芸術的な書と非芸術的な書
北大路魯山人



 いかなる書を芸術といい、いかなる書を非芸術というか。


 少しばかり日頃の一家言といったようなものをお話させていただきます。

 今日は私の考えとして文字というものも当然芸術だと思っておるのであります。それについて少し話してみたいと思います。

 いわゆる能書というのはよい美を具備しているがゆえに、生命をもって光っているものであります。従って芸術的の生命があるというものでございます。昔にさかのぼりますと、有名な書というものは、いずれも芸術的であります。また稀には有名な書の中にも、芸術的でないものもあるのであります。そこで、そういう区別はどういうところで判断するかということになりますが、さてどういうのが芸術的であり、どういう書が芸術的でないのか、そういう点を一応知って置く必要があると思います。

 先日、日本料理研究会という会の主幹が私に向って申された話に、ある所の料理人がどういう料理が芸術的料理であって、どういう料理が芸術的生命を有しないか、芸術的料理ということは美術とどんな関係があるのか、なにを料理芸術というかを訊かれた。それについていささか卑見を述べて答弁した事でありますが、芸術というのは必ずしも美術ではなく、ただ今のような料理の場合にいってもいいのであります。芸術だといって一般に認められておりますものは書、画、詩、歌、あるいは劇、舞踊、音楽、そういうものをいずれもみな芸術といっています。それらの題目の場合には、芸術といっても習慣上得心しやすいのでありますが、これが料理だと従来からいう美術、芸術の圏外に置かれた形であるために、にわかに料理を芸術というようになって来ては、さあ……解り難くなりまして、一体全体芸術とはどこまでをいうことになるのであるかということになります。芸術というのは心術だといった方が解り易いのではないかと思うのであります。これは心の置きよう、感情熱情で出来たところのもの、それが芸術であると解してはいかがと思うのであります。元来、この「術」のつくのが問題なのでありまして、美術とか技術とかいずれも「術」がつくのでありますが、このいずれの術も精神的、入神的のものに限りまして、常識上通常の算盤に、はじききれない作用が出来るものを「術」といい、「妙」というのだと思います。常識では測れない、二一天作にいちてんさくでは割りきれない心的作用によって、千態万様に表われ来る所のものが「術」だと思うのであります。

 書の場合でも、やはり、こう書けば能書になるだろう、こうすればいい字が出来る、こう書けばいい線が出来るといって、その通りやってもそうそう容易に能書は生まれないように、人の理性が智的に働くのみでは、決して能書になるものではないのであります。かえって理性を他所よそにした感情点から芸術というものが現われて来るのであります。しかし、芸術が芸術家という専門家によって生まれるかと申しますと、決してそうは申されません。芸術的な仕事に従事する人を芸術家というのでありまして、芸術を生む人、必ずしも芸術家業とは限りません。世に芸術家と称する人は沢山ありますが、全くその人から芸術が生まれるのはむしろ稀であるともいい得られます。ただ単にその人の商売としておる事柄が、芸術的な性質を有しているというだけなのであります。

「的」というのは弓矢に関する的だと思いますが、芸術を的にたとえて申しますと、これが金的にまで進み、行くところまで行ったのが最高の芸術なのであります。しかし、画を描いても、字を書いても、歌を作っても、詩を作っても、芝居道にしても、音楽にしましても、ただ今申したようなこと、すなわち芸術という的の圏内にあるもの、それが芸術的なのであって、とりもなおさず事柄が芸術的な素質を帯びているだけなので、それを扱う場合、すなわち、画を描いたり音楽をやったりする人が芸術家と称す者である。

 私どもは画が好きですから、字や画を見る度にそう思うのであります。帝展などに行きますと、悪口をいうのですが、陳列画の一々皆芸術家という人の描いたものでありますが、真に芸術的なものはまずないといってもいいのであります。芸術という的の中には這入っていても、金的まではなかなかいっていない。芸術的とは名ばかりで、わずかに「的」の外辺にいるに過ぎないのであります。従って立派な芸術にはなっていないのであります。「術」の字を冠するに足る画は、く少数に過ぎないのであります。仮りにここに職工的な画の的があったとします。それはどこまで命中しても、金的の中にまで入っても、芸術と称する訳にはならない。もともと精神的でないからであります。理知的な、利己的な仕事であって、「術」という冠がつかない。すなわち職工的であって、どうしても「術」のつかないものでありますが、これが一度精神的になって技神に入る、いわゆる入神の技ということになりますと、ここに立派な芸術品が自ずから生まれて来る。芸術を生むということは、結局、俗念と離れての仕事であって、むつかしい人間仕事として、普通には出来難い事には違いありません。ひとえに人間悟道に拠る自美の表現をなす所のものでなければならないのでありまして、それでなくては「術」の字がつく意義がないと思うのであります。

