陶器鑑賞について
北大路魯山人



 大正八、九年ごろという古い話になりますが、こういう話がありました。当時の入沢医学博士から私が直接に聞いたことでありますが、博士がある時、図らずも大河内正敏理博と東海道西下の汽車に同乗したことがあります。その際のこと、ちょうどいい機会と医博は思いついたのでしょう、「この車中に於て一、二時間の間に、陶器鑑賞に関して素人の僕にわかる様に話して貰えないか」と、日頃の希望を注文してみましたところ、大河内博士は、「それはちょっとむずかしい問題で、いくら簡単に話したところで到底一時間や二時間で話せるものではありません。詳しく説明すれば一年も二年もかかるでしょう」

 車中一、二時間それはだめだ……。

 と言った塩梅の返事だったそうです。

 そのころの私はまだ陶器美術に関しては、全然知識のなかった時代でありましたので、陶器の話というものはそんなものか……と思っておりました。しかし、もし只今の私でありましたら、その質問に対して、医博の注文通り一、二時間でそのご要求にお答え出来たであろうというような気がいたします。

 その時の入沢博士の質問の気持と、大河内博士のお話になろうと考えておられた内容とには大きな開きがあったように思われます。入沢博士の質問は、何の知識もないものに、どうしたならば簡単に名器鑑賞の要領が掴めるかという点にあったらしく思われますが、それに対し大河内博士の該博な知識では陶器すべてに関し詳細にA・B・Cから説き起こし、各作者、各年代等から研究を進めて行って鑑賞に入ろうとするにあったらしく思われます。

 そういう該博な知識を百科辞典式に僅かな時間で話すことは元々無理であり、一年あっても二年あっても到底出来るものでないことは当然であります。そして大河内博士にしてみれば、何と猪口才に、ズブの素人がチョコマカと陶器の話を寸時に聞こうなんて何だ……というような、勿体振りもあったと想うのであります。

 私が今の私ならば一、二時間で出来ただろうと言いましたのは、こういう理博式をとらずに名陶器を鑑賞する方法として、最初から製作年代の中心を慶長ごろに置き、慶長以前を可とし、以後を無価値とし、芸術的鑑賞品または鑑賞無価値の実用器という区別の一点に重きを置き、陶器には実用器と鑑賞品の二通りある点を先ず呑みこませて、段々と芸術談を試みて行くことでしょう。

 陶器をやきものとしてすべてを研究的に見て行くとなると、その作られた地方、土の性質、焼き方、窯、釉、絵付けの具合から、誰々の作だとか、その年代など色々と詳細に究めて行かなければなりませんが、これを単なる土から成った工芸美術品として、その持っている芸術的価値、美術的価値というものだけを取り上げ、あたかも名画を見たり、能書を見たりするような心構えで鑑賞する方法に話を進めて行けば、簡単に誰にでも得心して貰う説明が出来ると思うのであります。例えば絵や書などを鑑賞する場合、その絵具や墨の性質、描かれた紙や絹の材料、またはその描法などに趣味を持ち、それに囚われて道草を食っていると、肝心の絵や書の美術的生命を鑑賞する妨げとなり、いずれは行き着くとしても、大変な時日を要するのと同じようなものであります。

 しからば陶器を美術的、芸術的に見られるようになる近道とは一体どういう道かと申しますと、先ず第一に製作年代の中心を慶長に置くことを忘れてはなりません。

 陶器には、その具わっている慶長以後に見られる貧弱な美的価値と、それ以前の作と見られる思想的高踏なる芸術陶器の両面があるということを知らねばなりません。

 大衆実用器として徳川中期以後に生まれたものには、往々、極めて低級な美を盛るに過ぎない大量的なものが多く、前述の如く芸術的価値に富んで世間に騒がれているものは、概ね慶長以前の作で、その数こそ少ないが、眼高の士の心をゆさぶるもの、即ち思想的個性の発露になるものが多いのでありまして、この両者を明確に区別してかかることが肝要であります。

