錢形平次捕物控
贋金
野村胡堂
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「親分、この頃妙なものが流行るさうですね」
八五郎がそんな話を持込んで來たのは、三月半ばの、丁度花もおしまひになりかけた頃、浮かれ氣分の江戸の町人達も、どうやら落着きを取戻して、仕事と商賣に精を出さうと言つた、殊勝な心掛になりかけた時分でした。
「流行物と言へば、大道博奕に舟比丘尼、お前の頭のやうに髷節を無闇に右に曲げるのだつて流行物の一つらしいが、どうせろくなものは無いな」
「そんな手輕なものぢやありませんよ、親分も聽いたでせう、彼方此方から、小判の贋物が出るといふ話」
「そんな噂もあるやうだな」
「大判小判などといふものは、どうせこちとらの手に渡る代物ぢやありませんがね、あんまり世間の評判が高いから、ちよいと親分の耳に入れて置かうと思ひましてね」
斯んな市井の噂をかき集めて來るのが、八五郎の得意の藝當で、平次に取つては、まことに有難い特技だつたのです。
「八丁堀の旦那方からも、内々でお達しがあつたよ、天下の通用金の贋を、うんと拵へる場所があるに違げえねえ、手一杯に搜して見ろ──とな」
「それで見當でもつきましたか」
「少しもわからねえのさ、お前の言ひ草ぢやねえが、贋でも小判となると、滅多にこちとらの手には入らない」
平次は苦笑ひするのです。一兩小判はざつと四匁、元祿以前の良質のものは、今の相場にして骨董値段を加へると何萬圓といふことになるでせう。
徳川時代の刑事政策は、すべての犯罪に對して、嚴罰主義で臨みましたが、わけても不正桝──即ち八合判と、贋金──つまり銅脉と言はれたものゝ僞造行使は、藩によつては極刑中の極刑を以つて罰した例もあります。
「だから、お行儀よく坐つて居ても、こちとらへは小判なんか持つて來る奴も無いから、少し歩いて見ようぢやありませんか、贋金をつかまされた家といふのを、二三軒聞き込んで來ましたよ」
「そいつは善いあんべえだ、どうせ手を着けなきやならない、それを門並歩くとしようか」
平次は、たうとう此事件に神輿をあげることになつたのです。
「最初は──と言つても、贋金は江戸中に散つて居ますよ、今日は淺草で使つたと思ふと、翌る日は本郷だ」
「世上の評判になる前に大急ぎで使ふためだ、贋金は造るよりそれを使ふのが六つかしい──一人や二人の仕事ではあるまいよ」
贋金は造るよりそれを使ふことの六つかしさは、今も昔も變りはありませんが、新聞もラヂオも無かつた時代は、今日から見るといくらか噂の傳達が遲く、從つて地理的に廣範圍にバラ撒けば相當量の資金も使はれるわけであります。
「では先づ手近のところから歩いて見ませうか」
八五郎が先に立つて、神田から下谷淺草を一と廻りすることになりました。埃りつぽくはあるが、晩春の良い日和、背中からホカホカと暖まつて、行樂には申分ありませんが、仕事となると、さう呑氣ではありません。
最初は竹町の、その頃は下谷でも有名な常大寺、春の花時を當て込んだ、本尊の大黒天の開帳が當つて、百日の間に千兩といふ莫大なお賽錢が入り、それを兩替して小判にして置いたのを、一と晩のうちに贋小判に摺り替へられたといふ、贋金事件第一番の被害でした。
庫裏から訪づれると、住職の大賢和尚は老齡の上、この事件で本堂再建の望みもフイになり、落膽して床に就いて居るといふので、執事の鐵了といふ四十年輩の僧侶が逢つてくれました。
「寺社の御係から、町方へも御話がありましたので、詳しい事を伺ひに參りました」
平次が申入れると、日向の庫裡に招じ入れて、
「いや、驚きましたよ。當山の大黒天は、行基菩薩が南海に流れ寄つた天竺の香木で彫んだといふ有難い秘佛ですが、本堂の破損が甚だしく、その再建のため、當山始まつて以來、百日を限つての御開帳を行ひました。その參詣の善男善女は、江戸は申す迄もなく近在近郷からも集まり、賽錢だけでも、叺に八十杯といふ有樣、その勘定がまた大變なことで御座いました」
あまりの事に、平次も八五郎も默つて聽く外はありません、江戸時代に屡々行はれた寺社の開帳には、當れば斯んな賑ひは隨分あつたものです。
