さかずきの輪廻
小川未明
|
昔、京都に、利助という陶器を造る名人がありましたが、この人の名は、あまり伝わらなかったのであります。一代を通じて寡作でありましたうえに、名利というようなことは、すこしも考えなかった人でしたから、べつに交際をした人も少なく、いい作品ができたときは、ただ自分ひとりで満足しているというふうでありました。
しかし、世間というものは、評判が高くなければ、その人の作ったものを重んずるものでありません。一人や、二人は、まれに、目をとめて見ることはあっても、問題にしなければ、永久に、それだけで忘れられてしまうのです。
落ち葉にうずもれた、きのこのように、利助の作品は、世に表れませんでした。そしてうす青い、遠山ほどの印象すらもその時代の人たちには残さずに、さびしく利助は去ってしまいました。
それから、幾十年もの間、惜しげもなく、彼の作った陶器は、心ない人たちの手に取り扱われたのでありましょう。がらくたの間に混じっていました。
利助の陶器の特徴は、その繊細な美妙な感じにありました。彼は薄手な、純白な陶器に藍と金粉とで、花鳥や、動物を精細に描くのに長じていたのであります。
瓦のような厚い、不細工な焼き物の間に、この紙のようにうすい、しかも高貴な陶器がいっしょになっているということは、なんという心ないことでありましょう?
しかも心ない人たちは、それをいっしょにして、手あらく取り扱ったのであります。こうして作数の少なかった利助の作品は、時代をへるとともに、いつしかなくなってゆきました。
空に輝く星が、一つ、一つ、消え失せるように、それはさびしいことでした。そして砕けた作品は、砂礫といっしょに、溝や、土の上に捨てられて、目から去ってゆくのでした。
しかし、また、人間のほんとうの努力というものが、けっしてむなしくはならないように、真の芸術というものが、永久に、その光の認められないはずがないのであります。
ひとたび土中にうずもれた金塊は、かならず、いつか土の下から光を放つときがあるように、利助の作品が、また、芸術を愛好する人たちから騒がれるときがきたのでした。
けれど、その時分には、少ない品数は、ますます少なくなって、完全なものとては、だれか、利助の作品を愛していたごく少数の人の家庭に残されたものか、また、偶然のことで戸だなのすみにほかの陶器と重なり合って、不思議に、破れずにいたものだけであったのです。
「利助というような名人があったのに、どうしていままで知られなかったろう。」と、陶器の愛好家の一人がいいますと、
「ほんとうの名人というものは、みんな後になってからわかるのだ、見識が高かったとでもいうのだろう。」と、その話の相手はさながら、名人が、その時代では、不遇であったのを怪しまぬように答えました。
「私は、利助の作がたまらなく好きだ。まあ、この藍色の冴えていてみごとなこと。金粉の色もその時分とすこしも変わらない。上等のものを使っていたとみえる。」
「貧乏な暮らしをしたということだが、芸術のうえでは、なかなかの貴族主義だった。」
「私は、利助の作った完全なさらがあるなら、どれほどの金を出しても、一枚ほしいものだ。」
「その考えは、ぜいたくだろう。なにしろ、あの薄手では、大事にして、しまっておいても保存は、容易ではない。」
「なぜ、あんなに、薄手に焼いたものだろうか。」
「あの薄手がいいのだ。あれでなければあの純白の色は出せないのだ。」
「もっとも、利助ほどの天才は、自分のものが長く保存されるためとか、どうとかいうような俗な考えはもたなかったろう。ただ、気品の高いものを作り上げたいと思っていたにちがいない。」
「そのとおりだ。」
陶器の愛好家によって、こんな話がかわされたのは、すでに、利助が死んでから、百年近くたってから後のことであった。
ここに、一人の陶器の好きな男がありました。ちょうど江戸末期のころで、ある日、日本橋辺を歩いていまして、ふとかたわらにあった骨董店に立ち寄って、いろいろなものを見ているうちに、台の上に置いてあったさかずきに目がとまりました。
男は、それを手に取ってみますと、思いがけない、利助の作ったさかずきでした。しかも無傷で藍の色もよく、また描いてある絵の趣も申し分のないものでありました。
「ほう、めずらしいさかずきだな。」
と、彼は、心で思いました。
