故郷を辞す
室生犀星
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家のものが留守なんで一人で風呂の水汲をして、火を焚きつけいい塩梅にからだに温かさを感じた。そして座敷に坐り込んで熱い茶を一杯飲んだが、庭さきの空を染める赤蜻蛉の群をながめながら常にない静かさを感じた。空気がよいので日あたりでも埃が見えないくらゐである。となりの家の塀ごしに柘榴が色づいてゐる。まだ口を開けてゐない。この間まで花が着いてゐたのにと物珍らしげな眼をあげてゐると、灰ばんだいろをした小鳥が一羽、その茂りの枝を移りながら動いてゐる。わたしは茫然とそれをながめてゐるうちに、穏やかな日ざしがだんだんとなり家のひさしへ移つてゆくのに気づいた。
門前の川べりへ出て見ても、毎日眺めてゐる山山の景色にも痩せた皺や襞をもの侘びしく眺めた。怒つたあとのやうな疲れが山肌に見え、とげとげしさが沈んで見えた。川の瀬も澄んで鮎屋が昨日もつて来ての話では、もう下流でないとゐないと言ひ、このあたりにゐるのは若若しく寂びてゐないから味さは味いが、かぞへる程しかゐないと言つた。九月の終りころから鮎は寂びたが、十月になつてから一さうさびしく寂びてしまつた。この夏は門の前の瀬に網を打つ漁師を呼んで、毎日のやうに鮎を食膳に上したものであつた。春浅いころまだ一寸くらゐの鮎をながめてゐたわたしは夏深くなるごとにかれらの育つて行くのが眼に見えた。美しい柔らかい肌をしてゐたかれらが、もう卵を胎んで尾の方から黄ろくなりかけてゆくのや、荒い瀬なみを抜けきることのできなくなつてゐるのや、流れを下るだけで上ることのないのを、何かやはり人情の中のものにくらべながら思ひ出したのであつた。
季節はもう二度の秋をわたしに送らせてゐる。わたしは田舎にあいてしまつたが、さて此の田舎を後にして東京へ行つても、又田舎を慕ふやうになるだらうと先き先きのことを考へ、やはりもうしばらくゐようと思つてゐる。田舎では古い旧友がたづねて来たり、その旧友が昔と変つて人なつこさうに話しこんでゐるありさまをみると、わたしの方が余程冷淡になつてゐることに気づいた。旧友はそのころの友だちのだれかれの暮しや、その立身出世のことを話しながら幼時の忘れがたい昔語りに熱心ではあるが、わたしは自分のことも人事のやうにきき流す張り合ひのない聞手になるくらゐであつた。そしてしまひにはそんなむかしの事などはどうでもよいといふ気になり、黙つて返事もいいかげんにして了ふのであつた。旧友はそんなことに気づかない。たまに訪れた故郷の有様や移変や人情について縷縷として尽きるところがなかつた。わたしはさういふ人情に一と月に一ぺんくらゐ出合つては、しまひには煩さく物悲しくなるのだつた。そればかりではなく、さういふ人人と一しよに食事なぞしなければならない破目になると、わたしはやはりめぐり合うた旧友のために、不幸な半夜を送らねばならない自身のことを、頼りなく又限りなく厭はしく感じた。
故郷というものは一人でやつて来て、こつそりと夜の間か昼の間にぬけ出てかへるところであつた。そして訪ねたいとか逢ひたいとか考へてゐる人に、ふいに会へばともかく、さうでなかつたら実にさりげなく見過すべきであつたらう。わたしのこれまでの経験ではいつも二日か三日くらゐ逗留してゐて、そしてぬけて出るのであつたが、かうして落ちついてゐるうちに、古い人情のこだはりが何の刺戟や新しみなくくされかかつて、妙にくろずんだ柿のしぶのやうにわたしの心を染めてくるのに、物憂いながらわたしは気づいてゐた。しかしわたしはそれさへ面白いこととして暮してきたのであるが、このごろではその柿のしぶがつやをふくんで、消すこともできずにくすんでしまつたことが、何やら気がかりになるのだつた。むかし対手にしてくれなかつた人人までが、いくらか表面だけらくに見えるわたしの暮しを訪ねてくるのにも、軽膚な人世のことが窺はれその気もちは解りながらも、さういふ人心には悒せくも物悲しさをあぢははずにはゐられなかつた。わたしならそんなことはしなかつたらうと思はれるほど、そういふ人はわたしの向ふに坐つて扨てさまざまな物語りをしながらそれにも拘らずわたしを悲しくさせた。かれらの情熱は凡て一しよに手を拍たねばならぬ強いた情熱の種類で、事古りたさもしいむかしがたりである。わたしはそれに聞きあきた。そのためにもどれだけわたしが一人で思ひふけらうとしてゐる昔の景色や人情を、その故にめんどうくさくなつて思ひふけることができなかつたかも知れないのである。