 実際、優れた陶器に接しますと、名巌のような、松樹のような、琅玕竹のような、梅花のような、その美しさに打たれるものであって、それがどんな土で出来ているとか、どういうふうにして作られたかというようなことは、第一義的には念頭に浮んで来ないのであって、立派な絵や建築を見る場合と少しも違わないのであります。第二義的には枝葉に渉り様々吟味もしますが……。

 こういうふうに、一見して陶器の持つ美しさを感受し、以上述べたような生命の見方を進めるのであります。それには先ず第一に自分みずからの教養を高め、その美術眼を高めなければならないことになります。

 しからばその美術眼を高めるにはどうしたならばよいでしょうか。

 それには眼前の自然美と高き人工美とから学ぶより外に方法がないということになります。自然美はいつも眼前にひかえていて、凝視することさえ怠らなければ、自由に究め得られる便利を持っておりますが、人工美は眼力と財力との両者を兼ね備えて入手せねばならぬという不便があります。

 こんなふうに、すべての芸術は元をただせば皆自然から感受したもので、これ以外に道はないのであります。人間が作ったものとしましては、どんな芸術的美作でも天地間に存在する自然美には到底叶わないのでありますが、その中でも陶器などは日常自分でも使用して、調法し、あるいは愛玩したり、なんとなく親しみも生じて手にとって見たり、撫でて見たり、様々に変化のある釉の具合など賞めそやしたりして鑑賞の対象となり、嬉しさを感ずるのでありますが、自然の美しさとなると、常にどこにでも存在して眼前に恵まれ、いつも眺め通しなので、あたかも空気や日光のありがた味をそんなに感じないのと同じ様に、一般の人々の注目を集めることは甚だ少ないのであります。

 例えば木の葉の色にしても、牡丹の花の美しさにしても、実に大したものなのですが、人間の作ったものではなく、自然に生じたというので、名画の如く刺激も受けず且つ貴ばれもしないのであります。また何時でも自由に無償で観られるために、絵や陶器の優れたもの程に、その美は感心されておらないのであります。しかし、自然美を感受することに恵まれた大美術家の如く、眼識の高い素直な見方をする練達の士は、これらの自然美を子細に観察して、あるいは絵にし、あるいは陶器に表現したりして成功しているのであります。勿論、人工美というものは、自然そのものの美にはとても叶わないとしても、同族の人間が作ったという身近さ、親しみを感ずることと、情ないことですが、商品価値を有しているという魅力がありますので、とかく絵や陶器の美しさの方が珍重されて、度々申しましたように、大自然そのものの美となると、等閑にされがちなのであります。秋の七草の中でも苅萱の美しさなど、自然の中でも優れて調子の高い美しさと思われますが、一般にはなかなかそうは認められていないのが近代の事実であります。

 故に、美術眼を高くするということは、なによりも真先に自然美に親しみ、その美に浸り、鑑賞意欲のそのもとたるべきものを養って、ゆがめられない素直な眼をつくり、あるいはつくりつつ、日本で言えば、段々と慶長以前の美術作品を鑑賞して行くのが、一番理想的ないい方法だと思うのであります。しかし、これが実行は余程熱心な人でない限り出来ない相談であると思いますが……。

 なお、くどくどと申しますが、美術眼を養成する上に於て、一つ考えて置かねばならないことは、美というものはとかく、高くなればなる程容易にわかりにくいもので、これは何事でも同じことでありますが、それがわかるようになるには、生得の天分を持っているか、あるいは不断のすばらしい努力、論にならないぐらいの厳しい修業に俟たねばならぬということであります。

 以上、陶器鑑賞の方法を簡単に申し上げましたが、要するに陶器に対し芸術上無価値に出来上がっているもの、名画のように芸術として立派に生まれているもの、これを区別し、一つは単なる実用器、一つは魂の糧たる鑑賞愛玩品という具合に、これをはっきりと見極めて行くという心構えが必要であります。

