織田作之助



 歳月が流れ、お君は植物のように成長した。一日の時間を短いと思ったことも、また長いと思ったこともない。終日牛のように働いて、泣きたい時に泣いた。人に隠れてこっそり泣くというのでなく、涙の出るのがたゞ訳もなく悲しいという泣き方をした。自分の心を覗いてみたことも他人の心を計ってみたこともなく、いわば彼女にはたゞ四季のうつろい行く外界だけが存在したかのようである。もとより、立て貫ぬくべき自分があろうとは夢にも思わず、あるがまゝの人生にあるがまゝに身を横たえて、不安も不平もなかった。境遇に抗わず、そして男たちに身を任せた。蝶に身を任せる草花のように身を任せた。

 三十六才になって初めて自分もまた己れの幸福を主張する権利をもってもいゝのだと気付かされたが、そのとき不幸が始まった。それまでは、「あてですか。あてはどうでもろしおます」と口癖に言っていた。お君は働きものであった。

 娘の頃、温く盛り上った胸のふくらみを掌で押え、それを何ども〳〵繰り返して撫でまわすことをこのんだ。また、銭湯で湯舟に永くつかり、湯気のふき出している体に冷水を浴びることが好きだった。ザアッと水が降りかゝってあたりの湯気をはらうと、お君のピチ〳〵と弾み切った肢体が妖しくふるえながらすくっと立っている。官能がうずくのだった。何度も浴びた。「五辺も六ぺんも水かけますねん。立った〔まま〕で。良え気持やわ」と彼女が夫の軽部武彦に言った時、若い軽部は顔をしかめた。彼は大阪天王寺第三小学校の教員であった。お君が彼と結婚したのは十八の時である。

 軽部の倫理モラルは「出世」であった。若い身空で下寺町の豊沢広昇という文楽の下っ端三味線ひきに入門して、浄瑠璃を習っていた。浄瑠璃好きの校長の相弟子という光栄に浴していた訳である。そして、校長と同じく日本橋五丁目の上るり本写本師、毛利金助に稽古本を注文していた。お君は金助の一人娘であった。お君の母親は、お君の記憶する限り、まるで裁縫おはりをするために生れて来たような女で、いつみても、薄暗い奥の部屋にぺたりと坐り切りで縫物をしていたが、お君が十五の時、糖尿病をわずらって死んだ。金助は若い見習弟子と一緒に、背中を猫背にまるめて朝起きぬけから晩寝る時まで、こつ〳〵と上るりの文句をうつしているだけが能の、古ぼけた障子のように無気力なひっそりした男であった。中風のがあったが、しかし彼の作る写本ほんは、割に評判がよかった、商売にならない位値が安かったせいもある。見習弟子は薄ぼんやりで余り役に立たなかった。母親が死ぬと、他に女手のないところから、お君は早くから一人まえの女なみに家の中の用事をさせられたが、写本を注文先に届けるのにもしば〳〵使われた。まだ肩みあげのついたまゝの、裾下一寸五分も白い足が覗いている短い着物に、十八の成熟した体を包んでお君が上本町九丁目の軽部の下宿先に初めて写本を届けて来たとき、二十八の軽部は、その乱暴ないろ気に圧倒されて、思わず視線を外らし、自分の固定観念にしがみついた。女は出世のさまたげ。しかし、三度目にお君が稽古本を届けに来た時、軽部は、まちがいが無いか今ちょいと調べて見るからね、と座蒲団をすゝめてお君を坐らし、小声で稽古本を読み出し、………あとみおくりてまさおかが………ちら〳〵お君を盗見していたが、やがて声が妙に震えて来、生つばをぐっとのみこみ、………ながすなみだのみずこぼし………いきなりお君の白い手を掴んだ。

 その時のことをお君は、「何かこう、眼の前がパッとかうなったり、真ッ黒けになったりして、あんたの顔がこって牛の顔みたいに大きう見えたわ」と結婚後に軽部に話して、彼にいやな想いをさせたことがある。軽部は体の小柄な割に、顔の道具立てが一つ〳〵大きく、眉毛が太く、眼は近眼鏡のうしろにギョロリと突出し、鼻の肉は分厚く鉤鼻であった。その大きな鼻の穴からパッパッとせわしく煙草のけむりを吹き出しながら、そのとき軽部は、このことは誰にも黙ってるんだよ、と髪の毛をなでつけているお君にくど〳〵と言いきかせた。それきり、お君は彼のところに来なかった。軽部は懊悩した。このことはきっと出世のさまたげになるだろうと彼は思った、ついでに、良心の苛責という言葉も頭に浮んだ。あの娘は妊娠するだろうか、しないだろうかと終日思い悩み、金助が訪ねて来やしないだろうかと恐れた。教育界の大問題、そんな見出しの新聞記事を想像するに及んで、胸の懊悩は極まった。だからいろ〳〵思い惑った揚句、今の内にお君と結婚すればよいという結論がやっと発見されたとき、ほっと救われたような気がした。何故もっと早くこのことに気がつかなかったのか、間抜けめと自分を罵ったが、しかし、結婚は少くとも校長級の娘とすることに決めていた筈であった。写本師風情の娘との結婚など、夢想だに価しなかったのである。僅にお君の美貌が彼を慰めた。

 ある日、軽部の同僚の蒲地某という男が突然日本橋五丁目に金助の家を訪れ、無口な金助を相手に四方山の話を喋り散らして帰って行った。何の事か金助にはさっぱり要領を得なかったが、たゞ軽部という男が天王寺第三小学校で大変評判の良い教師で、品行方正だという事だけが朧げに分った。その軽部は、それから三日後、宗右衛門町の友恵堂の最中もなか五十個を手土産にやって来て、実はお宅の何を小生の連添いに頂きたいのですがと、ポマードでぴったり撫でつけた髪の毛を五六本指先でもみながら、金助に言った。金助がお君に、お前はときくと、お君は長い睫の眼をパチ〳〵としばたきながら、「あてですか。あてはどうでも、ろしおます」一人娘のことだから養子に来ていたゞければと金助が翌日返事すると、軽部はそれは困りますと、まるで金助は叱られているような恰好であった。

 そうして、軽部は小宮町に小さな家を借り、お君を迎えたが、彼は、「大体に於て」彼女に満足していると、同僚たちにいいふらした。お君は働き者なのである。夜が明けるともうばた〳〵と働いていた。彼女が朝第一番に唄う、こゝは地獄の三丁目、行きはよい〳〵帰りは怖い、という彼女の愛唱の唄は軽部によってその卑俗性の故に禁止された。浄瑠璃に見られるような文学性がないからね、と真面目にいいきかせるのだった。彼は、国漢文中等教員の検定試験をうける準備中であった。お君は金より大事な忠兵衛さん、その忠兵衛さんをとが人にしたのもみんなこの〔わたし〕ゆえと日に二十辺も朗唱するようになった。軽部は多少変態的な嗜好をもっていたが、お君はそれに快よくたえた。

 ある日、軽部が登校して行った留守中に、日本橋の家できいたのですがと若い男が訪ねて来た。まあ、田中の新ちゃん、如何どないしてたの。古着屋の息子で、朝鮮の聯隊に入隊していたのだが、昨日除隊になって帰って来たところだという。口調の活溌さに似ぬしょげ切った顔付で、何故自分に黙って嫁に行ったのかとお君を責めた。かつてお君は彼の為に唇を三回盗まれていた。体のことが無かったのは単に機会の問題だったのだと腹の中で残念がっているそんな田中の問責にお君はふに落ちぬ顔であったが、さすがに、日焼けした顔にあり〳〵と浮んでいる彼の悲しい表情に憐れを催し、彼のために天ぷら丼を注文した。こんなものがくえるかと、箸もつけずに帰って行った彼のことを、夕飯の時に、お君は、綺麗な眼の玉をくるり〳〵と動かしながら話した。軽部は膝の上にのせた新聞をみながら、ふん〳〵と軽蔑したようなきゝ方であったが、話が接吻のことに触れた瞬間、いきなり、新聞がパッとお君の顔に飛んで来た。続いて、茶碗と箸、そして頬がピシャリと高い音をたてた。泣き声をきゝながら、軽部は食後の散歩に出掛けた。帰ってみると、お君は居なかった。火鉢の側に腰を浮かして半時間ばかりうずくまっていると、金より大事な忠兵衛さんと声がきこえ、湯上りの匂をぷん〳〵させて帰って来た。その顔を一つ撲ってから軽部は、女というものは結婚前には神聖な体のまゝでいなくてはならんものだよ、たとえキスだけのことにしろだね。いいかけて軽部はふと自分がお君を犯した時のことを想い出し、何か矛盾めいたことを言うようであったから、簡単な訓戒に止めることにした。彼はお君と結婚したことを後悔した。しかし、お君が翌年の三月男の子を産むと、日を繰って見てひやっとし、結婚してよかったと思った。生れた子は豹一と名付けられた。日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄が未だ大阪を風靡していたころである。その年、軽部は五円昇給された。

 その年の秋、二つ井戸天牛書店の二階広間で、校長肝入りの豊沢広昇連中素人浄瑠璃大会がひらかれ、聴衆百八十名、盛会であったが、軽部武寿こと軽部武彦はその時初めて高座に上った。最初のこと故勿論露払いで、ぱらり〳〵と集りかけた聴衆の前で簾を下したまゝ語らされたが、沢正と声がかゝったほどの熱演で、熱演賞として湯呑一個をもらった。その三日後に、急性肺炎に罹り、かなり良い医者に見てもらったのだが、ぽくりと軽部は死んだ。泪というものはいつになったら涸れるのかと不思議なほどお君はさめ〴〵と泣き、夫婦は之でなくては値打がないと人々はその泣き振りに見とれた。しかし、二七日の夜、追悼浄瑠璃会が同じく天牛書店二階でひらかれたとき、豹一を連れて会場に姿を見せたお君は、校長が語った「新口村」の梅川のさわり、金より大事な忠兵衛さんで、パチ〳〵と音高く拍手した。手を顔の上にあげ、人眼につく拍手であったから、人々は眉をひそめた。軽部の同僚の若い教師たちは、軽部の死位で枯涸されなかったお君の生命感に想いをいたし、腹の中でそっと夫々の妻の顔を想い浮べて、何か頼り無い気持になるのだった。校長はお君の拍手に満悦であった。

