錢形平次捕物控
白梅の精
野村胡堂
|
二月のある日、歩いてゐると斯う、額口の汗ばむやうな晝下がり、巣鴨からの野暮用の歸り、白山あたりへ辿りついた頃は、連の八五郎はもう、何んとなく御機嫌が斜めになつて居りました。
「大層元氣が無いやうだな、八」
平次は足を淀ませて、八五郎の長い顎を振り返りました。
「さういふわけぢやありませんがね、何處かで一と休みして、一服やらかさうぢやありませんか」
「煙草なら、歩き乍らでも呑めるぢやないか」
「風に吹かれ乍ら呑んだ煙草は身につきませんよ、それに掌の中で灰殼を轉がす藝當は、どうもあつしの柄にないやうで」
「氣取つたことを言やがる、それより、腹が減つたら減つたと正直に白状するが宜い、先刻から、野良犬を睨み据ゑたり、團子屋の看板を眺めたり、蕎麥屋の前でクン〳〵鼻を鳴らしたり、お前の樣子は尋常ぢやないぜ」
「大丈夫ですよ、野良犬なんかへ噛み付きやしませんから」
「實はな、八、少し目當てがあるんだよ、白山の白梅屋敷といふのを、お前聽いたことがあるだらう」
「知つてますよ、大地主の金兵衞の庭で、何百年とも知れぬ、梅の老木で名を知られた屋敷ですよ、龜戸には、梅屋敷や臥龍梅といふ名所もあるが、白山の白梅屋敷は、たつた一本の梅だが、山の手では珍らしいから騷ぐんでせうね」
「その梅は今を盛りだから、ちよいと見てくれと、此間から二度も使が來たのだ」
「へエ、梅を眺めたつて腹のくちくなる禁呪にはなりませんよ、親分」
「又腹の減つた話だ、お前といふ人間は、よく〳〵風流には縁が遠いな」
「親分だつて、歌もヘエケイもこね廻しやしないでせう」
「その通りだ、濟まねえが、梅を眺めて脂下るほどの人間には出來てゐねえが、續け樣に來た二本の手紙に、腑に落ちないことがあるのだよ。腹の減つた序に、その曲りくねつた梅の老木を眺めて、歸りは白山下で一杯といふ寸法はどうだい」
「有難いツ、さすがは親分、話がわかりますね、さう段取がきまると、腹の虫なんかにグウグウ言はしやしませんよ、梅でも松でも櫻でも、覺悟をきめて晒さうぢやありませんか」
「花札と間違げえちやいけない」
平次と八五郎は、無駄を言ひ乍らも、白山の一角、詳しく言へば武家屋敷と寺と、少しばかり町家に挾まつて、坂なりに構へた白梅屋敷の金兵衞の家に入つて行きました。
多寡が地主の金持と思つたのは、大變な見縊りやうで、近所の木つ端旗本や、安御家人の屋敷などは蹴落されさうな家です。
「誰だえ」
不意に、物蔭から飛出して、平次の前に突つ立つたのは、四十五六のひどく御粗末な男でした。手にはドキドキする鎌を持つて、汚ない布子のジンジン端折り、捻り鉢卷がそのまゝずつこけたやうに、煮締めた手拭を、緩く首に卷いて、恐ろしい無精髯、金壺眼で、狐面で、聲だけは朗々と、威壓と虚勢に馴れた凄いバリトンです。
「この屋敷の梅を見せちや貰へないかね、大層立派だといふ話を聽いてゐるが」
平次は無造作に斯う言ひました。男はジロジロ二人の樣子を見て居りましたが、
「駄目だね、近頃はうるさいから、人に見せねえことにしてあるだ、それに、今日は主人も留守だよ」
まことに劍もほろゝの挨拶です。
「止しませうよ、親分、塀の外からだつてよく見れるぢやありませんか、屋敷は坂なりだから──まさか、匂ひも嗅いぢやいけないとも言はないでせう。」
ガラツ八は、甚だ氣乘りのしない樣子です、歸りの一パイの方に氣を取られてゐるのでせう。
「さうか、わざ〳〵やつて來たが、見せないと言はれちやそれまでのことだ、とんだ邪魔をしたね、さア、歸らうか、八」
平次は氣輕に背を向けました。半農半商風の頑固な建物で、其處から門は直ぐですが、振り返ると建物の後ろの方から、巨大な老梅の、花少なに淺黄色の春の空に蟠まる姿が見えるのでした。
「親分さん、あの」
後ろから聲を掛けられて、平次より先に八五郎が踏み留りました。白梅屋敷から少し來て、道は生垣の蔭になります。
「何んだえ、姐さん、俺達に用事かえ」
振り返るとそれは、十六、七の可愛らしい娘でした、素朴な身扮り、紅も白粉も縁の無い健康さうな赤い頬、つぶらな眼、すべてが清らかに愛くるしい娘ですが、何やらひどく脅えて居る樣子が氣になります。
「あの、申上げ度いことがあるんです、錢形の親分さんでせうね?」
娘は恐る〳〵斯う言ふのでした。
「錢形の親分には違げえねえが、お前は?」
