錢形平次捕物控
若樣の死
野村胡堂
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「親分、是非逢ひ度いといふ人があるんだが──」
初冬の日向を追ひ乍ら、退屈しのぎの粉煙草を燻して居る錢形平次の鼻の先に、ガラツ八の八五郎は、神妙らしく膝つ小僧を揃へるのでした。
「逢つてやりや宜いぢやねえか、遠慮することはあるめえ、──相手は新造か年増か、それとも婆さんか」
「あつしぢやありませんよ。錢形の親分に逢ひ度いんださうで、染井からわざ〳〵神田まで、馬に喰はせるほど握り飯を背負つて來ましたよ」
八五郎は自分の肩越しに、拇指で入口の方を指しました。
「堅い方だな、よく〳〵の事があつて遠方から來なすつたんだらう。洗足盥は洗濯物で一杯だ、すまねえが井戸端へ案内して、足を洗つたら此處へ通すが宜い」
平次がさう言ふのも待たず、
「恐れ入りますが親分さん、私は此處で御免を蒙ります──明るいうちに歸らないと、婆アが心配をいたしますので。へ、へ、へ」
妙な苦笑ひと一緒に、澁紙張にしたやうな五十恰好の老爺が一人、木戸を押し開けて、縁側の方へ顏を出しました。
「其處でも構はないが、陽が當つて少し眩しからう」
「へエ、天道樣に照らし付けられるのは、馴れて居りますので」
「成程、さう言へば狹い家の中よりは、埃つぽい江戸の街中でも、外の方が氣持がよからう、──ところで、あつしに用事といふのは何だえ、爺さん」
平次は煙草盆と座布圃を持つて、氣輕に縁側へ出て行きました。
「染井のお百姓で、仁兵衞さんといふんださうですよ。知合から知合を辿つて、向柳原の叔母さんのところへ來て、──お前さんに傳手があるちう話を聞いて來たが、錢形の親分さんに逢はせて貰れえ度え、お禮はなんぼでもするだから──と背負つて來たのは一と抱へほどの化けさうな人參と牛蒡──」
八五郎はツイ手眞似になるのでした。
「お前は引込んで居ろ、馬鹿野郎。そんなに思ひ詰めて來なすつたんだ、冷かしたり何んかすると承知しないぞ」
「へエ」
「爺さん、氣にしないで下さいよ。此野郎は賢こさうな口をきいてゐるが、心が少しばかり足りないんだから──」
「さうかね、見たところはそれほどでもないが、氣の毒なこつたね」
「へエツ、悔みまで言はれちや世話アねえ」
八五郎はプイと横の方を向きました。
「さて、爺さん、私に用事といふのは?」
「有難うございます。さう御親切にして頂くと私も染井くんだりから來た甲斐があります。實は親分さん、私の伜の文三の行方を突き留めて頂き度いのでございますが──」
「その文三さんとやらは、年は幾つで、何時、何處へ行きなすつたのだ」
「一年前、巣鴨庚申塚の赤塚三右衞門樣のところへ、奉公に參りましたが──」
「武家奉公だな」
「武家と申しても、赤塚樣は豪士で、公方樣からも格別の御會釋のある家柄でございますが、江戸開府前からの土着で、別に何處からも扶持を貰つて居るわけではございません」
「其處へ下男奉公にでも出したといふのか」
「伜の文三はその時十九、百姓の子のくせに華奢な育ちで、武家奉公の出來る柄ではございませんが、赤塚樣では大層なお氣に入りで、若樣の數馬樣のお相手にするから、たつてと申します。私共のやうな百姓の子に、學問武藝も仕込み、行く〳〵は用人に取立てるからといふお話でございました」
「?」
「で、それにお手當が大變でございました。一本立の武家奉公でも、當節は年四兩の給金は上の部でございますが、赤塚樣では年に十兩の給金を出した上、支度金が三十兩」
「それはまた大層な氣張りやうだな」
その頃三十金と言へば、安御家人の收入で、大家の嫁入支度でも、それほど掛けると人の目を引きます。
「私も年貢や借金やらが嵩んで、散々苦しんだ時でもあり、たつた一人の伜ですが、ツイ奉公に出す氣になりました。どうせ家へ置いたところで、百姓仕事の出來る伜でもございません。私共の子にしてはとんだ變り種で、江戸の何んとかいふお役者衆に似てゐるとやら、村中の娘達に大騷ぎをされてゐる好い男でございます」
