まざあ・ぐうす
北原白秋訳
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日本の子供たちに
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お母さんがちょうのマザア・グウスはきれいな青い空の上に住んでいて、大きな美しいがちょうの背中にのってその空を翔けったり、月の世界の人たちのつい近くをひょうひょうと雪のようにあかるくとんでいるのだそうです。マザア・グウスのおばあさんがそのがちょうの白い羽根をむしると、その羽根がやはり雪のようにひらひらと、地の上に舞うてきて、おちる、すぐにその一つ一つが白い紙になって、その紙には子供たちのなによりよろこぶ子供のお唄が書いてあるので、イギリスの子供たちのお母さんがたはこれを子供たちにいつも読んできかしてくだすったのだそうです。いまでもそうだろうと思います。それでそのお話をお母さんからうかがったり、そのお唄を夢のようにうたっていただいたりするイギリスの子供たちは、どんなにあの金の卵をうむがちょうや、マザア・グウスのおばあさんをしたわしく思うかわかりません。
ですが、ほんとうをいえば、そのマザア・グウスはやはりわたくしたちと同じこの世界に住んでいた人でした。べつにお月さまのお隣の空にいた人ではありません。子供がすきな、そうして、ちょうどあのがちょうが金の卵でもうむように、ぼっとりぼっとりとこの御本の中にあるような美しい子供のお唄を子供たちの間におとしてゆかれたのでした。ありがたいお母さんがちょうではありませんか。
そのグウスというおばあさんはいまから二百年ばかり前に、その当時英国の植民地であった北アメリカにうまれたかたでした。そのおばあさんに一人のちっちゃなまご息子がありました。おばあさんはそのまご息子がかわゆくてならなかったものですから、その子をよろこばせるためにその子のよろこぶような、そうしてその子の罪のない美しいお夢をまだまだかわいいきれいな深みのあるものにしてやりたいのでした。それでいろいろなおもしろいお唄をしぜんと自分でつくりだすようになりました。やっぱりその子がかわいかったのですね。
それも初めはただなんということなしに節をつけておはなししたり、うたったりしたものでしょうが、そうしたものはどうしても忘れやすいものですから、また覚え書きに書きとめておくようになりました。そうなるとまた、そうして書きとめておいたのが一つふえ二つふえしていつかしら一冊の御本にまとまるようになったのでしょう。
そのおばあさんの養子にトオマス・フリイトという人がありました。この人は印刷屋さんでした。で、そのお母さんが自分の息子のためにうたってくだすった、そうしたありがたいお唄を刷って、自分の息子ばかりでなく、ほかのたくさんの子供たちをよろこばしてやりたいと思ったのでした。それでこのマザア・グウスの童謡の御本がはじめて刷られて、ひろく世間によまれるようになりました。それは西洋暦の千七百十九年という年で、時のイギリスの王さまはジョウジ一世ともうされるおかたでした。
で、このマザア・グウスの童謡はずいぶんと古いものです。古いものですけれど、いつまでたっても新しい。ほんとにいいものはいつまでたっても昔のままに新しいものです。考えてみてもその御本がでてから、イギリスの子供たちはどんなにしあわせになったかわかりません。その子供たちがおとなになり、またつぎからつぎにかわいい子供たちがうまれてきて、またつぎからつぎにこのお母さんがちょうのねんねこ唄をうたって大きくなってゆくのです。それにこの御本がでてからしあわせにされたのはそのイギリスの子供ばかりではありません。イギリスのことばをつかっている国々の子供はむろんのことですが、世界じゅうのいろいろな国のことばに訳されていますので、そうした国々の子供たちもみんなしあわせにされているはずです。それにいろいろ作曲されて、ずいぶんひろくうたわれているようです。ですから、赤いくちばしと赤い水かきとをもったがちょうのおばあさんがおいすに腰かけて、おなじような赤いちっちゃなくちばしと赤いちっちゃな水かきとをもったちっちゃながちょうをおひざにのっけて、赤い御本をひらいている画のついた表紙のや、三角帽のリボンに鵞ペンをさしたおばあさんがテエブルの前に腰をかけて、なにか書いていると、そのそばから大きながちょうがくちばしをあけて、針の頭のように眼をちっちゃくしてのぞきこんでいる画のや、がちょうとおばあさんが空を翔けているのや、緑色の牧草の中に金の卵をおとしている白いめんどりのがちょうのや、いろんな本がでています。
日本ではこのわたしのが初めてです。日本の子供たちのために、わたしはこのお母さんがちょうを日本の空の上にきてもらいました。そうして空からひらひらとその唄のついたがちょうの羽根をちらしてもらったのでした。その羽根にかいてある字はイギリスの字ですから、わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、それを日本のことばになおして、あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。そしてみんなうたえるようにうたいながら書きなおしたのですからみんなうたえます。うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。
その童謡の中には、青い萌黄色の月の夜のお月さまをとびこえるめうしのダンスや、紅い胸のこまどりが死んで白嘴がらすがお経をよむのや、王さまの前のパイのお皿からうたいだす二十四匹の黒つぐみや、「パンにおせんべい」とうなるロンドンのお寺の鐘や、おうちが大火事でプッジングのおなべの下にもぐりこむてんとうむしのむすめや、赤いにしんにのまれるくろんぼうの子供や、かごにのって青天井のすすはきしにお月さまより高くのぼるおばあさん、おくつの中に子供をどっさりいれてしまつにこまるおばあさん、挽割麦を三斤ぬすんでお菓子をこさえる王さまや、拇指よりもちいさな豆つぶのだんなさま、赤いおわんにのって海へでるおりこうさん、気ちがいうまにのってめちゃくちゃにかけてゆく気ちがいの親子、そうした、それはもうどんなに不思議で美しくて、おかしくて、ばかばかしくて、おもしろくて、なさけなくて、おこりたくて、わらいたくて、うたいたくなるか、ほんとにゆっくりとよんで、そうしてあなたがたも今までよりもずっとかわったお月夜の空や朝焼け夕焼けの色どりを心にとめて、いつも美しいあなたがたのお夢を深めてくださるよう。そうならわたしはどんなにうれしいかわかりません。
この本の中の童謡はおもにそのマザア・グウスから訳したのですが、そのほかにもイギリスやアメリカの子供のうたっているので違ったのがたくさんつけたしてあります。いろんな指あそびや、顔あそび、めくら鬼、はしご段あそびなど、日本のとちがった遊戯唄をおしまいのほうにのせてみました。皆さんでひとつやってくださるとうれしいと思います。
これからもまだいろんなものを皆さんのために書いてお贈りしたいと思っていますが、わたしもこれからほんとに念をいれて、がちょうが金の卵をうみ落とすように、ほんとにいい童謡をぽつりぽつりと落としてゆきたいと思います。
では、どうぞ、この本の初めにあるその金の卵の歌からよんでいってください。するときっとがちょうがあなたがたを背中にのせて、高い高いお月さまのそばまで翔けてゆくでしょう。
序詩