八五郎は相手の可愛らしさに釣られて、横合から口を出しました。江戸一番のフエミニストは、斯んな可愛らしい娘に、少しでも嫌な念ひをさせ度くなかつたのです。
「庭男の百助は、何んにも知らないから、あんな事を言つたんです。この白梅屋敷にはいろ〳〵の變つたことがあります、錢形の親分さんでしたら、もう一度引返して、調べて見て下さいませんか」
娘は何やら思ひ定めた樣子で、錢形平次の袂でも控へさうにするのでした。
「變つたことゝいふと、そりや、どんな事だえ、姐さん」
「此間から白梅の精とかいふ、怖い者が出て、往來の人や近所の衆を脅かすんです、そればかりでは無く」
「そればかりではなく?」
「白梅屋敷のあの白梅の根には、小判を何千兩となく詰めた、瓶が埋めてあるといふ人もあります」
「小判の瓶? そいつは耳寄りですね、親分」
八五郎は小判の瓶といふと、矢張り目の色を變へます。
銀行制度の無い封建時代に、流通貨幣が闇から闇へ退藏され、竹筒や瓶に容れられて、大地の下の簡易金庫に隱されたことは、まことに當然の成行で、その大部分は、掘り出されること無く、何百年を過ぎたことは、決して出鱈目な空想ではありません。
その財寶の一つが、白梅屋敷の老梅の根に、深く埋められてゐるといふことも、決してあり得ないことではありません。
「お前は、さう言ふお前は誰だ」
話の奇つ怪さに、フト我に返つた平次は、この娘の素姓から、先づ確める氣になつた樣子です。
「組──くみと申します。白梅屋敷の姪で」
「そんな事を打ち開けて、主人の金兵衞に怒られないのかな」
平次はフト、そんな氣になりました。
「──」
お組は默つてしまひました。平次の言葉が、痛いところに觸つたのでせう。
「でも、皆んなはさう言つて居るんですもの、御近所の人に訊いて見て下さい」
「あ、待つた」
平次が引留める間もありませんでした。娘はヒラリと身を飜すと、生垣の蔭に隱れてしまつたのです。チヽと鳴き乍ら春の日南に群れ立つ小鳥、八五郎は五六歩追ひすがりましたが、娘の姿はもう何處にも見えません。
「白梅屋敷には矢張り何んかあり相だな、八」
「あつしには、何が何んだか、少しもわかりませんよ」
平次と八五郎は、道の眞ん中に立つて、もう一度、生垣越しに見える老木の梅の梢を眺めました。
「其處で訊いて見ようぢやないか、白山權現の境内まで引返すと、茶店位はあるだらう」
「へツ、豆ねぢに澁茶で、晝飯代りは難儀ですね」
八五郎はまた遠慮の無いことを言ひますが、平次はそれに取合はうともせず、いきなり手近の茶店の縁臺に腰をおろして、八五郎が氣にした豆ねぢと薄荷を出させ、ぬるい澁茶に喉を潤ほします。
「白梅屋敷が近いせゐか、此處まで梅の匂ひがするぢやないか」
茶店の中婆さんを相手に、平次は話の口を切りました。
「まさか、此處までは匂ひませんよ、でも、立派なものでせう、親分」
婆さんは、土地の物を褒められると、良い心持らしく腰を伸します。
「立派には違げえねえが、あれだけ歳を取ると、非情の木でも何んか斯う不思議なことがあるだらうね」
「ありますよ、あの白梅屋敷の元の主人の與惣六さんは、今から五年前に、あの木を切つて梅の間といふ立派な座敷を作らうとしたばかりに、四谷の親類へ行つたきり、行方不知になり、近頃はまたあの木の下に時々怪しい者が出るとかで、町内の大評判ですよ」
婆さんは話の口火を切ると、エライ勢ひでしやべり始めました。いや、此樣子では、此方から誘ひをかけなくとも、白梅の怪異を一席辯じてくれたに違ひありません。
「怪しい者といふと何んだえ?」
「白梅の精ですよ、月の良い晩なんか、白い裝束をした、髮の長い女の人が、あの梅の木の中程の枝にフワリと掛けてゐる相です、嘘ぢやありません、夜遊びの歸りなど、それを見て膽をつぶした者が、二人や三人ぢや無いんですから」
「髮の長い女の人だな」
「さア、人だか神樣だか、それはわかりませんが、背が高くて、髮の長いことだけは確かで」
「婆さんも見たのかえ」
「飛んでも無い、私などがそんなのを見たら、一ぺんに眼を廻してしまひます」
「怪しいことゝいふのは、それつきりか」
「まだ、變な噂がありますよ、あの梅の下には、白梅屋敷の祖先が、何千兩といふ寶を瓶に入れて埋めてあるんですつてね、──町内で知らないものはありませんが、白梅の精に恐れて、誰も掘り出さうとしないから齒痒いぢやありませんか」
慾の深さうな茶店の婆さんは、そればかりは、腹の底から口惜しさうでした。
