語呂の論理
中谷宇吉郎



 先年北海道で雪の研究に手を付けた時、日本の昔の雪の研究として有名な、土井利位どいとしつらの『雪華図説せっかずせつ』と鈴木牧之すずきぼくしの『北越雪譜ほくえつせっぷ』とを何とかして手に入れたいものと思って、古書の専門店の方へも聞き合せたことがあったが、折しくどうも手に入らないので困っていた。ところが、何思わずそういう意味のことを雑文の中に書いておいたら、早速それでは私のところにあるものを御頒おわけしましょうと言って下さった人があった。

 一人は秋田の人で、文久ぶんきゅう二年大槻磐渓おおつきばんけい先生の重刻になる『雪華図説』が送られて来た。もう一人は九州の人で『北越雪譜』の七冊ぞろいの大変保存のよい本が幸運にも手に入ったわけである。もっともその間もなくこの『北越雪譜』の方は岩波文庫に出て、手軽にだれにも手に入ることになったのであるが、こういう本もなかなか面白いものである。『雪華図説』の方は案外立派な研究で、天保てんぽう時代の日本の自然研究者の仕事も、よく見ると、色々学ぶべき点があるという意味で特に私には興味があった。『北越雪譜』の方は、昔の雪国の生活の記録が沢山集っているという点で科学的に見ても大切なものであるが、その一番大切な所以ゆえんは、当時の人々の雪害防止策と、現代の東北や越後えちご地方の人々の採っている対策とが、ほとんど同じものであって、現代日本の文化的あるいは科学的の施設が、これらの地方には殆んど及んでいないということが分る点にあるのである。

 もっともそういう話は、雪国出の政治家などがいわれた方が適切なのであって、私にとってもっと面白く思われたのは、『北越雪譜』の中の理論的説明に用いられている一種の論理学であった。徳川時代といっても、天保の頃にもなれば、もう西洋の学問も入っているので、特にその頃の先進者たちの頭の中には、西洋学的な物の考え方即ち現代のわれわれの物の考え方が充分はいって来ていたようである。例えば『天地或問珍てんちわくもんちん』のような本の中の自然現象の説明に用いられている広い意味での論理学は、現在の自然科学に用いられているものと、その骨組においてはず同じものと見て差支えないようである。ところが、この『北越雪譜』の著者鈴木牧之おうは、越後の塩沢しおざわの商人で、時々商用で上京した時に当時のいわゆる文人ぶんじん雅客がかくまじわりを結んではいたものの、その全生涯は殆んど越後の雪の中で送られたものと見て差支えない。

 こういう北陸の片田舎で育ち、西欧の自然科学的な物の考え方からすっかりかけ離れて生長した人の持っている「自然科学」の一面を見るためには、あるいは『北越雪譜』のようなものが案外良い資料になるのかも知れない。そして私にはこの『北越雪譜』の中に出て来る論理が、何となく純粋に日本的あるいは東洋的なものという気がして大変面白かった。

 第一節は「地気ちき雪と成る弁」であって、天地の間に、三つのへだてがあって、地に近い温際おんさいから地気が昇って行って冷際れいさいいたって、温かなる気が消えて雨や雪になるという話が書いてある。この話は、その中に用いられている術語と温度と熱の概念とを訂正さえすれば、すっかり現代の科学の説になるのであって、従ってその骨組だけを見れば、こういう考え方は現代科学と同じ仲間のものであろう。もっとも牧之翁自身も、「これ余が発明にあらず諸書に散見したる古人の説なり」といっているのであるから、では問題にすることもなかろう。

 ところで、牧之翁の論理学が躍如として出て来るものは、もっと地方的の現象の説明である。例えば、「初雪」のところには次のような一節がある。

……そもそも越後国は北方の陰地いんちなれども、一国のうち陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足らず、ゆゑに東南を陽とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気なり。東南は高山つらなりて陰気なり。ゆゑに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑しょゆうは雪深し。……

