錢形平次捕物控
双生兒の呪
野村胡堂




「親分、お願ひがあるんですが──」

 お品は斯う切り出します。石原の利助の一人娘、二十四五の年増盛りを、『娘御用聞むすめごようきゝ』と言はれるのはわけのあることでせう。

「お品さんが私に頼み──へエ──それは珍らしいネ、腕づくや金づくぢや話に乘れないが、ひざ小僧の代りにはなるだらう。一體どんな事が持上がつたんだ」

 錢形平次は氣輕にこんな事を言ひました。お品の話を、出來るだけなめらかに手繰り出さうといふのでせう。何時でも、さう言つた心構へを忘れない平次だつたのです。

「お聽きでせう? 藏前の札差に強盜おしこみの入つた話を──」

「聽いたよ。たつた一人だが、疾風はやてのやうな野郎で、泉屋の一家ばかり選つて荒して歩くといふ話だらう」

 二た月ほど前から虱潰しらみつぶしに泉屋一家を荒して歩く曲者、──どんなに要心を重ねても、風の如く潜り込んで、かなりまとまつた金をさらつた上、さへぎる者があると、恐ろしい早業で、大根か人參のやうに斬つて逃出す強盜のことは、平次もよく承知して居ります。

「お父つさんはあの通りのきかん氣で、身體が言ふことをきかないくせに、八丁堀の旦那方に小言を言はれると、ツイ請合つて歸つたのだ相です。──泉屋一家で、荒し殘されたのは、あとたつた二軒、それがやられる迄には、きつと縛つてお目にかけますつて──」

「──」

「今度逃がせば、十手捕繩を返上しなければなりません、どうしませう親分」

「成程、それは心配だらう。どんな手口だか私も知らないが容易の捕物ぢやあるまい」

「よくれた月の無い晩に限つて押込みます、今晩あたりも又何か始まるでせう。お父つさんは一人で威張つて居ますが、子分と言つても役に立つのは二三人──まさか私が出かけるわけにも行かず、素人衆は幾人手傳つて下すつても、本當に氣が廻らないから、何時でも網の目を脱けるやうに逃げられてしまひます。──親分に來て頂くと申分がありませんが、それでは又父さんが氣を惡くするかも知れず」

 お品は淋しさうでした。平次とすつかり融和して居るやうでも、利助にはまだ年配の誇りと、妙に頑固かたくなな意地があつたのです。

「氣のきかない話だが、俺も心配をしながら遠慮して居たのさ。──それぢや斯うしようぢやないか。あの通り欠伸あくびばかりして居るから、早速八の野郎を差向けて見よう。大した役には立つまいが、それでも素人よりは増しだらう。八五郎でうまく行かなかつたら、その時は俺が出て見るとしたらどんなものだらう、石原の兄哥へは、お品さんから──手不足で困るから、案山子かゝしの代りに八五郎を頼んで來たと言へば濟む──」

 平次はさう言ひ乍ら、ガラツ八の方を振り返りました。案山子と言はれたのが不足らしく、そつぽを向いて頤を撫でて居ります。

「さうして下されば、どんなに助かるかわかりません」

 お品はホツとした樣子で白い顏を擧げました。聰明さにも美しさにも、何んの不足もないお品を見ると、平次は、つく〴〵斯う言つた心持になるのでした。

「お品さんが男だつたら、大した御用聞になるだらう──惜しいことだね」

「あれ、親分、さうでなくてさへ、──娘御用聞とか何とか言はれる毎に、私は身體が縮むほど極りの惡い思ひをします。せめてお父つさんが確りして居るか、子分に任せられるのがあれば、私はお針でもして引込んで居たいと思ひます」

「いや、飛んだ事を言つて濟まなかつた。──お品さんが良いむこでも取つて、御用を勤めるやうになつたら、石原の兄哥も、さぞ安心するだらうと思つたのさ」

 平次は照れ隱しにそんな事を言はなければなりませんでした。

「そんな氣になれないんで、お父つさんに苦勞をさせます。今更十手捕繩を返上して、番太の株を買ふわけにも行かず、七八人の子分の暮しの事も考へると、何うして私は女なんかに生れて來たのかと、──親分」

 お品は涙ぐんで居ります。氣に染まぬ聟を取るのがイヤさに、親父の後見をして、御用聞の眞似事をして居る自分が、つく〴〵淺ましかつたのでせう。

「鳥越の笹屋宗太郎が、今でもお品さんを附け廻して居るといふ話だが──、あの男なら、利助兄哥を安心させるだらうと思ふが──」

「親分」

 お品は怨めしさうでした。武家上がりのくせに、因業いんごふで通つた宗太郎、町人をいぢめて、充分金は出來たといふ話ですが、跛足ちんばで變屈者で、一二年越し口説き廻され乍ら、お品はどうも受け容れる氣になれない相手だつたのです。



「八、聽いたらう、日が暮れたら出掛けてくれ」

「案山子の一と役ですかい」

 ガラツ八は少しふくれて居ります。

「嫌味を言ふな。俺の口から=八五郎は大した腕だから、さぞお役に立ちませう=とは言へないぢやないか」

「御尤も見たいなもので、へツへツ」

「大層腹を立てたんだね、──尤も手前は腹を立てると好い男になるぜ、ゲラゲラ笑つて居ると、反つ齒が、飛出すから──」

「もう宜うがすよ、親分」

 ガラツ八は泳ぐやうな恰好で平次の皮肉を封じました。

「お品さんが折角せつかく頼んで來たんぢやないか。兎も角、行つて見てやるが宜い」

「行きますがね、親分、曲者の見當だけでも附かないと、捉まへやうがありません。泉屋一家ばかりを狙ふのは何うしたわけでせう」

 ガラツ八の疑問は、その頃の江戸中の人の疑問でした。

「それが判りやわけは無いよ。商賣敵か、家督爭かとくあらそひか、高利の奧印金に惱まされた御家人か──いづれそんなものだらう」

「へヱ──」

切手きりはんや役料をさばいて、細い口錢を取つただけぢや、札差が千兩株と言はれる道理はねえ。あの豪勢な暮しの裏には、飛んだ罪も作つて居るだらうぢやないか」

 平次はそんなところまで見當を付けましたが、それ以上のことは素より解りません。

 八五郎のガラツ八が、旅籠町の泉屋へ行つたのは、酉刻むつ少し過ぎ、利助の子分は五六人、平右衞門町の隱居泉屋と、旅籠町の泉屋の本家に別れて、左右前後から目を配つて居りました。

