夢殿
北原白秋
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上巻
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白良
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昭和九年八月中旬、台湾巡歴の帰途、神戸に迎へたる妻子と共に紀州白良温泉に遊ぶ。滞在数日。 |
白良の ましららの浜、まことしろきかも。驚くと、我が見ると、まことしろきかも。踏みさくみ、手ぐさとり、あなあはれ、まことしろきかも。子らと来て、足投げて、膝くみて、ただにしろきかも。白良の ましららの浜、松が根も、渚べも、日おもても、ただにしろきかも。あなあはれ、目に霧りて、火気だちて、しろきかもや、しろきかもや、立ちても居ても。
ましららの白良の浜はまことしろきかも敷きなべて真砂も玉もまことしろきかも 旋頭歌一首
ましららのまこと白浜照る玉のかがよふ玉の踏み処知らなく
まことにもしろき浜びや足つけて踏みさくみ熱き真砂照る玉
音絶えてかがよふ砂浜ましろくぞ白良のま玉火気澄みつつ
松が枝の疎き鱗に照るさへや真砂は暑し吹きあげの玉
女童の脛の柔毛につく砂のしろき真砂は光りつつあり
浜木綿は花のかむりの立ち枯れてそこらただ暑し日ざかりの砂
牟婁と言へば葉叢高茎百重なす浜木綿の花はうべやこの花
紀の海牟婁の渚に群れ生ふる浜木綿の花過ぎにけるかも
糸しだり花過ぎ方の浜木綿は影おだしけれ火照る夕波
崎の湯は湯室の庇四端反り夕凪にあるか入江向ひに
牟婁の崎荒き石湯に女童居りて大わだの西日ただに明かり
浜木綿に湯室の灯映りゐて真砂踏み来る足音絶えぬ
短夜の白良の浜に来寄る波燈籠にまくわ苧がらなどをあはれ
朝ながめ夕ありきして牟婁の津や白良の浜に玉をめでつつ
玉ひろふ子らと交らひ牟婁の崎白良の浜に七夜寝にける
砂いくつ畳にひろふ起臥も早やすずしかり唐紙のべしむ
郷土飛翔吟
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小序
我弱冠、郷関を出て処女詩集「邪宗門」を公にして以来、絶えて故国に帰ること無し。その間、歳月空しく流れて既に二十の星霜を経たり。時に望郷の念禁じ難く、徒に雲に島影を羨むのみ。偶〻昭和三年夏七月、大阪朝日新聞社の求むるところにより、その旅客輸送機ドルニエ・メルクールに乗じて北九州太刀洗より大阪へ飛翔せんとす。これ日本に於ける最初の芸術飛行なり。事前、乃ち妻子を伴ひて郷国に下る。山河草木、旧のごとくにして人また変転、哀楽また新にして恩愛一のごとし。南関柳河行これなり。二十三日、本飛行を決行するに先立つて、幸ひに試乗してその太刀洗より郷土訪問飛行の本懐を達するを得たり。恩地画伯、長子隆太郎と共なり。ここにその長歌十七篇短歌二百五十三首を録す。 |
海を越ゆるただち胸うつ国つ胆我が筑紫なり声に荒くも
母の国筑紫この土我が踏むと帰るたちまち早や童なり
見るただち顔に溢るる親しみは故郷にあれや帰り来にけり
我が言へば音の響に添ふごとく響き応ふる国人君は
雲美しき山門のまほらここにして我はや飛ばむ高き青雲
南風のむた真夏大野を我が飛ぶと明日待ちかねつ心あがりに
産土よこの山河をかくばかり直にし見ずて我恋ひにけり
山門はもうまし耶馬台、いにしへの卑弥乎が国、水清く、野の広らを、稲豊に酒を醸して、菜は多に油しぼりて、幸ふや潟の貢と、珍の貝・ま珠・照る鰭。見さくるや童が眉に、霞引く女山・清水。朝光よ雲居立ち立ち、夕光よ潮満ち満つ。げにここは耶馬台の国、不知火や筑紫潟、我が郷は善しや。
雲騰り潮明るき海のきはうまし耶馬台ぞ我の母国
筑紫野は大き出水の田つづきを簑笠つけて人遊ぶかに
筑紫は我を生ましける母の国大き出水の田の広ら見よ
父我はここに響けりまつぶさにこの愛しかる山河は見よ
父恋し母恋してふ子の雉子は赤と青とに染められにけり
夏山は赤と青との雉子馬の清水寺も雨こめにけり
夏かすむ女山の岩の神籠石老け鶯も谷にくだるか
午近く、大牟田に着けば、既に師友、肉親の人々、柳河或は南関より来りて、我等を待ちたまふに会ふ。
我が帰る心矢のごとありけらし早や着きたりと笑ひて泣かゆ
肥後玉名郡南関、そのかみの関町、その字外目は我が母の生地にして、我にも亦、第二の故郷たり。乃ち、大牟田より先づ出迎の叔父たちと共に上内の山を越えてその土を踏む。親戚知音の人々の喜びかぎりなし。一夜、町の招宴に臨み、竜田川の橋ぎはなる島田家に泊る。翌十九日、外目近郊の外祖父母の墓に詣で、後、石井本邸に帰る。山河旧のごとくなれども、その母の生家は既に昔の俤なし。
掛け竝めて玉名少女が扱きのばす翁索麪は長きしら糸
手うち索麪戸ごと掛け竝め日ざかりや関のおもてはしづけかりにし
山間は貧しき関のありやうを暑き日ざしにて敢て見て過ぐ
南関田町の島田家は我が母の異母姉の家なり。従兄敏三は帝大法科に学びて聞えし俊才なりき。いま一家すべて死に絶ゆ。
しろがねの恩賜の時計、畏むやその子秘めにき。秒隔かず死ぬまで愛でぬ。子が死にて愛しき時計、形見よと、父は後愛で、命よと、いとほしと、日も夜も持ちき。時刻むその秒の、その秒すらも絶えざりき。その小さき恩賜の時計、父死にて母に伝へき。その母も、ちちちちと、その音聴きき。子の敏三あはれよと、命よと、また継ぎ巻きぬ。生けるあひだ、その臨終まで、その螺子巻きき。人の世の真実の、この音の、つきつめにけり。
時計の秒針は進むと子が死にて父へ母へとつたふる絶えぬ
島田家その後、従妹類子(北原氏)夫妻之を継ぎたれども遠くロスアンゼルスに在り。一の叔父隆承老その跡を守る。老は生来徳望高く、今また南関町長たり。
中庭の柿の老木は庇より手のとどかむに暑き日照や
乏しきを老いて豊けき大人見れば鶏割け風呂焚け造酒よと麪よと
割く鶏の胆青きまで下照らす柿の葉ごみに風とどまりぬ
低屋根に鉄砲風呂の煙立ちあくまでも暑き西日たもてり
お墓山煙草の花にふる雨のほの紅うして身はうつつなり
この道よ椎の落葉にふる雨のいたくもふらねよくしめりつつ
母の生家石井家は南関の西、外目の丘にあり、いま二の叔父貴道氏、その兄に代りて本邸にあり、而も世の転変は甚だしく、旧時の高閣既にその半ば取りこぼたれ、庭前庭後、ただ荒るるにまかせたり。
百日紅老木しらけて厠戸の前なる石もあとなくなりぬ
白き鶏あさりさわめく影のみぞただに照り反る動きにてあり
背戸柿やこれの爺さが木洩れ日に身うちゆるがし我ら遊びし
玉名のや少女索緒て煮る繭のころろ小をどる玉白かりき
粗壁に影して低き草庇いまも山家は貧しかるなり
七面鳥乳嘴かき垂り尾羽張りてとめぐる庭の日ざかり今は
病み臥す人が眼うつす外の庭に零余子そよぎてげに外目なり
高き屋に常眺めてし前の山いまも恋しき一つ松見ゆ
上内は谷をへだつる前の山肥後と筑後の境松あはれ
§
母の里外目の夏は月夜には笛おもしろく子ら吹き立てぬ
横笛は子らが手づくり南瓜の花かかるあたり月夜吹きつつ
§
幼なくて裸馬をせめたる山坂に磨墨川といふが響きし
§
赤ん谷山桃実る梢越えて鷲巣山は雲近かりき
夏山は霞わけつつ持て来たる山桃ゆゑにそのよき姥を (母の乳母)
葉がくりにいまだか青き櫨の実の幼なごころよ我はゆめみし
塁なす櫨の木群の深みどり我が水上はみ霧霽れつつ
山門は丘も水際も櫨群のたわわのみどりしたたりにけり
十九日、外目を出でて筑後の瀬高へかかる。上ノ庄の江崎氏を訪ふに
酒屋には酒屋よけむと嫁に来しお加代姉さもただの古嬬
空飛ぶを弟があやつる翼かと早やおぼすらし声おろおろに
御許には童女童数群れて亦若かりしけぶりだになし
額髪の笑ふ女童このごとくあどなきものを恋ふとありにし
我老いぬただに愛しき額髪の面あげてあるその子ら見れば
夏ごろも匂ふ少女は朝ひらくからたちの花と清しかるべし
我、中学伝習館を学業卒へずして去りぬ。寧ろ追はれたるにちかし。而も我が今日ある、恨無くしてただ感謝あるのみ。
儺はれし我の来し方ここにして早や遥かなり帰り今在り
これの子ら歎知らざり我が言ふをただおもしろと笑ひ爆ぜたる
我が声にひびき応ふる子らありて顔ことごとく笑ひくづれつ
沖ノ端に近づくに、城内、矢留両小学校の生徒、既に旧藩侯邸の前に整列して我が一行を迎ふるあり。雨中三時間の余も佇立したりきと。
雨に佇ち竝びゐやまふ子ら見れば我幼なくてかくも迎へし
旧藩侯邸の林泉は古来の名苑にして、所在の鴨おのづからに集り嬉遊するもの数を知らず。
石多き林泉のたをりにつく鴨の寄り寄りにさびしおのがじしをる
この林泉に潜く野鴨の夏鴨の数は光れど広き水の面
か広くて却てしづけさまさりけるこのよき林泉に鴨おほくゐる
昼の林泉石のあひさにゐる鴨の一羽は黝しつれづれの鴨
泉石のここだあかるき真日照に青鷺が佇てり泛く鴨のあひだ
日のうちも幽けくあらし引く水のかがよふ方へ鴨の寄り行く
日は暑し林泉の撓りにつく鴨のゆきあひの鴨のくわうと啼きたる
林泉の鴨おほに遊べばゆふつ方荒き野鴨も下りて来にける
林泉や夏空の広らを飛び来る荒き野鴨のふりもおもしろ
林泉や夏この夜浅きに水にゐて月の光を潜くものあり (その後に夜一首)
遂に我が唯一の母校矢留小学校に臨む。乃ち我、故老、旧知、児童を前にして嗚咽、しばし言葉絶ゆ。
息つめて子らまじろがず空飛ぶに何悲しきと思ふなるらし
我が言ひて絶ゆる言葉は子らはいざ老いたるどちや知りておはさむ
雲仙の山を眺むる朝霞ここに学びて童なりにし
宮裏はそこらの砂の日に蒸れて土糞のにほひいまにをさなき
裸足には小砂ざらつく絵馬殿に幼なかりける子ら遊びにき
神にうつ大き太鼓はその朝やとうとうとあげてゆくらつづけぬ
宮司は旧師木下登三郎先生なり。ぼそぼそと老いたまへり。
この神酒は中ほど黒き土器にとよと注がれていや沁みにけり
専念寺甍黝みて閑かなり我が寺と思ふはひりの照りを
閻魔堂草むす軒のうらべよりつぶやききこゆ蜂か巣ごもる
夏闌くる寺のお堀のとちかがみ源五郎虫も黝みつつあり
夕凪はいきるる草を墓所には人多に来居り我が泣かむ見に
明治三十四年、十三にてみまかりし妹ちか子の墓は、まだ土を盛りしままなり。
土に沁む線香の火のまだ見えて散るいくつあり青き折れ屑
柳河の西南半里、我はこの沖ノ端に生れぬ。漸くにしてその石場に帰るに、すでに夕に近し。町には祭の楼門チョウギリといふものを我が為に立て、人々、また宴を張りて泣く。