話はそれつきりで、白梅の精を見たといふ人を訊いても、誰が誰やら確としたことはわからず、平次もその上は手の下しやうも無く、豆ねぢと薄荷糖を見捨てゝ、八五郎に約束した、白山下の繩暖簾に入つて、パイ一に取りかゝる外は無かつたのです。
「ところで、親分、白梅屋敷に眼をつけたのは、どういふわけなんです」
空きつ腹にアルコールが廻ると、漸く岡つ引の本性を取戻して、八五郎は訊ねます。
「何んでも無いよ──この手紙を見てくれ」
懷ろの煙草入から取出したのは、小さく疊んだ二本の手紙、粉煙草を叩いて、膝の上に伸して見ると、『白山の白梅屋敷に、容易ならぬことがある、是非調べて見るやうに』と同じ文句が書いてあるのです。
紙はありふれた半紙を半分に切つたもの。
「切目がさゝくれ立つてるから、半紙を二つに折つて、筆の軸で無理に切つたのだ、女なら鋏で切るところだが、こんな亂暴なことをするのは、半紙を大事にしない人間──若いお店者のしたことだらう、手跡も上手では無い、白梅屋敷の主人の金兵衞や、あの姪とか名乘つた、お組といふ娘でないことは確かだな」
平次は獨り言のやうに斯う言ふのです。八五郎はもう杯を重ねて、良い心持さうになつて居ります。
平次は、この事件の底に、何やら容易ならぬ者があると見たか、神田から足場の惡さを考へて、土地の御用聞、指ヶ谷町の喜七のところに、暫らく八五郎を泊らせることにしました。喜七は中年者の氣の良い男で、八五郎とは年齡の距たりを越えて馬が合ひさうです。
四五日經つて、八五郎はフラリと明神下にやつて來ました。
「どうした、八、今日は『大變』とも何んとも言はないやうだが、ひどく張り合ひが無いぢやないか」
平次はそれでも、待構へて居た樣子で、女房のお靜に眼顏で晝飯の催促をして居ります。
「親分のめえだが、寶搜しと來ると、コチトラの畠ぢやありませんね」
「本當に、梅の木の根つこに、金の瓶が埋まつてゐるのか」
「世間ぢや、專らそんな噂ですがね、小判の瓶なんてものは、さうピヨコピヨコ出て來るものぢやありませんね、それに主人の金兵衞は白梅の精に脅えて、梅の木の四方にしめ繩を張り、滅多に人を寄せつけませんよ」
「それつきりの話か」
「そんな話より、あの白梅屋敷に居る、三人の女は、大したものですよ」
「三人も居るのか」
「主人の金兵衞の女房のお作──四十近い、名前だけは野暮な女だが、病身で華奢で、大きな聲で物も言へない癖に、妙に惱ましい女で」
「惱ましいと來たね」
「四十にもなつて、クネ〳〵と色つぽい所作をするんだから、大した代物でせう、それから娘のお輝、これは十九の厄で、脂切つた──と言つちや可哀想だが、あの若さで、あんなに肥つたのも不思議ですが、その逞ましいことは大したもので、惡いきりやうぢやありませんが、樂寢の贅澤食ひで、無闇に脹れてしまつたんですね、それから三人目は、いつぞや白山で、親分に聲を掛けた姪のお組、先代と言つても、今の主人の金兵衞の義理の兄の、與惣六の娘で、本來は白梅屋敷の跡取になるわけだが、後見の叔父が確りして居るから、まだ婿養子もきまつてないやうで、ちよつと淋しいけれど、利口で、ポチヤポチヤして」
「もう宜いよ、相變らず、女の鑑定だけは確かだ、──ところで男の方は」
「主人の金兵衞は、見たところこれも痩せすぎの優しい男で、物言ひなんか女の子のやうに柔かいから、始めて逢つた者は、人違ひかと思ひますよ」
「外には」
「小僧の直吉は十六で、まじめな良い若い者、姪のお組に氣があるらしいが、まだ十六ぢや話になりません。あとは親分を脅かした庭男の百助、まだ四十臺ですが、不愛想で、人付きが惡くて、御存じの通り、尤もあれでも男の切れつ端しで、獨り者だから、ちよい〳〵白山下の首の白い狐を漁りに出かけることもあるらしいが、念入りに振られ通して、江戸の女の子は、あんなモモンガアを相手にやしません」
「それつきりか」
「白梅の精は本當に出る相ですよ、小判の瓶に釣られて出かける町の若い者達も、月夜の晩など、白梅屋敷の崖の上にあれを見ると、一ぺんに膽をつぶすんだ相で、白梅屋敷は親分も御存じの通り、白山の坂の上に建つて居るので、庭はかなりの崖になつて居るでせう、──あの屋敷の裏へ廻つて見ると、塀の外から、白梅がよく見えまさア、その老木の大枝の上に、白い裝束で背の恐ろしく高い女が、長い〳〵髮の毛を垂らして、フワリと掛けて居る圖は、そりや凄い相ですよ、岩見重太郎の申し子見たいな若い衆も、一ぺんに膽を潰して、四つん這ひになつて逃げ歸るんだ相で」