「よう、八五郎兄哥、お指圖を頼むぜ」

 誰やらが早くも見付けて嫌味を言ふと、

「あ、宜いとも」

 おくれた色もなく、斯う言つて反身になる八五郎だつたのです。

 間もなく石原の利助がやつて來て、人數を四組に分けました。

「八兄哥には泉屋の店口を頼むぜ。筋向うの辻番から、伊三松いさまつと交り番こに睨んで居りや宜い」

「へエ、承知しました」

 八五郎は早速辻番の波障子の中にもぐり込みました。中には顏見知りの伊三松、三十前後で、ガラツ八とは馬の合ひさうな男が居ります。

「八兄哥、頓むぜ、──今まで泥棒は、札旦那さつだんな(客)や御用聞や醫者に化けて、見張の中を大手を振つて押込んだんだぜ。亥刻よつ過ぎに泉屋へ入らうとする者があつたら、出前持でも、飛脚ひきやくでも構はねえ、縛り上げて泥を吐かせることだ」

 伊三松は説明してくれました。成程これほど研究が積めば、惡者も羽を伸ばしては居られないわけです。

「泉屋から出るのは構はないのかえ、兄哥あにい

「出るの?」

「迎ひが來て、番頭は今しがた出て行つたぜ。通ひらしいから、いづれ家に急病人でもあるんだらう」

「そいつは氣が付かなかつた。ちよいと行つて訊いて來ようか」

 伊三松は飛んで行きましたが、間もなく歸つて來て、ガラツ八の鑑定がこと〴〵く當つたことを報告しました。通ひ番頭の久七がこの騷ぎの中へ踏み止つて、お店大事と指圖をして居ると、女房が急病だから──と言ふ使があつて、兎も角一應見に行つたと言ふのです。

 師走の夜の空は、宵から雪模樣になつて、風はありませんが、妙に底冷えのする晩でした。

「こんな時は曲者だつてうろつくのは骨が折れるだらう。自分の巣の中に潜つて、晩酌でもやつて居るんぢやないか」

 八五郎はこんな事を言ひます、自分がお役目を好い加減にして、パイ一にあり付き度かつたのでせう。

「月の無いよく霽れた晩に限つて荒し廻る曲者だ。この空合ぢや、泥棒より雪の方が先に來さうだぜ」

 伊三松も喉の鳴るのを我慢して居たのです。

「泉屋の表は締めてあるし、店には多勢寢ずの番が居るし、斯う見張つて居るだけが無駄見たいなものさ」

自棄やけな寒さぢや無いか」

「ハクシヨ」

 そんな話をして居ると、番太の親爺が、戸棚を開けて、貧乏徳利を一本持出して來ました。

「貰つたのがありますが、ちよいとかんをつけませうか。たんとはいけねえが、ほんの少しばかりなら、寒さしのぎになりますよ」

ぢいさん、そいつはいけねえ、飮むなら向うの隅つこで一人でやんな、見せびらかすのは殺生だぜ」

 ガラツ八はさすがに良心がありました。が、併しその良心は何時まで續くことでせう。やがて亥刻半よつはんといふ頃、辻番の前を泉屋の提灯が通つて、眞向うの表戸を開けて入つたのを見た頃は、ガラツ八も伊三松も、醉眼朦朧すゐがんもうろうとして、一升の酒の量の良いことを褒めたゝへて居たのです。

「番頭が歸つたやうだぜ」

「あれが泥棒だつたら?」

 伊三松はまだほんの少しばかり職業意識があります。

「小僧が臆病窓を開けて、顏を見てから入れた樣子だ、──第一の泉屋と書いた提灯が物を言はア」

 ガラツ八はすつかり好い心持さうです。

 が、間もなく泉屋の中は、煮えくり返るやうな騷ぎが始まりました。

「泥、泥棒ツ」

 夜の闇を筒拔けに、小僧の金切聲。

「それツ」

 ガラツ八と伊三松は醉も興も醒めて、驀地まつしぐらに泉屋の店口に飛び付きます。

 内からサツと開く戸、中は眞つ暗。

「御用ツ」

 眞つ先に飛込んだ伊三松の十手は、曲者の脇差わきざしに叩き落されました。

「神妙にせい」

 續くガラツ八は、曲者の背後から、ガツキと羽掻締はがいじめに組付きます。

あかり、灯」

 誰やらの聲がかん走ると、氣のきいたのが、奧から手燭を持つて來ました。

 淡い灯が一と筋、帶ほどの幅で射すと、曲者は脇差を逆手に、ガラツ八の腹のあたりを突いて來ます。

「糞でも喰らへツ」

 ガラツ八は片手を拔いて、その利き腕を掴みました。御用聞中の無双の強力、曲者も早業を封じられて、さすがに、閉口した樣子です。

「え──ツ」

 激しい氣合と共に、曲者の身體はガラツ八の腕を脱けました。脇差に氣を取られて、羽掻締が緩んだのでせう。尤も、脇差は幸ひガラツ八の手に殘つて、曲者は素手のまゝ、唯一の逃げ道なる表口へ飛付いたのです。

