雪雑記
中谷宇吉郎
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この頃大ていの雪の結晶が皆実験室の中で人工で出来るようになったので、自分ではひとりで面白がっている。よく人にそれはどういう目的の研究なんですかと聞かれるので、こうして雪の成因が判ると冬期の上層の気象状態が分るようになって、航空気象上重要なことになるのですよと返事をする。そうすると大抵の人はなるほどと感心してくれる。しかし実のところは、色々な種類の雪の結晶を勝手に作って見ることが一番楽しみなのである。
もう六年前の話になるが、初めて雪の結晶の顕微鏡写真を撮ってみようかと思い付いた頃は、この美しい結晶が人工で出来ようとは夢にも思っていなかった。丁度その前年亜米利加のベントレイの雪の本が出版されたのが機縁となって、日本の雪はどうだろうと思い付いたのであった。初めの中はとてもベントレイのような綺麗な写真は撮れないだろうがと思いながら、とにかくやって見ることにした。何よりも雪のとけないような寒い所でなくてはこの実験は出来ないので、附属屋の方へ行く廊下の片隅で始めることにした。此処はスチームも通っていないし、冬になるととても寒いので余り人も通らず、先ず究竟の場所である。其処へ実験台の小さいのを一つと顕微鏡とを運んで、冬の間は一度もあけたことのない引戸をすっかりあけ放すと、先ず準備は出来たのである。
札幌の一月は大体気温は零下七、八度位である。凍りついた引戸を無理にあけると、廊下のコンクリートの路面から二尺位も積み上った吹溜りの雪が、ぼろぼろとコンクリートの上へこぼれ落ちて来るのであった。そこで硝子板を紙につつんで外へ出して置いてすっかり冷え切ったところを取り出し、降って来る雪をその上に受けとって顕微鏡で覗くのである。なるほど今まで写真で見た通りの形をしている。実のところ、本当の雪を顕微鏡で覗いたのはこの時が初めてなのである。写真では黒白の線しか分らないのであるが、眼で見た時は、細い小凹凸があるために、繊細なあの模様の縁に空の光が反射して、水晶細工のような微妙な色が見えるのであった。しかし完全な結晶というのは稀であって、色々の形の汚い結晶が混っているので、それを取り除けるのが一骨であった。結局マッチの軸の頭を折って、そのささくれた繊維の端で欲しい雪の結晶を吊して綺麗な硝子板の上へ持って来ることになったのであるが、どうもとけやすくて困った。しかし色々やっている中に、それは手の暖みによる輻射熱と手で暖められた空気の対流とによることが分ったので、手袋をはめることによって難なく解決された。手袋を手から出る暖かみを遮断するために用いるのはちょっと面白いが、考えて見るまでもなくすべての防寒具の目的とするところは結局同じことなのである。手袋をはめると益々仕事は面倒になる。暫くやっている中に、いくら外套をきこんでいても何時の間にか身体がすっかり冷え込んで、気がついて見ると足は小刻みにコンクリートの上をとんとんと踏んでいる。慌てて暖い部屋へ逃げ帰って、スチームの放熱器に腰をかけて暖まるのである。
こんな騒ぎをしてやっと顕微鏡写真をとることは出来たのであるが、今になってその頃の写真をとり出して見ると随分下手な写真である。それでも初めて現像して見て、結晶の像が出て来た時はとても嬉しくて、濡れた乾板を持って同僚の友人の所へ見せに行ったのであるから、随分滑稽な話であった。そんなことをしている中に最初の年の冬は明けてしまったのであるが、一度手がけて見ると、急に雪に対する愛着が出て来て、その後毎年冬になるのを待ち兼ねるようになった。そして前の年に見たと同じような形の雪の結晶と顕微鏡の下で会うのを楽しみにするようになった。
