比較科学論
中谷宇吉郎
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科学が今日のように発達して来ると、専門の分野が、非常に多岐に分れて、研究の方法も、千差万別の観を呈している。事実、使われている機械や、研究遂行のやり方を見ると、正に千差万別である。しかしそれらの研究方法を概観すると、二つの型に分類することができる。
その一つは、今日精密科学といわれている科学のほとんど全分野にわたって、用いられている研究の型である。問題を詳細に検討して、それを分類整理し、文献をよく調べて、未知の課題を見つける。このいわゆる研究題目が決まると、それについて、まず理論的な考察をして、どういう実験をしたら、目的とする項目についての知識が得られるかを検討する。そして実験を、そのとおりにやって、結果を論文として報告する。
こういう種類の研究で、一番大切なことは、よい研究題目を見つけることである。それが見つかれば、あといろいろと工夫をして、その問題を解いて行けばよい。比較的簡単に解ける場合もあろうし、非常に困難な実験をしなくてはならない場合もあろう。しかしいずれにしても、犯人は分っていて、それを捕えるという場合に似ている。相手が鼠小僧や石川五右衛門のような場合には、非常に複雑で困難な実験を必要とする。こそ泥くらいならば、ちょっとした実験ですぐ分る。いずれにしても、犯人が分っていて、それを捕えるのに難易があるのであるから、これは警視庁型といった方がよいであろう。
ところが、これに反して、犯人の名前が分らないばかりでなく、犯人がいるかいないかも分らない場合もある。アマゾンの上流、人跡未踏の土地へ分け入った生物学者の場合がそれである。どんな珍奇な生物がいるかもしれないし、またいないかもしれない。この場合も、探すのであるが、その探すという意味が、犯人を捜索する場合とは大分ちがっている。思いがけない新種の発見は、アマゾンの上流だけに限らず、物理の実験室の中にもある。そういう新種を探すようなやり方の研究を、アマゾン型の研究と呼ぶことにする。アマゾン型の研究の特徴は、いるかいないか分らない新しいものを探すのであるから、題目が与えられるのではなく、「地域」が与えられるのである。生物の新種発見の場合ならば、この「地域」は、アマゾンの上流であるが、物理学の場合は、それはどこでもよい。自然界にあるすべての物質と勢力とが対象であるから、自然界の全部が、その「地域」である。
こういう風にいうと、警視庁型とアマゾン型と、全く別の二つの型があるように思われるかもしれない。しかし本当は、この両者が融合した場合に、よい研究ができるのであって、以上に挙げた二つの型は、その両極端を指しているのである。問題は如何にしてこの両者を融合させるかという点にある。しかし話を分りやすくするために、両極端の場合について考えてみよう。
まず警視庁型の研究であるが、その極端に行ったものは、米国などで行われている委託研究である。もちろん例外もあるが、大多数の委託研究は、目的も方法も非常にはっきりしていて、少し大袈裟にいえば、初めから論文ができているような形である。唯、その論文は、測定数値のところだけが空白になっている。それで実験をして、その空白のところに、数値を書き込めば、研究は終了する。
それほどではなくても、研究の計画書は、非常に詳細に出来ている。研究者は、その計画書どおりに、レールに乗って動いて行くだけである。研究すべき材料は三種類で、それを五つのちがった温度で、各十回測る、という風になっておれば、決して四種類はやってみない。五つのちがった温度でやってみて、少し変なことがあっても、もう少し低温まで調べてみようなどという気は起さない。契約の範囲外だからである。
委託研究というものは、寄託者の方で必要とする資料を、いわば買うわけであるから、委託された方でも、純粋な学問的興味でもって、その問題を追究する気になれないのも、無理はない。従って契約事項だけを忠実に実行して、それを渡してしまえば、研究完了ということになる。
いうまでもないことであるが、こういう研究では、全く新しい知識が得られることは、滅多にない。或る数値表のうちの抜けたところを埋めるような種類の研究になりやすい。もちろん実際にものを作るような場合には、こういう研究が非常に大切である。この頃の新しい機械はいずれも性能が高く、構造がきわめて複雑である。各要素に分けて、その一つ一つの要素について、精密な研究をして、それを有機的に働くように組み立てる。こういう場合には、未知の新しい現象を探すことに、時間と精力とを使ってはおられない。必要な資料を確実に集めれば、それで研究は終了する。