 この文章の中に用いられている陰陽の考え方は勿論支那のものであろうが、それよりももっと興味のあるのは、この片鱗へんりんの中に現われている論理であろう。先ず初めにこの中に用いられている「ゆゑに」を色々に考えて見たのであるが、私にはどうも分らなかった。もっとも「ゆゑに」ばかりではなく、肝心な定理か仮説になるものというのがこの場合は、「天は西北にたらず」「地は東南に足らず」というのらしいのであるが、それが後の越後の地勢とどう連絡しているのか、またこういう仮説がどうして必要なのかがなかなか了解出来なかった。勿論論理自身を今問題にしているのではなくて、こういう風に説きすすめて行く方が物事が分りやすかったらしい牧之翁の頭の作用が、現代の私たちにはみ込めないのである。結局、これは「語呂ごろの論理」とでもいうべきものであろうという結論に達して、さっさと次へ読み進むことにした。

 ところが、仙台で小宮こみやさんの御宅おたくを訪ねた時に、丁度水曜の面会日に当ったことがある。その席上で何気なにげなくこの語呂の論理の話をしたら、同席の長谷川はせがわ君が大変面白がって、「そういえば、『北越雪譜』の中の雪中の虫のところに「金中かねのなかなお虫あり、雪中ゆきのなかなからんや」というのがありますね」という話をしてくれた。私はうっかり読み通っていたので、帰ってから早速探して見ると、なるほどちゃんとあった。そして、語呂の論理の例としては、この方が簡潔で良いので、その後はしばしばこの方を借用することにした。

「雪中の虫」の説はなかなかの傑作である。およそ銅鉄の腐るはじめは虫が生ずるためで、「さびるくさるはじめさびの中かならず虫あり、肉眼に及ばざるゆゑ」人が知らないのであるが、これは蘭人らんじんの説であるという説明があって、その次に「金中猶虫あり、雪中虫無んや」というのが出て来るのである。

「雪中虫無んや」の話は、その時は大笑いになって済んでしまった。そして西洋の自然科学風な考え方の洗礼をまだ受けていない頃のわれわれの祖先の頭の中をちらとのぞいたような気がして大変愉快であった。ところがそのよく注意していると、この語呂の論理は案外現代にも色々の所ですました顔をして通用しているということに気がついた。特に驚いたことには、ちゃんとした現代科学の学会の討論などにも、時々は「金中猶虫あり、雪中虫無んや」と全く同じ論理が出て来ることがあるのである。もっともそういう論をする人を、徳川時代の頭の人と言おうというのではない。はずかしい話であるが、現在の我国わがくにの科学界は世界の水準を抜いているように新聞や雑誌などに時々書かれていることもあるが、それはどうも余所眼よそめの話で、本当に内部に入って、その学問的地位を冷静に考えて見ると、まだまだ日本の学問は世界的の水準に達していないと私には思われる。少し極端にいえば、外国にかきに種が六つあるという論文が出ると、なしには八つあるという論文が日本で一、二年後に出るような程度のことがまだかなり多いのである。それから見たら、語呂の論理でも何でも、とにかく一つの見識を持とうというのはまだ良い方であるのかも知れない。

 この三、四年来、日本の気候医学の方面で、空気イオンの衛生学的研究が一部でさかんに始められた。る大学の研究室では、陰イオンが、喘息ぜんそくや結核性微熱に対して沈静的に作用するという結果を得て、臨床的にも応用するまでになっていた。そして陽イオンはそれと反対に興奮性の影響を与えるということにされていた。ところが他の大学の研究では、イオンの生理作用は、陰陽共に同一方向の影響があって、ただその作用の程度が、イオンの種類によってことなるという実験的結果が沢山出て来た。それで学会で、これらの二系統の論文が並んで発表された時には、勿論もちろん盛な討論が行われた。或る理由でその席上につらなっていた私は、その方面とはまるで専門ちがいなので極めて暢気のんきに構えて、その討論を聞いて面白がっていた。その中にはこういうのもあった。「陰イオンが沈静的に働くということは、既に臨床的にも沢山の例について確証されている。これは実験的の事実である。それが事実とすれば、陽イオンがその反対に、興奮的に作用するということもまた疑う余地がない」という議論が出て来たのである。これなどは、まさしく語呂の論理の適例であろう。もっともこういう立派な学会での討論を「雪中虫無んや」と内容的に同じものというのでは決してないが、論理の形式が同型のものであることは認められるであろう。勿論、実際は陰イオンが沈静的に働き、陽イオンが興奮的に作用するという研究結果を得られて、その事実を発表しようとされたのであろうが、それを聴衆に納得させようとした時に、不用意のうちに、われわれの祖先の持っていた表現形式が出て来たのであろう。こういう風に見ると、語呂の論理は日本人の頭の奥底にかなり強い一つの思想形式として今もなお残っているものと見るべきであろう。

