錢形平次捕物控
茶碗割り
野村胡堂
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「親分、ちと出かけちやどうです。花は盛りだし、天氣はよし」
「その上、金がありや申分はないがね」
誘ひに來たガラツ八の八五郎をからかひ乍ら相變らず植木の新芽をいつくしむ錢形の平次だつたのです。
「實はね、親分。巣鴨の大百姓で、高利の金まで貸し、萬兩分限と言はれた井筒屋重兵衞が十日前に死んだんだが、葬ひ萬端濟んだ後で、その死に樣が怪しいから、再度のお調べが願ひ度いと、執拗く投げ文のあるのを御存じですかい」
八五郎は妙な方へ話を持つて行きました。
「知つてるよ、それで巣鴨へ花見に行かうといふんだらう。向島か飛島山なら花見も洒落てゐるが、巣鴨の田圃で蓮華草を摘むなんざ、こちとらの柄にないぜ、八」
「交ぜつ返しちやいけません。花見は追つて懷ろ加減のいゝ時として、兎も角巣鴨へ行つて見ようぢやありませんか。井筒屋重兵衞の死にやうが、あんまり變つてゐるから、こいつは唯事ぢやありませんよ、親分」
「大丈夫か、八。此間も大久保まで一日がかりで行つて、狐憑きに馬鹿にされて歸つたぢやないか」
鼻の良い八五郎は、江戸中の噂の種の中から、いろ〳〵の事件を嗅ぎ出して來ては、錢形平次の活動の舞臺を作つてくれるのでした。
その中には隨分見當外れの馬鹿な事件もありますが、十に一つ、どうかすると、三つに一つ位、面白い事件がないでもありません。
「今度のは大丈夫ですよ」
平次は到頭神輿をあげました。神田から巣鴨まで、決して近い道ではありませんが、道々ガラツ八の話は、平次の退屈病を吹き飛ばしてくれます。
「金が出來て暇で〳〵仕樣がなくなると、人間はろくでもない事を考へるんですね」
ガラツ八の話はそんな調子で始まりました。
「お前なら差向き食物の事を考へるだらうよ。大福餅の荒れ食ひなんか人聞きが惡いから、金が出來ても、あれだけは止すが宜いぜ、八」
「井筒屋重兵衞は疝癪で溜飮持だ。氣の毒だが金に不自由はなくなつても大福餅には縁がありませんよ。──淺ましいことに重兵衞は骨董に凝り始めた」
「へエー、そいつが大福餅の暴れ食ひよりも淺ましいのか」
「貧乏人から絞つた金で、書畫骨董──わけてもお茶道具に凝り始めるなんざ、良い量見ぢやありませんよ」
「それがどうしたといふのだ」
平次は次を促しました。ガラツ八の哲學に取り合つてゐると、巣鴨まで辿り着くうちに、話の底が乾きさうもありません。
「百兩の茶碗、五十兩の茶入。こいつは何んとか言ふ坊さんがのたくらせた蚯蚓で、こいつは天竺から渡つた水差しだと、獨りで悦に入つて居るうちはよかつたが、──人の怨みは怖いね、親分」
「茶碗が化けて出たのか」
「その百兩の茶碗、五十兩の茶入といふエテ物を、片つ端から叩き壞した奴があるんですよ」
ガラツ八の話は飛躍的でした。事件があまりに常識をカケ離れてゐるせゐです。
「そいつは何んのお禁呪だ」
「盜むとか、賣るとか、質に入れるなら解つてゐるが、由緒因縁のある千兩道具を、三文瀬戸物のやうに叩き割る奴が出て來た事には井筒重兵衞も膽を潰しましたよ。──最初は何んとかの水差で、次は肴屋とか、豆腐屋の茶碗」
「斗々屋の茶碗だらう」
「それから肘突の茶入」
「肩衝の茶入だよ」
「一々覺えちや居ませんがね。──その次は何んとかの色紙で」
「一つも覺えちやゐないぢやないか」
「兎に角、茶碗も茶入も、燒繼ぎも繕ひも出來ない程滅茶々々に叩き割るんださうですよ。ところが、井筒屋重兵衞一應驚くには驚いたが、さすがに大金持だ、あまり惜しさうな顏もせず、番頭の銀次が口をすつぱくしてすゝめても曲者を探さうともしない」