「待て〳〵」

 續くガラツ八、伊三松、多勢の番頭手代小僧。

「えい」

 曲者が振り返つて、頬冠りの中から一と睨みすると、それも大方は逃げ散つて、ガラツ八の手が僅かに顏を包んだ手拭に掛ります。

 が、曲者にどんなわざがあつたものか、脇差のさやが宙を飛んで、手燭を持つた小僧の額を打ちました。

「あツ」

 見事につて、手燭は消えます。

「御用ツ」

「逃がすなツ」

 一瞬にして、闇の中に大混亂が起つたのです。相撲あひうつ肉の音、絶叫、悲鳴、それは闇の鳥屋とやの中へ棒を入れて掻き廻すやうな騷ぎでした。

つた〳〵」

 高らかに響くガラツ八の聲。

「畜生ツ、離せ、何をするツ」

 その下に泥をめ乍ら喘ぐ聲は誰とも解りません。

 第二の灯が用意されました。野分の後のやうな大混亂の店先に、ガラツ八の糞力くそぢからに組み伏せられて、フウフウ言つて居るのは、誰あらう、石原の利助の一の子分、伊三松の忿怒に歪む顏だつたのです。



「昨夜は大層な手柄だつた相だな、八」

「へエ──」

 錢形平次の前に、八五郎はもうすつかり恐れ入つて居ります。

「曲者が伊三松とは知らなかつたよ」

からかつちやいけません、親分」

 ガラツ八は耳の後ろを掻き乍ら、何やら氣に濟まぬ樣子で、平次の顏ばかり見て居ります。

「伊三松は鼻の先を摺り剥いて大むくれさ。石野の兄哥も言つて居たよ、──御親切は辱けないが、同志討は困るつて──」

「親分、そんな事より、私にはどうもに落ちない事があるんだが」

「何んだえ、腑なんぞに落ちたためしのねえ手前てめえぢやねえか」

「笑つちやいけませんよ、親分」

 ガラツ八はまだ迷つて居ります。

「先刻から笑つてなど居ない積りだつたが」

「眞顏で冷かされるから、尚ほ叶はねえ」

「贅澤だな、──笑つていかず、眞顏になつちやいかずと言ふと、俺に泣いて見せろとでも言ふのか」

「ね、親分、眞面目に聽いて下さい。私は、──斯んな事を言ふと、笑はれると思つて默つて居たんだが、昨夜曲者が逃げる時、頬冠ほゝかぶりを剥いだはずみに、ほんのちらりと顏を見ましたよ」

「何だと?」

 平次は急に眞顏になると、ガラツ八の方へ向き直りました。

「そんな事は無いと思ふから、默つて居ましたが」

「その曲者は誰だ、──言つて見るが宜い」

「笑つちやいけませんよ親分」

「誰が笑ふものか、俺はお前のドヂさ加減に腹を立てゝ居るんだ、曲者の顏を見て默つて居る御用聞が、何處の世界にあるんだ」

「それがね、親分、──頬冠を取ると灯が消えると一緒だ、ちらりと見たばかりだから、萬一間違ひと言ふものが──」

「くどいなア」

「笹屋の宗太郎ですよ、親分」

「何だと?」

「それ、親分だつて驚くでせう、あの右の足が二三寸短かい大跛者おほちんばの、しみつ垂れの傴僂せむしが──」

「フーム」

 錢形平次もこれには唸らされました。笹屋の宗太郎は、傴僂で跛者で、その上小金を貸して、細い利潤まうけを樂しむ、名題の握り屋です。第一、一寸男振こそ踏めますが、あの病弱さうな蒼い男が、老獪な御用聞共を、手玉に取るやうな離れ業が出來やう筈はありません。

「宗太郎には兄弟が無かつたか」

 平次は早くもそんなところまで氣が廻ります。

「ありますよ、──あつしもあんまり變だから、それとなく訊いて見ると、宗次といふ双生兒ふたごの弟があつた相ですが、二年前に死んだといふ噂で、──尤もこれは打つ買ふ飮むの三道樂に身を持崩して、ひどい野郎だつた相です」

「フーム」

 平次にもいよ〳〵解らなくなりました。笹屋の宗太郎なら、お品を嫁に欲しがつて居る男で、一と通り知つて居りますが、繩張外のことで、死んだ弟の宗次までは知らなかつたのです。

「ね、親分、私が言ひ兼ねたわけは解るでせう」

「いや、そんな事を遠慮する奴があるものか。斯うなればつまづく石つころも手掛りだ、早速宗太郎の樣子を探つて見よう」

 が、平次が出かける迄もありませんでした。丁度そんな話をして居るところへ、利助の娘お品が笹屋の宗太郎を案内して來たのです。

「宗太郎さんが、何うしても平次親分に逢つてお話がし度い、このまゝにして置くと殺されるかも知れない──と言ふんです」

 嫌で〳〵たまらない求婚者を此處まで伴れて來たお品には、父に代つて、曲者を擧げようと言ふ、熱心な職業意識の外には何にも無かつたのです。

「これは親分さん、一二度他所よそ乍らお目に掛つたことも御座いますが、私は笹屋の宗太郎で御座います。早朝から飛んだ御迷惑ですが、實は思案に餘つて伺ひました。此處へ來たと知れたら、私の命が危ないかも知れませんが、さうかと言つて、これほどの大事を默つても居られません」

 宗太郎の蒼い顏は、恐怖と不安に、ワナワナふるへて居ります。

 部屋へ入つて來るのをよく見て居ると、右足は左の足に比べると、どうしても二寸は短かいやうです、唐臼からうすを踏むやうな大跛者おほちんばで、それに左の肩の下がつた猫背も、何となく、不具者の痛々しさを強調します。

