錢形平次捕物控
佛像の膝
野村胡堂




「親分、こはい話があるんだが──」

 ガラツ八の八五郎が、息を切らして飛込みました。櫻のつぼみもふくらんだ、あるうらゝかな春の日の晝少し前のこと──。

おどかすなよ。いきなり、飛込んで來やがつて」

 錢形平次は鎌首かまくびをもたげました。相變らず日向に不景氣な植木鉢を竝べて、物のをなつかしんでゐたのです。

「鐵砲ですぜ、親分」

 八五郎は餘つ程急いで來たらしく、まだ筋を立てては物が言へません。

「鐵砲? 俺は、女房の方が餘つ程怖いよ」

 平次はさう言ひ乍ら女房のお靜の方を振り返りました。

「まア」

 陽炎かげらふが立つほど着物をひろげて、つくろひに餘念もないお靜は、ツイ陽にくんじた顏をポーツと染めます。

「冗談ぢやありませんよ、親分。通り三丁目に店を持つてゐる釜屋半兵衞が、北新堀の家で鐵砲でやられたんだ」

「成程、そいつはうるさい事になりさうだな。行つて見ようか、八」

 平次はやうや神輿みこしを擧げました。

 その頃は幕府の取締りが嚴重を極めて、大名が道具を揃へるのでさへ、鐵砲となると一々面倒な屆出が必要とされ、一般人の江戸持込みなどは全くできない時代ですから、鐵砲の人殺しなどといふ事件は、錢形平次の長い經驗にも、かつてないほど珍らしいことだつたのです。

 二人が北新堀へ着いたのは晝少し過ぎ。靈岸島れいがんじまの瀧五郎といふ土地の御用聞が、子分と一緒に朝つから詰め切つて、御檢屍前に下手人げしゆにんの目星でもつけようと、一生懸命の活躍を續けてゐる眞つ最中でした。

「錢形の親分か、丁度いゝところだ」

 瀧五郎はさり氣なく迎へます。この素晴らしい競爭者には、どうせ太刀打が出來ないと思つたのでせう、眉宇びうの間に焦燥せうさうの稻妻は走りますが、でも、唇には愛想の良い微笑さへ浮びます。

「鐵砲でやられたさうぢやないか──滅多にないことだから、後學のため見て置き度い」

 平次はこの大先輩だいせんぱいと手柄爭ひをする氣などは毛頭ありません。

 釜屋の家族や奉公人達は、すつかりおびえて遠くの方から眼を光らすだけ。その重つ苦しい空氣の中を、瀧五郎は、平次を案内しました。

「錢形の。この通りだ」

 湊橋みなとばし寄りに建つた離屋はなれの、豪華を極めた一室を、瀧五郎は縁側から指すのです。

 この室の異樣な飾りや、その調度の豪勢さには、平次もさすがに眼を見張るばかり、暫くは死骸のあるのも忘れて、四方あたりを見廻しました。和蘭オランダ風と言ふか、平次には見當もつきませんが、疊の上に異樣な模樣を織り出した絨毯じうたんを敷いて、唐木からきの机、ギヤマンの鏡、金銀の珠玉に細工をした手廻りの小道具まで一介の町方御用聞の平次に取つては、生れて初めて見る品ばかりです。

「釜屋が(密輸入)を扱ふといふ噂が滿更嘘ぢやなかつたんだね」

 そつと後ろからさゝやくガラツ八を目顏で制して、

「フム、これはひどい」

 平次は一歩死骸に近づきました。

 緞子どんすの夜具を少し踏みはだけ、天鵞絨ビロードの枕を外して死んでゐるのは、五十前後の脂切つた男で、おびたゞしい血潮を拭いたあたりには、首筋から胴へ撃ち込んだ彈丸たまの跡がマザマザと見えて居ります。

「何處から撃つたんだらう?」

「あの通りさ──隣の部屋に鐵砲があるよ」

 瀧五郎の指した方、丁度死骸の枕元一間位のところ、金箔きんぱくを置いた襖に指の先ほどの穴があいて、隣の部屋から午後の光線が明々と射してゐるのでした。

 隣の部屋を覗いて見ると、其處はザラに見かける事のできないおびたゞしい骨董こつとうを飾つた廣間で、疊敷にして十五疊ほどあるでせうか。その向うにはもう一つ、六疊ほどの控への間のあるのが、明け放した唐紙の先に見えて居ります。