街堀は柳しだるる両岸を汲水場の水照穏に焼けつつ
かいつぶり橋くぐり来ぬ街堀は夕凪水照けだしはげしき
我が見るは入日まともにさしあたる駐在所脇の二挺堰の渦
町祠石の恵美須の鯛の朱の早や褪せはてて夏西日なり
もの言ひて前かがみなる甚吉は柳の洩れ日まぶしむならむ
菎蒻屋の弟の末吉泣きめだち女子さびしか今は媼めく
葉柳や今の日ざしに相見れば誰彼の頭も薄くなりつる
我が生家は今、人手にわたりて、とどろしき鑵詰工場となりぬ。初めて妻子を伴ひて、この我家にあらぬ家の門をくぐるに、胸塞がりてまた言ふこと無し。
泣かゆるに日は照り暑し湯気立てて蟶を今釜に煮沸す
照る砂に雷管のごと花落す朱欒一木が老いてお庭に
棟瓦千石船の朱と碧は正目仰ぎて深き雑草
鍋二つ汲水場に伏せて明らけき夏真昼なり我家なりにし
白栄に蛇奔る裏堀は水紋の動き光とありつつ
我が書斎たりし隠居家は、なほ遺れども、既に久しく鎖しぬ。
空しかり縁に眼をやる泉石も常水たたへ濡れてありしを
我家は菅家の裔と宣らしたる大伯母ましき敢て読みにけり
我が幼な遊びの穀倉いまなほ存す。外壁破れ、ひとへにあはれ深し。
穀倉は外板壁のか黝きが日中の堀に影映すのみ
五月雨に麦は落穂も取り入ずて染色黝し土に還らむ
青光るめくわじやの貝に眼は大き鴉降りゐてまた旱なり
三日三夜さ炎あげつつ焼けたりし酒倉の跡は言ひて見て居り
葦むらや開閉橋に落つる日の夕凪にして行々子鳴く
潮の瀬の落差はげしき干潟には櫓も梶も絶えて船の西日に
洋越ゆと六騎が伴は舟竝めて勢ひ榜ぎ連れ矢声あげにし (鮟鱇組)
夕凪の干潟に黒き粒だちは片手の小蟹貝ひろひ食ふ
西日して潮満つるまの夕干潟営み長く蟹ぞつぶやく
夕凪の干潟まぶしみ生貝や弥勒むく子の額髪にして
西日には蟶むきて居るならし後姿気ぶかき四五の女童
女童や我は思へば額髪のかぐろき瞳此方見あげつ
潮くさき突堤に沁むる夏西日音あわて落つるむつごろ影あり
註、沖ノ端にては突堤をうろこと云ふ。石にて鱗のごとく畳める故なるべし。尚「むつごろ」は小さき山椒魚に似たる魚にて、よく潟を走り、突堤の石垣にも登る、前世紀の遺物の由。日本にていま棲息するはこの土地のみ。
魚市場落日あかきに手品師は鍔までもりゆうと刀を呑みつも
字、筑紫村のほとりに、妹の乳母を訪れて、同じくその日、
風かよふ蘆のまろ屋に息ほそり白鷺のごと臥やる姥はや
老の息かくて絶えなむ女童の陰どころさへも知りきと泣くを
柳河町の旧友川野三郎氏宅に泊る。盛んなりしこの柳河にての歓迎の一夜も明けて、
墨を磨り若かへるでは朝光のすずしきがほどをゆとりもたなむ
高畠公園の三柱神社は藩祖を祀る。二十日、ここに詣でてまた幼き日を偲ぶ。
太鼓橋欄干橋をわたるとき幼子我は足あげ勢ひし
三柱宮水照繁なる石段に瑪瑙の小蟹ささと音あり
神楽殿砂吹きあぐる白南風に小蟹ちり走る鋏立てたり
鹹涸川堰の下の葦むらに行々子鳴きて鳰はお堀に
二十日、再び沖ノ端に帰りて、人々と共に楽しむと柳河まで小舟に棹さしのぼる。恩地画伯も同舟なり。
我つひに還り来にけり倉下や揺るる水照の影はありつつ
夏真昼わが故郷は外に干して巻線香のにほひかなしも
しづかさは殿のお倉の昼鼠ちよろりとのぼりまたも消ぬかに
御船倉水照ゆたかに舟うけて吹き通る風の夏はすずしさ
御船倉いとど明るき水の上は蛙のこゑもよく徹るなり
水のべは柳しだるる橋いくつ舟くぐらせて涼しもよ子ら
土橋をわが往きかへる柳かげ青銭一つ投げてわたりし
南風すずし籠飼あげをる舟わきをわが舟にして声はかけつつ
風のさき黄なるカンナの群落に舟棹しかへす今はまぶしみ
橋ぎはの醤油竝倉西日さし水路は埋む台湾藻の花
背戸ごとに小舟纜へる汲水場にはをりをり女居りて日暑し
夏堀と狭む水曲の葦むらはたださわさわし小舟棹しつつ
処女詩集「邪宗門」の上梓の直後なりけむ。かかるわかき日の帰省の夢を境として、その後二十年絶えて帰省することなし。之等の感懐も今は昔となりぬ。
葉のとぢてほのくれなゐの合歓の花にほへる見れば幼な夕合歓
水のべにいまだをさなき合歓の花ほのかに紅く君も眠ななむ
水の街棹さし来れば夕雲や鳰の浮巣のささ啼きのこゑ
旗雲と匂だちたる月の出はたぐふすべなしあかき旗雲
過ぎし日の幼な遊びの土の鳩吹きて鳴らさな月のあかりに
爆竹の花火はぜちる柳かげ水のながれは行きてかへらず
汗あゆる夏のゆふべはすがすがし葦の葉吹きてあるべかりけり
都べへ立たむ日近し菱売の向脛黒く秋づきにけり
馬描かば前脚曲げて、蹄上げ、内腹蹴れと、尾の張りに力こめよ、跳ぶごとく描けよと見せぬ。土けぶり後にあがらむ、勢や和子もかくあれ、早や描けと筆持たしめき。末爺、三代に仕へて老ゆる大き爺よく馬描きぬ。よく見よと雲に馬描く和子や我や、三つ児のたましひ、かくぞ生きぬく。
馬描かば内にためたる蹴上げよと老いたる泣きぬ幼児に言ひて
描く馬よ青雲のぞむ勢の上なかりしが墨はかすれき
石うてやよしや若殿、何負けむ、石場の子ら、小舟にて早や漕ぎ出だせ、石積めよ、水棹とれ、土橋くぐれ、鳰鳥の火の点く頭、いま夕日、それとかかれと、我が仰ぐ館の築地、濠めぐるここをよろしと、采配やささとかかれと、前うちの金の鍬形、紙鎧、桜縅の大将我は。
十二万石殿の若子はさもあらばあれここに六騎の町の子我は
註、石場は字石場町、六騎とは平家の六騎、ここに落ちのびて漁る。故にこの町の漁師を時俗六騎と呼ぶ。
風の日は風をながめて、雪の日は雪をながめて、玻璃戸越し、大き店さき、朝には餅焼かせて、日暮にはお膳竝べて、さて師走、我が家の市、馬ぞ、鮪ぞ、鰤ぞ、牛ぞと、おもしろと、見るとながむと、子供らの一の和子我は。
外厠戸ごとあけたる町すぢに冬は西日の寒けかりにし
あらたまの年のはつ売、暁を大戸あけさせ、早や待つに挙り入り来る。たうたうと人ら入り来る。〓(「仝」の「工」に代えて「北」)の濃染手拭、酒の名の「潮」の盃、引出よと祝ふとわけて、我が老舗酒はよろしと、新の桝酒に磨くと、春や春、造酒よ造酒よと、酒はかり、朱塗の樽の栓ぬき、神もきかせと箍たたき、たたきめぐれば、ほのぼの明けぬ。
春の夜と滴りあまる豊造酒は朱塗の樽に添ひて流れつ
太竹の青き筒、つやつやし筒に、たぷたぷと素水入れ、硯の水清けし、墨磨れと、傍注ぎ、注ぎてまはりぬ。勢ひける何なるならし。幼などちそのかの子らの、筒袖の、その中にしも級長われは。
女童はほのかなりしか小硯の赤間が石に墨片避けて
よく坐しきあてに墨磨り唐やうの画をたしなみと書を楽しみと
田のそなた堀に柳のしだれたる離家の窻に老いていましき
藩札は赭き紙ぎれ、皺に寂び黴くさき札、うち廃り忘られし屑、うち束ね山と積めども、用も無し邪魔ふさげぞと、放られてあはれや朽ちぬ。竹鉄砲紙の弾丸よし、花火筒につめよ押しこめ、煙硝よ染めとはじけと、ぱんぱんと響け、火花よ飛びちれと、幼な児我は。
しゆうしゆうと花火ふき出る竹の筒幼らすでに勢ひそめにし
青銭は穴あき銭よ、字のおもて寛永通宝、裏に波文久永宝、よく数へよく刺し貫くと、手もすまにそろへて締むと、幼な児や息づかし我、青太藺綯ひし小縄の、撚りつよきその緒くくりて、夜々をなげきし。
青銭の穴あき銭をかなしよと父のみ前に貫きて数へつ
魚市は師走の市、歳のすゑ、大つごもり前の三日、雪よ霰ふる中を、塩鰤や、我が家の市、競り市や、魚市場、戦や、船に馬に大八車、わさりこ、えいやえいや、かららよ、えいやえいや、人だかりわらわら、はいよ、天秤、担棒、走る走る、えや肩掻きわけて。
諸国船歳の塩鰤競りあぐと寒もものかは裸でおらぶ
師走業我が家の市は大歳と千石船の群れて泊てにし
南風にして千石船の箱ぐるま金比羅までも我は曳かせつ
篦や篦、漆掻く篦、篦はよし、色掻き交ぜ、たらりとよ、垂りしたたらす。ぬめりや漆のねばり、たらりとよ一つ反し、つるりとよ二つ反し、日に透かし、時をや見る。乾きや潤ひや、にほひとや持ち味。漆は、漆はや、あやかし、こは子らよ生物、かく言ひて一つ反し、二つ反し、たらりとよ、つるりとよ、爺は見てゐつ、春の日永を。
滴りいとど仏師がい掻く赤漆篦うちかへし春もいぬめり
夕焼には、夕焼にはの、白鷺が紅つける。白鷺が潟のそこりに足なづむ。簑毛風にそよいで。ハレヤ、霞の雲仙、島原は追風の一と潮、風さきの向う突堤は三潴ばの、のうもし。
春もやや潟の水曲を行きありく白鷺の眼の黒くするどさ
涼しさは水豊かなる柳かげ葦笛吹きて我等行けりし
夏の照り葦辺行く子は魚籠もちて何か真顔の我にかも似る
今ぞ見む郷国は童がどの顔も我によく似る太郎によく似る (妻に)
菎蒻屋桶に藷磨り、飴形屋掛けて飴練る、蚊ばしらや春より立たむ。藍俵夏よ染み出む。綿うたす媼はさもあれ、提灯屋老の猫脊が、さてゑがく牡丹に唐獅子、太神宮祭近しと、子供組勢ふよろしと、えやうやと受け合ふものから、向ひ屋の浄瑠璃の師匠、越太夫を我は。
照る日には傘を干し竝め雨ふれば提灯に紅き牡丹描きける
菱採りはか揺りかく揺り桶舟に両手掻きしてその菱堀を
菱売は久留米絣の筒袖に手も脛も黒く菱やとふれ来る
昭和三年七月二十二日、午後一時十分、愈〻一期の郷土訪問飛行を決行せむとす。恩地孝四郎画伯同乗、幼児隆太郎をも伴ふ。乃ち太刀洗飛行場に参集す。
驟雨の後日の照り来る草野原におびただしく笑ふ光を感ず
草原にまだ滴する格納庫日は直射して白雨過ぎぬ
蟻のごと兵列小さく曲り来て格納庫角の銀灰の照り
照りを来し頭右して過ぎにけり二列縦隊の地上作業の兵
空は夏光沢あるはたてうるほひて格納庫の上の白き断雲
飛行帽まぶかに笑ふ逞ましきこの赭顔見れば期するあるなり
単葉ドルニエ・メルクール機両翼張り大き安らあり尾を地に据ゑぬ
平らけき今日の地平のあさみどり軽気球あがる空気がありぬ
音に澄みまはるプロペラ風速し我が天翔る時ちかづきぬ
滑走し去りてふはりと上る単葉機の流るるがごとき脊筋なりしと
雲ぎはに機体消えてより胸せまる虫のすだきを原に聴きぬと
飛ぶただち空と大地の入りかはるこの驚きに我くつがへる
滑走しとどろ応へしいつ知らず身は離陸して軽きに似たり
上昇し早や翼かろしあをあをと退き流るる筑紫国原
単葉のドルニエ・メルクール軽快なり今影落す遥か下の原に
雲の先遥かにし見む我が軽き合金属の銀灰の翼
上梶を護謨の滑車に照りつむる陽ははげしくて下空虚し
海胆なす草山脊筋朱砂なるが眼下に暑し匍匐したりぬ
久留米師団合歓ほの明し影つけて二列行進の兵隊が見ゆ
水多に柳しだるる四つ手網今ぞ盛夏の柳河が見ゆ
我が飛翔挙り出て見む郷人に心は昂れ虚しかりけり
