おおかみをだましたおじいさん
小川未明
|
北の国の、寒い晩方のことでありました。
雪がちらちらと降っていました。木の上にも、山の上にも、雪は積もって、あたりは、一面に、真っ白でありました。
おじいさんは、ちょうど、その日の昼時分でありました。山に、息子がいって、炭を焼いていますので、そこへ、米や、芋を持っていってやろうと思いました。
「もう、なくなる時分だのに、なぜ家へもどってこないものか、山の小屋の中で病気でもしているのではなかろうか。」といって、おじいさんは、心配をいたしました。
「どれ、雪がすこし小やみになったから、俺が持っていってやろう。」といって、おじいさんは村から出かけたのでありました。
山へさしかかると、雪は、ますます深く積もっていました。小屋へ着くと、息子は達者で仕事をしていました。
「おまえは、達者でよかった。もう米や、野菜がなくなった時分だのに、帰らないものだから、病気でもしているのではないかと、心配しながらやってきた。」と、おじいさんはいいました。
息子は、たいそう喜びまして、
「私は、明日あたり、村へ帰ってこようと思っていましたのです。」と、おじいさんにお礼をいいました。
それから、二人は、小屋の中でむつまじく語らいました。やがて、だんだん日暮れ近くなったのであります。
「お父さん、また、雪がちらちら降ってきました。このぶんでは道もわかりますまい。今夜は、この小屋の中に泊まっておいでなさいませんか。」と、息子はいいました。
たばこを喫いながら、火のそばに、うずくまっていたおじいさんは、頭を振りながら、
「俺は、やりかけてきた仕事がたくさんあるのだから、そんなことはしていられない。今夜は、わらじを五足造らなければならないし、あすの朝は、三斗ばかり米をつかなければならん。」と、おじいさんはいいました。
「いま時分、お父さんを帰すのは、心配でなりませんが。」と、息子は、案じながらいいました。
すると、おじいさんは、からからと笑いました。
「俺は、おまえよりも年をとっている。それに、智慧もある。まちがいのあるようなことはないから、安心をしているがいい。」といって、おじいさんは、小屋を出かけました。
道は、もう雪にうずもれて、どこが田やら、圃やらわかりませんでした。しかし、おじいさんは若い時分から、ここのあたりは、たびたび歩きなれています。あちらに見える、遠方の森を目あてに、村の方へと歩いてゆきました。
このとき、あちらから、黒いものが、こちらに向かって歩いてきました。もとより、いま時分、人間が、歩いてこようはずがありません。おじいさんは、なんだろうと思っていますと、そのうちに近づきました。おじいさんは、体じゅう水を浴びたように、びっくりしました。それは、おおかみであったからです。
おじいさんは、はじめて息子のいったことを思い出しました。「おお、息子のいうことをきいて、今夜は泊まって帰ればよかった。」と思ったのです。しかし、いまは、どうすることもできませんでした。
おじいさんは、じっとして、おおかみの近づいてくるのを待っていました。そして、いいました。
「おまえは、俺みたいなやせた、骨と皮ばかりの人間を食っても、なんにもならないだろう。もっとふとった、うまそうな人間のところへ、おまえをつれていってやるから、おまえは、黙って、俺の後からついてくるがいい。俺は、そのふとったうまそうな人間を、家の外へ呼び出してやるから。」といいました。
おおかみは、黙っていました。そして、おじいさんに、飛びつこうとはしませんでした。おじいさんは、自分のいったことが、おおかみにわかったものかと、不思議に思いながら、なるたけおおかみのそばをさけて、田や、圃の中を横切りながら、歩いていきましたが、その間は生きた気持ちもなく、村をさして急ぎました。すると、ずっと後から、黒いおおかみは、やはり、こちらについてくるのでした。
おじいさんは、懐にあるだけのマッチをすっては、火をつけて、たばこをふかしながら歩いてきました。獣は、みんな火をおそれたからです。
やっと、おじいさんは、村のはずれに着きました。そこには、猟師の平作が住んでいました。
「平作──早く出ろ、おおかみがきたぞ!」と、おじいさんはどなりました。
平作は、銃を持って、家の外に走り出ました。そして、おじいさんの振り向く方を見て、「あれか。」といって、黒いものをねらって打ちました。
しかし、弾は、急所をはずれたので、おおかみは、雪の上に跳り上がって、逃げてしまいました。
おじいさんは、自分は智慧者だろうと、家へ帰ってから威張っていました。
一方、息子は、こんな晩方、おじいさんを独りで帰したのを後悔しました。
「どうか、まちがいがなければいいが。」と、心配をして、じっとしていることができませんでした。それで、小屋を出て、父親の後を追ったのであります。
もう、あちらに、村の燈火が見えるところでありました。黒い大きなおおかみが、まっしぐらに、うなりながら駆けてきました。そしておおかみは、人間に出あうと、すぐに飛びついて、噛み殺してしまいました。
そのことを後から知って、おじいさんは、どんなに歎いたかしれません。そして、息子をなくした、おじいさんは、さびしく暮らしたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
1977(昭和52)年2月10日第1刷発行
1977(昭和52)年C第2刷発行
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:富田倫生
2012年1月21日作成
2012年9月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。