「さて開帳が終つて、賽錢を勘定して見ると、九百八十兩といふ額になりました。商人達は小錢を欲しがりまして、寺へ錢を替へに參りますが、一々取合ふのも面倒、それを一と纒めにして、當寺の檀家で、黒門町の兩替屋樽屋金兵衞に引渡し、小判に替へて本堂再建の入費に當てることになりました。樽屋金兵衞殿はまことに信心深い結構な方で、九百八十兩では半端になるからと、二十兩の寄進につき、それを加へて千兩に纒め、千兩箱に入れて寺に納めました。今日から丁度四日前のことで御座います。箱は住職の大賢和尚を初め、私も檀家總代も立ち合ひの上、嚴重に封をし」
「お言葉中だが、その時中味を一々調べたことでせうな」
「一應拜見いたしましたが、中は吹き立ての小判がギツシリ詰つて、何んの間違ひも無かつたと思ひます、尤も樽屋は兩替仲間の組頭で、包金を封のまゝに通用させる家柄ですから、その樽屋の持つて來た千兩箱を、引つくり返して、一々勘定したわけでは御座いません」
「で、どうぞあとを」
平次は先を促しました。
「本堂の須彌壇の上に置き、一同は引下がりました、──戌刻半(九時)時分であつたと思ひます」
「本堂の締りは?」
「千兩の金がありますから、至極嚴重にして置きました。その上、燈明は點けたまゝ、二人の小僧が、不寢の番をして見張つて居りました。若い者ですから、少し位の居眠りはしたかも知れませんが、二人一度に眠つたこともなく、二人一緒に小用にも立たず、須彌壇から眼は離さなかつたと申します。朝になつて小僧達が雨戸を開けますと、別室に休んで居た──檀家總代の井筒屋久太郎さんと、兩替屋の樽屋金兵衞さんが私と一緒に本堂へ參り、御本尊を拜んでさて須彌壇の上を見ますと、千兩箱は打敷の上に乘つたまゝ、何んの變りもありません、が、ヒヨイと見た樽屋金兵衞さんは、──これは變だ、千兩箱が代つて居る──と申すのです」
「──」
執事の鐵了は、その時の事を思ひ出したらしく、ゴクリと固唾を呑みました。四十年輩の逞ましい男で、髯の跡の青々とした、お經で鍛へた聲の錆や、大きい鋭い眼など、何樣一と癖あり相です。
「なるほど、樽屋さんにさう言はれて見ると、千兩箱は確かに代つて居ります。昨日持込んだのは眞新らしい赤樫の千兩箱で、樽屋の燒印を捺してありましたが、朝になつて見ると、それは手摺れのした古板の箱で、燒印も何んにも捺してはありません、その上、昨夜の封印も無くなり、手で押して見ると、箱の蓋は他愛もなく開くのです」
「で、中は」
「贋物の小判に代つて居りました。數は丁度千枚、人を馬鹿にしたやうに、同じ數でしたが、一枚々々調べて見ると、皆んな贋物で、──尤も後で金座の御係に鑑て貰ひますと、千枚のうち十二枚だけは眞物の小判だつた相で御座います。でも、九百八十八枚が贋物では何んにもなりません、八十歳の住職が、一代の大願もフイになつたと、床に就いたのも無理のないことで御座います」
「一應、本堂を拜見いたします」
「さア、どうぞ」
庫裡から本堂へ、窓々、入口、戸や襖まで調べた上、蜀紅の打敷を掛けた須彌壇を最も念入りに見ましたが、叩いても撫でても、種も仕掛けもないことは申す迄もありません。當夜千兩箱の番をしたといふ二人の小坊主にも逢つて見ましたが、十五に十七といふ若さにしては、寺方で育つた少年らしく、いかにも悧巧さうで、曲者の入るのを知らずに眠りこけて居たとは思はれません。
贋物の千兩箱も一應は見せて貰ひましたが、何んの目印も無い中古の錢箱で、蓋の上に左右二本の溝のあるのだけが妙に眼につきます。
通貨の贋造は千三百年前の元正天皇の時代から文獻に傳へられ、その百年後には、天下の通用、五割までは贋造僞造であつたと言はれて居ります。古錢に贋物の多いのはその爲で、政府が屡々新貸を鑄造して、贋造を驅逐しようとしたが、これはなか〳〵容易のことでは無かつたでせう。
徳川期になつて硬貨の贋造が益々夥しく、藩札の僞造がまた相當にあつたらしく、更に明治以後の贋造については、古錢と貨幣の研究で有名な、山鹿義教氏が、『贋造通貨』といふ大著まで書いて居ります。
