春さきの古物店
小川未明
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広やかな通りには、日の光が暖かそうにあたっていました。この道に面して、両側には、いろいろの店が並んでいました。ちょうどその四つ辻のところに、一軒の古道具をあきなっている店がありました。そこに、各種の道具類が置かれてある有り様は、さながら、みんなは、いままで働いていたけれど、不用になったので、しばらく骨休みをしているというようなようすでありました。
どんなものが、そこにあったかというのに、まず壁ぎわには、張り板が立てかけられてあり、その下のところに、乳母車が置いてあり、その横に机があり、その他、火ばち・針箱・瓶というように、いろいろな道具類が並べられてありました。
しかし、張り板と乳母車と机とが、いちばんたがいに距離が近かったものだから、話もし、また親しくもしていました。彼らは、このごろは仕事もないし、ただ空想にふけったり、昔のことを思い出したりしているよりほかはなかったのであります。
そのなかでも乳母車は、ちょうど腰の曲がったおばあさんのように、愚痴ばかりいっているのでした。
「まだ、あなたは、その年でもないのに、なぜそう愚痴ばかりおっしゃるのですか。また、これから世の中へ出て、どんなおもしろいめをしないともかぎりますまいに……。」と、机はよく、乳母車に向かっていったことがあります。
すると、青いペンキのところどころはげ落ちた乳母車は、急に、元気づいた調子になって、
「ほんとうに考えればそうなんですよ。けれど、こうして、じっとしていますと、つい気がめいりまして、しかたがないもんですから……。」と、乳母車は答えました。
「ああ、もうじき春がくるよ。そうすれば、おれたちは、きっとおもしろいことがあるだろう。そう長いことでもあるまい……。」と、張り板が、身柄相応な大きな声を出して、口をいれました。
今日も、乳母車は、日のあたたかそうにあたって、黄色なほこりが、人間の歩くげたのさきから、また荷車のわだちの後から起こるのを見ていましたが、いつしか、いつものごとく訴えるような調子で、
「わたしにも、おもしろいことも、おかしいことも、ありましたっけ。あれはどこだったろう。いい音楽の聞こえてくる坂道を、赤ん坊をのせて登ると、そこには桜の木が幾本もあって、みごとに花が咲いていました。吹いてくる風は、なんともいえず気持ちがよかったし、いつまでもその木の下で遊んでいました。もう一度あんなところへいってみたいと思います……。」
乳母車は、語るともつかず、ひとりで、こういって、空想にふけっていると、
「乳母車さん、あなたが、昔のことをなつかしがりなさるのも、無理はないが、だれにだって、そうした思い出というようなものはあるものです。しかしそれがどうなるもんでしょうか?」と、机がいいました。
乳母車は、机のいったことは、耳にはいらず、なにかいっしんに沈んだ顔をして考えていました。
このとき、突然にも、壁に寄りかかっている張り板が口を開いたのです。
「机くん、君にも、なにかそんなはなやかな思い出があるのかね。君の姿を見たのでは、どんな虐待を人間から受けてきたかと思われるくらいだ。僕は、また君こそ、過去の苦痛の連続であって、こうしてのんきにしていられるのが、どんなに君にとって幸福のことかしれないと思ったが、やはり、昔が恋しいとみえるのは不思議なくらいだが……。」と、張り板はいったのでした。
机は、感慨深そうな顔つきをして、張り板のいうことに耳を傾けていました。
「そう思われるのは、無理はありません。この体をしていては……。」といいました。
なぜなら机の四つ角は、小刀かなにかで、不格好に削り落とされて円くされ、そして、面には、縦横に傷がついていたのであります。張り板がその過去に、どんなひどいめにあわされてきたかと疑ったことに、すこしのふしぎもなかったからです。しかし、机はそのことについて語りはじめました。
「もと私は、なかなかりっぱな机でした。その時分、お嬢さまは、私の前にすわって、歌をお作りなされました。お嬢さまは、夏の山路という題について、秋の野原という課題について、虫や、露について、また雨にぬれた花などについて、どんなにかぎりない美しい空想を、私の前で読み、歌われたかしれません。そして、あるときは故郷を思い出しては、悲しいやるせない、それは、私には、あまり微妙でいいあらわせないような、もっとも尊重されなければならぬ感情を、私にばかり、惜しげもなく見せられたかしれません……。このことは、あなたたちには、まったく、想像のつかないことです。」といいました。
「それだのに、なぜ君は、そんなかたわ者にされたんだね。」
