姪子
伊藤左千夫



 麦搗むぎつきあらましになったし、一番草も今日でおしまいだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、この熱い盛りに山の夏刈なつがりもやりたいし、畔草あぜくさも刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁ばかり、何処どこ鍛冶屋かじやでもえいからって。

 おやじがこういうもんだから、一と朝起きぬきに松尾へった、松尾のかね鍛冶が頼みつけで、懇意だから、出来合があったら取ってくる積りで、日が高くなると熱くてたまんねから、朝飯前に帰ってくる積りで出掛けた、おらア元から朝起きが好きだ、夏でも冬でも天気のえい時、朝っぱらの心持ったらそらアえいもんだからなア、年をとってからは冬の朝は寒くて億劫おっくうになったけど、其外そのほかん時には朝早く起きるのが、いまだにおれは楽しみさ。

 それで其朝は何んだか知らねいが、けて心持のえい朝であった、土用半ばに秋風が立って、もう三回目で土用も明けると云う頃だから、空は鏡のように澄んでる、田のものにも畑のものにも夜露がどっぶりと降りてる、其涼しい気持ったら話になんなっかった。

 腰まで裾を端しょってな、膚足ぱだしに朝露のかかるのはえいもんさ、日中焼けるように熱いのも随分つれいがな、其熱い時でなけりゃ又朝っぱらのえい気持ということもねい訳だから、世間のことは何でもみんな心の持ちよう一つのもんだ。

 それから家の門を出る時にゃ、まだ薄暗かったが、夏は夜明けの明るくなるのが早いから、村のはずれへ出たらもう畑一枚先の人顔が分るようになった、いつでも話すこったが、そん時おれが、つくづく感心したのは、そら今ではあんなに仕合せをしてる、佐兵エどんの家内よ、あの人がたしか十四五の頃だな、おれは只遠い村々の眺めや空合の景色に気をとられて、人の居るにも心づかず来ると、道端に草を刈ってた若い女が、手に持った鎌をいて、

「お早ようございます」

 と挨拶したのを見るとあの人さ、そんころ善吉はまるっきり小作つくりであったから、あの女も若い時から苦労が多かった。

 村の内でも起きて居た家は半分しか無かった、そんなに早いのに、十四五の小娘が朝草刈りをしているのだもの、おれはもう胸が一ぱいになった位だ。

「おう誰かと思ったら、おちかどんかい、お前朝草刈をするのかい、感心なこったねい」

 おれがこう云って立ち止まると、

「馴れないからよく刈れましね、荒場のおじいさんもたいそうお早くどこへいきますかい」

 そう云って莞爾にっこり笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。

 お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永らくぶらぶらしてますから困っていますと云う、それだからこうして朝草も刈るのかと思ったら、おれは可哀そうでならなかった、それでおれは今鎌を買いに松尾へ往くのだが、日中は熱いからと思ってこんなに早く出掛けてきたのさ、それではお前の分にも一丁買ってきてやるから、折角丹誠してくれやて、云ったら何んでも眼をうるましたようだった、其時のあの女の顔をおれは未だに覚えてる、其の後、家のおやじに話して小作米の残り三俵をまけてやった、心懸けがよかったからあの女も今はあんなに仕合せをしてる。

 これでは話が横道へ這入はいった、それからおれが松尾へ往きついてもまだ日が出なかった、松尾は県道筋について町めいてるところへ樹木に富んだ岡を背負ってるから、屋敷構やしきがまえから人の気心も純粋の百姓村とは少し違ってる、涼しそうな背戸山ではしきりにひぐらしが鳴いてる、おれは又あの蜩の鳴くのが好きさ、どこの家でも前の往来を綺麗きれいに掃いて、掃木目ほうきめの新しい庭へ縁台を出し、隣同志話しながら煙草など吹かしてる、おいらのような百姓と変らない手足をしている男等までが、ことばつかいなんかが、どことなし品がえい、おれはそれを真似ようとは思わないけど、横芝や松尾やあんな町がかった所へいくと、住居の様子や男女の風俗などに気をつけて見るのが好きだ。

