過ぎた春の記憶
小川未明




 正一しょういちは、かくれんぼうが好きであった。古くなって家を取り払われた、大きな屋敷跡で村の子供多勢おおぜいでよくかくれんぼうをして遊んだ。

 晩方ばんがたになると、あぶが、木の繁みに飛んでいるのが見えた。大きな石がいくつも、足許あしもとに転がっている。其処そこで、五六人のものが輪を造って、りゃんけんぽと口々に言って、石とはさみと紙とで、けんをして負けたものが鬼となった。

 鬼は、手拭てぬぐいで堅く両眼りょうがんを閉められて、その石の間に立たされた。してあとのものは、足音を立てずに何処どこへか隠れてしまった。

「もういいか。」

と、鬼になったものが言うと、何処かでクスクスと、隠れた者の笑い声が聞えて、

「もういいぞ。」

と答えるものがあった。すると、鬼になったものは自分で、手を後方うしろにやって縛ってやった手拭をはずした。而して、しばらく其処に立って、何処へ隠れたかということを考えて、その方へと行った。

 隠れているものは、みんな、鬼の来るのを怖れて見つかりはせぬかと、すくんでいた。鬼は眼をきょろきょろさせて、熊笹の繁った中や、土手の蔭などを一つ一つたずねて歩いた。而して、頭が、ちょっと出ていたり、着物のはしなどがちょっと見えると、鬼は、安心してしまって、わざと気の付かないような風をして、

「何処へ行ったろう……何処に隠れているだろう、ここでもない。」

などと口で言って、わざと彼方あちらへ行くような振りをして見せて、横目でちょっと此方こちらの様子を睨んで見る。

 此方の、見付けられたと思ったものは、やっと心のうちで、これはいいあんばいに、助かったと思って、まだ胸をどきどきとして息の音を殺している。

 すると、彼方へ行きかけた鬼は、また此方へうかうかとやって来て、ぐ、その頭の見えている者の間近に来てとまった。

 見つけられたと思ったものは、急に頭から冷水をかけられたような気分がして、穴があったら地の中へ隠れたいと思う刹那せつな

「見つかった!」

と鬼は叫んで、直様すぐさま、その者を捕えてしまった!



 正一は、この子供等の中でも、どちらかといえば臆病な子供であった。而して鬼になるより、隠れる方が好きであった。

 彼は、見つかった! と頭の上で言われる時には、身がぶるぶるとふるえるように、ぞっとするのを覚えた。藪の中に隠れている時、鬼が此方に歩いて来る足音がガサガサと聞えると、もう身の毛がよだって、耳がほてって、心臓がどきどきした。而して、或時は、自分から、居堪いたたまらなくなって、やあ──と死に物狂いに叫んで藪の中から飛び出ることもあった。

 ある秋の晩方であった。白い夕靄ゆうもやがうすくぼんやりと降りて、彼方かなたの黒ずんだ杉林に、紅く夕日が落ちた時分であった。村の子供等は、いつものように古い屋敷跡に集った。この屋敷は、村のはずれにあって、昔は、五百石取りの武士さむらいが住んでいたところであったが、いろいろと仔細があって衰微してしまって、その家は、古びて遂にこの程、取り壊されたので、その屋敷跡には、古いから井戸があった。また地形石ちぎょういしなどがそのままとなっていたり、家根やね石などが転っていたりした。裏手には杉の木の林があって、土手には熊笹が繁っていた。

 子供等は、紅い沈んだ夕日を眺めていたが、

「おい、君等の中で幽霊を見たものはないかい。」

と一人がいった。

 すると、一人は、「見たよ。」といった。

「何処で。」

「あの杉の木の中で。」

とその少年は、後方の紅い夕日の沈んだ森をゆびさした。

「どんなものであったい。」

と、一人が言った。

「黒い着物をていたよ。而して頭から何か被っていたよ。」

「而して、その黒い坊さんはどうしたい。」

「僕は、その坊さんに石を投げてやった。」

「何か物を言ったかい。」

「何処かへ消えてしまった。」

「何、それは幽霊でないよ、誰か、杉の枯枝を拾いに来ていたのだよ。君、幽霊なんかこの世界にありはしないよ。」

「うん、ありはしない。学校の先生が幽霊などありはしないといったよ。」と一人がそばから賛成した。

 皆んなは、これで黙ってしまった。それから、またわいわい言っていたが、

「隠れんぼうをしよう。」

と、一人が言った。

「しよう。」と、其処にいたものは、皆んな同意した。而して、また、石の転っている空地に輪を造って、りゃんけんぽと言って、拳に敗けたものは鬼になった。

 その時、臆病の正一はこういった。

「君、隠れる場処ばしょをきめて置こうよ。」

 すると、皆んなは、もう遅くて、暗くなったから、彼方の桑圃くわばたけへは行かないことにしよう、この家敷の周囲まわりだけにしようといった。

「じゃ、あの杉の木の森……。」と正一は言った。

「何、森がなくちゃ隠れる場処はありゃしないじゃないか。」

と、一人が打消した。



 やはり正一は、鬼にならなかった。皆んなは、かたまって逃げて森のところまで来た。鬼は、やはり眼隠しをさせられて、空地の、石の転っている処に彼方向きになって立っていた。