故郷の水のことごと、柳河や橋のことごと、たまゆらと、空ゆ一期と、我が見ると、飛ぶと翔ると、我が和子連れぬ。
柳河は城を三めぐり七めぐり水めぐらしぬ咲く花蓮
草家古り堀はしづけき日の照りに台湾藻の群落が見ゆ
柳河、柳河、空ゆうち見れば走り出る子らが騒ぎの手にとるごとし
大殿の濠は広らと水照りして内なる池の鴨むらも見ゆ
殿の池ここだおどろく鴨むらの飛ぶまあらせずその上過ぎぬ
うち低み榎か黒き布橋の日ざかりの靄我は飛び過ぐ
伝習館ここぞと思ふ空にして大旋回一つあとは見ずけり
空よりぞ我が沖ノ端を見る時し機体ことごとが光る眼なりき
鯉のぼりけふは視界に吹きながし沖ノ端あり飛びて行くなり
§
矢留校身もて地に書く子ら見れば白光つよしヤの字一つ書く
子らよ見よ、我かく翔る、かの童、かく今翔る。空はよ、皆飛ぶべし、山河よ越えむに、時なし、またたく間ぞ、鳴かぶら矢留の子ら、いざや勢ひ、土たたら踏み飛べや。
§
嵐なす羽風我が切りとよもすと的の矢留の空飛び抜けぬ
泣かむかに我は突き入る低空を子らぞ騒げるその仰ぎ見に
命なり散華の五色早や撒きて地に著かぬまを突入す我は
六歳の子が強く口緊めこらふるに父なる我が何ぞわななく
§
風立てて我が家の空を過ぎにけるこのたまゆらよ機は揺れ揺れぬ
大揺れに我が家の甍すれすれと飛び過ぎにける今ぞその空
我が挨拶夏は青田のただ中と子らを目がけて落下傘落す
雲仙と有明の海ひと目見したちまち喚き機は旋回す
右に見し今は左翼にある海の浩蕩として筑紫潟ここは
いや騰り国原恋ふるその父をこの子は空に神を見むとす
父の顔ありありと見る雲間にて涙条なす我堪へむとす
煙吐く煙突林の大傾斜我が驚くと見やる間も無し
夏照りの山の小峡にひそかなる部落あり我は空ゆ見むとす
童ひとり空を仰ぐは山中に路あるならし歩みゐるなり
母の里外目の空は雨雲の間青く潤ひ母の眼かとも
山方は野町原町北の関その関越えて官軍は来し
註、野町、原町もともに村の名。南関は西南戦争の時官軍の本陣なりし由。
棚畑の煙草の花の夏霞祖父のみ墓今ぞ飛び越ゆ
石の井に釣瓶は置きて影ありしきのふの庭の空通り過ぐ (二の叔父の家)
老人のその眼に小さき愛鷹と見え来む我か山は飛び越ゆ
町の長その老ゆゑに山峡の小峡の関に空翔けくだる
柿諸葉てらてらい照り黒瓦今ぞ見え来つその家とし見つ (島田家二首)
その家の低空にして昨浴びし風呂の煙の早や立ちそめぬ
老柿と築石畦に日の照りて草屋がいくつ関のせせらぎ
幼くて裸馬をせめたる山河を桑の葉照に空かけめぐる
上ノ庄棟もま黒に群がるはそのかの子らしよく生ましけり
二十三日、はじめて本飛行に就く。南関の上空よりそのまま一路ただ大阪へ大阪へと飛ぶ。
天の路ひとすぢ徹り遥かなり今飛ぶべきはこの航路のみ
眼下の深田に映る日の在処かがやきしるし月のごと見ゆ
昼がすみ水曲の明りほのぼのと合歓の花は咲き匂ふらし
天つ辺は飛びつつ泣かゆまなしたに虹の輪円く顕ち明るめり
目にとめて下なる虹の中飛ぶは単葉機我の蜻蛉なす影
北の方雲にか黝き山の秀は英彦ならむ尖り出る見ゆ
我が飛ぶや山はさやらず畳はり畳はる蒼き梢のみ見る
山なるは森厳にして雲湧けり梢かぐろき杉の群立
空行けば目も恋しかも山ふかく人家居して衣干す見ゆ
物駭悲しかるらし山の峠嶮峻にして鹿走り出ぬ
プロペラは音ひびかへれいつ知らず密雲の中に入りて暫あり
密雲のま中衝きゆく我が下に嘉穂の郡はありと言ふかや
山中は音響かへば雨雲の上行く脊をか妹見けむかも
夏山は思はぬ岩に飛沫してたぎつ川瀬の水わかれ見ゆ
我が飛翔しきりにかなし女子の小峡の水浴夏は見にけり
飛びつつを行失ひし夕影はまさに女の脛を見けむか
深山木の黒檜の木群秀に濡れて降りしばかりの雲断るるなり
深山辺よあはれは久し人入りておのづからなる道通ふ見ゆ
四方の雲ひたに閑けくなりにけり山峡ふかく瀬のたぎち見ゆ
真夏空絶えず涌き来るいつくしき白木綿雲の中わくるなり
ここの空真夏闌けつつしづかなり行きあひの白き雲の部厚さ
じんじんと山上百メートルを飛びつつあり緑に徹る命あるのみ
裸童居る山の中なる風景の何ぞ空なる我に笑み来る
雑草の高原斜面緑なす気流に乗ると一気に我は
ひた恋ふる地上のみどり逆にして流動し去る総てなるなり
国東は積乱雲のいや騰る夏空青し灘に映ろふ
ひた飛びに周防へ向ふ灘の空何か後追ふ音ある聴かゆ
簑嶋は玉にかつづるひと簑の雨うつくしく光るその嶋
航空はしづけきものと人言ふを夕海の空をわたりうべなふ
翼のうら滑車に映る影見れば微動しつつあらし飛行はつづく
飛ぶものは尾翼平らに今あらし瀬戸の内海の夏夕霞
水平動感じつつあり夕暮は思ふともなく母恋ふらしき
天上に桃の和毛をひた撫でてはかなやと言ふも我がうつつなり
たまゆらと翔るたまゆら天にして我がひた噛るくれなゐの桃
厳嶋潮満ちたらし海中と鳥居ひたりて鹿あがる見ゆ
空に観て活字函なす家群に都市の真実の声はあるなり
夕かげは陸の岬々嶋の岬遠ながく見て高度行くなり
雲の塊夕紫に脈なして屋嶋ぞと思ふ嶋々暮れぬ
翼のかげ支柱に映りしづかなる飛行はつづく夕火照る海
ほのぼのと匂ふ淡路のそなた空飛びつつは見ゆ霞む夕浪
早や愛し和田の岬の夕潮に藷洗ふごとく子らぞ混み合ふ
水のべの天満の祭篝焚き空翔り来し我やそぐはず
二十四日、我空を飛びて大阪へ向ふあひだ、妻は子らを伴ひて、太刀洗より大分なる生家へ下る。我、行を了るや、その翌の日、紅丸に乗じて、そを迎ふと航海す。かくして、別府、大分、由布院に淹留旬日、再び妻子と瀬戸の内海を渡りて帰る。その折の長歌竝に短歌二三。
白雉城お濠の蓮のほの紅に朝眼よろしも妻がふるさと
母びとはかなしかるかな。老いましてなほとやさしな。妻と来て、お許に来て、今日くつろぐと、子らもゐて。茶寮には灯のはひり、石いくつ水うつあひだ、彼方見て、もの言ひてます物ごしのあはれ、よくぞ似る妻が母刀自、子らにもけだし。
水うちて残んの日かげ濡れたるにもの言ひてます母のしたしさ
街中は瓦重なる夕かげをまだじじとある蝉が庭木に
しづかや船ゆきゆく。安らや船ゆきゆく。飛ぶべくはその空飛びぬ。ひさびさや会ふべく会ひぬ。子らにしも父が母国、まつぶさに見よとし見せぬ。さて見むと、母の里をも、子ら見よと隈なく行きぬ。淡路嶋かよふ千鳥、明石の浦、このそよぐすずしき風に、親子づれ帰さ安しと、この日なか、波折光ると、甲板に鼠出でぬと、おもしろとその影見やる。
昨飛びて空ゆながめし瀬戸の海を今日船路行き波の面わたる
空ゆ見し全き淡路の夕がすみ船はすべなもただに片附く
君が飛ぶことごとの人が仰ぎぬと涙せりとぞ友ら言ふかも
その空は涙たまりて見ざりきと下べのその家我も見ざりき
郷土と雲海
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昭和五年五月、かの郷土飛翔の事ありて翌々年、われ再び、北九州に所用ありて下る。この間一ヶ月余、郷里柳河、沖ノ端、母の里南関、外目にも帰省するを得たり。その折の新唱之なり。なほ、この帰途、再び太刀洗より大阪へ、大阪より羽田へ一気に飛翔し、感懐また新なるを覚ゆ。此篇またおのづからにして郷土飛翔吟の続篇を成す。録長歌四首、短歌九十五首。 |
月光荘は柳河瀬高町高椋公夫君邸の離家に我が名づけしものなり。この行ほとんどこの水荘に宿る。
積藁に電柱のかげ傾ぎゐて堀の向ひはよき月夜なり
この川やまだ張りすてて露はなる蜘蛛手の棚もよき月夜なり
月夜なり馬鈴薯畑の片側は壁白う照りて家廂のかげ
昼間見し麦の立穂と思ふいろ月の光に見えそめにけり
きやろと啼きけろと啼きつぐこゑきけば蛙も月に出て遊ぶらし
庭の面に月の光のありしとき楓の影も椎とありにし
この庭の湿りがたもつ土のいろ月の光にかがよひにけり
月夜照る庭の木立をちかぢかと見つつゐにけり暗き渡廊に
まことのみ吾は言ひにけりよかりけり月の光に坐りつつ思ふ
うち白む月のありどの雲のいろ樗の花は揺れそめにけり
縦川を斜に見やる縁の端に吾が眺めつつ涼しがりをる
この節句の粽のしろと刈る葦のいきれは繁し中分けて刈る
国つぶり節句の粽は梔子の実に染めてから葦の葉に巻く
菱の葉に白き扇のなづさへばあはれ水照の夏も去ぬめり
とちかがみ揺れ合ふ見ればいとどしく月明りして飛ぶ羽虫あり
月の空夜の明方となりぬらし黄にあかり来る麦の穂のいろ
夏の夜ははや明けにけり瓦家の瓦に赤き煙突が見ゆ
やはらかきからしの莢に明る日の光恋しみわれは行くなり
荒壁に夏の朝日の照りてゐて漆の花の影もうつれり
うしろ射す夏の朝日にわが渡る土橋のへりのすかんぽの花
土橋の朝まだ早し揺りゆりてそら豆売りが籠かつぎくる
花まじる深田の草の芒の穂は夏の朝日に見るべかりけり
穂に立つ麦の畑の中道は弧にうねりつつやはらかき土
しらしらと米の磨ぎ汁流れゐて藻の葉にまじる鮒のなきがら
ついかがむ乙の女童影揺れてまだ寝起らし朝の汲水場に
うちしめりなにか眩ゆき午の曇り樗の花はいまだ了らず
見るすでに涙はためつ。会ふすぐと眼に手はあてつ。およし媼六騎がながれ、我が乳母、そのかの一人。笛鳴るに太鼓とよむに、水祭また御覧ぜよ、舟よしと、さて棹さしぬ。蚕豆と麦秋の頃、舟舞台水にうかびて、老柳堀にしだれて、ひりへうと子らぞ吹きける、撥上げてとうとたたきぬ。見えず媼、舟多きから、我が言へば、さらばかくませ、この脊にと、両手後にす。さて負はれ、のびあがり、見ゆと見ゆとし我が言へば、なよあはれ、五十年の昔の温み、よろぼふ腰に力を撓むる。
ひりへうと笛が鳴るから夏祭三神丸に小舟さもらふ
海老腰や家の子の媼、寺詣で左手後あて、片手杖、なむなむの媼、和子よしと、こなたかなしと、ひさびさぞよくわせぬとぞ、せはしとぞ、早や膳まゐる。あのよろし蟹よ蝦蛄よ、それよこれよ、そをめせ、かくめせとあはれ、中つつき、殻ほじりあはれ。かの和子にものいふさまよ、雛鳥にふふますごとよ、傍つき、にじり寄り、さて暑さよとな、またあふぎゐる。ほれほれと箸もてまゐる。その和子はかくなる歳を、老いづくを、蟹や蝦蛄さもこそあらめど、身の老の、その海老腰の、おのれ知らずて。
すかと剥ぐ蟹の甲羅は黄のとろを尿ぶくろほぜりとりてすてたり
額髪の幼な女童、そのごとく今も囲むに、早や老いて含むものなし。子をなして幾人の親、死なしめて後のこる妻、姦ましと世にいふ際か、さて寄りて我にかくいふ。そのかみよ、そ様うれしと、ほのぼのと思ひ秘めきと、とりどりやひとりびとりに、吾こそよ吾こそよと膝すり寄せぬ。うち笑らぎ何すとすらし、泣かゆとて早や過ぎにけり。見る眼さへ鄙の媼の歯ぐきあらはに。