平次は寺に預つて居る、贋の小判を見せてもらひました。銅と鉛の饀こに、巧に金を着せたもので、たがねの味も眞物そつくり、裏の後藤の花押も、墨色が少し惡いかと思ふだけ、素人には眞贋の見當もつきません。
「箱が變つて居たのと、その場に兩替屋の樽屋さんが居たので、即座に贋物とわかりました。私共だけでは、何日睨めつこをしてゐても、これが僞物とはわかりません」
執事の鐵了はさう言ふのです。
尤も、小判や大判の書き判、即ち金座の後藤の花押には、素人にはわからぬ秘密があつた相で、それが後藤家代々の口傳になり、金座の後藤が一と眼見れば、花押の何處かで、眞物か僞かがわかつた相です。
明治になつてからは、政府の發行した紙幣にもその秘密があり、唐草の眼の一つ〳〵、肖像の髯の細かい線などに、隱された急所があつたと聞いて居りますが、詳しいことは筆者にもわかりません。
さて、八五郎が案内した二軒目は、御徒町の井筒屋久太郎でした。これは、常大寺の檀家總代といふだけで、詳しいことはわからず、唯當夜兩替屋の樽屋金兵衞と一緒に常大寺に泊り、翌る日はその金を材木屋その他寺の建築關係の諸方へ、手付けとして渡すために、一夜の番をしてやつたといふに過ぎなかつたのです。
「こんな事なら、前の日のうちに、拂ふものは拂ひ、納めるものは納めて置くのでした。叺八十パイの青錢のうちは無事でしたが、小判に兩替すると、其處を狙つたやうに、たつた一と晩でこの災難です」
井筒屋久太郎は愚痴をこぼすのです、五十年輩の分別者らしい男ですが、商賣の道には長けて居ても、惡者の詭計にまでは目が屆かなかつたでせう。
「その千兩箱を寺へ運び込んだのは、明るいうちですか」
「いや、もう薄暗くなつて居りました、何分叺八十杯の錢を算へるのに手間取りましたから」
「千兩箱を寺へ持ち込んだことは、誰と誰が知つて居ました」
「寺の者は皆んな知つて居ました。樽屋さんの家の者も皆んな知つて居るわけで、外に、檀家の主立つた者が三四人、門前の人達も、あれを運び込むのは知つてゐた筈です」
「寺に泊つたのは、お寺の方の望みで」
「いえ、樽屋さんが言ひ出したのです、この金を納めるところへ納め、拂ふところへ拂はないうちは、檀家で兩替屋の私が心配だからと、──その心配が眞當になつて、惡い事は妙に言ひ當てるものですね」
これが井筒屋の言ふ全部でした。
平次と八五郎は、其處から黒門町の兩者屋樽屋金兵衞のところへ廻つたことは言ふ迄もありません。
樽屋の店は、大通りから少し入つて居りますが、場所柄でもあり、數代に傳はる暖簾で、當主の金兵衞は、なか〳〵のやり手と言はれて居ります。
「あ、錢形の親分、飛んだお手數をかけます」
店格子から立つて、丁寧に迎へたのは、四十を越したばかりの立派な町人で、前額は少し光つて居りますが、なか〳〵の男前です。
「大變なことでしたね、詳しい事を聽き度いと思ひましてね」
相手は公儀にも知られた大町人で、唯の御用聞の平次とは、まるで貫祿が違ひます。
「私が側に居て、斯んな事にならうとは思ひませんでした。お寺へも氣の毒ですし、眞物の小判が出なければ、せめて三つの一つでも私がお寺へ寄進をしようかと思つて居ります」
樽屋金兵衞は、斯んな大腹中のことをいふのです。樽屋に取つては、三百兩位の金は、どうにでもなるのでせう。
「それは大した心掛ですね、ところで旦那は、眞物の千兩箱が、何處で何うして摺り換へられたと思ひます」
「さア、まるで上手な手品を見せられてるやうで、私にも見當はつきませんが、あの須彌壇に仕掛けが無ければ──」
「須彌壇には仕掛けはありませんよ」
「すると、宵に私と井筒屋さんが引取つてから、──朝雨戸を開けさして、須彌壇の上の千兩箱を見る迄の出來事でせうね」
「すると」
「眠らないやうに思ひ込んでゐても、若い小僧さんが二人、何時の間にかトロトロとやつたんぢやありませんか。寺の戸締りは嚴重なやうでも大ざつぱですから、御住職も鐵了さんも引込んだ後、私と井筒屋さんが、庫裡で枕を並べてグツスリ寢て居る間に、そつと忍び込んだ者があると思ひますが──」
樽屋金兵衞の解釋は、いかにも常識的で、今のところ平次といへども、この外には考へやうもありません。
「成程そんなことかもわかりませんね」