 こういう例は、勿論外にも沢山あるのであって、特に或る種の政治家たちの議論には、随分激しい語呂の論理が平気で幅をきかせているようである。先年いつか汽車の中で、こういう種類の政治家らしい人が、ふとって頑丈がんじょうな肩をいからせながら、地方の代表者らしい人を二、三人前に置いて、盛に高説をきかせていたのを見たことがある。丁度或る大学事件がやかましかった頃で、その政治家は、大学の「研究の自由」について盛に論じているらしかった。

「いくら研究の自由だからと言っても、ちゃんと大学令に、国家に枢要すうようなる研究の蘊奥うんのうを極めとある以上、(本当はそんなことは書いてないが)国家に害あるような研究を自由にやるという法はないじゃないかね」

「いや勿論で御座ございますよ。どうもこの頃大学の先生も少し図に乗り過ぎましたからね」

「そうだよ、そうだよ。少し図に乗り過ぎているんだよ、常識で考えたって、国家から金をもらって、国家の機関として研究をしているのに、国家に枢要なる研究をするのは、君、当り前だよ」

という風な話がちょいちょいきこえて来る。こういう議論は勿論本当過ぎるくらい本当のことで、何も議論になるような問題ではないのである。もしそれが議論になるとすれば、それは語呂の論理の一つの例となるかどうかという点が問題になるだけであろう。

 この場合、問題になるのは、或る大学の或る教授が、一つの研究をしているとして、その研究が国家に枢要な研究であるか否かの判断をだれがするかという点なのである。従来はそれを大学の教授の判断に任せておいたが、とかく専門学者にはそういう判断力が少いから、例えば監督官庁の適当な地位の人がその判断をすることに改めようというような議論だったら、それは議論になり得る性質の話である。「大学は国家の機関だから、国家に枢要な研究をすべきだ」というのでは、秋晴れの日に今日は良いお天気だというようなものである。

 田舎廻いなかまわりの政治家などが、いくら語呂の論理をふり廻しても、その害は多寡たかがしれている。しかし責任の地位にある人が、こういう語呂の論理に耳を傾けたら、その影響は恐ろしい。正統に順を追って、その間思考の勝手な飛躍がないかどうかを確めながら考えをまとめて行く癖は、日本人には昔から少かったのではないかという気がする。それが我国で科学が発達しなかった一つの理由であり、また「金中猶虫あり、雪中虫無んや」という風な議論が、一種の諧調的かいちょうてきな響をもってわれわれの耳に入る理由にもなるのであろう。現代ではもう西洋風の科学的な考え方が一部の国民の頭の中には根強く行きわたったので、そういう議論を聞く機会も少くなった。しかしもともと二千年の間培われて来た国民性の癖は、なかなか急には頭の底から抜けないのではないかという気もする。

 もっとも何でも理詰めに物を考えるということ自身が良いことであるかどうかはまた別問題である。世の中のことは非常に複雑で、そう一部の科学者たちがいうように、科学的精神ばかりで貫けるものかどうかは私には分らない。案外語呂の論理の方が役に立つことが多いのかも知れないが、少くとも大砲や飛行機を作る方面の基礎になる学問の方では、当分の間は好きでも嫌いでも西洋科学を神妙に勉強した方が良さそうである。