女童に目もくれずとふ男童は或はほのに何かおそれし
筑後山門郡瀬高在の大江の幸若は今は日本に唯一のものとして珍重せらる。或る日、特に迎へられてその大江の村社に参観す。柳河の老儒渡辺村男先生の東道なり。社内、舞手と我等の外殆ど人影無く、俗塵絶ゆ。
蝉のこゑしづけき森のここの宮幸若の舞の時ぞ移ろふ
麦の熟れ蒸すや五月の野平にお宮ましまし小つづみの音
曲舞の大江幸若足ずりにえやとたたらと舞ひ澄ましける
立烏帽子袴長引き小さ刀素襖の袖は張りて舞ひつつ
幽けさは笛や羯鼓の外にして舞ふものならし扇手に指し
打烏帽子脇と連とが片膝に待つ間かがよふひとひらの雲
舞殿の幕は匂ふ夏がすみ後水尾の帝くだしたまへる
人な知り宮の幸若足ぶみに遊ぶ五月のたたら曲舞
舞殿に舞ひつつ闌くる昼の照り撫子もちて仰ぐ女童
野の宮よ翁嫗ののどのどに石につい居り舞ふを見に来し
墨の香のながれて鎮む青若葉誰に書けとふ紙かのべたる
裏堀は藻をかいくぐる鳰居りて遥けきは啼けり城内らしも
竝倉のしづけき生鼠壁月夜にて鳰は寄りゆくその向うの葦に
ユーカリのしろき月夜の陰にしてこなぎも花に咲きにつらむか
湯の館築石垣の間飛びて源氏蛍も早や末ならし
大津山ここの御宮の見わたしを族がものと我等すずしむ
小岱山霞む表の端山には関の名残りの書院松見ゆ
山帰来葉や山は恋しき日の蒸に餅くるまむその葉摘みたむ
北の関の村は、筑後の山門と肥後の玉名の境にあり、そを越ゆれば母の里南の関、関町ともいふ。
朱砂にして雨ふりながす朝の道山片附けば北の関見ゆ
ふかみどり櫨の木かげに佇つ見れば童女は愛し母によく似て
玉名郡関の山家は築畦の石塊黒く夏まけにけり
朱砂ながらさびし山家の壁のいろ薄日蒸したり母の関町
筑紫の、櫨の木原、木原には夕光満ち、夕光に鷽鳥啼けり。宰府道、ここの木原に、飼鳥の、よき鷽鳥を、もつ家あらしも。
汗沁むる木彫の鷽は手にぎりて朝行きし前を夕かへりをり
麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ
麦の秋観世音寺を罷で来て都府楼の跡は遠からなくに
夕あかる櫨の木むらの前刈るは誰が麦秋の笠の紐ぞも
草ふかき水城飛び越え立つ鴨の軽鴨の子をうつくしみ見む
この行、この加野宗三郎氏の水荘に淹留することまた数日なりき。
水環る環水荘は降る雨のいろとりどりに夏いたりつつ
雑餉隈池塘に映る床高き屋裏に赤き金魚鉢見ゆ
菱生ふる広き池塘の中道は雨通らせて後照暑し
老樫のこぼれ日あかく地にあるに蟻現るる待ち居り我は
積藁にひびく一つの爆音が太刀洗より近づくごとし
ほのぼのとからし焼く火の夜は燃えて筑紫郡の春もいぬめり
鬼菱の花さく池の月しろは夜のいよいよに闌けて後なり
麦黄ばむ名護屋の城の跡どころ松蝉が啼きて油蝉はまだ
韓の空の見はらしどころここにして太閤はありき海山の上に
麦の秋に白帆見わたす山幾重君が館は伊達の陣跡
蒼海の鯨の蕪骨醸み酒のしぼりの粕に浸でし嘉しとす
ここにして十時伝右衛門の裔の子と一夜勢ひ飲みて寝にける
おほらかにありつる昨の朝酒と再眺めして名護屋にぞ居る
遊女が片手漕ぎする舟かとも午ちかき照りの入江見てあり
まさやけく夏の微塵の澄むところみ空は青し眼の極み見ゆ
三笠山さ青の尾上に立つ鹿のかぼそき姿天にして見つ
青丹よし奈良の都の藤若葉けふ新たなり我は空行く
高行くはひたすら悒鬱しまかがやき横たふ雲の眼を塞ぎつつ
高蒼空わがよるべなき単葉の機体の揺れは雲の撲つなり
鈴鹿山空木花咲きしづかなり飛びつつし思ふ夏ふかみけり
眼下に横たふ谿は鈴鹿とぞ死の衝激をからうじて堪ふ
移りつつ雲はあるらし山襞の赭きなだりに影のさしたる
雲に会ふ心したしく幽けかり高度の高さ思ふなるべし
人飛びて嬬恋ふる時し天なるや雲高光り音をひそめつ
しづかなる空の中処に空洞ありて来る待つとふけだしその空洞
天つ風山吹きおろし息長しひた吹きあつる真向ひの雲
み身隠り雲がくります山の襞また現れて事なきごとし
雲塊は雲塊と触れとどろけり然か思ふは我の澄みゆくならむ
眼のかぎり雲畳はるさながらを空にして思ふ大わたの海
噴く綿の穏しき雲の畳はり影繁にして熱度けぶかき
雲塊の片陰附けばか黝なる鷹ひとつ飛ぶとさまかはるなし
紫外線はげしき昼は陰黝き雲片附きて位置は低めつ
雲海の雲畳はりはてなきは無風状態に置かれたるなり
挙げて光り眼は向けがたき天の濤白雲角に人交りける
天の昼非常に光る雲角の頂にして鎮む物あり
独神御身隠します時すらやかく雲海はありて被ひき
雲の海に我はひびかふエンヂンの命なるなり航くとありつつ
雲海の荘厳をしも我が飛びていつ果つるなし心食み啖ふ
雲隔つ友の葬所光蒸していま暑からし蝉のしじ鳴き (沼津上空)
覊旅小品
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昭和三年盛夏、常陸大津の海岸へ児童自由詩講演に赴き、その夜五浦の故岡倉天心居士の別墅に宿る。帰途、筑波に登つて山上に一泊。「五浦少女」「筑波新唱」はその折の歌。 昭和八年十一月、福島市の公会堂創立につき講演に赴く。「初冬信夫行」はその時の作。 昭和七年一月、妻子を伴ひて信州、池ノ平に遊ぶ。「雪に遊ぶ」はその折に作る。 |
大津の浜目どほり白き波際を階上に見つつビールぽんぽん抜かしむ
順礼の墓とふ影が大暑にて山のかかりにあるがしづけさ
順礼の山辺の墓は日ざかりをせせり浮きたり椀の清水に
潮見堂ここにぞ天心先生は潮眺めて飽かず坐しにけむ
唐風の画像思へば大き人いまも寛けくここに居らすかも
六角堂庇にしぶく夕潮の涼しきがほどを我ら佇ち見つ
山越よ五浦少女、日中より影をつづりて、もてなしと我にまゐると、魚持て来、瓶子かかへ来、五器そろへ、お膳持て来る。一閑張・筆・墨・硯、さて紙帳、くくり枕や、夜のものと衾持て来る。額髪の女童も交りて、ほつほつと、ひとりひとりに、軽き提げ重きはかつぎて、あなかなし五浦少女、草いきれ暑き小径を、潮しぶく東の磯の潮見堂、その母家まで、山越え野越え。
山越は日のあるうちぞほどほどに持て来てたもれ道は遠きに
墨磨りに山路越ゆると女童や硯も持ちて幼なかるべし
少女子や山は莠の夕かげに瓶子落して笑ひたるらし
早や帰れ火のひとつづり見え来るは迎ひの父か山路気づかふ
かく在りて趺坐し一夜をありけらしその縁の端と思ふに我は
岩の端にことりともこの家音せぬは人坐さぬらしすさぶ夜の潮
潮ひびく君が館の跡どころ小夜ふけて聴くに磯は直ぐ下
草塚にこもるこほろぎ潮騒のとどろ立つ夜を鋭声しきりに
五浦の帰りに筑波の麓大宝村へ廻り、横瀬夜雨氏の邸にて河井酔茗氏と約のごとく落合ひ、その午後一同筑波山へ登る。山上へ一泊す。
ここの門庇に繁き雑草の内外の暑さなほ消ち難し
庭苔の地湿ながら日おもては朝から蒸してこの大き草屋
鉢にして花ひらきたる朝顔の五十あまり置きて足蹇君は
朝顔の幾花鉢や張る肘の君厳かしく膝は平らに
雲居立ち紫にほふ筑波嶺を麓に堪へて足蹇君は
筑波嶺のいただき清にうちひびく山毛欅の林の青がへるのこゑ
筑波嶺のいただき通る夕立雨わたくし雨のくだり去りにし
山毛欅の原朝居る雲のつぶさには下しづくして音果つるなし
小筑波や山毛欅の下枝の若萠に蛙ころろぐこゑのさやけさ
筑波嶺のいただきよりぞ見おろして雲はうち乱る表裏となく
にひばり筑波をくだりあはれあはれケーブルカーの索条迅し
見てのみや泣きてこらへし筑波嶺を君いまはのぼる人が背にて
君を負ふ人の後蹤きのぼる道石ころ暑し赤き角々
山のぼる人の背ゆもの言ひて筑波根草は君が教へし
まだ見えて人の背にある君と思へ頂の雲のいまはつつみぬ
高天原男峰の岩のいただきに影黒くある君と思へや
女男の峰ひとつ筑波の頂にうべ鎮もらすこの夜いみじく
筑波嶺の男峰落ちゆく雲あらしふりつつもあるか下の葉山に
負さりていや暑からしのぼりける眼ざしたゆく今は下りに
筑波嶺にひとすぢかかる男女の川早やたえだえに君はありにし
ここに見る霞ヶ浦は採る魚のわかさぎ色にしろく霞みぬ
伏拝越えつつくだる道の奥道祖の神に幣たてまつる
伏拝越え来てひろふ日のあたりこれよりやいよよ奥のほそみち
人像と藁の小積は数立ちてなほうそ寒き刈田つづくか
みちのくの信夫文字摺かくながら日の寒うある岩の面にして
冬日ぐれ文字摺石の傍遊ぶ子らが石蹴り音ひびきけり
ちびと啼く花吸鳥は水さむき阿武隈越えて何にかも来し
清らけく雪に遊ぶは白鷺の水あさりするたぐひならまし
今朝ふりて清明けき雪や積む雪の踏めば粉に立つその浄ら雪
雪の原霧華咲き満つまさしくも白くさやけきこれや一色
風やみて紫にほふ雪の襞この片陰に集ひて居れば
落葉松に夕粉雪ぞつもりける末うごきつつしみらなる枝
落葉松に粉雪ふりつむ日くれがたひた滑りつつ我はありける
積む雪の下深くゆく水あらし風かとも聴くにせせらぎにけり
満蒙風物唱
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昭和五年三月より四月にかけて四十余日、満蒙各地を巡遊す。満鉄の招聘によるなり。その情報部の八木沼丈夫君と同行す。歴遊するところ、大連を起点として満鉄沿線及び東支鉄道は満洲里に至る。尚ほ長春吉林間、奉天新義州間を往復し、また大連へ還る。即ちこの満蒙風物唱成る。うち二百十一首を録す。 |
寒月は谷を埋むる屍にまた冴えたらし或はうごくに
命にて一人一人と跳び入りしまた声もなし塹の深きに
息はつめて死角に対ふ敵味方この塁の中に敢て憎みし
春ならぬ寒靄にしも日は照りてこの低なだり小松繁かり
春寒き旅順の港見おろしてましぐらに駛る自動車今あり
碧山荘冬の日向を来る影の濃くしづかにて担ふ水桶
影つけて日向選り来る荷かつぎの肩かへにけりたぶつく水桶
人だかり大蒜の香のはげしきは中分きかねつ旅に来てあり
春山と山をうづむる大群の苦力さもあれや空は霞まず
軽業の子らひるがへる柱より光る春かもや山はとよもす
鳴くまでは白霊の籠手に据ゑて爺ぞ居りける春のひねもす
春なれや苦力の爺は呆け笑みて十尺の煙管吸ひくゆらかに
くらくらと牛の頭煮たつ大釜の湯けぶりにしもや夕日ま赤き
丸揚げと揚ぐる魚は手づかみに早や投げ入れて安けきごとし
はげしかるピゴーの漫画をかしとし泣きて遊ばむ旅にあらぬを
冬来り城壁の上に立つ影の我にしもあるかひとり見おろす
岱宗寺咽ぶ胡弓の音は引きてまだ薄日なり寒はゆるまず