次の冬の正月休みの前になって巧いことを思い付いた。それは十勝岳の中腹に山林監視人のためにヒュッテが出来ているのであるが、それを借りて皆で出かけて、雪の降る日は結晶の写真を撮り、天気の日は仕方がないからスキーをやろうという案なのである。駅から五里の雪道を、馬橇で顕微鏡だの写真用器具だの食料品だのを運ぶのは大仕事であったが、計画は見事成功した。白樺の老樹の細い枝が樹氷につつまれて空一面に交錯している間に、僅かばかりの空所があって、その間を静かに降って来る雪の結晶は、予期以上に繊細巧緻を極めた構造のものであった。夜になって風がなく気温が零下十五度位になった時に静かに降り出す雪は特に美しかった。真暗なヴェランダに出て懐中電燈を空に向けて見ると、底なしの暗い空の奥から、数知れぬ白い粉が後から後からと無限に続いて落ちて来る。それが大体きまった大きさの螺旋形を描きながら舞って来るのである。そして大部分のものはキラキラと電燈の光に輝いて、結晶面の完全な発達を知らせてくれる。標高は千百米位に過ぎないが、北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電燈の光で区切って、その中を何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上って行くような錯覚が起きて来る。外に基準となるものが何も見えないのであるから、そんな錯覚の起きるのは不思議ではないが、しかしその感覚自身は実に珍らしい今まで知らなかった経験であった。
ヒュッテの中には部屋の真中に大きいストーヴがあって、番人の老人が太い三尺もある立派な丸太を惜し気もなくどんどん燃してくれている。其処で十分暖まってから、防寒外套を着てヴェランダに出て写真をとるのである。顕微鏡写真の装置は固定したままヴェランダに出し放しになっているので、暫く休んでいる間に、水鳥の胸毛よりももっと軽い雪がもう何寸も積っている。軽いといえば、十勝岳の真冬の降り立ての雪位軽いものは少いだろう。比重を測って見ると百分の一よりも小さいことがある。まるで空気ばかりのようなものである。よく縁日の雑沓の中で、銅の盥をぐるぐる廻して綿菓子というものを売っていることがあるが、あの綿菓子のような感じである。こんな雪はさっと払うとすぐ飛んでしまって、そのまま仕事を続けるのに何の邪魔にもならない。この土地では冬の六カ月の間気温が零下五度以上に昇ることは殆んどない。それで水の常態は固体であって、液体の水というのは例外的に見られるだけである。それで周囲は全く水の中に埋もれているはずなのに、物が濡れるという心配は先ずないのだから面白いと思った。千円の顕微鏡を雪の露天に放り出して置いても、乾いた布で拭うだけの注意をしていれば何の故障も起らないのである。余り大切にして一々暖い部屋へ持ち込んで掃除をしていたら、温度の急変と雪がとけるためにかえって色々な故障が起りやすい。こんな所ではずぼらをするに限るのであって、ただ注意すべきことは、水をこぼすことである。液体の水は此処では一種の危険品で、あやまってヴェランダの床の上などにこぼしたら、直ぐ凍りついてしまって、その後は危くて歩くことも出来ない始末になる。
結晶がとける心配はないのであるから、いくらでも良い写真がとれるはずであるが、実際は初めの中はなかなか巧く行かなかった。愚図々々している中に昇華作用で肝心の一番繊細な模様が消えてしまったり、つい一番大切な珍らしい結晶に息を吹きかけてしまったり、なかなかそう簡単には行かなかった。ところが十勝行もその年の中に二回、次の年にも三回という風に度重って行くと、不思議なことには雪の結晶が段々大きく見えて来て、それに硝子細工か何かのように勝手に弄り廻すことが出来るようになって来た。どうも双児の結晶らしいと思われるものは、両方から引っ張るとちゃんと二つに分れるようになった。冬彦先生の随筆に硝子の面に作った絹糸位の割れ目を顕微鏡で毎日覗いていると、小山の中に峡谷があるように見えて来る。そうなると色々の現象が分って来るというような意味の一節があったように憶えているが、どうもそういうことがありそうである。十勝岳ではよく水晶のような六角柱の雪の結晶で両底面に六花の板状結晶がついて丁度鼓のような形になったものが降って来ることがある。