 皆んなは、杉の森のところまで来ると、

「オイ、固って隠れては駄目だ。すぐに分ってしまうから、皆んな分れて隠れようよ。」

と、一人が発議した。皆なは、「そうだ。皆んな別々に隠れよう。」といって各自はこそこそと森の中の、藪の中に、それぞれ隠れてしまった。

 もう、夕靄が一面に下りて、森の下は暗くなって、少しも見えなかった。紅い夕日は、わずかにほんのりと遠くの地平線に余炎よえんを残していた。黒く人のように立っているものがある。それは、木の枝が固っているのであった。正一は、自分独りになってまごまごと隠れるところを探していた。

 先刻、幽霊の話を聞いたので、日頃から臆病であったから、独りで隠れる気にはなれなかった。

 正一は、こう思った──もし、自分が鬼になれや黙って帰れない、若しも鬼になって、黙って家に帰るとあくる日、皆んなからいじめられるから、鬼にならないうちに家に逃げて帰ろうかとも思った。しかし、今から、家に帰ろうとしても、鬼に見付けられてしまうだろう……こう考えながら、森の中をうろうろしていた。大きな、黒い杉の木の幹には、青い苔の生えているのが白くなって見えた。また、女の頭髪かみのけの乱れたようなつたなどが下っているところもあった。赤い、烏瓜からすうりの吊下っているところもあった。

 何だか、黒い、暗い頭の上から、誰か覗いているような気がして、独りで、藪の中に竦んでいることが出来なかった。

 このとき、鬼は、

「もういいか。」

と、叫んだ。その方を振向くと、夕靄の中に立って、眼を隠している友の姿がぼんやりとして見えた。

「ま──だ──だよ。」

と、一生懸命で正一は、せつなそうな声を出して叫んだ。

 すると、彼方の黒くなった藪の蔭から、

「何しているんだ。早く隠れれよ。」

という声がした。

 正一の気は、焦立あせって、こうしていることが出来なくなった。

 彼は、まごまごしてうろついている訳には行かなくなったので、自分独り、何処か他にいい処はないかと四辺あたりを見廻して、森から他の場処を探した。

 何処を見ても、眼を遮るようなものがなくて、ただ、このくされ果てた空屋敷の跡には夕靄がぼんやりと白くかかっているばかりであった。

 正一は、仕方なしに地面の上にている訳にも行かないような気がして、気の急いでいる刹那に、ふと空井戸のあることに気がついて、早速其処に走った。



 空井戸の中を覗くと、真暗まっくらであった。けれど、彼は、その井戸はいつかいろいろのもので埋っていて、其様そんなに深くないことを知っていた。

 中には、水がなかったけれど、落葉が溜ってきて、湿気ばんでいた。而して井戸の周囲には、苔が生えて、夜の靄は、この中から浮き上るように天上の方はぼんやりと霞んでいる。

 落葉の匂いが、ひややかに鼻に浸みた。正一は眼を上の方に向けていると円い穴は、直に青い空を円く限っている。ちょうど井戸の上は、青い空におおわれているように、他に何も見えなかった。

 眼を上に向けて、もしや、鬼が来て、この中を覗きはしないかと仰いでいたけれど、誰も来て覗いて見るものもなかった。

 その内に、ちらちらと星の輝くのが見え始めて来た。彼は、たとえ誰が来て、上から下を覗いても、中は真暗で見えないから見つかる気遣いはないと思っていた。

 彼は、耳を澄していたけれど、何の声も聞えなかった。もう、今頃は、誰かが見付かった時分であろうと思ったが、皆んなのわめく声も聞えなかった。彼は、お声をひそめて、黙って、若しや鬼がこの上の辺りを通っているのではないかと思っていた。

 空の色は、ますます青く冴えて、星の光りがはっきりと澄み渡って来た。

 彼は、何となく心細くなったので、

「もう、いいぞ。」

と、井戸の内から叫いた。

 その声は、穴の周囲に突き当って、上の方へは聞えなかったようだ。彼は、こう叫ぶと誰か来て覗きはしないかと、胸をどきどきさして竦んでいた。

 自然に崩れて落ちる土の塊りが、ころころと転げて来て枯れ葉の上に落ちた。彼は、出て上を覗いて見ようと思った。

 正一は、足を井戸の周囲に踏みかけた。けれど手に掴まる処がなかったので、容易に上ることが出来なかった。彼は、爪で、土を崩した。而して、其処に足をかけて、やっと片手を穴の上にかけることが出来た。

 こんなことをする間にも、時間は余程たって、彼は、幾たびか上りかけては、下に落ちて穴の中で、尻餅をいた。而して、やっと土にみれて、井戸の上に出て見ると、もう、誰も、空地にはらなかった。

