テレビの科学番組
中谷宇吉郎
|
今の日本は、科学普及とか、科学振興とか、全く馬鹿の一ツおぼえのように、科学、科学といっておれば、それで通る世の中である。日曜大学の方でも、御多分にもれず、科学及び技術関係の番組を、この時間に、主としてとりあげている。主旨はまことに結構なのであるが、褒めてばかりもおられない点もある。
公共放送としては、こういう番組こそ、一番大切なものである。フランスにも、NHKと似た性格のものがあって、そこでもラジオ大学の放送をしている。これはかなり高級な講義であって、世界各国から、いろいろな学者を集めて、おのおの専門の話をさせている。
この一月だったか、NHKを通じて、そこから、「雪と氷」という題で、六回連続の放送を頼まれたことがある。フランス語はできないからと断ったら、英語でもよいという。それで英語の録音テープを送っておいた。外国語だと、余裕がでてこないので、どうしても話が堅くなる。けっきょく大学の講義みたようなものになってしまった。
これは巴里から放送するので、大部分の聴取者にとっては、英語は外国語である。それにこんな堅苦しい話では、ちょっと困るかもしれないと思っていたが、別に駄目だともいってこない。かなり高踏的な性格をもっているようである。
それに較べるわけではないが、日曜大学と限らず、日本の教育テレビの科学番組は、がいして、内容にこくがない。いろいろな機械や、測器などを並べて、これで何を測るなどといってみても、そういうことで、科学知識を普及させることはできない。
機械の名前や使い方を教えるのは、セールスマンに任せておけばよいことである。NHKは世界でも類の少い、ぼう大かつ強力な公共放送である。それが教育テレビで、日曜大学などと銘をうっている次第である。セールスマンの役目を果して、それでいばっているわけにはいかない。
もっともNHKの方でも、その点はよく分っているらしく、地球物理学の連続講義のような、本格的なものも放送している。しかし欲をいえば、基礎科学の各分野において、それぞれ基本的な原理を知らせるようなものが欲しい。それには指示実験(デモンストレーション実験)をして見せるのが、一番よい方法であり、かつこれこそテレビが、その性能を一番よく発揮し得る舞台でもある。
科学者が、実験室でやっていることは、何も特別のことではない。針金をつないだり、レンズをスタンドにとりつけたり、ごく普通のことをやっているわけである。主婦が台所で、大根を切っているのと、ちっともかわらない。ただ少し複雑で、念入りにやるというだけのことである。
ところが、前にいったような誤解が生れてくるのは、ジャーナリズムも、一半の責任がある。文章の場合はもちろんのこと、テレビや科学映画でも、とかくでき上がった結果だけを見せる傾きがある。マス・コミに乗るときには、足場がすっかり取り払われている。
本当は、その足場の組立てから見せるべきであって、そういうふうにして初めて、科学が身近なものになるのである。一時間番組のテレビなどが、ほとんど唯一といっていいほど、この目的に適うものである。教育テレビなどという最良の舞台があるのに、それを使わないのは、いかにも惜しい。
もちろんこれくらいのことは、誰でも知っていることである。しかし誰もなかなか実際には、やらない。理由はきわめて簡単であって、指示実験というものが、非常にむつかしいものであるからである。実験室の中で、一人でコツコツやっているときには、すらすらと行く実験も、大勢の人の前でやって見せると、決して巧く行かない。一人の場合すらすらと行くというのは、本当は嘘なのであって、細かい点では、何遍もやり直しているのであるが、本人も意識していないのである。日本の物理実験学の父といわれる中村清二先生から、かつて指示実験の心得を教えられたことがある。ビーカーの中に入れておく水の量まできちんと決めて、あらかじめ何度も、本番と全く同じことをやってみなければならない、というのである。それくらいにしなければ、指示実験は巧く行くものではない。
それで、必要性は皆が十分認めていながら、テレビで物理の指示実験をやって見せるような粋狂な人は、滅多にない。しかし誰かは一度やってみる必要があるので、この四月の毎日曜日に、四回つづきで「物理の実験」を日曜大学で放送してみることにした。やって見て、これはとんだドン・キホーテの役割を演じたことが分った。
「必要なものは買いますから」という話で、メーター、雑工具、支持台、硝子器類など、一応品目を書き出して渡したが、新しい物理実験室を一つ造るのだから、面倒くさい話である。NHKは、なかなか人使いが巧い。
もちろん全部は買えないので、今後も絶対必要な小物類、台所でいえば、鍋、釜、包丁の類だけ買って、今回切りの機械類は、東大や他から借りて、予備実験を始めることにした。しかしスタディオも実験室もないので、仕方なく東大の物理実験室を借りて、仕事を始めた。
合計四時間の指示実験というと、たいへんな量である。恐らく全国の大学で、一年間に正味四時間の指示実験をして見せるところは、非常に稀れであろう。初めにこの話があってから、北大で私の教室の助教授の人と、助手の人とが、予備実験に、二週間ばかりかかった。
東京へ来ても、第一回の時などは、準備にまる四日間もかかった。スタディオがないので、東大の実験室ですっかり整備した装置を分解して、土曜日の夜九時に、スタディオへ運ぶ。それまでスタディオがあかないからである。そして日曜の朝早くから、組立てにかかって、午後一時の放送にやっと間に合う始末であった。スタディオさえあれば、労力は、五分の一くらいに減るであろう。
教育テレビが、科学用のスタディオももたなくて、科学番組をやろうというのであるから、心臓の強い話である。実際にこの番組を担当している若いNHKの人たちは、実によく働いてくれるのであるが、無駄な労力をひどく使わなければならない。金がないといわれるかもしれないが、料理の放送のためには、ちゃんと整備した専用のスタディオがあるそうである。公共の教育テレビが、大学と銘をうって、科学の普及に乗り出そうと思ったら、せめて料理程度には、その重要性を認めてもよかろう。
「教育」と「科学」とは、一番通りのよい名前である。実質的には、料理や、愚にもつかない女の子の流行歌以下に扱っておいて、こういう旗印だけ高々とかかげているのも、うそで固めた国の一つの現われであろう。
底本:「中谷宇吉郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日第1刷発行
2011(平成23)年1月6日第26刷発行
底本の親本:「太陽は東から出る」新潮社
1961(昭和36)年
初出:「週刊文春」
1959(昭和34)年5月4日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。