日がさとちょう
小川未明
|
ある山の中の村に、不しあわせな二人の娘がありました。
一人の娘は、生まれつき耳が遠うございました。もう一人の娘は、小さな時分にけがをして、びっこであったのであります。
この二人の娘は、まことに仲のいいお友だちでありました。そして二人とも性質のいい娘でありました。
二人の女の子は、どちらも十四、五歳になったのであります。そして、それぞれなにかふさわしい仕事につかなければなりませんでした。
ある日のこと、耳の遠い娘は、びっこの娘のところへやってまいりました。びっこの娘は、いつにないお友だちの沈んでる顔つきを見て、
「なにか心配なことでもあるのですか?」と、やさしくたずねました。
「私は、遠いところへゆかなくてはならないかもしれません……。」と、耳の遠い娘は答えました。
びっこの娘はそれを聞いて、びっくりいたしました。二人が、別れるということは、どんなに、悲しいことであるかしれなかったからであります。
「遠いところというのは、どこですか。」と問いました。
「東京へ奉公にゆくようになったのです。私は、うれしいやら、悲しいやら、わからないような気持ちでいます。」と、耳の遠い娘は答えました。
「まあ、東京へ? それは、どんなにしあわせだかわからない。私も、一度東京へいってみたいと思っていますが、こんな体では、とても望みのないことであります。あなたは、東京へいって、にぎやかなところをごらんなさい。しかし、後に残された私は、さびしいことでしょう。」と、びっこの娘は、涙をのんでいいました。
二人は別れを惜しみました。村の若い娘たちの中では、こんど東京へゆくようになった耳の遠い娘をうらやましく思ったものもありました。
ある日のこと、耳の遠い娘は、みんなに村のはずれまで見送られて、いよいよ都に向かって出発したのであります。
彼女は、道すがらも、汽車の中も、だんだん遠く隔たってゆく故郷のことを思いました。また、仲のよかったびっこの娘のことなどをも思い出して、いつまた二人はあわれるだろうかと、悲しく思わずにはいられませんでした。
彼女は、東京にきて、一年働き、二年働き、三年と働きました。そして、すっかり都会の生活になれてしまったのです。その間に、びっこの娘からは、たよりがおりおりありましたが、それもいつしか絶えてしまいました。
しかし、彼女は、なにかにつけて、故郷のことを思い出さずにはいられなかったのです。あのころのお友だちは、どうしたろう? と思いますと、どうか、一度、ふるさとへ帰ってきたいものだと思いました。
彼女は、耳が遠いものですから、同じ奉公をしましても、ほかの女たちのように、どんな仕事にでも、役にたつというわけにはゆきませんでした。それですから、したがって、もらうお金は少なかったのです。
しかし彼女は、それをべつに不平にも思いませんでした。そしてこんど、ふるさとへ帰る時分に、着てゆく着物やおみやげに費おうと、すこしずつなりとためておきました。
五年めの春の終わりのころ、彼女は、ふるさとへ、幾日かの暇をもらって、帰ってくることにいたしました。
彼女は、新しい着物を造りました。新しいげたも買いました。そしてもっとそのうえ、東京から帰ったということを、田舎の人たちに見せたいために、どんなものを買っていったらいいだろうかと考えました。
都は、ちょうど夏のはじめの季節でありましたから、街の唐物店には、流行の美しい日がさが、いく種類となく並べてありました。
「あの日がさをさして帰ったら、どんなにみんながたまげるだろう……。」と、彼女は、思いますと、それをさして帰って、みんなに見せてやりたいものだという気になりました。
彼女は、唐物店へいって、その中のハイカラなのを、かなり高いお金を出して買いました。それをさして歩いた姿は、まったく東京の女であって、どこにも、山奥の田舎娘らしいところは見えなかったのであります。
彼女は、自分の姿を鏡にうつして見とれていました。そして、いよいよふるさとに向かって旅立ったのであります。
山の中のさびしい村では、耳の遠い娘が、見ちがえるほどに、美しくなって帰ったといって、あちらでもこちらでも、うわさをしました。
「たいへんな、ハイカラさんになってきた。」と、みんなは、口々にいいはやしたのであります。娘たちは、まだ、こんなりっぱな日がさを見たことがありませんから、耳の遠い娘が、日がさをさして歩くと、みんなはそのそばに寄ってきました。はじめのうちは、目を円くして見ているばかりで、遠慮をして、貸してくれなどといったものもありませんが、日数がたって、昔のいっしょに遊んだ、耳の遠い娘であったということが、頭の中にはっきりとわかると、