 美術はある所まで至ると人間精神の生命が織り込まれて芸術的となるもので、芝居などはこれを美術とはいわない。芸術といってみても美術とはいいがたい。役者全体を通して見ますと、千両役者は芸術家であっても、他の三文役者は無精神に動くばかりでありますから、芸術家ではないと思います。すなわち、芝居をする職人芸であるのであります。

 またいう所の技「術」というのは入神の技を指すのであります。神に入るというのは前にも述べた通りで、この場合にそれが精神的でなく形式のみであるならば、それは単なる技「能」であり、技巧というものであり、技術の「術」がつかない性質のものであります。で、「術」の字がつくのはその意をよく考えなければならないと思うのであります。で、技能というのは技術と違うという事が解ると思います。「入神の技に限って芸術的である」こういうと解ると思うのであります。

 なお、物を観るのに昔から心眼といっておりますが、その心眼は極言すると、人間のみ持っていて動物にない、動物でも多少はあるかも知れませぬが、ないものだと思うのであります。

 心眼というのは、その人の有する心の眼であります。物を観る場合、こちらに心の眼のないときは、他の有する心を見透すことは出来ないのであります。

 それで自分に心の眼があってこそ、始めて他の人の心を判断する事が出来、従ってよく他の心が読める。書画の鑑定を致しますにも、多くは心眼によって明確に判断できるのであります。でありますから、他の心の中が見えない人は書画の鑑定は出来ない。人物を見て、彼は好人とか悪人とかとよくいいますが、当方に心の眼があって始めて相手の心を知る事が出来るのであります。それも段々程度がありまして、低いのも高いものもあります。すなわち、上に上があり、下に下があって、例えば大観たいかん栖鳳せいほう等のいわゆる新画は見誤らない程度の鑑定心眼を持っていても、ウンと昔に溯って三百年、五百年前の古書画とか、また千年も前の仏画、建造物となると、すばらしい心眼がなければる事は出来ない。心眼の理想はそれを鑑るまでに本格に磨きあげて行かなければならないと思うのであります。それでどうしても他の心のどん底をこちらの心の眼で見破るという必要があります。ただウカウカとものの形態だけ捉える事に興味を持っている程度では、心眼というものは、いつまで経っても出来ない。常に心の中を見よう見ようとしてゆく心がまえがなければ、なかなか心眼は養われない。そういうものであると私どもは考えております。

 書道で申します場合、中国の能書というものは、形而下的成功というような、形はうまく成功しておりますが、書として内容上美しい尊いものではない。内容に人間魄が足りない。あっても、その魄がどうも感心した魄ではない。日本人から見ますと、上走りしている。だが半面如何にも形整美がいい。その形整美がいいので、どうも日本人は買い被るのであります。これは余程注意しないと中国の形態にだまされるという大変な過誤が出来るのであります。要するに中国の書なるものは、形態以上大して重きを置かないでいいと思うが、しかし、形だけなら取って行くのもいいと思います。そこへ行くと、日本の書は内容が立派なものでありまして、着物の柄に頓着していない。道風の書を見ますと、書としての着物は美しい物を中国から奪い取って着用し、中味は自分の良いものをもって身体とし、内容外形ともに完全無比の書として、吾々に遺したと思うのであります。また、日本の定家卿の書になりますと、中国の書なるものを、日本的にこなし切って、無理に法則に捉われないで、創作的芸術なる書を生んでいると思います。そういうことを根本からハッキリ知っておったのは、何といっても良寛禅師だと思います。良寛禅師は実に畏るべき美字を書きました。良寛の書こそうまい字であって、美しい字だ、好い字だといえます。世間にはうまい字が沢山ありますが、良い字というのは少ない。良い字というものは、他から見ると如何にも下手糞に見えるが、良寛の書は決して下手に見えない。いい形を持って、いい内容を有しています。内容外形ともに立派で万人に頭を下げさしています。私どもはいつも心から敬服致します。結局、良寛の書は、いいという内容とうまいという技術が具わっておる。この両方を兼ねるという事はなかなかむつかしい事で、古来、誰しもが望んで至り難い所とされています。そこで先ず私どもは良い字を書くという心掛け一方を念願するのであります。習字手習いで子供相手に飯を食う書家、看板屋、ペンキ屋等、書で飯を食う人には形だけ旨い字を書く事は必要でありましょうが、字で潤筆料を取るものでない立場の者は、形ばかりを争って勉強する必要はない。心掛くべき事は内容のいい字を書く心掛けが一番必要だと思います。どうしたらいい字が書けるかという事は、いい線を引ける事、いい点が打てる事、書は一点一線から成り立っているもので、この一点一線がよい一点、よい一線でなければならない。