 兼鍛冶のとこへ往ったら、此節は忙しいものと見えて、兼公はもう鞴場ふいごばに這入って、こうこうと鞴の音をさして居た、見ると兼公の家も気持がよかった、軒の下は今掃いた許りにちり一つ見えない、家は柱も敷居も怪しくかしげては居るけれど、表手おもても裏も障子を明放あけはなして、畳の上を風が滑ってるように涼しい、表手の往来から、裏庭の茄子なす南瓜かぼちゃの花も見え、鶏頭けいとう鳳仙花ほうせんか天竺牡丹てんじくぼたんの花などが背高く咲いてるのが見える、それで兼公は平生花を作ることを自慢するでもなく、花が好きだなどと人に話したこともない、よくこんなにいつも花を絶やさずに作ってますねと云うと、あアに家さ作って置かねいと時折仏様さ上げるのん困るからと云ってる、あとから直ぐこういう鎌が出来ましたが一つ見ておくんせいと腕自慢の話だ、そんな風だからおれは元から兼公が好きで、何でも農具はみんな兼公に頼むことにしていた。

 其朝なんか、よっぽど可笑おかしかった、兼公おれの顔を見て何と思ったか、喫驚びっくりした眼をきょろきょろさせ物も云わないで軒口ヘ飛んで出た、おれが兼さんお早ようと詞を掛ける、それと同んなじ位に、

「旦那何んです」

 とあの青白い尖口とんがりぐちの其のたまげた顔をおれの鼻っさきへ持ってきていうのさ、兼さん何でもないよ鎌を買いに来たんだよ、日中は熱いから朝っぱらにやって来たのさ、こういうと、

「そらアよかった、まア旦那お早ようございます」と直ぐにけろりとした風で二つ三つ腰をまげた、ハハハアと笑ったかと思うと直ぐ跡から、旦那鎌なら豪せいなのが出来てます、いう内に女房が出て来て上がり鼻へ花蓙はなむしろを敷いた、兼公はおれに許り其蓙へ腰をかけさせ、自分は一段低い縁に腰をかけた、兼公は職人だけれど感心に人に無作法なことはしなかった。

「旦那聞いてください、わし忌ま忌ましくなんねいことがあっですよ、あの八田の吉兵エですがね、先月中あなた、山刈と草刈と三丁ずつ、吟味して打ってくれちもんですから、こっちゃあなた充分に骨を折って仕上げた処、旦那まア聞いて下さい其の吉兵エが一昨日来やがって、村の鍛冶に打たせりゃ、一丁二十銭ずつだに、お前の鎌二十二銭は高いとぬかすんです、それからしゃくに障っちゃったんですから、お前さんの銭ゃお前さんの財布へしまっておけ、おれの鎌はおれの戸棚へしまってくといって、いきなり鎌を戸棚へ終っちゃったんです、旦那えい処へ来て下さった」そういうて兼公は六丁の鎌をおれの前へ置いた、女房は、それではよくあんめい、吉兵エさんも帰りしなには、兼さんの一酷にも困る、あとで金を持たしてよこすから、おっかアおめいが鎌を取っといてくっだいよって、腹も立たないでそういっていったんだから、今荒場の旦那へ上げて終ってはと云った、兼公はあアにお前がそういうなら、八田の分はおれが今日にも打って措くべい、旦那どうぞ持っていって下さい、外の人と違う旦那がいるってんだから、こういうから四丁と思って往ったのだが、其六丁を持ってきた、家を出る時心持よく出ると其日はきっと何かの用が都合よくいくものだ。

 思いの外に早く用が足りたし、日も昇りかけたが、蜩はまだ思い出したように鳴いてる、つくつくほうしなどがそろそろ鳴き出してくる、まだ熱くなるまでには、余程の間があると思って、急に思いついて姪子の処へ往った。

 お町が家は、松尾の東はずれでな、往来から岡の方へ余程上って、小高い所にあるから一寸ちょっと見ても涼しそうな家さ、おれがいくとお町は二つの小牛を庭の柿の木のかげつないで、十になる惣領そうりょうを相手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一ぱい小牛に当てがって、母子がさも楽しそうに黒白まだらの方のやつを洗ってやってる、小牛は背中を洗って貰って平気に草を食ってる、惣領が長い柄の柄杓ひしゃくで水を牛の背にかける、母親が縄たわしで頻りに小摺こすってやる、白い手拭を間深かにかぶって、おれのいったのも気がつかずにやってる、表手の庭の方には、白らげ麦や金時大角豆などが庭一面に拡げて隙間もなく干してある、一目見てお町が家も此頃は都合がえいなと思うと、おれもおのずと気も引立って、ちっと手伝おうかと声をかけた。