「それは又」
平次も挨拶に困りました。八五郎は鼻の下を長くして、眼をパチパチさせ乍ら、面白さうに聽いて居ります。
「その伜が、去年の秋奉公に上がつたきり、一年あまりになりますが、一度も家へ歸してもらへないのでございます。町家の小僧奉公でも、年に二度の藪入がございます。それが親許へ歸してくれないばかりでなく、此方から逢ひに行つても、何んとかかんとか言つて、どうしても逢はして下さいません」
「誰がそんな事を指圖するのだ」
「御用人の久賀彌門樣のお取はからひでございます。尤も御主人の赤塚三右衞門樣は、もう七十近いお年寄で、その上中風の氣味で休んだきりだと伺つて居ります」
「で、その文三とやら、お前さんの息子さんから手紙くらゐは來るだらう」
「へエ、折々手紙は參ります。たしかに伜の筆跡で──檀那寺の和尚樣にも褒められましたが、伜は字もよく書きます、此處へ一本持つて參りましたが──」
百姓仁兵衞が縁側の上にひろげたのは、半切一枚に書いた至つて簡單な手紙で、親が自慢するだけ筆跡もよく書いてありますが、文句は通り一ぺんの時候見舞と、私のことは心配してくれるな、主人は親切で、何んの不自由もない──といふだけ、さう思つて見ると誠に味も素氣もない、空々しい文句です。
「人に見張られ乍ら書いたやうな文句だな、──外に氣の付いた事はないのかな」
「折々手紙に添へて金を送つて參りましたが、五兩三兩の小遣より、私と婆さんの心持にしては、たつた一ぺんでも宜いから、伜の顏を見度い心持で一ぱいで御座います。この秋になつてからは、婆さんが夢見が惡いと申しまして、うるさく伜の事を申しますので、三四度續け樣に赤塚樣へ參りますと、用事があつて大阪へやつたが、用事は混み入つて居るから歸りの程もわからないといふ、木で鼻の御挨拶でございます。大阪は何處に居るのかと訊ねましたが、それは教へてくれません」
「フム」
平次も腕を拱いてしまひました。何んか仔細がありさうですが、それだけではどう手の付けやうもありません。
「それだけなら、私も心配はいたしませんが、大阪へ行つてゐるといふ伜の姿を、私は此眼で、確かに見たのでございます」
「それは何時のことだ、場所は?」
「三日前でございました。伜は大阪へ行つて居ると言はれて、庚申塚の赤塚樣から、がつかりして歸りかけた時でございました。門を出ようとして、何心なくフト振り返ると、お庭の植込の間から紛れもない伜文三の顏が、なつかしさうに私の方を見て居るではございませんか、ハツとして驅け戻らうとすると、私の眼の前に立ち塞がつたのは、御用人の久賀彌門樣でございました。──伜があすこに居るぢやございませんか、一と眼逢はして下さい──と申しますと、──とんでもない、あれは當お屋敷の若樣で數馬樣と仰しやる方だ、其方の伜文三とよく似てはゐらつしやるが、若樣は人品骨柄が違ひ、それに左の頬に目につくほどの黒子がある。お前の伜と間違へるなどはとんでもないことだ──といやもう散々のお叱りでございました」
「──」
「でも、私にはあれがどうしても伜の文三と思へてなりません。一應は若樣にお目にかゝり度いと強つて申上げましたが、劍もほろゝの御挨拶で、がつかりして戻つて來ると、その翌る日は御屋敷からの手當として、思ひも寄らぬお金が十兩屆きました。盆でも暮でもないのに、それも疑へば變でないことでもございません。いろ〳〵考へ拔いた末、知合の者が八五郎親分の叔母さんに手蔓があると申しますので、思ひきつてお願ひに參りました。私は此目で三日前に見かけた伜に何んの變りもある筈はございませんが、あのまゝにして置くと、どんな事になるか心配でなりません。親分さんのお力で、伜を取戻して頂くなり、それが出來なければ、せめて伜の安否も知り、逢つた上で此先武家奉公するものか、得心づくで事を決め度いと存じます。何うしたもので御座いませう親分さん」