 三七日の夜、親族会議がひらかれた席上、四国の高松から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、お君の籍は実家に戻し、豹一も金助の養子にしてもらったらどんなものじゃけんと、渋い顔して意見をのべ、お君の意向をきくと、「あてどすか。あてはどうでもろしおます」金助は一言も意見らしい口をきかなかった。お君が豹一を連れて日本橋五丁目の実家に帰ってみると、家の中はあきれるほど汚なかった。障子の桟には埃がべたっとへばりつき、便所には蜘妹の巣がいくつもかかったまゝ、押入には汚れ物が一杯押しこまれていた。お君が嫁いだ後金助は手伝い婆さんを雇って家の中を任していたのだが、選りによって婆さんはもう腰が曲り耳も遠かった。このたびはえらい御不幸なと挨拶をした婆さんに抱いていた豹一を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がずバタ〳〵とはたきをかけ始めた。三日経つと家の中は見違えるほど綺麗になった。手伝い婆さんは、実は田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとった。お君は豹一を背負って、こゝは地獄の三丁目と鼻唄うたいながら一日中働いた。そんなお君の帰って来たことを金助は喜んだが、この父は亀のように余りに無口であった。彼は軽部の死に就て、ついぞ一言も纏った慰めをしなかった。

 古着屋の田中の新ちゃんは既に若い女房を貰って居り、金助の連れて行った豹一を迎えに、お君が銭湯の脱衣場に姿を現わすと、その嫁も最近産れた赤ん坊を迎えに来ていて、仲善しになった。雀斑〔そばかす〕だらけの鼻の低いその嫁と並べてみてお君の美しさは改めて男湯で問題になり、当然のことゝして、お君の再縁の話がしば〳〵界隈の人たちから金助に持ちかけられたが、その都度、金助がお君の意見をきくと、例によって、「あてはどうでもろしおます」という態度であったから、金助は、軽部の時とちがって今度はその話を有耶無耶に葬ってしまった。お君はときどき軽部の愛撫から受けた官能の刺戟を想い出し、その記憶の図を瞼に映して頭を濁らすのだったが、そのたびに、ひそかな行為によって自ら楽しむ所があった。見習弟子はもう二十才になっていて、夏の夜なぞ、白い乳房を豹一にふくませながらしどけなく転寝しているお君の肢態に、狂わしいほど空しく胸を燃していたが、もと〳〵彼は気も弱く、お君も勿論彼の視線の中に男を感じたりはしなかった。


 五年経ち、お君が二十四、豹一が六つの年の暮、金助は不慮の災難であっけなく死んでしまった。その日、大阪は十二月末というのに珍らしく初雪がちらちら舞っていた。豹一の成長と共にすっかり老いこみ耄碌していた金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の新派連鎖劇を見に行ったその帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行の電車に敷かれたのである。金網にはねとばされて危く助かった豹一が、誰にもらったかキャラメルを手にもち、人々にとりまかれて、ワア〳〵泣いている所を見た近所の若い者が、あッあれは毛利のちんぴらだと自転車を走らせて急を知らせてくれ、お君がかけつけると、黄昏の雪空にもう灯りをつけた電車が二十台も立ち往生し、車体の下に金助の体が丸く転っていた。ギャッと声を出したが、不思議に泪は出ず、母親の姿を見つけて豹一が手でしがみついて来た時、はじめて咽喉の中が熱くなって来た。そして何も見えなくなった。やがて、活気づいた電車の音がした。

 その夜、近くの大西質店の主人が褐色の風呂敷包をもって訪れて来、「実は先年あんたの嫁入の時、支度の費用や言うてお金を金助はんに御融通しましてん、その時お預りした品が利子もはいっとりまへんしますさかい流れていますのやが、何でもあんたの家には大切な品や思いますので相談はなしによっては何せんこともおまへんこう思いましてな、何れ、電車会社の方の」謝罪金を少くとも千円と当込んで、之ですと差出した品を見ると、系図一巻と太刀一振であった。ある戦国時代の城主の血統をひいている金助の立派な家柄がそれによって分明するのであったが、お君には初めてみる品であり、又金助から左様な家柄に就てついぞ一言もきかされたことがなかった。軽部がそれを知らずに死んだことは彼の不幸の一つであった。お君にそれを知らさなかった金助も金助だが、お君もまたお君で、そんなものあてにはいり用おまへんと質店主人あるじの申出を断り、その後、家柄のことなぞ忘れてしまった。利子の期間云々などと勿論慾にかゝって執拗にすゝめられたが、お君は、たゞ気の毒そうに、「あてにはどうでもえゝことですから。それに」電車会社の謝罪金は何故か百円にも足らぬ僅少の金一封で、その大半は、暇をとることになった見習弟子に呉れてやる腹であった。

 そんなお君に中国の田舎から出て来た親戚の者はあきれかえって、葬式骨揚げと二日の務めをすますとさっさと帰って行き、家の中がガランとしてしまった夜、体をしめつける異様な重さにふと眼を覚まして、だれ、と暗闇に声をかけると、思わぬ大金をもらって気が強くなったのか或は変になったのか、こともあろうに、それは見習弟子であった。重さに抗ったが、何故か抗う動作が体をしびらしてしまった。

 翌日、見習弟子は哀れなほどしょげ返りお君の視線をさけて、不思議な位であったが、夕方国元から兄と称する男が彼を引取りに来ると、ほっとした顔付になった。永々厄介な小僧をお世話さまでしたと兄の挨拶の後で、ぺこんと頭をさげ、之はほんの心だけです、と白い紙包を差出して、家を出て行った。紙包には、写本の字体で、ごぶつぜんと書いてあり、ひらくと、お君が呉れてやった金がそっくりそのまゝはいっていた。国へ帰って百姓すると言った彼の貧弱な体やおど〳〵した態度を憐み、お君はひとけの無くなった家の中の空虚さに暫くはぽかんと坐った切りであったが、やがて、船に積んだらどこまで行きやる、木津や難波なんばの橋の下、と哀調を帯びた子守唄を高らかに豹一にきかせた。

 上塩町地蔵路次の裏長屋に家賃五円の平屋を見付けてそこに移ると、早速、裁縫おはり教えますと小さな木札を軒先につるした。長屋のものには判読しがたい変った書体で、それは父譲り、裁縫は、絹物は上手といえなかったが、之は母親譲り、月謝一円の界隈の娘たち相手には、どうなりこうなり間に合い、勿論近所の仕立物も引きうけた。慌しい年の暮、頼まれものゝ正月着はるぎの仕立に追われて、お君の夜を徹する日々が続いたが、ある夜更け、豹一がふと眼をさますと、スウスウと水洟をすする音がきこえ、お君は赤い手で火鉢の炭火を掘りおこしていた。戸外では霜の色に夜が薄れて行き、そんな母の姿に豹一は幼心にも何か憐れみに似たものを感じたが、お君は子供の年に似合わぬ同情や感傷など与り知らぬ母であった。お君さんは運命かたが悪うおますなと慰め顔の長屋の女たちにも、仕方おまへん、そんな不幸もどこ吹いた風かと笑ってみせ、例の死んだ人たちの想い出話そしてこみあげて来るすゝり泣きを期待し、貰い泣きの一つもしようと思った長屋の女たちには、むしろ物足り無くみえるお君であった。

 大阪の町々の路次には、どこから引っぱって来たのか、よく石地蔵がまつられていて、毎年八月下旬に地蔵さんの年中行事が行われるのだが、お君の住んでいる地蔵路次は名前の手前もあり盛大な行事が行われることになっていた。といっても勿論長屋の行事のこと故、戸毎に絵行灯をかゝげ、狭くるしい路次の中で界隈の男女が、トテテラチンチン、トテテラチン、チンテンホイトコ、イトハコト、ヨヨイトサッサと訳の分らぬ唄にあわせて踊るだけの事だが、お君は無理をして西瓜二十個を寄進し、そして踊りの仲間に加わった。彼女が踊りに加ったが為に、夜二時までという警察の御達しが明け方まで忘れられていた。不自然に官能を刺戟させていてもお君の肌は依然として艶を失わず、銭湯で冷水を浴びる時の眼の覚める様に鮮かな彼女の肢態に、固唾をのむような嫉妬を感じていた長屋の女が、ある時お君の頸筋をみて大袈裟に、「まあ、お君さんたら、頸筋に生毛が一杯」生えていることに気が付いたのを倖い何度も言うので、銭湯の帰りに近くの松井理髪店へ立寄って、顔と頸筋をあたって貰った。

 剃刀が冷やりと顔に触れた途端に、ドキッと戦慄を感じたが、やがてサクサクと皮膚の上を走って行く快よい感触に、思わず体が堅くなって唇の辺りをたび〳〵拭い、石鹸と化粧料の匂いのしみこんだ徒弟の手が顔の筋肉をつまみあげるたびに、気の遠くなる想いがした。そのようなお君に徒弟の徳田は、商売だからという顔を時々鏡に確めてみなければならなかった。しかし、その後月に二回は必ずやって来るお君に、徳田は平気で居れず、ある夜、新聞紙に包んだセルの反物をもってお君の家を訪れ、「思い切って一張羅を張りこみましてん、済んまへんが一つ」縫うてくれと頼むと、そのまゝ、ぎこちない世間話をしながらいつまでも坐りこみ、お君を口説く機会を今だ〳〵と心に叫んでいたが、そんな彼の腹の中を知ってか知らずか、お君は、長願寺の和尚おっさんももう六十一ですなという彼のつまらぬ話にも、くるり〳〵と大きな眼をまわしてケラ〳〵と笑っていた。豹一は側に寝そべっていたが、いきなりつと体を起すと、きちんと膝を並べて坐り、その上に両手を置いて、徳田の顔をじっと瞬きもしないで見つめ出した。その視線に徳田は年齢を超えて挑みかゝっている敵意を見て何か圧倒されるような気がした。やがて彼は自分の内気を嘲りながら帰って行った。路次の入口で徳田が放尿している音をきゝながら、豹一はごろりと横になった。