「むかしの友だちなんてものは停車場で会つてすぐ別れた程度のものがいいではないんですか。つまりはつとしてゐるうちにすぐにわかれてしまふのが本統らしくていいですね。」
わたしはいつ日かう言つてみたが、対手の人はそれでは呆気ない、人間はそんな風な考へをもつやうになつてはならぬといふふうに、自らをいましめるやうに旧友は言つた。だから、わたしはしかたなしに話の通じないのを幸ひにして黙つてしまつた。
このごろ殊に国へかへつてから、わたしにはわたし自身の好みといふものに或る偏屈を感じ出して、偏屈な人間はその偏屈であるためになほかつ偏屈にならなければならないことに、その意識を強めることが少し美しくない気がし出した。自分は孤独だからと言つてその説の中にをさまりかへつてゐるのは、ざくろが熟さず割れないで腐つてしまふやうなものだと思へた。わたしもその中の一人で、文壇人とは交渉をもたずそれに自らも遠ざかり、そして少少偏屈であつたが、そんなことの下らなさがつくづく思はれ出した。他人とつきあふこと、それが同じい仕事をしてゐる人人の場合では、あんなに退屈な、むかしばなしの友だちよりどれだけ増しだらうと思へた。すこしの心のこだはりなしに平気で同じい仕事をしてゐる人人と話をするのは、へんくつ故に無理に孤独の型にはまり込んでゐるよりどれだけいいか分らなかつた。へんくつそのものもそれが余り永い間持ち合してゐたら、しまひにはそのまま枯木の蔓のやうに曲りなりに固まり、何のおもしろみも無くなるだらうと思へた。と言つてわたしが田舎にゐて文壇のことを思慕するのではない、これまで余りしばしば意識しすぎて孤独と偏屈だつたことに気づき、そしてさういふ考へには自分乍ら賛成できないものがある、きまりわるい感じさへするとさう考へたからであつた。人間の中で一番わるいみにくいものがあつたら、それは「見え透いた」ことを平気で遣つたり故意に遣つたりする感情の人人のことだらう。ほんの少少でも「見え透いた」感じのするのはまだぬかつた一点をみるやうでいいものだが、一瞥の後にすぐくる「見え透いた」ものは一番わたしにはきらひでもあり不愉快であつた。その見え透いた「孤独」や「へんくつ」がやつとわたしには怠怠しい古い日記をひつぺかすやうに過去の雲や霧の中に見えてきて、その根ざすところに不賛成をしたのだつた。
自体孤独などといふものはいつも一人でやつて来て、またいつの間にか一人でさういふ心をかたちづくるものだつたらしく、わたしは意識しないでぽかんとしてゐる時間の己れを割合に好んでゐた。人好きしないからとか自分の性分は人には不向きだとかいふのは、その人がやはり孤独といふ英習字を何となく勉強してゐるやうであつた。勉強はわるくはないが、そのために「偏屈」の「人目知り」になるのは、わたしにはだんだん厭はれもした。自分では止めたいと思つた。当然しづかに話をできる素質をもちながら、わざとその人生の外がはに僻見してゐるのは耐らなかつた。なんでも平気の平座でひと中へ家にゐると同じい心がまへで出られぬものかと思つた。おそらく枯淡とか蒼古とかいふ言葉はさういふ意味のものを言ふのだらう。ずるい人間のしあしあと人中を歩いてゐるのと、心塊のきたへのきいたために平気で談笑してゐるのとは、やや一致しないではないが、ずるい人間のそのしあしあはすぐにぼろを出してしまふし、後の者は出るにもぼろがないから対ふ人はその美しい枯淡をかんじるにちがひなからう。山沼に住んでゐて存外世間にふれない人間が平気で何んでも考へてゐることを言ふのも、やはりわたしの言ふところの境にあるものだらうと思つた。そのかはり同じ山間にゐるものでも喋れないものは始めから一言も云へずに口籠つてしまふ。つまりその二人の美の微妙さは誰の中でもあるが、それらはやがて同じ枯淡のあぢはひを含んでゐるに違ひないと思はれた。
この間わたしは閑暇のあるのにまかせ、或る川べりの上流にある川料理屋へ行つて友だちと昼食をたべた。そこは小さい山のふもとと浅の川といふ流れとに挟まれた風雅な川料理店であつた。泉滴ところどころに起り、配石はみな青い苔につつまれてその苔の匂がした。そして庭には離れが四つくらゐあつて、客と客との話しごゑがやつと樹の間に聴えてくるくらゐであつた。秋のことだから落葉が散らばつてゐることは言ふまでもない。とにかくわたしと友だちとは離れの中で川魚で飯をたべてゐた。そのとき突然に苔の上に落ちたものがあつた。見ると青い野梨の実で、尻肥りにいがんだかたちをしてゐて、まんまるい梨ばかり見てゐたわたしどもには、先づそれが梨だか何だか分りかねるやうな気がした。