さだめし高価のものであろうと思いながら聞いてみますと、はたして相当な値でした。しかし、ほしいと思ったものは、無理をしても手にいれなければ、気のすまないのが、こうした好事家の常であります。男は、それを求めて、家に帰りました。
彼は、どんなに、その一つのさかずきを手に入れたことを、うれしく思ったでしょう。
「どうして、このうすいさかずきが、こわれずに、今日まで残っていてくれたろう。そして、ほかの人の目にとまらずに、俺の目にとまってくれたろう? 不思議にも、また、ありがたいことだ。きっと、世間の人は、利助という名人をまだ知らないからだろう。これに描いてあるねずみの絵はどうだ? この藍の冴えていて、いまにも匂いそうなこと、金色の──ちょうの翅を彩った、ただ一点ではあるが、──溶けそうに、赤みのある光を含んでいること、ほんとうに、驚くばかりだ。」
彼は、さかずきを手に取ったまま、ぼんやりとしていました。街の暮れ方となりました。さまざまの物売りの呼び声がきこえてきたり、また人々の往来の足音がしげくなって、あたりは一時はざわめいてきました。こうして、やがては、しっとりとした、静かな夜にうつるのでした。
彼は、この黄昏方に、じっとさかずきを手に取って、見入りながら、利助というような名人が百年前の昔、この世の中に存在していたことについて、とりとめのない空想から、夢を見るような気持ちがしたのです。
彼は、うれしさをとおりこして、あるさびしさをすら感じました。そして、夜、燈火の下に膳を据えて、毎晩のように酌む徳利の酒を、その夜は、利助のさかずきに、うつしてみたのです。
「まあ、これを見い。ねずみが浮いて、いまにも飛び出しそうだ。」
彼は、家内のものを呼んで、利助の作ったさかずきの中をのぞかせました。
みんなは、陶器について、見分けるだけの鑑識はなかったけれど、そういわれてのぞきますと、さすがに名人の作だという気が起こりました。
「ねずみの下にある、実のなっています草は、なんでございましょうか?」と、女房はきいた。
「これは、やぶこうじだ。なんといいではないか。」と、彼は、こう答えて見とれました。
「ようございますこと。」
「ここが、名人じゃ、自然の趣きが、こんな小さなさかずきの中にあふれている感じがする。」
「しかし、よく、こんなさかずきが、見つかりましたものでございますこと。」
「世の中には、ほんとうの目あきというものは少ないのだ。」
「いくら、名人が出ましても、ほんとうにわかる人がなければ、知られずにしまうのでございましょうね。」
「そうだ。」
彼は、こんな話をして、当座は、名人の作ったさかずきが、手にはいったことを喜んでいました。
「このさかずきだけは、わらないようにしてくれ。」と、彼は、家内のものに、よくいいきかせました。
女房をはじめ、家内のものは、そのさかずきを取り扱うことが怖ろしいような気がしました。
「どうか、このさかずきは、箱にいれて、しまっておいてくださいませんか。わるとたいへんでございますから。」と、女房は、あるとき、彼に向かっていったのでした。
彼は、しばらく、黙って考えていました。そして、頭を上げて、おだやかな顔つきをして女房を見ました。
「注意をして、それでわったときはしかたがない。なるほど、このさかずきもたいせつな品には相違ないが、人間は、もっとたいせつなものをどうすることもできないのだ。こうして、このさかずきを愛撫する私どもも、いつまでもこの世の中に生きてはいられるのでない。さかずきも大事だが、だれの力でもそれより大事な自分の命をどうすることもできないのだ。そのことを思えば、なにものにも万全を期することはかなわないだろう。」と、彼はいいました。
長い間の江戸時代の泰平の夢も破れるときがきました。江戸の街々が戦乱の巷となりましたときに、この一家の人々も、ずっと遠い、田舎の方へ逃れてきました。そして、そこで、余生を送ったのであります。
江戸から、田舎へのがれてくる時分に、みんないろいろなものを捨てて、着の身着のままで逃げなければなりませんでした。女は、平常たいせつにしていた、くしとか、笄とか、荷物にならぬものだけを持ち、男は、羽織、はかまというように、ほかのものを持っては、長い道中はできなかったのです。