 そのとき豹一は七つ、早生れの、尋常一年生であった。学校での休憩時間にも好んで女の子と遊び、少女のようにきゃしゃな体や色の白い小ぢんまり整った顔は女教師たちに可愛がられていたが、自分の身なりのみすぼらしさを恥じているようであった。はにかみやであったが、一週間に五人の同級の男の子が彼に撲られて泣いた。子供にしては余り笑わず、自分の泣き声に聞惚れているような泣き方をし、泣き声の大きさは界隈の評判で、やんちゃん坊主であった。路次の井戸端にまつられた石地蔵に、ある時何に腹立ってか、小便をひっかけた。お君は気の向いた時に叱った。

 近くの長願寺の住職はお人善しの老人であったが、無類の将棋好きでこと将棋に関するとまるで人間が変り、助言をしたと言ってはその男と一週間も口を利かず、奇想天外やといって第一手に角頭を八六歩と突くような嫌味な指し方をしたり、賭けないと気がのらぬと煙草でも賭けると、たったカメリヤや胡蝶一箱のことにもう生死を賭けたような汚い将棋を指し、負けると破産したような顔で相手を恨むといった風で、もと〳〵下手な将棋ではあるし誰にも敬遠されて相手のないところから、ちょく〳〵境内の蓮池の傍へ遊びに来る豹一に将棋を教えた。筋がいゝのか最初歩三つが一月経つと角落ちになり、二月目には平手で指せるようになった。ある日、住職は、「豹ぼん、何か賭けんと面白うないな。和尚おっさんは白餡入りの饅頭おまん六つ賭けるさかい、豹ぼんは」何も賭けるものがなく、蓮池から亀の子一匹掴えて、負けると和尚に呉れてやることになった。実力以上の長考であったが、結局豹一が負けて、涙を流した。

 夕闇の色を吸いこんで静まり返った蓮池の面を見つめ、豹一は亀の子ねらった。何故自分が負けたのか分らなかった。あんな弱い相手に負けるのはおかしい。自分には空を飛べる能力があるのかも知れないという子供にあり勝ちな空想も、豹一にとっては、いわば彼の虚栄の一つであり、悪人に追われて空を飛び逃げる夢を見た時は鼻高々と人に話し、為に嘲笑されると今にみろ飛んでやると思い、虚栄にうながされてひそかに奇蹟を信じ、奇蹟を待つことが屡々なのである。奇蹟はあらわれず、勝とうと思えば勝てた筈だという彼のいいわけも和尚の大人気おとなげない毒舌にかゝって一笑に附されてしまうと、一途に残念がった。彼はもう一つの奇蹟を待ち、それにすがりついた。亀の子を半時間も経たぬ内に素早く掴えるという神業を行わねばならない。そうすれば和尚に会わす顔も出来、情無い気持も幾分癒やされるだろうと、彼は池の面を穴のあく程みつめていた。残念なことには、亀の子が掴らぬ内に、和尚は檀家へ出掛けて行った。今は会わす顔の無い和尚だが、もう少し居てくれゝばいゝのにと思ったものゝ、しかし、居てくれなくて倖いだった。もし〳〵亀よ亀さんよ、顔出してくれと、始めは唄う様に言っていたが、時が経つにつれ、そろ〳〵泣き声になり、やがて、一言も声が出ず、もう、顔さえ出してくれゝば、池の中へどぶんとはいっても掴えたい位になった。周囲りはすっかり暗くなり、木魚の音が悲しい程単調に繰りかえされていた。ふと、自分を呼ぶ声に顔をあげると、夕飯ごはんもたべんと何してるんや。門の傍でお君が怖い顔して睨んでいた。亀とろ思てるんやというと、馬鹿! と叱られ、既に泣き出したくなっていた豹一は、こゝぞとばかり泣き出した。泣き出すと仲々止らず、加速度的に泣声が大きくなり、豹一を抱きあげたお君はまるでその声に顔を打たれているような気がし、泣き止まんと池へ放うりこんだるぞ、かまへんか。かまへんわい、放うりこんだら着物がよごれて、母ちゃんが洗濯に困るだけや。困るもんかと、豹一の脇の下をかゝえたまゝ池の水へどぶんと浸けた。豹一は、亀の子を探るつもりか手をばた〳〵させた。豹一を引き揚げて、家に連れ戻ると、お君はたらいを持ち出した。


 地蔵路次に引越してから、足掛け四年、秋が来た。お君には流れるように無事平穏な日々であったが、それらの日々は豹一にとっては日毎に小さな風波を立てゝいた。彼は自分ではそれと気付かなかったゞろうが、自尊心のからくりによる、何ものかへの敵対意識に絶えず弾力づけられている少年であった。傷つき易い自尊心をもっていたゆえ、絶えず自分を支えるための勝利感に餓えていた。長屋の貧乏ぐらしを恥じいる年でもなかったが、何かしら自ら卑下する気持をひそかに抱いていた。そして、それは彼の自尊心とぴたりと寄り添うていて、勿論謙譲からではなかった。自尊心の均衡によって初めて自分自身を感ずることの出来る彼は、母に似ぬ子であった。母親一人を味方と考え、母親と二人きりの時初めて気持が落ちつくという風であったから、母親をまもるという生意気さを本能的にもっていた。そうして彼の幼き日々は、彼の歯によってキリ〳〵と噛みしめられていたが、遂に、ある日、彼は自らの唇を噛み切ってしまうに到った。その秋、お君に再婚の話が持ちかけられ、例によって、あてはどうでも宜ろしおますと万事相手の言う通りになった。相手は生玉前町の電球口金商野瀬安二郎であった。

 電球口金屋てどんな商売ですねん? とお君がきくと仲人は、電球の切れたのおまっしゃろ、あれを一個一厘で買うて来て、つぶして、口金の真鑄や硝子を取って売る商売だす、ぼろいいうこっちゃ。しかし、ぼろいのは、当時のタングステン電球の中には小量の白金が使用されているのがあり、電球一万個に一匁五分見当の白金がとれるからである。白金は当時、一匁二十九円の高価であった。もと〳〵廃球は電灯会社でも処分に困り、甚しいのは、地を掘って埋めたりしていたのを、紙屑屋であった安二郎の兄の守蔵が眼をつけた。最初、分解して口金とガラスだけをとっていたので余りぼろいもうけにならなかったが、ふと白金の使用されていることを知り、苦心してそれを分離する方法を発見した。瞬く間に屑屋の守蔵は一躍万を以て数える大金を握った。安二郎はうどん屋の出前持ちであったが、兄の商売の秘法を教えられ、生玉町に一戸を構えて、口金商を始めた。妻帯したが、安二郎は副こう丸炎にかゝったことがあって子供は出来ず、一昨年女房がコレラに罷って死ぬと、険をふくんだ人相の悪い顔付きであったが、どこかきりっとしたところがあって女にもてるところから、景気の良いのに任せて松島や芝居裏の遊廓を遊びまわり、深馴染みの妓も出来て、死んだ女房の後釜に、女郎を身請けするだろうと噂されていた。そんな事をされたら、うちの娘たちの縁談に傷がつくやないかと、もと飯屋の女中であった守蔵の女房お兼は、安二郎に強意見した。長女が未だ八つにしかならぬのに、お兼は既に三人の娘たちの立派な縁組みを夢みていたのである。義姉あねの奴、わいに意見しよった、と女中あがりのお兼を軽蔑していた安二郎はにがい顔したが、さすがに守蔵の手前を憚ってか、その頃一寸話のあったお君を貰うことにしたのである。しかし、お君の美貌には彼も一眼みて頷けるところがあったから、万更でもなかったのだ。もと小学教員の妻であるということはお兼の眼鏡にかなうに充分であった。連れ子のあることは、安二郎に子供の出来ないことを見越して、あらかじめ勘定にはいっていた。お兼は放蕩者の安二郎には自分の子を養子にくれてやる気はしなかったのである。しかし、お君の連れ子の豹一がしっかり者であれば、娘の中で、一番きりょうの悪いのを嫁にやってもいゝと考えていた。守蔵は既に十万円を定期貯蓄で預けていた。話が纏まると直ぐ婚礼が行われた。後年成長した豹一が毎年木犀の花が匂う頃になると、かっと血が燃えて来るような想いで頭に浮んで来る冬を想わすような寒い秋の日であった。

 そのとき、豹一は八つ、学校から帰るといきなり、仕立て下ろしの久留米の綿入を着せられた。筒っ包の袖に鼻をつけると、新しい紺の香が冷え〴〵とした空気と一緒にすっと鼻の穴にはいって来て、気取りやの彼にはうれしい晴衣であったが、さすがに有頂天にはなれなかった。仕付糸をとってやりながら、向うさんへ行ったら行儀ようするんやぜと母親は常に変らぬ調子でいうのだが、何か叱られているように思った。いつになく厚化粧の母の顔を子供心にも美しいと見るのだが、しかし、なぜかうなずけない気持だった。路次の入口に人力車が三台来て並ぶと、その顔は瞬間面のようにとりつくろい、子供の分別ながら豹一はそれを二十六才の花嫁の顔と察し、何かとりつく島の無い気がした。火の気を消してしまった火鉢の上に手をかざして、張子の虎の様に抜衣紋をした白い首をぬっと突き出し、じゞむさい恰好でぺたり坐っているところをたされ、人力車に乗せられた。見知らぬ人が前の車にお君はその次に、豹一はいちばん後の車、一人前に車の上にちょこんと収りかえった姿を車夫はひねてると思ったのか、ぼん〳〵落ちんようにしっかり掴ってなはれや。その声にお君はちらりと振り向いた。もう日が暮れていた。落てへんわい、と豹一はわざとふざけていい、その声が黄昏の中に消えて行くのを少年の感傷できいていた。ふわりと体が浮いて、人力車はかけ出した。一瞬ごとに暗さのまして行くのが分る黄昏であった。