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マザア・グウスのおばあさん、
いつもであるくそのときは、
きれいながちょうの背にのって、
空をひょうひょう翔けてゆく。
マザア・グウスのすむ家は、
一つ、ちんまり、森の中、
戸口にゃ一羽の梟が
みはりするのでたっている。
むすこがひとりで名はジャック、
その子まずまずお人よし、
ずんとよいことせぬ代わり、
ずるいわるさもようしえぬ。
市場へジャックをやったれば、
めすのがちょうを買ってくる、
「まあまあ、お母さん、みておいで、
そのうちいいこともあるでしょよ」
それからがちょうのめすとおす
なかよしこよしであそんでる。
いつもいっしょに餌をたべて、
ガアガア、お池におよいでる。
ある朝、ジャックがいってみりゃ、
(ほんに話によくきいた)
金の卵がありまする。
うんでくれたはめすがちょう。
金の卵だ、はよ告げよ、
ジャックはお母さんへとんでゆく。
お母さんもほくほくごきげんだ。
「それはよかった、おおできじゃ」
ジャックは卵をうりにでる。
それをかおうと猶太人の悪者、
おもう半値もつけないで、
うまうまジャックをちょろまかす。
ジャックはお嫁とりにゆきまする。
むこうのおじょうさん華美好きで、
それはかわいい、うつくしい、
花の山査子、百合みたよう。
ところへ、あとからつけまわす
猶太人とおしゃれのおべっか屋、
脇腹めがけて、ぶってやろと、
かわいそなジャックにつっかかる。
そのときすばやく、すっときたは、
マザア・グウスのおばあさん、
杖でジャックをちょいと打ちゃ、
道化の*ハアレクインにはやがわり。
つづいて、おばあさんが杖あげて、
きれいなおじょうさんをちょいと打ちゃ、
すぐにその子もはやがわり、
それこそかわいい**コランバイン。
金の卵は海の中、
どさくさまぎれにほうられる。
だけど、ジャックがとびこんで、
またももとへととりかえす。
それで、めすがちょうとった猶太人のやつ、
ころしちまえといきまいた、
割いて、こいつを売っとばしゃ、
ポケットにたんまり金もうけ。
ジャックのお母さんは、それみると、
すぐにがちょうをひったくり、
そして、その背にうちのって、
お月さまめがけてとんでいった。
* ハアレクイン。道化芝居の男役です。
** コランバイン。これは女役です。
まざあ・ぐうす
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「だァれがころした、こまどりのおすを」
「そォれはわたしよ」すずめがこういった。
「わたしの弓で、わたしの矢羽で、
わたしがころした、こまどりのおすを」
「だァれがみつけた、しんだのをみつけた」
「そォれはわたしよ」あおばえがそういった。
「わたしの眼々で、ちいさな眼々で、
わたしがみつけた、その死骸みつけた」
「だァれがとったぞ、その血をとったぞ」
「そォれはわたしよ」魚がそういった。
「わたしの皿に、ちいさな皿に、
わたしがとったよ、その血をとったよ」
「だアれがつくる、経帷子をつくる」
「そォれはわたしよ」かぶとむしがそういった。
「わたしの糸で、わたしの針で、
わたしがつくろ、経帷子をつくろ」
「だァれがしるす、戒名をしるす」
「そォれはわたしよ」ひばりがそういった。
「あかるいならば、くれないならば、
わたしがしるそ、戒名をしるそ」
「だァれがたつか、お葬式にたつか」
「そォれはわたしよ」おはとがそういった。
「葬ってやろよ、かわいそなものを、
わたしがたとうよ、お葬式にたとうよ」
「だァれがほるか、お墓の穴を」
「そォれはわたしよ」ふくろがそういった。
「わたしの鏝で、ちいさな鏝で、
わたしがほろよ、お墓の穴を」
「だァれがなるぞ、お坊さんになるぞ」
「そォれはわたしよ」白嘴がらすがそういった。
「経本もって、小本をもって、
わたしがなろぞ、お坊さんになろぞ」
「だァれがならす、お鐘をならす」
「そォれはわたしよ」おうしがこういった。
「わたしはひける、力がござる、
わたしがならそ、お鐘をならそ」
空の上からみんなの小鳥が、
ためいきついたりすすりなきしたり、
みんなみんなきいた、なりだす鐘を、
かわいそなこまどりのお葬式の鐘を。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
ねこが胡弓ひいた、
めうしがお月さまとびこえた、
こいぬがそれみてわらいだす、
お皿がおさじをおっかけた。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
天竺ねずみのちびすけは、
ちびだからふとっちゃいなかった。
いつもあんよでおあるきで、
たべるときゃ断食ゃいたさない。
さてそこらからかけてでりゃ、
けっしてそこにはもういない。
きけば、かけてるそのときは、
どっちみちじっとしちゃいないそだ。
キイキイなくのは常々だ、めちゃくちゃあばれもたまたまだ。
それがさわいでわめくときゃ、けっしてだまっちゃいなかった。
たとえねこからおそわらなくとも、
はつかねずみがただのねずみでないのは御承知だ。
ところでたしかなうわさだが、
ある日、ひょっくり気がふれて、奇態な死に方した話。
とても勘のいい、金棒引きの人たちは、
きゃつめおっ死んだで、いきてるわけないぞといっている。
木のぼりのおさるさん、
おちたときゃ、そのときゃおちていた。
石の上のつんがらす、
飛ったときゃ、そこらにゃ影もない。
りんごかじりの婆おかみ、
二つたべたときゃ、一対たべていた。
水車場がよいの小荷駄うま、
てくるときゃ、じっとたっちゃいなかった。
拇指ちょんぎったうしころし、
けがしたそのときゃ、血をだした。
かけっこしてゆくお供さん、
はやがけするときゃ、かけあしだ。
おくつそそくるくつなおし、
つくろっちゃったそのときゃ、しあげてた。
ろうそくつくるがろうそく屋、
型からひっぱいだときゃ、手にもってた。
スペインさしていった艦隊、
かえったときゃ、またぞろやってきてた。
ちいさな緑のお家がひとつ。
ちいさな緑のお家の中に、
ちいさな金茶のお家がひとつ。
ちいさな金茶のお家の中に、
ちいさな黄色いお家がひとつ。
ちいさな黄色いお家の中に、
ちいさな白いお家がひとつ。
ちいさな白いお家の中に、
ちいさな心がただひィとつ。
ひとりふとっちょがボンベイにござった。
ある日、日なたでたばこのんでござった。
そこへ、ついときたはしぎという小鳥よ、
パイプひっさらってまたふいととんじまう。
そこでじれました、ボンベイのふとっちょ。
うたえうたえ、六ペンスの歌を。
衣嚢にゃごほうびの麦がある。
二十四匹の黒つぐみ、
焙じこまれて、パイの中。
パイがはがれたそのときに、
すぐに小鳥がうたいだす。
もともと王さまにそなえます
きれいなお皿じゃ、そりゃないか。
『王さまは会計院で、
お金の御勘定。
おきさきゃお居間で、
パンと蜜をめしあがり。
女中さんはお庭で、
衣裳をせっせとほしている。
そこへ小鳥が一羽とんでまいって、
つんとはじきました、女中さんのお鼻』
いっちく、たっちく、おうやおや。
ねずみが時計をかけあがる。
柱時計がチーンとうつ。
ねずみがすたこらかけおりる。
いっちく、たっちく、おうやおや。
お乳のよに白い大理石の壁に、
絹の柔軟したうすい膜つけて、
すいて凝った泉の中に
金のりんごがみえまする。
そのお城に戸一つないので、
どろぼうどもまでわりこんで金のりんごをぬすみだす。
