あらしの前の木と鳥の会話
小川未明
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ある山のふもとに、大きな林がありました。その林の中には、いろいろな木がたくさんしげっていましたが、一番の王さまとも見られたのは、古くからある大きなひのきの木でありました。
また、この林の中には、たくさんな鳥がすんでいました。しかし、なんといっても、その中の王さまは、年とったたかでありました。多くの鳥たちは、みんな、このたかをおそれていました。
ある日のこと、古いひのきの木と、たかとが話をしたのであります。
「いま、人間は、ひじょうな勢いで、いたるところで木を伐り倒している。いつ、この林の方へも押し寄せてくるかしれない。人間は、りこうかと思うと、一面は、ばかで、自分から火を出して、自分の住んでいる家も、また、せっかくりっぱに、仲間のためになった街も、みんな焼いてしまう。そんなことは、俺たちが考えたって、想像のつかないことだ。そうして、家が失くなったり、街が焼けてしまうと、あわてて大急ぎで、俺たちのいる方へやってくる。そんなにまで俺たちは、人間のために尽くしているのに、ありがたいとは思っていない。」と、ひのきの木は、話しかけました。
くるくるとした、黒い、鋭い目をしたたかは、これをきいていましたが、
「人間というやつほど、わがままなものはない。おまえさんが、そう怒んなさるのも無理はない。私たちだって、これまでずいぶんこらえてきたものだ。」と、たかは、おうようにいいました。
「しかし、あなたがたは、自由に飛んで歩ける身体だから、なにも、人間のいうとおりにならなくてもいいのだ。人間のいないところへいってしまえば、つらいめにもあわなくてすむというものだ。」
「ひのきの木さん、おまえさんも、年をとって、すこし、もうろくなさったとみえる。私たちの仲間が、人間のために、どれほど、働いて、どれほど、いじめられてきているか知れたもんでない。だいいち考えてみなさるがいい。人間は、馬や、牛や、犬や、ねこのために、病院まで建ててやっているのに、私たちの病院というようなものを、まだ建てていない。こうした大不公平は、ここに挙げ尽くされないほどある。これに対して、あなたがた同様、私たちが、黙っているものですか。」と、年とったたかはいいました。
空を暗くするまでしげったひのきの木は、黙って、たかのいうことを聞いていました。
「おい、兄弟、もうよく話がわかった。俺たちは、みんな人間の仕打ちに対して不平をもっているのだ。しかし、まだ、これを子細に視察してきたものがない。だれかを、人間のたくさん住んでいる街へやって、検べさせてみたいものだ。そして、よくよく人間が、不埓であったら、そのときは、復讐しよう……そうでないか?」と、ひのきの木はいいました。
たかは、曲がったくちばしを、木の皮で磨いて、聞いていました。
「それは、いいところに気がついたものだ。さっそく、視察に、だれか、やったらいい。おまえさんには、だれがいいか、心あたりはありませんか。」と、たかは、ひのきの木にたずねました。
ひのきの木は、うなずきました。
「それは、やはり、人間の姿をしたものでなければ、この役目は、果たされないだろう。幸い、あの乞食の子を、にぎやかな街へやることにしよう。あの子には、俺も、おまえも、いろいろ世話をしてやったものだ。」
「私は、あの子に、他所から、くつをくわえてきてやった。また、着物をさらってきてやったことがある。」と、たかはいいました。
ひのきの木は、身動きをしながら、
「俺は、あの子に、いろいろな唄の節を教えてやったものだ。また、あの子が父親といっしょに、この木の下にいる時分は、雨や、風をしのいでやったものだ。蔭になり、ひなたになりして護ってやったことを、あの子は、よく憶えているはずだ。あの子は、俺の荒い肌をさすって、小父さん、小父さんといったものだ。」
「あの子なら、いいだろう。」
「あの子なら、だいいちに、心から俺たちの味方なんだ。」
こういって、古いひのきの木と、年とったたかとは、話をしていました。
夕方になると、父親と子供とは、ひのきの木の下に、どこからか帰ってきました。子供は、木の枝で造った、胡弓を手に持っていました。
二人は、そこにあった小舎の中に、身を隠しました。
「父ちゃん、さびしいの。」と、子供はいいました。
「ああ、さびしい。」
「父ちゃん、なにか、おもしろい話をして、聞かしておくれよ。」と、十一、二の男の子は、父親に頼みました。
「そんなに、さびしければ、あした街へいってみろ! 町へゆきゃ、おもしろいことがたんとあるぞ。独りでいって見てこい。おらあ、ここに待っている。帰ったら、見てきたことをみんな聞かしてくれ。」と、父親はいいました。
子供は、黙っていました。
このとき、頭の上のひのきの木に風が当たって、鳴っていました。その音を聞いていると、
「それがいい。それがいい。」といっているようでした。
「いってみようかしらん。あしたは、天気だろうか?」と、子供はいって、小舎の入り口から、くりのまりのような、毛ののびたくびを出して、空の景色をながめると、林の間から、雲切れのした、青い空の色が、すがすがしく見られたのです。そして、たかの空を舞って鳴く声が聞こえました。
「いってみろ! いってみろ!」
たかは、こう叫んでいました。
乞食の子は、胡弓を持って、街へやってきました。父親は、村を歩いて、子供は、一人で街へきたのであります。