 独逸ドイツでは、この頃ユダヤ人を排撃するために、アインシュタインとか、原子物理学の方面の俊秀な学者たちとかを追放して、『独逸物理学』という専門雑誌まで出して、大いに独逸国民的な物理学の隆興を期している。そして純粋のナチス党員の学者たちが結束して盛に研究をしている。しかしその結果は公平に見て独逸の物理学の発展には余り良くない影響を与えているように見える。少くともこの数年来の独逸の物理専門雑誌に出る論文は、一時にぐっと質が低下したというのは、専門家の中では一般の評である。しかし独逸では盛に軍備を拡充して、素晴らしい性能の機械力を得ているという人があるかも知れないが、この種の学問の質の低下がそういう応用の方面に影響をあらわして来るのは、十年とか二十年とか先のことである。

 もっとも私はこの例をわれわれの「盟邦」独逸の政策を悪く言うために挙げているのではない。物理学のような近代工業の基礎になる大切な学問の質の低下を犠牲にしても、国内の民族の血を純化し、その結束を固めなければならない立場にある独逸の要路の人々の苦衷を思い、かつそれを断行している勇気をたたえることは忘れない。とにかく大戦後のあの窮状を打破して来た独逸国民に敬意を表することは当然である。ただ、物理の専門家以外の人には、「独逸物理学の勃興ぼっこう」などという新聞記事が、何かその学問の大発展を意味するような誤った印象を与えているかも知れないので、その点を注意しておくに過ぎない。

 その点になると、われわれは誠に幸いである。民族の血の純化などということには何の心配もないのであるから、「日本物理学」などというものをあわてて作る必要もないし、また幸いなことには、そんなうわさもきかないで済んでいる。ところが他の学問の方では、例えば医学などの方では、この頃「日本医学の確立」などということがいわれているそうである。専門ちがいのことであるから、その内容は知る由もないが、多分それは、日本人の体質に応じた治療学とでもいうのであろう。まさか日本意識に眼覚めたる医学などというのではないと思う。独逸では魚は余りわないが、それは魚がれないからで、何も日本でもその真似まねをして魚を喰わないようにしようなどと説く人もなかろう。

「天は西北にたらず、地は東南に足らず」という風な科学がもし出来たら、よほど面白いものが出来上るにちがいない。もっともこれは少し冗談であるが、それほどでなくても、現代の自然科学はいわばギリシア人の思考形式から発達した学問であるとはよく言われていることである。東洋の特に我国のように長い間比較的孤立して特殊の文化をもって来た国に、特殊の科学が誕生する可能性はないことはない。しかしそういう別の科学が出来たら、その応用方面も別に開かれると見るのが至当であるから、それはぐに現代の機械工業や軍需工業の方面に、急には役に立たないところの或る別のものになると考える方が本当に近いであろう。とにかく、今は我国は未曾有みぞうの非常時局に直面しているのであるから、取りえずは、日本意識に眼覚めた科学などに注意を向ける暇はないはずである。それも独逸のように、もっと重大な問題、即ち民族の結束というような緊急問題に直面している国ならば、「独逸物理学」もまたやむをえないのであろうが、われわれにとっては、今のところは、西洋科学をもっと取り入れて、なお一層強い機械力を産み出すのが当面のつとめであろう。

 ところがごく一部の人ではあるが、日本意識に目覚めた科学などをおこそうと企てている人の中には、こういう非常時に遭遇している際だから、特にそういう問題が必要だと思っている人もある。そうすると今の話とはまるで反対の結論になってしまう。誠に不思議なことである。

 今の場合と限らず、この頃の世論の中には、同じ環境にいて、同じ目的を持って話をしているのに、結論が両者まるで反対になっている場合が、ほかにも沢山あるように思われる。あるいはどっちか一方が、語呂の論理に陥っているのかも知れない。それだとこれはよほど戒心すべきことである。

(昭和十三年十二月一日)

底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店

   1988(昭和63)年916日第1刷発行

   2011(平成23)年16日第26刷発行

底本の親本:「続冬の華」甲鳥書林

   1950(昭和25)年

初出:「中央公論」

   1938(昭和13)年121

※表題は底本では、「語呂ごろの論理」となっています。

入力:門田裕志

校正:川山隆

2013年14日作成

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