しかしこういうことができるのは、原理がよく分っている場合に限る。ところで、その場合にもいろいろあって、そのうち一番分りやすいのは、昔からよく分っている原理を使って、更に高性能なものをつくる場合である。たとえば人工衛星のようなものは、その原理は、ニュートンによって、樹立されたもので、今日でもそれを一歩も出ていない。或る物を投げる場合、速度が小さければ近くに落ちるが、大きくすると、遠くまで届く。速度が大きくなるほど遠くまで行くので、うんと大きくすると、地球の反対側まで達する。それ以上速くなると、もう落ちて来なくなって、人工衛星になるわけである。月が地球を廻るのも、林檎が地面へ落ちるのも、同じ万有引力という力によるというのが、ニュートンの発見であるが、これがすなわち人工衛星の原理である。
原理はよく分っているのであるが、実際に人工衛星をつくること、すなわち地球の反対側よりももっと向うまで行くような超高速度を得ることは、非常に困難である。従来は、夢のような話と思われていた宇宙速度にまで到達したという点では、ロケットの飛躍的な発達は、今世紀の科学の勝利である。しかし純粋な科学の立場からいえば、人工衛星または人工惑星がもつ意義は、それによって、宇宙の研究で従来不可能であった分野が、研究可能になったという点にある。大気圏外の世界は、人類未到の世界である。其処には、何があるか、全然わからない。新しいアマゾンの流域が、科学者の到達を待っている。警視庁型の研究が、その極限に近づくと、その先にアマゾン型の研究が待っている形である。
アマゾンの秘境に立ち入る生物学者は、其処にどんな珍しい新種があるかを知らない。対象の実体を知らないばかりでなく、そういうものがあるかないかも分らない。従って新しい発見の方法は唯一つしかない。常に眼を開いて、注意深く探索をつづけるより外に方法はない。そしてちょっとでも変ったことがあったら、それを目ざとく見付けて、その対象を追究して行く。それが新しい発見に導かれることもあるし、何も出て来ない場合もある。もちろん後者の場合の方が多い。しかしそれより外に道はないのであるから仕方がない。
ところで新しい発見の確率は、何か変ったこと、すなわち糸口を捕える確率と、それを追究する方法の成功率との積できまる。その両者とも、科学の基礎知識が、その基盤となることはもちろんであるが、前者には勘が重要な役割をなし、後者には研究に対する愛情が必要である。
アマゾン型とはいったが、物理学の場合は、自然現象のすべてが対象であるから、われわれの身辺から大気圏外までのすべてが「アマゾンの流域」である。それについて、再び線香花火の例に戻ろう。
線香花火の火花は、回転砥石から出る鉄の火花に通ずるが、この鉄の火花が冷めたものは、直径十分の一粍程度のきわめて小さい鉄の球である。ところがそれと全く同じものが、太平洋の深海の泥土の中から、たくさん発見されている。大西洋の深海からも発見されているが、太平洋の赤粘土の方が、遥かに多数の鉄球を含んでいる。
太平洋の深海は、六千米以上の深さで、陸地から来る泥土は、大陸棚とその周辺に沈澱してしまうので、こういう深いところまでは届かない。それでこの鉄の球は、流星の名残りと考えられ、流星球と呼ばれている。流星は案外たくさん始終地球上に降りそそいでいるもので、重さ一ミリグラム以上の流星は、一日に一億七千万個、〇・〇二五ミリグラムのものまでいれると、一日に八十億個ぐらいは地球の大気中にはいっていると、専門家は計算している。
この流星の大部分は、上空で燃えて、非常に小さい微塵、すなわち宇宙塵となって、大気の中に分散してしまう。近年この宇宙塵が雨の芯になるという説を出した人があって、大分学界を賑わしているが、これには反対の学者も多い。それは別の話として、鉄成分の宇宙塵の中で大きいものは、鎔けて鉄の小球となり、燃え切らないで地表まで達する。これが流星球である。この流星球は形も成分も鉄の火花とほとんど同じものである。鉄工場でわれわれは、毎日流星球をつくっているのである。太平洋の深海の泥は、千年に一粍くらいの割合で沈澱していることが、泥土の放射能の研究で分っている。瑞典のペターソン教授は、底土の深さ五米のところまで、この流星球の存在を確めている。五百万年昔までの流星がつかまえられたわけである。