 問題の鐵砲はその十五疊の隅に置いた、巨大な鎌倉かまくららしい佛像の臺座の下、見事なへうの皮の上にフンハリと落ちて居ますが、曲者くせものは多分、唐紙越しに一發で主人を仕止め、鐵砲を投げ出して逃げうせたのでせう。

 佛像から、唐紙の穴まで三尺あまり、穴のふちが少しげてゐるところを見ると、此の位置から拳下こぶしさがりに撃つたもので、その工合は臺の上に結跏趺坐けつかふざした佛像が、膝だめに打つ放したものとしか思はれません。

「不思議だ」

 一生懸命首をひねる平次の顏を、

「何が不思議なんで? 親分」

 ガラツ八のキナ臭い鼻が下から覗きます。

「腑に落ちないことばかりだよ。唐紙の外から鐵砲を撃つて、確かに人間が殺せる道理はないぢやないか。彈丸に眼があるわけはないぜ」

「──」

「それにこの鐵砲には火繩が仕掛けてないよ──曲者が鐵砲を撃つた後で、火繩を外して逃げたとしか思はれない」

「佛樣が撃つたんぢやありませんか」

 八五郎はんな途方もないことを、ニヤリともせずに言ふのを、平次も眞面目に受け應へをするのです。

「俺もそれを考へてゐるんだ。死骸の傷から眞つ直ぐに、唐紙の穴を辿たどつて來ると、丁度佛樣の膝のあたりに來る──」

「冗談ぢやないぜ。木でつて金箔きんぱくを置いた佛樣が人殺しをするわけはねえ」

 仰天したのは瀧五郎です。



「鐵砲は和蘭オランダ物ぢやないか」

 平次は毛皮の上から鐵砲を取上げました。蒔繪まきえも何んにもなく、眞鍮しんちうやニツケルを使つた精巧な出來は、その頃九州やさかひの鍛冶が打つた武骨──だが豪勢な感じのする日本出來の鐵砲ではなく、どうしても實用一點張りにそのくせ華奢に見よげに造つた和蘭物でなければなりません。

「こんな品は、町人や百姓の家にあるわけはねえ。大名道具だぜ」

 平次と瀧五郎はそんな事を言ひながら、なほも十五疊の部屋中を搜し廻りました。戸棚の中も押入も一々目を驚かす物で一パイ。何に使ふ品か、何をする品か、まるで見當が付かないものばかりです。

「こいつは何だ? 恐ろしく重いぜ」

 八五郎が引張り出したのは、大きな唐櫃からびつが一つ、ふたを拂ふと、

「あツ、大變ツ」

 中は小判で一パイ。何百兩、何千兩あるやら見當も付かない有樣です。

「騷ぐな八。小判といふものを見たことのない人間ぢやあるまいし、見つともないぢやないか」

 平次もその後ろから差覗いて、小首をかたむけました。

「でも親分、これだけありや大抵の人間はうなされますよ」

 ガラツ八の無駄口には答へず、小判の唐櫃を調べてゐた平次は、

「おや、それは何だい?」

 小判の中に埋まつた眞つ黒なつぼを取出しました。その蓋を開けると、壺一パイ詰つたのは黒々とした異樣な品物です。

「變なものですね」

 側で一服してゐたガラツ八も覗きました。

「危ないツ、八」

 平次はいきなり八五郎を突き飛ばします。

「あツ、何をなさるんで、親分」

煙管きせるなんかくはへて覗く奴があるか。そいつは煙硝えんせうだよ。──火が移つて見ろ、お前も俺達も木ツ端微塵みぢんだぞ」

「へエ、これがねえ」

 ガラツ八は只呆氣あつけに取られるばかりでした。その頃はまだ一般人は火藥といふものさへ見る機會が少なかつたのです。

 小判と火藥の外に、なまりで作つた鐵砲玉をたした、鹿皮しかがはの袋も見付かりました。

「兎に角、家中の者に逢つて見よう。下手人の目星をつけるのが先だ」

 その中にも瀧五郎は、岡つ引本能を働かせて、獵犬のやうに血の匂ひに引きられて行くのでした。

「それも宜からう。八、家中の者をまとめて置いて、一人づつ此處へ呼び入れてくれ」

「へエー」

 飛んで行つた八五郎は何やら大きな聲で指圖をしてゐる間に、平次は次の六疊に入つて戸棚や押入の中をひと通り調べました。此處は隣の十五疊と打つて變つた簡素な部屋でひと通りの夜具布團と、誰がゑるのかおきうの道具があるだけ。