 一つの線を引くにも、一つの点を打つにも実にいい線、いい点という心がまえが必要であります。この一点一線が良くない場合は、いい字の出来ない理由となりまして、習書の目的は達せられません。いい点が打てる事と、いい線が引ける事に、すべからく努めなければならない。そんならどんなのがいいという事になりますと、やはり、自然界の現象に近いほどいいのであります。書といえども結局お手本の元は、この自然界にあるのでありまして、道風の書にしましても、定家卿の字にしましても、いい点いい線というものは、この自然界を対象とするより他にはありません。しかし、この自然界の中にも同じ線でありながら固い線、柔らかい線、葉の硬い蘭のような、また万年青のようなもの、あるいはまた、春に新芽を吹き出します糸柳、これはなよなよとしてまことに柔らかな、非常にいい線であります。硬いから強い、柔らかいから弱い、悪いという事はいえない。

 一点一線を自然界から学ぶという事は、例えば以上の一二の比喩の如く、蘭なり、万年青なり、糸柳なりのような、自然的な線をもって字を書いていかなければならないと思います。

 度々たびたび申しますが、素直な糸柳はフラフラしておるからいけない、という事はいえないのであります。それは皆が皆、同じ自然美をもっているのであります。いやしくも書画をよくせんとするものは、皆その天然性に従っていいと思う。硬い柔らかいどちらも可否はないと思う。申すまでもなく天の仕事に無理はないのであって、この庭にごらんの通り木賊とくさがつんつんと生えております。またその傍の熊笹のパラッとした感じでも、どちらにしても各自好む所によって、この自然から筆を起こしこれを学ぶより他、途はないと思います。いい線を引くという事は、むしろ書の手本をみるよりも、この自然界の現象を直視して、それから色々と自然美を芸術的に感じた方が正しいと思う。それでこそ、能書を見た場合、「ああこれだね」と会得する事が多いのであります。中国でも雲の走る形容、雲の起こる形容、水の流るる形容、奔馬の駆る形容等、書の形容は沢山ありますが、それは皆自然に従うより他、途がない事を説明していると思います。そこで自然を見て眼を養い、いい人の書いたものを見直す。かく五分五分に眼を遣って、研究するより他ないと思います。それに就きまして、気韻というのは皆銘々持っている品格個性でありまして、先天的あるいは後天的自己でありまして、その人の品格というものが率直に偽りなしに表現されておる。また純な熱情が現われ、人品のいい人は人品の良さが自ずと現われる。俗な者は俗なものが現われる。気韻生動を具現するには、よい気韻が生動するように、良い人間を造る事に始終考え及ばしめて置く必要があります。気韻生動、これは修養しなくても大なり小なり、作品に現われるに決っておりますが、これを極力強記し、熱誠を持って事に当るべき心掛けが必要と存じます。これが職工として、一字書くのに幾金、一劃彫るのにも幾金、自分という個性を出す事を問題にしないで、人に迎合して自分が動く、そんな考えが職人でなくともないとは限らない。気韻生動すという事は、芸術上是非とも必要な事で筆力雄健、これもお話のあった事でありますが、筆力は強くなくては価値に関するといってみても、これだけではよく判らないと思いますが、なぜ筆力は強くなければいけないか、なぜ強い事をよしとするか。それは見ても応えがないからだ。絵でも「これは強い、これは弱い」といいますが、弱いものは見応えがない。しかし、柔らかいのと弱いのとは違いますから注意を要します。非常に硬張っていても弱いものがある。柔らかいのは弱い事を意味するのではない。かつて私の青年時代に前田黙鳳まえだもくほうという人が書を講じまして、その書芸講演会で、こういう事をいいました。「筆が直筆の時、線を引張りますと、筆の毛先が線の真中に入る、筆の穂先を横に腹の方で書くと側筆となって弱い。だから強い線は直筆に限る」と。