「そんな品は庭や畑に並べて置くものぢやあるまい。いづれ土藏とか納戸とか、外からは手の屆かないところにしまつて置くだらう。曲者は家の内の者に決つて居るぢやないか」
平次は事もなげです。
「それが不思議で、家の中には、どう考へてもそんな無法な事をする奴は居ない」
「當り前だ、俺がやりましたと言つた顏をする奴があつたら、直ぐ判るぢやないか」
「尤も、怪しい人間は三人ある。一人は主人重兵衞の後添で、お倉といふ女、──重兵衞の娘みたいな若作りだが、四十を越してゐるかも知れません。平常から重兵衞が骨董に凝つて、折角若作りで綺麗がつてゐる自分をチヤホヤしてくれないのが不足でたまらないさうで、隨分豆腐屋の茶碗位は打ちこはし兼ねない女ですよ」
「それから」
「もう一人は二番目息子の房松。こいつは骨董と商賣が大嫌ひで、朝から晩まで野良にばかり居る。百姓といつても巣鴨一番の金持だから、伜の房松は一生長い着物を着て暮せるわけだが、この男は口無調法で人附きあひが嫌ひで、親父の重兵衞にねだつて少しばかりの畑を自由にさして貰ひ、其處に大根や芋や草花などを作つて、毎日眞つ黒になつて働いてゐる變り者ですよ。この男は一國で剛情だから、隨分肘突きの茶入位は打ち割り兼ねないかも知れません。書畫や茶道具に凝る親父を一番苦々しいと思つて居るのは此男で」
「それから」
「もう一人は下女のお辰。──良い年増ですよ。──この女は道具屋の娘で、親父の仁兵衞は僞物の道具を扱つてお手當になり、母親はそれを苦に病んで死んだ後、井筒屋に引取られて下女代りに働いて居るんださうで、骨董は親の敵見たいなもので」
「成程な」
「道具が次々と打ちこはされて、井筒屋重兵衞すつかり腐つてゐると、今から丁度十日前、當の重兵衞がポツクリ死んでしまひました。『醫者は卒中だといふが、卒中で死んだ者の身體が斑になる筈はない──』といふのが投げ文の文句ですよ。『怪しいのはそれを默つて引取つた西海寺だ、再度のお調べを願ひ度い──』と、手嚴しいぢやありませんか」
「字は男の手か、女の手か」
「雌雄も解らない程の下手つ糞な筆蹟ですよ」
「手を變へて書いたんだらう。──ところで主人が死んだ後でも、道具のこはしが續いて居るのか」
「ピツタリと止んださうですよ、皮肉な野郎だ」
「フム、一向つまらない事かも知れないが、蓮華草を摘む氣で行つて見るか」
「何彼といふうちに、巣鴨ですね、親分」
「四方が少し騷がしいやうだな、又何にか始まつたかな」
「おや、庚申塚の泰道が飛んで行きますよ」
田圃道を飛んで行く坊主頭を、八五郎は指しました。それは全く唯事ではありません。
巣鴨の井筒屋は、上を下への騷ぎでした。今度は井筒屋の心棒とも言ふべき若主人の重太郎が、十日前に死んだ父親重兵衞と全く同じ症状で、たつた今急死したといふのです。
番頭金之助、妹のお浪を始め、家中の者が重太郎の死骸を取卷いて、泣く、わめくの騷ぎですが、わけても氣の毒なのは若い嫁のお弓で、冷たくなつた夫重太郎に取縋つて、まことに正體もない有樣でした。
驅け付けた庚申塚の泰道も、最早手の下しやうはありません。一應目瞼の内側と口の中を改め、手鏡を鼻へ當てたり、心の臟へ耳を當てたり型通りの事をした後、『お氣の毒樣』と一禮してこそ〳〵と引下がります。
「ちよいと待つて貰ひ度いが、泰道先生」
ガラツ八は隣の部屋からその袖を引かぬばかりに呼止めました。
「ハイ、お前さんはどなたぢや」
泰道は漸く威嚴を取戻して立止ります。