「こんな変な梨をみたことがないよ。まるでゆがんでゐる。」
わたしは泥をつけたのを拾ひ上げ、そのかたちを珍らしがつた。南蛮轡型などといふ水指によく似てゐた。
「野木の梨にはよくそんな奴があるものだよ。とにかく、いいかたちをしてゐるね。」
友だちもそれを珍らしがりわたしは床の間の板じきに据ゑた。そして床の間に或る野趣とも銘すべき調和をさへかんじたのだつた。わたしだちはそこで昼飯をしまつてから、十五六本くらゐある松の木のある入口まで送つて出てきた女とわかれ、落着いたいい料理屋だなと言ひ合つた。が、途途どうしても梨の実の尻ふとりにゆがんだ形が忘られなかつた。あれも手入れをしないで孤独でゐたものだから、歪んだなりに固くて歯も立たないで、そしてたうたう軸がくされて落ちてしまつたのだらうと思つた。地べたに落ちた柔らかくてふしぎに肉体的な音だけを考へても、もの言へぬ寂莫がこもつてゐるやうで、ああいふ音を一年に一度か二年に一度くらゐしか聞くことのないわたしには、全く幼稚なまでに深い感興があつた。しかも彼の形といへない奇体な形、孤独でゆがんでしまつたのだらうかと思ふと、わたしは何か知ら、ゆがんだ、ゆがんだ、とさう言つてそこらに呀を返す大声に呼んで見たいやうな気がした。しかも対手はどこか病的な感じのする梨であつた。なし、ありのみ、わたしは口のうちでかうつぶやいて見て、これは木の実のなかのよほどの陰気ものだなと思つた。
その日から一週間ほどあとに、卯辰山といふ山麓にある古い料理屋の、いまは廃業してゐる庭を見に行つた。自分の好きな料理人がゐないのでそれきり料理屋の方を廃め、好きな茶を飲んで遊んでゐるそこの老人は、一見老齢ではあるが、きかぬ気立の、渋い、むつつりした茶人であつた。庭はひと口に言へば石と苔との庭であつた。一切が茶庭の風色で、しき石のまはりには深深と密着した百年の苔が、大方、わたしどもが行くために打水したのであらう、水気をふくんで清らしげに見えた。灯籠も古い石仏を刻んだのが隅隅の目立たぬところにあり、立木は松ばかりであつた。どこまで行つても石と苔と、あるひは七八本の篠竹のそよぐくらゐのものであつた。
主人は狭い茶室の中から声をかけた。そして黒い襟のついた四十がらみの、まだ、ほのかに明るい色艶をもつた女房らしい人が、奥庭へわたしたちを呼びに来た。主人は七十いくつかであるのにと、わたしは或る注意を惹かされた。その人がしき石づたひに行くうしろ姿が老いてはゐるが、纏つた美しさがあつた。茶屋へ行く厠のそとがはに、筧の雨垂れ落ちに黒い玉石が十五六粒と、そこから一尺ばかり離れたところに五つの小石を積んで飾つてあるのに二三本の竹がむら立つてゐるのが、目を惹いてならなかつた。なんでもないのにさういふ雨垂れ落ちを古くとり統べた心が、細かいところはどこまでも微かく行つた茶庭の精神を、しぶさ以上のしぶさで感じた。
「木槿が庭にあるものですから大へんよろこんでゐます。」
さういふ主人は、かくしやくたる老人であつた。その顔色に古備前の強さをかんじたくらゐだつた。床の間の竹筒には二花の白い木槿にわれもかうの花をつん抜かして生けてあつた。わたしは茶の飲み方を知らぬ故をもつて辞退したが、かまはないと言つて一服を立ててくれた。主人はたぎつてゐる釜の湯へ新らしい一杯の杓の清水を入れ、その杓で湯の中をしづかに廻して、そして茶器へその湯を移した。お茶はうまかつた。主人はやはり七十で、そして朝夕庭へ水をまくことと、茶を入れることとで日をくらしてゐると言つた。うすぐらい茶室の床の間の横の明りとりの板に、古い猫が一疋、香箱をつくつてゐたが、だんだん時がうつつてからやつと室のくらさに慣れてから、それが描いた猫であることが分つた。
