母と子
正宗白鳥
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封筒の中には長いお札が疊み込まれてあつた。それには××八幡宮玉串と大きな文字が刷られて、その傍に「辰の歳の男疳性平癒」と書いてあつた。
何事を云つて來たのかと、案じながら手紙を開いたおたねは、お札を見るとくす〳〵獨り笑ひをした。お札の外に御供米が四五粒包まれてゐた。
明ら樣に云つては夫が一口に迷信だとけなして生米なんか口に入れないだらうからと、おたねは御飯の中へそつと落して食べさせることにした。そして、知らずに食べてゐる夫の顏を見守つて、ひそかに面白がつてゐたが、やがて笑ひを忍びかねた。
「お國のお母さんが贈つて下すつたものをあなたは今召し上つたんですよ。」と、些つと揶揄氣味で云つた。
「何を?」
良吉は訝しさうに膳の上を見入つたが、其處には故郷から來たらしい食物は一つもなかつた。甘つたるい菜つ葉の浸物に鹽鱒の燒いたのと、澤庵と辣薤とが珍しくもなく並んでゐるばかりだつた。で、妻が何を云つてゐやがるのかと、取り合ないで箸を動かしてゐたが、おたねは何時までも默つてはゐられなくて、お札と御供米の話をし出した。
「へえ、それは妙だね。」良吉は茶碗の喰ひ餘しの飯を見詰めながら、「××の八幡樣といふのは、おれもうろ覺えに覺えてるよ。馬鹿に石段の高いところだ……。しかし、胃病や肺病の御祈祷をしないで疳性の平癒を祈つたのは可笑しいぢやないか。」
「でもお母さんはいゝ人ですわね。早速あなたが頂いたつて御返事を出さなければ。」
おたねは、お札と母の手紙とを夫に見せて、「此家には神棚があるのに何にも祭るものがなかつたのだから、このお札を貼つときませう。」
「こんなものが貼れるものか。」
良吉はさう云ひながら、直ぐ前に見上げられる神棚へ目をつけた。其處には干物や福神漬や葡萄酒の空鑵などがごた〳〵と置かれてあつた。
「おれは小さい時には顏に青筋が出てゝ、酷い疳性で皆んなを手古摺らせたさうだよ。炒粉が思ふやうに茹らないと云つて泣き入つたまゝ氣絶して、一時は助らないと思はれたさうだ。だから母親は何時になつてもおれの疳性ばかり氣にしてゐるんだらう。」良吉はふと頭の頂點の禿を指して、「疳を癒すために漢法醫にハツボとかいふものをかけて貰つたゝめにこんなに禿げたのだ。」
「へえ、妙なことをするんですね。」おたねは禿よりも頭の眞中に白髮の多いのに初めて氣付いて、「白髮の生えるのもそのせゐか知らん。」と呟いた。
「それは別さ。」
良吉は厭な氣持がした。頭に霜を戴き顏に皺の波をつくるのも程遠からぬやうに思はれて、一本の白髮を指摘されるのも無氣味であつた。が、
「もうおれも四十になりかゝつてるんだからね。」と事もなげに笑つて、「おれが四十になるといふのは自分に取つちや夢見たやうな話さ。三十過ぎた男をお爺さん見たいに思つたこともあつたのにね。」
「お母さんは幾つでせう。髮は些とも白くはないぢやありませんか。」
「さあ、もう五十五六にはなるだらうね。十七の歳におれを生んだのださうだから。」良吉は久し振りに指を折つて母親の年齡を數へた。
「お母さんは若い時には容色のいゝ方でしたつてね。お醫者さんのお婆さんがよくさう云つてたつて、お米さんが何時か私に話してゐましたよ。私も屹度さうだつたらうと思ひますよ。今だつて目も鼻もよく揃つていゝ顏立ちをしていらつしやるぢやありませんか。」
「おれは三十前後のころの母の顏をよく覺えとる。不斷の顏はぼんやりしてるが、一緒に旅行した時の顏は今思ひ出してもはつきりしてるよ。大阪へも汽車で行つたし、讚岐の母の實家へも船で行つたことがある。まだ汽車なんか不完全な時で、姫路で乘り換へるのに、發車間際になつて切符を賣るんだから大混雜だつた。行列をつくつて切符を買つたのだが、母は財布がどうかして旨く開かないのに焦れて、齒で引き裂いたが、さうすると金は地へ落ちるし、傍で見てゝおれは母の顏が怖かつた。」