「錢形の親分が、ちよいと訊き度いことがあるさうだ。手間は取らせない」
チラリと十手の房を見せると、泰道はすつかり縮み上がつてしまひました。
「ハイ、ハイ」
「泰道先生、二十七の若主人重太郎がまさか、卒中で死んだのではあるまいな」
代つて平次は泰道と顏を合せます。
「いや、その、その」
「見るまでもなく、死骸は身體中紫の斑で口からは泡を吹いてゐる。──銀の箸があればこちとらにも鑑定が付きさうだ。あれは何んで死んだか、お前さんに判らぬ筈はあるまい」
「いかにも、錢形の親分なら隱しても無駄だ。あれは毒死で御座るよ」
泰道は四方を見廻します。
「毒は?」
「ありふれたとりかぶと、此家の庭にも、昨年の秋は紫の花を澤山咲かせてゐたが、あの花の根に猛毒のあることは誰でも知つて居る」
「それでよく判つた。毒は手近なところにあつた。誰がそれを朝の味噌汁に摺り込んで、大寢坊をして一人で遲い朝飯を食つた重太郎に盛つたか判れば宜い。──八、お前はお勝手の方を調べてくれ。ところで泰道先生、十日前に死んだ大主人重兵衞も、これと全く同じ死にやうをした筈だ。どうしても卒中といふ見立てなら、寺社のお係にお願ひして、墓を發いても調べ直すがどうだ」
「──」
「この陽氣だが、まだ春だ。十日や十五日ぢや死骸に大した變りはあるまい。──萬一死骸の口中から毒が檢べ出されると、泰道先生見立て違ひだけでは濟むまいぜ」
平次の論告は、何時にも似げなく峻烈を極めます。
「恐れ入りました、錢形の親分。大家の面目、世上への聽えも惡いから、内々にしてくれるやうにと頼まれて、心ならずも卒中といふことにしました」
泰道は坊主頭を疊に埋めて恐れ入ります。
「頼まれた? 誰に」
「番頭の金之助に頼まれました」
「さうか、──素直に言つてくれさへすれば、あつしはこれつきり忘れて上げよう。だが泰道先生、十日前に大主人が死んだ時、毒死なら毒死と言つてくれさへすれば、二人目は死なずに濟んだかも知れない。お前さんは大變なことをしたと氣が付きなすつたかえ」
「へエ、面目次第もありません」
泰道は這々の體で歸つてしまひました。
「親分、お勝手は下女のお辰が一人でやつて居ますよ」
八五郎は報告の顏を出しました。
「呼んで來てくれ」
「へエー」
飛んで行つて、つれて來たのは、二十五六の良い年増。お勝手で燻べて置くのは、勿體ないやうな女です。
「今朝の味噌汁は誰が拵へたんだ」
「私ですよ、實は大根と揚げで──」
「殘つたのがあつたら、持つて來て見せてくれ」
「捨ててしまひました。私ぢやありません。若旦那へ差上げて少し殘りがあつた筈ですが、今晝の仕度をするつもりで鍋の中を見ると、皆な捨てた上、鍋まで綺麗に洗つてあります」
「恐ろしく行屆く野郎ですね」
ガラツ八は囁きました。
「お前はお勝手を明けることがあるのか」
「え、掃除もしなきやなりませんし」
妙に反抗的な調子が、この良い年増を喰ひつきの惡いものにさせます。
「お前の居ない時、誰がお勝手に入るかわかるか」
「居ない時入るのはわかりやしません」
斯う言つた調子です
「大主人や若主人を怨んでゐる者がある筈だが、お前にも心當りがあるだらう」
「そんな人はありやしませんよ」
この女からは何んにも引出せさうはありません。
先代の女房お倉──若主人の重太郎には繼母に當るこの女が、死んだ重太郎の側に寄り付かないのは一つの不思議です。漸く自分の部屋に半病人のやうになつて居るのを搜し出して來ると、
「何うしませう、親分さん方。私はもう自分も殺されるやうな氣がして」
とおろ〳〵するばかりです。四十といふにしては恐ろしく若作りで、嫁のお弓や義理ある娘のお浪の、姉と言つても宜い位。悲嘆と恐怖のうちにも、品を作ることと媚を撒き散らすことだけは忘れないと言つた、まことに厄介な肌合の女です。
「お内儀さんは、若主人の重太郎の死に樣が唯事でないといふ事を知つて居るだらうな」
「えツ」
「それから、十日前に亡くなつた大主人の死にやうも、卒中や中氣ではない、──はつきり言ふと毒害されたんだが、お内儀さんには氣が付いてゐた筈だ」
「いえ、いえ、私は何んにも知りません──そんな事が本當にあるでせうか、そんな恐ろしい事が」
「それから、もう一つ訊き度い。お内儀さんは先に亡くなつた大主人が、骨董を買ひ集めるのを、大層嫌がつたさうだな」
「それはもう、私に取つては、あんな嫌なものは御座いません。茶入や茶碗や壺を買つて來ると、眺めたり透したり、撫でたりさすつたり、まるで夢中なんですもの」
そいつは若作りの媚澤山のお倉に取つては嫉妬をさへ感じさせる狂態だつたのでせう。その上骨董に溺れた晩年の重兵衞は、女房のお倉に半襟一と掛買つてやる氣さへ失つてしまつたのです。
「大主人や若主人を怨んでゐる者があつた筈だが」
「さア」
お倉の臆面なさも、さすがにそれには答へ兼ねました。
そのうちに、近所の衆や、土地の御用聞や、親類の誰彼まで集まつて來ました。斯う混雜して來ると、一擧にこの家の中に潜む、曲者を見付け出さうとする錢形平次の方法は、次第にむづかしいものになつて行くばかりです。
番頭の金之助は四十二三の中年者で、狐のやうな感じの男でした。百姓の方は一向出來ませんが、算盤には明るいらしく、女房のお鐵と子供が三人、裏に一軒借りて井筒屋の帳場に通つて居ります。
先代の死んだ時は泰道を説き落して卒中にさせ、それで自分の地位も、井筒屋の身上も安穩にしたつもりで居たのですが、二度目の毒死人でその尻が割れ、錢形平次にうんと油を絞られました。
併し自分の家から通つて帳場を一寸も動かない金之助が、味噌汁の鍋にとりかぶとを投げ込む筈もなく、これは幸ひにして疑ひの外に置かれました。
二番目の伜──若主人の弟房松は、腹異ひのせゐか兄の重太郎とは全く人柄の違つた人間で、作男の與三郎と一緒に、朝から晩まで戸外で暮す男。菜葉と芋と麥の芽をいつくしんで、何んの悔もなく生涯を送ることの出來る人間です。
その代り、百姓仕事には人並優れた工夫があり、此上もなく勤勉な男で、自分の物にして貰つた五六段の畑を、びつくりするほどよく肥した上、今は兄のものになつて居る井筒屋の田地のうち、小作をさせない分の土地を本當に嘗めるやうに大事に耕してゐたのです。
よく陽に焦けて、三十近い年配に見えますが、本當の年は二十五になつたばかり。
「親父の骨董いぢりは時々意見をしましたが、聽いちやくれなかつた。あの通り一徹だからね。──割つたのは誰の仕業かわからないが、あれが若し眞物なら一つ〳〵が國の寶だ。よくない事だと思ふんだよ」
そんな事を何んの遠慮もなくポツポツと言ふ房松です。
嫁のお弓は遠い親類の娘で、五六年前から井筒屋に養はれ、娘のお浪と姉妹のやうに育ち、ツイ昨年の春厄があけて重太郎と婚禮したばかり。これはまた、美しくも﨟たき女で、巣鴨中に響いた容貌でした。
何を訊かれても、唯もう泣くばかり。
娘のお浪はお弓より三つ年下の十八で、房松の妹に似ず、少しお轉婆で、あわて者で可愛らしくはあるが實も蓋もない娘です。
「父さんの道具をこはされ一番がつかりしたのは銀次さんですよ。だつて、あの人は父さんの道具係だつたんですもの。房松兄さんは變人よ、重太郎兄さんと仲が良く行く筈がないわ。重太郎兄さんは朝寢好きで、房松兄さんは鷄のやう早起きで、一方は弱蟲で一方は巖乘で、一方は金づかひが荒くて、一方はケチで」
