風と木 からすときつね
小川未明
|
広い野原は、雪におおわれていました。無情な風が、わが世顔に、朝から夜まで、野原の上を吹きつづけています。その寒い風にさまたげられて、木の枝は、すこしもじっとしておちついていることができません。しきりに振り起こされては、氷のような空気の中に無理やりに躍らなければなりませんでした。
「もし、もし、北風さん、そう私をいじめるものではありません。私は、いま、春になる前の用意をしているのです。あなたが、この野原をひとりよがりに駈けまわっていなさるのも、わずかな間です。北の遠い地平線のあちらへ、あなたは、やがて帰っていく身ではありませんか。そう、私をいじめるものではありませんよ。」と、木の枝は、風に向かって叫んだのです。
北風は、これを聞くと、からからと笑いました。
「春になれば、私は、それは北の遠くへ帰ってしまうのさ。そして、こんどは、南からやさしい風が吹いてきて、おまえさんたちの頭を軽く、しんせつになでてくれるよ。けれど、あちらの池にきている雁が頼んで、いうのには、どうかもうすこし、元気よく吹いていてくれ、あんなほおじろとか、うぐいすとかいうような、人間のおもちゃにされるような、女々しい、虚栄心の強い小鳥どもが、いばり出すのは、しゃくだというのだ……。」と、北風は、木の枝に答えたのでした。
木の枝は、北風が力んだので、二、三べんも、細い身を揺すらなければならなかった。
広い野原の上には、雲切れがして、青い鏡のような空が見えていました。木の枝は、それを見ると、無上になつかしかったのです。春になれば、毎日のように、ああした空が見られると思ったからです。そして、かわいらしい小鳥どもが、自分を慕ってやってくる。中にも愛嬌もののうぐいすは、どこからか、すばしこそうな、あめ色の翼を、朝の日に輝かせて、早くから飛んできて、
「おかげさまで、春がきました。あなたのいい香いは、野原の上をいっぱいに漂っています。ごらんなさい。空の太陽までが、うっとりとしてあなたに見とれているではありませんか。なんという、あなたはいい香いのする花でしょう。もしあなたが、この野原に咲かなかったら、この広い野原は、どんなにさびしいでしょうか。私ばかりでありません。ほかの小鳥たちも、この野原には、影をひそめて、いつまでもここは、冬のままの景色でいるにちがいないのです……。」
木の枝は、こういったうぐいすの言葉を思い出して、
「なに、私は、寒くたって、かまわないけれど、小さな鳥たちが冬に飽きています。私が、花を咲かせないうちは、こまどりも、うぐいすも、おしのように、どこかのやぶの中にすくんでいなければなりません。それを思うと、早く、花を咲きたいばかりに、ついあなたにも訴えたわけでした。」と、木の枝は、風に向かっていいました。
すると、北風は、さげすむように、ふたたびからからと笑いました。
「ほんとうに、うぐいすがそんなことをいった?」
木の枝は、なつかしそうに、
「愛嬌もののうぐいすは、ほかの鳥とちがって、美しいばかりでなく、心もやさしく、私には、しんせつなのです。」と、答えました。
北風は、かつて、雪を家来にして、野原を駈けていた時分、一本の棒の上に、うぐいすがとまっていて、北風を見て、さも感歎しながら、
「北風さん、なんというお勇ましいんでしょう。数限りない雪の家来がおありなさるほかに、あの大きな雁や、野がもまでが、みんなあなたの家来なのです。やがて、あなたが、北の故郷へ引き上げなさるときには、この雪も、野がもも、雁もあなたのお伴をして、いっしょにいってしまうのでしょう。ただ、不幸なことに、あなたには、私のような、かわいらしい唄うたいがお伴にいないことです。私は、あなたが去られると、この野原の女王になります。そして、私が、一声かけさえすれば、あのおじいさんのような、無骨な枯れ木までが花を咲くのですよ……。」といったことを、北風は思い出した。それで、北風は、木の枝をさげすむように笑ったのでした。そして、北風は、うぐいすのいったことを、木の枝に語ったのです。
木の枝は、うぐいすが、だれに対しても、いいかげんなことをいうので、びっくりしました。
「そんなことをいいましたか? 私をおじいさんのような無骨者だと……、そして、自分を、野原の女王だと……。」