朝焼け小焼け、
ひつじかいの気がかり。
夕焼け小焼け、
ひつじかいの後生楽。
風がふきゃ、
まわります、
粉ひき車よ。
風がやみゃ、
とまります、
粉ひき車さ。
一文なしの文三郎、文三郎をさらおうと
どろぼうどもがやってきた。
にげた、にげた、烟突の素頂辺へ攀じてった。
しめた、しめたとどろぼうどもがおっかけた。
それをみて文三郎、そろっとむこうへにげおりた。
こうなりゃみつかるまい。
かけた、かけた、十五日に十四マイル、
それで、ふりむいたが、もうだァれもみえなんだ。
ファウスト国手はいい人で、
時々、お弟子たちをひっぱたく。
ひっぱたいて、おどらして、追ったてて、
イギリスでてからフランスへ、
フランスでてからスペインへ、
そしてまた、ひっぱたいて逆もどり。
とこ、とこ、床屋さん、
ぶたの毛かっちょくれ、
鬘がちょっくらいりようだが、
何本、その毛がありゃたりる。
二十四本でたくさんだ。
フンとお鼻でごあいさつ。
おくつの中におばあさんがござる、
子供がどっさり、しまつがつかない、
おかゆばっかり、パンもなにもやらず、
おまけに、こっぴどくひっぱたき、
ねろちゅば、ねろちゅば、このちびら。
一つの石に小鳥が二羽よ。
ファ、ラ、ラ、ラ、ラルド。
一羽がとんでった、一羽がのこった。
ファ、ラ、ラ、ラ、ラルド。
また一羽とんでった、だァれもなくなった。
ファ、ラ、ラ、ラ、ラルド。
石だけぽっつりのォこった。たったひとりのォこった。
ファ、ラ、ラ、ラ、ラルド。
お年寄りのコオル王は愉快なお爺、
愉快なお爺、
すぐにパイプめして、お酒杯めしてね、
そして胡弓ひきを三人ほどおめしで。
どれの胡弓ひきもよい胡弓もちでよ、
中で一番なは王さまの胡弓よ、
ツウイ・ツウイズル・デイ、ツウイズル・デイ。……
それそれ胡弓ひきがひきだしたよ、おききな。
だれにくらびょうか、めったにまたなかろ、
コオル王さまとその胡弓ひきよね。
雨、雨、いっちまえ、
またいつかきなよ、
はよでてあァそぼに。
お庭の花壇にぶたがでた。
それいってとっつかめ。
小麦の畑にうしがきた。
はしれ、はしれ、男の子。
クリイムのおなべにねこがいる。
はしれ、はしれ、女の子。
山火事だ。
はしれ、はしれ、男の子。
日の照り雨、
小半時ももてぬ。
いばらのかげに、
ひもじさ、さむさ。
花さくかげに、
白金、黄金。
のぼれいそいそ、またおりなされ、
鐘はロンドン、つけば数ござる。
「オレンジにレモン」
セント・クレメンツの鐘がなる。
「標的と、標的の星」
セント・マアガレッツの鐘がなる。
「煉瓦に瓦」
セント・ギルスの鐘がなる。
「半ペンスに*ファシング」
セント・マアルチンスの鐘がなる。
「パン菓子におせんべい」
セント・ピイタアスの鐘がなる。
「二本の枝、一つのりんご」
ホワイト・チャペルの鐘がなる。
「灰かき、火ばし」
セント・ジョンスの鐘がなる。
「湯わかし、おなべ」
セント・アンヌスの鐘がなる。
「バルドペエトじいさんよう」
オルトゲエドののろい鐘。
「おまえに十シルリング貸しがある」
セント・へレンズの鐘がなる。
「いィつはろうてくれるんじゃ」
ふるいベエレエの鐘がなる。
「おいらが金持ちになったらな」
ショルジッチの鐘がなる。
「そしたらたのむよ、そのときは」
ステプニイの鐘がなる。
「おれんしったこつかい」と
ボウの大きな鐘の声。
さあきた、手燭がお床へおまえをてらしにきた。
さあきた、首切り役人がおまえのそっ首ちょんぎりに。
* ファシングは一ペンニイの四分の一。
レディのうまのりゃ、
ツリイ、ツレ、ツレエ、
ツリイ、ツレ、ツレエ。
レディのうまのりゃこんなもんよ、はい。
ツリイ、ツレ、ツレエ。ツリ、ツレ、ツレエ。
ゼンツルマンのうまのりゃ、
ガロップ・エ・ツロット。
ガロップ・エ・ツロット。
ゼンツルマンのうまのりゃこんなもんだ、ほい。
ガロップ・エ・ツロット、ガロップ・エ・ツロット。
おひゃくしょうのうまのりゃ、
ホッブルデイ・ホイ、
ホッブルデイ・ホイ。
おひゃくしょうどんのうまのりゃこんなもんじゃ、はあ。
ホッブルデイ・ホイ、ホッブルデイ・ホイ。
小径のほとりにひとりのむすめが、
なんだかいってるけど、はっきりゃいえないで、
ぐっつ、ぐっつ、ぐっつぐつ。
むこうの小岡にひとりの男が、
たってはいれども、じっとしちゃいられず、
ひょっこり、ひょっこり、ひょっこりしょ。
月の中の人が、
ころがっておちて、
北へゆく道で、
南へいって、
凝えた豌豆汁で、
お舌をやいてこォがした。
十人よ、くろんぼの子供が十人よ。
おひるによばれてゆきました。
ひとりがのどくびつまらした。
そこで、九人になりました。
九人よ、くろんぼの子供が九人よ。
どの子もどの子もあさねぼうで、
ひとりがとうとうねすごした。
そこで、八人になりました。
八人よ、くろんぼの子供が八人よ。
いっしょに*デボンを旅してて、
ひとりがとちゅうでとどまった。
そこで、七人になりました。
七人よ、くろんぼの子供が七人よ。
木ぎれきりにとみないって、
ひとりがまふたつに腹きった。
そこで、六人になりました。
六人よ、くろんぼの子供が六人よ。
はちの巣いじって、かまってて、
ひとりがくまんばちにさァされた。
そこで、五人になりました。
五人よ、くろんぼの子供が五人よ。
けんかしてお訴訟をおォこした、
ひとりが裁判所へゆきました。
そこで、四人になりました。
四人よ、くろんぼの子供が四人よ。
みんなで海へとでかけたら、
赤いにしんにひとりがのォまれた。
そこで、三人になりました。
三人よ、くろんぼの子供が三人よ。
こんどは動物園へいったれば、
くまめがひとりをひん抱いた。
そこで、ふたりになりました。
ふゥたりよ、くろんぼの子供がふゥたりよ。
かんかん日だまりィすわりこみ、
ひとりがちぢれてやけしんだ。
そこで、ひとりになりました。
ひィとりよ、くろんぼの子供がひィとりよ。
いよいよ、たったひィとりよ、
その子がお嫁とりにでていった。
そこで、だァれもなくなった。
* デボンはイギリスの西南部の一県で、デボンシイルのことです。
お月さまの中のおひとが、
お月さまの外をながめて、
そして、こうおっしゃるわ。
いま、いま、わたしはおきかかる。
赤子のみんなはいまお寝る。
右や左や、クリスマス。
がちょうがふとってめえりやす。
どうぞや一ペンニイ、
じいめが帽子にほうりこんでくだされ。
一ペンニイがおいやなら半ペンニイでもようござる。
半ペンニイでもないならば、
ごきげんよろしゅう、だんなさま。
べああ、べああ、ブラック・シイプ
おまえはいい毛をおもちだろ。
はい、はい、ふくろに三ふくろござります。
だんなさまに一ふくろ、
おくさまに一ふくろ、
だっけど、そこらの細道で、
べそかくぼっちゃんにゃ、いィやいや。
ちびこ、
なまえはナンシイ・エッチコウト、
白いペッチコウトに
赤い鼻もって、
ながくたってるほど、
みじかくなってしまう。
ちっちゃなテイ・ウイは海へゆき、
たななしボオトにのりこんで、
ゆらゆらゆられているうちに、
ちっちゃなボオトがひっくりかえり、
これでお話もおォしまい。
三月、風よ。
四月は雨よ。
五月は花の花ざかり。
グレゴリイ・グリッグスさんは、
グレゴリイ・グリッグスさんは、
二十と七つのお面もちでおじゃって、
とっかえ、ひっかえ、ひっかえ、とっかえ、
街じゅうをやんやとわらわせる。
東へいっちゃひっかぶり、
西へいっちゃひっかぶり、
それでも、どの面がいちばんおすきか、
やっぱり御本人でおいいやれぬ。