しかし、彼は、利助のさかずきを持ってゆくことを忘れませんでした。田舎の人となりましてからも、彼は、利助のさかずきを取り出してながめることによって、さびしさをなぐさめられたのであります。
こうして、彼は、晩年を送りました。そして、高齢でこの世の中から去ったのであります。彼が、なくなっても、そのさかずきだけは、完全の姿で後まで残りました。
彼の女房は、いまおばあさんとなりました。そして、彼女が、生きながらえている間は、毎晩のように、利助のさかずきに酒をついで、これを亡父の御霊の祭ってある仏壇の前に供えました。
「お父さんは、このさかずきがお好きで、毎晩このさかずきでお酒をめしあがられたのだ。」と、彼女は、いいながら、線香を立てて、かねをたたきました。
そのそばで、老母のするのを見ていた子供らは、
「そのさかずきは、いいさかずきなんですか。」と、ききました。
「ああ、なんでもいいさかずきだと、お父さんはいっていられた。これをわらないように大事になさいよ。これだけが、この家の宝だと、いってもいいんだから。」と、老母はいいました。
子供らは、うなずきました。そして、そのさかずきを大事にしました。
やがて女房も、この世から去るときがきました。子供らは、母の御霊をも亡父のそれといっしょに仏壇の中に祭ったのであります。そして、母が生前、毎晩のように、酒をさかずきについであげたのを見ていて、母の亡き後も、やはり仏壇に酒をさかずきについであげました。
あるときは、仏壇に、赤くなった南天の実が徳利にさされて上がっていることもありました。そして、その青い葉と赤い実のささった下に利助のさかずきは、なみなみとこはく色の酒をたたえて供えられていました。
あるときは、清らかな、響きの澄んだ、磬の音が、ちょうどさかずきの酒の上を渡って、その酒の池がひじょうに広いもののように感じられることもありました。そして、ろうそくの火影がちらちらとさかずきの縁や、酒の上に映るのを見て、そこには、この現実とはちがった世界があり、いまその世界が、夕焼けの中にまどろむごとく思われたこともありました。
子供らは「仏さまのさかずき」だといって、そのさかずきをたいせつにしていました。そのさかずきをみだりに手に取ってみることも、汚れるからといってはばかりました。
さかずきは、仏壇のひきだしの中に、いつもていねいにしまわれてありました。そして、晩方になると取り出されて酒をついで上げられました。やがて、ろうそくの火がともりつくした時分に、磬をたたいて、さかずきの酒は、別のさかずきの中に移されました。
「おじいさんのめしあがった後の酒は、味がうすくなった。」といって、息子は、その酒を自分で飲みました。
大事なさかずきだからというので、息子が、そのさかずきに酒をついで上げたり、また、下ろさなかったときは、彼の女房がいたしました。女房は、真の父、母の子供ではなかったけれど、もっともよく息子の心持ちを理解していたからです。そして、いつしか、彼と同じように、先祖の霊に対して、それをなぐさむることを怠らなかったからです。
しかし、たとえ、いかように、心づくしをしても、もう、死んでしまった人は、永久にものをいわなければ、こたえもしない。仏壇に、ささげられたさかずきの酒は、ほんとうに一滴も減じはしなかったのです。
「好きな酒を上げても、お父さんは、めしあがらなければ、お菓子を上げても、お母さんは、お好きだったのに、めしあがりはなさらない。」と、息子は、あるときは、仏壇の前に立って、涙ぐんでしみじみといったことがありました。
田舎は、変化が乏しいうちに月日はたちました。冬の寒い朝、仏壇に、燈火がついているときに、外の方では、子供らが、雪の上で凧を揚げている、籐のうなり声がきこえてくることがありました。雪が凍って、子供らは、自由に、あちらこちら飛んで歩きました。
それと、仏壇の燈火とは、なんの縁がないようなものの、やはり燈火はかすかな輝きを放って、その輝きの一筋に、凧のうなっている、青い大空の果てと、相通ずるところがあることを思わせたのです。夜は、暗い外に、木枯らしがすさまじく叫んでいました。そんなとき、たたく仏壇の磬の音は、この家からはなれて、いつまでも頼りなく、荒野の中をさまよっていました。
いつしか、孫の時代となりました。
彼は、古びた、朱塗りの仏壇の前に立っても、なんのことも感じなくなりました。