 あらア荒場の伯父さんだよって、母子が一所にそういって、小牛洗いはそこそこにさすが親身の挨拶は無造作なところに、云われないなつかしさが嬉しい、まア伯父さんこんな形では御挨拶も出来ない、どうぞまア足を洗って下さい、そういうより早く水をんでくれる、おれはそこまで来たから一寸寄ったのだ上ってる積りではねいと云っても、伯父さん一寸寄っていくってそら何のこったかい、そんなこと云ったって駄目だ、もうおれには口は聞かせない。

 上って見ると鏡のように拭いた摺縁すりえんは歩りくと足の下がぎしぎし鳴る位だ、お町はやがて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も朝草を山程刈って帰ってきた、さっぱりとした麻の葉の座蒲団を影の映るような、カラ縁に敷いて、えい心持ったらなかった、伯父さん鎌を六丁買ってきて、家でばっかそんなにいるかいちもんだから、おれがこれこれだと話すと、そんなら一丁家へもおくんなさいなという、改まって挨拶するかと思うと、あとから直ぐ甘えたことをいう、そうされると又妙に憎くないものだよ。

 あの気転だから、話をしながら茶をこしらえる、用をやりながらも遠くから話しかける。

「ねい伯父さん何か上げたくもあり、そばに居て話したくもありで、何だか自分が自分でないようだ、蕎麦そば饂飩うどんでもねいし、どじょうの卵とじ位ではと思っても、ほんに伯父さん何にも上げるもんがねいです」

「何にもいらねいっち事よ、朝っぱら不意に来た客に何がいるかい」

 そういう所へ利助もきて挨拶した、よくまア伯父さん寄てくれました、今年は雨都合もよくて大分作物もえいようでなど簡単な挨拶にも実意が見える、人間は本気になると、親身の者をなつかしがるものだ、此の調子なら利助もえい男だと思っておれも嬉しかった、お町は何か思いついたように夫に相談する、利助は黙々うなずいて、其のまま背戸山へ出て往った様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早にかまどに火を入れる、おれの近くへ石臼いしうすを持出し話しながら、白粉しろこき始める、手軽気軽で、億劫な風など毛程も見せない、おれも訳なしに話に釣り込まれた。

「利助どんも大分に評判がえいからおれもすっかり安心してるよ、もうあばれ出すような事あんめいね」

「そうですよ伯父さん、わたしも一頃は余程迷ったから、伯父さんに心配させましたが、去年の春頃から大へん真面目になりましてね、今年などは身上しんしょうもちっとは残りそうですよ、金で残らなくてもあの、小牛二つ育てあげればって、此節は伯父さん、一朝に二かつぎ位草を刈りますよ、今の了簡りょうけんでいってくれればえいと思いますがね」

「実の処おれは、それを聞きたさに今日も寄ったのだ、そういう話を聞くのがおれには何よりの御馳走だ、うんお前も仕合せになった」

 こんな訳で話はそれからそれと続く、利助の馬鹿を尽した事から、二人が殺すのいかすのと幾度も大喧嘩おおげんかをやった話もあった、それでも終いには利助から、おれがあやまるから仲直りをしてくろて云い出し誰れの世話にもならず、二人で仲直りした話は可笑しかった。

 おれも始めから利助の奴は、女房にやさしい処があるから見込みがあると思っていた、博打ばくちをぶっても酒を飲んでもだ、女房の可愛い事を知ってる奴なら、いつか納まりがつくものだ、世の中に女房のいらねい人間許りは駄目なもんさ、白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着きんちゃく茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、うまく皮をいたのへ、花鰹はながつおを振って醤油をかけたのさ、それが又なかなかうまいのだ、いつの間にそんな事をやったか其の小手廻しのえいことと云ったら、お町は一苦労しただけあって、話の筋も通って人のあしらいもそりゃ感心なもんよ。

 すとんすとん音がすると思ってる内に、伯父さん百合餅ゆりもちですが、一つ上って見て下さいと云うて持って来た。

 何に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子甥子おいごの心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手ついでがあるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。

 おれは今六十五になるが、たい平目ひらめの料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。

 お町は云うまでもなく、お近でも兼公でも、未だにおれを大騒ぎしてくれる、人間はなんでも意気で以て思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのと云うが、今の世にえらいと云われてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。

(明治四十二年九月)

底本:「野菊の墓」新潮文庫、新潮社

   1955(昭和30)年1025日発行

   1985(昭和60)年61085刷改版

   1993(平成5)年6597

入力:大野晋

校正:高橋真也

1999年213日公開

2005年1127日修正

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