ししと一角獣と
ふたりで王位をせりあった。
ししがつよかったで、
街を上下おおあばれ、
そこで、白パンやったり、
黒パンやったり、
乾葡萄入ケイキやったり、
やっとこすっとこおいだした。
くつやさん、おうち。
はい、はい、こんにちは。
おくつのつくろいたのみます。
よしきた。合点だ。
こちらに一釘、そちらに一釘、
とんとんとんのとん。
ジイニイ、むすびにきとくれよ。
ジイニイ、むすびにきとくれよ。
ジイニイ、むすびにきとくれよ。
わたしのきれいなくびまきを。
わたしはうしろでむすんでよ。
わたしは前でむすんでよ。
わたしは何度もむすんでよ。
もうもうわたしはかまやせぬ。
セント・イブへとわしがおまいりするときに、
わしがあったは男ひとりにおかみさんが七人、
そのどのおかみさんもふくろを七つ、
そのどのふくろにもねこめが七つ、
そのどのねこにもこねこが七つ。
セント・イブへとおまいりするのが、
さてさて、何人何びき何ぶくろ。
世界が一つのパイなら、
海がすっかりインキなら、
木がまたチイズとパンならば、
おれたちののむものそりゃ、なんだ。
それこそ甲羅経たじじいめでも
頭をかかえてちょいとまいろ。
「ちびねこ、さんねこ、かわいの子、
どこへおまえはいってたの」
「あたいはいってたの、ロンドンに、
おめみえしたのよ、女王さまに」
「ちびねこ、さんねこ、かわいの子、
そこでおまえはなにしたの」
「そうそ、玉座のおいすもと、
ねずみをちょろまかつかまえた」
いぬとねことがお友達にあいに、
ちょいと、街からつれだってまいる。
ねこがもうします。
「お天気はどうでしょね」
いぬがもうします。
「さようさ、おくさんえ、雨がふりそでござんすが、
御心配はいりません、てまえがこうもり傘もってますでな。
そのときゃごいっしょに、相合傘とはいかがでしょ」
ポウリイ、やかんをかけときな。
ポウリイ、やかんをかけときな。
ポウリイ、やかんをかけときな。
みんながのむんだ、お茶ァだよ。
スケイ、そいつをおはずしな。
スケイ、そいつをおはずしな。
スケイ、そいつをおはずしな。
みんながもうもう行っちゃうぞ。
ペエタアさん、ペエタアさん、南瓜ずき、
女房もってもお守りができず、
南瓜の殻にと、どしこんで、
やっとこ、ほくほくお守りした。
ぼう、うぉう、うぉう、
おまえさんどこのいぬ、
わたしゃティンカアさんのいぬですよ、
ぼう、うぉう、うぉう。
トムミイ・ツロットさん、三百屋、
ベッドを売って、
わらの上へごろりよ。
そのわら売って、
草の上へごろりよ。
そしておかみさんに姿見鏡一つ買うてくりょ。
お釘がへれば、
蹄鉄うせる。
蹄鉄へれば、
おうまがうせる。
おうまがへれば、
のりてがうせる。
のりてがへれば、
戦がうせる。
戦がないと、
王さまのお国ゃうせる。
おうまの蹄鉄がへったせいでよ。
二十四人の仕立屋が
ででむしころしに、えっさっさ。
めったにしっぽにゃふれまいぞ。
そりゃこそででむしが角だした、
ちっちぇえカイロうしそっくりだ。
にげにげ、にげなきゃいまにもころされる。
ででむし、ででむし、角だせや、
お父さんもお母さんもしんでしもうた。
おまえの御兄弟姉妹は裏ん口の庭で
パンをおくれェと乞うている。
お針みつけたらつまみあげておとりな。
その日いちんちいいことばかり。
お針みつけてそのまましときゃ
その日いちんちわるいことばかり。
風よ、ふけ、ふけ、
ひきうすまわせ、
粉屋粉ひき、
パンやさんがこねて、
朝はほやほやふかしたて。
気軽な粉屋が
デイ河にござる。
朝から晩まで
はたらいちゃうたう。
ふざけてばっかり、
一つことばかり、
おきまり文句で
一つことばかり。
『だれにかまうもんか、いやいや、わたしゃ、よ。
だれがかまうかよ、このわしに。ホイソラ、ホイソラ』
いなかっぺいのおたずねだ。
『いちごが何本海にある』
うまく返事をしてのきょか。
『何匹にしんが森にいる』
おばあさんがひとりおかごにのって、
ふらふらあがる。
月よりたかく、九十倍もたかく、
どこへゆくのか、きこうにもきけず、
お手々にほうきをもって、あれあれあがる。
『おばあさん、おばあさん、おばあさん、
どこへゆくの、どこへ、
そんなにたかくあァがって』
『円天井のすすはきじゃ』
『はァやくかえってちょうだいよう』
『あい、あい。ちょっくら、いますぐだ』
すっとんきょうな南京さんがお三かたござった。
それは皆さまとくより御承知だ。
きゃっきゃさわいで猟にとでかけた。
しかも、めっそうもない、安息日にでござる。
永のいちんち、猟をしてまわり、
これというもの根っから葉っからみつからない。
一つみつけたは帆かけた船よ。
それが追風にしゅっしゅっとはしった。
「あれは船だ」と一番さきのがいいだした。
「なんの、うそだ」と二番目のがうちけした。
「あれは家さ」と三番目のがいいのけた。──
「こわれ煙突までとっついてるじゃないかいな」
永の一晩猟をしてまわり、
これというもの根っから葉っからみつからない。
一つみつけたはおすべり屋のお月さんだ、
それがふかれてつるつるとすべった。
「あれはお月さんだ」と一番さきのがいいだした。
「なんの、うそだ」と二番目のがうちけした。
「あれはチイズさ」と三番目のがいいのけた。──
「二つわりにしたその半分きりさね」
またもいちんち猟をしてまわり、
これというもの根っから葉っからみつからない。
一つみつけたは木いちごやぶのはりねずみ。
それをうしろにとおりすぎてしまう。
「あれははりねずみだ」と一番さきのがいいだした。
「なんの、うそだ」と二番目のがうちけした。
「あれは針さしさ」と三番目のがいいのけた。──
「よくもめちゃくちゃにお針をさしたもんだすな」
またも夜っぴて、猟をしてまわり、
これというもの根っから葉っからみつからない。
一つみつけたはかぶら畑の野うさぎだ。
それをみすててまたいってしまう。
「あれは野うさぎだ」と一番さきのがいいだした。
「なんの、うそだ」と二番目のがうちけした。
「あれはこうしさ」と三番目のがいいのけた。──
「あいつ、めうしにおきざりされたやつだんね」
またもいちんち、猟をしてまわり、
これというもの根っから葉っからみつからない。
みたは洞木の分別顔のふくろうよ。
それをうしろにまたいってしまった。
「あれはふくろうだ」と一番さきのがいいだした。
「なんの、うそだ」と二番目のがうちけした。
「あれはじじいさ」と三番目のがいいのけた。──
「それそれごましお頭の髪の毛をみさいな」
あいつぁよっぽどみょうだ、まっすぐにゃゆかぬ。
そのわけしってるか、
鼻のむいたほうへむいてゆく。
どうりで、やっこさん、鼻まがり。
あの丘のふもとに
おばあさんがござった。
もしも去なんだら
まだ住んでござろ。
あたいのめうしはちっぽけだ。
ひょろひょろ、ひょっこり、ひょっこりよ。
あたいのめうしは、ちっぽけだ、
めうしのふくらはぎはちっぽけだ。
ひょろひょろ、ひょっこり、ひょっこりよ。
あたいのお歌はまだなかば。
あたいのめうしはちっぽけだ。
ひょろひょろ、ひょっこり、ひょっこりよ。
あたいのめうしはちっぽけだ。
やっとこうし小屋へおいこんだ。
ひょろひょろ、ひょっこり、ひょっこりよ。
そこでお歌もちゃんちゃんだ。
ねんねや、ねんねや、おねんねや、
ぼうやがお父さんひつじ守り。
お母さんはねんねのねむりの木、
ねんねやねんねとゆすりましょう、
ゆすればお夢がふりかかる。
ねんねや、ねんねや、おねんねや。
