心の故郷
正宗白鳥



 暮れに、私の家の近所を散歩してゐると、東京工業大學の門前でカミュの『誤解』上演と記されたお粗末な紙看板が目にとまつた。演劇部と記されてゐるので、この學校にでも芝居なんかやる學生があるのかと不思議に思つた。私は學校芝居は殆んど見たことはないし、見ようと思つたこともなかつたのだが、カミュの戯曲『誤解』は、なにかの雜誌に出てゐた飜譯で讀んで、ひどく面白く感じたことがあつたので、その上演をちよつとでものぞいて見ようかと思ひついた。それで、開演時刻を見はからつて、まだ一度も入つたことのない校内へ入つて、演劇場へ入ると、豫想通り、見物は幾人も來てゐなかつた。幕開き間際に、この學校の學生と覺しき學生が、興もなげに入つて來て席を埋めるだけであつた。

 幕が開いても、演劇光景は出現しなかつた。役者の聲が低くつて、私の耳にはよく聞き取れないので、舞臺近くまで進んで、全心をそちらへ注いで、演技の足らざるところを、自分で補ふ氣持で見てゐると、多少のもどかしさ、齒がゆさを感じながら、しまひまで面白く見續けた。見終つて、心に一種の刺戟を感じた。舞臺監督もなかつたらしく、たゞこの戯曲の飜譯語を、日常の言葉通りに口に出してゐるだけのやうで、これは演劇以前であつて、この程度なら、だれでもやれさうである。もつと強い聲を出したらいゝではないか、もつと活溌に動いたらいゝではないかと思はれたが、この強烈な人間の動搖を、つゝましやかに、ナイーヴにいつてゐるところに、實世界の人間を、私の心に描かせるゆゑんともなつたのである。

 旅館の主婦とその娘とは、彼らの故郷のごとくなつてゐるこの陰鬱な、いやでいやでたまらない土地に何十年も住んでゐるのにたへかね、さんさんたる太陽の光あまねく潮の香の豐かな南方の海濱に居を移さんと熱望し、その望みを遂げるための費用を獲得するため、宿泊者を殺して財を奪つてゐたので、偶然泊り合はせた實の息子、實の兄をも、それと知らずに殺すのが、一篇の主眼で、日本のふるい講談や、ふるい芝居にありさうな話であるが、表面の筋立てはさういふふうであつても、底深い人間心理がそこにきびしく漂つてゐるやうで、私はこんな筋立ての、こんな芝居に異樣な魅力が感ぜられたのである。永遠の生命を呪詛する氣持と、永遠の生命に殉じて甘んずる氣持を、この舞臺に見ながら、ひとり合點で描いて、盡くるところ知らない思ひをした。

 一座の青年達は、どんなつもりでこんな變な舶來劇をやる氣になつたのか。老人の私がなんだつてこんな變な芝居に心を打ち込んだのか。新時代人であるあたりの見物人は、こんな芝居にはさしたる感興を覺えないらしく、なかに、泥ぐつをはいた足をあいたイスの上に投げ出して、たばこを吸つてゐるのが二三人ゐた。

 私はまた東京で新年を迎へたのかと思ふと、うんざりするやうになつてゐる。うんざりしながら一生をこゝで終るよりほかしかたがなくなつてゐる。

 私は先ごろ、秋たけなはな日本的好季節に、九州四國方面に短時日の旅行をしたが、阿波の徳島で、ポルトガルの文學者モラエスの墓を訪ねた。軍人であり外交官でもあつた彼は、神戸の領事館に勤めてゐた時分に親しんだ女性に心惹かれて、彼女の故郷の徳島に轉住したのである。徳島は、かねて特異の地方色のあるゐなか町であると、私はかねて空想してゐたのであるが、今度はじめて來て見ると、有り振れた凡庸な土地であつた。戰災後に復興されたので、他の都市と同樣に東京や大阪の市街の模倣みたいであるが、戰災前だつて、なんの面白味もないやうに推測された。

 モラエスは愛情を寄せてゐた女性が死んだあとでも知友の勸めをもしりぞけて、孤獨でこゝに住み通し、つひに痛ましい慘死を遂げたさうだが、この町のどこがよくつて彼の心にかなつたのであるか。私は、短い秋の日の暮れかゝつたころ、眉山のふもとにあるといふ彼の墓所を人に聞き〳〵搜しに出たが、寺のほとりで、偶然或老女に聞くと「それは分りにくいから私がご案内しませう」といつて、荒廢した墓地へ私を連れて行つた。彼獨自の墓碑があるのではなく、二度目に親しんだ女性の墓のなかに遺骨が埋められてゐるのださうだ。「私はモラエスさんはよく知つてゐます」といつて、案内者は、二十三歳で逝去したその女性の墓の側で、この異郷の文豪の在りし日の生活をぽつ〳〵と語つた。

 私は、「白頭宮女在り。閑座玄宗を語る」とかいふ、子供の時に讀んだ古詩をおぼろに思出した。モラエスは、大工の家の二階にひとり住ひをしてゐたが、それは戰災で燒失して跡形もなくなつてゐるさうだ。變な異人として、周圍の者にも親しまれず、西洋こじき呼ばはりされたりしてゐたさうだ。最近ケーブルカーの出來てゐる眉山といふ山を愛好してゐたと、老女は話してゐたが、私の見たところでは、眉山といふ山は、世界を知つてゐるモラエスなどが特に愛好するやうな、風趣ある山ではない。晩年には、出雲の松江へ轉居しようと企ててゐたさうだが、私の察するところでは、それは、ラフカディオ・ハーンの松江の生活を羨望したためではなかつたか。あまりに老衰してゐたために、その移轉も實現されず、便所通ひも出來ないやうな不自由な身で、孤獨の生涯を過したのださうだ。一囘一圓で便所通ひの世話を、近所の人にしてもらつてゐたさうだが、部屋のなかは臭氣芬芬だつたさうだ。


「陋巷に窮死するは文士の本分なり」といつたやうなことを、まだ若かつた時分の永井荷風が何かに書いてゐたことは、私の心に留まつてゐる。私は旅行から歸つて來て、モラエス文集の飜譯を讀んで、心の眞の故郷をも、からだの故郷をも失つた彼を想像するのである。カミュの戯曲も現實の故郷に安んぜず、夢幻裡の故郷を憧憬しながら、つひに達し得なかつた心境の表現であるが、モラエスも、彼の生れ故郷のポルトガルは捨てたが、夢幻裡の故郷にはつひに安着することは出來なかつたのである。

底本:「日本の名随筆13 心」作品社

   1984(昭和59)年225日第1刷発行

   1999(平成11)年225日第25刷発行

底本の親本:「一つの秘密」新潮社

   1962(昭和37)年11

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2012年129日作成

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