「成程、仔細わけがあり相だ。詳しく聽きませうか」

 平次も思はず膝を進めました。



「親分、聞いて下さい。この世の中に私のやうな不仕合せなものがあるでせうか」

 笹屋宗太郎の話は、冒頭はなからこの調子でした。涙を誘ふやうな、煽情的せんじようてきなものではないまでも、世にも陰慘な、不愉快なものだつたのです。

 宗太郎の父親は笹枝宗左衞門といふ三百五十石取の立派な旗本でした。が、つまらぬ事から上役の疑ひを受け、それに役目の上の手落ちもあつて、家祿を沒取された上、世に顏向けもならぬやうな目に逢ひました。

 つく〴〵武士は嫌だ──と、潔ぎよく兩刀を捨て、鳥越とりごえに世帶を持つて、たくはへの小金を融通し、利潤が積つてかなりの身代を作りましたが、今から三年前他界、世帶はそのまゝ總領の宗太郎が繼いで僅か三年の間乍ら、酒や女はもとより、あらゆる道樂と縁の無いのが仕合せで、身代は太るばかりでした。

「たつた一つ困つたことは、双生兒の弟宗次で御座います。これは、私と違つて身體もよく、心構へもたくましく、體術武術の心得もあり、子供の頃から世間樣の褒めものでしたが、親同士の話合ひで、泉屋の養子になる積りで居ると、その縁談が向う樣の都合で破談になつてからぐれ出したので御座います」

「──」

 泉屋と宗次の關係──始めて聞く暗示に、平次は何も彼も讀んで了つたやうな氣になりました。

「それからは、飮む、打つ、買ふの三道樂で、私が小遣をやらないと、刀を拔いておびやかし、外へ出ると、押借、強請ゆすり、いかさま博奕ばくちまでやるやうになりました」

「──」

「尤も、宗次にも言ひ分がありました。兄弟と言つても双生兒だから、何方が兄何方が弟と言つたところで、確かな差別へだてのある筈は無い、親父の溜めた身上しんしやう、皆んなと言はないから、せめて半分よこせ──と斯う言ふのでございます。まことに無理のない話で、私もツイその氣になる事もありましたが、父親が生きて居る頃、間違つても宗次には金をやつてはならぬ、それを湯水のやうに費ひ散らすだけなら宜いが、人樣に迷惑をかけなければ納まらぬ奴だ、──小人玉を抱いて罪あり──父は武家上りで、よくこんな六つかしい事を言つては私を教へました」

「──」

 平次は默つて聽いて居ります。

「宗次の亂行は日に〳〵募つて、何べん私を殺さうとしたかわかりません。到頭我慢が出來なくなつて、今から二年前、三百兩だけ分けてやつて、兄弟の縁を切り、世間へは死んだと言ひふらして、上方へやりました。何か身につく商賣でも覺えさせようと思つたので御座います」

「その宗次とやら言ふ弟さんが歸つて、泉屋一家へ仇をして居る──と斯う言ひなさるのだね」

 平次は珍らしく先潜さきくゞりをして、宗太郎の話の腰を折りました。さうでもしなければ、何時までも愚痴を竝べて居さうで、我慢がならなかつたのです。

「お察しの通りで御座います、親分さん、兄が弟の事を訴人するのは、よく〳〵ではありますが、あんなに世間樣を騷がせて、何時迄も默つて居るわけには參りません。私が斯んな事を言つたと知れたら、兄第の見境もなく、斬るの殺すのと言ふでせうが、それも致し方御座いません。何時までも知らん顏をして、石原の親分さんや、お品さんに苦勞を掛けるのも心苦しく、思ひ切つて此處へ參りました。それに──」

「お前さんは宗次に逢ひなすつたのか」

「いえ、二年前に別れた切りで御座います。三百兩の金はとうに費つて了つたでせうが、久離きうり切つた兄のところへ顏を出すのがおつくふで泉屋さんを困らせて居るのかもわかりません」

「泉屋一家を荒して居るのが、どうして弟の宗次と解つたのだえ」

「それで御座います、親分さん、泉屋一家ばかり狙ふのは、縁談の事で怨んで居る、弟の外には思ひ當りません、──それに、昨夜は私のところへも押込んで、手文庫から五十兩ばかりの金を持つて逃げました」

「それが弟の宗次だと言ふのか」

「宗次の外に、手文庫の隱し場所を知つてる者がありません」

 宗太郎の言ふのは、何となくまとまりがありませんが、それでも愚痴つぽい繰言の中にも、次第に筋道が立つて來ます。

「お前さんのところに雇人は何人居るんで?」

「番頭は通ひでしたが、これは半月前に止めさせました。あとは小僧が一人、下女が一人、私と三人暮しで御座いますが、皆んな早寢の早起で、泥棒の入つたことなどは、誰も知りません」

「フーム」

 平次はもう一度腕をこまぬきました。

「それでは親分さん」

 宗次は歸りかけましたが、平次の六つかしい顏を見ると、立上がり兼ねてモヂモジして居ります。

「たつた一つ訊き度いが、お前さんの弟は、お前さんによく似て居るだらうね」

「それはもう、双生兒の男同士で、子供の時は親父にまでよく間違へられました。年を取ると次第に氣性が違つて來たのと、弟は身體が丈夫で、顏色も艶々して居りましたから、家の者に間違へられるやうな事はありません」

「暗がりで、ヒヨイと他人が見たら──」

「それなら、私と弟と間違へても不思議はありません」

「有難う、それで大方解つた」

「それでは親分さん、何分宜しくお願ひ申します。惡い奴でも、肉身の弟に變りは御座いません、決して所刑しおきに上げ度いわけではないのですが──」



 その晩は雪、ツイ油斷をして居ると、平右衞門町の隱居泉屋夫婦が、離屋の中で殺され、有金五六百兩が紛失して居りました。これが、泉屋へたゝつた曲者の最後の仕事でせう。お品のところから通知があると、