 四辺は、眠ったようにしんとして、彼は、言うにいわれない頼りない悲しい感じがした。まだ四つか五つの時分、母が使つかいにでも行って居なくなった時分がふらふらと浮んだ。ちょうどその時のようなうらめしい、やるせない思いがした。心のうちで何時いつの間に皆んなは帰ってしまったのだろうと怪しまれた。見渡す限り、白い夕靄がかかっている。その中に、黒い森が、ぼんやりと浮き出ている。彼方のはたけには、ひょろひょろとしたかれた木が立っていた。

 正一は、まだ誰か、その辺に残って居りはせぬかと、彼方、此方見廻しているうちに、誰か一人、十五六歩も隔って、白い靄の中に悄然しょうぜんとしてたたずんでいるものがあった。

「オイ、誰だい君は。」

と、正一は呼びかけて、その方に歩いて行った。



 月が森から上った。

 あたりは、急に明るくなった。

「オイ、君は、誰だい。」といって、正一は、立っている人の傍に寄って、顔を覗いた。

 頭から、黒いきれを被っている人は、黙っていた。正一は、びっくりした。けれど、誰かこんな真似をして、皆んなは隠れて、自分をおびやかそうとしているのではないかと思ったから、

「オイ、君は誰だい。」

といって、その黒い人の前に立った。

 けれど、その人は、やはり黙っていて返事がなかった。而して、あたりは余り静かで、しんとしているのでなんだか身に寒気を覚えて、変な気がして来た。

 この時、立っている人は、始めて頭から黒い布をはずしたのである。

 月の光りに見ると、白髪しらがの坊さんであった。やはり身に鼠色の衣物きものを被ていた。

 正一は、一目見て、この坊さんは、或時、何処かで見たことのあるような、微かな記憶が不思議に浮ぶような気がしてならなかった。坊さんは、

「わしの顔を覚えていないか。」

といった。すると急に正一の頭は、はっきりとなって、いろいろの過去のことが考え出された。

「去年の、春の日であったが、お前を見たことがある。」

と、坊さんは言った。

 正一には、すべてがはっきりと分った。ちょうど桜の花の咲く頃の事であった。あの日の晩方、家の前に立っていると、あちらから、一人の旅僧が歩いて来た。その日は、朝のうちから、曇って、一日花曇りに日は暮れてしまうような穏かな日で、遠くでは、寺の鐘がゆるやかに鳴って聞えた。正一は、死んだ祖母のことなどを思い出していると、一人、草鞋わらじ穿いて、びしゃびしゃと歩いて来た旅僧は、家の前を通り過る時に、ふと、自分の顔を見てにっこりと笑った。白髪の皺の寄った顔貌かおが、何んだか死んだお婆さんにった時のように懐しく思われた。正一は黙って、そう思いながら、不思議そうな顔付かおつきをして、旅僧の顔を仰いで見ると、

「大きくなった。また来るよ。」といって、その旅僧は行ってしまった。正一は、家に入って、そのことを母親に話すと、人違いだろう……お前に、そんなことをいう筈はない……あまり、可愛らしいから、そういったまでだろう……これから、知らぬ人が、いい児だから私と一しょにお出でなどといっても行ってはいけないといった。

 今、自分の前に立っている坊さんは、その時の坊さんであった。

「覚えている。」

と、正一は心のうちで言った。

 星の光りは、秋の冷たい空気の中ににじんで、鼠色の衣物を着た、坊さんの眼は水晶のように光って見えた。

「わしは、お前を見ようと思って来た。」

と、その坊さんは言った。正一は母の言葉を思い出していっしょに行ってはいけないと思った。帰る時、坊さんは、正一を家の近くまで送って来てくれた。


 正一は、病気にかかって床についていた。今、夢からさまされた。眼を開けると、母親や、親類の人々が心配そうな顔付をして自分の顔を見ながら枕許に坐っていた。

 ──春の晩方くれがた、桜の咲いている寺へお詣りに来た。沢山の人がお詣りに来ている。中には、もうこの世を去った人で、見覚えのある老婆もあった。自分は、死んだ祖母に手を引かれて堂に上ると彼方に、蝋燭ろうそくの火がゆらいでいる。其処の一段高い、天蓋てんがいの下には、赤い袈裟けさをかけた坊さんが立っていた。あまり、人々の念仏の声などが、鐘の音などと入り混っていて、坊さんの言っていることが分らなかった。

 その坊さんは、なんだか見覚えのあるような気がしてならなかった──。


 医者が来て帰った。その診察によると、もう、正一は、二たびかくれんぼうをすることが出来なかった。

底本:「文豪怪談傑作選 小川未明集 幽霊船」ちくま文庫、筑摩書房

   2008(平成20)年810日第1刷発行

   2010(平成22)年525日第2刷発行

底本の親本:「定本 小川未明小説全集1 小説集」講談社

   1979(昭和54)年46日第1刷発行

初出:「朱欒」

   1912(明治45)年1月号

入力:門田裕志

校正:坂本真一

2015年924日作成

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