「お前はエテ者を見なかつたのか」
「ブル〳〵、あつしは女のお化けと男のけちん坊は大嫌ひで」
「便りない男だな、──ところで、まだ何んか引つかゝりがあり相だ、もう少し見張つて居てくれ、序に白梅屋敷に出入する者を調べて、小僧の直吉といふのと親しくなるんだな」
「やつて見ませう、──でも、大したことは無いかも知れませんよ、あの家で一番確りして居るのは、庭男の百助だけで、あとは意氣地が無さ過ぎますよ」
八五郎は氣の進まない樣子で白山に引返しました。
それから三日、二月もやがてお仕舞になる頃、八五郎自身の『大變』の代りに、白山の喜七の子分が、平次の迎ひにやつて來ました。
「親分、白梅屋敷で、到頭人死にがありましたよ」
これはまた、八五郎と反對に、ひどく落着いた男です。
「誰が、どうして死んだんだ」
「庭男百助が、あの梅の木に首を吊つて」
「フーン、それは思ひも寄らなかつたな、すぐ行つて見よう」
仕度もそこ〳〵に、明神下から白山へ、一氣に飛んだことは言ふ迄もありません。
「あ、親分、矢張り變なことになりましたよ」
八五郎は救はれたやうな聲をあげて、いきなり屋敷の裏、その裏口へ近々と聳えた、老木の梅の根元に案内しました。
「どれ、何處だ」
「死骸は一應物置に入れて置きましたがね、何しろ、一番達者で、名前の通り百迄も生きさうなのが、首を吊らうとは思やしません」
物置の板敷の上に、淺ましくも菰をかけて、下男の百助の死骸が横たへてあります。
「皆んな揃つて居るのか」
平次は百助の死骸を調べ乍ら、八五郎に聲を掛けました。
「主人だけが居ませんよ、町内の衆と一緒に、三日前に江の島詣りに行つた相で、今日の夕方は歸るでせう」
一番確りしてゐさうな、主人の金兵衞が留守では、小僧の直吉の外には、女ばかりの世帶の困惑が思ひやられます。
「錢形の親分、飛んだ御苦勞だね」
指ヶ谷町の喜七は、御用聞仲間の、それも目と鼻の間の繩張り内で、一應顏は出しましたが、中年者の人の良い男で、平次の相談相手になり相もありません。
「首を縊つて死んだことに間違ひは無いやうだな、指ヶ谷町の親分」
「梅の木から、俺がおろしてやつたんだから、間違ひは無いよ、尤も、死骸の首には、女の扱帶を卷いて居たが、今見ると無くなつて居るやうだ、首を縊つたのはその扱帶ぢやなくて、丈夫な細引だ、細引の上から、艶めかしい縮緬の扱帶を卷いて居たのは、何んの禁呪かな」
指ヶ谷町の喜七の言葉には、解き難い謎があります。首を縊つたのは丈夫な細引で、その上から柔かく女の扱帶が卷いて居たとすれば、百助の死に、女が關係したことは明かですが、その扱帶の紛失したのは、どういふ意味でせう。
「内儀さん、でせうな、これは?」
平次が振り返ると、蒼白い華奢な四十女はハツと顏を反けました。今まで、多勢の人と一緒に、母家の裏口から出て、物置の前に平次の調べを見て居たのです。
「ハイ、あの」
それは紛れもなく、此家の主人金兵衞の女房、お作といふのでせう。八五郎が説明したやうに、四十を越したらしい歳にも、細々とした身體にも似ぬ、不思議な魅力のある女です。
「詳しく話して下さるでせうな、言ひにくければ、皆んなあつちへ行つて貰つても宜いが」
「いえ、それには及びません──死んだ者の事を言ひ度くもありませんが、百助は私に無態なことを言つて、それは困つた男でした」
「で?」
獨り者の四十男が、美しくも惱ましい主人の女房に、邪しまの戀慕をして居たことは、お作の困じ果てた言葉の末にもよく現はれます。
「何彼と、私の身についた、細かい物を盜んで、隱して置く癖がありました、今朝も、直吉が裏庭で大きい聲を出すので起き出して見ると、梅の大枝に、百助がブラ下がつて死んで居るではありませんか、その首に、私の扱帶を卷いて居るんですもの、氣になつて仕樣がありませんが、私の手では大の男を高い梅の枝から下ろすわけにも行かず、第一氣味が惡くて、姪も娘も寄り付いてはくれません。仕方が無いから直吉を指ヶ谷町の親分のところへやり、直ぐ來てもらつて、私も手傳つて死骸をおろしましたが、その時こんな摺剥きを拵へてしまひました。何より私は、死骸の首から私の扱帶を外したかつたのです。私は早速その扱帶を風呂の鐵砲に投り込んでしまひましたが、火が無いからまだ燒けはしません、氣味が惡くて、見て居る氣がしなかつたのです」