道頓堀の角座で先代の左團次一座の芝居を觀た話や、讚岐からの歸りに汽船に乘つて醉つた話などを、食後の頭休めにしてゐたが、良吉の頭の底には、母親に關連したことで、却つて口に出し得ないことに思ひを馳せてゐた。……その頃は父親が四十前後で、家の中にもごた〳〵があつて、子供心にも陰氣に感じてゐたやうに覺えてゐる。「お父さんは子供のことなぞ何とも思うて居らんから……。」と、目に涙を溜めて云つてゐたことを良吉は覺えてゐる。啜り泣きしてゐた母の顏、物置部屋の隅つこに蹲んでゐた母の姿などが今になつて見ると、痛ましい意味をもつて目の前にちらついた。
「おれは母とはしみ〴〵話したことはないけれど、母の氣持はよく分る。さう仕合せなんぢやないね。」と、良吉は妻に向つて出し拔けに云つた。その理由は別に云はなかつた。
「先日お國へ行つてゐた時に、良吉は默つてるけど、傍にゐると手頼りになると云つてゐましたよ。そして、身體とかけ替へで子供のために働くのだと、お母さんは云つてゐなすつた。子供が皆んな大きくなつたのだから、お母さんも些とは氣樂になすつたらいゝでせうにね。」おたねは同情したやうに云つたが、最早田舍の姑の話など立ち入つて訊かうとするほどの興はなかつた。
良吉はお札のことから、ふと昔話などに耽つたが、肉親に關つた話は元から好まないので、妻に向つてさへ滅多に話したことはないのだつた。……愛情が乏しいのか、責任感が深いのか、一種病的なのか、血筋のつゞいた男女の所行を目に觸れ耳に觸れるのが、彼れにはたゞ重苦しく思はれてゐた。小説や活動寫眞に現れてゐる西洋の家庭の親子兄弟の睦まじさうな態度は、物心のついてからの彼れはただの一度も自分の身に經驗したことはなかつた。
疳性で虚弱であつた彼れは、兩親の並々ならぬ慈愛の下にやう〳〵人並の成長を遂げたのであるが、七つ八つの時分からはどうしても無邪氣に父にも母にも馴染み得なかつた。たとへば母親が何處かへ旅立つた時には、竊かに氣遣つてゐながら、歸つて來ても驅け出して抱き付くといふやうな氣持にはなれなかつた。家の中が陰氣であつても陽氣であつても、何か物足らないやうな淋しさが彼れの心には付き纏つてゐた。成長するにつれて、その心の淋しさはます〳〵激しくなるばかりだつた。
ある弟が生れて間もなく病死したことがあつた。その時父親が醫者を迎へに行つて來て騷いだり、母親が死骸を抱へて物狂はしく泣いたりしても、何の效ひもなかつたが、良吉は自分が病氣で惱む時だつて同じことだらう、親だつて自分の命をどうすることも出來ないだらうと傍で思つてゐた。
珍しく肉親のことに思ひを馳せ、口にも出したので、良吉の心にはその夜暫らく母親の面影が絡みついてゐた。そして、懷つこい手紙でも送つて喜ばせてやらうかと、卷紙をひろげて筆を採つて見たが、どういふものか擽つたい氣持がして筆が運ばれなかつた。
「おい、お前は故郷へ手紙を出したのかい。」と、妻を呼ぶと、
「今書いてるとこです。」と、次の室で聲がした。
「出す前におれに見せて呉れ。」
「見てどうなさるの? 書いて惡いことは何も書きやしませんよ。」
「些つと見る必要があるんだ。」
「困つたな。」
おたねは口の中で云つて、書きかけた手紙を初めから讀み返した。知らせなくつてもいゝ事を知らせるのを、夫が氣にして手紙を見たがるのだらうと、おたねは邪推してゐたが、やがて認め終ると、仕樣事なしに手紙を持つて行つた。
「こんな解りにくい字は母は讀めやしない。どうせ誰れかに讀んで貰ふだらうから、おれが見たつて同じことだ。」
良吉は若い女の手紙は、自分の女房のさへ殆んど讀んだことがないので、ぬら〳〵した柔しい文字を珍しさうに讀み下した。……「お母さん。」と相手を呼び掛けて、さも親しげに無邪氣らしいことが今樣の言文一致で書き並べられてゐた。
