作家と孤独
中原中也
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インテリは蒼ざめてゐる。之に反して、月末の支払ひだけ片付くとなれば安心の出来る人達は元気でゐる。多分世の中は観念を見失つてゐるのである。衣食住さへ足りればいゝ人達は、不景気にも関らず、昔日よりも元気でこそあれ落胆してゐるとは思はれぬ。衣食住さへ足りればよい人達は、不景気なれば、尚更ボヤボヤしてはゐられないといふので、景気のよい時よりも当然意志的になるのであらう。扨インテリは、インテリは蒼ざめてゐる。こちらはもともと観念といふものを必要としてをり、衣食住だけを全てだとは思はない人種だからである。ところが世間が、不景気だ、ボヤボヤしてはゐられないと云へば云ふ程、インテリにとつてその世間たるや住みにくい世間となる。さらでだに観念を必要としない衣食住万能派等が、一層観念なので、遊戯としてさへ取上げなくなるからである。
今や、観念なぞ、無用の長物といつた有様である。インテリの中だけで見ても、何か考へたり、創作したりする者よりは、例へば語学が出来るので飜訳をしてゐるといつた連中の方が元気である。衣食住さへ足りれば好い連中が、不景気のために一層意志的となり、それが世間一般の主調である場合、常識はまた一層のさばるのである。例へば、「元気でないものはどこか間違つてゐる」といふが如き常識を以て、昨今のインテリ達を見た場合、創作家よりも翻訳家の方が、「間違つてゐない」といふことにもならう。さうなると、インテリはインテリらしくあればある程世間の前では阿呆らしい存在となつて来るのである。然しもはや其処をさへ跳越えて、インテリ自身が、衣食住だけ足りればいゝ人達の人生観、所謂「ホガラカ」を以て、自分を律しようとするやうにさへなつてゐるのである。
これでは「不安」は一層不安となり、混乱は益々混乱に陥るにきまつた話ではあるまいか。
私は今茲に、強ち観念を強調してゐるのではない。況や、どんな観念が大切だなぞとは猶更云つてゐるのではない。けれども、自体インテリがインテリであるためには、衣食住の先のこと、換言れば観念を必要とし、それに就て仕事をする場合にインテリなのである。昨今の如く、交際ばかりがうまくて、仕事はその交際のお景品のやうにしてゐるインテリが、インテリの中で比較的景気のよい方に属するといふが如き、そんな有様では、もともと冠履転倒である。
私の云ひたいことは、今や、衣食住だけ足りれば好い人達の時勢だといふことである。平凡万能だといふことである。さうして、平凡万能の時勢が、表明するとしないとに関らず醸しだしてゐる空気といふものは、智的なものでも芸術的なものでもないといふことである。
それをよいともわるいとも私は思はぬ。然し、そのやうな空気の中に元気でゐられるといふことは、インテリらしいインテリではないと云ふのである。
そして、その空気が、インテリに適してゐるとゐないとに関らず、つまり、世間が観念を必要としようとしまいと、例へば芸術といふものは、観念に依存した事であるといふのである。
恐らく、芸術家は、昔日よりも、一層の孤独を必要とするであらう。
底本:「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」角川書店
2003(平成15)年11月25日初版発行
底本の親本:「歴程」
1936(昭和11)年4月号
初出:「歴程」
1936(昭和11)年4月号
※()内の編者によるルビは省略しました。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:村松洋一
校正:noriko saito
2014年9月11日作成
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