ある日、仏壇のひきだしを開けてみますと、小さな箱の中に利助のさかずきがはいっていました。彼は、これを取り出してみましたけれど、それがいいさかずきであるか、そうでないかということは、彼にはわかりませんでした。
けれど、孫は、先祖から大事にしていたさかずきであるということだけは知っていましたので、これをだれかに、鑑定してもらいたいと思いました。
近所に、一人のおじいさんがありました。この人は、なんでも、いまどきのものより、昔のものがいいときめていました。書物に書いてあることも、昔のほうのが、義が固くていいといっていました。暦も、新暦よりは、旧暦のほうが季節の移り変わりによく合っているといっていました。それで、時計すら、数字の刻んであるものよりは、日時計のほうが、正確だといって、船の形をした、日時計を日当たりに出して、帆柱のような、まっすぐな棒から落ちる黒い影によって時刻をはかるのでした。
孫は、そのおじいさんのところへ、さかずきを持ってまいりました。
「おじいさん。どうか、このさかずきを見てくださいまし。」と、彼は頼みました。
きれい好きな、おとこやもめのおじいさんは、家の内をちりひとつないように清めていました。おじいさんは、なにをたずねられても、知らぬといったことはありません。で、村での物知りでありました。さっそく、大きな眼鏡をかけて、
「どれ、そのさかずきかい。」といって、手に取って子細にながめました。
「たぬきかな? いや、ねずみかな、そうだ、ねずみらしい。絵は、あまりうまくないな。けれどこの藍の色がなかなかいい。いまどきのものに、こうした、藍の冴えた色は見られないな。まあ、いい品だろう。」といいました。
「だれが、造ったのでしょうか。」と、孫はたずねました。
おじいさんは、また、さかずきを手に取りあげて、ながめました。
「そうだ、利助と書いてある。聞いたことのない名だな。」
結局、たいした品ではないが、まあ古いさかずきだから、いまどきのものとくらべると悪いことはないというのでした。孫は、家へ帰りました。彼は、さかずきをまた紙に包んで、仏壇のひきだしにいれておきました。
寒い、雪の降る国に、孫はいたくはありませんでした。彼は、いつからともなくにぎやかな東京の街に憧れていました。そして、いつかは、東京に出て、なにか仕事をして、かたわら、勉強でもしようという望みを抱いていました。
とうとう、彼は、家のことを姉や、弟とに頼んで、自分は東京へ出ることになりました。そのとき、彼は、昔から家にあった掛け物や、金銀の小さな細工物や、また、長く仏さまに酒を上げるさかずきになっていた、ひきだしの中にしまってあった利助のさかずきなどをひとまとめにして、それを荷物の中にいれました。彼は、東京へ出てから、なにかたしになるであろうと、思ったのでした。
彼は、東京へきてから、ある素人家の二階に間借りをしました。そして、昼間は役所へつとめて、夜は、夜学に通ったのであります。あるとき、彼は、書物を買うのに、すこし余分の金が入用でありました。そのとき、ふと、国を出る時分に、荷物の中へ入れて持ってきた金銀の細工物とさかずきのまだ、売らずにあったことを思いつきました。
「どうせ、あのたばこ入れの飾りや、帯止めの銀の金具は、たいした値にもならないだろうが、もしあのさかずきが、いいさかずきであったなら、値になるかもしれない。しかし、いつかおじいさんに見せたら、あまりほめていなかった。それでも、みんな一まとめにして売ったら、いくらかの金になるだろう。」と、彼は思いました。
孫は、東京へ出ると、じきに掛け物は売ってしまったのです。
「いくら、本物でも、作のできがよくなければ、値になるものではありません。これは、作のできがよくありません。このほうは、汚れていますからだめです。これですか、こいつは、私に、鑑定がつきません……。」
そんなふうに、骨董屋から、まことしやかにいわれて、掛け物は、安い値で手放してしまいました。
それで、彼は、こんどは、正直な人間に売らなければならぬと思いました。
「りっぱな店を張っている骨董屋のほうが、かえって、人柄がよくないかもしれない。だれか正直そうな古道具屋を呼んできて見せよう。」
彼は、そう思いました。
彼は、出かけてゆきました。そして、耳のすこし遠い、声のすこし鼻にかかる、脊の曲がった男を連れてきました。男は、無造作に、毎日、ぼろくずや、古鉄などをいじっている荒くれた手で、彼の出した、金銀細工の飾りとさかずきとを、かわるがわる取ってながめていました。