「さあ、もういゝでせう。」と、おたねは手紙を取り戻さうとした。
「こんな子供臭いことがよく臆面なしに云へるものだね。」
良吉は笑ひ〳〵今一度讀み返した。「炬燵に當つていろいろな面白いお話を承つたことが夢のやうに思はれてお懷しう御座います。お母さんが東京へ入らつしやつたら、お米さんや私や皆んなして方々御案内いたしますでせうよ……良吉も無事で毎日机に向つて勉強して居りますから御安心遊ばしませ。毎月の暮しも不自由な思ひはいたしませんからお心にお掛け下さいますな……。」
「かう云つとけばお母さんは安心なさるでせう。この手紙を出したつて些ともあなたに迷惑になりやしないわね。」と、おたねは自分の注意を誇るやうに云つた。
「さうさ。こんな文句を書いてやつたくらゐで、人間一人を慰められるのなら、雜作もないことだが、おれには親兄弟に對してこの雜作もないことさへ出來ないよ。」
「妙ですね。私なぞ誰れからでも親切な手紙を貰ふと悦しいし、此方から書いて送るのもいゝ氣持がしますわ。」
「おれはさういふ手紙でも眞に受けられないから困るよ。おれには母の氣持はよく讀めてゐるつもりだ。おれの疳性のためにお前が困つてるだらうと案じたらこそ出し拔けにあんなお札なぞ寄越したんだよ。自分の子息や娘には碌な嫁も婿も得られないと思つてたんだから、お前などに對しても、腹の中ぢや隨分氣兼ねしておど〳〵してるんだぜ。」
「まさか。……」おたねは信じかねたらしく笑つてゐた。
「いや本當だぜ。だから母は仕合せな人ぢやないのさ。十六七からあの家へ來てゐながら、今だに離縁さりやしないかと心配してるんだから。」
戲談としてゐるらしい妻の顏付に氣づくと、良吉は口を噤んだ。そして、おたねがその手紙を出しに出掛けた後で、再び書きかけの卷紙に向つて筆を握つたが、妻の書いてゐたやうな平凡な文句だけでも書けなかつた。……見ず知らずの讀者に向つてさへ、時としては冷笑されるのも構はずに、自分の衷心の苦しい思ひなどを頻りに吹聽したりする良吉は、誰れにも勝して眞心から聽いて呉れる筈の母親に宛てゝ、心の中を打ち明けることが出來なかつた。
「田舍の老女なぞに我々の肝心な思ひが解るものか。」といふやうな思ひ上つた考へはこの頃の良吉には餘程消えてゐるのだけれど、今もなほ率直に母などに訴へることも話すことも出來なかつた。社會とか國家とか歐洲の戰爭とか自分の事業とかに關つた六ヶ敷問題は、差し當つて念頭に迫つてゐるのではなくつて、彼れの今の心の惱みもつまりは假名で言ひ現されるほどの簡易なものだつた。
母親は頭の中に起つたことを持て餘して來ると、よく庭の隅や物置の隅に蹲んで首垂れてゐた。良吉は一日の過半は机の前に首垂れてゐる。……首垂れてゐる二人の氣持に相違はなさゝうだつた。それでありながら、母と子とは面と向き合つてゐる時でも、言葉によつて互ひに心を開いて見せることはなかつた。遠く離れてゐる間は、三年でも五年でも互ひに手紙の遣り取りをすることはなかつた。
かうして、神は愛であらうとも世は愛であらうとも、頭に白髮の出來た良吉は机の前に首垂れて、永久に物狂はしい寂しさをつゞけなければならなかつた。
底本:「正宗白鳥全集第六卷」福武書店
1984(昭和59)年1月30日発行
底本の親本:「早稲田文学 第百二十八号」東京堂書店
1916(大正5)年7月1日発行
初出:「早稲田文学 第百二十八号」東京堂書店
1916(大正5)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:山村信一郎
2014年12月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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