料理一夕話
北大路魯山人



 料理の話? 君、料理の話をしたってムダだよ。たとえば、かつおぶしでだしを取るとか、昆布でだしを取るとか言っても、かつおぶしにも昆布にも種類があり、良否があり、取り方にも口で言えないコツがある。竹内栖鳳は、門人に教えて、出来るだけ丁寧に写生をすること、それから出来るだけ筆を抜いて写生すること、それから後は「悟り」だと言ったそうだが、料理もつまり「悟り」だ。

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 砂糖は何匁、味酬どのくらい、と言ったって、そのコツが分るものではない。僕に言わせると、料理屋の料理は美味くないと言えるね。料理はせいぜい五人以下で味わうべきもので、ほんとう言うと、私がつくる、あなたが食う──つまり、さしで行かなければ、ほんとうには味わえない。

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 第一「味の素」なんか出来たのでいけない。なんの料理も「味の素」の味になってしまった。料理人気質のやつに言わせると、手前で味をつけられないでどうする、と言ったふうで、「味の素」なんか使わなかったものだが、この頃は誰でも「味の素」でごまかしてしまう。困ったものだね。

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 僕が料理を始めた動機かね。どちらかと言えば、料理は昔から好きだったね。美味うま不味まずいが判る方だったらしく、子どもの時から家の食膳に上るものを、いつも批評していたらしく、美味いとか不味いとか言ってたらしいね。一度くらい黙って食べたらいいだろうと、よく母なんかに注意されたものだ。

 料理屋に言わせても、塩さばの鑑定はむずかしいものだが、僕は子どもの時から、どれが美味い塩さばかすぐ判った。しかし、むろん料理屋になるつもりなんかなかった。

 僕が若い頃、東京へ出て来て、岡本一平のお父さんに世話になったことがあるが、ある時、一平と僕を並べて、「お前たち金があったらどんな道楽をするね」と言われて、「陶器をいじってみたいと思います」と答えたのを覚えている。一平はこの時、「人間は一生の大半を寝て暮すのだから、布団だけは道楽したい」と答えた。そんなふうで、料理などは頭になかった。

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 星岡の由来? ウン、あれはネ、便利堂の中村竹四郎君が、仕事がないというので、僕も書画道楽だし、いっしょに東仲通りに美術店を開いた。大雅堂という店名のね。そのうち常連も出来て、毎日うなぎとかなんとか料理がはいる。僕は、ほんとうを言って、そんな料理は美味くないので、自分だけ、里芋のいいのがあるとこれを煮たり、なすのいいのを見つけて料理したり、塩じゃけを焼いたりして食べたものだ。さけはしっぽでないといい味はないものだ。すると、外の連中が見つけて、美味そうだな、俺にもひとつ、というようなことになり、そのうちに、料理屋の品よりこっちがいい、ひとつ料理方を受け持ってくれ、ということになったので、僕も好きなものだから、よろしい、とやることになった。そのうち、仲間だけで食べるのは惜しいから、「美食倶楽部」を拵えようじゃないかと、みなが言い出すようになった。じゃあ、一食二円ということになって、やっているうちに、その中のひとりが、江木衷は有名な食道楽だ、あの人にぜひひとつ食べさせてやりたい、二十円の膳部をつくってくれ、と言われた。二十円なんて料理をつくったことがないので、少しまごついたが、とにかくやって見ることになった。すると江木さんがよろこんでくれる。こんどは江木さんが食通を引っぱってくるという始末で、狭い東仲通りに自動車がたてこんで、巡査に注意される始末だった。

 そこへ関東大地震、僕は地震で美味いものを封じられてしまった人々のためにと、本気になって、芝公園によしず張りの小さい「花の茶屋」という料亭を造った。「花の茶屋」がまた当たって、どこかへ、今少し大きな店を出したら、と言われているうちに、星岡の話があった。建築が気に入って、長尾半平という方の紹介で、藤田謙一氏から借り受けるようになって、あそこで商売することになったわけだ。

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 そんな経験から言うと、営利を離れなければ、ほんとうの料理の味はわからんね。