仁兵衞老爺は縁側に手をついて、折入つた樣子で頼み込むのでした。
「成程そいつは心配だらうが、旗本でも大名でもないと言つても、赤塚樣は江戸の名家だ。町方の御用聞が、いきなり踏込んで調べるわけにも行くまい。もう少し樣子を見ることにしては何うだ」
「へエ」
「その代り、少し心の足りない野郎だが、暫らくの間、八五郎に赤塚の屋敷を見張らせることにしては何うだ」
「へツ、少し足りない野郎でも、間に合ひますか、親分」
八五郎は甚だ穩かでない頤を突き出します。
「まア、不足を言ふなよ。足りない樣な顏をして、相手に油斷をさせるのは、孔明楠以來の兵法だ」
「有難い仕合せで」
「さう願へれば、有難いことですが──幸ひ庚申塚には、私の別懇にして居る家もございます。八五郎親分のお宿をさせて、精一杯の御馳走をさせることにいたしませう」
「そいつは有難いね爺さん、思つたよりお前さんは話せるね」
「皆さんがさう仰しやいますで、へツへツ」
染井の百姓仁兵衞は、八五郎と一緒に出て行きました。これが世にも不思議な事件の緒口にならうとは、もとより平次も八五郎も知る由はありません。
それから四日目、十一月の十三日のことでした。
「あ、驚いた。親分の前だが、巣鴨から神田迄驅けて來ると、隨分腹が減るぜ」
八五郎が寒天に大汗を掻いて飛込んだのです。
「何が始まつたんだ」
平次は日向のとぐろを解きました。
「殺しですよ。赤塚三右衞門の伜が殺されたんで──あ、あ、腹が減つた」
「呆れた野郎だ、合の手が多くて話の筋が通りやしない、──お靜、冷飯の殘つたのがあるだらう。お菜の苦勞なんか要るものか、澤庵と目差しで澤山だとも、──さア話せ、赤塚の伜がどうしたんだ」
「今話しますよ。食ふのとしやべるのとは一緒には出來ませんよ、生憎口は一つだ」
「不自由な野郎ぢやないか。鼻で食ひ乍ら口で話すんだ」
「無理だね、親分」
食ひ續け乍らも八五郎は報告しました。
昨夜赤塚三右衞門の伜數馬が、月に浮かれたか、フラフラと庭に出たところを、何者とも知れぬ曲者に、背後から一と突きに突き殺されたといふのです。
「それをお前は見たのか」
「見付けたのは今朝だ。其儘家中の者の口を塞ぎ、急病で死んだことにして、葬式の支度をしたのを、下女のお吉といふのから聽いて、土地の御用聞大塚の友吉を走らせ、變死の疑ひがあるから、檢屍前は葬ひを受け付けないやうにと、檀那寺に言ひ含め、あつしは朝飯も食はずに此處まで飛んで來ましたよ。兎も角行つて見て下さい、親分。餘つ程臭いことがありさうですよ」
八五郎の報告は箸を動かし乍ら一と通り濟みました。
「朝飯を食はずに駈け付けたのを大層恩に着せるぢやないか、──ところで、旗本や大名とは違ふにしても、公方樣格別の御會釋といふ赤塚家だ。十手捕繩を振り廻して乘込むわけにも行くまい。お前は一と足先へ行つてくれ。俺は八丁堀へ廻つて、笹野の旦那のお供でもして行かう」
「それなら宜い鹽梅で、笹野の旦那(與力筆頭笹野新三郎)は明日の御成の御檢分で、傳通院に御出役になつて居ります。先刻途中でお目にかゝつて申上げると、直ぐ平次をつれて來るやうに、此處の檢分は直ぐ濟むだらうからといふお言葉で──」
「そいつは有難い」
平次は早速支度にかゝりました。
傳通院で笹野新三郎に逢ひ、三人道を急いで巣鴨庚申塚に着いたのは、晝少し過ぎでした。
赤塚家は伜數馬の變死を、さすがに隱しきれなかつたものか、何んとなく物々しいたゝずまひですが、それでも苗字帶刀の豪士の威勢に押されて、土地の御用聞大塚の友吉も、無理に掻き廻しもならず、持て餘し氣味に見張つて居ります。
與力筆頭笹野新三郎が出役となれば、多寡が豪士の見識も文句もありません。
「拙者は與力笹野新三郎」
「それは〳〵御苦勞に存じます。主人三右衞門は老病にて臥つて居りますので、久賀彌門代つて御挨拶をいたします」
頑固一徹らしい用人の五十男は、眞四角にそれを迎へました。