「商賣柄、こんな事は申上げ度くないのですが、實は私の店でも、あの常大寺の騷ぎのあつた晩、番頭の油斷で贋の小判を十枚掴まされました」
「へエ、お店で」
「だから、申上げ度くないんです、兩替屋下谷組の組頭の樽屋が贋小判を掴まされちや、信用にもかゝはります」
「どんな具合に」
「四日前の晩、私が常大寺に泊つた留守に、立派な御武家が一人やつて來て──まだ宵のうちだつた樣ですが──小判で二十五兩金を、切餅に代へてくれと申すんだ相です」
「?」
二分金五十枚包は丁度切り餅の恰好になるので、これを切餅と言ひ、判金と違つて、使用が便利なのを重寶しました。
「一枚二枚の判金を、若い奉公人が扱ひます時は、萬一の間違ひの無いやうに、砥石の上へ叩いて見るのが店の仕來りになつて居ります。が、その晩は相手の身振が立派なのと扱かつたのは番頭の惣吉で、これは十年も奉公して居り、一と眼見ただけで、二十五枚の小判の代りに、切餅を渡してやつたのだ相です。翌る日の朝、私が歸つて來て常大寺の贋千兩箱の話をすると、番頭の惣吉も昨夜のことを思ひ出し、二十五枚の小判を出して、明るいところで見ると、二十五枚のうち、十枚までが贋物とわかり、今更驚いたが追つ付くことでは御座いません」
樽屋金兵衞はさう言ひ乍ら、店の隅に小さくなつて居る、番頭の惣吉を指しました。三十前後の、小意氣ではあるが醜い男です。
その惣吉の側には、大一番の青砥が据ゑてありました。今の貴金屬を扱ふ人は、藥品で簡單に鑑定しますが、昔は手で貫々を引いて、砥石に叩きつけ、その音の清濁をしらべるのが一番確かな方法とされ、明治の末頃まで專ら硬貨の流通してゐた頃は、東京の店にも、砥石を据ゑて、五十錢銀貨を一つ〳〵叩いてから受取る店があつたものです。
「外に氣のついたことはありませんか」
平次はもう一と押し押して見ました。樽屋金兵衞といふ男が、いかにも聰明さうで、なんかもつと深く知つて居さうな氣がしたのです。
「町人は騙りや押借に逢つても、暖簾が大事なので、隱してしまひますから、贋物をつかまされても、大抵はお上には屆けずに、默つて自分一人の損にしてしまひます。手前の方は兩替屋が稼業ですから、飛んだところから、いろ〳〵の事を聽いて知つて居ります」
「例へば?」
「柳橋の料理屋の平久のことを御存じありませんか」
「いや、何んにも」
「十日ばかり前、平久へ花見の料理を三百人樣と申込み、三十兩の小判を拂つたが、小錢が無いので、當日妓子供にやるにも困るからと言つて、小粒で十兩の金を借り受け、それつきり消えてしまつた男がある相です、三十兩の小判は皆んな贋物で、平久は十兩持つて行かれた上、花見料理の支度をさせられて、大變な損耗であつたといふことで」
「ひどい事をする野郎だな、──外には」
「小石川の正遠寺の山門の修覆に百兩の金を寄附した人があります、寺では大喜びで、早速出入りの棟梁を呼んで、その寄進をした有徳人と、住職と三人、何彼と相談をすると、丁度その日は親の命日だから、近所の其日にも困る人達に惠んでやり度いからと、寺から小粒で十兩借り、そのまゝ姿を隱した者があります。寄進の百兩は後で見ると眞赤な贋物で、可哀想なお寺は十兩といふ大金を奪られてしまひました」
「フーム」
贋金使ひのあまりの惡辣さに、平次も唸らされます。
「それほどの事をする贋金使ひの人相を、見ない筈はあるまいな」
「私も一應はそれを訊きました、柳橋へ行つたのは、背の低い、小意氣な男で、小石川へ現はれたのは、背の高い良い男だつたと言ひます。親分方が、直々お訊きになれば、詳しいことがわかるでせう」
外にも贋金をつかまされたのが、樽屋の知つてるだけでも五六箇所、何樣容易ならぬことです。
平次と八五郎は、念のため柳橋の平久と、小石川の正遠寺に廻つて見ましたが、
「どこで、そんな事を聽きました、人樣に知れても、恥になるだけで、一文の得になるわけでも無いから、誰にも言はないやうにして居りましたが──」
と平久の亭主と、正遠寺の住職は言ふのです。事情は樽屋が説明した通りで、曲者の人相を訊くと、柳橋の平久へ行つたのは、背の高い立派な旦那衆で、小石川の正遠寺に行つたのは、背の低い、藝人か何んかであつたと、まさに正反對になつて居ります。多分これは樽屋の主人の思ひ違ひだつたでせう。