「へエ、親分さん方、御苦勞樣で」

 最初に入つて來たのは、八五郎の紹介によれば、番頭の伊八といふ五十男でした。ひどく線の太い、ノツソリした感じの人間で、何う見てもこれが有名な釜屋の支配人とは思へません。

「昨夜のことをくはしく話してくれ」

「詳しくと申しても、何んにも存じませんが、主人は宵から離屋に引籠つて、大事な客があるからどんな事があつても誰も來てはならぬといふことで御座いました」

昨夜ゆうべに限つてそんなことを言つたのか」

「今までも時々そんな事が御座いました。大抵そんな時は、離屋へお客樣で」

「昨夜も客があつたんだな」

「へエー。立派なお武家樣で、大藩の御留守居と言つた方で御座いました。少しなまりのある、四十前後の」

「それから」

 平次はうながしました。

「一刻ばかりお話になつて、戌刻半いつゝはん(九時)頃お歸りになりました」

「何にか物を持つて來なかつたのか」

「重い物をお持ちで──。お供が三人外で待つて居られました」

「それから」

「お客が歸るとお島さんを呼んで掃除さうぢをさせつかれたからと仰有つて一杯召し上がつて、朝のうち忘れてゐたきうを据ゑさしたやうで」

「お島さんといふのは何だ?」

「召使ひで御座います」

「それから釜屋の身上しんしやうの具合はどうだ?」

「私にはよくわかりません。萬事主人がいたしますので、でも、大そうな、身上で御座います」

 この番頭は、恐らく何にも知らずに、店では丁稚でつちや小僧を引廻して商賣をやり、北新堀の家では用心棒とも祕書役ともなく勤めて居るのでせう。

「もう一つ訊くが、この押入の唐櫃からびつに隱してあつた小判、支配人のお前は知つてゐるだらうな。──あれは何處から入つた金だ」

「それは初耳ですが、昨日きのふまでその唐櫃は空つぽで御座いました」

「何? 昨日まで空つぽ? それは本當か」

うそを申しても仕樣が御座いません」

 伊八の言葉は至つて自然で、何の作爲があらうとも思はれません。



「お前はお島といふのだな」

「ハイ」

 二人の前へ小さく坐つたのは、二十五六の淋しい女でした。顏形は端麗たんれいと言つてよく、道具の揃つて居ることは拔群ばつぐんですが、血色がひどく惡い上に、愛嬌あいけうや世辭を何處かへ振り落したやうな無表情で、斯う相對してゐても何となく、一種の壓迫を感ずるやうな、底の知れない淋しさが、ムラムラと此の女の身體から湧き起るのです。

昨夜ゆうべどんな事があつたか、話してくれ」

「お客樣がお歸りになりましたので、私が參つてお掃除さうぢをいたしますと、一杯召し上がると仰有つて、ほんの一合ばかりつけて差上げましたが、毎朝ゑるきうを忘れて居たが、肩がつていけないから、今からでもやつてくれと仰有つて、肩と、三里に据ゑて上げました。それからお床を伸べて亥刻よつ(十時)少し過ぎに私は引取りましたが──」

 お島の話はハキハキして居ります。

離屋はなれの戸締りは?」

「主人が御自分でなさいます。今朝辰刻いつゝ(八時)過ぎになつても戸があかないので、番頭さんと小僧と二人がかりで雨戸を押し倒して入ると、あの始末で御座いました」

 すると釜屋半兵衞は自分で締めた離屋の中で、姿の見えぬ曲者に、隣の部屋から鐵砲で撃ち殺され、曲者は戸の隙間からでも逃げ失せたことになります。

「昨夜鐵砲の音がした筈だが──」

「私が母屋おもやへ引取つて小半刻ほど經つてから何處からともなく恐ろしい音が聞えました。まさか鐵砲とは思ひません。櫻時はなどきでもあり、多分雷鳴かみなりだらうと、皆んなでさう申し乍ら其の儘やすんでしまひました」