 ひっそりとした寺がいくつも並んだ寺町を通る時、ぱっと暗闇に強い木の香がひらめいた。木犀であった。豹一は眩暈がした。既に初めてのった人力車に酔うていたのである。梶棒の先につけた提灯の光が車夫の手の静脈を太く浮び上がらしていた。尋常二年の眼が、提灯にかかれた「野瀬」の二字を判読しようとしていたが、血の気が頭からすっと引いて行くような胸苦しさで、困難であった。野瀬の家の前で降ろされ、地が揺れているのか体が揺れているのか分らぬ感じによろめき、家の中にはいると、げっとにがい水のようなものを吐いた。あたりのざわめきが、まるで遠くの空にきこえているようで、眼の前がぼうっと霞み、白い視野の中で、母親の赤い唇がうかんでいた。誰に手をひっぱられたのか、どこをどう通ったのか、どれ位時が経ったのか、やがてまるで端唄をうたうような意気な調子の高砂やの声に〔はじめ〕てはっと眼覚める想いで、声の主をみた。朝っぱらから呑み続けている赤い顔で、でっぷり肥り、坐蒲団を折って尻の下にあてがい、胡坐をかいていた。それが安二郎であった。儀式張ったことはこの際、とはいうものゝ、高砂の一つ位はあってしかるべく、外にそれをやれる粋者も居らぬを倖い、咽喉自慢の花むこ自ら担当の高砂であった。その夜、豹一は誰の眼にも異様にみえた。彼の真青な顔や瞬き一つしない鋭い眼の輝きは見逃されたとしても再三すゝめられても御馳走に箸一つつけない彼の強情振りは、明らかに人眼をひいた。苦しくて喰べられないのだといいわけし、自分自身もそうだと決めていたのだが、人々はこの子は余り人に好かれないだろうと思った。新しい父への反撥心からか、あるいは安二郎の咽喉の良さを賞讃したときの母親に自分と距離の出来てしまった姿を感じての不満からか、訳も分らぬ敵愾心に釘づけになって、ひそかに秋の夜の長さに毒づいていた。

 そして、その夜、豹一は、二階六畳の雇人の部屋で寝かされた。ぐったり疲れていたが、眠れず、母親の体温を恋しがった。酔っぱらった二人の若い雇人は、声をひそめて淫らな話をしていたが、時々高らかに笑いこけた。蒲団についたナフタリンの匂いが何か勝手の違った想いで母親の側に居ない空虚さを一層しみ〴〵と感じさせ、そんな笑い声に寂しく耳を傾けていた。ぼん〳〵、未だ寝てへんのか、えもん見せたげよかと雇人はこともあろうに、豹一にあくどい色で彩った小さな画を見せた。描かれた人間の肢態がふに落ちず、好奇心でじっとながめていたが、彼等がその画とお君とを結びつけるいまわしい説明をきかせた瞬間、豹一の蒼白い眼は勢一杯の敵意を託されて血走り、やがてピリ〳〵と画が破られた。雇人の一人があっと声を立て、もう一人の男が豹一の顔を見ると、唇が赤くはれ血がにじんでいた。翌朝雇人がパン〳〵と電球の割れる物音に驚かされて眼がさめ、庭に出てみると、丁度二十個目の電球を投げつけようとしている豹一の姿が眼にはいった。雇人は豹一が何故そんなことをするのか分らなかったが、たゞ何となく憎たらしい子供であると思った。


 そして、その後成長した豹一を見て、人々は屡々その時の雇人と同じ気持を抱かされたのだが、しかし豹一は比較的単純な男であるから、我々はその後の彼の様々な行動に明確な因果の線をひこうとしても先ず困るようなことはない。かりに人が記憶と虚栄に支えられて生活するものであるとするならば、彼はその仮定に全くぴったりとあてはまった男であるのだから。判断の便宜上その夜の経験が彼にとって如何に決定的なものであったかを想起すればいゝのである。

 その夜豹一が母を冒涜けがされたことは、今まで自分ひとりのものであると思っていた母がもはやそうでなくなったという感傷に彼を陥れたが、同時にまた、それは性的なものへの根強い嫌悪をひそかに彼の心に植えつけてしまったのである。しかし、彼にとって最も痛切なことは、母を冒涜されたことによって即ち自分自身が辱しめられたということである。それまで母の存在と自尊心によってのみ生きて来たのであるから、その時、母を冒涜されることによって同時に自尊心を傷つけられたということは、彼にとって敢て誇張するならばもはや安住すべき世界を喪ってしまったことを意味するのである。だから彼はその世界を奪ったものに対する嫌悪にすがるより外に自分を支える道がなくなったと感じた。そうして、今まで漠然と感じていた何ものかへの敵愾心が初めて明瞭な姿をとって彼に現われて来た。彼は自分の周囲、就中雇人、そしてそれ以上に義父の安二郎に敵意を感じた。自分を非常にみじめだと誇張し、自分を卑下する気持になった。そしてそのことが彼の敵愾心を一層強めた。

 敵愾心を募らしてみても、しかし、その捌け口に困った。一個一厘の廃球を割ったり、同級生の頭をこついたりしてみても、如何にもけちくさく、それよりか、一里以上もある道を築港まで歩いて行き、黄昏れる大阪湾をながめて、豹一おまえは可哀そうなやっちゃと自分を甘やかしている方が気が利いていた。夕陽を浴びて港を出て行く汽船にふと郷愁を感じたり、訳もなく海に向って毒づいている方がふさわしいと思った。少年はいつの間にか自分は孤独だと決めることによって涙を流しまたその涙をひそかに愉しんでいた。ある日港の桟橋で、ヒーヒーと泣き声を立てる代りに馬鹿野郎と呶鳴り、誰もいないと思ったのが、釣をしていた男がいきなり振り向いて、こら何ぬかす、そして白眼をむいている表情が生意気だと撲られた。泣きながら一里の道をとぼとぼ帰り、帰ると電球十個割った。九個目で、いゝ加減にしとけと安二郎が呶鳴ったが、しかし安二郎は小さな豹一など明らかに無視していた。彼はお君が来てからも、まるで女工と女中を兼ねたような申し分無い働き振りのお君に家の仕事を任して、相変らずあちこちの遊廓を遊び廻り、どこでやるのか博奕に負けて帰ると、理由もなしにお君の横面を撲ることを常とし、そんな時必ず使うどすべた! とののしる言葉と、朝鮮! と嘲る言葉は当のお君より傍できいている豹一の胸にどきんとこたえ、豹一の眼は安二郎に挑みかゝるようにギラ〳〵光るのだったが、安二郎はそんな彼には眼もくれず、たゞお君の連れて来たこぶ位に思って、問題にしなかった。しかし、嫂のお兼は学校の成績の図抜けて優秀な豹一にひそかに期するところがあり、彼が尋常六年を卒業すると、府立の中学校に入れるようにと安二郎を無理矢理に説得した。飯屋の女中上りの彼女はもう自分位の金持になれば、娘の夫に大学出の一人位もってもいゝのだと思っていたのである。どうせ、安二郎は放蕩者だし金も残さないだろうから、今の内に豹一に金をいれさせて置いた方がいゝだろう、とにかく彼女の懐は傷まないのだ。しかし、安二郎もまた懐をいためなかった。月々定ってお君に渡す台所用の金の中から、豹一の学資を出さすことにした。お君はそれでやりくりに困り、自分の頭のものや着物を質にいれたり、近所の人に三円五円と金を借りたりしなければならなかった。

 中学生の豹一は自分には許嫁があるのだと言い触らした。それによって同級クラスのもの達を羨ませ、自分に箔をつけようと思ったのである。勿論、彼はお兼が色の黒い二番目の娘を彼に妻わそうとひそかに思っていることなど知らなかった。もし知っていたら、口腐っても言わなかったであろう。自分というものが常に人から辱められ軽蔑さるべき人間であると誇張して考える癖のあった彼は、先ず何よりも自分に箔をつけなければ安心出来ないのだった。彼は周囲を見渡してみて誰も彼も頭の悪い少年たちであると分ると、ほっとするのである。しかし自分の頭の良さにはひどく自信がなかった。だから、大して苦労もせずに首席になれた時、之は何かの間違いだろうと思うのだった。クラスの者は彼の頭脳に敬服し怖れもなしていたのだが、人から敬服されるなどということは彼の与り知らぬところであったから、自分が首席である事を絶えずクラスの者たちの頭に想い浮ばせる必要があった。また自分でもしば〳〵そのことを顧る必要があった。クラスの者は彼に「首席」という綽名をつけた。いわば、首席の貫禄がないのだった。黙って居ればよかったのである。彼等はいくら頑張っても彼に追いついて行けないと分っていても、余り彼が自分に箔をつけたがるので、しまいにはそれをメッキだと思いこんでしまった。点取虫だといわれて、初めてはっと気が付くと、豹一はもう首席という綽名に芸もなくやに下って居られなくなり、自分が余り勉強もせずに首席になれたことを思いこませようとして、試験の前日には必ず新世界の第一朝日劇場に出掛けてマキノ映画を見、試験の日にそのプログラムの紙をもって来て見せるのだった。そんな彼に、最初彼の中に自信の無さから来るどこか謙遜めいたものを見ていた者も、嫌応なしに傲慢だと思わされてしまった。彼はクラスの者に憎まれた。しかし、彼の敵愾心は、クラスの者を最初から敵ときめていたから、憎まれて、かえってさば〳〵と落つく風であり、彼の美貌に眼をつけた上級の荒男が無気味な媚で近づいて来るのを見ると、かえってその愛情に報いる方法を知らぬ奇妙な困惑に陥るのだった。