「それ行け、──八」

 ガラツ八と一緒に驅け出した平次は、いきなり途中から道を變へて、鳥越の方へ外れます。

「親分、何處へ?」

「俺はちよいと信心をして行く。手前てめえは現場へ眞つ直ぐに行くが宜い」

「へエ──」

 何の信心だか解りませんが、ガラツ八は雪を踏立てゝ、平右衞門町へ飛びました。

 平次はその後ろ姿を見送り乍ら、鳥越の笹屋の裏路地へ、そつともぐるやうに入り込んだのです。

「おや、錢形の親分さん」

「大層精が出るんだね、宗太郎さん」

 まだ卯刻半むつはん(七時)といふのに、主人の宗太郎は、尻を端折つて、雪を掃いて居たのです。大跛者おほちんばで不自由さうですが、それでも、金を貯めるたちの人によくある、勞働を享樂する心持はよく呑込めます。

「表は小僧に掃かせましたが、どうも、ぞんざいでいけませんよ」

 さういふ言葉が、聞きやうでは、辯解らしくも響きます。

「ところで、昨夜弟の宗次が來たらうか」

「へエ──、又何かやりましたか、此處へは顏を出しませんが。──尤も、來たらうんと意見をしようと思つて居ますが、盜られた五十兩が惜しいわけぢやありませんが、あれぢや人の道が違ひます、ね、親分」

「さう言つたものだらうな、──ところで、宗次が立ち廻つたら、早速屆けて貰ひ度いが、かくまつたりすると、大變なことになるが──承知だらうな」

「へエ──」

「それぢや頼みますよ」

「何かありましたんで、親分」

「なアに、大した事ぢやない」

 泉屋の隱居二人を殺した大事件を、──しかも、半刻經たないうちに知れる筈のことを、平次は教へようともせずにそびらを見せます。

 其處から平右衞門町までは一と走り、平次が行き着いた時は、雪と碧血あをちの中に、檢死の役人と、石原の利助の姿と、泣きわめく泉屋一家の大混亂を見せられるばかりでした。

 こんな騷ぎの中から、何を搜し出せるものでもなく、唯もう平次は茫然として、血と雪と人間の渦卷を見詰めて居りました。

「まさかあの雪にと──思つたのが油斷でした。何時も來る按摩あんまだと思つて油斷をして居ると、亥刻よつ前から入り込んで、何處かに隱れ、夜中過ぎに離屋へ入つて、年寄夫婦を害めたのでせう」

 番頭の仁兵衞が、それでも一番冷靜に、いろ〳〵の事を説明して居ります。

「お、錢形の」

 石原の利助は救はれたやうな顏で迎へました。これだけ曲者に飜弄ほんろうされると、我慢の角も折れて、錢形平次が唯一の頼りだつたのです。

「目星は? 石原の兄哥あにき

「何にも解らない。笹屋の宗次の行方を搜して居るんだが──、まさか兄の宗太郎が匿まつて居るやうなことはあるまいネ」

「それに氣が付いたから、此處へ來る前に、鳥越へ廻つて見た。そんな樣子はねえ。宗太郎は小僧と二人で一生懸命雪をいて居たぜ」

 平次の眞意は其處にあつたのです。

「逃げ込んだ弟の足跡を隱す爲ぢやあるまいネ」

「何とも言へない」

「行つて見ようか、錢形の」

「それも宜からう」

 二人は、後を子分共に頼んで、もう一度鳥越に引返しました。

 笹屋の宗太郎は、先刻平次と逢つた時とは、打つて變つたあわてた姿でした。

「あ、親分さん方、大變な事になりましたな、到頭泉屋の御隱居夫婦が──」

「お前さん、それを弟のせゐだと思ひなさるかえ」

「──」

 宗太郎の顏は苦惱に歪んで、咽喉佛のどぼとけが上へ下へと動きます。

「一應家の中を見せて貰ひ度いが、宜いだらうな」

 利助の調子は冷たくて非妥協的でした。

「へエ──」

 二人は上がり込むと、裕福らしいが狹い家の中を、隈なく見て廻りました。入口の二疊、次の六疊、其處にはお佛壇があつて、その後ろはお勝手と、不似合に贅澤な風呂場、下女と小僧の寢間、それから八疊一と間、納戸と押入、便所、その奧に、宗太郎の寢間の四疊半が、縁側の先へ繼ぎ足したやうに建て増してあります。

