眼鏡
小川未明
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かず子さんが、見せてくれた紅い貝は、なんという美しい色をしていたでしょう。また、紫ばんだ青い貝も、海の色が、そのまま染まったような、めったに見たことのないものでありました。
「ねえやが、お嫁にいくので、お家へ帰ったのよ。そして、私に送ってくれたのよ。図画の先生が、ほしいとおっしゃったから、私いくつもあげたわ。」と、かず子さんが、いいました。正吉は自分もほしいと思ったけれど、おくれと口に出してはいいませんでした。かえって、反対に、
「なあんだい、もっと、もっと、きれいなものをかず子ちゃんは、知っていないだろう?」と、いったのです。かず子さんは、ぼんやりと、正吉の顔をながめて、
「もっときれいなものって、貝? 石? 正ちゃんは、持っているの。」と、ききました。
「持っていないけど、あるよ。」
「ありゃしないわ。」
「あるから。」
「じゃ、見せてよ。」と、かず子さんは、いいました。
正吉は、ただ、なんでも悪口をいってみたかったのです。なぜなら、自分の家にいた女中のしげは、お嫁の話どころでなく、いつも欲深げな父親がたずねてきては、外へ呼び出して、おしげが働いてもらったお金を、みんな取り上げていってしまった末に、無理におしげをよそへやってしまったのでした。それを考えると、だれにもいうことなく、腹が立つのであります。
「悪口をいうから、正ちゃんにはあげないわ。」
「いるもんか、かず子ちゃんは、もっと、もっと、きれいなものがあるのを知らないだろう。」
このとき、正吉は、ほんとうにきれいなものがあるのを思い出したのでした。それで、ほくほくしていると、
「ああわかった、正ちゃん、お花でしょう?」
「花なもんか。」
「正ちゃんの知っているもの?」
「うん、そうだよ。」
「ありゃしないわ。」
かず子ちゃんは、勝ち誇ったように、片足を上げて、トン、トンと跳ねました。
「じゃ、きてごらんよ。」
正吉は先に立って、くさむらの中へ入りました。木にからんだ、からすうりの葉に止まっている、うす赤い蛾を捕らえました。
「ほら、かず子ちゃんの貝より、もっときれいだろう。」
生きている蛾のほうが、貝がらよりもきれいでありました。けれど、かず子さんは、気味悪がって、その蛾を取ろうとしませんでした。
「ほんとうに、きれいだわね。ついている白い粉、毒でしょう。」
「あとで、手を洗うからいいよ。数珠玉だって、この青い貝よりきれいだぜ。」
「やっぱり、私、貝がらのほうがいいわ。だって、海にあるんですもの。」
海ときいて、正吉は、だまって、考え込んでいました。
「正ちゃん、なにしてんだい。」
そこへ、義雄くんがやってきました。義雄は、小さな空きかんを握っていました。
「みみずを取りにきたの?」と、正吉が、きくと、彼は、頭が横に振って、
「君、がまがえるを見ない。」といいました。
「ひきがえるなら、私の家のお庭にいてよ。」と、かず子さんが、いいました。
「いまいる?」
「雨が降ると、出てくるわ。」
「なあんだ、そんなんじゃ、しかたがないよ。」
「がまがえる、どうするんだい。」と、正吉がききました。しかし、義雄は、きかぬふりをして、
「正ちゃん、僕、よく釣れるところをきいたから、こんどの日曜にゆかない。」と、話をそらしました。
「義雄さん、ほんとう、つれていってくれる?」
正吉は、目をまるくして、義雄を見ました。義雄は、うなずきました。
「どっかに、がまはいないかなあ。かたつむりでもいいんだけど。」
釣りにつれていってくれるといったので、正吉は、もう有頂天でした。
「かたつむりでもいいの、かたつむりなら、僕、さがしてあげるよ。」
正吉は、くさむらの中を潜って、かけずりました。そして、義雄が、まだ一ぴきも見つけないうちに、正吉は、三びきも見つけて、義雄に与えました。
「これだけあれば、いいよ。」
「義雄さん、飼っておくの。」と、正吉は、ききました。
「学校へ持っていって、理科の時間に解剖するのだよ。」
「えっ、殺してしまうの?」
正吉は、ぞっとしました。それなら、捕まえてやるのではなかったと思ったが、もうおそかったのです。心の中が、急に暗くなりました。そして、なにもかも、おもしろくなかったのです。
「かわいそうだなあ。」
やった、かたつむりを取り返す、いい智慧が浮かんできませんでした。
「毒びんの中に入れると、苦しまなくて、死んでしまうのだよ。」と、義雄は、心配する必要はないと、いいました。けれど、正吉には、命を取るということが問題なのです。義雄は、びんの中へ、草の葉も入れて持ってゆきました。いつのまにか、かず子さんはいなくなりました。正吉だけ、いつまでも自分のしたことを後悔していました。