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 親身になって美味い料理をつくると、それにふさわしい食器をさがすのは人情だ。こういう食器の要求された三百年前の中国の料理は、おそらく、どこの料理よりも芸術的で、しかも、美味かったにちがいない。中国に食器らしい食器のなくなった現在、中国料理が、ただ油っ濃いだけの、味もなにもない不味いものになったのは当然だと思う。

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 なんでも楽しんで好きなことをやる。金を儲けようとか、やれこうやっては損だとか、なんてケチな考えでことをやっては、決して儲かるものでなし、人に認められるもんでもないね。東京のある一流のすしやが新橋にあるが、あそこの主人が赤貝のひもなど洗っている時、しゃあと手を動かし、「今日は市場にいいのがたった二十しかなかったんだが、いいね、さすがに」なんてひとりよろこびながら洗ってる。ああでなくては美味いものひとつだって出来っこないんだし、あれでちゃんと一流のすしやになりきるんだと思うね。

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 巷間ありふれた中国料理を是認してみたり、トンカツという大味なものを食って、なんのいぶかりもなく暮している今の日本人。茶道などというものには、およそ縁が遠い。困った日本になったものだ。

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 期せずして私が健康なのは、食べたい時に、食べたいものを適量に食べるということに尽きる。もちろんそのためには、自分の食欲を素直に感じる訓練がなくてはなるまい。「何が食べたいですか?」と訊ねられて、そのものズバリ即座に答えられるだけの食欲に対する忠実さと正直さである。次はまた、自然に対する素直さである。食べたい時に食べたいだけ……別にお昼のベルが鳴ったから、めしにしなければならぬというようなものではない。

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 山鳥のように素直でありたい。太陽が上がって目覚め、日が沈んで眠る山鳥のように……。この自然に対する素直さだけが美の発見者である。

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 早い話が、生活の根源である食物は、栄養知識の活用がなくてはならない。もっとも、その人の持って生まれた体質によって異なる如く、また、その人の従事している仕事によっても、年齢によっても、食べたい栄養物はちがって来るに相違ない。そこで、自分の食欲を素直に感じる必要が起こって来る。そこから思い思いの料理は塩梅される。


ものの妙を生かすこと

 日本料理はなんと言っても、いかに上手に御飯を炊くかということにあるね。きょうこの頃は、御飯をうまく炊ける人がいない。彼らは、米の持っているすべての内容を、充分に発揮させようとしないのだ。要は知らんからだ。水加減、火加減はするが、肝心かなめの時に、ほかの用事をしたりして、米を腑抜けにしてしまうからだ。彼らは米の味を知らず、価値を知らず、碌でなしにしている。

 なにごとでもそうだが、ものの妙を識り、ものを生かすことが肝要である。


食通

 ある日、山荘を訪れた黒田初子さん(料理研究家)が、土産に持って来たチーズを、私がよろこんだので、別れる時、

「家にまだたくさんございますから、帰ったらお送りしましょう」

 と、言ったので、

「あなたは幼稚だ。自分が星岡茶寮をやっていた時、お客さんに出したものがとても気に入られ、もう少しないかと言われると、台所には腐るほど山と積んであっても、残念ながら、もうございません、と答えていた。そうすると、客はこの食物をいつまでも忘れずにいて、ああ美味しかった、もっと欲しかった、と思うが、サアサアとうんざりするほど持ってくると、あとは忘れてしまうものですよ」

 と、言ってやった。


本末顛倒

 どこのたいは、どんなふうにして、どこをいつごろ食べるといいなんて料理通が言ってたって、台所でかつおぶしを削るかんなのいいのを持っている人は滅多にありませんね。かつおぶしの削り方を知ってたり、かつおぶしのよしあしを見分ける人なんてないもんです。

 そんなたいを材料にするより、薄くよくかつおぶしを削り、それをさっと煮立ててかつおぶしを取り上げてしまう。十円分削ったって、この汁の中へねぎか何か、ちょっと青いものでも入れて出すと、三人前ぐらいの、たいの目玉以上の立派なお吸いものができる。わずかなお金で、こりゃうまいって感心するものができる。それを吸いものはなにか肴を仕入れ、かつおぶしを大切そうに惜しんで使う手しか、料理人だとか料理通なんて奴は知らないから、実際、情けないもんです。