「こちらの飾りだけを×××××でいただきましょう。このさかずきは、どうでもよろしゅうございます。」と、古道具屋はいいました。
彼には、このとき、ふたたび田舎にいる時分、近所の物知りのおじいさんが、「これは、たいしたものではない、ただ古いからいいのだ。」といった、その言葉が思い出されたのです。
文明のこの社会に生まれながら、昔のものなぞをありがたがるのは、じつにくだらないことだと、彼は簡単に考えたのであります。
「このさかずきも、つけてやろう。」と、彼はいってしまいました。
古道具屋は、それを格別、ありがたいとも思わぬようすで、金銀細工の飾りといっしょに持ってゆきました。
このさかずきのことが忘れられた時分、彼は、ある日なにかの書物で、利助という、あまり人に知られなかった陶工の名人が、昔、京都にあったということを読みました。そして、強く胸を突かれました。なぜなら、彼の家に昔からあった、あのさかずきには、たしかに利助という名がはいっていたからです。
「そうだ、あのさかずきには、利助と名がしるしてあった。また、本には、ねずみや、花や、鳥の絵などをよく描いたとあるが、たしかに、あのさかずきの絵はねずみであった。」と、彼は思ったのでした。
彼は、ほんとうに、とりかえしのつかないことをしたと知ったのです。それにつけて、近所の物知りのおじいさんが、そのじつ、なにも知っていないのを、知るもののごとく信じていたのをうらめしく、愚かしく思いました。
「なぜ、村の人たちは、あのおじいさんのいったことを信じたろう。そうでなかったら、自分も信ずるのでなかったのだ。」と、後悔をしました。
また、「なぜ、自分は、さかずきを、あんなもののよくわからない、古道具屋などに見せたろう? もっといい骨董屋にいって見せたら、あるいは、利助という名工を知っていたかもしれない。」と、彼はそのときとは、まったく反対のことを考えました。
彼は、こうなっては、だれを憎むこともできなく、自らを憎みました。
彼は、また、「自分の祖父は、よほど、趣味の深い、目ききであった。」と思いました。そして、彼は、そう思うと、いままで感じなかった、なつかしさを、祖父に対して感ずるようになったのです。
世にも、その数の少ない利助の作を、祖父が手にいれて、それを愛したこと、そのさかずきは長い間、我が家の古びた仏壇のひきだしの中に入れてあったのを、自分が、むざむざ持ち出して捨てるように、この東京のつまらない古道具屋にやってしまったと考えると、彼はなんとなくすまないような、またとりかえしのつかないようなくやしさを感じたのです。そして、どうかして、それを探し出さなければならないと思いました。
孫は、さっそく、いつか自分の宿に呼んできた古道具屋へたずねてゆきました。そして、二、三か月前にやった、さかずきは、まだ店に置いてないかと、あたりに古道具がならべてあるのを見まわしてからききました。
「あれは、すぐ売れてしまいました。」と、耳の遠い、脊の曲がった男は、とがった顔つきをして答えました。
「だれが、買っていったか、わからないでしょうか?」と、彼は、なんとなく、あきらめかねるので聞きました。
「あなた、この広い東京ですもの……。」といって、男は、きつねのような顔つきをして、皮肉な笑い方をしたのです。
彼は、それに対して、このときだけは、怒る勇気すらありませんでした。
「なるほどそうだ。」と思いました。
東京の街は、広いのでした。大海に、石を投げたようなものです。小さな、一つのさかずきはこの繁華な、わくがように、どよめきの起こる都会のどこにいったかしれたものではありません。
そう考えると、彼は、絶望を感ずるより、ほかにはないのでした。
しかし、また、それは、どこかに存在しなければならぬものでした。
そのさかずきを、買った人は、日本橋の裏通りに住んでいる骨董屋でありました。その人は、まことに思いがけない掘り出し物をしたと喜びました。そして、店に帰ってから、そのさかずきを他の細かな美術品といっしょに、ガラス張りのたなの中に収めて陳列しました。
江戸時代のあの時分から、東京のこの時代に至るまで、また、幾十年をたちましたでしょう。