兎も角も、その小判は土地の兩替屋に見せて、始めて贋物とわかつたもので、其方の口から、同業の樽屋の耳に入つたものと思はれます。
贋小判は、それからフツツリ姿を見せなくなりました。常大寺で千兩をせしめて、暫らく樣子を見て居るのでせう。
平次はその日から緻密で念入りな調べを始めました。先づ常大寺の本堂を、幾度も〳〵調べましたが、時代の古びのついた、黒塗の須彌壇には絶對に仕掛けが無く、擬ひものゝ蜀紅の錦の打敷も、古りに古りては居りますが、何んの不都合も見られません。
戸締りは寺方にしては思ひの外嚴重で、もし二人の小坊主が居眠りして居るところへ曲者が入つたとしても、宵のうちに忍び込んで何處かに身を潜め、夜が明けて小坊主二人が雨戸を開けてから、そつと眞物の千兩箱を持つて逃出したと見る外はありません。
「だが、それにしても、唯千兩箱を盜み出しさへすれば宜いぢや無いか、わざ〳〵重い贋物の千兩箱を持つて來て、代りに須彌壇の上に置いたのはどういふわけだ」
平次は斯う自問自答するのです。千兩箱の貫々は風袋を加へてざつと五貫目、わざ〳〵そんなをのを持込む必要が何處にあるでせう。
執事は喰へさうも無い四十男ですが、逞ましいのは人相だけで、幾度も逢つて見ると、これが案外弱氣で、人の良い男だとわかり、平次の最初の疑ひも雲散霧消してしまひました。
續いて平次は、江戸中の錺屋を、虱つぶしに調べ始めました。贋の小判の精巧な手際を見ると、これはどうしても素人の細工ではなく、相當腕の良い錺屋の仕事と睨んだのです。
近所から始めて次第に遠くへ、八五郎を始め、夥しい下つ引が動員されました。
神田、下谷から、淺草、日本橋へ、それから坂を登つて本郷、小石川へ、平次の探索は伸びますが、調べたうちでは、錺屋にそんな工面の良いのも無く、これぞと思ふのがなか〳〵掴めません。
そのまゝ、三日五日、十日と日は經つて行きます。贋金つくりが羽を斂めて、其まゝヂツとして居たら、平次も恐らく手の下しやうが無かつたことでせう。
が、思ひも寄らぬ手掛りが、向うの方から飛込んで來ました。
「親分、格子へ手紙が挾んでありますぜ」
向柳原へ歸らうとした八五郎が、格子戸から結び文を見付けて、中へ投りました。
「へエ、夜中に結び文か、洒落れたものだな、尤も呼出しの掛る當ては無いが」
平次は煙管で引寄せて、結び目を解くと、世間並の半紙に細い筆で、
折入つて申上度いことがあるが、人に見張られてゐてうつかり出られない、この手紙も娘に頼んで親分の家へ屆けるが、若し私の話を聞いてやらうといふ氣があつたら、明日の晩戌刻半(九時)頃湯島の大鳥居の所までお出でを願度い。
錢形の親分さま
と斯う書いてあるのです。少し角の張つた字は綺麗、癖はひどいが、決して帳面字ではありません。墨も帳場の腐つた宿墨でなく、筆も芯が確りして、ピンとはねた唐樣の四角な字に一特徴があります。
「面白さうだな八」
「何んですか、親分」
「お前、この事をどう思ふ」
平次の差出した手紙を、草履を突つかけた八五郎は腹這ひになつてのぞきます。
「こんな四角な字を書くのは、坊主か手習師匠でせうね」
「いや、坊主や手習師匠はもう少し品の良い字を書く、これは字を書き馴れて居る職人だよ」
「へエ」
「提灯屋かな、染物屋かな、下繪描き、──いや、それにしては癖が強い」
「明日になればわかることぢやありませんか、ではお休みなさい」
八五郎は大して氣にする樣子も無く歸つてしまひました。
「親分、湯島で殺しです、直ぐお願ひします」
翌る日の朝、飛込んで來たのは、下つ引の湯島の吉でした。
「何んだ、殺し?──湯島なら錺屋ぢやないか」
平次も、昨夜の手紙のことが氣になつて、妙な落着かない心持の朝でした。
「湯島女坂下の錺屋の由五郎がやられたんです、どうして親分がそれを」
「矢張り、錺屋か、今朝になつてやつと氣が付いたよ、タガネで彫る字は、あんな恰好になる」
「知つて居るんですか、親分」