そういう結晶は何とかして顕微鏡下に垂直に立てて、その側面の写真をとりたいのである。色々試みた末、唾を使うのが一番良いということが分った。マッチの軸の先をちょっと舐めて硝子板をそっとつつくと、唾の非常に小さい滴が硝子板の上につく。ところが唾は氷点が低いと見えて、暫くは過冷却の状態で液状の微滴のままになっている。そこで今一本のマッチの軸の頭を折ったもので結晶を吊しながら、丁度結晶が垂直に立つようにその一端を唾の滴にふれさせるのである。すると今まで過冷却の状態にあった唾の滴はその瞬間に凍って、結晶は巧く垂直に硝子面に凍りつくのであった。このようにして色々の結晶の側面写真をとって見ると、平面写真ばかり見ていたのではどうしても分らなかったことが、飽気ない位簡単に分って来るのでとても面白かった。
その写真を沢山発表して暫くしたら、万国雪協議会英国部会長といういかめしい肩書きで、セリグマン氏から手紙が来た。おそろしく丁寧な文面で、「貴下の撮影にかかる雪の結晶写真の中、側面より撮影されし写真多数を拝見仕り候。如何にして雪の結晶を垂直に立てられしや御差支えなくば御洩し被下度候」というのである。それで早速「それにはマッチの軸と唾とを御使用になるが最適と存じ候」と書いて返事を出して置いた。折返して返事が来たが、その文面がまたふるっていた。「雪の結晶の撮影に関する貴君の卓越せる技術を伝授被下、誠に感謝の至りに御座候」というのであった。どうも真面目なのか、ふざけているのかちっとも分らないが、この返事を見た時は思わず吹き出してしまった。
セリグマン氏といえば、その後ひどく苛められたことがあった。それというのは、先生は雪の結晶のことを simple snow flake といい、牡丹雪のような雪片のことを compound snow flake といって、snow crystal という言葉は、ざらめ雪のためにしまって置こうというのである。私の方はそんな慾はないので、分離した結晶の方は snow crystal、牡丹雪のように沢山の結晶の集った雪片は snow flake ということにして置いた。ところが先生から世界中での命名を一定したいから自分の命名法を使わないかという勧誘が盛に来る。もっともそのこと自身には私も賛成であるが、しかし雪の結晶の中には鼓もあれば、針状のものもある。どうも鼓や針を flake というのは少し可笑しいと思ったので、その由をいってやった。ところが大変である。折返しタイプライター五枚位の返事が来て、細々と自分の命名法の由来を書いて来るのであった。やっとの思いでたどたどとその反駁を書いてやると、また五頁位の手紙である。何の辞書には flake という意味がこうなっている。何世紀頃にはどういう意味に使ったというのであるから、うんざりしてしまった。向うは秘書とタイピストとを使ってべらべらと喋れば済むことだし、こっちは一本の手紙を書くのに一日がかりなのだから、これではとても敵わないと諦めてしまった。それで、「英語はあなたの方が私より確かなのだから、そして命名法を一定することは私も賛成なのですから、爾今あなたの命名法を使いましょう」とあっさり降参してしまった。
ところが思いがけず最近になって妙な援兵が現れた。しかも大変有力な援兵なのである。事の起りはセリグマン氏が私の雪の研究に大変好意を持ってくれて、『ネーチュア』という雑誌に詳しい紹介を書いてくれたのである。但しその中で crystal という言葉は皆 flake と直して書いたのである。こっちは一度降参してしまったのであるからどうでも良いと思っていたところが、それを読んだ英国の気象台長シムプソン博士が同誌の寄書欄へ早速一文を寄せて、雪の命名法は中谷の方が正しい、『オックスフォード辞典』ではフレークという言葉はという調子にすっかりセリグマン氏の命名法をくさしてしまったのである。『ネーチュア』はこんな寄書があると、相手の本人にその写しを送って答弁を求めて同時に掲載する習慣になっている。