熊岳城雁わたるなり仰臥しに春寒き外の砂湯にぞをる
望児山吹き曝らす風の風さきは仰向きに臍の寒き砂湯や
砂湯にてかじる林檎は喇嘛塔の風寒きからひた紅き噛む
春はまだ河原の砂湯上寒し風邪ひかぬまとそこそこあがる
枯野行く幌馬車の軋みきこえゐて春浅きかなや砂塵あがれり
湯崗子凍むる竝木の間にして帽子の赤きつまみが行くなり
湯崗子氷は厚し我が買ひて赤き山樝子をかき噛りつつ
仰ぎ見てさむざむとある白塔の薄日なるなり巣くふ鵲
騾と馬と竝び曳き行く荷の車焼鍋ならし甕高く積む
泥濘は薄日の土囲に片避けて人影顕つかそのほつほつに
寂びつくし楊も土囲もあらはなりこの冬の日の道をひろふに
冬楡にしらしらとある日の在処土囲曲り来て我は仰ぎつ
黒豚の仔豚走り出陽は寒し観音寺山の表を来れば
鵲の声行き向ふ北の晴北陵の空に雲ぞ明れる
太宗文皇帝の陵とふ北陵はけだし松の陵
霊廟の南おもての日のあたり氷は池にかがよひにける
牌楼の影は日向と閑かなり狛犬が見ゆうしろなで肩
奉天北陵の壇道を踏みのぼり来てひえびえとよし春の松風
寒空にい照り映ろふ黄の甍目もあやにしてここは霊廟
森ふかし対ひ衝立つ石獣の影多くして音無かりけり
陵のこの松かげに人をりて茶をたつる湯気のほのぼの寒し
風鐸の音四方に起りて春あさし隆恩殿に向ひて歩む
朱砂の楼隆恩門に我が向ふ内庭さむし斑雪吹く風
帝王のただに践ましし玉の階我ぞ踏みのぼる松風をあはれ
丹の柱黄金甍の端にして寝陵は見ゆ円き枯山
鳶の声澄みつつ舞へれ陵の槐は枯れぬ墳に槐は
角楼は石階狭し傍のぼる高壁の内外雪こごり積む
ひむがしのたふとき山の陵の松邃きところ古りし霊廟
陵の山のおもての浅茅原いたくも荒れぬ松は邃きを
松が枝に粉雪ちらつく日の曇何鳥か啼けりあはれ陵
反高き磴道を来る人ひとり東陵はげに冬によき山
山水に青丹瓦ぞ古りにける美豆良の唐子描かばこの前
茶膳房雪ちらつけば鵲の声うちみだり松に来るかに
鵲の飛ぶ影見ればふりみだる雪おもしろし黒と白の翼
誰がこもる庫裏の障子ぞ廂這ふ煙はしろしほのぼのの湯気
露天掘ま澄みか碧き空際を音とどろきてまだ余寒なり
天を摩す鉄のパイプの太腕に重油ながれ落つる音は聴くべし
三月は石炭壁に沁む雪の斑雪が碧し輸炭車湯気噴く
炭層に千歳うづもる蓮の実も芽を吹き花の日に匂ふちふ
家の苞卵ほどなる大きなる瑪瑙の玉は妻に賜ぶべし
青きもの摘む子らならし笊寄せて石炭殻は指に掻き除く
黒煉瓦焼く火の火口夜は見えてけしきばかりを寒ゆるぶめり
日は黄なり屯積高き豆粕に噴き立つる汽車の煙影引く
鉄の鑵の大き機関車まおもてを鐘うち振れり為すあるごとし
国際列車とどろ湯気噴く鑵鳴のじんじんと澄みて待つあるごとし
曠野行く四等車といふに面群れて生きたかりける冬も頼めし
公主嶺馬駆る見れば裸馬にして著ぶくれの子が風あふり来る
寒々と屯し移る羊にて端驚けば皆騒めきぬ
旅人我汽車の窓べを飛び過ぐる木の葉のごとし風に追はれぬ
群れにけり曠野寒きにぶしゆぶしゆと黒豚づれが土饅頭食む
家の影隣に映り冬日なり表しめたる村のひそけさ
端の反り同じ影もつ家どなり春先といふに寒き陽にあり
幽かに我は見るなり浮雲の二塊三塊野の空のはてに
いづくへ行く群ならむ空低く雲黄なる野に人つづき見ゆ
ただに見る影と日向の曠き野につづく楊のすがれ木にして
冴えにけり楊は玄き根の土に春の温みの未だいたらず
ちかぢかと我は眺むる野の日向遊ぶ唐子の影走りをる
墨にして或は匂はむ枯山の楡のほづえの細描の線
冬の楡の繁みにほそき髪の毛は梳櫛の歯に梳く細みなり
冬に観る楡の寒けき墨いろは毛描の線に描かば描くべし
冬楡のしみみか黝きほづえには鵲らしき巣もあらはなり
しばしばも見つつ越え来つ枯山や楡と楊の寒き日の色
条ほそく隙漏る冬の日の光鵲の巣は枝にこごれり
寒林に石廟小さきこのあたり糞叉子掻きて人暮れ早し
石壁の銃眼透す空のいろ高粱稈は積みて冬なり
氷閉ぢきびしくしろき川ひとつただにかびろき枯原は見ゆ
くだら野の窪処の氷ほの青し日の夕かげの近づきにけり
日おもてと家群なごむ畑なだり高粱の根はよく鋤きにけり
夕日照る枯山なだり地に引きてその木がたもつ影のしづかさ
車挽きて騾と驢馬と行くしづかなる夕かげの野に我も在るなり
夕光の疎林におよぶ野の平音きしませて行く車輛らし
平らけく枯野に明る夕光の遠及びつつ寒しともなき
行くものの何とはなけれ移りゐてうらめづらしき夕光のいろ
夕光のかくうらなごむ枯野には色すらも声に顕ちて匂はむ
朝光の此方ゆ射せば縞目なす高粱の根は雪のごと見ゆ
畝竝みの冬枯根黍はてしなし夕かげ明く満ちにけるかも
落つる日に我がひた向ふ野の原は光しみつつすぐろなる土
朝出でて一往復鋤くのみに日の赤く落つるここは大陸
地平より根黍鋤き来し大き人今正面なる入日に赤し
興安嶺黒く繁み立つ落葉松の林は寒し雲の上に見ゆ
雪の線劃りて黒き落葉松の群落はよしほそき木の梢
谿なだりしづもる雪の片空は木群が黒しほそき落葉松
落葉松の木群が梢に立つ霧はかがよふ谿の雪解くるなり
岩膚の岱赭に蒼む色見れば斑雪の雪解下滴りにけり
興安嶺越えつつぞ思ふこの山やまさしく大き大き山脈
日をつくし大き螺状にのぼるとき興安嶺は深しと思ひぬ
のぼり来て眼も澄みにけり雪の原に白樺の林しみみ光れり
谿の秘所雪の山原に細り立つ白樺の幹は光発すなり
細木原しろく直立つ白樺の木はだは清し雪の上に立つ
ここ過ぎて雪は空より新たなり山ぎはの線はいふばかりなし
北の秀の雪に思へば霾らし低居る雲よ遠く来にけり
雪の襞眼もすさまじくなりにけり天そそり立つ黝き岩角
山の秀や真澄みて青く流れたる稜線の空を飛ぶ翼あり
春あさき黄と青磁との蒙古の市海拉爾あたりよき気流なり
興安嶺くだりつくして野は曠し赤き落日に汽車はま向ふ
松花江解氷未し橇にして船腹赤き際まで馳る
松花江の鱸凍れる春早き哈爾賓の朝の市に行くなり
霧ふかし頭よりかぶれる紅き布牛乳の壺をかかへたるらし
さすらへば命に換ふるなにものも売りつくしけりその愛しきを
詣づらく朝の弥撒にし毛の紅き産子抱き来て母貧しかり
太陽嶋夕づく塔に鳴る鐘の影ひたすらや振りにつつあり
露西亜びとは都大路の見とほしに先づ墓地を定め寺うち建てぬ
露西亜びとはみ墓楽しと花植ゑて日曜は来る椅子しつらへぬ
キタイスカヤ昼のほのほと職待つと手斧かたへに人い寝こけぬ
春早し何の刷毛かも丈なるを鳥毛と立ててベンチにはゐる
街の角冬は日向とひろげたる襤褸のつぎはぎに老媼らありき
脛の線颯々と行くいつくしき高踵靴見れば春早むなり
木製の羽折る黒き大鴉旅にし冬は買ひてかかへぬ
秋林を出て来て思ふ露西亜の血と朝鮮とまじり少女なりにし
国破れ人はさすらふ毛ごろもの氷の粉屑吹きよごれつつ
凍傷の膝に藁巻きゐざりける爺さが富める外套は見よ
酒みづき白髪嫗は前伏しにその戸の段に白夜こごえぬ
弾く手には破れ手風琴も鳴るらめど盲目眼は開かず白夜昼ならず
橋がまへとどろ退くまもしづかなりわが汽車ゆ見る結氷のいろ
声はして夜の汽車の外に消えにけり今発ちたるは蔡家屯ならむ
聞くだにも寒き鴉のま冬には空うづむとふ街に見あげつ
我が聞きて声泣くごとし夜酒欲る自が外にまた影もあらぬを
声荒ぶ幌馬車疾駆し星近し三寒にしてひびく暁
外蒙古西吹きあげて東する沙漠の大き移動をぞ思ふ
み冬の夕かげあかき砂の原空眼薄らに駱駝来れり
蒙古びと駱駝追ひつつ夕べなり早駈けに乗る驢馬の後尻
霾らす黄沙の平ただならず日は朱に澱み蒙古犬吼ゆ
ひた駈けに黄沙の原を乗り進む蒙古の騎馬は後ろ見ずけり
毛ぶかくて両の耳蔽ふ蒙古帽彼ら怖れずその眼の光
黄沙の原騎馬走る見ればおのづから直に専らに道とほりけり
蒙古児陀羅海低き沙丘の起臥の涯しもしらね草枯れにけり
蒙古風吹きもつくすか石積みて山はただ一つ低きオボ山
眼を放つ草原の枯れ涯もなし牛跳躍す落つる日の前
放射光日は金色に凪ぎにけり地平に寒き梢の冬楡
未開放地目も遥かなり牛馬豚羊まさしく小さくい群れ移ろふ
註、未開放地とは蒙古の主権を以て、未だ他国人(支那人をも含む)に開放せざる土地なり。
真名井わく沙漠のかげのひと屯ただにあはれに家居しにけり
鄭家屯落つる日赤し畳にはざらつく砂の数光りつつ
傳家屯夕かげ暗し地に低き土の家群の煙あげつつ
赫爾洪得夕日の照りにうつら出て駱駝黙居り高き砂山
赫爾洪得廃墟の窻に見とほして落日赤し汽車はひた行く
此所にして地平は高しはろばろに雲居垂れたり日の落つる雲
雲かとも山かとも思ふ地の黝朱蒙古は曠し日も落ちはてぬ
雁わたる青磁の透る空のみぞ地平に残り砂山暮れぬ
外蒙古雪のこるらし秀に浮きて遥けき山は島のごと見ゆ
砂窪に泡だちしるき雪のいろ夕光にして今は解けつつ
柔らかと砂山の雪の薄ねずみ夕棚雲の色ふくみゐる
砂窪に火照り沁み入る日の暮は眼をつぶるまもけだし匂へり
影ここだアンペラ小積む塩包いま逆光に赤き日はあり
蘇満国境春冴えかへり砂山の低山斑雪また吹き曝れぬ
満洲里風車片破れ吹き曝るる残雪の丘に寒ぞきびしき
砂寒き低山の裾を来る駱駝後先の影が夜明いばえつ
暁星や上眼駱駝はみ冬月庫倫よりかもこりもこり来し
風車丘ここにし立てば西伯利亜の低山つづき雲こごる見ゆ
内蒙古春おぼろならず早やい寝て駱駝が宿は月に鎖したり
駱駝づれ月夜寒きに膝折りて高粱稈の下ひびくらし
影多に瘤ある駱駝膝は折りいづ方となき上眼してあはれ
旅にして春塵しげししばしばも熱きしぼりに面をあてつつ (二首汽車
の中にて)
熊出でて昼立ち歩く森の街敦化の雪も春は解けなむ
漣や筏を洗ふかがやかし解氷期近き松花江見ゆ
流氷に添ひつつ笑ふ漣の春かがやかに果しらぬなり
春霞むここに花咲き我が居らば武陵桃源の思あるべし
北山はのどけきみ山まろ山の低山よろひ匂よき山
風の音喇嘛塔の背に起りしが春山なれや照りつつ止みぬ
昼霞青丹瓦のしづもるは春山ゆゑにかがやかにして
旅やどり匂やかなる窻の外の夕かげは見て何をとも待つ
幽魂の来り哭くなる夜のほどろ春寒にしも酒やさめにし
飲馬江その水のべに飲む馬の白きが匂ふ霞となりぬ
雁の群今かへるらし雪のこる遠山の空をわたりて過ぎぬ
榑挽は反るとかがむと手もゆたに大鋸の長柄を対ひ揺り挽く
木叉子頬にあてて佇つ藍の服木根にも春はかがよふらしき
氷解け春の池塘は遠目にも漣の刻み一面なれや
春いでてこぞり耕す鍬の刄は漣なしてかがやき連れぬ
春昼や根黍かがやき黒豚の仔豚連れ走りよき霞なり
春は今農用馬車の野に見えて二頭三頭四頭早や前駆けぬ
見てよきは春の広野に輝きて耕馬がたもつ揃ふ足竝