「いや何んにも知らないよ、昨夜俺の家へ手紙を投り込んだ者があるんだ。その筆癖が變つて居るから、一と晩考へたが、今朝になつて漸く錺屋のタガネ癖だとわかつたんだ、その錺屋に娘があるだらう」
「お紅と言つて、評判の良い娘がありますよ、十九ださうで」
「矢張りそれだ、その娘が昨夜此處へ來たんだ」
「へエ、するとその留守にやられたんですね。宵のうちに神田へ行つて、歸つて來ると灯はついて居るが親父の由五郎は居ない、一と晩探して、今朝になつて若しかと思つてお勝手の落しを開けると、親父はその中で刺されて死んで居たんですつて、あつしのところへ泣き乍ら飛んで來ましたよ」
「よし、そいつは大變なことになるかも知れない、直ぐ行かう」
平次は其儘飛出しました。丁度宜いあんばいに、向柳原からやつて來た八五郎も、この一行に加はつて湯島へ急いだことは言ふ迄もありません。
「湯島の錺屋の由五郎なら、あつしも知つて居ますよ、我儘なところはあるが、江戸つ子らしい良い職人で、それにあのお紅ちやんといふ娘は大したものですよ」
八五郎は註を入れます。
「娘のことゝ言ふと、八五郎は大した目利きだ」
「へツ、本阿彌はこちらで、江戸中の良い娘は、皆んなあつしの帳面に付いてゐますよ」
「呆れた野郎だ、──が、その娘と口をきいたことがあるのか」
「はにかみやで、水を向けても、滅多に返事もしてくれませんよ、細面の華奢立ちで、手足の綺麗な、耳のうしろにほくろのある」
「あれ、そんな事まで知つてゐるのか」
「浮氣つぽくはないけれど、そりや可愛らしい娘ですよ、尤も親父の由五郎は、あつしの友達の友達の又友達で」
「何んだ友達の三從弟位に當るのか」
そんな事を言ふうちに、三人は湯島女坂下の錺屋由五郎の家に着きました。
坂下の日蔭の多い家で、如何にも貧しさうですが、娘の丹精らしくて、家の内外は思ひの外綺麗に掃除がしてあり、中では五六人の近所の衆らしいのが、娘を助けて、何彼と世話を燒いてをります。
「お紅ちやん、親方が殺されたつてね、氣の毒だつたな、錢形の親分をつれて來たよ、敵は直ぐ討つてやるから、泣くなよ」
眞つ先に飛込んだ八五郎が、自分のことのやうに鼻を詰らせてをります。
娘のお紅といふのは、十九にしてはおぼこで、可愛らしく、頼りなく、いかにも涙を誘ひます。小薩張りした木綿の袷、襟も帶も地味で、八つ口と帶揚だけが、燃えるやうに赤いのも、貧しい裡のたしなみでせう。
平次も一と言二た言慰めて中に通りました。死骸は一應清めて、店の次の六疊に、床を敷いて寢かしてありますが、脇差か何んかで、背中からやられたらしく、左肩胛骨の下に傷を受けてをります。
が、血は大したことも無く、死骸の樣子には何んとなく腑に落ちないものがあるのはどうしたことでせう。
「前後のことを、出來るだけ詳しく話してくれ、お前の父親の敵を討つ氣で」
平次に勵まされて、お紅は漸く涙を拭ひました。
「昨夜、明神下の親分の家へ行つて、格子に手紙を挾んで歸ると、父さんの姿は見えないんです、灯は點いてゐるから、湯へでも行つたのかと思ひましたが、それつきり歸らず、今朝までまんじりともせずに明かして、念のためお勝手の落しを開けて見ると──」
お紅はさう言つて泣くのです。
「部屋中は亂れてはゐなかつたのか、血の痕は無かつたのか」
「──」
お紅は默つて頭を振りました。
「不斷から仲の惡い人は無かつたのか」
「──」
お紅はそれにも頭を振りました。
「職人で氣の毒だつたが、身體が弱いくせに、氣前の良い男で皆んなに可愛がられて居ましたよ」
湯島の吉が横から註を入れました。
「懇意にして居るのは?」
「八五郎親分も懇意にして居ました、その他、誰とでも、すぐ心易くなりました」
「不斷出入して居るのは?」
「さア」
「世話になつて居るとか、良いお得意は」
「竹町の常大寺樣のお仕事をさして頂いて居りました、そんなことで、井筒屋さんや、樽屋さんへはよく行つたやうで」
平次はざつと家の中を見てから、お勝手に出て、由五郎が死んで居たといふ、落しを開けさせました。土の上に、血はこぼれて居りますが、それも大したことでは無く、此處へ潜り込んだところを、上から一と突きにやられたとは思へない節があります。
「八、あの死骸をどう思ふ」
