて例日よりも嬉しげに、お前の歌ゆゑ首尾よく我が勝に成り、此樣な人形を取りしと誇り顏に來て見すれば、姉樣は彼の歌を御覽なされしや、して何と仰しやりしと問へば、何とも言はずに文庫に入てお仕舞なされしが、今度も又あの樣な歌を詠みて、姉樣の御覽に入れよかし、お前が褒められなば我れとても嬉しき物をと可愛く言ふに、思ひある身一層たのもしく樣々に機嫌を取りて、姉樣も定めし和歌はお上手ならん、是非吾助も拜見が仕たければ、此頃に姉樣にお願ひなされ、お書き捨てを頂きて給はれ、必らず、屹度と返事の通路を此處にをしへ、一日を待ち二日を待ち、三日に成りても音沙汰の無きに敏こヽろ悶え、甚之助を見るごとに夫れとなく促がせば、僕も貰つて遣りたけれど姉樣が下さらねばと、哀れ板ばさみに成りて困り入りし体、子心にも義理に引かれてか中に立ちて胡亂胡亂するを、敏いろ〳〵に頼みて此度は封じ文に、あらん限りの言葉を如何に書きけん、文章の艶麗は評判の男なりしが。
見る目に見なば美男とも言ふべきにや、鼻筋とほり眼もと鈍からず、豐頬の柔和顏なる敏、流石に學問のつけたる品位は、庭男に成りても身を放れず、吾助吾助と勝手元に姦ましき評判は、お茶の間を越して大奧にも高く、お約束の聟君洋行中にて、寐覺を寫眞に物がたる總領の令孃さへ、垣根の櫻折れかし吾助、いさヽかの用事にて大層らしく、御褒美に賜はる菓子の花紅葉、お手づからなる名譽はあれど、戀に本尊あれば傍だちに觸れる眼なく、一心おもひ込みては有し昔しの敏ならで、可惜廿四の勉強ざかりを此体たらく殘念とも思はねばこそ、甚之助に追從しあるきて、本心には成るまじき文の趣向、案外のことにて拍子よく行き、文庫に納め給ひしとは最う我がもの、と一度は勇みけるが、夫より後の幾度幾通かき送りし文に一度の返事もなく、さりとて無情は投かへしもせねど、披らきて讀みしや否や甚之助が答へぶりの果敢なさに、此度こそと書たるは、長さ尋にあまり思ひ筆にあふれて、我れながら斯くまでも迷ふ物かと、文を投出して嘆息しけるが、甚之助に向ひては猶さら悲しげに、姉樣はあくまで吾助を憎くみて、あれほど御覽に入れし歌に一度のお返歌もなく、あまつさへ貴君にまで、この樣の取次するなとさへ仰しやりし無情さ、これ程の耻を見て我れ男の身の、をめをめお邸に居られねば、暇を賜はりて歸國すべけれど、聞き給へ我れ田舍には兩親もなく、只一人ありし妹の我れと非常に中よかりしが、今は亡せて何もなき身、その妹が姉樣に正寫にて、今も在世ばと戀しさ堪へがたく、お前樣に姉樣なれば我れには妹の樣に思はれて、其お書き捨ての反古にても身に添へて持たば本望なるべく、切めて一筆の拜見が願ひたきなり、されども斯く下賤の我れ、いか樣に思ふとも及びなき事にて、無禮ものとお叱りを受ければ夫まで、なれどもお厭ならばお厭にて、寧、斷然、目通りも厭やなれば疾く此處を去ねかし、とでも發言て、いよ〳〵成るまじき事と知らば其上に覺悟もあり、斯くまでの思ひ何としても消ゆる筈なけれど、覺悟次第に斷念もつくべし、今一度此文を進げて、明らかのお答へ聞いて給はれ、夫れ次第にて若樣にもお別れに成るべければと虚實をまぜて、子心に哀れと聞くやう頼みければ、甚之助もとより吾助贔負にて、此男のこと一も