お浪はこんな事を數へ立てるのです。
もう一人の番頭の銀次といふのは、井筒屋の遠縁の者で、これは三四年前店に入つた三十男。一寸江戸前で、小意氣で、小唄の一つも出來るといつた肌合ですが、人間は至つて眞面目で、少しは道具や書畫にも眼があり、大主人の重兵衞は何よりの話相手にし、近頃凝り方の激しくなつた骨董は、一切銀次に任せて、その整理や保存をさせて居たのです。
「私は江戸の骨董屋に奉公して少しはその道の事も存じて居ります。大旦那が自分で鑑定して買入れなすつた一つ〳〵の道具を嘗めるほど可愛がつたのも、決して無理はないと存じます。平常お道具を扱つて居る私でさへ、自分のものでなくてもそんな氣になる位ですもの。その結構な道具を修理も出來ないほど打ち割るなんて、──何んといふ奴でせう。私にはその心持がわかりません」
銀次は本當に腹が立つてたまらない樣子です。
「お前も、そんなに道具は好きなのか」
骨董に溺れる人の夢中な心持は、平次にもよくは呑込めません。
「それはもう、親分さん。此道に入ると、結構なお道具は、我が子のやうに可愛くなります。一つ一つに生命があるやうで」
「さう言つたものかな、──ところで、鶯を飼つてゐるやうだが、あれは誰の好みかな」
平次は向うの縁側から聞えて來る飼鶯の聲に耳を聳てました。
「私で御座います。良い聲でございませう。飼つてやると、あれも飛んだ可愛いもので、──へエ」
「大層また氣の多いことだな」
これで調べは全部でした。あとは八五郎と土地の下つ引に言ひつけて、金之助、銀次、お辰の奉公人を始め家族全部の身持、わけても奉公人達の親元や前身を調べさせることにし、その日の夕刻神田へ引上げたのです。
翌る日、ガラツ八の八五郎は、恐ろしい勢ひで飛込んで來ました。
「サア、大變ツ、親分」
「待つた、八、その大變が飛込む前に皿小鉢を片付けるよ。今日は來さうだと思つたが、それにしても早かつたぜ、八」
「だつて、井筒屋の二番目息子の房松が縛られましたぜ」
「誰だ、そんなあわてた事をしたのは?」
「土地の御用聞──五助といふ野郎で」
「放つて置け、今に解るから」
「だつて、房松が百姓道具を入れて置く小屋に、とりかぶとの根が馬を二三十匹殺すほど乾してあつたんださうですよ」
「人に喰はせる氣なら、そんな場所へ乾して置くものか、あいつは毒草だ。ゲンノシヨウコやセンブリや黄蓮と一緒だらう」
「その通りですよ、親分」
「房松がうつかり、こいつは毒だ──か何んか言つたのを小耳に挾んだ奴の仕業さ。あの男は親や兄を殺すやうな大それた人間ぢやない」
「でも、親父が骨董に凝るのを苦々しがつて、あの人泣かせな道具を一つ殘らず叩き割つてやり度いと言つて居たさうですよ」
「それとこれとは別だ。骨董なら後添のお倉だつて打壞したがつて居る」
「ところが、斯んな事を聽きましたよ。骨董は土藏の中に一々箱に入れて、念入りにしまひ込んであるから、家の者でもそいつは容易に取出せない、自由に取出せるのは、死んだ大主人と骨董係の銀次だけなんださうで」
「で?」
「一つ〳〵持出して、十幾つと打ち割つたところを見ると、他の者ぢや出來ない藝當ぢやありませんか。あれは矢張り自由に取出せる銀次ぢやないかと思ふが──」
「いや銀次は道具屋に奉公して、一かど眼も利いてゐる。道具を知つてゐるものは、道具の有難さも知つて居るわけだから、銀次はそんな事をする筈はない」
「でも、どうせ自分ぢや買へない品だと思ふと、人の贅澤を見て腹が立つかも知れませんよ」