それは尤もなことでした。お作はさう言ひ乍ら、繩で痛々しく摺り剥けた自分の手などを見せるのです。平次は念の爲に八五郎に風呂場から扱帶を持つて來させましたが、鶯茶に、僅かばかりの紅をあしらつた、年増向の洒落た扱帶で、鐵砲風呂の炭に汚れては居りますが、扱帶の中程がひどく損んでゐるのは、首に卷いた細引に絞められたためでもあるでせう。
「自分の扱帶で首を縊られちや、氣味の惡いのも尤もだが、默つて捨てちや困るぢやありませんか」
「でも」
平次は一應小言を言ひましたが、女の恐怖の前には、そんな理窟は何んの役にも立ちません。
「自分で首を吊つたのなら、踏臺がある筈だが」
平次は四方を見廻しました。母家の裏口から、梅の根元までは僅かに三間ばかり、其處からひどい坂になつて、庭の奧の塀が、眼の下に見えるのです。名物の白梅の老木は、塀の上から悉く見上げられ、大枝に掛けて居るといふ白衣長髮の梅の精も、月の良い晩は、屡々外から映し繪のやうに見られたことでせう。
「何處にも踏臺らしいものは無いから不思議さ」
指ヶ谷町の喜七は、キナ臭い鼻を動かします。
「梅の大枝はなか〳〵高いから、下から飛付いて首をくゝるわけに行くまい」
「死骸の足の先は、大地から一尺位は上にブラ下がつて居たよ」
指ヶ谷町の喜七は、枝へ飛び付くことの不可能を裏書します。が、踏臺が無いとすれば、百助の死は殺しでなければならず、事件は極めて重大になりますが、此處では大の男を絞め殺せさうな相手は無く、殺された百助自身を除けば、あとは女と少年ばかり、その女のうちに、娘のお輝がたつた一人、素晴しい體格をして居りますが、十九の若い娘が、むくつけき下男などを女親の扱帶で殺す筈もなく、それに、娘のお輝と姪のお組は、若い女同志で、同じ部屋に寢て居たことも、誰の口からともなく直ぐわかりました。
「お孃さんは、昨夜外へ出なかつたのか」
指ヶ谷町の喜七は、顏見知りのお輝に、ズケズケしたことを訊ねます。
「まア、私が、外なんかに出るものですか、近頃は氣味の惡いことばかりあるんですもの、それに、私は床へ入ると朝まで目を覺さないことはお組さんがよく知つて居る筈ですよ」
豚姫のお輝は躍起となります、いかにも鈍感さうですが、人殺しの疑ひが自分の方へ來まいものでもあるまいと感付くと、さすが本能的に智惠も廻るのです。
「ね、指ヶ谷町の親分、梅の木の根元に近く置いてあつた石燈籠が、あんなところに轉げて居るんですが、どうかしたらあれが──」
内儀のお作は崖の下を指さすのです。見ると苔付いた手頃の石燈籠が、臺石だけを殘して、枯芝の上を塀近くまで轉げ落ちて居るではありませんか。
「何んだ、あれか、石燈籠を踏臺に、首を吊つたのは始めて見たが」
指ヶ谷町の喜七は苦笑ひをして居ります。
「もう一つ、梅の木の下が、あちこち、土の新らしくなつて居るのは何んでせう、掘り散らして、あとで土を均したやうだが」
と、八五郎です。それは極めて淺い虫喰ひ掘りでしたが、二、三カ所掘り散らしたことは事實で、しかもその跡を丁寧に均してあるのが、わざとらしくさへ見えるのです。
「鍬も鋤も無かつたやうだが──」
さう言ひ乍ら、物の氣はひに驚いて、平次は振り返つて見ると、チラリと動いた人影、それは姪のお組が、物置の後ろへ廻つた姿でした。
さつと跟いて行つて見ると、夥しいガラクタの中に交つて、鍬が一梃、その刄先に眞新しい土の附いて居るのは、梅の木の下を、これで掘つたと言はぬばかりです。
一應の調べが終ると、あとは喜七の子分達に任せて、平次と八五郎は指ヶ谷町の喜七の家に引揚げました。もうかれこれ未刻(二時)近い頃だつたでせう。
「どうだえ、錢形の親分、百助は自分で首を縊つたに間違ひはあるまいな、そんな事でお屆を濟まさうと思ふが──」
喜七が安易に片付けるのを、
「ま、待つてくれ、指ヶ谷町の、俺にはどうも腑に落ちないことばかりだよ、せめて、主人の金兵衞が歸つて來るまで待つて見よう」
平次はあわてゝそれを留めました。
「腑に落ちないことゝ言ふと──俺にはまた、腑に落ち過ぎて困るんだが」
「例へば、あの石燈籠さ、梅の枝に首を吊つた人間が、手輕に足で蹴飛ばして、崖の下まで轉げるものかどうか、そいつを試して見たいと思ふよ、小型の石燈籠と言つても五十貫以上はあるだらう、首を吊つて力の拔けた足で轉がせるものなら、風にも地震にもビクともせずに、昨日まで梅の木の下に立つてゐる筈は無い」
「?」
