ぴかぴかする夜
小川未明
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都会から、あまり遠く離れていないところに、一本の高い木が立っていました。
ある夏の日の暮れ方のこと、その木は、恐ろしさのために、ぶるぶると身ぶるいをしていました。木は、遠くの空で、雷の鳴る音をきいたからです。
小さな時分から、木は、雷の怖ろしいのをよく知っていました。風をよけて、自分をかばってくれた、あのやさしいおじさんの大木も、ある年の夏の晩方のこと、目もくらむばかりの、電といっしょに落ちた、雷のために、根もとのところまで裂かれてしまったのでした。そればかりでない、この広い野原のそこここに、どれほど多くの木が、雷のために、打たれて枯れてしまったことでしょう。
「あまり、大きく、高くならないうちが、安心だ。」といわれていましたのを、木は、思い出ました。
しかし、いま、この木は、いつしか、高く大きくなっていたのでした。それをどうすることもできませんでした。
木は、それがために、雷をおそれていました。そして、いま、遠方で鳴る雷の音をきくと、身ぶるいせずにはいられませんでした。
このとき、どこからともなく、湿っぽい風に送られてきたように、一羽のたかが飛んできて、木のいただきに止まりました。
「私は、山の方から駆けてきた。どうか、すこし、翼を休めさしておくれ。」と、たかはいいました。
しかし、木は、身ぶるいしていて、よくそれに答えることができませんでした。
「そ、そんなことは、お安いご用です。た、ただ、あなたの身に、障りがなければいいがと思っています。」と、やっと、木は、それだけのことをいうことができました。
「それは、どういうわけですか。なにを、そんなに、おまえさんは、おそれているのですか?」と、たかは、木に向かって問いました。木は、雷のくるのを恐ろしがっていると、たかに向かって、これまで聞いたり、見たりしたことを、子細に物語ったのでありました。これを聞いて、たかはうなずきました。
「おまえさんのおそれるのも無理のないことです。雷は、こちらにくるかもしれません。いま、私は、あちらの山のふもとを翔けてきたときに、ちょうど、その近くの村の上を暴れまわっていました。しかしそんなに心配なさいますな。私が、雷を、こちらへ寄越さずに、ほかへいくようにいってあげます。」と、たかはいいました。
木は、これを聞くと、安心いたしました。しかし、この鳥のいうことを、はたして、雷がききいれるだろうかと不安に思いました。そのことを木は、たかにたずねますと、
「私は、山にいれば、雷を友だちとして遊ぶこともあるのですから、きくも、きかぬもありません。」と、たかは、うけあって、いいました。ちょうど、そのとき、前よりは、いっそう、大きくなって、雷の音が、とどろいたのでした。木は、顔色を失って、青ざめて、ふるえはじめたのです。たかは、空にまき起こった、黒雲を目がけて、高く、高く、舞い上がりました。そして、その姿を雲の中に、没してしまいました。たかは、黒雲の中を翔けりながら、雷に向かって、叫びました。
「君は、あんな、さびしい、野原などをおびやかしたって、しかたがないだろう。それよりか、もっと、おびやかしがいのある、都の方へでもいったらどうだ。」と、たかは、いったのです。怖ろしい顔をしているが、案外、心のやさしい雷は、太いしゃがれた声をだして、
「いったい僕は、だれをも、おびやかしたくないんだが、僕が、散歩に出ると、みんなが怖がってしかたがない。なんという僕は不幸ものだろう。野原にいっても、いちばん高い木のとがった、頂へ、ちょっと足を止めるばかりなんだ。どこへいったって、僕は遠慮をしている。都の方に、あまりいかないのも、僕の遠慮がちからなんだ。それで、いつもさびしい野原の方へ、いくようなしだいなんだ。」と、答えました。すると、たかは、空に、もんどりを打ちながら、
「よく、君の心の中は、わかっている。しかし、いつも、野原の方へいくんでは、君も、散歩のかいがないというもんだ。このごろ、都会は美しいぜ。ひとつ、今日は、都会の方へいってみたらいいだろう。」と、たかはいいました。
正直で、信じやすい雷は、たかのいうことに従いました。そして、雷は、方向を転じて、都の方へ進んでいきました。黒雲は雷に、従いました。そして、さながら前ぶれのように冷たい、湿っぽい風は、野面を吹くかわりに、都会の上を襲ったのです。
雷は目の下に、燈火のきらきらとついた都会をながめました。そこからは、自分の鳴る音に負けないほどの、ゴウゴウなりとどろく、汽罐のうなり音や、車輪のまわる音や、いろいろの蒸気機関の活動するひびきをききました。
この有り様を見ると、雷は、ここでは、遠慮をしなくてもいいだろう、という気が起こりました。しかし、雷は、どこへでも落ちていいというような、乱暴な考えはもちませんでした。どこか、自分の、ちょっと足をとめていいところはないかと探しました。
正直な、やさしい雷は、黒い、太い一筋の電線が、空中にあるのを見つけました。そして、注意深く、その線の上に降りました。すると、いままで、威勢よく、きらきらと燈火が輝いて、荘厳に見えた都会が、たちまち真っ暗となって、すべての機械の鳴る音が、止まってしまいました。
雷は、どうしたことかと、びっくりしてしまいました。このとき、野原の高い木立は、星晴れのした空に、すがすがしく脊伸びをしたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
※表題は底本では、「ぴかぴかする夜」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
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