文章の音律
泉鏡花
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近來の小説の文章は、餘程蕪雜になつたやうに考へられる、思想が大切であるのは言ふまでも無いが、粗笨な文章では思想が何んなに立派でも、讀者に通じはしまい、感じはしまいと思ふ。就中近頃の小説の文章に、音律といふことが忽にされて居る、何うして忽せ處ではない、頭から文章の音律などは注意もしてゐないやうに思ふ。予が文章の音律と云ふのは、何も五七調とか七語調とか、馬琴流の文章や淨瑠璃の文章のやうなのをいふのでは無い。予は今の文章が眼にのみ訴へて、耳に聞かす文章でない、耳に聞かすなどいふ事を考へてもゐまいかと思ふ。此間も或新聞社の人に話したが、言文一致體の語尾の「だ」と「である」との事で、予は「だ」といふと強く當り過ぎると思ふ。文章であるから、對話とは違ふから好いが「だ」では、讀者に失禮なやうな心地がする。「である」ばかりを、使へもせぬが、此の方が好い、予は何もさう窮屈に考へずとも、「なり」でも「けり」でも使つて可い、文の前後で不調和にならなければ可いと思つて居る。往々言文一致の文章では、莊嚴とか崇重とかいふ趣が出ないやうに言ふ人があるが予は強ちさうではないと思ふ、例へて見れば、例の「……皇國の興廢此一戰にあり」といふ文を、言文一致に解釋して、「此一戰にありだ」といへば言文一致體、「あり」では言文一致でないと言ふのは何うであるか、「……此一戰にありだ」の「だ」を省いたと見ても可いではあるまいか、總て此處等は自由に行きたい。
前に言ひし文章の音律とは、今の小説では、十七八の娘だと地の文に書いてあるから、其會話が十七八だと思つて見るが、此れは眼に見せる文章で、十七八の娘とも何とも斷り書をしなくとも、讀んで十七八の娘だと聞えなければいけない。眼を閉いで會話を讀むのを聞くと、十七八の娘か六十幾歳の老婆か分らぬなどは心細い。當りさはりがあるから例は出さぬが、ひどいのは、口に出して讀んで見ると、男か女か分らぬのさへある。予は文章は見るべきものでなく、讀むべきものだと思ふ。口に出して分らぬやうなのは好く無い。會話のみを云ふのでは無い、例へば「雨が降る」と云つても、雨の音が聞えなければならぬ。文章でいかにも雨が降つてるなと感じさせねばならぬ。「雨が降る」といふ文章を見て、其の感の無いのは眼に訴へるので、書いてあるから、雨が降つてるのだなどは宜しく無い。ツマリ、耳に聞かす注意がないからである。「ユツタリと……」とか「悠然として……」とか書いても、其文の音律が沒却されてゐては、讀んで見ると悠然でも何でもない、文字には悠然として何とか書いてあるに拘らず、其悠然が駈つこしてるなどがある。
音律といふ事は、文章の一機能である。文章に音律を沒却しては苟も文章とは云へない。さうでせう。「いづれのおんときにかありけん」と源氏の書出しであるが「何時だつたかね」と云つては、源氏も何もあつたものぢやない。曉臺の句に
といふのがある。此句に音律があるから、讀んで──見ただけではない、如何にも腕まくりした男が、盆踊か何かの踊の一團を崩して、悠々として通るのが表れてゐる。「まくり手して踊を崩して通つた」では其趣が出ない。白雄の句にも
といふのでも「夕月に柳のかげで魚を分けてる」では矢張趣が出ないと云つたやうな譯である。
それで音律を忽せにして、眼にのみ見せようとするのは、文章ではないと思ふ。女房が借金取が來て仕樣がないといふと、亭主が借金取が來ても、泰然自若たりだといふと假定する。處で、此女房が眼に一丁字の無いもので、泰然自若の意味が分らなくても、其言葉で如何にも泰然自若たる處が表れてゐなければいけない。是が音律を忽にすべからざる點だと思ふ。無學の者でも、文章を聞いて其趣を捉へることの出來るやうに書くのが、文である。其れは一にまた音律の如何に依るのであると思ふ。
底本:「鏡花全集 卷二十八」岩波書店
1942(昭和17)年11月30日第1刷発行
1976(昭和51)年2月2日第2刷発行
初出:「明治評論 第十二巻第五号」明治評論社
1909(明治42)年5月1日
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
※初出情報は「新編 泉鏡花集 別巻二」(岩波書店、2006年1月20日)によるものです。
入力:石波峻一
校正:門田裕志
2013年1月29日作成
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