「それから、物置の裏の鍬の土の新しいのも氣になるし、百助の首筋に扱帶の紅が喰ひ込んでゐるのも變だ、その扱帶が中程だけひどく傷んでゐるのも、何んかわけがあり相ぢやないか、扱帶や紐などは、結び目の端つこの方が先に傷むものだ」
「?」
「髯面の四十男が、主人の内儀に横戀慕して、首を縊るのも氣が弱過ぎるし、何より氣になるのは、あのお組といふ姪の樣子だ、あの娘は何んか知つてるに違ひない、──先刻物置の裏で鍬を見付けてくれたのもあの娘だし、鍬を渡すときそつと──百助は梅の木の下の小判の瓶を掘らうとしたに違ひない──と小さい聲で言つたのもあの娘だ」
「成程、さう言はれて見ると、變なこともあるやうだな」
「ところで八、お前に一つ骨を折つて貰ひ度いが」
「何んです、親分」
「白梅屋敷は四谷に親類がある相だ、主人金兵衞の叔父さんだといふことだが」
「そんな話ですね」
「白梅屋敷の先代──あのお組といふ娘の父親の與惣六は、今から五年前、義理の弟の金兵衞と一緒に、その四谷の親類へお祝事で招ばれて行き、弟の金兵衞はそのまゝ泊り、兄の與惣六は、白山の家へ歸ると言つて出たつきり、行方不知になつてしまつた相だ」
「へエ、それはあつしも詳しく聽きましたよ」
「お前は御苦勞だが、その四谷の叔父さんの家へ行つて、五年前のことを詳しく訊いて來てくれ、與惣六は誰かに殺されたのでは無いか、義理の弟──今は白梅屋敷の主人になつて居る、金兵衞に怪しい筋は無かつたか」
「やつて見ませう」
「それを今日中に訊き出して、もう一度此處まで引返してくれ、俺は喜七親分の家か、白梅屋敷で、どんなに遲くとも、お前の歸りを待つて居る、頼んだぞ、八」
「合點」
八五郎は相變らずの氣輕さで飛んで行くのです。
その晩、主人金兵衞が歸つたのは、やがて酉刻(六時)少し廻つた頃、同勢は町内の檀那衆と供の者で七人、生温かい春先の旅で、埃と汗に塗れた旅姿です。
「何? 百助が、梅の樹に首を吊つて死んだ? 何んといふことだ忌々しい」
金兵衞は口汚く罵り乍ら、振り返つて其處に、土地の御用聞指ヶ谷町の喜七と、その頃江戸中の人氣者になつて居た、錢形平次が顏を揃へて居るのを見ると、あわてゝ、冠り物などを取つて、急に丁寧になります。
「飛んだ御手數で相濟みません、日頃から一剋者の百助でしたが、まさか、斯んな事とは」
「御主人は昨夜何處へお泊りだつた」
平次は靜かに訊ねました。
「岩本院で、ハイ、同勢七人、賑やかなことでしたよ。その上、睡足りないのも我慢して、今日は一日で江戸まで伸さうといふのですから、いや、その元氣と申しましたら」
金兵衞は少々苦々しさうです、町内の同勢は若いのばかり、それに附き合つた、四十五六の主人が、さすがに骨の折れたのも無理はありません。
これでは、百助の死が殺しであつたにしても、主人金兵衞には、少しも疑はしいところは無いわけです。あとで喜七の子分に噂をかき集めさせましたが、岩本院に泊つて夜半まで賑やかに騷いだのも、今日一日で江の島から伸したのも事實、主人の言葉には一點の陰影もありません。尤も、今日一日で江の島から江戸まで伸させたのは、外ならぬ金兵衞の發意で、あとの六人は迷惑乍ら、此強行軍に從つたといふことでしたが、金兵衞は齡に耻ぢたものか、さすがに其處までは打ち開け兼ねた樣子です。
「ところで御主人」
「ハイ」
「あの梅に怪しい事があるといふが、本當かな」
平次は庭の梅を指さしました。
「そんな馬鹿なこと、私は見たこともございませんが、世間の人は、白梅の精とやらが出るんだと、誠しやかに言ひ觸らして居ります、こまつたことで」
「それから、梅の木の根元に、祖先の埋めた、何千兩とかの小判の瓶があるとも言ふが、それも嘘かな」
「馬鹿氣たことでございます。そんな噂の立つ前に、私の祖先が掘出さずに居る筈もございません。本當に人に隱して寶を埋める者は、世間の噂になるやうな、そんなへマな事をするでせうか」
金兵衞は敢然として振り仰ぐのです。優しい良い男ですが、性根が確りものらしく、柔かい聲も凛として、強大な自信は貧乏ゆるぎもしません。
「だが、俺はどうも、一概に嘘にし度くないやうな氣もするのだ、何千兩といふ天下の寶を埋めて置くのも勿體ない事だから、明日は人足を入れて、梅の根を掘つて見ようと思ふ、構はないだらうな、御主人」
「私は構ひませんが、無駄骨を折つた上の、世上の物笑ひぢやございませんか。それに月の良い晩は白梅の精が出るといふ位の老木で、その祟りも考へなきやなりません」