そのうちに窓から入日が松の枝越しにこぼれて来て、蛍のやうにまんまるく古藤表の夏しきものの上にあつた。十月であるに座ぶとんを出さない古藤の上で、わたしは足にしびれを切らした。茶道また難いかなとさう思つた。が、久しぶりに飲んだ一服の茶の味は永い間気のせいもあらうが気もちをさつぱりとさせた。若いみそらであるために、なほ、こんな暮しに目を驚かせることが嬉しかつた。庭にも夕日がちらついてゐる。──しかも灯籠にからんだ美男かつらの赤い実が一しほ赤く冴え、しんかんと落ちつき払つて見えた。これだけの広さの庭を朝夕手入れをするとなると、二時間くらゐの時間が朝夕に入るだらう。それに茶の道具とか、生け花とか、いろいろな時間があつて、この老人は一日たつぷりした暮しだなと思つた。決してひまではないと思へたが、しかしその心もちは一人きりだらうと思ふと、こんな暮しをする気になれぬが、あこがれは充分もつてゐるわたしには暫く心を沈鬱にさへした。
この茶人の庭には石印の形をした銅の支那の灯籠があつた。あたまは唐獅子の銅作りであつた。が、或る朝その唐獅子の頭が失くなつてゐた。あとで附近の乞食が持つて行つて獅子を砕いて鋳物屋に売り飛ばしたことが分つたので、老人はその砕けたのを八方へ手分けをして集めた。乞食は一と処にまとめずに三ヶ所ばかりの鋳物屋へ売つてあつた。老人は之を先きと同じい石印の形に鋳なほさせ、切角緑青を吹いた古銅の古淡さを慕つてゐたさうである。
かへりに玄関さきの石の上に立つたときに、さつきの女房らしい老艶な女のひとが、船板づくりの腰板のある戸口で、しとやかに一揖をした。わたしは世に拗ねた暮しの中にも、その友を呼ぶ魂をさりげなく見過した。山を下りてから或る茶店で此の茶人が市中に若い女を囲うてゐることなどを聞いて、何となく茶道は色道に通ずといふ気がしきりに感じられた。
けさ起きてみると門前の流れが肌身に沁みてうそ寒く、通り過ぎの霰が落葉とともに板塀の際に吹きよせられてあつた。山はすつかり白くなつてゐる。──やはり東京へかへることにしやう、とさう昨夜も物うげに音を立てる雨戸のきしみを聞きながらゐた心が、目をさへぎる山の姿や寒流のひびきを見たときに何気なくさう呟やいた。それにわたしが故郷にかへつてからもう二度目の冬になる。──毎日二階にこもりながら訪ふ人もない冬の日の佗びしさは、いくら一人でゐることの好きなわたしにも、一寸耐らない気もちであつた。こちらが降れば東京が晴れてゐる。東京がふればこちらが晴れる。さういふ裏表の気候さへ目に見えて来て、色紙に鋏して造られたやうな東京の町なみの姿が、程よい柔らかい冬の日の表にてらされてゐるのが思ひ出され、そこをぶらぶら用なしの姿で歩くのもいいなと子供のやうに考へられた。新聞や知人の話にも地震の性質がよくなりかけてゐることも安心のたねであり、活動写真を見られるのも楽しみの一つであつた。この田舎では西洋物専属のものは一つきりで、それさへ昼間は客がすくなかつた。黒いカーテンを引くかはりに墨汁を硝子戸に塗りこくつて。その塗りそこねた隙間から人家の屋根石や日かげが透いて見えたりした。写真はたいがい東京で一度見たものばかりだつたが、その写真を半分以上も見てゐないと一度見たことがあるかないかさへ解らないほど、記憶力がなくなつてゐるのに自分ながら驚いたりした。が、霰や雪の音をききながら寒い小屋がけの二階に唯一人きり坐つてゐると、わたしは用なしで、何も世間の事ができなくて仕方なしにさうやつて、時間をつぶしてゐるやうに思はれた。興味中心の通俗小説もかけなければ教師や翻訳や編輯などの仕事もできないわたしは、あひもかはらずさういふとぼけた時間つぶしの外何もすることがなかつた。求めて人を訪ねたことは一年間一度もなかつた。凝乎と見つめてゐると山の上に自分の顔がうつつてゐるやうな暮し方であつた。
町で知り合ひにあふと、まだゐらしつたんですかと言はれた。よくこんなところに辛棒してゐられますねと、さもわたしを気の毒がつて言ふ人もあつた。東京へかへる人を見送つて行つても東京へかへりたく思はなくなつたのが、このごろになつて窓をあけて荒涼な土手の上に荷車のひびきを耳にしただけでも、寂しくなつたのはどうしたものであらう、ひよつとすると少し話がしたくなつたのかなとも思へた。自分自身とは飽きるくらゐに話を仕合つたが、対手がほしくなつたのではないか? さう思つても見たりした。