学校で、正吉は、とりわけ青木、小田とは仲よしでした。三人は、昼の休み時間に、運動場へ出て、木かげのところで話をしていました。
「僕、このあいだ、教室へいったら、ねずみの奴、机の上でパンくずを食べていたのさ。両手でこんなふうにパンを持って、それはかわいらしかったよ。すぐ足音で逃げてしまったが、見たら机の上に、糞が二つ落ちていた。は、は、は。」と、青木が、いいました。正吉は、なんだか、そのねずみのようすが目に見えるような気がして、おかしかったので、
「小さいねずみ?」と、きいてみました。
「ああ、まだ子供なんだね。壁の下に穴があいているだろう、あすこから、出たり、入ったりするのだよ。」
「早く、穴をふさいでしまったらおもしろいね。」
「一人では、できないな。」
三人は、いずれも動物が好きなので、目を細くして笑いました。ことに近眼の青木は、顔を上げて、眼鏡を光らしながら、そのときのおかしさを思い出したように、
「いま、いったら、いるかもしれないよ。」といいますと、
「いってみようか。」と、正吉も、小田も、たちまち同意しました。
三人は、肩を組み合って、口笛で、
千里の山坂をつかの間に
過ぎゆく旅路のおもしろや
と、うたいながら、はじめはゆるい歩調で駆けていましたが、途中から、小田が、独り大急ぎで、窓の下の方へ向かって走り出しました。なにか落ちていたのです。
「ああ、すずめの巣だ!」
こう叫んで、つぎに正吉が、駆け出しました。このとき、たくさんのすずめが大騒ぎして鳴いている声が耳に入りました。小田が拾った巣をのぞくと、一羽の子すずめが入っていました。高い屋根の軒端にかかっているのが落ちたらしい。親すずめは、三人の立っている頭の上を、心配して往ったり、きたりしました。白く乾いた土の上へ飛ぶ影が落ちました。
「かわいそうだけど、あんな高いところへ、上がれないね。」
「僕、飼ってやろうかな。」と、小田が、いいました。
「ああ、そのほうがいいよ。」
「巣もいっしょに、かごの中へ入れておくといいね。」
二人は、小田に、そうすることをすすめました。いつしか、ねずみのことなど忘れてしまいました。小田は、自分の帽子の中へすずめの巣を入れて、三人は、教室へ入ると、帰るまで、どうしておくかということを相談しました。このとき、カチンといって、ドアの開く音がしたので、三人は、振り向くと、監護当番の赤い印を胸につけた、六年生が二人こちらを見守っていました。
「君たち、お教室でなにをしているの?」と、一人が、たずねました。
「なにもしていない。ちょっと用事があったんだよ。」と、正吉が答えました。
「持っているのは、なに?」
「すずめの子をつかまえたんだよ。」と、小田が、いいました。すると、二人の六年生は、そばへやってきました。
「見せて。」といって、一人は、帽子の中からすずめの巣を取り出しました。子すずめは、ふるえて、空の方を見上げて、チュッ、チュッと鳴き声をたてていました。それを聞いて、親すずめが窓のあたりで、また、チュッ、チュッと鳴いていました。
「かわいそうだから、早くここへ入れて。」と、小田が、帽子を差し出すと、六年生の小西は、そのまま、すずめの巣を、あちらへ持ってゆこうとしました。
「だめだよ。」と、小田が、怒りました。
「すずめなんか、お教室へ持ってきては、いけないのだろう。」
二人の六年生は、いうことをきかずに、すずめを取りあげて、いこうとしました。
「失敬じゃないか。」と、小田が、真っ先になって、その後を追いました。
「およしよ!」と、正吉も、叫びました。
「このすずめ、僕たちにおくれよ。先生にあげるのだから、僕たち、理科の時間に、解剖をしてもらうんだよ。」と、小西が、答えました。
正吉は、解剖ときくと、ぞっとしました。義雄さんに、頼まれて、なにも知らずに、かたつむりを捕ってやったことが後悔されるばかりでなく、そのときのことを思い出すと、いまでも腹が立つので、
「いけないよ、そんなことをしちゃ。」と、大きな声で、叫びました。
「解剖するなら、君たち、かってにすずめを捕ったらいいだろう。」と、青木もいいました。
すると、二人は、そのまま逃げるようすをしましたから、三人は、やらせまいとして、廊下で道をさえぎって、争い合いました。争いの最中に、小西のひじが、青木の顔に当たると、眼鏡が飛びました。
「おい、騒いじゃいかん、なんで、運動場へ出ないんだね。」
こういって、止めたものがあります。みんなが、びっくりして見ると、髪を長くして、赤いネクタイをした、図画の先生でありました。先生は小使い室へ用事があるので、教員室を出て、ちょうど通りかかったのでした。