土糞掻きほけくらす人居りて春あたたかき夕光珍ら
春ゆふべ野焼の跡に佇める白き馬見れば尾に遊ぶかに
春の野は唐子抱ける母も出て夕陽こもれるよき空気なり
春夕はひとり野歩く馬をりておのづから帰る道知るらしき
早や点し物恋しかる灯のいくつ満洲にして春は幽けき
天霧らし降る雪見れば鵲や早や群れ飛び来いづこよりとなく
鵲は雪ふり乱る空にして色まぎれなし飜り羽ばたく
春雪のひと降りゆゑに飛び乱る鵲の羽もつやに顕つめり
本渓湖影清らなり春雪の後冷にして空の晴れたる
衣そそぐ水にかあらし芽楊の外面光りて波紋のみ見ゆ
疲れけりとろむ蛙の音は聴きて五竜背温泉にどかと足投ぐ
田は鋤きてまた冷えたらし土の端に斑雪の色の明れる見れば
解氷の渦巻きすごき黄の濁り鴨緑江はむべ大河なり
一夜に春いたりけむありなれ河氷張り裂けてとどろきにけり
鴨緑江照りひろびろしあきらかに流氷を追うて材を流すなり
鋼橋の遠き正面ゆ来る子らが衣手紅し目に近づきぬ
春まさに国の境の大き河氷とどろけば冬果てしなり
春霞む白塔ならししらしらと我が見る方に今ぞ見えつつ
湯崗子遠く来りてあはれあはれ鴛鴦の湯にひとり浸るも
うちこぞり湯川にとろむ蟇のこゑおろかながらに春ぞふけたる
娘々廟かすむ日紅し見て居りてここらは低きいくつ枯山
鞍山はまことよき山よく枯れてよき鞍型の春さきの山
大和尚山ねもごろ霞む麓べは春かたまけて紅梨の花
山すそに桃の花さく大和路に茫漠とありし我が旅果てぬ
夢殿
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昭和三年初冬、国醇会の一行と正倉院拝観に赴く。その所産、「春日の鹿」「正倉院御物抄」。 翌々五年春、満蒙旅行の帰途妻子と奈良に遊ぶ。その所作、「奈良の春」。 |
まとに見る三笠の山の朝霧はまさしく寒し奈良に来てあり
三笠山冬来にけらし高々と木群が梢をい行く白雲
鳥毛雲風吹き乱りみ冬なり三笠の山のここや裏岨
朝ぼらけ春日野来れば冬木には二段白く霧ぞ引きたる
森の手に寒き校倉足騰り正倉院は今ぞ大霜
山茶花の朝霧ゆゑに傍行く鹿の子の斑毛いつくしく見ゆ
耳朶の中白の鹿子雫して朝見あげゐる山茶花の霧
頼めなく夕かがやかし神無月わかくさ山の日あたりのいろ
つれづれとつくばふ鹿のいくたむろ夕光の野にあらはにぞ見ゆ
鹿のかげほそりと駈けて通りけりかがやき薄き冬の日の芝
冬薄日うらなく遊ぶ鹿の子のうしろ蹤きつつ我も寒かり
二月堂つくばふ鹿のつれづれと目も遣るならし寒きこの芝
秋の鹿群れゐ遊べど寄り寄りに立つもかがむも角無しにあはれ
冬ちかき池のほとりの夕日向うつらとどまり鹿ぞ立ちたる
夕日洩る木の間に見えてかぼそきは連なき鹿の影ありくなり
鹿のこゑまぢかに聴けば杉の間の一木の黄葉下明るなり
群の鹿とよみ駈け来る日の暮をひたととどまり冬は幽けさ
春日野の夕日ごもりとなりにけりさむざむと立つ鹿の毛の靄
いつまでかもとほる鹿ぞ夜の街の家竝の庇霜くだるなり
庇間や奈良の夜ふけに顕つ影の大きなる鹿のもそと来てあり
猿沢の柳の眺めさびにけり余光暫ある興福寺の塔
池向ひ築地に明る冬の陽のけ寒き下坂鹿歩りき見ゆ
鳥頭漆胡瓶かすかなりしろがねの鏁うつつにぞ曳く
臈纈の花文の象はましろくてただに浄らの命寂びたり
樹の下に出で立つ女丹の頬して陽は豊かなる香はしき空
ほのぼのと貴き昼は我が入りて宝蔵の古りし墨に思はむ
金銅のこごる鳥首水瓶の口ほそうしてみ冬なるなり
雑塵の遠世の裏うち透かし吾れ命あれや光り息づく
をとめ子の紅牙の尺は花鳥の目もあてにして稚かりけり
黒柿の蘇枋の絵箱山水のながらふる音はしろがねに描く
四十日にわたる荒涼たる我が満蒙の旅は、寧ろこの法隆寺を美しく見むためなりしが如し。
日の照りて桜しづけき法隆寺おもほえば遠き旅にありにき
朱砂の門春はのどけし案内者の煙管くはへてつい居る見れば
春日向人影映る東院の築地がすゑに四脚門見ゆ
菫咲く春は夢殿日おもてを石段の目に乾く埴土
夢殿に太子ましましかくしこそ春の一日は闌けにたりけめ
夢殿や美豆良結ふ子も行きめぐりをさなかりけむ春は酣は
日ざしにも春は闌くるか夢殿の端反いみじき八角円堂
馬酔木咲く春日の宮の参り路を蝙蝠傘催合ひ子ら日暮なり
夕寒き庇のつまに影あるは燈籠吊れり雨のふりつぐ
春日の夕闇の廻廊行くほどはほの明りありて霧の春雨
梛の葉にふる雨見ればしらしらと含む馬酔木も夜の目には見ゆ
大仏殿にほふ霞の外に据ゑて灌仏堂は小さき花御堂
浜名の鴨
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昭和七年十月、遠州浜名湖畔鷲津に遊ぶ。「浜名巡航」「本興寺林泉」成る。 翌八年一月再び鷲津の本興寺を訪ふ。「続本興寺林泉」「白須賀」続いて成る。 |
冬すでに雲は低きを船立ててうち出来にけりひびくみづうみ
館山寺松山穏し湖を来てここは小春の入江さざなみ
秋晴の入江の水戸のさざらなみ鷹一羽来り屋の上にはをる
この船をすでに追ひぬきうち羽振く鷹いさぎよし西北の晴
奥の瀬の引佐細江の冬水照り船入り進む音はじきつつ
ほの寒き鹹と淡水の落合は蛤の渚もあはれなるべし
遠つあふみ浜名のみ湖冬ちかし真鴨翔れり北の昏きに
冬いまに居つく秋沙鴨か波切の汭渚の潟に数寄る見れば
冬の湖に見てゆく鴨の沖べにはつぶつぶとひたり羽音すらなし
風や冬とよみ飛び立つ大族総立つ鴨の羽ばたき凄し
すれすれに波の面翔るひと列はすべて首伸べぬ羽ばたく青鴨
羽ばたき頻りにして鎮もらぬかなや立つ波を北へ翔る鴨南へ来る鴨
乱り立つ鴨の羽音の高処にはすでに幾羽か小さく飛ぶ影
鷲津の本興寺は法華宗の古刹にして、その林泉の幽寂なる、譬ふべきなし。池にのぞみて、懸樋あり。
水の音ただにひとつぞきこえけるそのほかは何も申すことなし
水の音聴きつつをればこの林泉に満つるこほろぎの声もしづけき
蓮の葉の水に影おとすうしろには低き土橋ありて榑の橋桁
このごとき閑けき林泉の日あたりはただに眺めて坐りてをあらむ
物寂びてなにか豊けきここの林泉よく聴きてあれば朝はしづけさ
朝曇うち対ふ山の後空も眼にしたしかり鴨の飛ぶ影
本興寺の庭はこれかとさもこそと観てを居りけり十月末なり
高野槙喬く竝み立つ冬の晴君が御山にのぼり来にける (日瞻上人に)
夕早き庫裏のはひりは日たむろと築地めぐらして朱き中門
水の音ただにひとつぞきこえけるふたたび籠りみ冬にぞ聴く
水の音まさにひびけり聴きてゐて夕かげ近き冬のこの林泉
池の面に落ちつつとほる水の音懸樋は冬のものにぞありける
樋より池に落つる清水の音にしてひとところただにうち凹めつつ
さむざむと石に映るはみ冬づく水の影ならむ観つつ幽けき
刈りこみて段おもしろき細葉槙ふゆの日ざしのあたるともなし
群葉張る蘇鉄のそよぎ今見ればひたとしづもり寒き日のいろ
鳥の羽の冬毛の雲ひとながれみづうみの方は空ぞ晴れたる
山茶花のはつかにのこる梢のいろ面冷えながら檜葉と親しさ
土の橋かかり低きに糸檜葉のほそぼそと垂れてみ冬ありける
糸檜葉の垂り枝見れば汀にも夕光および暮れがたみあり
いづく洩る冬の日ざしぞ赤松のそこばくの幹いとど明れり
風さむく椎の葉さわぐ林泉の山や松の木立はこぼれ日のして
客殿の角型屋根にさすあかりつくづくとあふぐ西も寒かり
短日の寒きこずゑの後あかり鳶くだり来羽根撓りつつ
俗に文晁寺といふこの寺には、文晁の四季の大壁画あり。就中春の絵ことにめでたし。
春の山しづもる見ればおほどかににほひこもらひ墨の画の山
橋の上を友がり恋ふる人のかげ雪しろきゆゑに墨画おもしろ (冬)
坂寺の高垣見れば槙垣に山茶花まじりいつくしき靄
文晁寺まかで来つつも犬の仔の戯むるる見ればこれも冬の画
常霊山本興寺より湖水に向ふひとすぢ道唐辛子赤く掛け干しにける
槙垣にまじりて赤き南天の二えだ三えだ目にしまつりぬ
岸寄りに湖も暮るるか太郎鴨の首さし向けて浮くあはれなり
きこきこと湖沿まがるひとくるま唐辛子積めり赤きその束
雪虫の飛びつつ曇る水の空雪にかもならむけだし幽けさ
白須賀は昔の宿、
ただ白し、ものさびて、
その蔀、はひり戸、
なべてみな同じ障子。
ただわびし、軒竝の
同じ型、
出て、はひる人すらや、
同じ影。
音も無し、なにひとつ、
埃づくものもなし。
草屋のみ、
弱き日のあたりたる。
いづこぞ遠江灘、
灘見坂ほどちかくて、
薄ら曇る低き空を
風も来ず。
冬ながら、その屯、
ほのなごむ家がまへ、
ここ過ぎて、きびしくも、
おもほえず、寒しとも、
白須賀は旧街道、
朱の鶏冠ふりたてて
軍鶏は居れども、
そは暮のひとあかりのみ。
とほつあふみ浜名の郡日はぬくし坊瀬越え来てここは白須賀
おなじ冬おなじ蔀の日のあたり白須賀はよし古りし白須賀
ここ過ぎてなにか現のけほどさよ物はたく音も立ちて止みたる
富士五湖
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昭和七年、妻子と共に晩秋の富士五湖に遊ぶ。
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よく響く冬は暁ふる雨のただに一色の音ぞ立ちたる
うち黄ばむ落葉松見れば狭霧立ち氷雨ひびかふ時いたりけり
山中湖あかつき近し落葉松や目もさむざむと向ふ雨霧
針樅に氷雨うちひびきいさぎよしことごとの雨よすがしとを見む
暁の雨冷えとほる玉の野葡萄のふたいろの玉は瑠璃よ紫
落葉松もしみみ黄葉でぬ木の立のまこと直なる繊き葉の神
冬向ふ繁み落葉松氷雨ふりいたもにじめり寒き落葉松
鵜の島は紅葉しにける岩はなに兎出てゐてぬくとき秋や
鵜の島と舟子が呼ぶなる湖の島兎跳ねつつ鵜の鳥はゐず
湖の島い照る紅葉に遊べるは耳後へ垂れて番ひ野兎
§
秋の晴湖面にあそぶ紋白蝶の影ひとつ見つつぽんぽん舟行く
西湖の熔岩壁を立つ鳥の羽ばたきを聴けば間隔正し
み冬づく西湖の鱸よく冷えて釣られたりけり徹る気先に
西湖はしづかなる湖瓦焼く煙のぼりゐて秋の色あり
尻高に子が乗る後をその母と馬はすすめつよき紅葉なり
ここよりぞ富士は裾野の見わたしと水照しづけき四つの湖見ゆ
青木繁む富士の裾原風乱り行きはしる雲の絶ゆるまもなし
雪の富士秀に現はるる立ち待つと将た寒けかり繁き天雲
精進湖雲あし赤く日暮なり写真とらすと家族馬竝む
本栖湖は奇ふる湖、霧ふかく、水皺幽かに、青木立神さ
びせす、渚ゆく人かげも見ず、風ふけばひろごる面の、
影日向、黒くあかるく、をりをり映る。