土塀を繞らした嚴重な構へで、小さい大名の下屋敷ほどありますが、扶持も祿米もない赤塚家は、大地主として暮しを立てて居るので、家の造りも調度も、何んとなく百姓家らしい感じがあります。
「ところで、御子息數馬殿不慮の御災難を被られたと承はつたが、御遺骸は?」
「此方にお出でを願ひ度い」
案内したのは二た間三間を隔てた奧でした。無言で唐紙を開けて、無言で指した一と間は、思ひきや至つて粗末な六疊で、型の如く廻した逆さ屏風の中に、まだ入棺しない死骸が横たへてあります。
「あれは?」
笹野新三郎以下三人の姿を見ると、屏風の中からハツと驚いたやうに立上がつて、アタフタと廊下に消えたのは、今まで泣いてゐたらしい、眼の覺めるやうな娘。それは十八九にもなるでせうか、身のこなしの輕捷な、歎きのうちにも愛嬌と明るさを失はない、世にも可愛らしい處女でした。粗末な木綿物の袷も、少し山の入つた帶も、此娘の身につけることによつて、高貴な上品さを持つと言つた、それは不思議な魅力の持主です。
「當家の掛り人、駒と申します」
久賀彌門はむづかしく答へました。
笹野新三郎の眼の合圖で、錢形平次は死骸の側に進みました。片手拜みに默祷をさゝげて、胸へかけた薄いものを剥ぐと、傷は背中──左の肩胛骨の下から一と突き、心の臟をゑぐつた樣子ですから、まさに一とたまりもなかつたでせう。
「刄先に亂れも狂ひもありません。曲者は武藝の心得相當と見えます」
平次は獨り言のやうに言ひました。
「左樣か」
と新三郎。
殺された數馬といふのは、十九といふにしては少し老けて居りますが、細面の鼻の高い、眉の秀でた美男で、月代の跡の青々としたのも、頬の豐かなのも何んとなく痛々しい感じです。
「左の頬の黒子──これは刺青ではないか」
錢形平次の言葉は並居る人を驚かしました。若樣數馬の左の頬には目に立つほどの黒子がある──と百姓仁兵衞からも聞きましたが、死體の頬の黒子といふのは、側へ寄つて見ると、これは紛れない刺青です。眼尻から少し下がつた左の高頬、それは豆粒ほどの大きさですが、場所だけによく目につきます。
「そんな事はございません。若樣はその黒子を大變氣になすつて、針で掘つて取らうとなすつたやうですから、その跡が刺青のやうに見えるので御座いませう」
久賀彌門の説明に、平次は大して耳を傾ける樣子もなく、
「若樣は武藝などをおやりかな」
「いえ、生れ付き御病身で、武藝のお勵みはなさいません」
「それでは百姓の仕事などは」
「とんでもないことで」
「それにしては手が荒れて居るやうだが──」
平次は死骸の指などを念入りに見て居りました。
久賀彌門の案内で、三人は數馬が殺されたあたりを見るために、庭へ出て見ました。
「戸締りはどうなつて居るだらう」
「嚴重でございます、──實は當赤塚家には、先代から怨を結んだ敵がありますので、戸締りだけは嚴重の上にも嚴重を極め、ことに若樣は、日中もお一人では外へ出ないやうにいたして居りました」
「その敵といふのは?」
笹野新三郎は聽耳を立てました。いや、用人久賀彌門の調子には、此反問を待ち構へたやうな、妙な含みがあつたのです。
「何も彼も申上げた方が宜しいと存じます──、實は當主赤塚三右衞門には、三十年前家督を爭つた相手が御座います。當主三右衞門は幸ひ赤塚家先代の鑑識に叶つて當家の婿養子となり、赤塚家を繼いで三人の子をまうけましたが、赤塚家の家督を爭つた相手は、それを根に持つて、事毎に當家に仇をし、三十年に亙つて爭ひ續けて參りました」
「──」
笹野新三郎も、錢形平次も默つてしまひました。三十年前、赤塚の娘と、その身上を爭つた戀と慾との怨みが、まだ續いて居るといふことは、常人には一寸想像もつかない事です。
「赤塚家の三人のお子樣、十次郎樣、織江樣は、今から三年前、半歳のうちに亡くなりました。十次郎樣は水死、織江樣は中毒、どちらも疑はしい死に樣でございました」
「──」