「いや銀次ぢやない。──道具の話をすると銀次は眼の中まで優しくなる」
平次は頑固に首を振るのです。骨董を知るものは骨董を傷つける筈はないと信じ切つて居る樣子です。
それから丸二日、八五郎は精一杯働いて、井筒屋の奉公人家族全部の動靜と身許を洗つて來ました。それによると、番頭の金之助は小金もためて居りますが大したことではなく、骨董係の銀次は思ひの外の働き者で、井筒屋に入る前から相當の貯蓄があり、白山に一軒の家まで持つて、女房とも妾ともつかぬ女を、相當以上に暮させて居るとわかりました。
お辰は主人の知合の娘で、下女などに身を落す筈はなかつたのですが、行先もないので我慢して居る樣子、近頃は益々自棄になつて我儘一杯に暮して居るといふのです。
嫁のお弓は半病人の姿で、娘のお浪は一人天下ですが、家の中は滅入つたやうに淋しく房松は何を調べられてゐるのか、それつ切り歸つて來ません。
「それから、變なことがありますよ」
八五郎の鼻は蠢きます。
「何が變なんだ」
「今朝銀次の飼つてゐる鶯が死んだんで」
「弱つて來たのか」
「いえ、死ぬ少し前まで、元氣で囀つて居ましたよ。──お辰が摺り餌をやると、すぐ死んださうで」
「餌はお辰がやつたに間違ひあるまいな」
「皆んなで言ふんだから、間違ひはないでせう」
「面白くなつて來たな。──ところで、打ち碎いた瀬戸物の破片は手に入つたか」
平次は妙なことを訊きます。
「死んだ大主人が見るのも嫌だからと、念入りに拾つて捨てさせたさうで、搜すのに骨を折りましたよ。でも、何んとかの茶碗と水差しの破片が裏の流れに捨ててあつたんで、これだけは拾つて來ましたが」
ガラツ八は懷ろの中から、手拭に包んだ燒物の破片を出して見せます。
「よし〳〵、それだけありや何んとかなるだらう」
平次は八五郎をつれて、それから直ぐ中橋の道具屋を訪ねました。豫て顏見知りの主人は、平次の出した陶磁の破片を見て、
「──これが斗々屋の茶碗と古備前の水差しの破片だと仰しやるんですか。──親分の前だが、それは大變な間違ひですよ。如何にもよく似ては居るが、何方も近頃出來の寫しで、眞物ぢやありません。本物が三百兩するものなら、紛物や寫しは、よく出來て居ても三匁や五匁で買へます」
と言ふのです。錢形平次と八五郎は、別々の心持で顏を見合せました。
井筒屋へ行つて見ると、房松は歸されて氣拔けがしたやうにぼんやりして居ました。
「錢形の親分さん、有難う御座いました。親分のお口添があつたさうで、お蔭で許されて戻りました」
房松が丁寧に挨拶するのを、
「飛んでもない、俺のせゐなんかぢやないよ。──ところで、少し訊き度いが」
平次は押へるやうに訊きました。
「へエ──、どんな事で」
「お前の道具小屋にとりかぶとの根が干してあつたさうだが──」
「あれのお蔭で飛んだ目に逢ひました。花を見るつもりで植ゑて置くと、あれは藥にもなるんださうで、泰道さんに頼まれて根を干したのですが」
「あの根が毒だといふことを、誰かに話さなかつたか」
「お辰には話しましたが──」
房松は何んの蟠りもありません。
「死んだお前の兄の重太郎は、嫁を取る前お辰と關係があつたんぢやあるまいか」
平次の問ひもスラスラと運びます。
「店の者はそんな事を申しましたが──」
問答のうち、八五郎はスルリと拔け出してお勝手へ行くと、其處に物思ひに沈んでゐるお辰の肩へピタリと手を掛けました。
「神妙にせい、お辰」
「あツ」
お辰は飛上がりました。
「味噌汁に毒を入れて、主人父子を殺したのはお前だらう」