料理のきもの

 料理のきものと名付けても意味に変りはない。料理と食器は車の両輪の如き因縁をもって共に発達し、共に退歩しているものと、私は見ている。一方だけで成立つものではないようだ。この意味から言うと、中国の料理は明代が最高潮を呈していたであろうことが想像できる。(当時の日本では塗りものが発達している。)

 それは中国歴史中、一番食器に適した美しい赤絵、染付、金襴手、青磁など、後年の作家にはつくり得ざる名陶器(食器)が盛んに製作されているからである。よき料理がよき食器を要求したと見なければならない。また一面、当時の中国人が料理の最高水準を理解した結果として、美術工芸中、特に陶器のもつ美しさを発見し、よく料理とマッチさせて楽しんでいたということである。それを日本がお相伴しょうばんして、今に至るもお茶人たちはよろこびあい、賞玩している。さすが美術国日本である。世界中この事実は他に見る能わざる事象であろう。

 しかし、中国の現在は、料理も食器も、書も画も、みな堕落して見る影もない。


色味心経

 世の中は段々と厳しく激しいものになる。なにもかも押し流される。人間は世潮というものに捲き込まれて行く。作家もそれを免れ得ないことになって来ている。

 例えば、ものひとつ食うにも、黙って、静かに、落ちついて食わしてはくれない。

 眼にいろいろの物を見せてくれ、耳からいろいろの音響を聞かされて、食わねばならないのが今の世の中の習わしになっている。古い印度インドの人々は、食事を神聖なものとしていたと、古い書物に書いてあるのを読んだことがある。印度の人たちは受授ということをすべて慎み深く考えていたらしい。授けられるものを受けるという気持、身なり心なりへ、相手方から受け入れることについては、平静沈着な気分を必須なものとしていた。だから、ものを食うにも、静かに落ちついて、ゆっくりと受け入れた。

 私はものを食うのに、古い印度の人たちの気持を尊ぶ。なにも極端に西洋流の賑やかな食事法に反抗すると言うのではないが、なるべくなら、そういう食事を、交際の道具にまで使用するに至った近代風俗は真似たくないと思っている。

 故に私は、家内たちの者とする外に、宴会とか、多人数寄り合ってすることは、断然避けている。私も時々電話などで、料理屋から呼び出しを食うことなどもあるが、みなお断りしている。しかし、先方はなにも決して私を苦しめようとして呼ぶのではなく、華岳の話など聴いてみようという気持からするわけで、つまり好意からのことなのは、よく判っているが、私はそれくらい食事には臆病なので、そういう場には行かないことにしている。


個性なき飲食

 美味いものが食いたい人は、他人に頼らないで、自分の好きなものを自由に選び、自由に食えば、山の鳥や野獣のように本来の目的は達し得られる。食事だって芸術性があるわけである。しかし、多くの人間は自分の好みがはっきりしないようだ。

 食物と言えば、女の仕事と決めてかかり、その無知に後悔しながらも、女房の手料理にあきらめてみたり、愚にもつかぬ小料理に舌鼓を打ち、憚りもなく食物談に興じ、やがて金廻りがよくなり、家を造る段になると、設計を人に頼む。きもの選びまでを「○○屋」に相談したりする。金の使い方まで、みな他人に相談して、平凡に誤りなからんことを希っている。

 こんなのが賢明な常識人とされている。絵のひとつもあがなうとなると、新しい書画さえ買えば間違いはない、古い物は危険だからとて買わない。こんな手合いが常識人で通るほど、今日は個性のない世の中となっている。人生勉強を怠っているからではなかろうか。


食物の理解

 料理も王者の根性が大切だ。ラジオ・テレビに現われる粗末な料理では、しみったれた、つまらない人間ばかりが生まれるだろう。それが心配になる。

 およそ生きとし生けるものは、食餌に充分な理解が入用だ。獣も鳥も魚も虫も、みな相当に理解しているようだ。立派な人間は立派な食物を理解しなければ、不見識のそしりは免れまい。


わが典座教訓

 とにかく、隠れた所をきたなくしておかぬように厳重に言い付けておくのです。なべもきれいに磨かせて、流し下をきれいにしておけば、そこを流れるごみもきれいに見えるようなものでしてね。塵箱などもやかましく言って、ごみを捨てる所だという考えを持たず、食器などと同様の心持で取り扱わせているのです。