こびっちょの男の子はなんでつくる、なんでつくる。
こびっちょの男の子はなんでつくる。
かわずとででむしとこいぬのしっぽでつくられた。
それそれ、こびっちょの男の子がつくられた。
かわいい女の子はなんでつくる、なんでつくる。
かわいい女の子はなんでつくる。
おさとうに薬味に、あまいものずくめ。
それそれ、かわいい女の子がつくられた。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこや。
なァいてお母さんをなかすなや、
なかれりゃわたしもつろござる。
ねんねこ、ねんねこ、ねんねこや。
はしっこいジャック、
すばやいジャック、
ろうそくたて一つ、
ジャックが
とびこした。
ででむし、でむし。
ぬすっとがくるぞ、おめんちの壁を
ぶっこわしにくるぞ。
ででむし、でむし。
その角だせよ。
ぬすっとがくるぞ、小麦をとりに、
ぬすっとがくるぞ、夜あけの四時に。
一列こぞって、
弓をひき、
おはとを射ったら、
からすめをころした。
ででむし、ででむし、角だせや。
パンとお麦を、それ、あげよ。
とてもがむしゃら、おりこうさん、
いきなりばんばら藪へとびこむと、
眼玉がポンポンひんむけた。
おやおやっ、眼玉がつん出たら、
それこそこんどはくそ力、
横っちょの小藪へとびこんだ。
そしたら眼玉がすっこんだ。
やまがらのおしゃべり、
お舌がさけよぞ。
町じゅうのいぬが
ちんぢんにかんじゃうぞ。
ハアトのクインが饅頭をつくられた。
みんなできたよ、夏の日いっぱいかァかった。
ハアトの兵士が饅頭をぬゥすんだ。
こいつしめたとそっくりもってにげてった。
ハアトのキングが饅頭とおっしゃった。
そりゃこそたいへん、兵士を御折檻なすった。
ハアトの兵士が饅頭をかえした。
まっぴら閉口して、もうもういたしません。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おくさんがおくつをなァくした。
だんなさんがヴァイオリンの弓をなくし、
どうしていいのかおおよわり。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おやおや、おくさんどうなさる。
だんなさんがヴァイオリンの弓をさがす、
それまで、はだしでおおどりか。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おくさんがおくつをなァくした。
だんなさんがヴァイオリンの弓をみつけ、
それきた、コケコッコ、コケコッコ。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
さあさあ、おくさん、それおどろ。
だんなさんがヴァイオリンの弓をこすり、
それそれおどれと、コケコッコ。
コケコッコ、コケコッコ、コケコッコ。
おくさんがおくつをなァくした。
ねてもねられずおおよわり、
頭の髪毛もめっちゃくちゃ。
でんでんむしむし、
角ひけよ。
ひかなきゃ山椒の粒ふりかける。
ひとりのおばあさんと三人のむすこ、
ジェリイ、ジェムス、それにまたジョンよ。
ジェリイは首くくった。ジェムスはおぼれた。
ジョンはどこかへいなくなってしまった。
だァれもみつけたものがない。
三人のむすこがみんなしんでしまった。
ジェリイ、ジェムス、それにまたジョンよ。
てんとうむし、てんとうむし、
はよう家へかえれ、
おまえの家ゃ火事だ。
みんな子供がやけしんだ。
むすめのアンヌがたったひとり、
プッジングのなべの下に
つんぐりむんぐりもぐった。
あったかいパン、
あったかい、あったかい、あったかいパン。
一ペンニイで一つ、二ペンニイで二つ、
あったかいパン。
おまえにむすめがないならば、
おまえのむすこにおあげなえ。
一ペンニイで一つ、二ペンニイで二つ、
あったかいパン。
さてもゴットハムの三りこう、
おわんにのっかって海へでた。
もそっとおわんがしっかりさえしてりゃ、
ここらでこの歌もきれやしまい。
気ちがいの御亭主に、
気ちがいのおかみさん、
気ちがい小路に住んで、
三つ児をうんで、
どの児もどの児も気がちごた。
お父さんが気ちがい、
お母さんが気ちがい、
みんな子供が気ちがい。
気ちがいうまにのって、
いっしょくたに、みんなのって、
まっくら三宝に、かけてった。
あたいのちっちゃなだんなさま、
拇指よりかもまだちさい。
こまめのおつぼにちょいといれて、
どんがどんがはやしてせりあげよ。
ちっちゃなおうまも買うてあぎょ。
そして、とっととかけさして、
たづなとらせて、くらおいて、
さあさ、ねりだそ、町の外。
かわいいくつした結くなら
それにはちっちゃなとめ金具、
ちっちゃなお鼻をふきゃるには
かわいいちっちゃなハンカチフ。
一つのたるに、三人はいり、
どんどこ、どんどこ、すっどんどん。
あいつらだれだ。
肉屋にパン屋、
ろうそく屋の亭主。
つっころがしてしまえ。
しようのねえやつらだ。
ねんねの小鳥が岡に二羽、
一羽がジャックで、ほかのがジルよ。
とんでったジャックが、
とんでったジルが、
またきたジャックが、
またきたジルが。
トム、トム、トムぼうず、
笛ふきのむすこ、
ぶたをぬすんでにげたはよいが、
ぶたはたべられ、トムぁぶったたかれ、
ないておんおん街をかけた。
いぬはぼうおう、
ねこはみゅうみゅう、
おぶたはぐるんぐるん、
ねずみはすけえく。
ふくろはつうふう、
からすはかうかう、
めがもはくゎっくくゎっく、
うしもうもう。
額のまんなかに、きらきらちぢらした
ちいさなまきげの、
ちいさなおじょっちゃん、
ごきげんいいときゃ、
それはそれはいい子で、
おわるいときにはこォわい子。ソレ、こォわい子。
やぶ医者のフォスタアさんが、
グロオスタアへいって、
にわか雨にあって、
水たまりに立ち往生して、
おへその上まで水びたり。
それから二度とはようゆかぬ。
お月さんのおとりもちでお嫁にござった。
きれいずきの、世帯もちの、しまりやのおかみさんだ。
おひるにでもならなきゃなんとしてもおきない。
ほんとにしまるなら、それこそたのむよ。
やっとこさとおきればおもいきってせかせか、
きれいずきの、世帯もちの、しまりやのおかみさんだ。
灰かきで麦っ粉をやっさもっさこねます。
ほんとにしまるなら、それこそたのむよ。
ながぐつにどろどろどしこんだバタをよ、
きれいずきの、世帯もちの、しまりやのおかみさんだ。
ひっかき棒のかわりにお足でべっちゃべっちゃ。
ほんとにしまるなら、それこそたのむよ。
チイズは台所の物置のおたなに、
きれいずきの、世帯もちの、しまりやのおかみさんだ。
ひとりでにころげるまでうっちゃっちゃってかまわない。
ほんとにしまるなら、それこそたのむよ。
ぶうん、ぶうん、ぶうぶうぶ。
はえがくまんばちにお嫁いり、
いよいよ教会へいきやして、首尾よく御祝儀あいすんだ。
はえとくまんばちの御婚礼。
タッフィはウェルス人、タッフィはどろぼう。
わたしの家にやってきて、牛肉一塊ぬゥすんだ。
タッフィの家へいったらば、タッフィはいなかった。
タッフィがやってきて、髄骨一本ぬゥすんだ。
タッフィの家へいったらば、タッフィはいなかった。
タッフィがやってきて、こんどは麺棒ぬゥすんだ。
タッフィの家へいったらば、タッフィはねていた。
そこで火棒とって、そいつの頭になげつけた。
黒白まだらの御面相は、
チャアレエ・ワアレエの女郎牛だ。
その木戸あけねえか、おとおりじゃ。
チャアレエ・ワアレエのばばァ牛。
とっぴょくりんのとん吉が、