 ずっと首席を続けて三年生になった。ある日の放課後、クラスの者たち全部からとりまかれ、点取虫の癖に生意気やぞと鉄拳制裁をされた。四十人のものを相手に五分ほど奮闘したが、結局鼻血が出て、闘いは終った。それから十日ほど経ち学期試験が始まった。あぶついて問題用紙に獅噛みついているクラスの者たちの顔を何と浅ましい顔だろうと思った途端、敵愾心がいきなり頭をもたげて、ぐっと胸を突き上げた。ざまを見ろと書きかけた答案を消し意気揚々と白紙のまゝで出した。王者が自ら好んで王位を捨てるような心の余裕が感じられ、ほのぼのとした喜びがあった。彼は初めて自尊心が満足されたと思った。首席にこだわったのも自尊心からではあったが、しかし、考えて見れば、そんな首席にこだわる態度こそ彼の自尊心が許さぬ筈だったのだ。しかし、彼の自尊心がもっと立派な代物であったら、少なくともその時、それを行うのにも観衆者がいるというような心の状態はいさぎよしとしなかったであろう。彼は観客の拍手を必要とする自分の芸人気質に自ら気が付いていなかったのである。観衆者はしかし白紙の答案の為に彼が落第したという事実だけしか見てくれず、彼を嗤った。彼の自尊心は簡単に傷ついてしまった。

 二度目の三年の時、教室で、ローマ字で書いた名を二つ並べ、同じ文字を消して行くという恋占いが流行った。教室の黒板が盛んに利用され、クラスの者が公然おおぴらに占っているのをけ者の豹一はつまらなく見ていたが、ふと、クラスの者の誰もが一度は水原紀代子という名を黒板に書いているということに気がついた瞬間、彼の眼が異様に輝いた。彼はクラスの者の中で最も成績の悪い男をつかまえ、相手にはまるで彼が何を訊こうとしているのか分らぬ廻りくどい調子で半時間も喋り立てた揚句、水原紀代子に関する二三の知識を得た。大軌電車沿線、樟蔭女学校の生徒であると知ったので、その日の午後の授業をサボって上本町六丁目の大軌電車構内に出掛け、彼女の帰りを待ちうけた。二時間ばかりも辛抱強く待って、やっと改札口から出て来る水原の姿を見つけることが出来た。教えられた臙脂の風呂敷包と非常に背が高くてスマートだという目印でそれと分り、何が樟蔭第一の美人だ、笑わせると思ったが、しかし大袈裟に大阪中の中学生達の憧れの的だと騒がれている点を勘定にいれて、美人だと決めることにした。一般的見解に従ったまでだったが、しかし碧く澄み切った眼は冷たく輝いていて、近眼であるのにわざと眼鏡を掛けないだけの美さはあった。二時間もしびれを切らしていたことが弾みをつけるのに役だって、つか〳〵と傍にかけ寄ると、卒爾ながら伺いますが、あなたは水原紀代子さんですか。出来るだけ勿体振った言い方をと考えあぐんだ末の言葉であったから、紀代子も瞬間呆れたが、しかしそんなことはたび〳〵ある事だから、大して顔も赧らめずに、はあと答え、そして、どうせ手紙を渡すのだったらどうぞ早くという意味を含んだ事務的な表情で彼を見た。しかし、彼は用意した言葉が続いて出て来ず、しかも意に反して、顔が真赧になっていた。こんな筈ではなかったと思うのだが、自分の今の恰好を友達に見られたら随分不様ぶざまであろうという恐怖で益々ぎこちなく真赧になってしまうのだった。沈黙の十五秒が恐ろしく永い時間に思われ、九死に一生、三十六計とばかり、別に用事はなかったんです。唯それだけです、と全くたゞそれだけがやっと言えたのを倖い、飛ぶ様に逃げてしまった。明らかに失敗であった。不良中学生にしては何と内気なと紀代子は笑ったが、彼の美貌は一寸心に止り、誰それさんならミルクホールへ連れて行って三つ五銭の回転焼饅頭を御馳走したくなる様な少年だわとニキビだらけのクラスメートの顔をちらと思い浮べた。しかし私はちがう。彼女は、来年十九才で学校を出ると直ぐに今東京帝国大学の法学部に通っている従兄と結婚することになって居り、十六の少年など十も年下に見える姉さん振りが虚栄の一つであった。だから、その翌日から三日も続けて、上本町六丁目から小橋西之町への舗道を豹一に尾行つけられると半分は五月蝿いという気持からいきなり振り向いて、何か用ですのときめつけてやる気になった。三日間尾行するより外に何一つ出来なかった弱気の為に自らを嘲っていた豹一の自尊心は、彼女からそんな態度に出られたために、奇蹟的に本来の面目をとりかえした。こゝでおど〳〵している様では俺もおしまいだと思うと眼の前がカッと血色に燃えて、用って何もありません、唯歩いているだけです。その呶鳴る様な調子が紀代子の胸にぐっと来て、うろ〳〵しないで早く帰りなさい。その調子をはねとばす様に豹一は勝手なお世話です。子供の癖に、といったが巧い言葉が出ず紀代子は、教護聯盟の人にいいますよとその頃校外に於ける中等学生を取締まる怖い人を持ち出した。いいなさい。強情ね、一体何の用? 用なんてないと言ってまんがな、分らん人やな。大阪弁が出たので、紀代子はちらと微笑し、用がないのに尾行〔つけ〕るの不良よ、もう尾行たりしないでね、学校どこ? 帽子みれば分りまっしゃろ。あんたの学校の校長さん知ってるわよ。そんならいいつけたらよろしいがな。いいつけるわよ、本当に知ってんのよ、柴田さんて人でしょう。スッポンいう綽名や。いつの間にか並んで歩き出していた。家の近くまで来ると、紀代子はさよなら今度尾行たら承知せえへんしと言い、そして別れた。

 先ず成功であったといえる筈だのに、別れ際の承知せえへんしという命令的な調子に苦もなくたゝきつけられてしまった。失敗だと思った。しかし失敗ほどこの男をいきり立たせるものはないのだ。翌日は、非常な意気込みで紀代子の帰りを待ちうけた。前日の軽はずみを些か後悔していなくもなかった紀代子は、もう今日は相手にすまいと思ったが、しかし今日こそ極付けてやろうと思う心に負けてしまった。そして、結局、昨日に比べてはるかに豹一の傲慢にあきれかえった。彼女の傲慢さの上を行くほどであったが、しかし彼女は、余裕釈々たるものがあった。彼女は豹一の眼が絶えず敏感に表情を変えることや理由もなくぱっと赧くなることから察して、いくら傲慢を装っていても、もと〳〵彼は内気な少年なんだと見抜いていた。文学趣味のある紀代子は豹一の真赧に染められた頬をみて、この少年は私の反撥心を憎悪に進む一歩手前で喰いとめる為にしば〳〵可愛い花火を打ちあげると思った。そして、また、この少年は私を愛していると考えた。それをこの少年から告白させるのは面白いと思ったので、彼女はその翌日、例の如く並んで歩いた時、あんたは私が好きでしょう? ときいた。嫌いだったら一緒に歩いたりしないかも知れませんねという返事に、してやられた想いで、もう一度、そんな言い方ってあるの、嫌い、それとも好き? 好きでしょう? とはっきり言わさねば承知出来ないと意気ごんだ。好きでもないのに好きだと思われるのは癪だと思っていた豹一は返答に困った。しかし嫌いだというのはぶちこわしだ。そう思ったので、「好き」ですと、好きという言葉をカッコの中にいれたつもりで答えた。それで初めて紀代子は彼を一寸だけ好きになるという気持を自分に許した。

 そして一週間経ったある日、千日前楽天地の地下室で、八十二才の高齢で死んだという讃岐国某尼寺の尼僧のミイラが女性の特徴たる乳房ならびに性器の痕跡歴然たり、教育の参考資料と宣伝されて見世物になっているのを、豹一はひそかに抱いていた性的なものへの嫌悪に逆に作用されて捨鉢な好奇心から見に行き、そして案の条、自分を虐めつけるいやな気持を味わされて楽天地から出て来た途端、思いがけなくぱったり紀代子に出くわしてしまった。心に穴があいてしまった様にしょげていたところへ意外な出合いであり、まごついてしまったが、ふと今自分が変な好奇心からミイラなどを見て来たのだということに気がつき、之は彼女の軽蔑に価すると、みる〳〵赧くなった。しかも赧くなったために一層恥しい想いがした。近眼の紀代子は豹一らしい姿に気がつくと、それを確めようと眉のつけ根を引き寄せ、眼を細めていた。そんな表情が、まるで彼が楽天地の地下室から出て来たことをとがめて眉をひそめている様に豹一には思われて、すっかりあがってしまい、こんな恥しいところを見られるのならいっそ地震でもおこって彼女が外のことに気をとられて呉れゝばいゝのにと思った。常にもあらずどうかしたのではないかと思われる程恐しく赧くなっている彼を見ると、紀代子はかえって自分の方が照れて、早くその顔色が普通になってくれたらと思う位であったが、しかし恥しがっている彼をじっと見てやれという一寸残酷な気持が心の奥底にあって、思わずニヤリとしてしまい、一言もいわずに彼の可愛い花火を下眼づかいにじっと見つめた。胃腸のわるい紀代子はしば〳〵下唇をなめる癖があるのだが、その時も勿論なめていた。豹一は物も言わずにいきなりパッとかけ出し、逃げ去ってしまった。紀代子はあっけにとられた。あんな恥しいところを見られたので、自分は嫌われたと思いこんでしまうと、もう豹一は紀代子に会う勇気を失ってしまった。彼が二三日顔も見せないので、彼女は何か物足らぬ気持であったが、それが一週間も続くと、あんなに仲善くしていたのに、ひょっとしたら自分は嫌われたのではなかろうかと思い出した。そして、十日も経つと、もう彼女は自分が明らかに彼を好いているということを否定することが出来なかった。だから十三日目に、やっと上本町六丁目で彼の姿を見つけると、ほっとしてひどくいそ〳〵としてしまった。しかし、豹一の方では彼女に会うつもりではなかったのだ。偶然に出くわしたので、もう顔を合わすのすら恥しいと思っていた彼はいきなり逃げ出そうとした。途端に早くも自尊心が蛇の様に頭をあげ、逃げ出そうとする足にからみついた。あんな恥しいところを見せたのだから名誉を恢復しなければならない。豹一は辛くも立止り、そしていやに他所々々しくした。冷淡な彼の態度を見ると、彼女は矢張り嫌われていたのかと思い、そのため一層彼を好いてしまった。それで、その日の別れ際、明日の夕方生国魂神社の境内で会おうと断られやしないかと内心びく〳〵しながら豹一がいい出すと、まるでそれを待っていたかの様にいそ〳〵と承諾し、そして約束の時間より半時間も早く出掛けて彼を待った。