本栖の湖かがよふ見れば水皺立ち霧ながれをり流るとなしに
本栖の湖雲去来してみ冬なりこちごちに光るしろがねの面
一色に幽けかるなり時じくをみづうみの面へ吹きおろす雲
雲の遠に南アルプスと思ふ雪かがやき列竝み本栖湖暗し
み冬の雲もこごるか我が湖と木立神さび黒く隠らふ
初夏北越行
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昭和四年六月、新潟、今町、国上、出雲崎各地に遊ぶ。吟懐三十四首。 |
夏すでに砂丘の光おぎろなし弘法麦の筆の穂のいろ
砂山の茱萸の藪原夏まけて花了りけり真砂積む花
海荒く砂丘のい照り涯し無し燈台が見ゆ赤き燈台
港には装ましろき船いくつ夏はさやかに雲流れ見ゆ
数珠茅に夕づく日ざし柔らなり穂のまだ伸びぬ青き数珠茅
挙り出るこの国原の田植どき植うるかぎりが田にとよみつつ
挙り出て苗ひき植うる田植笠早やおもしろしうなかぶしつつ
日おもてのたも木に霧らふ夏がすみ植うる田も見ゆ早苗田も見ゆ
山里は家の南の田竝びを皆出て居らし植ゑそめにけり
弥彦の夏山霞ただならず国上は末にうち低みつつ
おほかたは田を植ゑ竝めぬ道の手にたもの若葉の照り交ふ見れば
赤々とこくれんぐわしの毛は垂れて田へ行く子らに朝そよぐなり
草繁き山いくつある小峡とて蛙のこゑのよくひびきつつ
乙宮のおもての田居に鳴く蛙日光しづけき山片附けば
かへるでのさ青の明りにうつら来る植女がひとりまろき菅笠
山方は国上へかかる道の端にぬきて竝べぬ涼し早稲苗
植ゑそめて山田の畔の昼餉どき童らとよみ早やあがり来る
あしびきの山田の田居に日竝下り隣り植ゑたり田竝びの友
あな清け小田の山田は植ゑなめて目にもみどりの風そよぐなり
ゆきかへり見つつましけむ国つぶり揺りおもしろき田うゑ菅笠
ありやとも求め来て思ふ道の端に君が置きたる黒き鉢の子
国上山のぼりつつ来し杉むらを松風の音ぞ吹きしづみたる
蔭山の夏の小峡の桐の花咲きにけるかも群杉が木間
国上の片山蔭の桐のはな遠く蛙の鳴くがしづけさ
まさしく閑けかりけり桐の花の咲きあかる上に松の音して
風そよぐ板屋楓の二三もとここの庵も夏いたりけり
山かげの君がいほりの跡どころ楓あかれり青蛙鳴き
早稲田には雨けぶるらし真木山のこの見おろしも蛙鳴きつつ
出雲崎は良寛堂の夕つかた網かいひろげ人かがみ居る
出雲崎夕浪明し我がひとり君がみ堂に詣でゐにけり
一色とうしろに蒼き夏の潮角の御堂はいつくしくして
この御堂夕かげながら詣で来て廂のつまの反りのすずしさ
この御堂夕照りあかし穏しくはしづけさのかぎりたもちたらなむ
出雲崎この夕凪のはるかには日かげ現しき佐渡ヶ嶋見ゆ
木曾長良行
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昭和二年八月、一子隆太郎を連れて木曾川、恵那峡、養老、長良川等に遊ぶ。 |
ちかぢかと城の狭間より見おろしてこずゑの合歓のちりがたの花
閑かなる城とおもふをあはれなり日でりはげしく合歓ぞほめける
入母屋の甍ににほふ合歓のはな犬山の城は白く久しき
蹴爪に岩角をつかむ鷹一羽その下つ瀬ぞ青に渦巻く
岩角に鷹黝くゐる夕焼がいつまでも見えてこの水早し
合歓の花移ろふ見れば夏川や河原のい照り時過ぎにけり
花火過ぎ水にただよふ椀殻は鳰の鳥よりなほあはれなり
水車船瀬々にもやひて搗く杵のしろくかそけき夏もいぬめり
ふたいろの花さるすべりおほよそに月夜はしろしあかず遊ばむ
夏の夜は短き藤の実の莢のはつかに明けて風いでむとす
松が根にそよぐ小萩のあはれさよ莚しき竝め子ら昼寝せり
こごし巌恵那金剛に涌く雲の照りしづかにて久しかりけり
堰きあまる水量梢をうちひたし空ちかづきぬ峡のふところ
朴ならむ岩石層に吹きあつる風ことごとく光葉飜せり
もてなしと杉の木群に篝焚き渓流の音に添へにたりけり
開けはなちい寝るみ山の短夜は養老の滝の音しらみつつ
舟べりに羽ばたきあがる鵜の鳥を篝照らしておもしろき夜や
腰簑に風折烏帽子綱さばく鵜匠は夏のものにぞありける
我が物とさばく檜綱のはらはらに鵜匠は鵜をぞ浅夜あつかふ
黒き鵜は嘴黄なりそち向きに水切りて羽うつ火映り見れば
ほうほうと鵜を追ふ声の末消えて月の入るさの惜しき横雲
下巻
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童子群像
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昭和八年四月、東都成城学園大いに紛擾す。その職員、父兄両派に分れ、抗争数月に及ぶ。教育界に於ける未曾有の不祥事なり。当時、隆太郎小学部六年に在り。篁子同じく二年に在り。即ち父兄たる故を以て、我が正しとする信念により行為す。抑〻この学園たる沢柳政太郎博士総長たり。小原国芳氏その初より主として参劃経営するところなり。同博士死後、新総長小西重直博士の下に校長小原氏専らその経綸を尽す。この年初夏、総長の辞任と共に、つづいて校長を引責せしむ。その理由とするところまた故なきにあらざるべきも、小原氏に対するその道を失し、遂に教育の本義を誤る。我が立ちたる所以なり。録長歌四首短歌八十八首。
荒地菊花咲きほこる道の端子を思ふ父の濃き影佇ちぬ
竹煮草粉にしろくふくこの日でり堪ふべしや我も省みなむとす
相憎む輩がうへに思ひいたりしみじみとあり日の照る庭に
この原や草深百合の草ぶかに匂ひこもらひ昨はありにし (沢柳先生
を憶ひて)
成城学園また子ら行かず雑草の花咲きほこり早や文月なり
四月某日、荒涼たる校長送別会なるもの開かる。父兄その理由を知らず。ただ一部の理事及び財団の刻薄に驚く。蓋し直感すること深し。挙り起ち遂に流会す。
ひと鉢の草の花だにすゑなくに昼冷まじく師を儺ふとす
追ひ儺ふ下心はさもあれやいふ言は皆うやうやし聞きのよろしさ
事はてむ憤らくも現なり父母よ見よこは正眼なり
母の館窻は開けど照る月の来り坐らむ椅子ひとつ無し
言挙ぐと胸ぞ迫りて泣きにける父と母の声はみな誠なり
空見つつ何の言葉ぞ手ぶりよく説きは巧めど胆に響かず (長田博士に)
五月十二日、小学部職員、父兄を招集し、その態度を声明す、一に結束固し。
一に成城教育の精神をうち建つるもの小学部なり我疑はず
上衣ぬぎ汗みづくなれやかく歎きしかく言挙げ君ひたすらに (内田
訓導)
いふ言は拙けれどもひたおもて眼は輝けり下心哭けるなり (斎田
訓導)
子の太郎声はあげつつ帰りたり我が先生を正しと言ふなり
我が太郎まこと直なりや幼なくもただに師を見る眼はまじろがず
心よりその師よしとし疑はぬこのをさなさに父我泣かゆ
此の立つは私ならず、人ひとり守るとにあらず、皇国をただに清むと、正しきにただに反すと、心からいきどほる我はや。まさやけき言立か彼は、ゆるすべき邪か其は、己が子のためとは言はじ、すべて世の子らをあはれと、胸張り裂くる。
この道よただにとほれりこごしくも敢てい行くに何かはばまむ
正しきを正しとせずば、照る日さへ子ら疑はむ。まさやけき明しとせずば、かぎりなく澄む月にすら、闇かとも子らはまどはむ、安寝しなさね。
五月十四日、母の館に再び父兄大会を開かむとす。事前三沢校長の命により、その扉に釘うつ。後漸く開会す。小原前校長来り初めて辞職事情を釈明す。
声絶えて道に言はずも父母の子を思ふ誠ただにとほらむ
人の子は棄てて清くば道芝の塵だにも如かず風の埃に
多摩川にさらす調布さらさらに何ぞさらりと棄てて去りにし
この子らぞ父よ還れと祈るなる還り来ませや何も言はずて
その後、紛糾、遂に休校令下さる。而も学生は皆登校し、自学自習すること常のごとし。
この子らを見つつ歩けば地は灼けていや日は暑し影がしるしも
この子らがボールかつとばす音さへやま空にひびき痛々し我は
ほがらかに子らはあるべし畏無く心揺り遊び常すこやかに
きびしく今は鍛へむ事しあるかかる日にこそ光るべきなれ
馬鈴薯のうす紫の花ゆゑにわづかに堪へて子らは足踏む
日のもとに父打つおのが子らありと悲しみてよき空もあるらし
道は説け言は繁くもしかれども生の命に触るる無くば如何に
雲しろくいゆきわたらふ夏の空松蝉の声ぞここにしづけき
誠あらば神も哭くべしこの声やしづかにはあれど父の声なり
この子らは共に遊ぶを遊ぶ無しその母と母の何憎みする
長き休校の後、この日連袂辞職したる三沢校長初め三十数名の高等及び中学部の職員たち乗り込み来る。前警視総監長岡隆一郎氏校長室にありて何事かを指揮したるものの如し。私服正服の警官四十数名監視、反小原派の帝大教授、その夫人、竝に父兄等活躍す。あはれ学園も末なるかの如く感ぜらる。かくひたざまに自由教育を善からずとするこの圧迫は如何。
何すとかここにわが来しこの父は子を思ふゆゑに寄るべなく来し
手を面に涙もろなるこの爺さ父なるならしとみに老いにけり (奥田老)
夏旱子を思ふ母の戸に立つと寄り寄りにゐて泣きもあへなくに
子の母ぞ照る日明きにかくばかり行きもまどひぬ面ほそりして
子の母の今のなげきは道芝の照る日に萎えて地しばりの花
三沢校長脱帽せず、而も国家合唱の半に、中止を命じ、タクトを揮へる指揮者杉先生を壇上より突き飛ばす。「非国民」の声起る。合唱なほ粛々たり。
国の歌君が代歌ふしづかなるこのひとときは譬ふるものなし
よしなき言立やげに退くにさへ何か一言は言はねばすまず
潔き人は退くべし棄てざまに吐き棄つる言は蓋し徹らず
ひたおもて君が直なる言挙は聴いさぎよし心に徹る (加納子爵)
涙共に下るこの声この子らぞ愛しとは思へ亦聴き難し (学生委員)
我に無し日はも夜も無し心ぐくただに思ふは子らが額髪
事しありて君とこそ行け我どちは音清々し響かひ行かむ (加藤武
雄氏に)
夜のほどろ疲れ帰りて力無し山方早く蝉の啼くもよ
夜の田には蛙ころろぐ聴けよ聴けよあはれなるものは声ころろぎぬ
小原氏遂に告訴さる。その告訴の主は某氏なれど、その策謀の何れにあるかは歴然たり。
日は照るを将た安からし師と頼む市に引き出て早や放り売る
夏早やも棘に花さく覇王樹の琉球びともすべなかるらし (某々両先
生に二首)
国びとは心直なり梧桐の青一色に表裏も無し
その子らはかくも歎くを石うつと師父なる人を将た縛しめぬ
焼き鉄よはやるひづめに蹄鉄うつと己が踝も火もて焼きそね
眼の白き生の鰯は簀に竝めて日乾あまぼし串に刺せちふ
鈎爪の脊骨曲りが鈎形に歩きはらばひ石の下掘る
陰ふかき醜の土竜が土やぐらたたきうちこぼち日に曝すべし