震災当時こちらにかへつてゐた家族や知り合ひが、みんな引き上げてしまつて、殆ど残つてゐるものはわたしが最後の一人であらう。東京の子供が土地の小学校へ出るときまつてものができるさうだつた。そしてどの親達ちもこんなところで子供が教育ができるものかと言つて帰京して行つたが、その親の心もちもおぼろげながら解るやうな気がした。そんなに異ふかなと考へ込んだりしたが、わたし自身では田舎は空想のちからを減らしてゆくことは実際であつた。これが肉体的にも非性慾的になるやうだつた。ただ自分のからだを大切にしすぎるやうなところが田舎へきてから甚だしくなつた。二週間書かないでゐると百五十目殖え、十日ぶつ通しで書くと百五十目減つた。ぶらぶら遊んでゐて三百五十目にふえたりした。人がよく頭をつかふと疲れるでせうねといふが、わたしは大してそんなことに気をつかはなかつたが、このごろになつて詳しく自分のからだを試験してみて、結局、書かないでゐると肥ることが分つた。雑文六年、わたしは自分のからだをだいぶ虐待したことがやつと此の頃になつて解つた。わたしに取つては一日三食後のビタミンAの服用や、同じく三回の飲料であるポリタミンを用ゐるよりも、やはり悠然と怠けてゐることがからだによいらしかつた。けれども癖づいたこれらの薬品と隔れることができなかつた。これらの薬品にもたよつて見ることは百万の知己よりも大切で、信じることができるやうな気がした。この世のあらゆる薬品に手頼つてみることが、間もなく薬品を用ゐない人と同等の健康さにまで辿る道のりにすぎないわたしの健康は、恐らく後後までもつづくだらう。何となく孤りでゐたがる人間はいつも不健康だとも言へるのだ。それゆえにかれはいつも孤りでゐるのではないか?──
この間海岸へ行つたときに、そこの砂丘の下の松林の中にいまから十五年も前に一人で母親と暮してゐた男が、まだそこの藁小屋の中で達者にくらしてゐるのを見て、当り前のことではあるが慄然とした。かれは実の母親と夫婦のやうな暮しをしてゐたのだつた。その十五年あとも同じい姿をして、暗い炉端からのつそりと立つて唐辛を吊してある櫓の下へ出て、
「やあ。──」
と言つた。
町から四五町隔れてゐて少しばかりの芋畑と、松露掻きで渡世をしてゐるらしいのだつたが、むかしのやうに黒猫までが、炉火の冴える暗い家内にうづくまつてゐた。かれは鯰や鮒を川へ釣りに出たりするほか、めつたに町へも出なかつた。
「こちらに無線電信もかかつたりして賑やかなことでございます。」
かれはさう言つてお世辞笑ひをした。なるほど、砂丘の上には電信局が立つて高いマストから縦横に電線がひかれてあつた。それが海風に鳴つてゐた。わたしがこの海岸にゐたころから見ると、風物はよほど文明くさいところができた。道路や電車も通つてゐたが、併し此の松林の中の家は依然として暗悒な姿をしてゐた。かれの母親はなくなつて今は一人暮しらしかつた。なりの高いかれがこんな松林の中で後の余生を誰とも交渉なしに生きてゆくことを考へると、さういふことに馴れてゐることがかれの孤独を不死身にしてゐるのだなと思つた。
こちらへ来てから小さな庭をつくらうかとも考へて見たが、そのうち、いつの間にか石手洗ひを置き、芭蕉を植ゑ、とくさを石のまはりに植ゑたりした。これはわたしの病ひらしかつた。人間は自然風物を愛するものであるが、もう一度それを自分の所有の中で愛したいものであるらしかつた。自分のものとしての池や植木にまた別な、他山の石でない石を愛するものである。も一つ言へば自然の真似をしてみたい子供らしい考へもあるのであらう。自分は自分だけの世界で小さな自然をいつくしむ感情、自分で自分の心を配して慈しんでみたいのも自然の風物であらう。何も荒涼な山河の風景のみが、絶品だと言へない。わたしはこんな悒せき心持を風流とか云ふものでなく、もつと机上のものとして考へたいやうな気がするのである。机上によい硯や硯屏や凝つたちろりを置く心もちにも近いのである。庭つくりはこせこせした気もちである。頭がいたむ仕事だ。人は却つて庭などをいぢくつてゐる人間はさぞさつぱりした仕事のやうに言ふが、実際は決して然うではない。絶えずあたまがつかはれて疲れてくるものである。庭へ出てゐる間はわたしなど何か機嫌がわるいやうに思はれてゐる。生きた草木を心のままに配しやうとしたりするのは、当然こちらも生きてゐるせいで、大きな地面を対手の仕事であるために思ひにまかせぬ疲れを感じる。一枚の原稿に心血をそそぐ人はあらう。それと庭つくりと同じい心もちだといふこともできるのだ。庭といふものは荒ければ荒いなりに又細ければ細かくえぐつて置くべきであつた。石庭などはやはり一草の悌なくしてそれの味はひを出すべきであらう。
