「霜柱の研究」について
中谷宇吉郎
|
同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたので早速読んで見た。この小冊子には霜柱の研究と布の保温の研究とが収められていて、研究者は自然科学グループという名前であったが、内容を見ると五、六人の学園の御嬢さんの共同研究であることが分った。
初めの霜柱の研究というのを何気なく四、五頁読んで行くうちに、私はこれはひょっとしたら大変なものかも知れないという気がしたのでゆっくり注意しながら先へ読み進んで行った。それというのは、この研究者たちは普通私たちが毎日読み馴れている専門の物理の論文とはちょっと型の変った行き方をしているのであった。いわば素人の研究であって、しかも私がはっという気がしたのは、その素人の研究が、純粋な興味と直観的な推理とで如何にも造作ないという風に一歩一歩と先へ進んで行っていることであった。私は前から物理的の研究方法というものは、物理学の既知の知識とはまた別のもので、沢山の本や論文の中に累積している今までの物理学上の知識というものを余り良く知らなくても、或る場合には、立派な物理的の研究が出来得るものだろうという気持を持っていたのである。ところがこの霜柱の研究を読んでみると、その最も良い例がこれであると断言して良いと思われて来たのである。これは誠にそういう意味で、広く天下に紹介すべき貴重な文献であるということが、読み終って確信されたのである。
初めに霜柱の水分が空気中の水蒸気から来たものか土中の水が凍って伸び出るものかという疑問を出し、霜柱の発達の途中で印をつけて置くと、その印が伸び上ることから土中の水が凍ってのび出るものだということを確めたのもちょっと面白い。もっともこのことは既に分っていることであるが、そんなことにはちっとも御かまいなしにさっさと実験を進めて行くところが面白いのである。次にそれでは土の表面からどれ位の深さまでにある水が霜柱になるかという問題は、色々の深さのブリキ缶を埋めてその中に霜柱を立たせることによって簡単に解決している。これは疑問の出し方も良く、実験の方法もよい。その次には霜柱の成長速度と土中の水分との関係を調べてあるが、驚いたことにはその実験は箱根仙石原で行ったという記載がある。気温は多分零下十度位と思われるが、その寒さの中で徹夜して一時間置きに測定をしてあるところを見ると、この研究にとりかかられた娘さんたちの勇気には、大いに敬服した。もっとも若い人々が沢山集って案外皆が面白がって無邪気に喜んでされた測定かも知れないが、その無邪気なそして純粋な興味が尊いのであって、良い科学的の研究をするにはそのような気持が一番大切なのである。良い研究は苦虫を噛み潰したような顔をしているか、妙に深刻な表情をしていなければ出来ぬと思う人があったら、それは大変な間違いである。
その次には霜柱の成長に最適の状態とは何であるかという問題についての考察がある。そしてそれには土中の水分が多いことと、気温の低いことと、地中の温度が出来るだけ高いこととが必要であろうという考えで実験を進めてある。この実験は充分ではないが、しかしそれに余りとらわれずに先に進んでいるところも、如何にもこの人たちの自由な気持が見えて、私には面白かった。そして次に色々な形をした霜柱の記載に移っているのであるが、この中で、胡麻油の少量を湿った土によく交ぜ、それを缶に軽く詰めて置いたら、翌朝は妙なかびのような形の霜柱が立ったという記載は非常に面白かった。これはもっと力を入れて続けてやられたら面白い結果が出るだろうと思う。今後この研究を続けてやられる方々があったら、この現象も詳しく調べられることを御すすめしたい。これは重大な発見の一つの手がかりになるかも知れない。
何でも予期せぬ不思議な現象に当ったら、それを逃さぬようにすることが研究の内容を豊富にする一つのこつであるということは、勿論いうまでもないことであるが、よく心得ているべきことである。なるたけ沢山にそのような奇妙な現象にぶっつかるには、この研究者たちのやられたように、何か思い付いたことがあったら、億劫がらずに「ちょっとやって見る」ということが大切である。思い付きというものは、一度手をつけて置けば忘れないが、そのままにして置くと、どんどん忘れてしまうものである。
以上が霜柱の研究の第一期の仕事であるが、これだけでも充分発表の価値はあると私には思われる。ところがこの研究はその第二期において素晴らしい進歩をしている。
その研究は実験室内で人工の霜柱を作るという方向に向いて来たのであるが、第一期の仕事であれだけよく霜柱の観察がされているのであるから、これは誠に研究の大道にのったやり方である。すべてこのような自然現象は出来るならばそれを人工的に作って見るのが一番良い研究の方法であって、一度実験室内で作ることに成功しさえすれば、後は色々条件を変えてその影響を見て行けば、少しも無理をしなくても容易に事柄が分って行くものである。或る工学者が水道鉄管の腐蝕の現象を研究されているが、その人の話でも、実験室内で腐蝕を起さすまでは大変な苦労であったが、それに成功したら後はすらすらと研究が運んだという話を聞いたことがある。一般に自然には到る所にある現象も、それを実験室内で作るとなると妙に難しいのが通例である。それで霜柱を人工で作るということも、なかなか容易しいことではないと思われる。ところがこの研究者たちは、実に何でもないという風に作っているのである。