主人金兵衞は、今度は白梅の精を本當らしく擔ぎ出すのです。
それから平次は、もう一度指ヶ谷町の喜七の家へ引揚げて來ました。四谷へ行つた八五郎が、丁度汗を拭き〳〵戻つて來たところ。
「いや、御苦勞々々々、何んか、變つた話があつたか」
平次に迎へられて、
「何んにも土産になる話はありませんよ、金兵衞の叔父さんの言ふには=五年前の晩だが、はつきり覺えて居る、白梅屋敷の、その頃の主人與惣六は、私には義理ある中だし、明日に迫る用事があるとかで、此家に弟の金兵衞だけを殘して、暗くなつてから歸つて行つたが、それつきり、どこへ行つたか姿を消してしまつた。白山の家へは姿も見せず、雲を掴むやうな尋ね人で、それつきりになつてしまつたよ、多分神隱しにでも逢つたことだらう。そこで親類が寄つて相談の上、義理の弟の金兵衞に家督を預け、與惣六の娘のお組が成人して、婿でも取つたら改めて白梅屋敷の跡目を讓ることにして、それから五年の月日は經つてしまつた。尤も、金兵衞は正直者で良い男だが、長い間には心の迷ひがあつてはいけないといふので、姪のお組に萬一の事があれば、金兵衞お作の夫婦も身も退いて、白梅屋敷の家督は、親類一統から立てた、異つた者を立てるといふことになつて居る、何んと妙案だらうが=と斯う言ふのですよ」
八五郎の話は思ひの外良い要領ですが、五年前の與惣六の失踪と、昨夜の百助の死には何んの解答も與へてくれません。
「話はそれつきりか」
「それつきりですが、行方不知になつた、先代の主人與惣六は、その時四十八で、若い時馬の糧葉切で切つて、左の人差指が無くなつて居た相ですよ」
「それは良いことを聽いた、何んかの役に立つだらうよ」
その晩、丑刻(二時)の鐘を合圖に、平次はそつと床から脱出しました。
「八、起きろ」
「ム、ムニヤ〳〵、おや、親分、もう夜が明けたんですか」
「いや、まだ夜半だが、お前に良いものを見せてやる、相手は思ひの外手剛いかも知れない、拔かりもあるめえが、十手を忘れるな」
「へエ、喜七親分は?」
「先に行つて待つてゐる筈だ」
二人が手早く仕度を整へると、行先は言ふまでも無く白梅屋敷、それは鼻をつまゝれてもわからぬ、二月の末の眞つ暗な晩でした。
「一體、何があるんです、親分」
「シツ、あの音が聽えないのか」
それは、サク〳〵と土を掘つて、大地へ投りあげる音でした、が、馴れない仕事に疲れたものか、時々は手を休めては、息を吐いて居ります。
再び、三度、その作業は續きましたが、よく耳をすまして居ると、相手はまさしく二人で、場所は明かに白梅の根のあたり。
「灯り」
沈鬱な男の聲でした。それに應じて、上からサツと浴びせたのは、その頃は何處の大家にでも用意してあつた、泥棒龕燈、中の灯が廻轉自在になつて、先の開いた龕燈の口を向けると、梅の根に掘つた、六尺近い穴の底が、手に取るやうに見えるのです。
「アツ」
誰やらが聲を出しました、若い女の聲です、それに驚いて、泥棒龕燈は忽ち大地の上に伏せられ、四方は眞の暗になりましたが、僅かに一瞬の投射でも、穴の底深く横たはつて居たのは、泥に塗れて汚れては居りますが、紛れもない一躰の骸骨だつたのです。
「八、用心しろ」
平次の聲と共に、穴から飛出して八五郎に躰當りを喰はせた者があります。
「何をツ、此野郎」
組んずほつれつする中へ、二條の泥棒龕燈の灯が、左右からパツと射しました。
「この人、この人が親の敵ツ」
そう言ふ女の聲は、紛れもない姪のお組、わなゝく指は、ピタリと、八五郎に組み敷かれた、主人の金兵衞の忿怒に燃える眼を指して居るのです。
「違ふ、俺は小判の瓶を掘らうとしたんだ、骸骨なんか、俺の知つたことぢやない」
「いや、その骸骨には、動かぬ證據がある、左の手の人差指を見ろ」
と平次。
「あ、矢張り、私の父さん」
お組は穴の中へ飛込まうとして、僅かに小僧の直吉に支へられました。
「この野郎が百助も殺したんですか、親分」
八五郎は漸く主人の金兵衞を縛り上げました。華奢に見えて居て、思ひの外の戰鬪力です。
「いや、百助と先代の主人與惣六を殺した下手人は、指ヶ谷町の親分が縛つた筈だ、金兵衞はその子分のやうな三下野郎さ」
「誰です、その惡者は?」
「これだよ、八五郎親分、錢形のお蔭で縛つたが、もう少しで逃げられるところよ」
「あツ、白梅の精」
「さうさ、白い長い着物を着て、長い髢をブラ下げて、此姿で人を脅したのさ」
灯の中に押し出されたのは、白衣の異裝をした、あの弱々しくさへ見えた、金兵衞の女房のお作だつたのです。