木の枝は、そんなら、自分は、じっと寒い風をも我慢をして、いつまでも花を咲かずにおいてやろうと思いました。そうしたら、どんなにこの野原は寂しいかしれない。いつまでたったって、春がこないにちがいない。そうしたら、うそつきのうぐいすはどうするつもりだろう……。
「北風さん、私は、我慢をします。どうぞ、もっともっと強く吹いて、雪を盛んに降らしてください。」といいました。
北風は、それから、しきりに募りはじめました。
からすが、どこからか飛んできて、この木の枝に止まって、まっ白に、雪のつもった、野原をながめていました。
「なにをそんなに考えこんでいるのですか?」と、ふいに、声をかけたものがあります。
からすは、振り向くと、そこに一ぴきのきつねが雪の上にうずくまって、木の上を見ていました。
「きつねさんですか。私が、去年の秋、ここへやってきたときに、だれか犬を捨てたものがあった。犬は、クンクン悲しそうな声を出して鳴いていました。すると遊びに、野原へやってきた子供たちが見つけて、犬のために、小さな眠る場所を造ってやって、家へ連れていったら、しかられるから、みんなが食べ物を持ってきて犬にやろうということなどを相談していたのを見ましたが、いま、その子供たちの造った小屋が雪の下になってしまったと思っていたのですよ。」と、からすはいいました。
きつねは、不思議なことを聞くものだと思った。その小屋などは、なんでもないことだが、捨てられた犬は、どうなったろうと思ったのです。きっと、雪の下になって、死んでしまったにちがいない。だれが、そんな捨てたような犬を連れていって飼っておくものがあろう? ……きつねは、犬を自分たちの敵と思っているので、平生心から犬を憎んでいました。それで犬に対して、好意のある考えが浮かんでこなかったのです。「きっと、その犬は、雪の下になって、死んでいますでしょう。」と、きつねはいいました。
すると、からすは、きつねのいったことを聞きとがめて、
「死んで? いえ、その犬は、とうとうその子供の中の一人が、家へつれていってかわいがって飼っています。先だって村へいったとき、その犬が楽しそうに遊んでいるのを見ました……。」
「物好きな人間もあるものですね……。」と、きつねは、いった。
「私は、犬のことを考えていたのではありません。子供たちが造った小屋は、どうなったろうと思っていたのです。」
「小屋なら、雪が消えたら、出てきますよ。」
「いいえ、雪が消えたら、あの小屋は、流れてしまって、川か、海へいってしまうでしょう……。」
「からすさん、そんな気づかいはありません。それは、不思議なものです。そっくり、そのまま地の上に残っていますよ。」
きつねは、自分たちが、秋から、冬になるまでの間、畑のつみわらの中に眠っていたことがあり、やがて、雪が降ってそのわらを埋めると崖の穴に移り、来年雪が消えた時分に、元のわらのあたりへいってみると、わらはそのままになっていることを知ったからです。
「この雪が解けて、どんなに大水が出るかということを、あなたは知らないからです。」と、からすはいって信じなかった。
春になって、北風が、いつしか南から吹く風に変わると、雪はどんどん消えていった。そして、からすのいうように、川という川が、水でいっぱいにあふれるのです。しかし、その水は方々から、ほとんど、気づかないほど、静かに、ゆるやかに、雪が解けるままに流れて、集まってきたもので、けっして、畑にあるつみわらや、また野中のどんな小さな板くずをも流すものではなかったのです。それをなぜ、からすが、そういったかというのに、からすは、いつか秋の末に、どこからか蒸した芋を拾ってきて、穴を掘って埋めておいた。そのうちに雪が降ってしまって、掘り出すひまがなかったのでした。そして、雪が消えて、そこへいってみたときは、なんにも残っていなかった。からすは、芋が水のために、流れてしまったと思ったのです。もぐらが、冬の間に、それを食べてしまったことを知らなかったからです。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
初出:「赤い鳥」
1927(昭和2)年4月
※表題は底本では、「風と木 からすときつね」となっています。
※初出時の表題は「風と木、鴉と狐」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。