花より団子
正宗白鳥
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洗足池畔の私の家の向ひは、東京近郊の桜の名所である。私は、終戦の前年軽井沢に疎開して以来十数年間、毎月一度は必ず上京してゐたが、盛りの短い桜時には、一度も来合せたことはなかつた。この頃、こゝに居を定めることになつたので、久振りに花の盛りを朝夕たつぷり見ることが出来た。急速に温くなつたので、見る〳〵咲揃ふやうになつた。「細雪」のなかの或女性は、花のなかでは何が好きかと訊かれて、「それは桜やわ」と答へた。たべ物としての魚類のうちでは何が好きかと訊かれて、それは鯛であると答へた。日本人としての平均した好みはさういふところなのだらう。瀬戸内海沿岸に生れた私は、幼い時分、最もうまい魚は、鯛の浜焼であると教へられてゐた。捕り立ての鯛を、浜辺の塩がまで蒸し焼きにしたのが、人類最上の美食であるやうに、傍からの入知恵で思はせられてゐた。花は桜であると、子供心に思込まされてゐた。今の私は、三分咲きから五分咲き、満開と、忙しく咲き続け、咲きほこつてゐる一団の桜花を、私の部屋の正面に見ながら、桜は花の王であり、鯛は魚の王であると、早くから教へられたことを思浮べてゐる。そして、これまで見た桜の名所を、次から次へと思出して、閑余の楽みにしようとしたが、歌人詩人などによつて伝統的に折り紙のついてゐる吉野こそ、今なほ日本一ではあるまいかと推察された。私は吉野へは三度も遊んだのであるが、最初が最もよかつた。花も景色も同じ事なのだが、あの頃はまだ、花時にもひどい雑沓はなかつた。飲んだくれが醜態を演じる度合ひがまだ猛烈でなかつた。世が末になるにつれ、二度目三度目と見に行つた時には、いつそ、花の散つたあとの吉野がいゝのぢやないかと思はれたりした。
和歌にも俳句にも、物語にも絵画にも音曲にも、古代から今日まで、桜は讚美の限りを尽されてゐる。新たな讚美の言葉なんか残されてゐさうでない。鯛は魚の王、桜は花の王、獅子は百獣の王、人間は万物の霊長。
「神は天地の主宰にして人は万物の霊長なり」と、私が幼年時代に学んだ最初の読本には書かれてゐた。こんな六ヶしい文章が、意味の説明はされないで、棒読みに読まされ、諳記さゝれてゐたのだが、これはアメリカの小学読本(ウイルソンリーダー)の直訳であつたのださうだ。同時の修身読本には、「酒と煙草は養生に害あり」と云つたやうな訓戒が記されてゐて、六歳七歳の頃の私達は、それを最初の人生教訓のやうに教へられたのであつた。
こんな小学読本修身読本を学校で学ぶ外に、私などは、封建時代の寺子屋の名残りを追はされて、孝経論語孟子などの素読をやらされたのであつたが、後から考へると、それ等の素読の方が、多少は精神の糧になり、後日になつて何かの役に立つたやうなものだ。
ところで、その時分に、作文の稽古もはじめられてゐて、「天長節を祝す」とか、「春季皇霊祭日に山に登るの記」とかの課題で、文章らしいものを書かされるやうになつてゐた。私は課題に応じて筆を採つても、何も書くことはなかつた。
「日の丸の旗が村のどの家にも立てられた」とか、「天気清朗にして海も静かなり」とか、どうにか自分の頭を働かせて書くと、それで、何か珍らしいえらい事をしたやうな気がした。国旗の出されてゐる家は極めて少くてもさう書いたのだ。あの頃の作文はそれでよかつたのだ。一瓢を携へて山に登ると書いてもよかつたのだ。
一度、花見の記が課題となつた。山にも野にも桜は咲いてゐるので、それを見て何か書くつもりになつたが、知らず知らず熱心になつて見てゐると、桜はどうしてこんなに綺麗なのだらうと、不思議に思はれだした。私の家の離れの庭には一本の八重桜があつて、ほかの一重桜におくれてその花の咲く時には、祖母が先に立つて弁当を作つて、孫達と花見の宴を催すことがあつた。私はそれを作文の種にして花見の記を作らうとした。それで離れの庭のまだ咲かない八重桜を見上げながら、花見の記を書かうとしたが、書かうとすると頭がごちや〳〵して何も書けさうでなかつた。よく咲いた花の下で、お婆あさんや、私の兄弟が揃つて、玉子焼や蒲鉾や煮しめのお弁当を食べたことを、今年はまだ食べもしないのに、食べたつもりで書かうとしたが、食べもせぬのに食べたつもりで書くのが詰らなくなつた。「桜の花はどうしてあんなに綺麗なのだらう」と、今年はじめて不思議な思ひをしたことを書かうかとふと思つたが、そんな事を書いちや悪いやうな気がした。それで、為方なしに、何も書かないで、白紙のまま先生の前に出すと、
「どうしたのぢや。何も書いてないと零点だぜ」
「しやうがありません」
「何か書きなさい。今は桜の盛りぢや。花は桜木、人は武士と云ふことを君も聞いとるだらう」
「知りません」
「咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒がいさめば花が散ると云ふ唄聞いたことないか」
「聞きません」
「それでは花より団子。君も団子の方が好きなんだらう。花見に行つて団子をたべたと書いたらいいぢやないか」
先生にさう云はれると、私はその通りに書かうかと思つた。桜の花を楽むよりも団子でも食べたいと思ひながら筆を執つてゐると、桜の花が団子のやうに見えだした。団子が串に差されて立つてゐるのが満開の桜の形か。私はさう思ひ出すと、それが面白くなつた。
「花見の記」が団子の記になつた。団子が咲いた〳〵と書いた。先生はそれを取上げていゝ点をつけて呉れた。この先生も剽軽であつたのか。
でも、私にも団子は団子、桜は桜。団子は口にうまいもの、桜は目に美しいもの。或日、隣の家から貰つた団子を腹一杯食べた私は、離れの庭にぽつり〳〵と咲きだした花を、自分一人で見上げてゐたが、膨らんだ団子腹を消化させる気になつたのか、その桜の木にする〳〵と登つて、咲く花を一握り掴んで口の中へ入れた。うまいまづいの感じではなく、綺麗なものを、口から喉を通して腹に入れたやうな感じがした。さうして、二握り三握り、むしや〳〵と喰つたのであつた。それ以上は喰へさうでなかつたが、さうしたあとで木から飛下りて、花から花を見上げてゐると、「こんな綺麗な花の味を誰も知るまい」と、それを面白いことのやうに考へだした。いくら美しくつても、これは人間のたべ物ぢやないと思はれたので、誰にも云はなかつた。
だが、あくる日、午餐のあとで、その離れの庭に出ると、昨日にもまして花の色づいたのに心惹かれて、またその木に登つて、二握り三握りつかみ取つて、口から喉へ通した。味がどうであらうと、綺麗なものを腹に入れたといふ気持は快くなつた。家の者に気づかれないうちにどれほどのものが喰はれるかと、人知れぬ異様なたのしみになつた。
底本:「日本の名随筆65 桜」作品社
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
1996(平成8)年3月30日第12刷発行
底本の親本:「正宗白鳥全集 第一一巻」新潮社
1968(昭和43)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月9日作成
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