ところで、鉄の火花については、もっと面白いことがある。純鉄の場合がはっきりしているのであるが、この火花は、その末端に近いところで、一度光が弱まり、まさに消えようとして、それからまた急に光が強まり、今度は本当に消えてしまう。ところがこの再発光の現象は、流星の場合にも、ほとんど例外なく見られるのである。流星の写真と、鉄の火花の写真とを、並べてみると、この点ではほとんど区別がつかない。まだこの再発光の機巧はよく分っていないが、大気圏外も、われわれの身辺も、ともにアマゾンの流域であるという一つの例といって、いいであろう。
今日のように発達し、専門化かつ分化した物理学においても、新しい発見というものは、偶然によってもたらされることが、非常に多い。全く新しいことならば、誰も予期しないことであるから、偶然によって発見されるのが当然である。
今日の原子力時代をもたらした基礎の知識は、原子核理論である。その原子核の構造は、陽電子、中性子、メソンなどのいわゆる素粒子の発見によって、初めて分ったものである。ところでこれらの素粒子の発見は、ウィルソンの霧函によってなされたのである。ウィルソンの霧函内では、放射線粒子の一つ一つの運動を、眼で見ることができるので、原子の研究には、最大の武器の一つである。
ところがこの霧函は、何も放射線を見るために考案されたものではなく、雨がどうして降るかという研究の副産物であったのである。水蒸気が上空で凝縮して雲になり、雲の粒子が集って雨となって降ってくる。その最初のところで、水蒸気が凝縮して雲の粒になるときに、核、すなわち芯になるものが必要である。ウィルソンは気象学者であって、空気中のイオンがこの芯になる作用を研究していたのである。
水蒸気で飽和した空気を、急激に膨脹させると、温度が下って、過飽和の状態になる。このときに、空気中に芯になるものがあると、それに水蒸気が凝縮して、白い霧ができる。ウィルソンはX線やラジウムの放射線で照射して正負のイオンをつくりながら、急激膨脹を起させると、白い霧ができるという実験をしていた。
そのうちに、尖端放電によってできるイオンの分布を知る必要がでてきた。それで函内の空気を乱さないで急激膨脹をさせるために、丈の低い円筒型の器をつくり、底全体をピストンにして、急激に下げる装置をつくった。この装置で、尖端放電の研究をするつもりだったところが、膨脹させてみたら、白い線が見えた。ラジウムを使っていたので、エマナチオンが空気中にまじっていて、アルファ線が出ていたのである。放射線の粒子が走る途中、空気の分子と衝突して、イオンをつくる。そのイオンを中心にして水滴ができたので、この白い線は、アルファ線が走ったあと、すなわち飛跡を示すものである。すなわちこの方法を使うと、放射線粒子一つ一つの運動が、眼に見えることになる。それはたいへんな大発見だということになって、もう雨どころの騒ぎでなくなった。ウィルソンは、この装置を順次改良していって、いろいろな放射線について、その粒子の飛跡を調べ、この方面で新しい分野を拓いたのである。
原子爆弾の製造や原子力の解放で、今日その基礎になっているのは、ウラニウム核分裂の現象である。原子及び原子核の研究は、今世紀の初め頃から、現代の物理学の主流になっていたが、原子力を実際に勢力源として使い得る見込が立ったのは、一九三八年に、ハーンとストラスマンとが、ウラニウムの核分裂を発見した時に始まる。
この核分裂の現象は、そのときまで、誰も夢想だにしていなかったことである。従って、ハーンたちも、それを目指して実験したわけではない。ウラニウムの原子核に中性子を衝突させて、ウラニウムよりももっと重い原子をつくろうと試みていたのである。ところが、実験の結果はその逆であって、ウラニウムの原子核は、もっと軽い原子核二つに分裂することが分ったのである。これなども偶然がもたらした大発見といってよいであろう。
偶然が大きい原因をなしている場合は、その研究にはアマゾン型の要素が強くはいっている。しかし以上に挙げたような例では、偶然に発見された糸口をたどるには、原子論の理論が、大いに必要である。追究して、確認するには、警視庁型の研究方法が用いられるわけである。そして実際のところは、この後者の方が骨が折れ、また深い学識を必要とする。普通、論文として発表されるのは、この部分であって、最初のアマゾン型の部分は、省略されるか、または緒言でちょっと触れる程度である。従って、原子論などの近代物理学では、アマゾン型の研究方法は、もはや立ち入る余地がないように誤解されやすい。しかし物理学が如何に進歩し、精密化されても、全く予期しない新しいことは、つぎつぎと出てくるもので、アマゾン型と警視庁型との融合したものが、本当の研究なのである。