× × ×
明神下の平次の家へ歸つたのは、もう翌る日の朝、遲い朝飯をやり乍ら、平次は八五郎のために斯う説明してやつたのでした。
「先代の主人與惣六を殺したのは、あの弟嫁のお作さ、お作はひどい女だ、あの身輕なところを見ると、前身はいづれ輕業小屋にでも居たんだらう、疑をかけさせない爲に、亭主の金兵衞を四谷の親類に泊らせ、與惣六だけ歸つたところを、庭先の梅の枝から、繩を飛ばして、吊り上げて殺したことだらう、そして一と晩何處かに隱して置き、翌る日歸つて來た亭主の金兵衞に穴を掘らせて、梅の木の下に埋めたことだらう。白梅の精とか何んとか言つて、異しい細工をしたのは、無暗に人を近寄らせない爲さ」
「成るほどね」
「與惣六の娘のお組は、その時たつた十二だつた。父親の歸りを心配して、小用場の窓から、幻とも現ともなく、此晩の樣子を見て、そのまゝ氣を喪つてしまつたといふことだ。後で夢のやうに思ひ出して、父親を殺したのは、叔父の金兵衞夫婦で、死骸は梅の木の下に埋めたやうにも思ふが、十二の子供では、それを言ひ立てゝも通らず、うつかり口を滑らすと、自分も殺されるかも知れないと思つたので、思案の揚句、あの梅の木の下に小判が一杯入つた瓶が埋まつて居ると言ひ觸らしたのだよ。それを聽いて、誰かきつと掘出してくれるだらう、掘りさへすれば父親の死骸を見付けてくれるに違ひないと思つたのだ、あれは利口な娘だよ」
「へエ、あんなに可愛らしい癖にね」
「梅の根に金が埋めてあると世間の評判になると、金兵衞夫婦は心配した。うつかり兄の死骸を隱してある梅の根を掘られては叶はないから、いよ〳〵念入りに白梅の精の細工をする、噂は益々ひどくなるばかりだ。──ところが、親類達の取きめのお蔭で、金兵衞夫婦は、憎い〳〵と思ひ乍ら、姪のお組を殺すわけには行かない、お組が死ねば自分達も白梅屋敷からお拂箱になるからだ。その間、小僧の直吉は、蔭になり日向になりお組を庇つてくれた。俺のところによこした二本の手紙も、小僧の直吉がお組に代つて書いたものだ──俺が始めて白梅屋敷へ行つた時、お組が後を追つて來て『錢形』と話しかけたのを、一應は不思議だと思つたが、あれは直吉に教はつたんだらう」
「成程ね」
「お組が婿を取つて、白梅屋敷の跡を繼けば、今度は親類の申合せが無くなるから、お組の殺される番だつたのさ、危ない話だ」
「百助の殺されたのは」
「百助はお組の蒔いた噂を本當にして、梅の根を掘らうとした。掘られては叶はないし、この男はいろ〳〵の事を知つてゐてうるさいから、亭主の金兵衞を江の島へやつて、又お作が殺したのだよ。細工は與惣六の時と同じことだ、今度は自害と見せる爲に、石燈籠に細引をかけて、梅の枝に死骸を引上げ、その彈みで石燈籠は崖の下に轉げ落ちたことだらう。梅の枝に大きい掻き剥りの傷があるから、見て置くが宜い、お作の手がひどく荒れて居たのは、その細工のためだ」
石燈籠の轉がる力を利用して、自分より五、六貫目も重い百助の死骸を梅の大枝の上に引上げたお作の工夫は非凡です。
「自分の扱帶を、百助の首に卷いたのは、何んの爲でせう」
「百助の横戀慕と匂はせる細工さ、女の惡黨はよくあんなことをしたがるものだ」
「へエ」
「それに、最初あの扱帶で百助を締め殺したのかも知れないよ、百助に扱帶の端を噛み割かれて、誤魔化しにあんなことをしたのかも知れない」
「何しろ、恐ろしい女ですね」
「娘のお輝可愛さから、亭主の金兵衞をあんなところまで引摺り込み、人二人まで殺したんだらう、惡い女だよ」
「それに比べると、あの姪のお組は良い娘でしたね」
「珍らしく良い娘さ、智惠があつて可愛らしくて──一つ歳下だが、直吉と一緒にして、跡を立てさせ度いな、──お輝は親の罪の酬いで苦勞するだらうが、お組は良い娘だから、何んとか世話をしてくれるだらう」先の先まで、平次は考へて居る樣子です。
底本:「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」同光社磯部書房
1953(昭和28)年4月5日発行
初出:「講談倶樂部」
1952(昭和27)年2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2015年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。