「へエ、どうと言つて、死んで居るには違ひありませんが」
「死んで居ることはお前に訊くまでも無いよ、背中を突かれて死んだにしては、あまり血が流れちや居ないし、顏の少しむくんで居る樣子は、縊れて死んだやうでもあるが、喉にも首にも繩や紐のあとが無いから、絞め殺された樣子も無い」
「へエ?」
「近所が近いから、物音を立てさせずに、──待てよ八、由五郎は居職で力が無かつた筈だな」
「ヒヨロヒヨロの弱い男でしたよ、氣ばかり強くて、何處か身體に病氣でもあつたんでせうよ」
「座布團だよ、八、座布團で口を押へたのだ、由五郎はヒヨロヒヨロの弱い男でも、あれを殺すのは、一人ぢや無理だ、──座布團に汚れは無かつたか見てくれ」
平次に言はれて、隣の部屋に引返した八五郎は、座布團の上に、乾ききらない唾か何んかの、したゝかな汚れを見付けて礎ました。
「ありましたよ、親分」
「それで口を塞がれたんだ、が、宵のうちの仕事だから、どうしても二人か三人の仕事だ、外に、變つたことは無いか」
平次はもう一度落しの中に潜りましたが、やがて、落しの奧にある炭取の中から、七八枚の小判を見付けて來たのです。
「八、これは贋物に間違ひもあるまいが、念の爲め黒門町の樽屋金兵衞のとこへ行つて、此小判を見せてくれ、直ぐ引返すのだよ」
「へエ」
「待て〳〵、それが贋物ときまつたら、錺屋の由五郎が、贋金造りにきまつた、直ぐ常大寺の執事をつれて、女坂下へ來るやうにとさう言ふんだ」
「合點」
八五郎が飛んで行くと、半刻經たないうちに、金兵衞と鐵了をつれて來ました。それに樽屋の番頭の惣吉も、金兵衞と一緒に、物好きさうにやつて來たのは豫想外でした。
「樽屋さん、お蔭で贋金造りの曲者がわかりましたよ、この通り、由五郎の家の、お勝手から贋の小判が出て來たんだから、疑ひは無いでせう」
「それは宜い鹽梅で」
金兵衞も兩掌を揉んで悦に入つて居ります。
「すると、此家の何處かに、摺り換へた九百八十八兩の小判が隱してある筈です、それは言ふ迄もなく常大寺のものですから、鐵了さんと一緒に、間違ひの無いうちに搜し出して下さい」
「成程」
「場所は、床下か、天井か、いづれそんなところでせう、あつしはこの事を、寺社のお係と、町方の上役に申上げなきやなりません、此處は湯島の吉兄哥が見て居りますから」
平次は言ひ捨てゝ、八五郎と一緒に出て行くのです。
「八五郎親分」
後ろから追ひすがつたのは、泣き顏が痛々しく匂ふお紅でした。
「何んだえ、お紅ちやん」
振り返る八五郎の懷ろへ、お紅は泣き顏を押し當てさうに、
「私の父さんは、そんな惡い事をする人ぢやありません、贋金造りだなんて飛んでも無い、八五郎親分は、父さんの氣風をよく御存知ぢやありませんか、錢形の親分にさう言つて下さい、ね、ね」
「──」
「ね、八五郎さん、父さんは、そりや頑固で正直者だつたんです、そんな惡いことをして居るのを、私が知らずに居る筈はありません。それに、此間から、『イヤな仕事を、金に飽かして無理に頼まれたが、一ぺんに斷わつてしまつたよ、貧乏はしても惡い事をする俺ぢやねえ』──などと、醉つ拂つて威張つて居りました、ね、八五郎さん、何んとかして床を剥いだり、屋根をめくつたりさせないで下さい、まだお父さんのお葬ひも出さないんですもの」
お紅はひしと八五郎にすがり付いて駄々つ子のやうに身もだえしますが、錢形平次のプランは、八五郎ではどうする事も出來ません。
「まア、心配するなよ、お紅ちやんの困るやうにはしないから」
などと言ふのが精一杯です。
「八、早く來い、これから忙しいんだ」
平次の冷たさ、今日はまた何んとしたことでせう。
平次は寺社や町方の役所へは行かずに、眞つ直ぐに常大寺に入つて行きました。
そして、二人の小僧と、病中といふ老住職の大賢和尚に逢つて、
「大事のことを聞き落して居りました、あの千兩箱の摺り換へられた朝、何んか小さい荷物を持つて寺を出た人はありませんか」
こんな思ひも寄らぬ事を訊くのです。
「樽屋さんが、寺の格天井が一と小間が痛んで居るのを氣にして、一つだけ前の日にそつと外して置き、翌る朝歸る時、風呂敷に包んで持つて行かれました。──左樣、檜板で二尺四方もありませうか、中から取外すとき二つに割れたやうで、長さが二尺、幅が一尺ほどの薄いものになつて居りました」
