坐辺師友
北大路魯山人
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益友と交わることの有益を説き聞かせた者は孔子である。誰しも生まれながらに、それを感付いていない者はなかろうが、孔子のような人から明瞭に言われてみると、また感を更たにすると言うもの。しかし、それは生存中の人間のことを指していると決められてはいないだろうか。益を受くる者固より生存者、益を与うる者固より現存者なるかのように世の多くは解釈している。しかし、益友を人間のみに限ることは、あまりにも当然すぎて莫迦正直すぎる。
私はかつて銀座のデパートに催された明治以後著名作家として知られた一流文人の家庭に於ける居室、書斎の実景を、遺留品の羅列によって見せられたことを記憶するが、それは驚くべく低調な備品からなる生活であって、書籍を除いては文豪の日常居室には美術系統、美的趣味などと言ったものには、一顧に価いするものも備えられていないというみじめさであった。
彼等は坐辺に声無き益友を持たないと言うことである。否声無き悪友に同席を許していたともなる。チト古い形容かも知れないが、森羅万象なんであろうと、美しき内容を持つ限り、受け方一つで益友たらざるものはない。また、過去の人間、即ち我々が先輩である人々が遺してくれた美術芸術の数々、これらを指して益友と言うが妥当か、師と仰ぐが正しいか、これは自己の見識できめてよいとして、いずれにしても故人遺すところの芸術は手も届かぬ高さに麗しく光るものが多く有り、驚嘆に価いする事業を見る。これに感動するところをもって望めば、育ての親ともなり、幾分なりとも自分を高きに導いてくれる神仏でもある。
自分は聊かこの点を心に掛けて来た者であるが、主として味覚道楽に浮身をやつし益友の限界を狭くした形であり、後悔せんでもないが、それでも益友を人間とのみ限らなかった点は、大なり小なり至楽の生活を益したかも知れない。
本誌(独歩)に毎号掲載せんとする「坐辺の師友」は、美に関する小品ばかりであり、且つ筍生活、あるいは盗難を免がれた密かに残存する貧困極まるものではあるが、私の作品なり、その他種々の動作に、なんらかを示唆してくれた先生である。種のない手品がないように、何人にも種本はあるものである。
近来、青年作陶人の活況を耳にするが、希くは精々良き師友と交わり、良き刺激を受け、人なき陶界への進展を期して貰いたい。ロクロばかり廻していたとて、名陶は生まれるものではない。
重ねて言うが、画家、彫刻家、作陶家等、そんな仕事に従わんとする者は、美術的良師と益友を得ることが先ず大切である。が、生存者中より一人二人を選ぶことは種々の障りがあるもので、また益友といってもなかなかあるものではない。よし、また見つかったとしても、一人二人の経験談では極めて得る所が小さい。昔のように印刷物や書画の複製などない時代には、師匠も必要であったかも知れぬが、今日ではもはやその要はない。このような理由から考えても、良師益友を古人から選ぶことは、最も得策である。
また、ある者は身近に優れた美術品を置くには、金なくてはと言うだろうが、これは金よりも自分が熱心でないから集まって来ないので、昔から物は好む所に集まるとさえ言われている。眼のある所に玉が寄るという諺もあるではないか。自分のことを例にとっては失礼かも知れぬが、私は二十歳頃より縁日その他で小さいものを少しずつ買い集めた。その後、間もなく東京に来てからは、下宿の二階はなにかしらごたごた散らかり、それがまた使うより見るのが好きで集めたものであるから、行李の底にしまうわけにはいかず、下宿のおばさんが掃除に手古摺ったものである。後年『古染付百品集』をこしらえたが、これもひとりでに集まったもので、当時はまだ陶器などに着目する人は稀で、あちこちにごろごろしていたのである。そして、当時の私の経済状態はと言えば、星岡時代のことなのだが、正月元旦に十円か十五円の小遣いしかなかったほどの貧乏だった。それがだんだん集まったというのも、まさしくこの「好き」の一字であったと思う。
今後作家たらんとする後進は、努めて身辺を古作の優れた雅品で、満たすべきである。かけらでも、傷物でも、そんなことは頓着することはない。殊に、自然美を身につけるのには、山も川も別に金はかからぬわけだ。山を眺め水を賞し、花を愛すればよいのである。私は以上の如き意味で、坐辺に師友を若干持っている。が、富豪の家に飾るものはかけらすらもない。
底本:「魯山人陶説」中公文庫、中央公論新社
1992(平成4)年5月10日初版発行
2008(平成20)年11月25日12刷発行
底本の親本:「魯山人陶説」東京書房社
1975(昭和50)年3月
入力:門田裕志
校正:木下聡
2019年9月27日作成
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