とっぴょくりんのとん吉が、
おまんじゅうをいただいて、
そとがわだァけのォこした。
卵うりましょうと、わしがゆく道で、
でおうた、でおうたよ、ねじれ足とでおうた。
足はねじれ足、爪まがり爪、
こいつおもしろいとかかとをちょいとすくう、
そこで、すとんと地べたに小鼻をぶっつけた。
かささぎが一羽よ、なしの木にとォまった。
かささぎが一羽よ、なしの木にとォまった。
かささぎが一羽よ、なしの木にとォまった。
おおしんど、ああしんど、おおしんどよう。
うれしそに一度よ、ちちんがちんとはねた。
うれしそに二度よ、ちちんがちんとはねた。
うれしそに三度よ、ちちんがちんとはねた。
おおしんど、おおしんど、おおしんどよう。
「これ、これ、こいきなおむすめご、
おまえはどちらへおいでです」
「お乳しぼりにまいります」
「これ、これ、こいきなおむすめご、
わたしもいっしょに行てあぎょか」
「ええ、ええ、そんならうれしいわ」
「これ、これ、こいきなおむすめご、
おまえのお父さんはなになさる」
「わたしのお父さんはおひゃくしょうよ」
「これ、これ、こいきなおむすめご、
おまえさんに財産ありましょね」
「いえ、いえ、御器量が財産よ」
「これ、これ、こいきなおむすめご、
そんならお嫁さんにゃちとこまる」
「いらぬおせわでござります」
市場へ、市場へ、乾葡萄入ケイキかいに、
かえろよ、かえろよ、市場にゃおくれた。
市場へ、市場へ、乾葡萄入パンかいに、
かえろよ、かえろよ、市場ははねた。
掛け算はしちめんどう、
割り算は因業、
比例は人なかせ、
応用問題気がちがう。
青い眼はきれい、
灰色の眼は陰気、
黒い眼は腹黒、
鳶色眼玉はおばァけ。
五月のみつばちゃ、
乾草一駄よ。
六月のみつばちゃ、
銀のさじとおなじ価よ。
七月のみつばちゃ、
はえの一匹にも、つっかわぬ。
朝のかすみと夕焼け空は、
日和よいとの前しらせ。
くもる日ぐれと朝焼け空は、
お寝るひつじをみなぬらす。
きれいな小鳥、かっこ鳥、
とびとびうたうかっこ鳥、
ないてしらするその声は、
つゆうそのないいいしらせ。
小鳥の卵すするゆえ、
なく音すずしいかっこ鳥、
はやもなきます、かっこうと、
夏がもうじきまいります。
豆んちょの家の、
豆んちょのこぞうっこ、
よその養魚池へおしかけて、
魚をぴんぴとつりあげた。
ソロモン・グランディは、
月曜日にうまれて、
火曜日に洗礼うけ、
水曜日に嫁とったが、
木曜日には病気になり、
金曜日にずんと重って、
土曜日におっ死ぬちゅうと、
日曜日にはうめられた。
ソロモン・グランディの御一代。
そこでおしまい、ちゃァんちゃん。
お池にござるはかえるどの、
お池にござるはかえるどの、
はつかねずみは粉小屋に。
相手ほしやのかえるどの、
相手ほしやのかえるどの、
でんでんむしの背中にうちのって。
はつかねずみのお宿まで、
はつかねずみのお宿まで、
そこで戸たたく、ものもうす。
「はつかねずみのお姫さま、わたしゃ其様にあいにきた、
はつかねずみのお姫さま、わたしゃ其様にあいにきた、
お気にめしたか、めすまいか」
「なんとお返事いたさりょうに、
なんとお返事いたさりょうに、
まして叔父様のるすのうち」
ねずみの叔父御がもどられて、
ねずみの叔父御がもどられて、
「だれかみえたぞ、るすのうち」
「いやな殿御がござんした、
いやな殿御がござんした、
叔父様のおるすにござんした」
そこでなきなき、かえるどの、
なきなき、小川をかえるどの、
めがものお上﨟とであわしゃる。
よいものみつけた、ござんなれ、ござんなれ、
めがものお上﨟に、かえるどの
ぱくとのまれてきゅうきゅうきゅう。
さてもあわれな物語、
ここらあたりで、あなかしこ。
一切空ちゅうおばあさんがどこかしらにござった。
豆っちょろのお家におさまりかえってござった。
そこへだれだかぬうとでて、
かっと口あけ、すう、ぱくり。
お家もおばあさんも一切空。
ロンドン橋がおちた。
ロンドン橋がおちた。
なんでこんどかけるぞ。
なんでこんどかけるぞ。
銀と金とでかけてみろ。
銀と金とでかけてみろ。
銀も金もぬすまれた。
銀も金もぬすまれた。
鉄と鋼鉄とでかけてみろ。
鉄と鋼鉄とでかけてみろ。
鉄でも鋼鉄でもへしまがる。
鉄でも鋼鉄でもへしまがる。
材木と粘土とでかけてみろ。
材木と粘土とでかけてみろ。
材木、粘土はながされる。
材木、粘土はながされる。
そんなら石でかけ、そりゃ丈夫だ。
千年万年大丈夫だ。
世界じゅうの海が一つの海なら、
どんなに大きい海だろな。
世界じゅうの木という木が一つの木ならば、
どんなに大きな木であろな。
世界じゅうの斧が一つの斧なら、
どんなに大きな斧だろな。
世界じゅうの人たちがひとりの人なら、
どんなに大きな人だろな。
大きなその人がおおきな斧をとって、
大きな木をきり、
大きなその海にどしんとたおしたら、
それこそ、どんなにどんなに大きい音だろな。
空はじめじめ、
雨もよい、
ちっちゃなおじいさんにでおうたら、
身ぐるみ革きて、
あごに無縁帽つんだして、
「おさむう、おさむう、こんにちは」
空はじめじめ、
おわかれと、
よぼよぼなかまが手をにぎり、
身ぐるみ革きて、
あごに無縁帽つんだして、
「さよなら、さよなら、またいつか」
アアサア王の御治世じゃ、
アアサア王はよいかたで、
挽割麦三斤ぬゥすんで、
袋形のプッジングをこさえよか。
いよいよ王さまのお手製で、
それには山もり乾ぶどう、
拇指二つよりかまだふとい
脂肉を二塊どしこんだ。
王さまとおきさきとがまずめして、
つぎに大臣たちがおしょうばん、
そしてその夜のおあまりは、
翌朝おきさきが油揚げ。
どうしたことだえ、このおばば、
のんだりくったり、そればかり、
ほかにはなんにもようせぬで、
くうのとのむのが商売かい、
むしゃむしゃ、がぶがぶ、ぐずりばば、
ぶつぶつぶつぶつまだやめぬ。
天竺ねずみは追っかけごっこがだいすきだ。
ツラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ。
捕よとおもうならまず駈けた、
それ手をはなした、
どっちがはやいか。
ツラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ。
ジャック・スプラットとその嚊さ。
じいさはたべてもやせこけだ、
ばばさはふとっても意地汚だ。
ふたりの間中を、ちょとごらん、
お皿はすべすべなめてある。
背骨まがりのあまのじゃく、
背骨まがりの旅をして、
背骨まがりの石段で、
背骨まがりの六ペンスをひろい、
背骨まがりのねこを買い、
背骨まがりのねずみをとらせ、
背骨まがりの豆んちょの家に、
背骨まげまげおさまった。
(注)あちらでは、つむじまがりのことを背骨まがりと申します。
おらがお父はおっ死んだ。
何といってええだが、こちゃしらぬ。
うまを六匹くんさんし。サテ、
犁でもってすけちゅうだ、おえちゅうだよ。
うまを六匹売っとばし、
めうしを一匹、こちゃ買ってな、
一身上あんべとごきげんだ。サテ、
何としてええだが、まだしらぬ。
そこでめうしを売っとばし、
ふくらはぎを一本、こちゃ買ってな、
一身上あんべとごきげんだ。サテ、
極上肉を半ぺら、またなくす。
そこでふくらはぎを売っとばし、
めねこを一匹、こちゃ買ってな、
あまっちょのねこめも愛いやつじゃ。サテ、
煙突のすみっこに、ちょんとすわる。
またまたねこめを売っとばし、
はつかねずみを、こちゃ買ってな、
尻尾つまんで火になげた。サテ、