 君恋し唇合わせねど、涙はあふれて想いは果てなしというその頃流行していた唄からの思いつきで、豹一は、その夕方、簡単に紀代子に接吻をした。一寸した自尊心の満足があったが、紀代子が拒みもせずに、彼の背中にまわした手に力をいれてぐい〳〵と胸を押しつけて来るのを感ずると、だしぬけに気が変った。何かいやなものを感じたのである。いきなり彼女の体を押しのけ、そのまゝ物も言わずに立去った。紀代子は綿々たる情を書きつらねた手紙を豹一に送った。豹一はそれを学校へ持参し、クラスの者に見せた。既に豹一と水原紀代子の事を薄々感づいていた者もそんな豹一には、偽の手紙やろ、お前が書いたんとちがうかと言わざるを得なかった。豹一はクラスの者がひそかに出した恋文を紀代子から奪いとって、それを教室で朗読した。それで鉄拳制裁をうけ、そしてそのことが教師に知れて諭旨退学を命ぜられた。

 お君は何とも言わなかったが、安二郎は彼を嘲笑した。お兼は執拗にのゝしった。娘をくれたろうと思てたのに、ほんまに愛想がつきてしまった、碌でなしの不良バラケツといわれて豹一の眼は光った。一週間後に、もう夕陽丘女学校の四年生になっていた鼻の頭の赤いお兼の長女が豹一に乱暴な接吻をされて、十日余り、ぽうとした気持になっていた。

 お君の眼のまわりに皺が目立って来た。それをみると、豹一の心は痛んだ。退学処分になったばかりに母親の肩身が急にせまくなったと思うのである。そう思うと、女工の様に働かされてばかりいるお君の姿が改めて痛々しく見直されて来るのだった。安二郎は既に一万円近くの金を貯めた、馴染の女郎を身請けしてかこってしまうと、彼の放蕩は急に昇格して芸者遊びになり、そしてハイカラ振ってその頃道頓堀に出来た大阪名物カフェ美人座にもしげ〳〵と通った。家で泊ることも少く、そんな彼を見て、近頃雇われて来た森田は、御寮さんもお気の毒や、それじゃ何ですな夫婦関係もときわどい話まで持ち出してお君に同情した。お君はたゞ、男なんて仕様がありまへんなと笑うだけであったが、その笑いにどこか力の抜けたものがあると思った豹一は、不平一ついわないお君の心にまで立入って考え、何か自分の責任を感じるのだった。電球の口金についたガラス棒を釜にいれて焼き、それを挽臼で引いて粉にし、そこから白金を分離するという仕事を豹一もやらされていたが、真赤になったガラス棒をガリ〳〵と挽臼でひく時、自分の心が噛みくだかれる様に感じられた。

 暇をみて勉強し、十八の時専検にパスし、京都の三高の入学試験をうけると訳もなく合格した。見直したお兼は、安二郎を説得して、彼を三高の寄宿舎にいれた。しかし一学期もすまぬ間に、彼は自ら進んで退学届を出した。学資の苦面に弱っているお君の姿を見るに堪えなかったのである。三ヶ月の京都での生活中、彼は屡々応援団の者に撲られ、与太者と喧嘩し、そして数人の女を彼の表現に従えば「もの」にした。紀念祭の時、裸の体に赤いふんどしを緊め、デカンショ〳〵と観衆の拍手を計算にいれた所謂無邪気さで踊る寄宿生の群には何故か加わる気がせず、絶えず観衆の拍手が必要な筈の自分がそれを嫌悪するという心の矛盾は、その時その踊りに憧憬の眼を注いでいると見えた三人の女専の生徒を同時にものにする離れ業によって解決されると思った。応援団の者になぐられたことが彼を勇気づけた。五月二日、五月三日、五月四日と紀念祭あけの三日、同じ円山公園の桜の木の下で、その美貌の順によって女専の生徒を次々と接吻した。簡単にものにされる女たちを内心さげすんでいたが、しかし最後の三日目もやはり自信の無さで体が震えていた。芸もなく自尊心の満足に調子が乗り、唄ってくれといわれて、紅燃ゆる丘の花と校歌をうたったのだが、ふと母親のことが頭に浮ぶと涙が流れた。そんな彼を見て女は彼の手を自分の懐にいれて、センチメンタルなのね。彼はうっとりともしなかった。次々と女をものにしたが、しかし豹一は頑強に体を濡らさなかった。

 学校を止して家に戻ると、元通りに働かされた。学校止めるときいて、止めんでもえゝのに、そやけどお前が止めよ思うんやったらそないしたらえゝとお君は依然としてお君であったが、ある日、彼女に警察から呼び出し状が来、出頭すると、そのまゝ三日も帰って来なかった。何のための留置か分らなかったが、三日目に戻されて来たお君の話で豹一には事情が分った。その頃、安二郎は廃球以外に新品の電球も扱っていて、電球工場から仕入れたのを地方の会社や劇場に納入する一種の仲買いの様なことをしていたが、時々刺青がまんのたあやんと称する男が、五百個千個と電球を売りつけに来るのを安い値で買いとっていた。刺青がまんのたあやんが窃盗罪で警察の手に捕えられ、その事件に関聯した故買の嫌疑であった。盗んだ品と知って買ったか知らずに買ったかと調べられた訳だが、さあ怪しいとは思ていましたがといったお君の言葉がひっかゝったのである。罰金やと安二郎はにがり切ってお君の答弁振りをのゝしったが、豹一はふと、故買の嫌疑ならお君よりむしろ安二郎に掛かるのが当然であったと疑い、調べてみると古物商の届けはお君の名儀になっていたのだった。豹一は、それに何か安二郎のからくりがあると安二郎に喰って掛った。母親が身代りに留置されたのだという豹一の言い分に、安二郎は、生意気いうな、俺が警察に行くのもお君が行くのも同じや、夫婦は一心同体や。そうですか、じゃあもっと夫婦らしくと豹一が言い出すと、わいに文句あるなら出て行け。

 母親も一緒にと思ったが、豹一は、一人で家を飛び出してしまった。出て行きしな、自分の力で養えるようになったらきっと母を連れに来ますと雇人の森田に後のことを頼んだ。森田の度を過ぎた母への同情振りはかね〴〵苦々しかったが、さすがにその時はくれ〴〵も頼みますと頭を下げた。便所でポロ〳〵と涙をこぼし、そして涙を拭きとると、泣いて止めるお君を振り切って家を飛び出し、その足で職業紹介所に行った。家出した男にうまい仕事がある筈はなし、丸金醤油運搬用貨物船の火夫の口ならあるといわれ、四国の小豆島に渡った。成るにこと欠いて、火夫などになったのは、築港で寂しく時を過していた少年の海への郷愁からであったろうか。しかし、荒くれ者の船長おやかたが彼の哀れな腕を嗤っただけあって、船の仕事は辛かった。小豆島と高松を往復する一〇〇〔トン〕足らずのボロ汽船であったが、彼の石炭のいれ方がちゃちだから船が進まんと、かまの前でへっぴり腰を蹴り飛ばされた。もう一人いる火夫は船長おやかたたちとバクチばかししていた。そのバクチの仲間に無理矢理にいれられて、お君に貰ったなけなしの二十円を捲きあげられその上船長おやかたに十円の借りが出来た。漬物と冷飯だけのひどい夕飯を情なくたべながら、「脱走」ときめた。二日経った夜、高松の港につくと豹一は船員たちと一緒に女を買いに行くのだと船長おやかたに五円借りた。それを大阪への旅費にし、勿論バクチの借りは踏倒すつもりだった。焼け出された様な火夫の服のまゝではいくら何でも帰れないと、家を飛び出す時に着ていた着物を新聞紙に包み、何喰ぬ顔で船から降りようとすると船長おやかたが怪しんでそいつは何だ。着物と分り、ちょく〳〵あることだがまさか、といい掛けるのを、着物きて行かんとプロセチュートに持てないでしょう。プロセってなんじゃ。英語で女のことです。お前なか〳〵インテリじゃな。うまく信用されて、船を降りると、その足で連絡船乗場にかけつけた。