セリグマン氏の答弁は、自分の命名法は最上とは思わないが、外にもっとよい言葉がないから仕方がない、それにフレークという言葉はそれほど悪くはない、『ウェブスター辞典』によれば云々というのである。『オックスフォード』や『ウェブスター』なら僕だって見たことがあるぞと思って読んで行くと、最後に「それに中谷も私の命名法に最近は賛成をしている」という一節があったので思わず苦笑してしまった。有力な援兵が来たら、その前に本隊があっさり全滅してしまった形である。物事は何でも余り早く諦めてしまうのも考えものである。もっとも今これを蒸し返したらまたタイプライター五頁の速射弾を受けるにきまっているから、当分はこっそり低温室にかくれて、手のひら位の大きさの人工雪でも作る工夫をしていた方が良さそうである。
十勝岳の思い出は皆なつかしいことばかりである。冬の深山の晴れた雪の朝位美しいものも少いであろうと今も時々思い出すことがある。それというのはその後私の健康上の問題もあって、十勝行は自然中止の形となってしまったからである。まだ止めてから三年位にしかならないのに、何だか遠い昔のような気がしてならない。零下十五度の吹きさらしの中に立って、数時間も続けて仕事をするというような気力と体力とはもう再び返って来ないような気がして、心細い思いに耽けることもある。
野外の仕事が封じられた形となったので、自然と研究は実験室内での仕事の方へ向いて行った。それは低温室の中で雪の結晶を人工的に作ろうという問題である。低温室というのは、私のつとめている大学に二年ばかり前に出来た実験室で、八畳間位の室全体が年中零下五十度位まで温度を下げられるようになっている室である。この部屋の中で雪を人工的に作ろうというのであるが、その中で実験するには、勿論服も頭巾も手袋も靴もすっかり防寒用のものを用いるのである。北満の厳寒の野に立つ哨兵と全く同じ服装をして細い物理の実験をしようというのだからなかなか思うように仕事は捗どらない。初めの中はこれだけ十分な防寒用意をしていれば大して身体に悪いこともなかろうと思っていたのであるが、暫くやって見るとこの仕事も余り健康の上には有難くないものだということが分った。零下五十度にすることは滅多にないので、普通は零下三十度附近で仕事をするのであるが、それでも夏になると、外界と五十度位の温度の差がある。即ち部屋に出入りするごとに五十度の気温の急変にあうことになるのであるが、それがどうもいけないらしい。それでこの頃は、実験はすっかり元気な学生の人たちに頼んでしまっているが、それでも暗い低温室の中で、兎の毛の先に作った人工雪の結晶が白く光っている様を思い見ると、時々はいって見たい衝動にかられることがある。
雪を人工で作るといっても、別に大して新しい変った考えがあったわけではない。色々やって見たが、結局自然をそっくりそのまま真似る方が一番利口であった。こんな問題になると人間の智恵などはまだなかなか駄目なものだとつくづく思った。自然の真似というと、結局冷い空へ暖い水蒸気を対流で送ってやって凝結させることなのである。それで装置といっても、対流を巧く生じさせて、その調節が出来るようにさえしてやれば良いのであった。ただ天然の場合は数時間かかって落ちて来る間にあれだけの発達をするのであるから、その時間だけ結晶を空中に浮游させる必要がある。それは低温室の中ではちょっとむずかしいので、差し当り兎の細い毛に結晶をつけて発達させることとした。丁度結晶が兎の毛で吊されたような形になって出来るのである。兎の毛で吊した雪の結晶なんて少しいんちきだといわれるかも知れないが、まあ当分のところはそれで我慢してもらうより仕方がない。それで結局、気温と水蒸気の量及び温度とを色々かえると、出来る結晶の形が皆違うのである。まさかあんなものは出来そうもないと思っていた珍らしい形の結晶、例えば段々鼓や角錐なども、あんまり簡単に出来てしまって少し飽気ない位であった。ウェーゲナー教授がグリーンランドで一冬過した時に、あの全島を蔽っている氷山の裂罅の底で、洋酒のコップ型の結晶を見付けたことがある。