おらのお家がぼうともえた。
さてもこのたび、ねこが王さまに御拝謁、
ごぶじにおさまりゃ、しあわせだ。
がァ、がァ、がちょう、
うろついてどこいこ、
階上を、下を、
おくさまのへやで、
じじいにであった、
そのじじいどうした、
不信心ないやなやつ、
そこで、そいつの左の足をすくって、
すってんころりとあがり段からころがした。
火の中に石脂、
樫の中にはすっからかん。
泥の中にうなぎ、
粘土の中にはすっからかん。
やぎが蔦くう。
めうまが麦くう。
足なが、せむし、
小頭、眼なし、
それなァに。
おじょっちゃん、おぼっちゃん、外へでてあすぼ、
お月さま光る、昼のようにあかる。
口笛ふいてきなよ、よばわってきなよ。
上々きげんででてきなよ。でなけりゃおことわり。
夕飯うっちゃって、石盤うっちゃって、
街へでてきなよ、あそびなかまがまっているに。
ときの声あげて、とんだりはねたりしておいで、
お月さまの光にぐるぐるまわっておどりましょう。
あがり段にのぼり、石垣とびおりて、
ころがしゃお銭がなにもかもくれる。
牛乳が買える、はちのみつが買える、
半時たたずにおまんじゅうが買える。
はいしどうどう、
おうまにのって、
チャアリング・クロスへいてみよか。
きれいなレディが、
白いうまにのって、
お手々に指輪、
おくつに鈴つけ、
ちんからちんからとおる、
それみにいこか。
ちんからちんから、りんりん。
なけなけ、赤ちゃん、
眼玉にお指をつっこみな。
そしてお母さんへ行ったらば、
あれはぼうやじゃないとおいい。
北風ふけば、
雪がふろ、
かわいそなこまどりはどうするぞ。
かわいそなものね。
お倉の中の刈麦に、
もゥぐりこゥぐり、ぬくもろぞ、
お羽根の裏に首まげて。
かわいそなものね。
めくら鬼、めくら鬼、
めん眼がみえないごぞんじか、
くるくる三遍まァわって、
わたしをつかめてごらんなね、
こォろぶなころぶな、
だれでもいいからとっつかめ。
わたしはこっちだよ、とっつかまえたとおおもいか。
笑止笑止、めくら鬼。
みろやい、ひととび、
おりゃここだ、
だァれもこれまい、
おれひとり。
上へいった、いった、いった。
下へいった、いった、いった。
前へいった、うしろへいった。
ぐるぐるぐるとまァわった。
(五つの指のさきをつついてうたう)
一 このぶた申す。みんなして森へ。
二 このぶた申す。なにしに森へ。
三 このぶた申す。お母さんにあいに。
四 このぶた申す。そしてそしてどうするの。
五 このぶた申す。かじりついてキッスしよ、キッスしよ。
(おなじく)
一 このぶた、ちびすけ、市場へまいった。
二 このぶた、ちびすけ、お留守番でござる。
三 このぶた、ちびすけ、牛肉あぶった。
四 このぶた、ちびすけ、なァんにももたなんだ。
五 このぶた、ちびすけ、ういういうい。
いっしょにお家へ、よいとこらしょ。
(五つの足をつつきながらうたう)
一 おくつをはかしょ、こうまにはかしょ。
二 めうまにはかしょ。
三 ふくろを背にのしょ。
四 しょったか、みよよ。
五 しょったら、麦よ。
しょわなきゃ、脳みそぶっつゥぶしょ。
ながい尾のぶたに、
みじかい尾のぶたに、
尾のないぶたに、
めぶたにおぶた、
まきじっぽのこぶた。
甲 あァがった、あがった、はしご段を二つ。
乙 ちょうど、わたしのとおりよ。
甲 あァがった、あがった、はしご段を四つ。
乙 ちょうど、わたしのとおりよ。
甲 おへやへはいった。
乙 ちょうど、わたしのとおりよ。
甲 お窓の外をなァがめた。
乙 ちょうど、わたしのとおりよ。
甲 そこでおさるをみィつけた。
乙 ちょうど、わたしのとおりよ。
ワン、ツウ、スリイ、
フォア、ファイブ
ワン、ツウ、スリイ、フォア、ファイブ、
魚をピンピンつかまえた。
なぜそれにがした。
指をかんだ、手をかんだ。
どっちの指かァんまれた。
この右の小指よ。
殿さま、御着座。(額)
ふたりの御家来。(両方の眼)
おんどり。(右のほお)
めんどり。(左のほお)
いそいで御入来。(口)
チンチョッパア、チンチョッパア。
チンチョッパア、チン。(あごをなでる)
このベルならした。
(髪の毛を一つまみ、ひっぱる)
このドアたたいた。
(額をたたく)
この錠はずした。
(鼻をつまみあげる)
さあ、さあ、はいりましょ。
(口をあいて指を中へつっこむ)
二本足がすわった、三本足の上に。
一本足をしゃぶった。
四本足がやってきて、
一本足さらってにげてった。
二本足がとびあがり、
三本足をひっつかみ、
四本足めがけてなげつけた。
そこで一本足をとりかァえした。
(注)一本足は牛の骨、二本足は人間、三本足は腰かけ、四本足は犬。
一番さきにねた子に金の財布、
二番目にねた子に金の雉子、
三番目にねた子に金の小鳥。
よぼよぼがらすが
一羽地にとまった。
そこでお謡もちゃんちゃんだ。
「マザア・グウス」の童謡は市井の童謡である。純粋な芸術家の手になったのではなかろう。しかし、それだからといって一概に平俗野卑だというわけにはゆかない。日本の在来の童謡、すなわち私たちが子供のときにいつも手拍子をたたいてはうたったかの童謡はやはり民衆それ自身のものであった。だれのなにがしという有名な詩人の手になったのではない。自然にわきあがってきた民族としての子供の声であった。その中にはむろん平俗なのもあった、いかがわしい猥雑なおとなのものもあった。しかしほんとうの子供の声はその中にあった。すぐれて光っていた。これを思わなくてはならない。本来の民謡なるものは、野山の木萱のそよぎそのものからおのずとわきでたものである。はじめはだれが歌ったとなく歌いだされて、つぎつぎに歌い伝えられて、歌いなおされて、ほんとうに洗練されたいいものばかりが永く残ることになったのである。で、その長い民族精神の伝統ということについて充分に尊重しなければならない。この意味で日本在来の童謡は日本の童謡の本源であり本流である。「マザア・グウス」もおなじく英国童謡の本源とみなしていいであろう。こうした民族の伝統ということを考えないで、ただ優秀な詩人の手になるもののみが真の高貴な歌謡だと思うのはまちがいであろう。私はそうした妙な詩人気取りはきらいである。
ほんとうを言うと、民謡とか童謡とかいうものは、たとえそれがある種の詩人の作だったにせよ、その歌謡が一般民衆のものとなった以上、その作者の名は忘れられて、その歌謡だけがすべての民衆のものとなる。そうして残れば残るだけ、その歌謡は民謡として成功したものだといいうる。すなわち作者の名が忘れられれば忘れられるだけ、ほんとうの民謡として光あるものであるのだ。
今日「マザア・グウス」の童謡として伝えられているもののうち、グウス夫人の作がむろんすべてであるとは思えぬ。いろいろ作者未詳のもの、子供そのものの声が混入しているにちがいない。グウス夫人の名すらも英国その他の英語本位の国々では忘れられて、子供たちはいわゆるお母さんがちょうの謡だと思っている。読まれるということよりも歌いはやされている。すなわちイギリス民族そのものの童謡となっている。この民衆そのものの歌謡を決して侮ってはならない。
ことにその快活、その機智、その鋭い諷刺、無邪、諧謔、豊潤な想像、それらのたぐいまれな種々相にはさすがに異常な特殊の光が満ちている。むろん、これらの中には純粋な芸術上の立場から見ると、多少の玉石混淆は免れぬ。しかしこれは民謡としての紹介にはしかたのないものである。だから芸術品として見てもずいぶんいいと思うものがある代わり、ずっと品位の落ちたのも少々はある。それにしてもどうにも棄てるには惜しいなんらかの鋭さが蔵されている。で、私は拾った。ただ無批判に手当たり次第に訳したのではない。これでないと「マザア・グウス」の大体がはっきりしないからである。子供というものはそうビクビクして教育しなくともよい。私は子供の叡智を信じている。