「後に殘つた、たつた一人の御跡取の數馬樣にも、いろ〳〵の災難が續きました、──例へば理由もなく往來で喧嘩をふつかけられたり、材木屋の路地を通るとき、いきなり頭の上へ材木が崩れて來たり、朝の御食事に、石見銀山鼠取りが入つて居たり──」
「その怨みの相手といふのは?」
すかさず笹野新三郎が突つ込みました。
「申上げても一向に差支ないと存じます。──當家の主人三右衞門樣の從弟に當られる山浦甚六郎樣」
「それは何處に居られる」
「小石川駕籠町に浪宅を構へて居ると承はつてをります」
「あとで調べるがよい」
新三郎は平次を顧みます。話のうちに、廣い庭を横ぎつて、四人は深い植込みの前に立ちました。
「此邊でございました」
久賀彌門の指さしたあたり、末枯れた草が血を浴びて、紫色に光つて居る外は殆んど何んの變りもありません。
「數馬樣も時々は夜分獨りで外へ出られたんでせうね」
平次は誰へともなく訊きました。
「とんでもない。晝さへ滅多に外へ出られないやうに、嚴重に申上げて居ります」
「すると誰か誘ひ出しでもしたのかな」
「今夜の月は格別だ、少し寒いが──などと、宵のうちに彌太郎は申して居りましたが」
「彌太郎、──それは?」
「私の伜でございます。丁度其處へ參りました」
久賀彌門の引合せたのは、二十二三の逞ましい青年でした。これは殺された若樣の數馬とは反對に、男つ振よりは腕つ節に物を言はせる方で、醜い顏や、彈力的な長身に、何んとなく人を人臭いとも思はぬところがあります。
「父上、塀の崩れを見付けましたが」
彌太郎は植込みの奧の方を指さし乍ら、實は笹野新三郎や錢形平次に注意するやうに斯う言ふのでした。
「それは有難い。曲者の忍び込んだ場所がわかれば、又考へやうもあらう」
彌太郎に案内されて、深い植込みの中へ入ると、其邊は古い落葉が腐つたまゝで、さすがに植木屋の手も屆かなかつたものか、曲者の足跡などを見付けるたよりもありません。
「此通り」
指さしたあたり、成程土塀の上に置いた瓦は十數枚落ちて、腐葉土の上に滅茶々々に割れて居ります。
「八、お前の肩を貸せ」
「何をやるんで?」
「塀の外を見度い」
八五郎は物馴れた調子で土塀にピタリと添つて立つと、平次はその帶の結び目を踏んで、八五郎の肩の上に立ちました。胸から上は塀の上へ出て、外は一と眼で判ります。
「足跡でもあるんですか、親分」
「いや、草が深いから足跡は見えないが、俺は瓦の落ち具合を見たかつたんだ。案の定外には二三枚瓦が落ちただけだ、それも草の上へ落ちて居るから、一枚も割れて居ないよ」
平次はそんな事を言ひ乍ら、身輕に八五郎の肩から飛降ります。
「外に變つたことは?」
笹野新三郎が訊ねます。
「此邊に刄物があるやうな氣がしてなりません。八、來ないか」
「へエ」
平次は笹野新三郎と大塚の友吉を庭に殘して、八五郎と二人、ざつと土塀の内側を一と廻りしました。
「こんなことで刄物が見付かるでせうか、──それに曲者は武藝の出來る奴なら、刄物なんかを捨てて逃げる筈はないぢやありませんか」
深い葉や木立や草叢を分けるのが面倒臭くなつたか、八五郎は少しブウブウ言ひます。
「いや、曲者は刄物を此邊に捨てた筈だ──捨てるとなれば、大方見當のあるものだ。誰にも思ひ付かれない、途方もないところに捨てたつもりでも、人間の考へには大方筋道がある。途方もないところほど見付け易いわけだ」
平次は門の外へ出ると、今度は土塀に添つて、草叢や畑をグルリと一と廻りします。
一度崩れた箇所の反對側へ出た時、
「八、その溝を見てくれ、多分その邊だらう」
平次の指さしたのは、塀の内から大きな榎の枝が差出たあたり、塀から二間ばかり離れて流れて居る、三尺ほどの溝川でした。溝と言つても灌漑用の小流れで、底に目高の遊ぶのも數へられるほどに澄んで居ります。
「こいつは驚いた、天眼通ですね、──ありましたよ、親分」
八五郎は葉に隱れた溝の中から、手頃の脇差を見付けて、雫をきつて差上げました。
「拔いて見ろ」