しかもそのコップは上部の壁の一部が開いて屏風のような形になっていて、上から見ると六角の螺旋形に捲き込んでいるという念の入ったものであった。即ち水を入れたらこぼれてしまう形のコップである。ウェーゲナー教授は写真を撮って来たから良いようなものの、ただのスケッチだったら到底信用出来ない位の不思議な形の結晶である。ところがその結晶までがわけなく出来たのにはちょっと驚いた。グリーンランドだから気温もずっと低くして、氷山の裂罅の中だから水蒸気の温度も低くして、供給度も減らして、最後に裂罅の底だから条件の変化も少くしてという風に考えて、その通りやって見るとちゃんと屏風型のコップが出来るのだから不思議である。これなら先ず誰でも面白いだろう。若い元気な学生諸君はむやみと面白がって勉強をして、次ぎ次ぎと色々な結晶を作って来るので、見る見るそのレポートが机の上にたまってしまう。これではとてもたまらないので、休戦を申し込んで見たが、誰もちっとも怠けてくれない。その中に計千枚位の写真と、積んだら一尺五寸位になるレポートを作って皆卒業して行ってくれたのでやれやれと思ったら、また新しい三年生の研究実験を始めねばならないという始末である。この調子で生涯働かされるのだったら、研究というものも因果な商売である。その最も因果な所以が自分から面白くなって止められない点にあるのだから全く厄介なことである。雪の全種類の結晶が、気温と水蒸気の量とを変えることに依って出来るといったのは実は少し胡魔化しがあるので、自然の工はなかなかそう簡単ではないようである。事実今までの千枚の人工雪の写真を見ると、雪の結晶の殆んど全種類がその中にあるので、前の結論は嘘ではない。しかしそれではまだ学問にはなっていないのである。それというのは、逆に或る一定の結晶を指して、これを今作って見ろといわれると少し困るのである。五回もやれば三回か四回は出来るのであるが、どうかしてこじれるとなかなか思う形の結晶が出来ないことがある。それではちょっと困るのであって、要するにまだ結晶をきめる条件の中で隠された条件が沢山あることになる。気温とか水蒸気の量とかいう風に数値で簡単にあらわされる条件は見やすいので滅多に見落すことはないのであるが、その外に簡単に一つの数値で現わされない条件が大切な役割をすることがある。その中でこの場合先ず気の付いたことは、状態の一定度である。どうせ寒暖計で測った気温は、例えば零下二十度といっても、それは空間的に考えれば、水銀球のある場所の周囲の平均温度を指しているのに過ぎない。また時間的に見ても或る時刻における温度というものは、その前後の短い時間の平均温度である。ところが暖い水蒸気と冷い空気との混和というような問題になると、時間的にも空間的にも非常にこまかく考えて見ると激しい偏差があるはずである。ところが普通の寒暖計で測るとそれは出て来なくて、水銀柱はその平均値を示すだけである。そして多くの場合にはこのような偏差は大した問題にはならぬので事が済んでいるのであるが、雪の結晶のような小さいものになると、それが非常にきいて来て良いはずなのである。
こう気が付いて見ると、今までのように気温いくら、水温いくらといって済ましてはいられなくなって来た。同じく寒暖計が零下二十度を示していても、本当に気温が零下二十度になっている場合と、零下二十度を中心にしてその上下に激しく変化しているのが寒暖計には平均されて二十度と出ている場合とは大変な違いである。それで先ずその区別が雪の結晶の形に現われて来るか否かを見る必要が出て来た。それには気温と水蒸気の温度とをそれぞれ厳密に一定に保ちながら雪を作って見るのが一番早道である。それで低温室の中に自働恒温装置を取付けた木箱を持ち込み、その内部では温度が常に一度の十分の二以上の変化のないようにして置いて、その中へ人工雪の製作装置を納めることとした。水蒸気を供給するための水槽の温度も勿論恒温装置を用いて一度の十分の一以内の精密度で一定に保つようにした。このようにして雪を作って見たところが、結晶の形がまるで変って来たのである。前には樹枝状の六花の結晶が出来た条件で、今度は大きい見事な角板が出来たりして全く驚かされてしまった。まだ始めて間もないのであるが、それでも人間の爪位の大きさの角板が出来たこともあった。この調子では手のひら位の大きさの雪の結晶を作る話も満更夢とばかりはいわれなくなって来た。