「私に、ちょっと貸してくんなさい。」といって、娘たちは、美しい、うす紅色と水色の模様のついた日がさを借りて、喜んで、それをさしてみました。
「東京では、こんなりっぱなものを毎日さし、道を歩くだか……。」といって、聞いたものもあります。
「これから、街の中は、こんなパラソルがいくつ通るか、数えきれないくらいだ。」と、耳の遠い娘はいいました。
これをきくと、田舎の娘たちは、都のありさまをいろいろに想像しました。
「それだら、たくさん、きれいなちょうが、飛んでいるように見えるだろう。」といったものもありました。
「ほんとうに、ちょうが飛んでいるように美しいだろう。」といったものもありました。
「どら、おらにも、ちょっと貸してくんなせい。おら、生まれて、はじめて、こんなりっぱなものをさしてみるだ。」といった娘もありました。
その娘は、日がさを借りてさしてみました。そして、仰ぎますと、うすい絹地をとおして太陽の光が、まばゆく、顔の上に映るような気がしました。
「まあ、お日さまが、すいて見えるだ。なんという、うすいりっぱな、羽のようなこうもりだろう。」と、ため息をもらしました。
「どら、私にも貸してくんなせい。」といって、村の娘たちは日がさを、たがいに奪い合いました。
そのうちに、一人の娘は、すこしでも長く自分がさしていたいと思って、日がさをさしながら、あちらへ逃げてゆきました。
「なんだずるい。自分ばかりさして、おれにも貸してくんなせい。」といって、他の一人の娘は、その後を追いかけました。
逃げた娘は、山道を日がさをさして駆けてゆきました。そのあとを他の娘たちは、追っていったのです。
きれいな日がさは、木の枝や、奪い合いのために切り株などにあたって、破れました。村の娘たちは、はじめてたいへんなことをしてしまったと驚いて、耳の遠い娘のところへきて、あやまりました。
彼女は、せっかく買ってきた大事な日がさの破れてしまったのを見て、ただぼんやりとしてしまいました。美しい日がさが破れると、もう村の娘たちは、用事がないといわぬばかりに、どこかへ散ってしまいました。
「見たとこばかりきれいでも、あんな紙ようなものが、なんの役にたとうかさ。」と、村の娘はあざ笑ったものもあります。
耳の遠い娘は、急にさびしくなりました。しかし、びっこの娘は、昔もいまも、やさしい心をもっていて、すこしも変わりはありませんでした。
びっこの娘は、家にいて、百姓をしていましたが、暇をみては、耳の遠い娘のところへたずねてまいりました。そして、彼女から都会の話をきくのを楽しみにしたのであります。
「ああ、私は、いつ東京へいって、そのにぎやかな光景を見られるだろう?」と、びっこの娘は、ひとりでため息をもらしたのでした。
そのうちに、日数がたって、耳の遠い娘は、また東京へ帰らなければならなかったのです。
「私は、また明日、東京へ立つことになりました。」と、びっこの娘のところにきて、暇ごいを告げたのであります。
「こんどは、いつ、二人が、あわれようか……。」と、びっこの娘は、別れを悲しみました。ついに別れる日となりました。びっこの娘は耳の遠い娘を村のはずれまで送ってゆきました。
「どうぞ、お達者で暮らしてください。この日がさは、あなたに置いてゆきます。」といって、耳の遠い娘は、日がさをかたみに、びっこの娘に与えました。
二人は、そこで悲しい別れをしました。びっこの娘は、ひとり山道を歩いて帰ります途中、道ばたの石の上に腰をかけて休みました。そして、ふたたび都へ旅立っていった友だちのことを思い出しながら、美しい日がさを開いてながめていました。
たちまち、青葉の上を波立っていました山風が襲ってきて、この日がさをさらってゆきました。びっこの娘はいっしょうけんめいであとを追いかけましたが、とうとう日がさは、深い谷の中へ落ちて見えなくなりました。
しかし不思議なことに、そのあくる年からこの山には、美しい更紗模様のついたちょうが、たくさん谷から出てきました。
村の娘たちは、みんなそのちょうを見て、いつか、耳の遠い娘がさして帰った、日がさを思い出さないものはなかったのです。
また、それから幾年にもなりますが、二度と耳の遠い娘は、ふるさとへ帰ってこないのです。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
初出:「週刊朝日」
1924(大正13)年7月
※表題は底本では、「日がさとちょう」となっています。
※初出時の表題は「日傘と蝶」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
2013年8月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。