金魚売り
小川未明
|
たくさんな金魚の子が、おけの中で、あふ、あふとして泳いでいました。体じゅうがすっかり赤いのや、白と赤のまだらのや、頭のさきが、ちょっと黒いのや、いろいろあったのです。それを前と後ろに二つのおけの中にいれて、肩にかついで、おじいさんは、春のさびしい道を歩いていました。
このおじいさんは、これらの金魚を仲買や、卸屋などから買ってきたのではありません。自分で卵から養成したのでありますから、ほんとうに、自分の子供のように、かわいく思っていたのです。
「これを売らなければならぬとは、なんと悲しいことだろう。」
こう、おじいさんは思ったのでした。
春の風は、やわらかに吹いて、おじいさんの顔をなで過ぎました。道端には、すみれや、たんぽぽ、あざみなどの花が、夢でも見ながら眠っているように咲いていました。あちらの野原は、かすんでいました。
いろいろの思い出は、おじいさんの頭の中にあらわれて、笑い声をたてたり、また悲しい泣き声をたてたかと思うと、いつのまにか、跡も形もなく消えてしまって、さらに、新しい、別の空想が、顔を出したのです。
人家のあるところまでくると、おじいさんは、
「金魚やい、金魚やい──。」と、呼びました。
子供たちが、その声を聞きつけて、どこからかたくさん集まってきます。その子供たちは、なんとなく乱暴そうに見えました。金魚の泳いでいる中へ棒をいれて、かきまわしかねないように見えました。おじいさんは、そうした子供たちには、売りたいとは思いませんでした。
「きれいな金魚だね。」
「僕は、こいのほうがいいな。」
「こいは、河にすんでいるだろう。」
「いつか、僕、釣りにいったら、大きなこいが、ぱくぱく、すぐ僕の釣りをしている前のところへ浮いたのを見たよ。」
「赤かったかい。」
「黒かった。すこし、赤かった。」
「うそでない。ほんとうだ。」
その乱暴そうな子供たちは、もう金魚のことなんか忘れてしまって、棒を持って、戦争ごっこをはじめたのです。
おじいさんは、笑い顔をして、子供たちが無邪気に遊んでいるのをながめていましたが、やがて、あちらへ歩いてゆきました。村を離れると、松の並木のつづく街道へ出たのであります。その松の木の根に腰をかけて、じっと、おけの中にはいっているたくさんな金魚の姿をながめていました。こうして、おじいさんは、自分の育てた金魚は、残らず目の中に、はっきりとはいっていたのでした。
長い道をおじいさんにかつがれて、知らぬ町から町へ、村から村へゆく間に、金魚は、自分の兄弟や、友だちと別れなければなりませんでした。そして、それらの兄弟や、友だちとは、永久に、またいっしょに暮らすこともなければ、泳ぐこともなかったのです。もとより自分たちの生まれて、育てられた故郷の小さな池へは帰ることがなかったでしょう。
金魚は、なにもいわなかったけれど、おじいさんは、よく、金魚の心持ちがわかるようでした。あまり長い、毎日の旅にゆられて、中には、弱った金魚もありました。そんなのは、別の器の中にいれて、みんなと別にしてやりました。なぜなら、達者で、元気のいいのがばかにするからです。そのことは、ちょうど人間の社会におけると違いがありません。弱いものに対して、憐れむものもあれば、かえって、それをあざけり、いじめるようなものもありました。
おじいさんは、おけに鼻を打たれたり、また揺られたために弱った金魚をいっそうかわいがってやりました。
ある日のこと、おじいさんは、金魚のおけをかついで、「金魚やい、金魚やい──。」と呼びながら、小さな町へはいってきました。
そのとき、十二、三になる少年が、とある一軒の家から飛び出してきて、いきいきとした目でおじいさんを仰ぎながら、
「金魚を見せておくれ。」といいました。
おじいさんは、おとなしい、よい子供だと思いましたから、
「さあ、見てください。」と、答えて、おけをおろして見せました。
少年は、二つのおけの中にはいっている金魚を熱心に見くらべていましたが、おじいさんが別にしておいた、弱った金魚へ、その目を移したのです。
「この円い、尾の長い金魚をくださいな。」と、子供はいいました。
