竹林生活
──震災手記断片──
北原白秋
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あの第一回の烈震以来、その後千数百回の余震に、人人はどれだけ脅かされたか。
その初め、未だ曾て識らぬ稀有の地震に私たちは為すところをさへ知らなかつた。つくづくと思ふことは一大事処に際する、かねての精神の鍛練如何といふことである。
静観と沈勇、かうした心状に於て私たちは初めてまことの詩の道に立つことが出来るのである。
ああ、私の庭のあかい葉鶏頭は葉鶏頭としての営みを、その裂けた土の上にも忘れては居らない。崩れた山の畑にも胡麻は胡麻としての智慧を完全にめぐらしてゐる。
千載一遇のこの尊い体験を私たちは心から感謝してよい。凡ては鮮やかに生れて来る。
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よく観、よく察して来る日によく処するといふことが私には何より虔ましく信ぜられた。驚きを驚きとし、恐れを恐れとして正しく恥ぢ、正しく省みる事に於て私たちは初めて救はれるであらう。
かういふ非常の際には人人はその平生の常識をさへ失つて了ふ。恐るべきを恐れずして、恐るべからざるものを恐るるは怯か愚である。自ら警むべきの何たるかを知らずして、また何をか警めむと為たであらうか。
だが、警察では早くも市民の義勇隊を募つた。町の人人は狂奔した。噂は噂を生んだ。竹槍、銃器、刀剣の類は取り出された。
この間に続続として避難の男女が西し東した。ああ、彼等は最早やほとんど生色が無かつた。著のみ著の儘であつた。ただ辛うじて歩むといふだけであつた。ただ恐れてゐた。ただ生きむ事を願つた。ただ先へ先へと当ても無く逃げればよかつた。而もまた糧食を負ひ、茣蓙をかつぎ、削ぎ竹を杖にして、近親の安否を案じ、朋友の救援に赴く者も亦一つとして死線の険難に惑はざるはなかつた。
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あの時、私は頭上に微傷こそ負つたが、幸に命はあつた。私の妻子も辛うじて逃れて恙は無かつた。ともに私たちは奇運を得た。
私の家は大破はしたが、不思議に倒壊を免れ得た。この山にかうした恵まれた家は他に一戸あるきりである。それも私の家に較ぶればまだ被害は軽くはなかつた。その余は眼に見るかぎりの邸宅が壊滅して了つた。それどころではない、この私の住む小田原の町全部の家屋が殆どことごとく倒壊した。而もその大半は猛火に焼かれて一夜の中に茫茫とした焦土と化して了つた。圧死焼死相継ぎ、悲惨とも無慙とも言ひやうがなかつた。加ふるに山はくづれ、崖はなだれ、海嘯は起り、暴風雨は襲ひ、物資の窮乏、流言蜚語、それ等は絶えざる余震とともに災害のあるかぎりを以て生き残りの人人を試した。
私としても生死をさへも遠くには知られなかつた。一時は行方不明とも伝へられた。当然のことであつた。
その頃、道に会ふ人ごとに互の無事なのに驚かされた。さうして『命だけは助かりました。』『命だけは。』と言ひ交してゐた。
それほどの凄まじさであつた。
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その夜から私たちと隣の寺の家族とは、つい前の孟宗藪に寝た。
さうして簡素な竹林の生活が初まつたのである。
月が消え、雨がふり、闇にも人人が棺をかついで来た。
後には夜だけ裏の竹林に移つた。傾いた、壁も戸も無い私の庵室に支柱をして、兎に角私たちは辛うじて安きを得た。窻窻には他から印度更紗の窻掛を引きはがして来て夜風をふせいだ。
昼間は前の竹林にゐた。私たちは卓子や曲木の椅子や、籐の寝椅子やをその中に据ゑた。
誰やらが、竹のひとつに壊れた六角時計を掛けた。青銅の仏の面を掛けてくれた人もあつた。
その竹林からはよく海が透いて見えた。
私は笑つて、私の竹林生活がいよいよ簡朴になることを思つた。
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隣の寺の和尚は四五羽の鶏と三匹の猫とを放つたらかしで逃げた。むろん本尊仏も取り出さなければ位牌も放つたらかしであつた。
墓場は墓石が総くづれにくづれて、三四間も前に泳いでゐた。
檀家がよく棺桶をかついで来た。さうして和尚はときいた。私は『和尚さんはよその寺の裏藪に避難してゐる。』と答へることに赤面された。私は茶碗に水など入れてその新墓へ持つて行つた。
竹林には赤い大きな木魚がころがされてゐた。また草むらの中から珠数が出て来たりした。
倒壊した寺の屋根の上から、どうして飛び乗つてゐたか、ボンボン時計が、時をりボオンヂインと時をうつた。
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実に一歩山を下れば、其処はもう惨たる地獄の象であつた。
玉伝寺の竹林の中では既に避難者等の交交にあらゆる賤卑な物慾の争ひが起つてゐた。混雑と叫喚と餓鬼語と──とても私たちの住めるところではなかつた。
私は山に踏みとどまつてよかつたと思つた。
でもこの寺の山にも夜は燐光が燃えるのである。
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一時、各戸の牆壁は無くなつた。鉄条網は踏みくづされた。菜圃も庭園も総てのものとなつた。
然し、五六日過ぎると、富者はまた鉄条網を張り出した。
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ああ、そのうちに、傾いた木兎の家の前には白萩が咲き、香の高い西洋生薑の花が咲き、薄あかい芙蓉が篠垣の前に咲き盛り、黄と赤とのカンナがいよいよ輝いて来た。
庭には紅い葉鶏頭が燃え、羯皷薊の薄紫がにほひ、唐黍の毛が垂れ、トマトが熟れかけてゐた。
つくつくほふしが啼き、中秋のものあはれさが、そこらここらに涼しく動いた。
いい季節、いい生活。私たちははじめてのびのびした。
かうした生活こそほんたうのものである。貧極れば心の富が普満する。
私たちの竹林は全く楽園であつた。私は思つた。『分外のこの風光を楽しむ今の境涯の勿体なさ。この上に何を願はうぞ。』と。
まことに、相模の海が竹林を越して朝夕明るく輝いてゐた。時時にその濃藍色が群青に柔金に瓏銀に変幻した。雨後には海岸だけが紅になつた。
『無為だな。』と私は妻を顧みて言つた。私は煙草の吸殻を心ゆくまで吸つた。
底本:「白秋全集 18」岩波書店
1985(昭和60)年12月5日
底本の親本:「『白秋全集』第一三巻」アルス
1930(昭和5)年6月20日初版発行
入力:岡村和彦
校正:川山隆
2011年12月4日作成
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