とかげ
室生犀星
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わたしの今住んでいるところは、川原につづいた貸家で庭には樹も草もない。眩しい日かげに打たれた砂利ばかりである。だから滅多に庭へは出ない。ただよくとかげが這うている。飴色の肌をしているのと、虹のような色をしているのとが、まぶしい日光の中を這い出しながら、低い蚊や蠅の飛ぶのを見ている。──暑い日には少しばかりの雑草のかげから、三角形の口を少し上向きにして、凝然として何かを狙っている。が、別に蚊も蠅も飛んでいるわけではない。かれは唯待ち伏せをしているだけである。ちょっとした物音にも直ぐ頭を曲げて物音のする方へ向ける。……眼も一しょに動く。あぶらのように柔らかいからだが砂利の間にたらりと零れると、すぐ這い出して行くのである。そしては又立ち停って眩しい夏の日光の中にうずくまっている。
わたしは始め二三疋くらいだろうと思っていたが、ところどころの石垣の間から出るのを交ぜると十疋くらいは居ると思った。かれらは二疋ずつ追いかけ合ったりして、庭先きの森閑とした昼過ぎに、寂しい忌み嫌いされるその姿を現わした。わたしは五六寸もあるかれらの奇体な原始的な姿を庭の内に見出すことが、何となく可愛らしく思われた。手と足で砂利の上を這うている頓馬で其の癖素早い姿が、木彫か何かの古くさいもののように珍らしかったからである。
明るい日光というものは、また夏の午後過ぎというものは余りに明るすぎて、しんとして物寂しいものである。深夜などと違った物静かさで、かげなども極く短い真昼には、心をしずめていると何か啜り泣きをしているように思われるくらいだ。人間はそんなときに睡たくなるものだ。人間が睡たくなるというのは、よくよく考えると日光が真上に赫いて樹のかげが縮まっているような姿に似ている。──そんなときに、わたしはまた明るい暑い庭さきに立って何か考えている。そして眼の前にはとかげが三四疋這うていて、あぶらのように美しい肌を白い砂利の間に跼ませている。何の音もない!
「とかげの尾を切っておやりなさい。ぴくぴく動くやつを切っておやりなさい。」
そうわたしの頭脳の中で、ひと声がした。見れば尖端ほど細まり鋭くなったとかげの尾が、礫を一とまわりして、寂しく空を向いてはねている。──ふむ、こいつを一つ切ってやろう。わたしの心は瞬時にして悲壮な画面を描くために、やや睡気ざましをそぞろに感じた。わたしは竹切れをさがした。その尖端をナイフで掠め、ナイフと同じいくらいの鋭い刃拵えをした。指頭にさわると西洋剃刀くらいの刃あたりが麗朗として感じられた。──わたしはこれでいいと呟いた。これなればあいつの尾くらい切れるだろうと思った。早くおやり、誰かがそう言う。振りかえると庭のすみの方に下婢が黙って張物している。うしろ向きになって絹裏を板の上で湿らせ、指さきで練っている。日かげで下婢の顔が赤く恐ろしくなって見える。……
「何時か?──」
わたしは下婢にそう声をかけた。寂寞がわたしをそう呼ばしたのではなく、ただ、何気なく、言わば心にもないことを尋ねたのである。
「何時でございますか知ら? 見てまいりましょうか。」
「いや。」
ちょっと考えて「二時ころだろうね。」と言った。
「まだ郵便がこないところから見ますと、二時ちょっと廻ったくらいでございましょうね。」
わたしはその時に棒切れをとかげの尾にさわらせようとしながら、ぐいと力をこめ、砂利に棒切れの突っ立つ音をきいたが、
「そんなものだろう。──」