 汽車の中では大阪につくと直ぐ家に戻るつもりであったが、しかし、駅に着いて、いきなり大阪弁をきくと何故かもうそんな弱気がなくなってしまった。駅で買った新聞の広告を見て、霞町ガレージの円タク助手に雇われた。一日に十三時間も乗りまわすのでふら〳〵に疲れ、時々目が眩んだ。ある日、手を挙げていた客の姿に気付かなかったと運転手に撲られた。翌日、運転手が通いつめていた新世界の「バー紅雀」の女給品子は豹一のものになった。勿論ものになったという言葉には豹一的な限界がある。品子が借りていた住吉町の姫松アパートの一室で泊ることになり、乳房にまでコールドクリームの匂いをさせている品子の体を抱くことは抱いたが、ふと、遠くに聞える支那ソバ屋のチャルメラの音に思いがけない感傷を強いられると、収っていた母の想出が狂暴に働いて、だしぬけに気が変った。燃えていた品子には不思議なほどにわかに男らしくなくなるのであった。照れてるのかしら、と思われても仕方のないところもあったが、しかし照れさせない品子の技巧に飽くまで抗った本根のところは、自分にも説明出来ない何かであった。

 運転手に虐待されても相変らず働いていたのは品子をものにしたという勝利感からであったが、ある夜更け客を送って飛田遊廓の巴里楼まで行くと、運転手は、如何や一丁遊んで行こうか、こゝは飛田びた一のうちやで。どうせ朝まで客は拾えないし、それにその日雨天のため花火は揚らなかったが、飛田遊廓創立二十周年記念日のことであるし、何んぞえゝことあるやろと登楼をすゝめた。勿論断ったが、十八にも成ってと嘲けられたのがぐっと胸に来て登楼あがった。けちけちしなはんな、どうせこゝは金がかたきやと遣手婆にいわれて、財布ぐるみ投げ出し、おまけにポケットにはいっていた銅貨まで一枚二枚と勘定しながら、渡した。哀れな自己陶酔と自ら嘲った気持には、円タク助手などしていていつに成ったら母親を迎えに行けるかという自責が働いていた。長崎県五島の故郷へ出すおんなの手紙を代筆してやりながら、何故なぜこんな所へ来た? 親のため、そやけどこんな所とは思わなかったわ。知ってたら来なかった? 返答はなく、尚も、最初はどんな風に感じた? 顔を袂でかくしていた? 残酷な質問であり、そして一口に言えば人相のわるい歪められた顔付であった。雇人の話で辱しめられたお君の姿が頭にこびりつき、安二郎を動物と思う捨鉢な憤怒が燃えているためであったか。今はどんな風に思ってる? 習慣だわ、皆んな金のため。一種の労働か? そう。そうか、金に換算されるのか、大したこっちゃないと何か救われて、一筋に思いつめていた事大観念めと重荷がとれる想いがした。女の体と楽天地のミイラを比較してみて、いろはにほへど散りぬるをと何もかもしゃらくさい気持になった。性的なものへの嫌悪に余りに憑かれていた自分が阿呆らしく見えた。男も女も同じだ、何故なら男だけではと思い付き、真理は平凡なりと呵々大笑した。しかし、そんな風に割り切れるところに豹一の浅墓さがあった。妓の要求に笑いながら応じたが、しかし妓は何故か豹一に激しく燃えて、豹一の感覚は折角割り切れた観念を苦もなく蹴飛してしまった。窓の下を走る車のヘッドライトが暗闇の天井を一瞬明るく染めたのを、慟哭の想いにかられて見ていた。あっさりと物ごとを考えられないのが彼の欠点であった。たった今見たことがもう彼には一生涯忘れ得ぬ記憶になってしまったのである。左様な事柄には破戒僧の敬虔さを以て臨むのが賢明であるのに。

 如何なる心の矛盾からか豹一はその後、巴里楼にしげ〳〵と通った。随分苦面もして通うのであるから、勿論酔興ではなかったが、しかし何故通うのか自分の心を覗いて見ても分らなかった。惚れているという単純な言葉が仲々思いつかなかった。思いついても、何故惚れてるのかと突きつめて考えてみなくては気に済まぬ性質であった。嫌悪しているものに逆に心を動かされるという自虐のからくりには気がつかなかった。ある朝、妓が彼の為に林檎をむいている姿を見て、胸が温った。無器用な彼は林檎一つむけず、そんな妓の姿を見て簡単に夫婦約束をなし、年期明けたら夫婦になろうと誓言をとりかわした。妓は彼女が最初客をとった時の事を何度もくどく繰り返してきく時の彼の恐しいほど蒼ざめた表情に本能的な憎悪を覚えていたが、しば〳〵はにかんでぽうっと赧くなる時の彼に子供をみて、好ましく思っていた。彼女は、彼を、彼女の表現に従えば、どんな情の薄い女でも一度知ったら決っして想い切れないという男に仕上げてしまった。

 しかし、妓は二月ばかり経つと疳つりの半という博奕打ちに落籍ひかされてしまった。豹一は、妓の白い胸にあるホクロ一つにまで愛惜を感じる想いで、初めて嫉妬を覚えた。そして彼の自尊心の強さは、嫉妬する状態を恥じいりながら、しかも逆に嫉妬する情を益々募らせた。博奕打ちに負けたと思うのである。疳つりの半は名前の如く、絶えず疳がおこって体を痙攣させている男だときかされ、妓の体とその男と並べて考えてみると豹一の血は狂暴に燃えた。不良少年たちと喧嘩をする日が多くなった。そして博奕打に特有の商人コートに草履ばきという服装みなりの男を見ると、いきなりドンと突き当り、相手が彼の痩せた体をなめて掛かって来ると、鼻血が出るまで闘った。

 ある日、そんな喧嘩の時、胸を突かれて、ゲッと血を吐いた。汽船の火夫をしていた頃から時々弱い咳をしていたが、あれからもう三月、右肺尖カタル肺浸潤、ラッセルありと医者が簡単に決めてしまったほど、体を悪くしてしまっていた。ガレッジの二階で臥床していたが、肺と知って雇主も困り、家に知らせたら如何や。待っていましたとばかり雇主の言葉を口実にお君に手紙を書いた。不甲斐ない人間と笑って下さい。どうせ今まで何一つ立派な事もして来なかった体、死んでお詫びしたくとも、矢張り死ぬまで一どお眼に掛りたく。弱気な文句と自嘲しながら書いた。早速お君が飛んで来ると思ったのに、手紙が速達で来た。裏書が毛利きみとなって居り野瀬きみでないのに、はっと胸がつかれた。行きたいけれど行けぬ。お前に会わす顔のない母です。恨んでくれるな。腑に落ち兼ねる手紙であった。何かあると心配だったが、それよりも先ず母は変ったとどきんと胸に来た。手紙と一足違いに、意外にも安二郎が迎えに来た。

 お君は変った。まるで生れ変ってしまった三十六歳の一人の女に、安二郎はいきなり出喰わした感じであった。彼が今迄何一つ自分の自由にならないものはないと思っていた女が、今は如何にしても自由にすることの出来ない一つのものをもってしまった。お君は自分の心をもったのである。

 豹一が家出した時お君は初めて自己というものに眼覚めた。そしてその自己は豹一に〔つらな〕る自己であった。豹ぼんが可哀そうだと思いませんか御寮ごりょうさんが余りお人善しやからですと森田にいわれて、はっと眼が覚める想いだった。豹一の身の上を案ずることで自分の身の上を考えた。最近安二郎は貰い子をすることになっていた。馬鹿らしいやおまへんか、野瀬の身代は大将一人で作ったんやおまへん、御寮さんの働きで半分は作られたんです、女房が一人で寝て亭主が外で泊って来るなんて、一体夫婦といえますかと言われて一々思い当る気がした。豹ぼんのためにももう少し自分を主張せんといけませんよといわれると、ぐっと胸にこたえた。豹一と一緒に何故なんで飛出さなかったんやろというと森田は何か狼狽して、いや飛出さんでもえゝのです、それよか豹ぼんの為に。だが森田は結局は自分の為にお君を慰めていたのである。森田はお君を犯した。巧く立ち廻ったと思ったが、しかし、もはやお君にとってはそれは生理よりもむしろ心理的なものであった。安二郎に知れて、罵倒され打たれて傷だらけになりながら、安二郎の顔に冷やかな眼を据えるのだった。安二郎の顔に懊悩の色が濃く刻まれて行くのを、しげ〴〵と見つめるのである。勿論森田は追い出された。しかし森田のねっとりと油の浮いた様な顔は安二郎の頭を絶えず襲って来るのだった。安二郎は初めてお君を女と見た。自分の背後姿をじっと穴のあく程見つめている安二郎を感ずるとお君は、自分にも背後姿があったのだと何か充実感を覚えるのだった。恥をさらす様なものだったが、安二郎は兄の守蔵とお兼に事の次第を話して、如何どないしましょう。追い出す気はないのであった。守蔵はお兼に万事一任した。お兼は、先ず、お君を追い出す様な処置は残酷だと主張することによって守蔵に対する自分の位置を権威づけ、そして娘の縁談を想って、安二郎の家風に傷がつかぬ様に、事穏便に秘密にしてしまわねばならぬと意見を述べた。安二郎はお兼の意見に従うことを良しとした。何よりも先ず、四十過ぎて妻に裏切られた男の醜態を人眼にさらしてはならないのだった。彼の嫉妬は陰に籠った。悋気〔りんき〕といういまわしい言葉に絶えずおびやかされながら、ひそ〳〵声でお君をのゝしるのだった。しかも何たる事か、それとなくお君の機嫌をとり、着物など見立てゝ買って来たりするのだった。お君が鏡台の前で着付けするのを傍で見ながら、安二郎は思いつく限りの嫌味な言葉を苦々しくだら〴〵と吐きかける。お君は鏡の中でちらりと笑う。心が軽いのだった。安二郎は打ちのめされた気持がした。だから、今度のことは豹一の出世の妨げになるやろという一言がお君の虚をつくという意外な効果をもたらしたことにふと気付くと、専ら豹一を持ち出した。初めてお君の顔に皺が刻みこまれた。彼女は見る〳〵顔の艶を失って行った。森田から手紙が来たのを横取りした安二郎は消印が大阪市内だと知って、恐しく狼狽した。黙って居れば良いのに、手紙が来たぞと嫌味をいい、そして、お君が返事を出さないかと心配するのだった。自分の留守中に返事書くだろうと思うと外出もせず、勿論お君の外出も禁止した。いくら何でも風呂だけはと銭湯に出掛けて行くのにもこっそり後を尾行け、自宅に風呂場を作らねばならぬと思った。


 意外な安二郎の迎えを豹一は不審あやしんだが、実はお前の母親のことやがとわざとお君とも女房ともいわずに喋り出した安二郎の話をきくと、事情が分った。十八の豹一をつかまえて、洗いざらい恥さらししなければならぬ自分を安二郎はさすがに情なく思い、つとめて平静を装うのだったが、既に豹一は安二郎の苦悩が隅々まで読みとれる男になっていた。実はお前の居所を知り度うてな、新聞広告出してたんえへんかったかといい、家に戻ってお君を監視してくれと頼む安二郎を、ざまあ見ろと思ったが、しかし、そんな安二郎を見るにつけ、巴里楼の妓に嫉妬した自分の姿を想い知らされる豹一は、初めて安二郎に親しみを覚えた。思わぬ豹一に同情されて安二郎は豹一が病気で無ければ一緒に酒をのみたい位の気持を芸もなく味わされ、意外な父子の対面であった。

 しかし母子の四ヶ月振りの対面はもっと微妙を極めていた。火夫になり円タク助手をやったときかされたお君は紙の様に蒼白い豹一の顔を見ると、身を切られる様な自責を感じ、皆んな自分が悪かった、どうぞあての軽はずみを嗤ってくれと泣いた。肩身のせまい想いをしたらいけませんよ、母さんが悪いんじゃない、父さんが悪かったのだと豹一は慰めたが、どうして母親を責められようかという気持から、女の生理の脆さへの同情が湧いて来た。そして、それが、妓への嫉妬から脱れる唯一の血路だと思うのだった。しかし、安二郎に同情を感ずる時の彼は妓の肉体に対するいまわしい想い出と嫉妬を狂暴に強いられ、そんな矛盾に日夜懊悩した。血路は要するに血路であった。それを切りひらくためには自ら傷つかなければならないのだ。嫉妬は彼に女の問題を絶えず考えさしたが、しかし生理という狭い小径のみを逍遙うていた彼には、何の救いもあり得なかった。

 ガレッジの二階で寝ていた頃とはすっかり養生の状態が変った。お君は自分の総てを賭けるかの様に豹一の看病に熱中した。自分をつまらぬ者に決めていた彼は、放浪の四ヶ月を振りかえって見てそんな母の愛情が身に余りすぎると思い、涙脆く、済まない〳〵とひそかに合掌した。しかし、何も済まんことあれへん、この家でお前が遠慮気兼せんならんことはない、当り前やという母の言葉に、余りにも謙譲であった以前の母とまるで違ったものを感じ、眼を閉じて、そんな言葉を痛くきいていた。お君はもう笑い声を立てることもなくなっていた。お君の関心が豹一にすっかり移ってしまったので、豹一の病気を本能的に恐怖していた安二郎も公然とはいやな顔をしなかった。

 しかし豹一は二月も寝ていなかった。絶えず自分の存在を何ものかで支えて居らねば気の済まない彼には、無為徒食の臥床生活がたまらなく情無かった。母親の愛情にのみ支えられて生きているのは、何か生の義務に反くと思うのだった。妓に裏切られた時に徹底的に傷ついた自尊心の悩みが彼を駆り立てた。いきなり床を出て働くといい出し、止められると、そのまゝ外に出た。生国魂神社の裏を抜け、坂道を降りて千日前に出た。珍しく霧の深い夜で、盛り場の灯が空に赤く染まっていた。千日前から法善寺境内にはいると、そこはまるで地面がずり落ちた様に薄暗く境内にある祠の献納提灯や灯明の明りが寝とぼけた様に揺れていた。そこを出ると、妓楼が軒をならべている芝居裏の横丁であったが、何か胸に痛い様な薄暗さと思われた。前方に光が眩しく横に流れていて、心斎橋筋である。その光りの流れは、こちらへも又、向うの横丁へも流れて行かず、筧をながれる水がそのまゝ氷結してしまった様である。その為のこの横丁の暗さであったか、何か暗澹とした気持で、光りを避けて引きかえしたが、しかし、又、明るい通りに出てしまった。道頓堀筋、そこのキャバレエ赤玉の前を通ると、アジャーアジャーと訳の分らぬ唄声、そして途端に流れる打楽器とマラカスのチャイナルンバ。女性の肢態の動きを想わせる軽薄なテンポに咄嗟に、巴里楼の広間で白いイヴニングをきて客と踊っていた妓の顔を想い出し、カッと唇をかみしめながらキャバレエの中にはいった。テーブルへ来たホワイトローズの甘い匂いをさせているおっとりとした女が十九ときいてあきれかえって眼をしばたいているのには眼もくれず、隣のテーブルで、どう考えても一調子高すぎると思われる下手な東京弁で大学生が口説くのを、腕組みしながらフン〳〵ときいている額のひろい冷い感じの女にじっと眼を注いでいた。気付いて、銀糸のはいった黒地の御召を著しく抜衣紋しているその女がすらりとした長身を起して、傍に来たが、ぱっと赧くなった切りで、物を言おうとすると、体が震えた。呆れるほど自信のないおど〴〵した表情と、若い年齢で女を知りつくしている凄みとをたゝえた睫毛の長い眼で、じっと見据えていた。その夜、赤玉がカンバンになると、女と一緒に千日前の寿司捨で寿司をたべ、そして、五十銭ギザイチで行けと交渉した車で萩之茶屋の女のアパートへ行った。女が赤玉のナンバーワンということで自尊心の満足があったが、しかし養ってやるから一緒に暮そうといわれ、本当か、俺の様なものが好きだとは何かの間違いじゃないか。好きやから仕方ないわ。巴里楼の妓に仕込まれた技巧が女を惚れさしたのだと豹一は思った。そう思うことによって豹一は自らをさげすみ、又、女をさげすんだ。

 三日経つと再び喀血した。重態ときかされ、自分の過去を振りかえって見た。絶えず自分の存在をたしかめて来た筈だったのに、何かそこにぽかんと穴のあいてる様な気がした。ひどく自分に自信がなくなり忘れていた筈のいろんな女の顔を想った。弱気を嗤いながら、円山公園で最後に接吻した女専の生徒に手紙を出した。妹でございます、姉伊都子ことは昨年の暮ふとした病気にかゝり、十二月二十日夜永遠にかえらぬ旅に立ってしまいました。姉の日記によりあなた様のことを知りました。生前何くれと姉がお世話さまでした。今後とも宜しくいたらぬ私を御指導下さいませ、妹冴子より。そんな手紙が来た。死んだのか、十二月二十日に俺は何をしていたのかなと思い、その手紙を握りしめて死んで行こうと、ふと感傷的になった。豹一にも感傷の秋があったのだ。木犀の花が匂う頃死ぬと決めていたのに危く助かった。

 散歩が出来る様になり、ある雪の日、浮かぬ顔で心斎橋を歩いていると、意外な男に会った。三高時代寄宿舎の同じ部屋にいた小田という男であった。どうだ、この頃も盛にやってる? 大丸横のヴィナスという喫茶店に落つくと小田は煙草のヤニで黄色くなった指を突き出して、そう言った。なに、メッチェンの事さ、当時病身故慎しんでるのか、胸が悪い? 石油のめ。死のうと思っていたんだがというと、失恋? あわれむ様な小田の顔にはきかける様に女なんて自分の思う様になるよ。自分でも信じていない言葉を言ってしまった。小田に挑まれて、大阪劇場地下室で将棋をさし、花田八段的攻撃と称する小田に翻弄されて、ぺしゃんこになった。女と将棋とは違うからねという小田の毒舌に、よし、じゃあ賭をしよう、一週間以内に女をものにしてみせると思わず言ってしまった。喫茶店ロスアンゼルスの友子という少女と決めて、そして、ぽかんと穴のあいてしまった様な自分が賭けに勝つことによって充実されるだろうという愚かしい希望を抱いて、ロスアンゼルスに通った。二日目の白昼、活動へ連れて行った友子にいきなり、ホテルへ行こう。承諾させ、ホテルへ行く前に不二屋でランチをたべた。そして、運ばれた皿に手をつけず、ナフキンをこな〴〵に千切っては捨て千切っては捨てしている女の震え勝ちな手を残酷な気持でじっと見つめ、そして自らを虐めつけていた。

 半年経ち、ひょっくり友子に会った。妊娠しているときかされ、はっとした。恨んでもいない事に胸をつかれた。豹一は友子と結婚した。そして、家の近くに二階借りをした。安二郎の仕事を手伝い、月給をもらうことになった。小田にいわれた石油のことを思い、本当にきくのかと医者にきいた。その年の秋、友子は男の子を産んだ。名前は豹吉とつけようと友子がいったが、彼は平凡に太郎とつけ、皆んなに笑われた。分娩の一瞬、豹一は今まで嫌悪していたものがこのことに連がるのかと何か救われるように思った。その日、産声が空に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしと〳〵と雨が降り続いた。六畳の部屋一杯お襁褓〔むつ〕が万国旗の様に乾された。お君はしげ〴〵と豹一の所にやって来た。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父となった豹一と、三十八歳で孫をもったお君は朗らかに笑い合った。安二郎から帰って来いと迎えが来ると、お君は、また来まっさ、さよならと友子に言って、雨の中を帰って行く。一雨一雨冬に近づく秋の雨がお君の傘の上を軽く敲いた。

底本:「俗臭 織田作之助[初出]作品集」インパクト出版会

   2011(平成23)年520日第1刷発行

底本の親本:「海風 第四巻二号」

   1938(昭和13)年11

初出:「海風 第四巻二号」

   1938(昭和13)年11

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:kompass

校正:小林繁雄

2012年326日作成

青空文庫作成ファイル:

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