田中君に就いて
──田中英光著『オリムポスの果實』序
太宰治
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田中君の作品に就いてよりも、まづ田中君の人間に就いてお知らせして置いたはうが、いまは、必要なやうに思ひますから、そのはうだけを、少し書きます。
この創作集の末尾に、田中君が跋文を書き添へてゐるやうですが、それに據れば、「俺の過去は醜惡で複雜、まともに語れるものではない。この醜くさは、顏が赧くなつて脇の下から冷汗ものだ、などといふ體裁の好いものではなかつた筈だ。」と慚愧に轉倒してゐるやうでありますが、それは田中君の主觀であつて、何も君そんなに下品がらなくてもいいぢやないか、と私は言ひたくなりました。
田中君は、私などに較べて、ずつと上品な、氣の弱い、しかも誰よりも正直な人間であります。御母堂に、ずゐぶん可愛がられて育ちました。
四年ほどまへ、私がまだ、荻窪の下宿にゐた頃の事でありましたが、田中君の御母堂が私の下宿に怒鳴り込んで來たさうであります。運よく私は、その時、外出してゐたので難をのがれましたが、私の代りに下宿のをばさんが、大いに叱られたさうであります。うちの英光に文學などをすすめて、だらくさせるつもりだらう、とおつしやつて、實に怒つてお歸りになりました、こはいお母さんですねえ、と下宿のをばさんも溜息ついて私に報告したのでした。墮落したか、どうか。文學ゆゑに、田中君は、いまでもやはり、上品な、氣の弱い、しかも誰よりも正直で、さうしてやつぱりお母さんの佳い子になつてゐるではありませんか。文學は、人を墮落させるものではないのです、等といま、ここで御母堂に向つて申し上げるやうな氣持で書いてゐると、私も邪心無く、愉快になります。
田中君が戰地から歸つて、私の家に來た時も、戰爭の手柄話は、一言も語りませんでした。縁側に坐つて、ぼんやり武藏野を眺め、戰地にもこんな景色がありますよ、と、それだけ言ひました。さうかね、と私もぼんやり武藏野を眺めました。その日、私に手渡した原稿は、戰爭の小説ではありませんでした。オリンピツク選手としての、十年前の思ひ出を書いた小説でありました。
田中君の人間に就いて、讀者にぜひともお知らせしたい事項は、もう他には無いやうです。田中君は、勇氣のある人ですが、これからは、猪突の小勇をつつしむにちがひないと私は信じて居ります。生活は弱く、作品は強く、悠々君の文學を自ら經營し、次の時代の美しさを君自身の責任に於いて展開すべきだと思つて居ります。
田中君は、もはや三十歳であります。
底本:「太宰治全集11」筑摩書房
1999(平成11)年3月25日初版第1刷発行
初出:「オリンポスの果實」高山書院
1940(昭和15)年12月15日発行
入力:小林繁雄
校正:阿部哲也
2012年1月7日作成
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