兼六公園内の成巽閣の庭をこの間見たが、後藤雄次郎作の仏を刻んだ六角の石灯籠の姿が大へんに好かつた。古さといひ、胴の瘠せたところ、石仏の彫りなども素的であつた。後藤雄次郎は鋳金家であるが石彫りはだめだらうと言はれたので、かれは即座に引受けた。何代かの旧藩時代のものである。石手洗ひも美事であつた。その下を小さい流れが這つてゐて、茶室の深い庇の下へ流れを引き、雨戸を閉めても冬の夜にもその細流の姿が眺められるやうになつてゐる。わたしはさういふ細かい、夜にも庭のおもかげをつたへた庭つくりの心が、懐しく思つた。庭は一草一木の奇をつくしてあつたが、それよりも一叢のとくさが流れの上手に蒼古として簇生してゐるのが嬉しかつた。そのとくさの一むれの蒼さは末枯れの庭をしつかりと調子を高めてゐた。細流には黒のあぶら石がならべられ、水は音もなく落葉の下からながれてゐた。
廊下づたひの石手洗の水の捌け口に、受け石三つくらゐ盥形の砂利穴になつてゐるところに、鬼歯朶の葉が二枚、重い朝露をふくんで垂れてゐたのに感心した。歯朶はどうかすると野卑でつかはぬものであるが、思ひ切つて垂れたこの二枚の葉の美しさは稀れに見るところだつた。そこにある役石の上に小石三つを載せてあるのも、何とも言へないしやれた面白みであつた。役石の厳格な気もちを柔らげたものであつた。
わたしはもう一度雨戸の内側へながれる流れを見たかつたのであるが、案内する人が急がしたので割愛してそとへ出てからも、冬の夜にその流れを障子一重で感じる気もちはまた別だんであらうと思へた。兼六公園は今は廃れかかつてゐる。手入れの行きとどかないためと俗人の遊びにまかしてあるため、苔や流れに汚ないものが引つかかつて目ざはりであつた。しかし折柄の霰が一と荐りつづいたので、曲水のほとりの笹の葉のあるあたりに、白白とした冬の姿がよこたはつて好ましかつた。わたしは池に望んだ茶店でお茶をのんでゐるうちに、ふと浮んだのは成巽閣も兼六公園も何となく古九谷の感じだと思へた。古び佗びてもどこかに美しい栄えがあつた。備前や伊賀やしがらきではない。また、しのやはぎのやうな一色の寂しさではない。全く古九谷の感じであつた。それさへ、いまは吉田屋あたりの悪いものになりさうに思ふのは、強ちわたし一人ではなからう。くだらない木の灯籠や野暮な棚などを取り廻したあたりや、ほしいままに広げた道路などもそんな必要もないのにさうこしらへてある。名園の廃れてゆくのが目のあたりに錯落として音ある如く感じた。今日の加賀一面の九谷といふものの堕落して天下に悪名をながしてゐるのも、みな名園が古九谷から吉田屋ものになつてゐる証拠のやうに思へた。金と赤絵のいやらしい庄三まがひの九谷を市中の店舗にながめるごとに、わたしはむしろ物憂い嫌厭に似た気もちにさへなつた。
しかし何と言つても兼六公園と別れるのは、わたしが故郷に一年もゐる間に一番深く馴染んでゐるだけ心は惹かれがちであつた。用なしのわたしは何かのついでには此の公園に来て、泉滴の音を聴いたり茶店に坐つたりしてゐたのだつたが、いま此処を去ると思ふと一さう沁沁した気持ちになつた。わたしが噴水のほとりの松の老い木が繁つたあたりに出たとき、霰はまた一と頻り走つて青い苔の上に点点たる時ならぬ梅花を散らした。この地方の苔の美しさは四季を通じて冬の初めが一番色が冴え、そして雪の下敷になつて萌えてゐた。町によくある築地の石垣、または崖や屋根の上の苔など、雪のまだらななかに艶乎して鮮苔の色を深くした。いま、わたしの数歩前の松の根本から一面の苔が烈しい寒さにも劣らずに苔を燃やしてゐる。冬でなければ見られぬ鮮やかな色であつた。
町をつつんだ木はすつかり裸になり、ところどころの庭のある家家には、小盃の絵三島のやうな渋い立木と落葉とにうづもれてゐる。十一月になると庭を掃かうとしない町の人人は、しぐれと霰とに色の変りかけた柿色の庭庭を荒れたままうつちやつて置いてあつた。落葉を叩くそれらの雨やあられの音は、俳句の題の身に沁むにはすこし遅いやうではあるが、全く身に沁みる風景の数数であつた。わたしは柑子の黄ろくなつた庭さきや、茶の花が白く覗いてゐる玄関先き、または累累として実だけ残つて柿の木のある畑地などを見返りながら、寂しいうそ寒い散歩をつづけてゐるうちに、幾たびとなくくさめをするために外套の袖から手を出したりした。ただ一切が心の底へぞつくりと応へる風色である。その木の姿なぞ肌身に映つてくるやうな気がした。濡れた瘠せほそれた枯木の姿の、好ましい立ちすくんだ枝枝が心に触つてくる。……