「紐で鞘を縛つて居ますよ。おや、おや、中身は大變な脂だ」
「人を斬つた刄物だ、どれ」
平次はその脇差を受取ると、何やら八五郎に囁きます。
「染井へ行くんですか。え、一刻もありや眼をつぶつても行つて來ますよ」
「ぢや頼むぜ、俺はその間に駕籠町へ行つて來る」
「合點」
八五郎の氣の輕さ、其處から畑の中の徑を一散に飛びます。
「この脇差を御存じで?」
平次が持つて來た濡れた一と腰、用人久賀彌門は一と眼見ると、サツと顏色を變へました。
「それは」
「誰の物でせう、御用人」
「確かに見覺えがある。當家を怨む、山浦甚六郎樣の差料に相違御座らぬ」
「間違ひはありませんでせうね」
「間違ひはない」
久賀彌門の言葉には自信が充ちて居ります。
「私は一寸駕籠町まで行つて參りますが、旦那は庚申塚の番所でお待ち下さいませんか、友吉に案内させますが」
「宜からう」
平次の指圖に從つて、もう少し此事件の經過を見る氣でせう。笹野新三郎は大塚の友吉と一緒に出かけました。
それと別れて平次は、駕籠町に山浦甚六郎の浪宅を訪ねましたが、これは簡單にわかりました。
「拙者は山浦甚六郎だ。何んの用事か」
無精髯の生えた中老人が、貧乏臭い破れ障子の蔭から顏を出した時は、錢形平次も驚きました。庚申塚の赤塚家の豪勢な暮しに比べると、あまりにもひどい違ひやうです。
「昨夜赤塚樣の若樣數馬樣が殺されましたが、御存じですか」
平次の調子は率直でした。
「聽いたよ。たつた獨りの子を氣の毒だな」
山浦甚六郎は憮然として居るのです。
「旦那は大層赤塚樣を怨んで居なすつたさうですが」
「怨んで居るよ、赤塚の家督や身上は何うでも宜いが、あの三右衞門といふ男は、俺の許婚を横取りした奴だ──尤も怨は父親の三右衞門にあるが、小伜などを怨んで居たわけではない。赤塚では二人の伜の變死したのを、この山浦甚六郎のせゐにして居るさうだが、飛んでもない事だ。それは疑心暗鬼といふものだ──自分の罪に責められる愚人の惱みだ」
「もう一つ伺ひますが、旦那は昨夜、何處にいらつしやいました」
「ハツハツハツ、町方御用聞の其方には氣の毒だが、俺は數馬殺しの下手人ではないよ。昨夜は番町の舊友──今は出世して神尾攝津守となつて居る神尾十三郎殿の許へ參つて、碁を打つて泊り込んで、今朝此處へ戻つたよ。神尾攝津守は御鎗奉行だ、拙者が泊り込んで、夜つぴて碁を打つて居たことは、多勢の家來共が皆知つて居る。行つて訊いて見るが宜い」
「恐れ入りました。ではもう一つ、此脇差に御見覺えはあるでせうか」
「どれ〳〵」
山浦甚六郎は濡れた脇差を受取つて、打ちかへし打ちかへし眺めて居りましたが、
「ある。これは赤塚家に傳はつた、對の脇差の一本だ。拙者のでなければ、從弟の赤塚三右衞門のものだ」
「?」
「拙者のは此通り此處にある。中身は無銘の相州物、目貫は赤銅と金で牡丹、柄糸は少し汚れたがそつくり其儘だらう」
山浦甚六郎は、側にあつた自分の脇差を取つて平次に見せるのでした。濡れたのと濡れないのとの違ひはありますが、それは中身も拵へも、そつくり其儘の脇差、甚六郎の言葉には少しの疑ひやうもありません。
「有難うございました」
「もう歸るのか、家搜しでもしては何うだ。赤塚の三右衞門奴、伜を殺したのは、山浦甚六郎に相違ないとでも言つて居るだらう。馬鹿な奴だ、ハツハツハツ」
カラカラと笑ひ飛ばされて、平次は逃げ歸る外はなかつたのです。
番所に歸ると丁度染井から百姓仁兵衞を連れて八五郎も戻りました。
「サア、いよ〳〵大詰でございます。爺さんも一緒に來るが宜い」
平次は先に立つて笹野新三郎始め八五郎、友吉、仁兵衞を赤塚家に案内します。
「下手人の當りは付いたのか、平次」
笹野新三郎は少し不安さうでした。
「悉くわかりました。まことに質の惡い曲者でございます」
何やら平次には、腹の立つてたまらない樣子が見えるのです。
もう一度赤塚家へ戻ると、百姓仁兵衞が一緒に來たのを見て、用人久賀彌門、ひどく澁い顏をしました。が、笹野新三郎が附いて居るので、それをどうすることも出來ません。
