アラスカの氷河
中谷宇吉郎
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アラスカの氷河は、景観の美しさという点では、世界第一といわれている。
氷河の壮大な美しさは、ずっと昔から、文学者や地理学者たちの讚美の的であった。もっとも、近年までは、一般の人々が近づき得る氷河は、ほとんどアルプスの氷河に限られていた。それで氷河の美についての文献は、主として、アルプスの氷河についてのものが多かった。
しかし氷河は、アルプスに限られたものではない。ヒマラヤやその周辺、いわゆる世界の屋根には、もっと壮大な氷河が、いくらもある、その他にも、南極大陸や、北極圏内のグリーンランドおよびカナダ群島の北氷洋岸には、ヒマラヤをしのぐ壮麗な氷河が、たくさんある。
これ等の氷河の景観は、世人の想像をはるかに絶するもので、自然のふところに秘められた天工の美と、規模の壮大さとを、如実に示すものである。しかしその美に驚嘆することは、一般の人々にはできない。それは、現在のところはまだ、ごく少数の探検家たちだけが享受し得る天恵である。
十年前までは、アラスカの氷河も、この部類に属していた。しかし定期航空路が、アラスカの沿岸に開かれた今日では、アラスカの氷河は、もはや探検家たちだけのものではなくなった。北方航空路をとる一般旅行者の眼にふれるものとなった。
アラスカの氷河の代表的なものは、太平洋岸にある。アンカレージから、海岸にそって、カナダの方へ伸びた海岸地帯がそれである。この氷河の特徴は、氷河の末端が、海岸のすぐ近くにまで達している点にある。そしてそのうちのかなりのものは、直接海に流れ入っている。
先年、ディズニーの映画で、氷河が崩壊して、海へ落ち込む場面を見せてくれたものがあった。氷河の末端は、三十メートルを越す氷の断崖となって、大洋に迫っている。北海の荒浪は、その氷の絶壁の根を噛んで、はげしく飛沫を散らしている。
この白い絶壁は、如何にも千古の懸崖の如き様相を呈しているが、しばらく見ているうちに、上部の方に、徐々に縦の割れ目が入り、やがて絶壁の一部は、数百個の氷の大塊に割れて、海に崩れ落ちる。まさに息をのむばかりの壮烈な景観であった。
こういう景色は、特別に船をやとって、氷河の末端に近づかないと、見られない。しかしその遠望は、飛行機の上からも容易に見られる。ノースウエスト機も、日航機も、氷河地帯のすぐ近くの海上を飛ぶからである。
もっとも天候が問題である。冬の間は、日が短くて駄目、夏も北海特有の霧や、低い層雲が海上を埋め、氷河の上まで蔽っていることが多い。そういうときは、雲上飛行をつづけるだけで、何一つ見えない。ずっと北に延びたカナダロッキーの高峰が、雲上に頭を出していたら、それで満足するより仕方がない。
アラスカの氷河は、このカナダロッキーに降った雪が、万年雪となり、それが渓谷にそって、太平洋測へ流れ下ったものである。アラスカのこの地域は、案外に気温が高い。旧首都ジュノウの平均気温は、一番寒い一月でも、零下三・二度にすぎない。札幌の一月の平均気温は、零下五・九度であるから、札幌よりはずっと暖かい。零下何十度のアラスカの厳寒というのは、奥地のフェアバンクス地域とか、北氷洋岸とかの話である。
この気温の高いことが、アラスカの氷河の特徴であって、氷河の氷自身の温度は、ほとんど零度に近い。こういう氷河は、流動しやすく、流下の速度も大きい。流下速度の正確な測定はないので、はっきりしたことはわからないが、アルプスの氷河などと較べて、一桁くらい大きいのではないかと思われる。
いずれにしても、アラスカの氷河では、氷の流動性を示す現象が、非常に顕著に見られる。その代表的なものは、マラスピーナの氷河であって、こういう奇妙な様子の氷河は、ちょっと、ほかに例がない。まるで水飴を流したような形である。
この氷河は、アンカレージから、東へ五百五十キロばかりのところにある。氷河の末端に近いところで、渓谷が非常に広く開けているので、氷河はそこで横に拡がり、広い氷原になっている。一番広いところでは、幅が六十キロ以上にもおよんでいる。
ところで面白いことには、この広大な氷原は、白一色の氷の原にはなっていない。その上に、流線のような形をした黒い線条が、一面に流れている。これは氷河の堆石が示す線条である。
氷河には堆石がつきものである。氷河が流れ下るときには、両岸や底の岩壁を削りとって、たくさんの小石を運んでくる。また両側から、石や泥が、氷河の上に転落する。そういう小石を、堆石というのである。氷河の末端には、この堆石がたくさん集まる。それでその堆積が何段にもなっていると、氷河が後退したことがわかる。
氷河は、非常にゆっくりと、流れ下ってゆく。その際、表面にある堆石は、流れの方向にならび、流線の形が、黒い堆石の線条となって見える。これはアルプスの氷河などでも、よく知られている。二つの渓谷が、一本になるところでは、各々の渓谷から出た氷河が、一本に合流する。こういう場合は、合流点からずっと下流のところまで、右側の渓から出た氷河と、左側のものとが、はっきり区別される。その境ははっきりしていて、両方の氷河がまざることがない。一方の渓の氷河に、とくに堆石が多い場合は、合流点の下流では、氷河の半分が黒く、半分が白くなる。アルプスには、そのよい例がある。
マラスピーナの場合は、末端に近いところへきて、急に幅が六十キロ以上にも拡がる。それで氷河はここで、水飴を板の上に落としたような形に拡がっている。その流線の形は、堆石の線条によって示されるが、無数の線条は、うねうねと曲がって流れている。その特徴は、各線条が常にならんでいて、決して互いに交錯しない点にある。その形は、墨流しの模様に、そっくりである。
この線条の模様が見られる機会は、非常に少ない。夏は濃霧にとざされていることが多く、秋になると、早々に雪がきて、全体が白一色の世界になってしまう。幸い昨年の九月の末、氷島からの帰途、好晴にめぐまれて、初めてこの天工の墨流しを見ることができた。
墨流しは、水面につくった薄い墨膜に、たくさんの孔をあけ、それを揺り動かしたときにできる模様である。孔をつくるには、微量の脂肪を使うので、この孔というのは、実は脂肪の薄い膜なのである。この脂肪の薄膜と、墨の薄膜とは、揺り動かされている間も、決してまざらない。それで墨の線条と、白いところすなわち脂肪の線条とが、交互にならんだ恰好になる。別の言葉でいえば、二本の墨の線条間には、必ず白い線がはいる。それで墨の線条は、どんなに曲がりくねっても、常にならんでいて、互いに交錯することはない。
この性質は、流体が層状流となって流れるときには、常にあらわれる性質である。流体が、その粘性によってきまる特定の流速以下で、ゆっくりと流れる場合は、渦が起きないで、流線は互いにならんだ形になる。この層状流の流線の形が、墨流しの場合にも、またマラスピーナの氷河の場合にも、出て来ているので、両者が同じ形をしているのも、当然なのである。
それにしても、平安朝時代の宮廷婦人たちの手遊びであった墨流しが、広茫六十キロの規模において、アラスカの氷河の上で見られるというのは、ちょっと面白い話であろう。
底本:「日本の名随筆33 水」作品社
1985(昭和60)年7月25日第1刷発行
1996(平成8)年2月29日第15刷発行
底本の親本:「雪雑記」朝日新聞社
1977(昭和52)年7月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2012年12月6日作成
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