いい天気でありました。ある橋のところへくると、馬が重い荷を車につけて、引いてきかかりました。そして、そこまでくると、もう歩けなそうに、止まってしまいました。
馬引きは、綱で、ピシリ、ピシリと馬のしりをたたきつけました。馬は、苦痛にたえかねて跳ね上がりました。
これを、見ている人たちは、みんなびっくりしました。
「ちと、荷が、重すぎるのだ。」といった人もあります。
「かわいそうに。」と、馬に、同情した人もあります。
乞食の子供は、どうなることかと思って、しばらく立って見ていました。そのうちに、とうとう馬は、橋を渡って、重い荷車を引いていってしまいました。このとき、先刻、馬を「かわいそうに。」といった人が、そばの男に向かっていったのです。
「人間は、ああして、馬や、牛をずいぶん思いきった使い方をしているが、幸いに馬や、牛がものをいえないからいいようなものの、もし馬や、牛が、ものがいえたら、きっとそんな使い方はできないだろう。けっして、黙ってはいないからね。ものがいえないで幸いだ。」といいました。すると、相手の男は、それに、答えて、
「たとえ、ものがいえなくても、馬や、牛や、また、ねこや、犬が、笑ったり、泣いたりしたら、どうだろうね。」といいました。
「どんなに、気味の悪いことか。」と、二人は、こういって笑いました。
子供は、この話を帰ったら、父や、山の木や、鳥に、話してやろうと思いました。
子供は、街を歩いていますと、鳥屋がありました。大きな台の上で、男が、三人も並んで、ぴかぴか光る庖丁で鶏の肉を裂き、骨をたたき折っていました。真っ赤な血が、台の上に流れていました。その台の下には、かごの中で他の鶏が餌を食べて遊んでいました。
鳥屋の前に、二人の学生が立って、ちょっとその有り様を見てゆきすぎました。子供は、「なんというむごたらしいことだろう。」と、思いました。そして、自分も、学生の後ろについて、ゆきかかりますと、学生が、話をしていました。
「鶏というやつは、ばかなもんだね。仲間が殺されている下で、知らぬ顔をして、餌を食べているんだもの。」といいました。すると一人は、それを打ち消すようにして、
「人間だって同じじゃないか、毎日のように、若いもの、年寄りの区別なく死んで墓へゆくのに、自分だけは、いつまでも生きていると思って、欲深くしているのだ。」といいました。
子供は、これを聞いて、なるほどと思いました。
子供は、いちばん、街の中のにぎやかなところにきかかりました。
彼は、小さな手に持っている胡弓を弾いて、風から習った、悲しげな唄をうたいはじめました。すると、通る人々は、みんな不思議な顔つきをして、子供を見送りました。
そこには、きれいなカフェーがありました。多くの若い女が、顔に、真っ白に白粉を塗って、唇には、真っ赤に、紅をつけていました。そこで、やはり、その女たちも、いい声で、唄をうたっていましたが、子供が、風から習った、悲しい唄をうたってきかかりますと、みんなが黙ってしまいました。
子供は、カフェーをのぞきました。ここなら唄をうたったら、お銭をくれるであろうと思ったからです。円いテーブルが幾つもおいてありました。その一つのテーブルに、男が、酒に酔っていい気持ちでいました。対い合って腰をかけている、白粉を塗った女も、すこしは酔っていました。テーブルの上には、ビールのびんが、港の船のほばしらのように並んでいます。男は、ガブ、ガブ、みんなそれを飲んだものと思われました。
女の声で、なにかいったようですが、それは子供の耳に、よく入りませんでした。それよりも、子供は、二人が、酒を飲んでいる、すぐそばに、かやの若木が、鉢に植わって、しかもその根が、真っ白に乾いているのを見ました。
ビールを、ガブ、ガブ、飲むかわりに、一杯の水を、かやの根もとにやればいいのにと、子供は、思ったのです。
「この木に、水をやらんと枯れてしまうよ。」と、子供はいいました。
すると、酒に酔っている男は、怒りました。
「なに、いらんことをいうのだ。さっさといってしまえ!」といって、小さなコップに残っていた、ウイスキーを子供の顔に、かけました。子供は、目から、火が出たかと思いました。
子供は、その日の暮れ方、涙ぐんだ目つきをして、ふもとの林の中へ帰ってきました。小舎の中には、父親が待っていました。
子供は、この日、街で見てきたいっさいを父親に向かって話しました。
古い大きなひのきの木は身震いをしました。
「いま、子供のいったことを聞いたか。」と、年とった大たかに向かっていいました。
「人間は、すこしいい気になりすぎている! ちっと怖ろしいめにあわせてやれ。」と、たかは、怒りに燃えました。
「俺たちは、今夜、あらしを呼んで、街を襲撃しよう。」と、ひのきの木は、どなりました。
「私たちの力で、ひとたまりもなく、人間の街をもみくだいてやろう。」と、たかは叫びました。
たかは、黒雲に、伝令すべく、夕闇の空に翔け上りました。古いひのきは雨と風を呼ぶためにあらゆる大きな枝、小さな枝を、落日後の空にざわつきたてたのであります。
底本:「定本小川未明童話全集 4」講談社
1977(昭和52)年2月10日第1刷発行
1977(昭和52)年C第2刷発行
※表題は底本では、「あらしの前の木と鳥の会話」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:富田倫生
2012年1月21日作成
2012年9月28日修正
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