十も成就させたく、喜ぶ顏見たさの一心に、これまでの文の幾通も人目に觸れぬ樣とヾこほり無く屆け、令孃の心も知らず返事をと責めしが、此迫りたる詞に我れまづ悲しく、今日こそは必らず返事を取り、其方の喜ぶ樣にすれば、田舍へ行くことは廢めになし、何時までも此處に居て呉れよ、突然に田舍へ行きては嫌やぞと泣き、其涙を敏に拭はれて猶かなしく、手にすがりて何時までも泣きしが、三歳子の魂いつはりには有らで、此こと心根にしみて悲しければこそ、其夜閑燈のもとに令孃を拜がみて、吾助は斯く思ひて斯く言ふを、後生、姉樣返事を賜はれ、决して此後我まヽも言はず惡戯もなすまじければ、吾助の田舍へ歸らぬやう、今まで通り一處に遊ばれるやう返事を賜はれ、只一寸で宜し吾助は一筆にてもと言ひたれば、此卷紙へ何か書て僕に賜はれ、吾助は田舍へ歸りても行く處の無き身なれば、大方は乞食に成るべきにや、夫れでは僕どうしても嫌やなり、是非此文を御覽なされて、一寸何とか言ふて下され、よう姉樣、よう姉樣、お願ひ、此拜、とて紅葉の手を合はす可憐しさ、情ふかき女性の身の、此事のみにても涙の價値はたしかなるに、よし山賤にせよ庭男にせよ、我れを戀ふ人世に憎くかるべきか、令孃の情緒いかに縺れけん、甚之助母君のもとに呼ばれ、此返事を聞く間なく、殘り惜しげに出行たるあとにて、玉の腕に此文を抱き、胸に當てヽ夜もすがら泣きけり。
二十の春を夢と暮らして、落花の夕べに何ごとを思ひつきてか、令孃は別莊住居したき願ひ、鎌倉の何處とやらに、眺望を撰んで去年買はれしが、話しのみにて未だ見ぬも床かしく、別亭の洒落たるがありて、名物の松がありてと父君の自慢にすがり、私し年來我が儘に暮して、此上のお願ひは申がたけれど、とてもの世を其處に送らしては給はらぬか、甚之助樣成長ならば、遣はさるべきお約束とや、夫までのお留守居、又は父樣折ふしのお出遊に、人任かせ成らずは御不自由も少なかるべく、何卒其處に住まはせて、世を白波に浦風おもしろく、梅の花貝でも拾はせて給はれとの願ひ、不憫や如何樣な子細あればとて、月花をかしき盛りの歳に、千人萬人すぐれし美色を、鏡は無きか知らぬかの樣な身の上、他人ごとにして嬉しとは聞かれぬを、親といふ名のまして如何ならん、さりとは隱居樣じみし願ひも、令孃が心には無理ならぬこと、生中都に置きて同胞どもが、浮世めかすを見するも愁らし、何ごとも望みに任かせて、住みたしとならば彼地に住ませ、好きな琴でも松風に彈き合はし、氣儘に暮させるが切めてもと、父君此處にお許るしの出でければ、あまりとても可愛想のこと、よし其身の願ひとて彼の樣な遠くに、路は夫れほどで無けれど行き限りにては我れも心配なり子供たちも淋しかるべく、甚之助は其うちにも慕ひて、中姉樣ならでは夜の明けぬに、朝夕の駄々いかに増さりて、姉たちの難義が見ゆる樣なれば、今しばらく止まりてと、母君は物やはらかに曰ひたれど、お許しの出しに甲斐なく、夫々に支度して老實の侍女を撰らみ、出立は何日々々と内々に取きめけるを、甚之助かぎりなく口惜しがり、先づ父君に歎き母君を責め、長幼の令孃に當りあるきて、中姉樣を窘め出すことヽ恨らみ、僕をも一處にやれと迫まり、令孃に對へば譯もなく甘へて、取りつきしまヽ泣きて離れず、姉樣何ごとを腹たちて鎌倉なぞへお出なさるぞ、夫れも一月や半月ならば宜けれど、お歸邸は何時とも知れずと衆人が言ひたり、どの樣に仰しやる共それは嘘にて、鎌倉へ行かばお歸りの無きに極まりたれば、殘りて淋しからんより我れも一處にゆき、我れも此邸に歸るまじ、父樣も嫌や母樣も嫌や、誰れを捨てヽも諸共に行かんと計り、令孃は靜かに諭して、其身もほろりとし、可愛き事いふて泣かし給ふな、鎌倉へ行きて歸らぬとは誰れが言ひしか、夫こそは嘘にて、遂ひ一寸あそびに行き、其うちに歸つて來まする程に、おとなしう待ちて給はれ、よし歸らずとて彼地はお前樣のお邸ゆゑ、成長なり給ふまでのお留守居、今もお連れ申たけれど夫こそ淋しく、直ぐ嫌やに成りて母樣こひしかるべし、何も柔順しう成長なり給へと、詫るやうに慰められて、夫でもと椀白も言へず、しくしく泣きに平常の元氣なくなりて、悄然とせし姿可憐し。
令孃が鎌倉ごもりの噂、聞く胸とヾろきて敏しばしは呆れしが、猶甚之助に委しく問へば、相違なき物語半は泣きながらにて、何卒お廢めに成る樣な工風は無きかと頼まれて、扨も何とせん、組む腕の思案にも能はず、凋れかへる甚之助が人目に遠慮なきを浦やみて、心空になれど土を掃く身に箒木の面倒さ、此身に成りしも誰れ故かは、つれなき令孃が振舞其理由も探ぐれず、此處に捨てられて取のこされん我、いでや出立前の一目をと心に願ひしが、空しく影も見ずに明日の早朝と恨めしき便り、今は何も捨てヽ一日病氣と伏しけるが、戀に亂るヽ心あはれ悲しくも、令孃が部屋の戸一枚を隔てに、今宵かぎりの名殘を惜しまんとて、心も空も宵闇の春の夜、落花の庭に踏む足の音なきこそよけれ、切めては夢に入れかしと忍びぬ。
更けて軒ばに風鈴のおと淋しや、明日は此音いかに戀しく、此軒ばのこと部屋のこと、取分けては甚樣のこと、父君のこと母君のこと、平常は左までならぬ姉妹のこと、戀しかるべき物をと今も戀しく、寐ぬ夜の床に物おもふ令孃、甚之助の暫時も傍はなれず、今宵も此處に寐んと言ひしを、明日の朝の邪魔なればと母君遠慮して、連れ行かれしあとの猶さら淋しく、思へば明日よりの閑居いかならん、甚樣はしばしこそ我れを慕ひて泣きもし給はめ、程へなば自づと忘れて、姉樣たちに馴れ給はんは必定、我れは紛ぎるヽこと無き身の戀しさ日毎に増さりて、彼の笑顏みたしとても及ぶ事にあらず、父君とても左なりかし、遠く離れて面影をしのばヽ、近きには十倍まして、深かりし慈愛の聲この耳を離れざるべし、是れによりてこそ此處をも捨て、いとヾしき思ひに身を苦るしむれど、吾助のことも忘れがたし、免るせよ吾助、夢さらさら憎くからねばこそ、戀すまじとて退く身ぞかし、うつせみの世に斯かる身の例し又ありや、知らぬ心に恨みもせん憎くみもせん、其憎くまるヽを本望にての處爲、貰ひし文は何處までも惜しきに、封こそ切らぬ手文庫に秘めて、一生の際までは友とせん心、さりとては我れ生先のある身、憂きに月日の長からん事愁らや、何事もさらさらと捨てヽ、憂からず面白からず暮したき願ひなるに、春風ふけば花めかしき、枯木ならぬ心のくるしさよ、哀れ月は無きか此胸はるけたきにと、押す手にいよいよ動悸たかく、噛みしめる袖に涙こぼれて、令孃は暫時うち伏して泣きけるが、吹入る夜風たが魂か、あくがるヽ心此處に堪がたく、靜かに立つて妻戸を押せば、今ぞ廿日の月面かげ霞んで、さし昇る庭に木立おぼろおぼろと暗く、似たりや孤徽殿の細殿口、敏が爲には若くものもなき時ぞかし。