奧の一と間、もとのまゝの死骸を置いてあるところへ來ると、
「爺さん、お前の伜の御主人だ。死骸にお目にかゝつて、念佛の一つも上げてくれ」
「へエ」
平次に言はれて、逆さ屏風の中に膝行寄つた仁兵衞は、恐る〳〵死骸の顏に掛けた白布を取りましたが、
「──」
ハツと息を呑んで、其まゝ死骸の顏に見入つて居るではありませんか。
「どうした、爺さん」
「伜ツ、──文三ツ。これ、どうしたのだ。誰がお前をこんな事にしたのだ」
仁兵衞はいきなり死骸の首を抱き上げると半狂亂の態でわめき立てるのです。
「よつく見ろ、それは本當にお前の伜か、似て居てもさうでないかも知れないぞ」
平次は、側から乘出します。仁兵衞の表情心持の動き、四方の空氣まで、毛程も見落さじとする樣子です。
「──自分の伜を見違へて宜いものか、これは私の伜の文三に間違ひもないだ。──頬に刺青か何んかあるが、右の耳朶に凍傷の跡があつて、左の手の小指が子供の時の怪我で曲つて居ますだ。誰が何んと言つても、伜の文三に間違ひはありましねえ」
仁兵衞は若者の死骸を抱き乍ら、掻き口説くのです。
「御用人、これはどうした事だ」
平次は後ろに小くなつて居る久賀彌門を顧みました。
「──」
「いくら家や主人が大事でも、顏形ちの似た他所の伜を騙してつれ込み、骸に黒子の代りに刺青までして、身代りにするのはひど過ぎはしないか」
「──」
「侍も百姓も、子の可愛さに變りはないぜ。赤塚だか黒塚だか知らないが、斯んな家の一つや二つ叩き潰しやどうなるてんだ。自分達の顎が可愛さに、人の伜を殺して濟むかよ、御用人」
平次は何時にない威猛高だつたのです。
「平次それは先づ宜いとして、下手人は誰だ」
笹野新三郎は聽き兼ねて注意しました。
「身代りの若樣──文三を外へ誘ひ出せる奴──ひと太刀で間違もなく文三を殺せる奴──曲者の逃げ道らしく、土塀の瓦を内から落した奴──本當に曲者が土塀を越えて忍び込んだのなら、瓦は半分以上外へ落ちなきやなりません。それに内側へ落ちた瓦のこはれやうもひど過ぎますよ。柔かい土の上へ落ちた瓦が、あんなに粉微塵になるものですか」
「──」
「まだありますよ。血染の脇差の始末に困つて榎の枝の上から、塀外の溝に投げ込んだ奴」
「それは誰だ」
「山浦甚六郎とかいふ浪人者は何んにも知りやしません。あれは若い時此家の主人と女の事で怨みを結んだか知れませんが、三十年經つてから、相手の伜を三人も殺すやうな惡黨ぢやありません、──皆んなさう思つたのは此方のひがみからで」
「では誰だ」
「その娘に訊いて下さい、──お駒とか言ひました。その娘さんは先刻、文三の死骸の側で泣いて居りました。その娘が文三を殺した下手人を知つてゐる筈です。お駒さんと文三と懇ろになるのを我慢の出來なかつた人間が一人あつた筈です。──腕の立つ若い男、──主人の居間から、あの脇差を持出せる奴。土塀の崩れに内側から細工をした奴──あツ、八。逃すなツ」
娘お駒の視線に追はれて、パツと逃出した男は、八五郎の糞力に無手と組付かれました。
「あツ伜」
それは用人久賀彌門の伜、彌太郎の追ひ詰められた狐のやうな顏だつたのです。
底本:「錢形平次捕物全集第二十卷 狐の嫁入」同光社磯部書房
1953(昭和28)年11月15日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
1947(昭和22)年11月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
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校正:門田裕志
2016年3月4日作成
2017年3月4日修正
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