 それから、なによりもまず第一に、私は料理人の個性を重んじ、人格を尊んで行くことが大事だと思っていますんです。でなくてはよい料理は出来やしません。周囲を清潔にして、その中に美しい人格をはぐくみ、そして、心からの美しい料理をつくらせたいと思っているんですがね。ですから、料理人なども一年も経ちますと、みな変ってきますね。目の付け所も大分変って来ます。

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 結局、われわれも茶寮を経営して行かねばならなかったので、利益を度外視して、ものをすることは絶対出来ませんでしたが、われわれがほかと少し違うところは、その経営法が大雑把で、大所高所から見た、すなわち、急がば廻れ式のソロバンをはじいていたことなんです。ふつうの家では一人前五円なら五円の中になにもかも弾き込んで、損をせぬように、儲かるようにとするんですから窮屈な話でして、一々なにがいくら、かにがいくら、と値段が付いていて、漬けもの一皿まで勘定書にのって来ます。ですから、結局様々な追加予算をさせられて、帰りには高いものを食べたことになっちまいます。漬けものなんかは出し惜しみせず、大きな鉢に盛って出して置いたらよさそうなもんですがね。なんでも、大名気分で、して行かなきゃダメですね。気持が卑しくてはダメです。家の料理人などにもよく言い付けておくんですよ。経済上のことはこちらで責任を持つから心配するな、品がよければよいのだ、腕が冴えればよいのだ、と言って聞かせるんですよ。一々細かなソロバンを弾いていたのでは、よい品が目の前にブラ下がっていても、手が出せませんからね。一年全体の見当で行けば、いくらでも融通が利きます。やはり、何事も見識で行かなきゃ嘘ですよ。

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 うちらでもよく板場や女中たちにと言ってお客さんからお祝儀が出ますが、受けとらないことにしています。しかし、止むを得ない場合は帳場で受け取っています。だが板場にも女中にも、月々決めてあるもののほかは決して取らせないことにして、その代り、一切の費用はみなこっちで持って、生活に不自由のないようにしてあります。余計なものをもらうという頭があっては、料理が出来なくなってしまいますからね。女中でもそうです。さもしい心を抱かせると、人格が下劣になってしようがありません。出張に行った時なども、よく先方で丼ものなど取って食べさせるようですが、食べて来るなと言ってあるんです。自分の腕以下のものを食うなんて、そんな不見識じゃ料理人としてダメだ。腹が減っても食わずに帰って来いと言ってやるんですよ。ですから、とにかく気持のよい男には成って行きますね。こうして朝から晩まで叱言こごとの言いづめのようにギュウギュウやっつけて行く裡に、ものが解って来て、恥を知って来ます。そして、ひとつの見識が出来て来るので、つまらない料理人たちの仲間入りをしなくなって来ます。そこをもうひとつ通り越して、こなれて来ると申し分ないんですが、まあ、若い者に、そこまで望むのは無理でしょう。

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 金の使い方だってそうなんです。初めのうちは絞りの帯などをダラダラ巻きつけて見たり、馬鹿に高価な下駄を穿いてみたり、下らない所に金をパッパッと捨てるように使いますが、段々趣味が高尚になって来て、生きた使い方を覚えて来ます。金なぞというものは、自分にも他人にも役に立つ使い方しなくては……。溜める一方では駄目ですよ。……それから、どうせ私どもはとか、われわれ階級はとか、直ぐみな言いますが、あれがそもそも悪いんですね。自分から卑下するなんて、そんな馬鹿なことがどこにありますか。あんなことを平気で言っているのを聞くと、腹が立って来て殴りたくなりますね。自分の尊いことを知らないで何が出来ますか。

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 インテリの料理の話ほど当てにならぬものはありませんよ。O氏なんかこんなことを書いているんですよ。稲荷ずしのことなんですがね。「世の中にはふしぎなすしがある。酢を使わずにつくったすしがある」なんて、出鱈目も徹底しているじゃありませんか。K氏の本の中には「東京の料理屋はすっぽんを料理するには、すっぽんに布巾ふきんくわえさせて、頭を引き延ばして首を落として庖丁する」などと書いてあるので、東京中の料理屋がみんなそんなことをしているかのように聞えますが、どこで見ておられたか知らないが、東京の料理屋には、そんなことをする家は一軒だってないだろうと思う。そんなことは、やはり、K氏がやられるくらいのものでしょう。またK氏がご自慢ですっぽんを煮られたとかいう東京のある家の奥様が、すっぽんは三時間も四時間も煮なければ、ほんとうに美味くないと言われたとかありますが、五分か十分煮ればいいのです。それじゃドロドロに溶けてしまって食べられますまい。とにかく、インテリは頭で知っているだけで、心細いことおびただしいもんです。中国の本なんかが読めるので、聞いてもなんの役にも立たぬむずかしいことばかりを羅列してあるに過ぎない場合が往々ありますね。