老和尚の説明するのを聽くと、
「有難うございました、そんな事だらうと思つて居りました、どうか、私がこんな事を訊ねたと、誰にも仰しやらないやうに」
平次は寺を出ると、黒門町の樽屋へ眞つ直ぐに驅けつけます。
お勝手から顏を出して、若い下女のお竹を呼出すと、
「皆んな留守か」
「はい、旦那樣も番頭さんも出かけました、あとは私と小僧の岩吉だけで」
「では訊くが、──昨夜、主人と番頭が、二人揃つて出かけた筈だが」
「宵のうち、お二人で出かけました、町内の湯屋へ行くと仰しやつて、でも手拭はお二人とも濡れては居なかつたやうです」
「有難うよ、──それでわかつたよ、湯屋へ行つて訊く迄もあるめえ──もう一つ、あのお寺の騷ぎのあつた朝、主人は四角な風呂敷包を持つて來た筈だが、それをどうしたか知つてるか」
「お寺の格天井の檜板だと言つて居ましたが、そのうちの二三枚を、細かく割つて土竈の下で燒いてしまひました」
下女のお竹は何んの巧みもなく言つて退けるのです。
「八、來い、危い仕事だから氣をつけろ」
「何んの」
八五郎にも大方謎は解けました。二人は女坂下の錺屋由五郎の家へ引返すと、家の中は大掃除ほどの騷ぎ。
「それ、八、俺は床下の金兵衞を押へる、お前は天井裏に居る惣吉を縛れツ」
「御用ツ」
それは大變な騷ぎでした。樽屋金兵衞も惣吉も思ひの外の腕前でしたが、平次と八五郎と湯島の吉の三人にどうやら手捕りにされ、常大寺の執事鐵了は、何が何やらわけがわからず、唯呆然としてそれを見て居ります。
× × ×
贋金造りの事件は夏前に片付きました。すべてが金兵衞と番頭の惣吉の惡企みで、樽屋の身上の危なくなつたのを救ふために、惣吉が曾て錺屋に奉行したことがあるので、贋金造りを計畫し、更に精巧なものを作る積りで、腕の良い錺屋の由五郎を引入れようとしましたが、正直者の由五郎に斷わられた上、その惡事を密告されさうになつて殺し、落しの中に死骸を入れ、その側に贋小判を置いて、贋金造りの疑ひを由五郎一人に背負はせようと謀らみ、それが反つて露見の因になつたのです。
常大寺に持込んだ千兩箱は、最初から贋小判を詰めて夜になつてから持込み、金兵衞の顏で油斷させて置いて、翌日は小僧が雨戸を開けるドサクサ紛れに、持込んだ千兩箱の蓋を剥いで、千兩箱が變つたやうに見せかけたのです。
千兩箱は最初から蓋だけ二重になつて居り、薄板の赤樫の上側の蓋を拔き取つて、打敷の下に隱せば、その下から分厚な薄汚れた千兩箱が出て來る仕掛になつて居りました。中味は元のまゝ乍ら、千兩箱そのものが摺り換へられたやうに見せたのです。後の蓋の表面左右に小さい溝のあつたのは、上の蓋を引拔いた後に殘つた、たつた一つの證據でした。
贋物の中に眞物の小判三十二枚入れてあつたのは、萬一の用意に、上側に並べて置いたので、この細工が、反つて平次に取つては、解決への最初のヒントでもありました。
樽屋金兵衞が、自分の店でも贋小判をつかまされたと言つたのは、被害者の一人らしく思はせた嘘で、平久や小石川の正遠寺その他の被害を、金兵衞が不思議によく知つて居たのは、自分の仕事の見事さを平次に誇るためで、これが又平次に取つては第二のヒントだつたのです。
由五郎の娘のお紅は、八五郎に喰つてかゝつたりして、後でひどく極りを惡がりましたが、それもやがて一と口話になり、平次の女房お靜が、身を入れて世話をしてやりました。それはずつと後の話です。
底本:「錢形平次捕物全集第三卷 五月人形」同光社磯部書房
1953(昭和28)年4月20日発行
1953(昭和28)年6月20日再版発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
1952(昭和27)年3月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年9月1日作成
2017年3月4日修正
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