 天井にも、床下にも、人間一人隱す場所はありません。

「立派な刀箪笥かたなだんすだが──」

 平次は高い箪笥の前へ立つて居ります。

「親父が武家上がりで、二三十本ありましたが、性の良いのは賣つて了ひましたし、手頃なのは、弟が持出しました」

 成程、殘るのはほんの三四本、それも宜い加減のものばかりで、下の方の抽斗ひきだしは着物箪笥に變つて居ります。

「この拵へに見覺は無いかえ、石原の」

 平次が取出したのは、蝋塗鞘らふぬりざや赤銅しやくどうつば、紺絲でつかを卷いた、實用一點張の刀です。

「お、これは一昨日の晩、泉屋本家へ曲者が殘して行つた脇差と同じ拵へだ」

「さうだらう、──どうも揃つた道具らしいが刀だけが後家ごけになつて居るのは可怪しいと思つたよ」

 錢形平次は、さり氣なく宗太郎の顏を見やります。

「親分、──矢張り弟が」

 宗太郎は柱へよろけました。

「宗太郎、隱しちや、爲にならないよ。弟は何處に居る、──お前は知つて居る筈だ」

「いえ、何にも存じません」

 宗太郎はもう顫へて居ります。

「小僧と下女を呼んで調べようか、錢形の」

 利助はきほひ立ちました。

「それも宜いだらう」

 さう言ふ平次の前へ、小僧と女中は呼出されました。吉藏と言ふ十三四の少年と、おさめと言ふ山出しらしい二十歳はたち前後の女です。

「隱さずに言ふんだぞ。お前達は此家へ奉公してから何年になる」

「私は二た月前で、おさめどんは、一と月にしかなりませんよ」

 吉藏は先輩らしい優越感にひたります。

「その前の奉公人は?」

「皆んな暇を取りました」

「それでは聞くが、近頃、此處の弟といふ人は來なかつたか」

「存じません」

「旦那によく似て居るが──」

「知らねえだよ」

 これでは手の付けやうがありません。



「それぢや、昨夜とその前の晩、旦那の宗太郎さんは此家に居たかい」

 平次は利助に代つて問ひかけました。

「居ましたよ。旦那はお金の勘定が好きで、夜更けまで算盤そろばんをはじいて居ますよ」

 小僧の吉藏はこまちやくれた事を言ひます。

「お前は見たのか」

「いえ、夜中小用に起きた時、旦那の部屋に灯りの點いて居るのを見ただけです」

「話聲は聞かなかつたか」

いえ

 平次の問も其處で行詰りました。

「旦那は夜更けにお前達を部屋へ入れないのか」

「へエ──、金の勘定などを奉公人は見るものぢやないつて叱られます。戌刻半いつゝはんから先は旦那の部屋へ行かないことにして居るんです」

「それで、算盤を彈いて居るんだね」

「へエ、昨夜もその前の晩も、亥刻から夜中過ぎまで、引つ切なしに算盤の音がして、うるさくて、眠られませんでしたよ」

 生意氣さうな小僧の吉藏は、恐れ入つた宗太郎を顧みます。

「それで宜い。悧巧さうな小僧さんだ、どりや」

 平次はもう一度立つて離屋はなれを覗きました。手文庫と、手習机ほどの机が一つ、帳面が五六册、それを繰つて見ると、ところ〴〵筆跡ひつせきは違つて居ますが、宗太郎はかなり手廣く金を貸して、近頃は取立てる方に力を集注して居る樣子までよくわかります。

 机の上に算盤が一つ、その先が直ぐ雨戸で、雨戸には小指の先ほどの小さい穴があいて居りますが、始終何人か紐でも通して合圖をしたものか、穴のへりが摺れて居るのも疑へば疑へます。

 沓脱くつぬぎの上にも下にも履物はありませんが、縁の下を覗くと竹細工の玩具にしては少し大きい風車が一つ。引出して見ると、まだ眞新らしいもので、柄の方に二つ三つ穴が開いて居るのも變つて居ります。

 平次はそれを持つて元の部屋へ歸ると、

「これは何だ」

 宗太郎の胸先に突付けました。

「へエ──」

「江戸では見かけない品だ、──弟の宗次が持つて來た物に相違あるまい。どうだ」

「──」

「兄が弟を庇ふのは無理もないが、諸人の迷惑、公儀の御手數を考へて、此邊で白状したらどうだ。匿まつた罪は、兄弟の情誼よしみを考へて、此場限り忘れてやるが──」

「へエ──」

「まア、坐れ。不自由な身體で、さう立つて居ちや苦しからう」

「有難う御座います。──皆んな申上げますが、昨日錢形の親分さんのところへ行つたのを嗅ぎ付けられて、弟にひどい目に逢はされました。此上私の口から漏れたと知れると、殺されて了ひます」

「隱れ家を言へば、これから直ぐ行つて縛つて來る。お前に迷惑を掛けぬぞ」

 利助も口を添へました。曲者の身體へ、次第に手が屆くやうな氣持だつたのです。

「父親、笹枝宗左衞門が役目の失策を仕出かしたのは、今から二十年も前、泉屋の隱居が盛んな頃、轉宿や直差ぢきざし(札差いぢめに、旗本や御家人の人の惡いのが用ひた手段)を父上が旗本仲間にそゝのかしたと思ひ込んで、少しばかりの落度を、支配の若年寄まで申出でた爲で、笹枝一家は泉屋の隱居の爲に家祿を失ひました」

「──」

 宗太郎は疊の上へ手を突いたまゝ、思ひも寄らぬ事を斯う話し出したのです。

「御當所鳥越へ來て、少しばかりの資本もとでを運轉し、どうやら斯うやら身上が出來た頃、泉屋の隱居も昔のやり方を後悔して、父上に詫を容れ、又附き合つて行くやうになりましたが弟宗次の養子の話から、又仲違ひをし、弟はその爲に身を持崩して、こんな騷ぎを始めることになつたので御座います」

「──」

「不都合な弟には違ひありませんが、兄の私から見れば、可哀想でも御座います。どうぞたつた一晩だけ名殘りを惜ませて下さい。明日になれば、因果いんぐわを含めて、きつと名乘つて出るやうに致させます」

「いや、それはなるまい」

 と利助。

「では、せめて一日」

 宗太郎はポロ〳〵と涙さへこぼして居りました。



 宗太郎はその上口を開きません。が、繩打つて引立てたら命に替へても弟を逃すでせう。平次と利助も、持て餘して其儘暮れるのを待ちました。

「もう宜からう、宗太郎、弟は何處に居る」

 ガラツ八が手傳ひに來たのを切つかけに、平次は最後の問を持出しました。

「何時まで隱しても大罪を犯した弟を助けるわけには參りません、皆んな申上げます」

「言つてくれるか、宗太郎」

 利助と平次は、左右から詰め寄りました。

「今頃は父親の墓に名殘を惜んで、隱れ家へ納まつて居りませう」

「父親の墓へ──?」

「左程で御座います。山谷の正傳寺に父親の墓があります。讐を討つた弟は、そこへ行つたに相違御座いません」

「成程、どうしてそれに氣が付かなかつたんだ」

 平次は口惜しがります。

「門前の花屋の親爺は、昔使つてた若黨で御座います。弟は其處に身を隱して居ります」

「有難い」

 と利助。

「八、此處を頼むぞ。歸つて來るまで、その男から眼を離すな」

 平次も續いて飛出しました。一氣に山谷の正傳寺へ──。

 が、これは何と言ふ見當違ひでせう。山谷の正傳寺へ着いたのは酉刻半むつはん頃、門前の花屋へ飛込むと、三十年後家を通した婆さんが一人、そのめひといふ娘が一人、笹枝家へ奉公したといふ親爺も居ず、たつた二た間の家を、めるやうに搜しても、宗次とやらが隱れて居る樣子もありません。