「違ふ〳〵、私はあの薄情男は殺したいとは思つた──でも、殺したのは私ぢやない」
「嘘をつけ」
ガラツ八の捕繩はもう、お辰の手首に絡んでゐたのです。
その騷ぎも知らぬ顏に、平次は鶯の籠を見たり、摺り餌の鉢を鑑定したり、最後に嫁のお弓をつかまへて、暢氣らしい話をして居りました。
「鶯の餌は誰が拵へてやるんだ」
「大抵銀次がやります。でも、どうかするとお辰が代つてやることもあります」
「摺り餌を拵へる乳鉢は幾つ位ある」
「三つあつた筈ですが」
「二つしかないな──一つはどうしたんだ」
「さア」
「ところで、お弓さん、變な事を訊くが、銀次が時々お前さんに變な素振りをしたと思ふが」
「──」
お弓の美しい顏は、耳元までパツと赤くなりました。平次の知りたいことは、それで充分だつたのです。
店の方へ行くと、銀次は神妙に帳場格子の中で、算盤などを彈いて居りました。
「銀次」
「へエ──」
「俺は算盤は知らないが、二一天作の六で、二々が八──なんて勘定はないだらう」
「?」
「誤魔化すな、何も彼もわかつたよ、來い」
「あツ」
立ち上がつた銀次は、あつと言ふ間もなく平次に縛られて居るのでした。
「親分、下手人を擧げましたよ」
お辰を引立てて來たガラツ八。
「馬鹿ツ、下手人は此男だ。──お前は誰を縛つたんだ」
「へエ──」
八五郎の間の惡さはありません。
× × ×
「親分、あつしには薩張り解らない。銀次は骨董を打ち壞して井筒屋の父子を殺したんですか」
ガラツ八はたまり兼ねて平次に訊きました。それから三日の後のことです。
「茶碗や水差しを碎いたのは銀次ぢやない。あれは主人の重兵衞だよ」
「へエ──」
「道具を取出せるのは、主人と銀次の外にないから、銀次でなきや主人だ。あの道具は大金を出して買つたらしいが、氣の毒なことに皆んな僞物だ。それと解つて主人の重兵衞は腹を立てて打ち割つたのさ。賣つた人間へ突き戻すだけでは胸が治らなかつたんだ。自分の鑑識に自惚のあつた重兵衞は、それを粉々に打ち碎かなきや我慢が出來なかつたんだらう。他の人が割つたのなら、あれほどひどくは碎かない。──道具を打ち碎いた人間を人殺しと思ひ込んだのが俺達の最初の間違ひさ」
「へエ──」
「商人と馴合つてその僞物を主人に賣り込ませ、散々儲けたのは銀次だ。尻が割れさうになつて主人を殺したのさ。──それだけだと一寸わからないが、増長して若主人の重太郎まで殺す氣になつたのが露見の元だよ。銀次はお弓を手に入れたかつたのさ。どうかしたら、親父の重兵衞を殺したのが房松と重太郎に勘付かれた爲かも知れない。──投げ文は多分重太郎だ」
「なるほどね」
「銀次の鶯の摺り餌を作る乳鉢でとりかぶとの根を摺り碎いた。その乳鉢を別にしてあるのを知らずに、お辰が餌を拵へて鶯を殺した。──まさか銀次が乳鉢を間違へる筈はない。餌をやつたのがお辰と聽くまで、俺もお辰が怪しいと思つたよ」
「──」
「房松は良い男だ。兄嫁のお弓と一緒にして井筒屋を立てることになれば結構だが──」
平次はそんな餘計な心配までして居るのでした。
底本:「錢形平次捕物全集第十七卷 權八の罪」同光社磯部書房
1953(昭和28)年10月10日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋社
1943(昭和18)年5月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年1月12日作成
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