 筆を素直に引くから弱い、それでこうするとよいといって、筆を中心、すなわち、鉾先ラセン式にブラブラ小さく働かせながら、線をじりじりと引き下げて示しました。しかし、今考えますと、これは強い線を引く理由として決してそんな馬鹿な事はないのでありまして、こういう事をして強く見せようという事はトリックであります。インチキで弱を強と見せかけるのであります。トリック的技巧によって、強そうに見えるまでであります。自分という人間が強であるならば、どんな方法で以てどんな不用意に書いた所で強いものは強い、弱いものは弱い。以上の様なトリック的方法を講じて見ても、所詮、強そうに見えるまでであって、事実が強い線となる訳のものではないのであります。こんなインチキ芝居は決して学ぶべきではないと思います。直筆はこう真直ぐに、一寸ちょっと横に引くのは弱いからいけないなどと、書家先生は申しますが、事実は筆を横にしようが、縦にしようが、弱いものは弱い、強いものは強い。作者が芸術的であれば芸術が生まれる。字は手元の応用器用で芸術が自由に生まれたり、強弱が生まれたりするものではない。作者の人格、作者の個性がその上に現われる所が強弱美醜、柔軟の生ずる根源であって、他に理由はない。こんなインチキ技巧は、どうしても排撃すべきである。これも興味があればやるのもいいが、そんな事で強い字が出来るという理由はないという事がお解りになれば結構であります。

 なお、書の学び方に就いて、現代人の書を手本として学ぶという事は、私は考えものだと思います。私は初め巌谷一六いわやいちろく翁について種々聞きましたが、一六の書体、一六の書く特色ある書体を、どうしたら器用に真似られるかということしか教えてくれない。字の根本学などは教えてくれません。字の根本学などは教えてくれないが、どうしたら書けるかという指先の働かせ方を教えてくれた。一六の書風は、このような字でありまして(一六の書体を示す)こう筆を一辺放して、また書く。これはどういう訳でこんな事をするか、巌谷一六翁が何に就いてこんな癖を学んだか、鳴鶴めいかく翁が何に就いて習ったか、そこの書生等に探りを入れて聞いたのであります。その中、彼等の虎の巻とする手本も判りまして、それ以来、私は直接法帖から手習いする事に致しました。そこで今の書家に就いて字を習っている人があって、お差支えがあれば御免蒙りますが、その先生から習っておる書は原本は一体何か、それを原本から直接習おうと直取引にやった方がよい。そこで始めて共々(師匠も弟子も)に相当の字が習えると思う。ところが弘法大師の字を習うのに、弘法大師のお手本を習った先生の、そのお手本で習う習慣は、それはお手本の弘法大師より低下したもの、すなわち、写しから習うという事になるから自分は一層低下する。それを考えるときは、本から習った方がいいと気がつく。順次低下して際限なく、終には滅茶滅茶な弘法大師になる。そこで王羲之おうぎしのがいいと思ったらそれを直接習うがいい。弘法大師を習いたい人は、大師の墨蹟から、その書を直接習った方がいい。元来、自分の手本で習字をさせる、自分の書を人に手習いさせるという事実があったら、これほど越権至極な事はないと思う。この点、心ある今後の書家は、十分慎まなければならないのであります。書家の立場から王羲之はいいと思うからお前もこれを習え、こうだ、ああだと参考のために聞かせるのはいいが、自分の書いた物を手本に示すのは考えねばならぬ。

 自分の信ずる手本を与えてそれと友達になるとか、お守り役になる、自分より後に生まれた者には、お守りのお守りしてやるのはいいけれども、自分が手本を書いて、それを習わすという事は全くよろしくない。

 富士の絵を描く前に自分の書いた物を画学生に見せていいけれども、また梅の木を描く場合、参考に描いてやるのはいいけれども、その通りを学生に描かすという事は、梅の木の模様を描く職人を作り画工を作る。さればといって、自然のままに放って置いては、また、この頃の帝展のような馬鹿げた写実になる。自由に省略する所は省略して、密ならしめる所は密ならしめて、自由な行動を採った方がいいと、自然を学ぶに就いての大意を教えるのが先生であらねばならぬと思います。

(昭和九年)

底本:「魯山人書論」中公文庫、中央公論新社

   1996(平成8)年918日初版発行

   2007(平成19)年925日3刷発行

底本の親本:「魯山人書論」五月書房

   1980(昭和55)年5

入力:門田裕志

校正:木下聡

2020年221日作成

青空文庫作成ファイル:

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