木箱の底に土を入れて、上にドライアイスを入れた箱を置いて見たら立派に霜柱が立ったのである。余り手際が良いので実は少々驚いた位である。もっともこの装置ではまだ本当にいったら少し自然の場合と条件が異るので、不充分ともいえるのであるが、この装置でも或る程度まで霜柱の本性を研究するには充分であって、しかもこの研究者たちは、この装置で出来る範囲内で、一番肝心なことを次ぎ次ぎとすらすらやって行っている。この少しも妙にこだわらぬ点が、私にはまた非常に面白く思われた。
先ず霜柱は土にしか立たないものか、他の適当な粉に適当に水分を含ませたらそれでも出来るかを見るために、紅殻の粉、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いて実験がしてある。そして土以外のこれらの粉では霜柱が出来ず、粉全体が凍ってしまうということを認めている。次に土といっても砂や粘土ではやはり霜柱は出来ず、関東平野にある赤土に限っているということを確め、いよいよこの研究の最後のそして最も重大な問題であるところの、赤土に限って何故霜柱が出来るかという問題にとりかかっている。誠に堂々としたものである。
赤土の特性として、その粒子の吸着水の問題をとりあげているが、アドソルビンのように吸着性の強いものでも霜柱は出来ぬからそのせいだけではないことを確め、次に赤土の中に含有されている有機物のためかも知れぬという疑問を出し、それでもないという結論を得ている。その実験は赤土を八百度の高温で三時間灼熱して有機物を焼きとばしてしまい、残りをよく摺り潰して作った土でも霜柱は出来るというのである。結局問題は赤土の性質そのものに帰したのであるが、これ以上研究を進めるには、土壌の物理的性質に立ち入らねばならぬのである。
土の物理学などというと、何でもないように思われるかも知れないが、実はこれは複雑なコロイドの問題で、物理の専門家でも先ず一応はやれやれと思う位厄介なものである。ところがこの研究者たちはまるで平気でこの問題に立ち入って、土の粒子の分析から始めている。そして赤土を電解質で分散させ、沈底法によって非常に細い粒子と粗い粒子とを分けてとり出し、その各々について霜柱を作って見たのである。そして粗い粒子では霜柱が出来ず、微粒子の方では出来る場合と出来ない場合とがあるという結論に達したのである。とにかく霜柱の出来るために必須な条件は、微粒子が存在することであるという重大な結論を得たのである。
次に出来る場合というのは、土の表面に小凹凸があって、その中の尖った点から凍り初めた場合であるということを確めている。それにも面白い実験があって、コップの中に水を一杯入れてその上に浸るように濾紙を載せ、その濡れている濾紙の上に赤土の少量を撒いて置くと、その土から立派に霜柱が出来るということを確め、霜柱の成立如何は土の表面の性質に依ってきまるという結論を得ている。これらも極めてあざやかな実験である。これは砂の上にこぼれた極少量の赤土から霜柱が生えたという偶然にあった現象を捕えて、よくその重要性を生かした結果出来た実験の由であるが、その点も誠によく研究の方法に徹したやり方であると思う。それで前には出来なかった砂、ガラス粉などについて、更に乳鉢で摺って粒を非常に細くし、表面に適当な凹凸を作ることによって立派に霜柱を作っているのである。これで研究は完全に出来上っているのであるが、更に自然の霜柱について、何故赤土が最適であるかという考察をしてこの研究は終っている。
最後に霜柱は日本特有のものと思っていたが、外国でも二、三出来る所があるということを調べてある。独逸などでは出来ないというので、伯林の土を取り寄せて見たが、それを今までの理論から見て、摺り潰して見たら、果して霜柱が立った由である。「伯林の人が生れてから見たこともない霜柱」が伯林の土で立派に出来た由である。
以上紹介したようにこの研究を読んで、私は非常に驚いたのである。この仕事については先ず第一に指導した先生がよほど偉かったのであろうということが考えられた。それから「物理学」の知識がさほど深いとは思われぬ若い娘さんたちが、優れた「物理的」の研究を或る場合には立派になしとげるという良い例が我国に出たということを嬉しく感じた。こういう研究が出来るというのは、第一にそして一番重要なことは純粋な興味を持つということである。第二には厳寒の二月、仙石原で徹夜するという程度の熱心さを持つことである。第三には思い付いたことを、億劫がらずに直ぐ試みて見る頭の勤勉さを持つことである。第四には偶然に遭遇した現象をよく捕え、それを見逃さぬこと、即ちいつも眼を開いて実験をすることである。第五には新しい領域の仕事を始める時に怖がらぬことである。この研究者たちが土の分析に手を付けた時のように平気で始めることである。それには余りに多くの知識と打算とが一番邪魔になる。第六には妙にこだわらぬこと、これは何でもないようで、その実なかなか難しいことである。そして以上述べたそれらの色々の心得の外に、研究の全体に通じて或る直観的な推理を働かすことである。
寺田先生の何かの本に「嗅ぎ付ける力がなくては本当の研究は出来ない」という意味のことが書いてあるが、心得べきことである。この霜柱の研究には到る所にこの直観的の推理が躍動している。私はこの直観的の推理は、既知の知識の集積から来るものではなく、現象に対して持つ興味の純粋さから来るものとぼんやり考えていたが、今その実例を見て非常に喜ばしく思っている。この霜柱の研究者たちが、何時までも色々な現象に対して、常にこの研究にあらわれているような心持を持って行かれることを願う次第である。
底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「日本の科学」創元社
1940(昭和15)年
入力:門田裕志
校正:川山隆
2012年12月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。