家へ帰ると門の前に川漁師が二人、川岸づたひに歩いてくるわたしの姿を見て、防寒帽を眼深にかぶつたまま挨拶をした。見ると一人の男は一疋の大鮭を下げてゐる。それが光つて見える。──前の川で今漁れたのだと言つて海苔のやうな濃い蒼い脊中をしてゐる鮭を玄関の石の上に置いた。女の大腿くらゐある腹に朝焼けのやうな紅みが走つてゐて、大きなあぎとがぱつくりと動いた。眼はまだ活きてゐて美しかつた。わたしはその蒼い脊中に矢羽のやうにつつ立つてゐるひれに指をふれた。腹がふくれてゐるところから見るとめすらしかつた。めすの鮭は卵をうみつけるときに、自分の頭で川底の砂利を二尺四方くらゐ穴を掘るさうである。どうかすると、さういふ穴を三つも四つも見つけることがあつて、その中に鮭がじつと泳ぎ澄んでゐるさうであつた。何だか物凄く立派な画布がわたしの心を惹いた。漁師が去つてしまつてからわたしは永い間この美事な魚を感心してながめた。腹の中に二たすぢのすぢ子がうすい袋におさめられ、柘榴のやうに透明な紅い色をたたへてゐた。口の中へ入れると花火のやうにつぶれた。不思議な液体があふれた。むかしのわたしなら「ルビーを食ふ人」とかいふ題で、何かしやれた一篇の詩をかいたらうにと苦笑した。
その晩ひとり二階で寝てゐながら川の瀬の音を聞いてゐると、石垣のきはの深みから今ごろこつそりと上流へのぼつてゆく河の王者の姿を目にえがいた。なんだかわたしの耳もとを忍んでゆく鮭の泳ぐありさまが、瀬なみの荒いところに身をかはすごとに、れいの美しい大腿くらゐあるからだを光らせるのが目に見えた。捕れるとすぐ川原の石で頭を五つ六つやつつけるんですが、それでも中中弱りません、こいつの尾でからだを叩かれたら十日くらゐの痣のやうな赤い痕が残つてとれませんと漁師が言つてゐたことを思ひ出したが、なぜか彼の美しいからだをいぢめすぎるやうで可哀さうな気がした。
門前の川原にこがらしといふ石があつた。黒い肌地にナイフで切れ目をきざみ込んだやうな、岩壁の一片のやうな石だつたが、庭に用ゐられるので珍重がられた。打水をするとその切れ目に水が沁み込んで肌が乾いてもそこだけ湿つたすぢを残してゐる。──わたしはそのこがらしを砂利すくひに頼んで庭へはこばせ、つくばひの中石に用ひたりしたが、打水をしなくともすぢ目がにうのやうに深く割れ込んでゐて面白かつた。それから能登石につくばひを刻ませたりした。とにかくわたしの小さい庭は竹のやうな蘆の穂の出る根元に、一基のつくばひを置く程度の、極めてささやかな子供らしい作りでつくられたが、門前の芭蕉が破れてから近隣の落葉が吹き溜つたりして、掃除に骨が折れた。それに川原の上手に光る国境山脈の雪が妙にわたしを威嚇してならなかつた。庭へ出るごとに雪で塗られた山山がずつと近づいて見え、厳しい冬を眼のあたりに誘ひ脅かした。自分の住んでゐる市街を十五倍にしたものが東京だつた。東京の一区がわたしの町の人戸であつた。そんなつまらないことを能く思ひ出した。さういふわたしの幼稚な考へはともすると十年くらゐ都に隔れてゐたやうな思ひをさせ、そして今更東京に自分の住むところがあらうとなどと思はれた。
「もうおかへりださうですね。」
家主の奥さんがどこで聞いてきたか、芭蕉を束ねてゐるわたしに声をかけた。破れた芭蕉はきれぎれに裂け、芭蕉破れて盥に雨をきく夜かなの句が思ひ出されるほどだつた。水気の多い葉は冷たかつた。
「ええ、もう一年も居たもんですから、そろそろかへらうかと思つてゐるんです。」
奥さんはわたしが来て植ゑたものばかりの庭をながめて、「植木だの石だのはどうなさいますの、お持ちなさいますか。」さう言つて唐棕櫚の葉をなでて見たりした。
「このままにして行きますから、お世話でも面倒を見てやつてくださるんですね。」
「お気の毒さまでございますね、こんなにご丹精なさいましてね。」
わたしはなるべく居抜きにして、根のあるものは動かさぬやうにしたかつた。わたしが去つて枯れても仕方がないが、ゐる間に植ゑかへて枯らすのは耐らなかつた。あつちこつちと借り歩いては其処に自分の心もちを残して去るのも、借家人暮しのいいところだ、それを壊したりなぞするのは気もちを傷つけるも同様だと思つた。紀念につくばひ一つだけを搬ばうと思つた。自分の母方の親しい六十いくつかの、彫りのうまい老人がこの夏彫つてくれたのである。本みかげで蒼みもいくらか色づき、覗きもなだらかで小ぢんまりした手ごろのものだつた。「これだけは持つて行かうと思ひます。」と言つたら、「さうなさいまし、御折角お彫らせになつたものでございますから。」と言つた。