と言った。てれているのだわたしは? が、とかげは一寸くらいのちぎれた尾を置いて、からだの拍子をとりにくそうに逃げた。きれた尾がきりきり舞いながらこまかい砂を動かして、うずを巻いて、これは何という明るい眩しい日になったろうと思うた。石垣の穴に尾を奪られたとかげのかげが消え、紫色にかげった石の穴が冷やりとして見えた。切られた尾はこれも一疋の虫のようにきりきり舞いしているのが、だんだん力が弱くなりばたりと砂の上に舞わずに落ちてしまった。そして思い出したように少しずつ動いた。二分くらい経ったろうか、こんどは少しも動かなくなった。わたしはまた棒切れをその尾に当てた。すると棒切れがさわると始めて吃驚したように又蠢めいた。ふしぎな生きものだと思った。それから五分の後にもわたしは棒切れをさわらせたが、もう動くことがなかった。そこには一杯の蟻が行列をつくって、不意の祝祭のうたげのうたをうたっていた。
わたしは棒切れを捨てて、日かげで或る考えに思いついた。それはわたしの国ではとかげというものの尾が切れやすいのは、敵に遭うたときにその尾だけを残して逃げるように出来ていることや、一たん斬られた尾はきっと又継いで行って了うということ、それゆえ尾は小さい節のようなものから組立てられていることなどをわたしは年寄りから聞いていた。だから子供であったわたしは人気のないときに、きっととかげが自分で自分の尾をこっそり継いでゆくことを、何よりも固く信じていた。それがどういうふうに継ぐのだかは知らなかった。
「とかげに指を差すな。さしたら指がくさってしまう」
子供のときは唯そう聞いた。が、わたしは今までに幾度か紫色をしているとかげに指を向けて差したが、腐りはしなかった。ただ、わたしの知ったことは、とかげの尾が一ぺん切られたものが、もう一度尾をつぎに来るということも嘘であったことだった。なぜかと言えば最うとかげの尾は蟻に引かれながら白い砂地の上に、すこしずつ動いて行くではないか?──それにも関わらず尾のない一疋のとかげが、砂地の白い遠方にかがんでその尾の冷たくなったのを眺めている。わたしの疲れた暑い頭がいまその姿を見つけたのである。
「張りものが済んだらお茶を一杯もらいたいものだ。」
「ここへでございますか?」
「ここへ。」
わたしは途方もない詰らないことを言い出すくせがあるので、下婢はふしぎな思いもしないで、茶の間へ茶を淹れに行った。相変らず暑いうえに、乾いた砂の上に七八疋くらいとかげが歩いている。可憐らしい遊びようをしている。が、わたしは何時の間にか、尾のないとかげが非常にからだの調子が取れなくて、歩きにくそうによちよち歩いているのを見た。そしてわたしの考えは気の毒な気がしたのだった。まるで他人がしたことのように思われるほど、先刻のわたしのしたことを遠い時のように思われた。「一たい夏の永い日にあったことと言うものは、永い日自体から忘れやすいものだ。朝のことが昨日のことに思われるから妙だ。」わたしはそう考えて、一杯の茶を庭のものかげで飲んだ。「例えばわたしが先刻あいつの尾を切ったときに、何か知ら悲壮な物哀しさを感じたが、いまはその考えが深増さるばかりではないか?──」そうわたしはまた考えた。
翌日もわたしは可憐らしいとかげの遊びを見た。六七疋ずつ散らばって何かを〓(「(餮-殄)/求」)っている姿が、一昨日よりも深く心に長閑にかんじられた。その中の一疋の尾のない奴が雑っているのが、わざとわたしの眼前をしずかに通りすぎた。
「気の毒なことをした。」
わたしはそう言って、わたしらしい良心を呼びさまし、そのことによって慰められようとした。かれはかれらしい無邪気さで、青い鬼であるわたしの眼の前を平気で歩いている。──
底本:「日本の名随筆18 夏」作品社
1984(昭和59)年4月25日第1刷発行
1999(平成11)年11月20日第20刷発行
底本の親本:「室生犀星全集 第三巻」新潮社
1966(昭和41)年2月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2014年7月16日作成
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