科学は哲学から産れたものであるが、現代では、科学が哲学を置き去りにして、独走している形である。そしてたいていの科学者は、哲学的な思考などは、今日の発達した科学には、もはや必要がないように思いがちである。
この点について、寺田先生は、全く別の考え方をもっておられた。先生は、ギリシァの哲人ルクレチウスの『物の本態について』を愛読され、その評釈をされている。その中に次のようなことが書かれている。
現代の物理学は非常に発達し、精緻をきわめた体系をもっているが、その形式は全くギリシァ時代の人間の考え方と、ほとんど差がない。それは西洋的なものの考え方の基調をなしている思考形式であって、人間の頭脳の力が、文化と伝統とによって、如何に強く支配されているかを、よく物語っている。東洋の全く異なった文化に育成されてきた者の意識は、全く新しい形式の科学の創設に、重要な役割を果さないとは断言できない。例えば、現在の物理学は、自然界から量的に計測し得る性質を抜き出して、その間の関係を、数式で表現する方向に向って進歩してきた。自然界には、それ以外の物理現象がいくらもあるから、そういう問題を取扱う別の物理学があってもよいという考え方である。
その一つとして、先生は「形の物理学」という問題を考えておられた。それについてよく言われていた言葉がある。「形の同じものならば、必ず現象としても、同じ法則が支配しているものだ。形の類似を単に形式上の一致として見逃すのは、形式という言葉の本当の意味を知らない人のすることだ」というのである。これは非常に意味の深い言葉である。先生は、こういう問題について、単に思索されるだけでなく、具体的に、いろいろな現象について、形の研究を進められた。割れ目の研究にしても、電気火花にしても、線香花火にしても、墨流しにしても、みな形の研究という考えが、その基調をなしている。
それから、現代の科学が、分析に偏する傾向が強いことも、時折指摘されていた。それに対して、「綜合の物理学」というものもあり得るというのが、先生の持論であった。例えば、ここに或る複雑な形の波形がある。現在の物理学の方法では、それを応用数学の力で、フーリエ級数に展開して、すなわち分析して調べるのが、普通のやり方である。任意の形の波は、全体の周期と同じ周期をもったサイン波と、その二倍、三倍、……のサイン波の倍音との和として、現わすことができる。任意の複雑な形の波を、サイン波の和の形に展開したものを、フーリエ級数というのである。サイン波の性質はよく分っているし、またその取り扱い方も簡単である。それで複雑な形の波を、サイン波の集合という形に分析すれば、各要素のサイン波について、その性質を調べ、その和として、全体の性質を表現することができる。この方法は、始終使われているが、計算が面倒であって、労多くして功の少い場合が多い。
先生の綜合の物理学では、これを「複雑な形の波全体」として、何かわれわれの感覚に触れさせようと試みられたのである。その一つの方法として、この波形の高低をトーキーのフィルム上に、濃淡で印画することを考えておられた。それを音として再生すると、波形によって、それぞれちがった音色の雑音として聞えるだろうという見込である。各種の波形について、音色が皆ちがえば、波全体として、われわれの感覚に触れるわけである。この実験は遂になされなかったが、まことに面白い着想である。
先生は、哲学方面の造詣も深く、その未完の名著『物理学序説』では、物理学の本質について、深奥な考察をされている。これを読むと、寺田物理学には、やはり強い哲学的な背景のあったことがよく分る。そういう哲学的な考察などは、修飾にはなるが、実際の物理学の研究には、不必要であるという考え方が、一部の科学者の間には、広く行き渡っているようである。しかし透徹した眼で、深く科学の本質を見極めた哲学的な思索が、やはり人間の思索の一つの現われである物理学に、役に立たないはずがない。その良い例を一つ、この『物理学序説』から引用してみよう。それには、まずこれが書かれた時代を説明しておく必要がある。
この本は未完であって、先生の死後、その草稿が見つかったのである。草稿を書かれたのは、一九二〇年から二五年くらいまでの間と推定されている。この時代は、現代の量子力学の基礎をなしているところのド・ブローイやシュレーディンガーなどの論文が出る直前の頃であった。その頃までに、古典電子論は発達の極致に達し、電子の大きさ、剛性、荷電の分布状態などについて、議論は尽きるところを知らず、煩瑣哲学の趣きが、ありありと物理学の上に現われていた。丁度その頃に先生は、この本の第二篇第三章「実在」のところで、次のような記述をされている。