「まあ、聞いてください。お嬢さまが結婚なされたときに、私もいっしょに、お伴をしてまいりました。どうです、私は、それほどのお気にいりであったのでした。そのうちに、坊ちゃんが生まれました。坊ちゃんが三つのとき、なにかのはずみにあやまって、私の角で頭をお打ちになったのです。すると、気の短いご主人は、なにか私が悪いことでもしたように誤解されて、前後の考えもなく、腹だちまぎれに、私の四すみの角をみんな小刀で削り落としてしまわれました。そのときから、私は、こんなかたわ者になったのです。それからというもの、私は、なにかにつけて手荒く取り扱われましたが、しまいに、大きくなった坊ちゃんのために、またこんなに面にまで傷をつけられてしまいました。しかし、それまでの、長い間の栄華な生活を思い出せば、私は、しあわせのほうで、なにも、うらむことはないのであります。」と、机は答えました。
張り板は、なんと思ったか、あざ笑いました。
「あなたが、こんなように、角を削り落とされずにいたなら、ここへは、まだおいでにならなかったでしょう……。みんな、運命というもんでしょうね。」と、乳母車がいいました。
「うらむ、うらまないといって、もう二度と君は、栄華の日を見ることはあるまい。」と、張り板がいいました。
「ほんとうに、あのとき、坊ちゃんがころんで頭を私の角で打ちさえしなければ、こんなことにはならなかったのです。」
「わたしも、やはりそうなんです。引っ越しのときに、私の小さな体では、無理なほど重い、大きなものを積み重ねられましたので、そのとき、体の具合をいけなくしてしまったのです。もうすこし、私の身を思ってくれたらと思いますが、今となってはしかたがありません。また、そのうちには、いいこともないとかぎりますまいから……。」と、乳母車はいいました。
「そうだ。おまえさんなどは、そうおいぼれたばあさんでもないから、春になったら、どこへか売れ口がないものでもない。」と、脊高な、口だけは達者であるが、そのわりに能のなさそうな張り板はいったのです。
「張り板さん、あなたはどうなんですか。私どもから見れば、あなたは、しごく、のんきなように見えまが、それでも苦労はありますかい。」と、机は、張り板に向かって、たずねました。
「おれには、なに、苦労なんかあるものか。おれみたいに、みんながのんきに暮らしていれば、べつに悲観することもないのだ。せま苦しい家の中にいるときはべつだが、いつも天気のいい日は外に出て、通る人間をながめたり、あたりの景色をながめているのさ。病気をしてみたいと思っても病気のしようがないのだ。」
「それで、退屈はなさいませんか?」と、乳母車がやさしい声できいたのです。
「元来おれなどは、怠け者だから……なにを見てもおもしろいね。とんぼの飛ぶのを見ても、犬がけんかをするのを見ても、子供が輪をまわして遊ぶのを見ても……。だから、退屈はしたことがない。」
「そうでございますか。」
「ここで、こうして、おたがいに仲よくなったのですから、たとえここを出てしまっても、おたがいに幸福に日を送りたいものですね……。」と、机が、いまさら感じたらしくいいました。
「ほんとうに、そうでございます。いつまたみんなが、一つところに落ち合うことでございましょう?」
「いや、もうけっして、落ちあうことはありますまい。」
このとき張り板は、からからと笑いながら、
「だれに、明日のことがわかるもんか。しかし、悪くなったって、よくなりっこはないだろうな。なぜって、こうして、骨休みをしている楽にこした、楽はあるまいからな。机くんなどは、こんど働きに出れば、きっと重いものの台にでもなるだろう。そうすれば、一生浮かぶ瀬がない。乳母車さんだって、どうせ楽な日はありっこない。まあ、こうして、一日でも長くいられるにこしたことがない……。」といいました。みんなは、なるほどそうかなと考えられたのです。
一日、客がこの店にはいってきました。主人は、なにかその客と話をしていました。張り板・机・乳母車は、めいめいに自分が買われてゆくのでないかと、胸をどきどきさしていました。それは、不安なうちにどこか明るい希望のあるような感じでもありました。
そのうちに、主人は、一方のすみの方から、手を延ばして、あまり大きくないものをつかみ出しました。みんなは、それがなんであるかと目を向けますと、鼻がねずみに食われて欠けていた、古いひな人形でありました。いつか、みんなは、この人形が仲間入りをしたときに、大いに笑ったものです。その後、その存在すら忘れられていたのでした。客は、どういうつもりか、その人形を買ってゆきました。
店さきが、ふたたび静かになったとき、みんなは顔を見合わせて、いまさら運命というものの不可思議を考えさせられたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
初出:「赤い鳥」
1926(大正15)年3月
※表題は底本では、「春さきの古物店」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
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