も一つのつくばひは川原の崖に半分顔を出してゐた石で、石質が柔らかかつたが苔が美しかつた。植木やをやつて掘らせたが、掘つて見ると長さ三尺に幅が二尺ぐらゐある大物だつたが、石のまはりに日苔が蒸してゐて美ごとだつたのでこれにも穴を掘らせた。このごろになつて苔はだんだん広がつて、古さも蒼みも好ましくなつてゐたが、これはこのままに置いて行かうかと思つた。その傍に石菖を植ゑたらいいだらうと母が言つて持つてきてくれたのが、いまはよく根づいて緑の葉を水の上に垂れてゐる。ときどき川原から石叩きの羽根の白い奴が飛んで来て、この上に止まつて水をのんでゐた。二階から覗いてゐるわたしに驚いて石叩きはまた川原へ舞ひ戻つて行つたりした。あんなに沢山ある川原の水よりかぽつちりと蒼みがかつて湛へられたつくばひの水を飲みにくる石叩きにも、何か物珍らしげな風情があるのだらうと不図思はれた。
門の前から上流と下流とへつづいてゐる長い土手からの眺望にも、きのふ今日といふふうに濃くなる哀愁があつた。夏は土手の上へ椅子を持ち出して晩涼を趁うたが、いま蕭殺として流れの響に圧せられ石垣に一点の青いものさへなかつた。虎杖の枯れたのに実がついてそれさへ吹き荒まれ、下流の方へ揉まれ込んでゐた。何たる哀愁か?──わたしは石を拾つて川の中へ投げ十分ばかりも遊んでゐたが、二階へ上つて、又土手と川原を覗いてみたりした。
晩、炬燵の上でお名残の意味で、母に泊つてもらふことにした。滅多に泊まらない母はかうして子息が一年もゐる間に泊つたことが、たつた二度しかなかつた。泊ると咳をするためによく子供が目をさますので泊つて貰はなかつた。それ故、泊つてくださいといふと無上によろこんだ。そして今夜は炬燵の上で久しぶりで花札を切らうといふ計画で、むかし覚えた手つきで母が切る花札が、ともすると札が新しいために辷つて切りにくがつてゐるのが、気の毒げに見られた。ぱつちりと二束に切ると手元へばらばらと花札がこぼれた。歯がゆかつたが沁沁と身にこたへるものがあつた。お前、切つておくれと言つて女房へ札をわたした。が、花の約束には少しもむかしと変化つたところがないと見え、細かい役の数数もよく飲み込んで、ちやんと覚えてゐた。唯、負け勝ちにちからを込めることがなく、結果はどうなつてもいいらしいやうに見えた。のろい調子で札をめくるのも年老りくさかつた。
「忘れてゐるやうに思つてゐたが、してゐるうちにみんな思ひ出してくるものだの。」
さう言つて眼鏡をかけた。
が、幸ひ母がよい手がついてめくりにも運があつた。お母さんにしてやられましたねと女房が言ふと、ふふと嬉しさうに笑つて、枯れた手つきで札をあわててめくつて、二枚下の分までめくつてごめんごめんと言つたりした。一年すんだあとで流石に母もつかれたらしく見えた。炬燵ほてりのしたのに柿の冷たく柔らかい汁を吸ふと、一抹のひややかさを感じ、いまさら外があまり静かすぎるのに思はず聴耳を立てた。障子とすれすれに雨戸が閉つてあつたが、そこから三尺ほど隔れて山茶花のとなりの垣根があり、その葉にさはる軽い衣づれのやうなものを耳を併せてみんなが感じた。瀬の音も階下の奥の間には遠ざかつて、その他に何の少しの音すら雑つてゐなかつた。
「雪だね。」
一人が一つづつの柿の汁を吸うてゐたが、少しは積るらしい今年初めての雪の音を珍らしく聞きすました。葉の厚い硬い山茶花に触る音は深深と遠い虫によく似てゐた。しかも北国では雪がふりながらも椽の下でひいひい啼いてゐる虫を聞くことは珍らしくなかつた。椽の下には秋おそい栗の実を川原砂に埋めて置いたりした。
「粉雪だね、あの音は?──」
衣づれは依然としてつづいてゐる。表では下駄の雪を電柱ではたき落す音が手に取るやうに聞えた。あの音もしばらくは聞くことができまいと思つた。もうやすみませう、お母さんは炬燵の間に寝て下さい、夜中に咳が出ると子供が目をさましてこまるからと女房が言つて床をしいた。母は小ぢんまりとちぢこまつて床の中へはいつた。
底本:「日本の名随筆 別巻41 望郷」作品社
1994(平成6)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「魚眠洞随筆」新樹社
1925(大正14)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年12月9日作成
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