「先生、こんなすずめの巣をお教室へ持って入るのです。」と、六年の山本が、告げました。
「先生、教室で遊んでいたのでないのです。帰りに持って帰ろうと置きにきたのです。」と、小田が、弁解しました。
図画の先生は、両方の言い分をきいていられたが、
「そんなものを、教室へ持って入っては、いけないな。」と、おっしゃいました。六年生は、それ見ろといわぬばかりの顔つきをしました。
「先生、僕たちの拾ったすずめを、だまって持っていこうとするから、いけないのです。」と、青木が、六年生の行為を非難しました。
先生はこうなると六年生をいいとはいえませんでした。しばらく、先生は黙っていられると、六年の山本が、
「吉村先生にあげて、理科の時間に、解剖していただこうと思ったのです。」と、答えました。
「解剖!」と、若い図画の先生の目は光って、山本の顔を見られました。
「そうです。僕たち、このごろ、いろいろのものを解剖して、習っているのです。吉村先生は、へびでも、小鳥でも、捕らえたら持ってこいとおっしゃったのです。」と、すずめを持っている小西が、いいました。
正吉は、このとき、いい知れぬ腹立たしさがこみ上げてきました。
「僕たち屋根からおっこちたすずめを助けてやろうと思っているのに殺すなんて、そんなことできません。解剖したかったら、自分で取ってくればいいのです。」
正吉は、こういいました。しず子さんが、美しい貝をあげた先生は、この先生だと思うと自分のいったことをわかってくださるにちがいないと思いました。
図画の先生は、目をぱちぱちさして、どちらにも理屈があるので、判断に苦しむといったようすでしたが、窓ぎわへきて、子を案じて鳴いている親すずめの鳴き声が耳に入ると、急に先生の顔色が明るくなりました。
「君たちのいうことは、よくわかった。一方は、理科の知識を得るためだというのだし、一方はかわいそうだから助けるというのだ。どちらも悪いとはいわれないが、いちばんいいのは、この子すずめを親すずめに返してやるんだね。」と、先生はおっしゃいました。
「ああ、それがいいのだ。」と、正吉は、思いました。
「先生、あの高い屋根へどうして上がれますか!」
小田が、先生の言葉の終わるのを待って、問いました。
「あすこへは上がれませんね。しかたがないから、物置の軒下へでも小使いさんに頼んで入れてもらうのだ。そうすれば、親すずめがきて、世話をするでしょう。」と、先生は、おっしゃいました。
「やはり、それがいい。」と、青木も、小田も、賛成しました。六年生の二人は、反対しなかったが、だまっていました。
「それでいいなら、私が、小使いさんに頼んであげるから。」
「先生、お願いいたします。」と、四年生の三人は、声をそろえて叫びました。
図画の先生は、すずめの巣を大事そうに持って、はいっている子すずめを慰わるようにして、あちらへいってしまわれました。
これで、とにかく、ひとまず事件が終わってしまったので、六年生の二人も、あちらへ去ろうとしました。すると、突然、青木が、
「君、僕の眼鏡をわったね。」と、青い顔をして、六年の小西を呼びとめました。みんなは、驚いて、その方を見ました。
「僕が、君の眼鏡をわったって!」
小西は、青木の差し出した眼鏡を見つめました。なるほど、片方の玉に白いひびが入っています。
「君のひじが当って、眼鏡が飛んだんだよ。」と、青木が、説明しました。そういわれると、小西も、「ああ、あのときか。」と、思ったのでありましょう。じっと眼鏡を見ていましたが、
「知らんでしたのだから、かんにんしてね。」と、素直に、わびました。
こうわびられると、かえって、青木が返事に窮してしまいました。それは、なぜでしょう? みんなの視線が彼の顔を見守ると、さもいいにくそうにして、
「僕は、いいけれど、お母さんが……。」と、いいよどみました。
「しかられるの。」と、小西が、きき返しました。青木は、うなずきました。
青木の家は、荒物屋で、父親はとうになくなって、母親と二人でさびしく暮らしているのです。その家のことをよく知っている、正吉や、小田には、むしろ、青木の立場に同情されたのであります。そして、すずめの巣よりも、このほうが、問題に思われました。
「お家へいって、あやまればいいだろう。」と、正吉がいいました。
「家へいって、あやまらなくても、半分弁償すればいいだろう。」と山本は、小西に味方して、いいました。
しばらく、だまって考えていた小西は、
「君、お母さんにしかられるようなら、僕、弁償するよ。」
こういったとき、ちょうどベルが鳴ったので、六年生の二人は自分たちの教室の方へ、走っていきました。