さかずきは、それでも、無事に、ふたたび江戸時代と変わらない、東京湾に近い、空の色を、街の中からながめたのであります。そして、またここで、日影のうすい、一日をまどろむのでした。
さかずきにとって、田舎へいったこと、仏壇に酒をついで上げられたこと、毎日、毎日、女房が磬をたたいたこと、箱に収められてから、暗い、ひきだしの中にあったこと、それらは、ただいっぺんの夢にしか過ぎませんでした。
さかずきには、家の前をかごが通ったことも、いま人力車が通り、自動車が通ることも、たいした相違がないのだから、無関心でした。
ただ、ある日のこと、太鼓の音と、笛の音と、御輿をかつぐ若衆の掛け声をききましたので、しばらく遠く聞かなかった、なつかしい声をふたたび聞くものだと思いました。
そして、自分は、またどうして、同じ所へ帰ってきたろうかと疑いました。
はかない、薄手のさかずきが、こんなに完全に保存されたのに、その間に、この街でも、この世の中でも、幾たびか時代の変遷がありました。あるものは、生まれました。またあるものは、死んで墓にゆきました。
それが、さかずきにとって、芸術の力でなくて、偶然な存在だと、なんでいうことができましょう。
この街では、ちょうど昔からの氏神さまの祭日に当たるのでした。そして、いつも、昔と変わらない催しをするのでした。
おりも、おり、例の孫は、この日この街を通りかかりました。そして、華やかな、祭りの光景を見て、自分の家も祖父までは、この東京に住んでいたのだなと思いました。
御輿の通る前後に、いろいろな飾り物が通りました。そのうちに、この土地の若い芸妓連に引かれて、山車が通りました。山車の上には、顔を真っ赤にしたおじいさんが、独り他の人物の間に立って、この街の中を見下ろしていました。
彼は、この山車の上の、顔を赤くした、人のよさそうなおじいさんを見ているうちに、自分のお祖父さんのことなどを思いました。自分は、そのお祖父さんの顔を知らなかったけれど、たいへんに酒の好きな人で、いつも赤い顔をしていたということを聞いていました。また趣味の深かった人でもありました。利助のさかずきは、そのお祖父さんの愛用したものだと思い出すにつけて、彼は、なんとなくお祖父さんをかぎりなくなつかしく思いました。
「きっと、お祖父さんも、あの山車の上に立っているようなおじいさんであったろう。」と、彼は思いながら、街を過ぎる山車をながめていました。
若い、派手やかな装いをした女たちが、なまめかしいはやし声で山車を引くと、山車の上の自分のおじいさんは、ゆらゆらと赤い顔をして揺られました。
おじいさんは、にこやかに、街の中のようすを笑いながらながめていました。そして、山車の下を通る車や、仰向いてゆく人々に、いちいち会釈をするように、くびを振っていました。
山車の上のおじいさんは、両側の店をのぞくように、そして、その繁昌を祝うように、にこにこして見下ろしました。やがて、山車は一軒の骨董店の前を通りました。その店にはガラスだなの中に、利助のさかずきが、他の珍しい物品といっしょに陳列されているのでした。
山車の上のおじいさんは、その前にくると、一段、くびを前後に振りましたが、やがて、若い女のはやし声とともに、その前をも空しく通り越してしまいました。
後には、ただ、永久に、青い空の色が澄んでいました。そして、たなの中には、ねずみを描いた、金粉の光の淡い利助のさかずきが、どんよりとした光線の中にまどろんでいるのでした。
こうして、たがいに遇うたものは、また永久に別れてしまいました。いつまた、おじいさんと利助のさかずきと孫とが、相見るときがあるでありましょうか。
底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
1977(昭和52)年2月10日第1刷
1977(昭和52)年C第2刷
底本の親本:「小川未明童話全集 3」講談社
1950(昭和25)年
初出:「婦人公論 9巻1号」
1924(大正13)年1月
※表題は底本では、「さかずきの輪廻」となっています。
※初出時の表題は「盃の輪廻」です。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:館野浩美
2017年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。