 第一、正傳寺の墓場には、笹枝家の墓などと言ふものゝ無いことは、花屋も、納所の小坊主も保證をして居ります。

「これは何うだい、錢形の」

 利助は花屋の店先にドツカと腰を据ゑました。

「石原の兄哥、俺達は大變な間違をやらかしたらしいぜ」

「宗太郎が嘘をついたのか」

「それに違ひないが、嘘も、念入り過ぎるぞ」

 平次は考へ込みました。

「それぢや引返して宗太郎を引立てよう」

「いや、もう逃げて了つたらう。あんな惡く悧巧りかうな奴に逢つちや、八五郎なんどは何んの役にも立たぬ」

 平次は利助と竝んで腰をおろして了ひます。

「此處へ坐り込んぢや困るぜ、錢形の」

「待つてくれ、兄哥、俺は大變な事を見落して居たんだ──一昨日の晩曲者は八五郎に顏を見られると、その翌る朝、宗太郎が双生兒の弟を訴人に來た、──そのくせ弟の隱れ家を知つて居ると睨まれると、急に弟をかばひ出した、──それから小僧と下女は、夜つぴて算盤の音を聞いたと言ふくせに、宗太郎の姿を見て居ない、──夜になると、自分の部屋に引込んで、奉公人を一人も近づけない」

「──」

 平次の深沈たる顏を、利助は不安さうに眺めるばかりです。

「奉公人は二月前に皆んな變へた、帳面の筆跡もその頃變つて居る、──風呂場は急拵きふごしらへだが、不似合ひに贅澤で、お姫樣の風呂場のやうに、内から嚴重に鍵が掛るやうになつて居た──刀箪笥には後家になつた刀があつて=同じ拵への脇差は曲者が持つて居た=風車は雨戸の外へ仕掛けて、夜風にクルクル廻ると、その柄を机の前へ持つて來て、あの穴へ竹箸でも仕掛けると、風の吹く毎に算盤の球をパチ〳〵彈かせることも出來る──」

 恐ろしい疑惑に利助も顏を擧げました。

「宗太郎と宗次は、親も間違へるほど顏が似て居た。とすると、──あの宗太郎と名乘るのが、その實は弟の宗次かも知れない」

跛足びつこはどうする」

 利助は相談すると、

「さうだ、あの跛足はにせぢやない」

 平次は愕然としました。

「兎に角歸らう。こりや、大變な事になるかも知れない」

 二人は花屋を飛出しました。一氣に鳥越の笹屋へ──。

 ガラリと格子を開けると、

「あツ、親分」

 ガラツ八は元のまゝ八疊に脂下つて居たのです。

「宗太郎はどうした」

「親分方へ正傳寺と言つたが、あれは廣徳寺くわうとくじの間違ひだから、大急ぎで親分方に教へて來ると言つて、半刻ばかり前に出かけましたよ」

 何と言ふ他愛のなさ。

「馬鹿野郎ツ、だからお前に番人を頼んだぢやないか。何處の世界に親の墓のある寺を間違へる奴があるんだ」

「あツ、いけねえ」

「呆れ返つた野郎だ」

 平次はさすがに怒りましたが、今更何うすることも出來ません。

「親分、あの宗太郎は弟と共謀ぐるなんで?」

「當り前よ、──が、待てよ、宗太郎は此處を出る時、跛足びつこを引いて居たか」

「え、あの跛は生涯癒りやしません」

「待て〳〵」

 平次は考へ込みましたが、いきなり疊の上に坐つて、自分の膝を見詰めて居ります。

「親分」

「跛もあんなひどいのになると、兩膝が揃はないのが本當だね」

 妙なことを言ひ出します。

「──」

「宗太郎は歩く時は右の足が二寸も短かいくせに、坐つた時兩膝の揃ふのは何うしたわけだ」

「親分」

 ガラツ八は、平次の氣違ひ染みた樣子が氣味が惡かつたのです。

「八、帶を解け」

「大丈夫ですか、親分」

「氣が違つたかと思ふか、安心しろ、俺は今跛を拵へて見せるから」

 八五郎に解かせた帶で、自分の右足の太腿ふともゝを縛ると、その兩端を左の肩へ掛けて、帶のあたりで固く結びます。何の事はない、自分の左の肩へ、自分の右足を釣つた形、そのなりでそろ〳〵と歩き出すと、

「あツ、親分」

 ガラツ八も利助も仰天しました。平次の右足は二三寸短かくなつて、左肩下りの醜怪な佝僂せむしの恰好になつて了つたのです。

「跛者に見えるか」

「見えるどころぢやねえ、宗太郎そつくりだ」

「矢張り、あれが弟の宗次だつたんだ。二年前に貰つた三百兩を費ひ果し、此處へ戻つて來て兄貴を殺したが、あると思つた現金が、皆んな貸になつてゐる──で、兄貴の宗太郎に化けて、貸金を掻き集め乍ら、うらみのある泉屋に仇をして居たんだ」

 平次の明察、もう塵程ちりほどの曇もありません。

「それぢや、何處へ行つたんだ」

 と利助が、これも夢の醒めた心持。

「帳面で見ると、この二た月の間に、千兩から掻き集めて居る、その上泉屋から盜つた金を合せると一とかどの身上だが、袂や懷へ入る金ぢやない、と言つて明日から街道筋はの目たかの目になるから、──船かな」