青木は、小西が、あやまりにきてくれなかったので、わった眼鏡の球代を半分、弁償してもらうことにしました。そして、このことを正吉と小田に話すと、二人ともいっしょにいこうといってくれました。
「眼鏡屋の受取証を忘れずに、持ってゆくんだぜ。」と、小田が、注意しました。
正吉は、学校から帰ると、道順から、青木と小田の誘いにくるのを待つ間、金魚の水を換えたりしていました。やがて、外で二人の声がしたので、正吉は、家を出たのであります。
小田が、小西の家を知っているというので、ほかの二人は、ついていきました。さるすべりの咲いている家の垣根について曲がると、お湯屋がありました。その付近には、小さな商店が、かたまっていましたが、小西の家は、その中の青物屋でありました。こちらから見ると、なすや、きゅうりや、大根などが、店先にならべられて、午後の赤色をした日の光を受けていました。
小西は、もう学校から帰って、家のてつだいをしていましたが、貧しげなようすから見て、正吉は、なんだか、金を出させるのは、かわいそうな気がしました。
三人は、小西が、こちらを向いてくれるのを待っていましたが、なかなか向きそうもありませんので、
「小西くん!」と、ついに、小田が、小さな声で呼んだのであります。きこえたとみえて、小西は、じっとこちらを見ました。そして、にっこり笑うと、彼の姿は、奥へ消えて見えなくなりました。
「どうしたんだろうね。」
「いま、出てくるよ。」
こんなことを話しているところへ、小西が走ってきました。青木は、小西に向かって、
「君、半分弁償してくれない?」といいました。
「いくらなの?」と、小西は、ききました。
青木は、上衣のポケットから、眼鏡屋の受取証は出して渡しました。
「家まで、きてくれない。」
三人は、小西のあとについてゆきました。店の次の間では、小西の父親らしい人が、肌脱ぎで、若い男を相手にして、将棋をさしていました。小西が、受取証を父親に見せると、父親は、しばらくだまって考え込んでいました。将棋の相手をしている若い男が、「どうしたんだ?」と、のぞき込みました。父親は、説明しているらしかったのです。すると、その若い男は、なにか小さな声で、理屈をいっているらしかったが、たちまち、三人のいる方へ顔を向けて、
「みんなが騒いで、わったのだから、みんなで弁償するのがあたりまえでしょう。一人に半分出させる法はないだろう。」と、おどすような口調で、いいました。三人は、思いがけない反対に出あって、たがいに顔を見合わせました。
「子供だと思って、ばかにしている。」と、小田がつぶやきました。
このとき、正吉は、その男をにらんで、
「いくら、おおぜいが騒いでも、眼鏡を飛ばさなければ、われなかったんだろう。」と、いくらか、せき込んで答えました。これに対して、若い男が、なにかいおうとすると、
「自転車屋のおじさん、いいんだよ。」と、小西は、むりに男を押さえました。そして、三人を引っ張るようにして、湯屋の前のすこしばかりの空き地へきました。
「きっと、あげるよ。今月の末まで、待ってくれない? 僕、新聞を配達しているのだから、お金をもらったら、すぐ持っていくよ。」
そういった、小西の顔色にも、言葉にも、真実があらわれていました。
「ああ、いつでもいいんだ。」
青木は、こう答えました。彼は、小西の境遇に同情したばかりでなく、むしろ、感心な少年だと心を打たれたのです。正吉も、小田も感じたことは、同じでありました。
三人は、また、もときた道を帰りました。最後まで、黙っていた父親や、おどそうとした若い男の顔は、三人の目にいつまでも残っていて、不快な感じがしたけれど、小西からは、まったくそれと反対な、快い印象を受けたのであります。自分たちの世界は、別だと考えたのは、独り正吉だけではなかったのです。いま、小西に対して感ずるものは、友愛の情よりほかにありませんでした。
「あっ、渡り鳥が!」と、小田が、大空を指しました。はるかに、空をたがいにいたわりながら、遠く旅をする鳥の影が見られました。
三人は無限の感慨で、見えなくなるまで、いっしょに、その鳥の影を見送っていたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 11」講談社
1977(昭和52)年9月10日
1983(昭和58)年1月19日第5刷
底本の親本:「未明童話 お話の木」竹村書房
1938(昭和13)年4月
初出:「お話の木」
1937(昭和12)年9月
※表題は底本では、「眼鏡」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2016年12月9日作成
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