「その音を聞いた時、母屋では皆んな顏が揃つて居たのだな」

「ハイ、大抵揃つて居たやうで御座います」

「大抵?」

「御新造のお袖さんはまた、頭痛がすると仰有つて、宵から、御自分の部屋に引籠りました」

「ところでお前の生國しようごくは何處だ?」

 平次の問ひは唐突たうとつでした。

「長崎で生れましたが」

「江戸へ來て何年になる」

「五年ほどになります」

 お島の答へには何のよどみもありません。

「そんな事でよからう。そのお袖さんとやらも呼んでくれ」

 お島は默つて引下がりました。その後姿が見えなくなると、何處から出て來たか、ガラツ八の物々しい顏が、

「若旦那の初太郎の嫁のお袖が、殺されたしうとの半兵衞の氣に入らなくて、出すの引くのと言つて居たさうですよ」

 斯う平次の耳に囁きます。

「ウムそんな事がありさうだと思つたよ」

もつとも若旦那の初太郎はそんな事があれば女房と一緒に家を出ると言つて居たさうで」

 そんな事を言つてゐるところへ、嫁のお袖が出て來ました。二十一といふにしては、少し初々うひ〳〵しく、健康で明るくて、心配もうれひも利かない姿ですが、それだけ愛嬌者で、誰にでも好かれさうな女です。

 若さと恥かしさと、恐ろしさにさいなまれて、何を訊いてもはか〴〵しい答へはありませんが、しうと半兵衞との仲はあまりよくなかつたらしく、突つ込んで訊くと──

「どうせ至らない私ですから──」

 と涙ぐむばかりです。さうかと言つて、急に此の家を出るといふ話ではなかつたらしく、昨夜のことは、お島や伊八の話と符節ふせつを合せたやうに同じです。

「昨夜頭痛がすると言つて、早く部屋へ引取つたといふではないか」

「え、どうにも我慢が出來ませんでした」

「部屋から外へは出なかつたのか」

 瀧五郎が口を容れました。

「え」

 無造作にうなづきます。

 若旦那の初太郎といふのは、二十三四の好い男ですが、父親の半兵衞の鋭さ、したゝかさとは似もつかぬ典型的な坊ちやんで、何を訊いてもお袖以上にらちがあきません。色白で、華奢で、少しどもりで、女房大事といふ外には慾も意地もないやうな姿を見ると、獨り者を見得にしてゐるガラツ八は、すつかり氣を惡くして、縁側からぺツ〳〵とつばばかり吐き散らして居ります。



「錢形の親分、下手人ほしの見當は?」

 ひとわたり調べが濟むと、待ち構へたやうに、瀧五郎は言ふのでした。

「困つたことに少しも判らない」

 平次は頭を振りました。三十をやつと越したばかりの苦味走つた顏に、深々と憂欝なしわきざみます。

「あの嫁が變ぢやないか」

「戸締りの嚴重な離室に入れるわけはない──入つても、出る工夫はない」

「すると?」

「下手人は佛樣より外にない──あの木彫りの佛像が鐵砲を膝だめにして、唐紙越しに釜屋半兵衞を殺した──と見る外はない」

「そんな馬鹿なことが──」

 瀧五郎は一應笑ひ飛ばしましたが、曲者の逃げ道が分らないと、佛樣を下手人にする外はありません。

「それより大變なことがあるかも知れない。八、昨夜離屋へ來たお武家の身許が判る工夫はないか。店中の者は言ふ迄もなく、近所の衆へ訊いてくれ。供の者が三人で何千兩といふ金を持つて來た筈だ。提灯のもんとか、お供の絆纒はんてんとか、何にか目印があるだらう」

「へエ──」

 八五郎は飛んで行きました。其の後で平次はもう一度支配人の伊八に逢つて近頃の大きな取引から、荷の入り工合、手紙のやり取りなど念入りに訊ねましたが、隨分ずゐぶん念入りに祕密がたもたれたらしく、昨夜の武家の身許を暗示するものは一つもありません。