言はぬ浮世の樣々には如何なることや潜むらん、今は昔しの涙の種、我が戀ならぬ懺悔物がたり、聞くも悲しき身の上あり、春の夜ふけて身にしむ風に、寐屋の燈火またヽく影もあはれ淋しや丁字頭の、花と呼ばれし香山家の姫、今の子爵と同じ腹に、双玉の稱へは美色に勝を占めしが、さりとて兄君に席を越えず、物靜かにつヽましく諸藝名譽のあるが中に、琴のほまれは久方の空にも響きて、月の前に柱を直す時雲はれて影そでに落ち、花に向つて玉音を弄べば鶯ねを止めて節をや學びけん、子爵の寵愛子よりも深く、兩親なき妹の大切さ限りなければ、良きが上にも良きを撰らみて、何某家の奧方とも未だ名をつけぬ十六の春風、無慘や玉簾ふき通して此初櫻ちりかヽりし袖、馬廻りに美男の聞えは有れど、月の雲井に塵の身の六三、何として此戀なり立けん、夢ばかりなる契り兄君の眼にかヽりて、或る日遠乘の歸路、野末の茶店に女を拂ひて、因果を含めし情の詞さても六三露顯の曉は、頸さし延べて合掌の覺悟なりしを、物やはらかに若かも御主君が、手を下げるぞ六三邸を立退いて呉れ、我れも飽まで可愛き其方に、遣はさるべくは遣はしたけれど、七萬石の先祖が勳功に對し、皇室の藩屏といふ名に對し、此こと許はなし難きに表立ちては姫も邸に置がたけれど、我れには一人の妹、ことに兩親老後の子にて、形見と思へば不憫さ限りのなきに、其方が心一つにて我れも安堵姫に疵もつかず、此處をよく了簡なし斷念と退て呉れかし、さりながら此後の身の有つきにと包物を賜はりて、言はねど手切れの、端金にはあらざりけんを、六三此金に眼も止めず、重々の大罪頸と仰せらるヽとも恨らみは無きを、情のお詞身に徹しぬとて男一匹美事なきしが、さても下賤に根を持てば、戀を金ゆゑするとや思す、是より以後の一生五十年姫樣には指もさすまじく、况て口外夢さら致すまじけれど、金ゆゑ閉ぢる口には非ず、此金ばかりはと恐れげもなく、突もどして扨つくづくと詫びけるが、歸邸その儘の暇乞、惜しき名殘を姫とも言はず、生れかはらば華族にと計り、此處を出でヽ何處へ行けん、忘れぬ姫のこと忘れねばこそ、義理といふ字に涙を呑んで、心は邸を離れざりしが、帳臺ふかくに物おもふ姫、六三暇を傳へ聞くより、心むすぼほれて解くること無く、扨も慈愛ふかき兄君が罪とも言はでさし置給ふ勿体なさ、身は七万石の末に生れて親は玉とも愛給ひしに、瓦におとる淫奔耻かしく、猶其人の戀しきも愁らく、涙に沈んで送る月日に、知らざりしこそ幼なけれ、憂き身の上に憂きを重ねて、宿りし胤の五月とは、扨もと計り身を投ふして泣けるが、今は人にも逢はじ物も思はじ、唯死ねかしと身を捨ものにして、部屋より外に足も出さず、一心悔み初めては何方に訴ふべき、先祖の耻辱家系の汚れ、兄君に面目なく人目はずかしく、我心我れを責めて夜も寐ず晝も寐ず、一身つかれて痩せに痩せし姿、見る兄君の心やみに成りて、醫藥の手當に手づからの奔走いよいよ悲しく、果は物言はず泣のみ成りしが、八月の壽命此子にあれば、月足らずの、聲いさましく揚げて、玉の姫樣御出生と聞きも敢へず、散るや櫻の我が名空しく成ぬるを、何處に知りてか六三天地に哭きて、姫が命は我れ故と計、短かき契りに淺ましき宿世を思へば、一人殘りて我れ何とせん、待給へ諸共にの心なりけん、見し忍び寐に賜はりし姫がしごきの緋縮緬を、最期の胸に幾重まきて、大川の波かへらずぞ成りし。