私はまたこれらの Nursery Rhymes を訳しながら、洋の東西を問わず子供の感情ないし感覚生活ということについてはほとんどおんなじだということに驚かされた。この中の「てんとうむし」のごときは全然日本の「からすからす」の童謡とそっくりではないか。幾つかの「ででむし」の謡のごとき、またほとんど同じではないか。
ただ、彼においてはきわめて都会的な軽快味とその縦横無碍の機智とにずばぬけている代わり、日本の子守唄のようなほんとにしみじみとしたあの人情味には欠けていはしまいかと思われる。で、私は日本在来の民謡やそうした子守唄のありがたさをつくづくと顧みた。ただここでは委細の比較は読者にお任せする。
私がこの集に訳出したのは「マザア・グウス」の童謡を主として、なお英米児童の間に行なわれている遊戯唄ねんねこ唄その他のものを取り混ぜた。
翻訳するに当たっては四、五種の童謡集、楽譜等をかれこれ参照した。同一の童謡でもいろいろ歌いくずされたり、抜かしたりしてある。はなはだしいのは肝腎な個所で全然反対の意に変わっているのもある。そういうのは最もいいと信じたものから選択した。この集の序詩のごときはどの本をのぞいてもところどころ抜けていた。で、みんなから綜合してあのとおりにまとめてしまった。しかしどの聯もどの行も私の自儘に作り足したのはない、そのままそろえて完全な一つのものとしたのである。
元来、翻訳ということはむずかしい。とりわけ韻文の翻訳は難行である。語学者でもなく、学力も乏しい私が、この難事に身を入れることはかなりはばかられることではあるが、ただ幸いに私は詩を作っている、民謡としての日本のことばをどうにか風味してきた。で、詩とか民謡とかについては、その真精神、そのリズムの動き方等にはまずまず相当の理解を持っているつもりである。で、その力を頼りにともかくやりはじめてみたのであった。
第一の困難は、これらの童謡はむろん手拍子足拍子で歌うべきものであるので、訳もまたきわめて民謡風の動律で、全然歌うようにしなければならない。で、原謡のリズムの動き方についてはそのとおりそのままの推移法を必要とする。これを違った国のことばで移そうとするのはかなり無理なことである。そしてまた歌えるようにするのはなおさらである。
で、ある少数の例外を除いて、私はなるべく一行ずつほとんど逐次に訳していった。大体において逐次訳といっていい。そのおかげて私は創作以上の苦しみをなめた。
もっとも、一昨年あたり、はじめてこのことに着手した当座はまだ不馴れで、充分手に入らなかったゆえに、謡いものとするために多少の手加減をしなければ思うように訳せなかった。それが次第に厳格な逐次訳でどうにか納めていけるようになった。で、この中には少数の手加減を入れた例外がある。
それから、Rain, rain go to Spain というような音韻上の引っかけことばのものは訳しようとするのがそもそもの無理であるから訳しなかった。「雨、雨、スペインへ」では原謡のおもしろみがなくなるからである。日本でなら「雨、雨、安房へ」というふうにあの韻で掛けてゆくべきものである。
Baa, Baa, Black Sheep というようなのも困った。すべてBでいっているのであるが、日本の黒羊のくにBは掛からない。かといって、「くうくう黒羊」でも羊のなき声は出ない。「なけなけ、黒羊」では意味だけのものになる。意味だけのものでは、ほんとうの訳にはならないのだ。しかたがなければその言語のまま生きさせるほかに道がない。
「やぶ医者のフォスタアさんが、グロオスタアへいって」というふうのものはこれもことばの上の引っかけであるが、固有の名詞でそのままやれるから、そのとおりにしておいた。「お医者さまの西庵さんが埼玉へいって」というふうのしゃれだ。これは両方が固有名詞でいってるのでそのままでいいが、雨とスペインのごとく、一つが普通名詞である場合はまったく困ってしまう。で、あるものは「とっぴょくりんのチャアレエが」と訳しては原謡の妙味が出ない場合に「とっぴょくりんのとん吉が」というふうにとで掛けたのもある。これはとん吉そのものが人名というより、「とっぴょくりん」そのものが通称化されているからさして障りにはならないし、チャアレエという人名は原謡にはただ音韻上のしゃれに使用したまでで、それ以上のものでないから本質的の引っかけの妙味を主として訳したのである。しかしこうした例はこれくらいである。
それからまた、
月の中の人が
ころがっておちて、
北へゆく道で
南へいって
凝えた豌豆汁で
お舌をやいてこォがした。
の原謡では「ノルウィッチへいく道をきいて、南へいって」であるが、ノルウィッチはロンドンの北に当たるので、本質の精神は北へが南と対照して、ノルウィッチを知らない日本の子供にはっきりわかるし、このほうがずっと簡潔でいいからである。こんな場合の地名は除けた。しかし、この例もほかにはめったにない。たいがい生かすべき固有名詞は生かした。
それからまた、日本語になおす場合に、語法の相違から、動詞の過去を現在格にしたり、そのまま直訳するよりも、かえってピタと本質的にその意に合う日本語がある場合は、その無意味な直訳は避けた。その真精神にそむくばかりでなく、日本語としても生きないからである。
それから、正直に「うまく返事をしてのけた」と訳したでは、かえってその本当の面目が出ない場合は「うまく返事をしてのきょか」というふうにしたのもある。
それからまた、「二十四人の仕立屋がででむしころしにいきました」を「二十四人の仕立屋がででむしころしにえっさっさ」とやったのもある。意は同じでも、えっさっさのほうが一列に、活動人形そのままになって、足がさくさくとおなじに動くからである。
それからみだりがましくてちょっと困るのは多少気品をよくするために手加減したのがある。
で、こういうのは例外であるけれども、それだからといって充分意識してやっているのであるから、詩法を知らぬ語学者から頭ごなしに誤訳呼ばわりをされたくない。
ただ、学力の不足のためか、うっかりしたためにとんでもないまちがいをしたことがあるかもしれない。そうした条々がもしあればどうか御教示にあずかりたくお願いする。
私はそれらの内容と動律の本質とをわが日本の民謡語であたう限り生かしきろうとつとめた。生かしえたなればありがたい。創作するとほとんど同様の誠意と熱心とをこれに傾けたのもこのゆえである。で、ある意味においては半ば私の創作ともいえよう。
底本:「まざあ・ぐうす」角川文庫、角川書店
1976(昭和51)年5月30日初版発行
1995(平成7)年1月30日24版発行
底本の親本:アルス版全集
1930(昭和5)年
※「*」は注釈記号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:藤本篤子
校正:八巻美恵
1998年1月21日公開
2010年11月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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