「親分、驚いたの驚かないの」

 間もなく八五郎が戻つて來ました。

「何を驚くんだ?」

「昨夜のお供ですよ。提灯は手拭で鉢卷をさせて紋所を隱してあつたし、供の者の絆纒はんてんは皆んな裏返しに着て居たさうで」

たくらみは深いな」

 う聞くと、相手の容易ならぬ用心に、平次といへども手の下しやうがありません。

「昨夜の武家が臭いといふのか」

 瀧五郎に取つては、平次が昨夜の武家にばかりこだはつてゐるのが氣に入らなかつたのでせう。

「容易ならぬことがあつたらしいよ。俺は何んとかして、その武家の身許が知り度い」

「武家は戌刻半いつゝはんには歸つてゐるぜ。鐵砲の音のしたのは、それから一刻も後だ。箱のやうに念入りに戸締りをした離屋に忍び込んで、鐵砲で人を殺して逃げる工夫はあるまい」

「その通りだよ、瀧五郎親分」

 平次はそれ以上に爭ふ意志がないらしく、瀧五郎の不服らしい顏にも構はず、何やら、考へ込むのでした。

 その日のうちに檢屍が濟んで、次第に弔問てうもんの客も多くなりましたが、平次は伊八に注意して、五六人の僧を呼び、引つ切なしにきやうを讀ませて、町内中に知れ渡るほどの、最も盛大なお通夜を營ませました。

「許せよ」

 その晩戌刻半いつゝはん頃、生暖かいのに覆面ふくめんをした一人の武家が、三人の供をつれて釜屋の入口に立ちました。

「へエ、入らつしやいまし。どなた樣で?」

 門口へ出たのは、三十前後の若い男──それは錢形平次の、番頭になり濟した姿だつたことは言ふ迄もありません。

「拙者は昨夜參つた者だが──姓名せいめいは申すわけに參らぬ──。昨夜の約束の品を受取り度い」

 釜屋の樣子の唯ならぬに、武家も何んとなく心臆こゝろおくれた樣子です。

「どんなお約束か存じませんが、主人半兵衞は昨夜急にくなりました。御覽の通り今晩は通夜でございます、へエ──。いづれ改めて御挨拶にまかり出ます。お名前と御屋敷を、うけたまはつて置けば──」

「それが申されぬのぢや。噂には聞いたが、主人半兵衞は、矢張り亡くなつたのぢやな」

「へエ」

「それは困つた」

 武家は全く困り果てた樣子です。

「大抵のことは、私で相分るかと存じます。そのお約束とやらを、仰有つて下されば」

「されば──」

 武家は言はうとして、フト口をつぐみました。番頭に化けた平次の調子のさり氣ないのに似ずその眼もその態度も、一寸一分の隙もないばかりか、鬪志が全身にあふれて、烈々と人に迫るものがあつたのです。

「いや其方そのはうに申してもわかるまい。主人半兵衞が案内してくれる筈であつたが、拙者でも分らぬことはあるまい。──ところで、店の名前の入つた提灯ちやうちんを一つ借り度い」

「へエお安いことで、暫く、御待ちを」

 平次は小僧に言ひ附けると、釜屋の名の入つた提灯を一つ取出させ、灯りまで入れて貸してやりました。

「これで宜しう御座いますか」

かたじけない、それでは借りて行くぞ」

 町の闇に消え込む武家、外に三人の供と大八車が二臺、わだちの音を殺して靜かに〳〵後を追ひます。



 覆面の武家と三人の供と、二臺の大八車が鐵砲洲稻荷てつぱうずいなりの裏まで來ると、ピタリと立ち停りました。

 夜はもう亥刻半よつはん過ぎ。四方あたりうるしの如く眞つ暗で、早春の香ばしい風が生暖かく吹いて來ますが、町も水も妙に靜まり返つて、夜の無氣味さだけが、犇々ひし〳〵と背に迫ります。