ところでこのように状態の偏差が結晶形にひどくきくとなると、どうしても髪の毛位の針金で熱電対を作って、結晶の直前の気温の変化を記録する必要が出て来た。小人島へは小人島の機械を持ち込まなければならないことは、実は前から分っていたのであるが、億劫だからなるべく胡魔化そうとしていたのが、とうとうばれた形である。この小人島の器械を低温室の中で使うのはなかなか急にはゆかない。もっともその間は先ず休戦状態で私の方は大いに助かる。しかしやる方は大変だろう。
結晶の出来る条件の方はまあ当分やることが見付かって結構であるが、それと同時に結晶自身をもっとよく見る必要がある。結晶内部の微細構造や角板の中に見える細い縞などが一体何であるかはまだはっきり分っていないのである。今まで世界中で撮られた一万枚以上の雪の写真にあんなに綺麗に出ているこれらの模様の本体がまだ分っていないのだから随分妙な話であるが、本当のところまだよくは分っていないのである。それというのは今まで上から見た写真しか撮られていないからである。この微細構造の研究には、雪を染めて見るとか、油で固めて見るとかいうことも考えられたので、少しやって見たがどうも巧く行かなかった。それで断然正攻法と決めたのである。それは雪の結晶を、問題とする模様の所で二つに切って、その切口を高倍率の顕微鏡で見ようというのである。雪の結晶を切るといっても今のところ別に名案もないので、一つ安全剃刀の刃で切って見ようということになった。若い仲間の一人がこの役を引き受けて、この夏以来毎日低温室の片隅で、横で誰か人工雪を作るのを片っ端から引受けては切っている。初めから判っていたように、そんなことが出来るはずのものではない。そして事実三カ月かかってもまだ切れなかったのである。どうしましょうかという相談があっても、まあ今に切れるようになると思って毎日切っているより仕方ないでしょうねと曖昧な返事をして置くより外に考えも浮ばない。随分頼りない話である。
ところが不思議なことには、最近になって見事に真直に切れるようになったのである。別に何処をどう改良したというのでもなく、依然として安全剃刀の刃を手に持って切っているだけなのであるが、切れてさえくれればそんな詮索をするまでのこともない。ところでこんな研究も良いが大学で雪を切ることだけ教えるのはちょっと困るといわれれば一言もない。だから早く切って、その切口を色々精密器械を使って測りたいのであるが、なかなか切れなかったのだから困っていたのである。しかしもう切れたのだからそのような御叱りを受けなくても良さそうで少し安心した。もっとも勝手な気焔を揚げてもよければ、精密器械の取扱い方を教えることも勿論大切ではあるが、一見不可能なことでも必ず出来ると思ってやれば大抵のことは出来るものだという体験を持ってもらうことも万更役に立たぬことでもなかろう。
寒い目にあって散々苦労をして、こんな雪の研究なんかをしても、さてそれが一体何かの役に立つのかといわれれば、本当のところはまだ自分にも何ら確信はない。しかし面白いことは随分面白いと自分では思っている。世の中には面白くさえもないものも沢山あるのだから、こんな研究も一つ位はあっても良いだろうと自ら慰めている次第である。
底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「冬の華」岩波書店
1938(昭和13)年9月
初出:「中央公論」
1937(昭和12)年12月1日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2012年12月15日作成
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