「坊ちゃん、この金魚は、いい金魚ですけれど、すこし弱っていますよ。」と、おじいさんは、目を細くして答えました。
「どうして弱っているの?」
「長い旅をして頭をおけで打って疲れているのですよ。」
おじいさんは、やさしい、いい子供だと思って見ていました。
「僕、大事にして、この金魚を飼ってやろうかしらん……。」
「そうしてくだされば、金魚は喜びますよ。」と、おじいさんはいいました。
子供は、円い尾の長い、赤と白のまだらの金魚を買いました。そのほかにも二、三びき買って家の中へ入ろうとして、
「おじいさんは、また、こっちへやってくるの?」と、少年は聞きました。
「また、来年きますよ。そして、金魚がじょうぶでいるか、お家へいってみますよ。」といいました。
少年は、うれしそうにして、金魚をいれ物にいれて、家へはいりました。おじいさんは、かわいがっていた金魚の行く末をおもいながら、人のよさそうな顔に笑いをたたえて、荷をかつぐと子供のはいった家の方を見かえりながら去ったのでした。
「金魚やい、金魚やい──。」という声が、だんだん遠ざかってゆきました。おじいさんは、それから、いろいろの町を歩き、また村をまわって、春から、夏へと呼び歩いたのです。こうして、自分の育てた金魚は、方々の家へ買われてゆきました。
おじいさんから、弱った金魚を買った子供はその金魚をいたわってやりました。金魚は、急に、みんなから離れて、さびしくなったけれど、静かな明るい水の中で、二、三の友だちといっしょにおちつくことができたので、だんだん元気を恢復してきました。そして、五日たち、七日たつうちに、もとのじょうぶな体となったのであります。
金魚は、水の中から、庭さきに、いろいろの咲いた花をながめました。また、ある夜はやわらかに照らす月の光をながめました。自分たちをかわいがってくれた、おじいさんの顔はふたたび、見ることはなかったけれど、少年は毎日のように、水の中をのぞいて、餌をくれたり、新しい水をいれてくれたり、しんせつにしてくれたのであります。金魚は、だんだんおじいさんのことを忘れるようになりました。
夏が過ぎ、秋が逝き、冬となり、そしてまた、春がめぐってきました。
ある日のこと、少年は、外にあって、
「金魚やい、金魚やい──。」と、いう呼び声を聞いたのです。
「金魚売りがきた……。」といって、彼は、すぐに、家の外へ飛び出てみました。心のうちで待っていた、去年金魚を買ったおじいさんでありました。
顔を見ると、おじいさんは、にっこり笑いました。
「坊ちゃん、去年の金魚は達者ですか?」と聞きました。おじいさんは、この子供が、弱った金魚を大事に育てようといって、買ったことを忘れなかったのです。
「おじいさん、金魚は、みんなじょうぶで、大きくなりましたよ。」と、少年は答えました。
「どれ、どれ、私に見せてください。」と、いって、おじいさんは、山吹の花の咲いている庭さきへまわって、金魚のはいっている大きな鉢をのぞきました。
「よう、よう、大きくなった。」といって、おじいさんは喜びました。
少年は、おじいさんから、二ひき金魚を買いました。おじいさんは、別に一ぴきいい金魚をくれたのです。
「おじいさん、また来年こっちへくるの?」と、別れる時分に、少年が聞きました。
「坊ちゃん、達者でしたら、また、まいりますよ。」と、おじいさんは、答えました。けれどかならずくるとはいいませんでした。おじいさんは、年を取ったから、もうこうして歩くのは難儀となって、静かに、故郷の圃でばらの花を造って暮らしたいと思っていたからであります。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷
初出:「赤い鳥」
1927(昭和2)年6月
※表題は底本では、「金魚売り」となっています。
※初出時の表題は「金魚売」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2014年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。