「般頭、船頭」

「へエー」

 かねて約束があつたものか、稻荷橋下にもやつてゐる一さうの傳馬から、一人の船頭がヌツと身を起しました。

「釜屋から參つた。約束の品を引渡してくれ」

「確かに釜屋でせうな。間違ひがあると困りますが」

「それは大丈夫だ。此の通り提灯を持つてゐる──それにこの取引は誰も知らぬことだ」

「それぢやお渡し申しますよ。──五梃づつこもへ包んであるが」

「よし〳〵」

 二人の船頭が船の中から取出して渡す菰包が二十。それををかに居る三人の供の者が受取つて二臺の大八車に積むと、覆面の武家に護られて、永代橋の方へサツと引揚げます。

 やがて車は大川端へ出た頃。

「待て〳〵後ろからけて來る者がある」

 覆面の武家は立止つて暗の中をすかします。

「旦那、私で御座います」

「あ、釜屋の番頭か、びつくりしたよ」

 武家は何にか知らホツとした樣子です。

「お氣の毒樣ですが、その荷物をお渡し申すわけには參りません」

「何?」

「お上のお指圖で御座います。恐れ入りますが釜屋までお越しを願ひます。その代り、小判三千兩は、たしかに御返し申し上げます」

 釜屋の番頭になり濟した平次は、二臺の大八車の梶棒を抑へてきつとなるのでした。

「え、今更何を申す」

 覆面の武士は、三人の供を後ろに追ひやるやうに、刀の鯉口こひぐちを切つて平次の前に立はだかつたのです。

「旦那、鐵砲の賣買は嚴しい御法度ごはつとで御座いますよ」

「何を馬鹿なツ」

 事面倒と見たか、サツと拔いた一刀、用捨もなく平次に斬り付けるのを、かい潜つて、

「八、その車を頼むぞ」

「合點だ、親分」

 闇の中から飛出したのは、八五郎、瀧五郎始め、二三人の子分共。あつといふ間に三人の供を追つ拂つて、二臺の大八車を分捕つてしまひました。

おのれツ」

 事の破れと見た覆面の武家、必死の勢ひで平次に斬つてかゝるのを、二三度はかはしましたが、さすがに容易ならぬ腕前。大川の夜の水へギリギリまで追ひ詰められて、錢形平次も持て餘し氣味です。

「えツ、面倒」

 サツといで來る太刀、辛くもかい潜つた平次の手からは、得意の投げ錢が久し振りに飛びました。小さいが、目方のある四文錢。夜風をつて武士の顎へ、額へ、鼻の頭へ。

おのれツ」

 疊みかけて襲ふ武家の手が、此の不思議な武器に封じられて暫く躊躇ためらふ隙に、二臺の大八車は獲物を積んだ儘、ガラツ八と瀧五郎にかれて、八丁堀組屋敷の方へ一散に飛びます。



 覆面の武家は逃しましたが、幸ひ二臺の大八車は首尾よく組屋敷に引入れました。深夜乍ら與力笹野新三郎、立會ひの上檢査をすると、和蘭オランダ物の鐵砲五梃づつこもに包んだのが二十包で百梃。磨きの眞新しいのが灯の下に並べられるのを見ると、流石さすがに笹野新三郎も息を呑みました。

「釜屋半兵衞が、和蘭人オランダじんから仕入れた拔け荷の鐵砲百梃。長崎から江戸まで船で運んで來て、三千兩の大金で大名方に賣つたのに相違御座いません。幸ひ途中で見付けましたが危ないことで御座いました──」

 平次は今までの經緯いきさつ細々こま〴〵と説明したのです。

「その大名方は? お名前は分らぬか」

「一向分りません。が、たつた百梃の鐵砲で謀叛むほんたくらむ筈も御座いません。多分物好きな大名方の買物で御座いませう。此の儘何事も知らぬ顏に過すのが、天下靜謐せいひつのためと存じます」