「著者は過去の歴史に徴しまた現在の物理学を詮議して見た時に、少くも今のままの姿でそれ(註、物理学の進歩の経路)が必然だという説明は存しないと思うものである。もし果して然らば物理学の所得たる電子等もいまだ決して絶対的確実な実在の意味を持たぬものであって、これに関する観念が全然改造さるる日もあるであろうと信じている」
と断言されている。
今から考えてみれば、世界中の物理学者がかかって、電子の二次的な性質について、煩瑣哲学的な研究を積み重ねるべく、無駄な努力を払っていたわけである。こういう趨勢の由って来たるところは、電子の粒子性の実験結果に誘導されて、いつの間にか、誰もが電子を、野球のボールを極端に小さくしたものというふうに、思い込んでいたからである。電子をそういう「実在」と思い込んでしまえば、それにいろいろな物性を賦与するのも自然の勢いである。まして、昔から物質の第一性質と考えられていた不可入性などについては、疑問をもった人は、ほとんどなかった。しかし先生は、その点までも、はっきりと指摘しておられる。
「もし今日電子の色を黒いとか赤いとかいえば学者は笑うに相違ないが電子が剛体であるとか弾性であるとかいうのはそれほど怪しまない。まして電子の不可入という事について疑う人は極めて稀だといってよい。しかし著者はこの如き仮定の必然性を何処にも認め得ない」といっておられる。これは非常な卓見であって、哲学的考察が物理学においても、如何に必要であるかを物語っている、珍しい例の一つである。
先生のこの言から数年にして、ド・ブローイによって電子の物性は除外され、シュレーディンガーの式によって規定されるところの形も不可入性もない数学的表現が電子である、ということになった。そしてこの基礎から出発した量子力学が、今日遂に原子力の秘密を解放するまでに発達したのである。
比較科学論というのは、新しい言葉であって、その意味が、はっきりしていない。文学や宗教など、国民性によって著しく異なるものには、比較文学とか、比較宗教学とかいう言葉は、当然あってよい。しかし自然科学のように、自然現象を対象とする学問には、国境も民族性もないはずである。従って、比較科学論などという言葉は、それ自身の中に矛盾がある、と思われるかもしれない。科学は人聞を離れた自然そのものを対象としている、という見方からすれば、そのとおりである。
しかし自然現象は非常に深くまた複雑であって、科学は、自然全体を対象とするものではない。自然界の中から、現在の科学の方法に適った面だけを抜き出して、それを対象としているという見方も成り立つ。この立場をとれば、比較科学論も成り立つわけである。
寺田先生は、はっきりと、この後者の立場をとっておられた。「今日の科学を盛るべき容器は既に希臘の昔に完成してそれ以後には何らの新しきものを加えなかった。」内容はつぎつぎと変って行ったが、容器、すなわち思考形式は変っていないという意味である。こういう立場をとれば、形の物理学や綜合の物理学などという全く新しい物理学も考えられる。それが本当の比較科学論である。
しかしそれをなすには、稀世の天才を待つより仕方がない。しかし一歩下って、現在の科学だけに話を限定しても、なお比較科学論は成り立つように、私には思われる。そしてそういう立場から、今日の科学を見ることは科学の発展のためにも必要であるように思われる。
人工衛星や原子力の解放に幻惑された人々は、具体的な目的をもって、それを実現させる研究、すなわち警視庁型の研究を、科学のすべてと思いやすい。それらは大勢の研究者の協力と、多額の研究費とを要する大企業である。従って「科学は独創の時代を過ぎて、協力の時代にはいった」というのは、この面においては、本当である。
しかし何時の世になっても、やはりアマゾン型の研究も必要である。それを不用と思うのは、自然を甘く見るからである。自然は、われわれが想像する以上に、深くかつ複雑なものである。固定した目的をもたずに、自然に即して、その神秘をさぐるというやり方の研究が、不必要になることは、永久にないであろう。
底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「寺田寅彦──比較科学論」新潮社
1959(昭和34)年4月25日
初出:「寺田寅彦──比較科学論」新潮社
1959(昭和34)年4月25日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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