山椒魚
北大路魯山人
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ひとつ変ったたべものの話をしよう。
長い間には、ずいぶんいろいろなものを食ったが、いわゆる悪食の中には、そう美味いものはない。
「変ったたべものの中で美味いものは?」
と問われるなら、さしずめ山椒魚と答えておこう。
山椒魚を食うのは、決して悪食ではないが、ご承知のように山椒魚は、保護動物として捕獲を禁止されている上に、どこにもいるというものでないから、滅多に人の口に入らない。その意味から言って、山椒魚は文字通りの珍味であると言えよう。
でも、私が山椒魚を珍味と言うのは、単に珍しいという点ばかりではない。いくら珍しくとも、美味くなければ珍味とは言えない。世の中には珍しがられていても、美味くないしろものがいくらもある。ところが、山椒魚は珍しくて美味い。それゆえにこそ、名実ともに珍味に価すると言えよう。
大分前の話になるが、旧明治座前の八新の主人が、山椒魚料理の体験談を聞かせてくれたことがある。その話の中で、
「山椒魚を殺すには、すりこぎで頭部に一撃を食らわせるんですが、断末魔に、キューと悲鳴をあげる。あの声は、なんとも言えない薄気味悪いもんですな」
と、心から気味悪そうに語った。
中国の『蜀志』という本には、
「山椒魚は木に縛りつけ、棒で叩いて料理する」
と出ているということであるが、山椒魚の料理法など知っているものは、そういないだろう。私も初めて山椒魚を料理するときには、この話を思い出し、その伝でやってみた。
震災前のことだから、大分古い話になるが、水産講習所の所長をしておられた伊谷二郎という人が、山椒魚を三匹手に入れたというので、そのうちの一匹を私に贈ってくれたことがあった。二尺ぐらいのものであったろうか、大体がグロテスクな恰好をしているし、肌もちょっと見は、いかにも気持の悪いものであるが、俎の上に載せてみると、それほど気味悪くは感じない。ガマのような嫌な気はしない。
八新の主人公の伝で、頭にカンと一撃を食らわすと、簡単にまいって、腹を裂いたとたんに、山椒の匂いがプーンとした。腹の内部は、思いがけなくきれいなものであった。肉も非常に美しい。さすが深山の清水の中に育ったものだという気がした。そればかりでなく、腹を裂き、肉を切るに従って、芬々たる山椒の芳香が、厨房からまたたく間に家中にひろがり、家全体が山椒の芳香につつまれてしまった。おそらく山椒魚の名はこんなところからつけられたのだろう。
それから、皮、肉をブツ切りにして、すっぽんを煮るときのように煮てはみたが、なかなかどうして、簡単に煮えない。煮えないどころか、一旦はコチコチに固くなる。それから長いこと煮たが、一向やわらかくならない。二、三時間煮たが、なお固い。
ともかく、長いこと煮て、ようやく歯が立つようになったので、ひと口食ってみたら、味はすっぽんを品よくしたような味で、非常に美味であった。汁もまた美味かった。
すっぽんとふぐの合の子と言ったら妙な比喩であるが、まあそのくらいの位置にある美味と言うことができようか。すっぽんも相当美味いが、すっぽんには一種の臭みがある。山椒魚はすっぽんのアクを抜いたような、すっきりした上品な味である。
きのうの味を忘れかね、次の日また食ってみたら、一層美味いのにはびっくりした。長いこと煮てなお固かったものが、ひとたび冷めてみると、ふしぎなことに非常にやわらかくなる。皮などトロトロになっている。そして、汁も翌日のほうがはるかに美味い。
その後、機会を得ず、絶えて久しく食わなかったが、偶然のチャンスで、日本橋の山城屋に山陰かどこか、ともかく、あの辺のものが三匹手に入ったという情報を耳にしたので、早速そのうちの一匹を買い受け、前と同じような手順でやってみた。こんどのは前よりは大きく二尺余りもあったろう。
例の伊谷氏や美術学校の正木直彦氏はじめ物好きな人々を十人ばかり招待して、その山椒魚をご馳走したわけだが、この時も前と同じように、なかなかやわらかくならない。物好きな客人たちは山椒魚を料理するところを見たいと言い、みな集まってから料理を始めたので、結局ご馳走するのは、大分時が経過してからであった。だが、それがために充分やわらかいとは言えなかった。しかし、いずれの面々も、山椒魚の料理を非常に美味がって、お代りしたほどであったが、以前と同じように、やはり、翌日のほうがやわらかく、味もずっとよかった。三回目は鎌倉の自宅で食った。これは出雲の人から贈られたものだが、なんでも山口県の山中で捕れたものだと言う。聞くところによれば、あの辺の人は始終食っているとのことで、山椒魚料理は必ずしも珍しくないと言う。
その時の話では、土地の人はたまさか山椒魚を山道で見付けると、その場で焼いて食うのだと言う。おそらく塩か醤油をつけて食うのだろうが、山椒魚は山にも登るものとみえる。さて、この時は大阪でも一流と言われる骨董紳商の面々にご馳走したのであるが、なんでも知っていそうな通人の多い骨董屋にもかかわらず、誰ひとりとして山椒魚の味を知っている者がなかったところをみると、やはり、山椒魚は珍味であるだろう。
参考までに料理法の大略を述べれば、まずはらわたを除いたら、塩でヌメヌメを拭い去り、一度水洗いして、次に塩を揉み込むようにして肉を清める。こうして再び水洗いして、三、四分ぐらいの厚さの切り身にする。汁は酒を加え、丸しょうがとねぎを入れて、ゆっくり煮る。
山椒魚は肉も美味いが、ゼラチン質の分厚な皮がとびきり美味い。すっぽんで言えば、あのペラペラしたところに当るわけであるが、それよりモチモチしていて品の高いものがある。
山椒魚を裂くと、山椒の香りがすると書いたが、この香りは、なべに入れて煮ていくうちに、段々消え去ってしまう。
ところで、鎌倉でやった時にも、客に出すまでに充分な柔らかさに煮ることができなかった。
こうした数度の経験によってみると、晩餐に山椒魚を食べようとする場合には、朝方から煮るようにするのがよいだろう。
「山椒魚の料理としては、先ず籠の中に入れ、外より熱湯をそそぎかけて熱殺し、皮を剥ぎ、肉を割く方法を取るのほかなし」
などと、もっともらしいことを言う者があるが、そんな馬鹿げたわけのものではない。
つい最近の話をつけ加えておくと、昨年松江の知人の家を訪ねた時、山椒魚が偶然にも三匹ばかり手に入り、大いに美味く食べたことがある。その時は、すし屋久兵衛が居合わせた。勉強熱心な彼は、
「是非私に庖丁を持たせてくれ」
と懇願するので、
「ではお願いしましょう」
と料理方を頼んだ。なにしろ奇っ怪な山椒魚なので、豪気の久兵衛も初めのうちは、ガタガタふるえて気味悪がっていたが、意を決して一撃を食らわし、とうとう三匹とも料理してしまった。
その時も、山椒の芳香が客間まで届き、ずいぶんと風情ある趣きを添えたことを覚えている。
底本:「魯山人味道」中公文庫、中央公論社
1980(昭和55)年4月10日初版発行
1995(平成7)年6月18日改版発行
2008(平成20)年5月15日改版14刷発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年8月20日作成
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