「成程そんな事もあらう」

 笹野新三郎はうなづきました。

 平次の一行が八丁堀を引揚げたのはもう明け方。

「錢形の親分。百梃の鐵砲を見付けたのは上出來だつたが、釜屋半兵衞殺しの下手人げしゆにんはどうなるんだ」

 靈岸島の瀧五郎は不足らしく言ひました。

「釜屋殺しの下手人なら、分つてゐるぢやないか、瀧五郎親分」

 平次は何の氣取りもなくう言ひます。

「冗談だらう、錢形の」

「俺は鐵砲の方に夢中になつてゐたんだ──釜屋半兵衞殺しの下手人なら分つてゐるよ。あのお島とか言ふ下女だ」

「え、あの女が下手人? 隣の部屋から主人を鐵砲で撃つて、戸の隙間からでも逃出したといふのかえ」

「まア。さう言つたわけさ。あの女には半兵衞を殺すだけの理由があつたんだらう。あの晩半兵衞が一杯飮んで、きうゑられてウトウトするのを見ると急に殺す氣になつたのだらう。隣の離屋には煙硝えんせう彈丸たまも込めて先刻半兵衞が武家に見せた見本の鐵砲がある。お島はそれを佛樣の膝の上に乘せ、唐紙越しに隣りの部屋の主人の胸を撃つやうに仕掛けて鐵砲の火皿へ長い線香を一本、火の點いたまゝ立てたのさ。──主人の床はお島が敷くから、佛樣の膝から拳下こぶしさがりに鐵砲の筒口を向けると、唐紙越しに半兵衞の胸を撃つことは、ちやんと前から見當をつけて置いたんだらう」

 平次の説明の奇怪さ。瀧五郎もガラツ八も、默つて次をうながしました。

「お島がそつと歸つた後で、半兵衞は眼をさまして、中から雨戸を嚴重に締めたんだらう。そんな事は時々あつた筈だ。隣の部屋の線香の匂ひは、ツイ先刻灸を据ゑたばかりだから氣が付かないのも無理はない。半兵衞はそのまゝ本當に寢入つたのだらう。それから四半刻ばかり經つて、線香がきると、鐵砲は獨りでドンと鳴つた。彈丸は寸分の狂ひもなく、唐紙を突き拔けて、半兵衞の首筋から胴へ──」

「それほどよく分つてゐるなら、なぜ教へてくれなかつたんだ、錢形の親分」

 と瀧五郎。

「確かな證據は一つもないよ。──それに相違ないと思つても、いざとなると人を縛るほどの證據にはならない。──それに俺は鐵砲の方で夢中だつたんだ。謀叛むほんたくらむ大名などがあつては大變ぢやないか。──もつとも、謀叛でも企む程の人間なら、江戸で鐵砲を買込むやうなあんな間拔けな事はしないだらう。暇で仕樣のない大名が、拔け荷の和蘭鐵砲オランダでつぱうを賣込まれて、ツイ欲しくなつたんだらう。──氣の毒なのはあの武家さ。鐵砲は横取りされ、三千兩は戻らず、腹でも切らなきや宜いが」

「急がうぜ錢形の。あのお島とか言ふのが、まだ氣が付かずに居るだらう」

 瀧五郎は足を早めました。此の足で釜屋へ行つて、有無を言はさずお島を縛る氣だつたのです。

 だが、それは飛んだ當て違ひでした。お島は一通の手紙を殘して、昨夜ゆうべのうちに家出し、何處とも知れず姿を隱してしまつたのです。

 その手紙によると、──釜屋半兵衞は非常な惡人で、長崎に居る時分あきなひの利分りぶんのことから私の父親を殺し、江戸へ出て拔け荷で大儲をしてゐたが、明かに親の敵と分つてゐても、言ひ立てるほどの證據もなく、それに女の細腕では、人一倍したゝかな魂と力を持つた半兵衞を討ち取る望もなく、心ならずも折を狙つて月日を過してゐるうち、昨夜といふ昨夜こそは、まことに千ざいぐうの時節到來、拔け荷の見本の鐵砲を借りて仇を討つたに相違はない。──佛の膝に鐵砲を抱かせたのは、せめて佛罰ぶつばつを當てたつもり、本懷をげた上は此の儘長崎に歸つて、逃げも隱れもせずに、年取つた一人の母親につかへるつもり──と書いてあつたのです。

「道理で無愛想な女だつたぜ。俺はあんな女を見たこともねえ」

 ガラツ八は拍子拔けのした瀧五郎を慰め顏に言ふのでした。

「親の敵でも討たうといふ女が、お前に白い齒などを見せるものか、ハツハツハツ」

 平次も初めてカラカラと笑ひました。

底本:「錢形平次捕物全集第十八卷 彦徳の面」同光社磯部書房

   1953(昭和28)年1020日発行

初出:「文藝讀物」文藝春秋社

   1944(昭和19)年3月号

※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:門田裕志

2016年34日作成

2017年34日修正

青空文庫作成ファイル:

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