 次にお尋ねに応じ、私が陶器製作をやり出しました動機について、過去の事実を申し上げましょう。元来、料理と食器というものは不可分のものでありまして、食物に食器は料理の着物として、是非なくてはならぬものであります。そして、いい料理であればある程、いい食器が要望されるのでありますが、陶器としては古い染付、古赤絵、唐津、備前といったような本歌の焼物を、日常の使用に供するということは、到底不可能なことでありますので、私が美食倶楽部をやっておりましたころ、食器を新しく諸方に注文しましても、中々気に入ったものは出来ないのです。それもそのはずで、陶器を作る工人には、趣味的料理のことなどわかっておらず、また普通には料理を作る人にも、実は食器のことがわからないのが多いのでありまして、両者の調子がピッタリと合わないのであります。そこで自分の好む料理と調和をはかるには、その食器も自分でやる以外には方法のないことを知りまして、ついつい陶器を自分でやるようになったのであります。初めは絵付けだけを自分でやっておりましたが、どうも他人に作らした素地に、絵だけ描いて見ましても、肝心の土の仕事が心なしの職人の作であります以上、調和のとれるはずはありません。とうとうみずからの仕事、即ちロクロを廻し、絵を描き、釉を掛けるというふうに、全部を自分でやるようなことになったのであります。

 普通、陶器をやる人は瀬戸物家に生まれた人であるとか、工芸学校出身者などが主でありまして、色々と当世風なものを表現されておりますが、私は自分の食道楽が因をなし、止むに止まれず、作陶に手を出したという始末で、そのためか、今以て食器以外のものは殆ど作る気になりません。売品として陶器を作る場合、床を飾る香炉などは上品なものであり、市価も高く売手に都合のよいものとされておりますが、私はそういうものには、一向興味が湧いて来ません。故に私は食器に一番熱意があり、興味も湧いてまいります。そんなわけで、私の作品は大抵、食物である限り、盛り方さえ上手であれば調和する自信があります。

 陶器を自分で作る責任として、そもそも最初の用意として、朝鮮に二回、その他、内地では瀬戸、唐津を初め、各地の古窯場を遍歴して、様々な古陶を発掘し、偶然ながら志野、織部などの古窯を発見したりしました。従って幾多の古陶発掘に成功し、その参考品を入手して、私の作品に大変有利な役割を果してくれました。それらは今以て、まことに良い研究材料として、私の作陶を助けてくれます。


 このようにして、この二十年間程は、ちょうどお手本で習字するように、東西古今の作品より選択した参考品を集め、これらをお手本として根拠ある制作、イミテーションを続け、それこそ小心翼々、ひたすら違わざらんことに努めて来ました。そんなふうにして、どうにかこうにか本歌の心は読めて来ましたが、現在はこの二十年間の習得によって、不敏ながら自得するところがありまして、我儘放題に、意の欲するところに従い、所謂個性を生かしていけるようになり、漸く自分のものが出来かけたような気がしてまいりました。ここに至って、いよいよ面白味が加わって来たことは申すまでもありません。

 ところが、私は看板をかけておりませんので、世間から見る私の仕事はどこまで行っても、相変らず素人としてしか通用いたしません。料理なども少年時代から道楽しておりますが、やはり素人としてしか斯界では許してくれません。客人などがあってご馳走したりする時、料理職人を呼んで手伝いをさせますと、女中などは料理人のする低級な仕事に感心して、一生懸命見て学びますが、私のやる料理などは旦那のやる素人芸として、とんと重きをおいてくれません。面白いものではありませんか。こんなふうで、私は一生、素人扱いをされて、お仕舞いになりそうです。浪人は辛いですね。

(昭和二十四年)

底本:「魯山人陶説」中公文庫、中央公論新社

   1992(平成4)年510日初版発行

   2008(平成20)年112512刷発行

底本の親本:「魯山人陶説」東京書房社

   1975(昭和50)年3月刊行

入力:門田裕志

校正:木下聡

2019年222日作成

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