明けても暮れても、ただもう美味いものばかり食って能事終る私の人生

 私から見ると、一流料理屋の主人だからとて、美味いものばかり食っているのではない。世に聞えた食通というもの、これらの人たちとても、また美味いものばかり食っていないのである。

 天下の富豪と言われる金には不自由のない岩崎でも、三井でも、好き嫌いの自由こそ与えられてはいようが、美味いものばかりを食っているとは言えない。これらの事実をほぼ知っている私は、自慢するではないが、私だけが事実上日本一の美食大家だ……などと考えることがある。過去五十年の人生において美食に関するかぎり、この人にはかなわない……と感じたことは一度もない。

 食通という人、あるいは、美味いもの食いで自慢の人たち、実を言うと大抵は怪しいものである。『美味求真』の先生、『食』の先生、新聞記者で有名な○○先生、老文学博士の○○先生、医学博士の○○先生、ずっと以前のことでは、食道楽の○○先生、学校における割烹の先生、料理屋の主人、板前、ラジオの放送料理、これらみながみなまで知り切っているわけではないが、私の今日までに知るかぎりでは、押しも押されぬというだけの美食家は、まずひとりもないようである。

 たまたま食通と言われる人たちも、大抵は下手物通というところであって、その志すところはおおむね低い。そして、その知るところは凡食の一部分に過ぎない。つまらないことを騒ぎ立て、高の知れたことを、大袈裟に、はやす向きの多いことを否定するわけにはいかない。世間多くの人で美味いものを食いたいと言うのをあばいてみると、真にたわいないものばかりを指している。

 好きであるなら、深く吟味して、最高的に美味いものを食って退けるだけの精魂があってよいと思われるのに、大概はそうでない。だらしのない望みに夢を見ながら、大口利くふうがある。

 昔から言う色気と食い気という問題、色気の方はしばらくおき、食い気に徹することだけでも容易な業でないと見える。況んや調理割烹となっては道理にかなわぬことばかりである。

 宇宙間に存在する自然の理法など知る者は、調理人にはひとりもないようである。せっかくの天産物も、無知のためにもったいなく殺してしまうか、余計なことをして、愚にもつかぬものにしてしまうか、どちらかである。それは調理人が無学か、生もの知りか、いずれかに原因している。それらの事情を知らない人たち、それらから学び、それらから覚える素人料理、それには理法に徹したものがあろうはずはないのである。理法と調和に未熟な料理、それに美味はあるはずがないのである。

 栄養研究者などの料理が、調理に無知にしてよき割烹が出来ないのは、そこに因があるのである。栄養食研究は、今後調理に深い関心を持つ篤学者が出て、いわゆる、一流の調理人以上が出て、栄養研究を進める道を講ずべきである。それでなくては完全な栄養食というものも生まれずじまいに終るであろう。

 こんなことを私は常によくしゃべるものの、実を言うと食物に精通するということ、なかなか考えものである。

 現に私は自分の家以外の食物は、楽しく美味く食えない現実にあって苦しんでいる。人にご馳走してもらう楽しみなど、もとよりあろうはずもなく、楽しみであるべき旅行も不愉快になることが多い。つまり、宿屋の食物などは、てんで食えないからだ。一流の料理屋とて大抵はいけない。これは食えない。あれは美味くないと、一々人の楽しむところに楽しめない憂き目は、あたかも過去における美食過剰の罰であるようにつきまとう。ものを知り過ぎるということも考えものである。

(昭和二十八年─三十四年)

底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社

   1980(昭和55)年410日初版発行

   1995(平成7)年618日改版発行

   2008(平成20)年515日改版14刷発行

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2013年514日作成

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