不幸の由來に悟り初めて、父戀し母戀しの夜半の夢にも、咲かぬ櫻に風は恨まぬ獨りずみの願ひ固くなり、包むに洩ぬ身の素性、人しらねばこそ樣々の傳手を求めて、香山の令孃と立つ名くるしく、一切衆生すて物に、我まヽらしき境界こヽろには涙を呑みて、憂しや廿歳のいたづら臥、一念かたまりて動かざりけるが、岩をも徹す情の矢の根に敏がこと身にしみ初て、其人床しからねど其心にくからず、文を抱きて幾夜わびしが、我れながら弱き心の淺ましさに呆れ、見ればこそは聞けばこそは思ひも増すなれ、いざ鎌倉に身を退がれて此人のことをも忘れ、世に引かるヽ心も斷ちたきものと、决心此處に成りし今宵、切めては妻戸ごしのお聲きヽたく、見とがめられん罪も忘れて此處に斯く忍ぶ身と袖にすがりて敏なげヽば、これを拂ふ勇氣今は無く、よし人目には戀とも見よ我が心狂はねばと燈下に對坐て、成るまじき戀に思ひを聞く苦るしさ、敏はじめよりの一念を語り、切めてはあはれと曰へと恨むに、勿体なきことヽて令孃も泣き、お志しの文封は切らねど御覽ぜよ此通りと、手文庫に誠を見せしが、扨も我故と聞けば嬉しきか悲しきか、行末いかに御立身なされて如何樣なお人物に成り給ふお身にや、思へば尊とき御勉強ざかりを我れなどの爲にとは何事ぞや、いよいよ戀は淺ましきもの果敢なきもの憎くきもの、我が生涯の此樣に悲しく、人に言はれぬ物を思ふも、淺ましき戀ゆゑぞかし、我れには有らぬ親の昔し、語るまじき事と我れも秘め、父君は更なり母君にも家の耻とて世に包むを、聞かせ參らするではなけれど、一生に一度の打明け物がたり、聞て給はれ憂き身の素性と、此處に涙を盡くして語り明せば、夢とや言はん春の夜あげ方ちかく、鳥がね空に聞えて扨も忙しなし、君は都に我れは鎌倉に、引はなれて又何時かは逢ふべき、定離の例しを此處に見れば、戀は一人ぞ安かりける、何事も言はじ思はじ、仰せられても給はるなとて、曉の月に影を別ちしが、これより姫は如何に成りけん、扨も敏は如何に成りけん、つれなく見えし有明の月の形見を空に眺めて、(曉ばかり)と呌きけんか知らず。
底本:「都の花 第百一號」金港堂
1893(明治26)年2月19日
初出:「都の花 第百一號」金港堂
1893(明治26)年2月19日
※初出時の署名は、「一葉女史」です。
※表題は底本では、「曉月夜」となっています。
※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。
※「文」「文」「此文」に使用されている「文」は「首尾よく文は」を除きくずし字的な文字を使用していますが、通常の「文」で入力しました。
※「ゞ」と「ヾ」の混在は、底本通りです。
入力:万波通彦
校正:Juki
2013年8月8日作成
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