「成程、船だ」

 と言つたところで、墨田川の川筋を半刻や一刻の間に、皆んな調べる方法はありません。



「親分、お品さんは來ませんか」

「何? お品が何うした」

 石原の利助の子分、伊三松が飛んで來たのです。

「先刻石原の家へ、此處の宗太郎さんが來て、弟の隱れ家が判つたが、手に餘るから、お品さんにも來るやうにつて、──さそひ出した相ですよ」

「何だと?」

 利助は色を失ひました。

「何方へ行つた、伊三兄哥」

 と平次。

「それが解らないんで」

「──宗太郎が曲者だつたんだ、が騷ぐな、騷ぐと飛ぶぞ、──あの野郎、行きがけの駄賃にお品さんをさらつたのだらう」

 平次は驚き騷ぐ利助、ガラツ八、伊三松をなだめて、外へ飛出しました。

「何處へ行くんだ、錢形の」

 利助はすつかり打ちひしがれ乍らも、お品の身の上を心配して、僅かに若い者と一緒に驅けて居りました。

御厩河岸おうまやがしから、石原へ行つたに違ひない、が、金と女を積んで、御船手や橋番の眼を潜るのは厄介だから、多分上手へ漕ぎだしたらう」

「すると」

「船を三隻出さう、御厩河岸から追つかけて一艘、それは八頼むぞ。なるべく人數の多い方が宜い」

「合點」

「伊三兄哥は、兩國から出せ。俺と石原の兄哥は、竹町から出して逆に行く。──灯の點いて居る船に用事はねえ、大きな船は調べるだけ無駄だ、灯の無い輕舸はしけでそつと漕いで居るのがあつたら逃すな」

「合點」

 平次の號令は周到を極めます。

        ×      ×      ×

 一方はお品、宗太郎に誘はれて、何心なく來たのは石原の河岸、もうすつかり暗くなつて、往來もありませんが、宗太郎の足取りだけはよく判ります。

「おや? お前さんの足は?」

 驚いたことに、宗太郎の大跛おほちんばが、何時の間にやら癒つて居るではありませんか。

「氣が付きましたかえ、お品さん」

「えツ」

「お品さんがびつこを嫌つたやうに、私も跛の眞似は大嫌ひさ。二た月越の辛棒は貸金二千兩を掻き集めて、お品さんを手に入れたいばかり」

「お前さんは?」

「宗太郎の弟の宗次だよ」

「えツ」

「驚いたらう、お品さん、跛の意氣地なしのしわん棒の兄貴と違つて、私は丈夫で威勢がよくて、金離れの良いのが自慢さ。行かうぜ、兄貴から持越した戀だ」

 これが曲者、とはつきり判ると、お品も思はずギヨツとしました。

「あれツ」

「どつこい、お品さんは尋常な音をあげる娘さんぢや無かつた筈だ。二千兩ありや當分の暮しに困るまい、双生兒宗次の女房は惡くないぜ」

 お品の口をふさぐと、扱帶しごきを解いてキリキリと縛り上げました。柄に似ぬ非凡の力で、お品などは羽搏はばたきもさせることではありません。

 そつとおろしたのは、輕舸はしけの中。

「そのこもの下には小判で二千兩あるんだ、大した寢床だぜ。灯は禁物だが、暫らくの我慢だ。ねぐらへ歸れば、存分に可愛がつてやるぜ」

 頬から頬へ、そつと通ふ體温、お品は眼がクラクラする程憤りを感じましたが、無抵抗に、小判の上に寢かされて、どうすることも出來ません。

「俺は一日も早く、お品さんの前に、正體を見せ度かつたのさ。お品さんと言ふものが無きや、もう半歳辛棒して、期限になつた貸金をかき集めると、三四千兩は手に入れられたんだ」

「──」

「が、お品さんに見られたら、跛者ちんばしわん棒や、臆病者の眞似をして居るのは、辛かつたぜ」

 宗次は自分の英雄的な姿を誇るやうに、漕ぐ手を休めては時々お品の前に立ち上がるのでした。

「おやツ」

 同じ灯の無い船が、ヒタヒタと前から迫ります。

「變な船が來るぜ」

 それが平次と利助の船だつたことは、言ふまでもありません。

「宗次、御用だぞ」

「何をツ」

 闇をつんざく平次の聲を聞くと、宗次は縛つたまゝのお品を抱いて立ち上がりました。

「惡黨らしくも無い、お繩を頂戴せい」

 宗次は逃れやうの無いことをはつきり知りました。後ろからは伊三松の船、向うからはガラツ八の船が、これは灯を滅茶々々に點けて、篝船かゞりぶねほど川面を照し乍ら、

「御用ツ」

「神妙にせい」

 と漕ぎ寄せるので、その人數はざつと二三十人。

「ハツハツハツ、手が廻つたのか。少し油斷が過ぎたかも知れぬて、──が思ひ置くことは無い、お品さんと一緒だ、晴れの心中も洒落しやれて居るだらう」

 お品を抱き上げたまゝ、身を躍らせて眞黒な川へ──、その時早く、間髮容れぬ投げ錢が、平次の手から流星の如く飛びました。

 永樂錢えいらくせんや文錢では埒があかぬと見たか、取つて置きの小判が一枚、二枚、──夜の水の上にひらめきます。

「あツ」

 宗次はお品をふなばたに落したまゝ、自分の身體だけ、水音高く落込んで了ひました。

 此時、二千兩の小判の上には、縛られたまゝのお品が、流石に聲もなく泣いて居たのです。

底本:「錢形平次捕物全集第六卷 兵庫の眼玉」同光社磯部書房

   1953(昭和28)年610日発行

初出:「オール讀物」文藝春秋社

   1935(昭和10)年12月号

※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。

※副題は底本では、「双生兒ふたごのろひ」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:門田裕志

2015年69日作成

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