朝なさな机ならべてありけらし今譏り合ひて子ら教へをり
何頼め降らす石かも草ごもり家居る際は香すらえ立てず
腰弱のへろへろ、正しきを何なづむ。骨無しのとろとろ、立つべきを何呆けつる。深山の一木檞の、風に立つ樹思へや。
男子なれふぐり締めこそひよろ腰のへなへな臀むしろうつべし
悪しきは沙汰過ぎたり。悪しきを見過ぐすもの善からじ。弱きもの詮無し。照る日に、この明きに、何怖づる、人びと。五月の、白雲のいゆきしづけ松むら、その姿思へや。
清明かるけだし稀なり自がためと草のいきれを汗して歩けり
清しかもその新月の眉あげて敢然と立つ少女ら見れば
藤棚の藤の葉とほる日のひかりつくづくと土に見つつあらむか
少女らははげし日中も舎居らず池のべ求めて秘読みにけり
朝なさな清にのぼりし足音の早やたどたどし泣きて行くかに
賢しくもをみななりけり言ふことは早や愛しけど己が子をのみ
言立ててつぶさにはあれ女子や背戸の春日に牛売り損ふ
よき母は清くありこそ照る月の子を抱きつつ草に立つかに
あなうるさ草につくばふ下闇の蚊喰がへるが咽喉鬼灯
日のまぎれ我は直行く野の道を横さ走りて鼬目翳す
ま日照りを夜の陰草にたぶらかす狐のやからは犬に噛ましめ
物言ひて清けかるべし天つ日に事あらはなり隠すよしなし
身ひとつにただに命をこめにける自が学園は他のものかは
夢なりや縦しやかなしき我が業と君楽しみき悔いむ何無し
事すべて私ならず道直に公ありて徹り行くべし
世に憂ふ人が言挙まつぶさに言ふことはよし多く私
悪しとなす言の僻事しからずば神にありなむを人なりき君も
憂ふ無き君たはやすし事々につくづくと思へばよく投げにけり
大味も程にこそよれ幾塩と薩摩の鰤よ塩つよく沁め
君繞る人も実なし必ずも言ふらくただに下心に思はず
時により教へ賜ぶなり世に憎み荒ぶる言も聴きて畏こさ
師、子弟、父兄、これこの学園の三位一体となすものなり。
三つの円この触れ合の全けくもしかもほのぼのとよかりけるもの
昭和七年三月、女学校卒業式直後、小西、小原、銅直、金子諸先生同乗の自動車、電車と衝突し、転覆す。今に於て感深し。
因し無き災いはなしこの道や心そろはざれば皆くつがへる
挙り立つなほし遅れき何をしかい行きためらふおぞの父母
還るなき人を待つよは落鮎や多摩の瀬合に朝釣るべし
諸人よかもかくもなし香にこもる草深小百合省みななむ
静かに観君はますべし善き悪しき後つぶさなりその秋俟たむ
草の原に蒼くいただく天つ空げに事も無し大きむなしさ
天地とむなしかるべし身ひとつに何物も無ししかく生きなむ
思ひしみつくづくと人はありけらし朝起きてそよぐ草の葉を見よ
夜ふかく今に思へば善き悪しきすべて遥かなり額垂るる我は
月あかしひと日吹き去りし風速のとどろなりしか今は気もなし
女の童あかき石榴を掌に置きてゐやまひ正し九九をこそよめ
髪いらふ童女が笑顔かぐろくも艶だちにけり父をうち見つ
額髪のかなし女童うつら読み眶垂りをり燈をあかく置き
女の童肩に頬をあてうつら振る垂髪黒し肩にしばしば
ねむからばまこと寝よとしかきおこし燈は明らけし女童を母は
硝子戸の燈映見ればスエタアぬぐ紅ゐの童女眠気なりけり
ひたすらよ これの女童、文字書くと 習ふと書きぬ。その鳥の 鳥によく似ず、その魚の 魚とも見えね、あなあはれ 鳥や魚や、巧まずも なにか動きぬ、その影象。
このゆふべ空やはらかし物の葉にさだかにはあらぬ狭霧なづさひ
中学生、我が子の太郎、道ゆくと、読むと、坐ると、箸とると、帽かむりゐる。制帽よ制服よただに、金釦しかとはめゐる。うれしきか小学卒へし、中学やしかほこらしき。蘇枋咲くと、樗そよぐと、霜置くとあはれ、一学期二学期よとあはれ、日の照ると、雨ふると、風ふくと、寝ると起きると、制帽かむる。
はつ霜とけさは霜置く門の田に晩稲の黄ばみ見つつ子は居り
風騒四部唱
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若山牧水の七週年に際し、哀傷の新たなる、遂にこの追懐吟一聯を成さしむ。
水の音常は幽けき庭ながら人入り乱りたづきあらなくに
まとに見て松が枝黝き日のさかりしばらくは聴かず蝉の声すら
やり水のちろろとくぐる篠の根も眼には光れど心には観ず
うち見には瓢枕に仮寝してただにとろほろと人ぞ坐したる
この仏いまだ酔ひ臥し安らなりおのづからいつか起き出まさなも
うたた寝ゆ或は目ざめてたほたほと振らす瓢か酒をこほしみ
胸を張りて朗らなりける歌ごゑの君なりしかも塵もとどめず
よく遊び常に愛でにし山水とさやけかりしかとどこほる無く
狩野の川瀬にすむ鮎の若鮎の今かさ走りにほふその子ら
霊柩車火にほろびたる街ぬけてひたに香貫の道駛りつつ
かきおろす柩にうごく日のひかり夾竹桃は今ぞくれなゐ
油もてすべなゑがくか芋の葉を露のまろびて落つるその玉
すべはなし風にかがやく芋の葉をゑがく油絵われは観てをり
群れつつを生簀の鰯子の片寄りにそろひさ走りめぐりやまぬかも
船にして網くりたたむ子らがこゑ夕焼の頃はとみに勢りぬ
三津の浜ゆふさりつかた出ありくと絵を描く友の傍に寄りゆく
昭和九年四月十八日、大手拓次君病歿、妻と行きて告別す。
南湖院潮騒ひくし春もやや闌けにつつありて人は果てたり
臨終まで我をたのめと沙汰せよと待ちまけし君をひとり死なしぬ
死顔の神さぶ見れば灯をつけて揺るるコードの影か隈だつ
継ぎおこる電気火葬の火のとどろ聴きつつすべな舎利ひろひ分く
この仏えにし深からずつつましく舎利は挟みて春雨間なり
この骨片息づく見れば下紅く仏はいまだ燃えていませり
目にとめてうち白みゆく骨の火気箸につきあはせ拾ひつつあはれ
さらさらと骨粉をあけ夕さむし隠亡はよにも手馴れたりけり
迎ひ立つ軍帽ひとつまぶかなり何か立ち待つその焼がまを
火に葬る今を盛りの音聴けばおほかたは早やもほろびたるらし
電気火葬の重油の炎音立てて猛るたちまちを事は果てたり
手を洗ひつくづくと見る向う雨山の桜しろく咲きたる
しみじみと堪へてゐれども身のほとり数死にけり若きともがら
かがなべてあはれよと思ふ春かけて幾人か死にし我が眼さらずも
若人は身をいたはらずほとほとに疲れつつ来しつひに死にせり
昭和七年の冬のことなり。深夜、池上町なる斎藤瀏将軍を驚かし、遂に暁にいたる。
ことさら我名告らずも夜のふけてとどと叩くは酒の神と知れ
この夜寒とどと襲へば戸はあけて眼をこすりをらす我なり将軍
夜風の旋風なし入るおぞや我酒出させ早やとうちころびぬる
冬の夜もとよもす酒の友どちはおろかしくしてかなしなかなか
冬向ふ蝿の日向の舌ねぶりあはれ手ぶりにまね申すなり
五十九議会大に紛擾し、窻硝子を破り、遂に流血の醜状を曝らす。
一茎の草の葉にすらひざまづく心は思へ彼等知るなし
朝雲の大き御気色かすかだに仰ぎまつらばただに涙ならむ
今朝やぶる硝子のひびき寒きびし畏き方にきこえずあらなむ
血を流し汝等あるべし音のみかその頭割りよき醜の鉢金
陣笠と電燈の笠と何そちがふ凍みつくはただに冬の蝿のみ
言さへぐ何の楽しみ争ひて声音高きが多く怖ぢつつ
闇怖づる弱き奴が空声を毛の荒ものの如くふるまふ
女弟子もつものにあらずしみじみとかく思ふゆゑに身を退く我は
師をうやまひ弟子をかなしむ遮莫外ならぬかもよ男女てふもの
ほのぼのと歌ひあげゆく声きけば暢うらがなしうつくしき揺り
現しくも恍れたる春のゆふなげきおのれ揺りあぐる声の羨しさ
よく歌ふ春もあらねば我やはた歎きわぶなり声の揺り聴き
歌ふとし声に巧まば流るべし物のかなしき心知りてな
うちあげて朗らなりける我が友の牧水のこゑの今もおもほゆ
歌ふこゑ澄みぬる際よすべからく梁に塵もとどめざるべし
中空に紫あかる月夜雲九十九里の浜の春のしづかさ
月や春、北之幸谷の村方を舞ふ獅子舞の笛もこそ行け
ひたしやぎり月に吹く子が横笛は口もて吹かず腰ゆすり吹く
口あけてくわんと鳴らした頭のひねり獅子はおもしろ家に躍り入る
東金の茂右衛門どのといふ謡は春の朧のものなりけらし
水ぐるま春の月夜の野平に音立ててをり遠かすむ森
夏向ふこの夜すがらに月は照り水車しづかや米を搗く音
月夜立つる水車の音は夜ごもりとかすむ草田の低みより立つ
音ひびく春のおぼろを人すでに意識すら無しと月の曇りを
月おぼろ草田の堤歩み来て今は聴きをり蟇を蛙を
夏すでに月の堰の遠近に蛙啼きつつ水幅明るむ
マチ擦りて子らとうかがふ砂利道に杉菜のみなる露のこまかさ
風そよぐ蓬のうれ葉裏見せてしろき月夜を田へ下りるなり
大きチエロ立ち擁へつつ夜は明し押しあてて弓のいまだしづけさ
立ちかかへ脊丈をあまるチエロの棹新人はかなし指にそだたく
四人立ち揺り弾くチエロの四つの胴張り厚うして響き合ひにけり
立ちかまへ擁ふるチエロは黄褐の女体なり弓のかいなづる胸
チエロの胸ひたかきむしり平なり揺り曳きにけり灯に光る弓
チヤイコフスキー交響曲第六ロ短調「悲愴」なり香蘭のことをいつか思ひゐき
薹に立ち葉牡丹の花のどかなりうつら飛びめぐる虻と蜂と蝶
葉牡丹は薹立ちほけて日が永し花さきにけりちらら黄の花
国を挙げて声はとよめどしづかなり神と聖のみ手とらす時
日のもとに我が大君とみそなはし春のあしたの山ざくら花
陸軍の依嘱により大陸軍の歌成る。恰も日露役三十年記念に際し、昭和十年三月十四日附、軍刀の贈を受く、靖光の新刀なり。その歌に曰く、
大陸軍の歌
1
青雲の上に古く、
仰げ皇祖、
天皇の大陸軍、
道あり、統べて一なり、
建国の理想ここに、
万世、
堂々の歩武を進む、
精鋭、我等、
我等奮へり。
2
盤石と誓堅く、
守れ軍紀、
天皇の大陸軍、
勅あり、律は儼たり、
奉公の誠常に、
一心、
烈々の士気は徹る、
身命などか、
などか惜まむ。
3
旭日ののぼるごとく、
揚げよ国威、
天皇の大陸軍、
風あり、軍旗燦たり、
大陸の血河すでに、
征戦、
赫々の誉高し、
忠勇曾つて、
曾つて範あり。
4
六合を家と広く、
布けよ平和、
天皇の大陸軍、
道あり、東亜我あり、
国防の一線ここに、
満蒙、
生生の秋ぞいたる、
決然、敢て、
敢て当らむ。
大君の大御軍の行くごとく日はさしのぼり茜旗雲
この賜ぶは陣太刀づくり靖光の鍛へに鍛へ魂こめし太刀
我が歌をよしと嘉してたまひたる陸軍大将の太刀ぞこの太刀
白絹の袋紐とき柄がしらさしいづる見れば黄金づくりの太刀
この太刀の柄の猿手に結ひ垂らしあなゆゆしかも朱の緒の揺り
柄鞘の黄金の桜三つ明り大将刀ぞ褐の糸巻
心澄みて抜き放つ太刀春浅し眼は釯にそそぎゐにけり
よく反りてにほふ焼刃のこの気先新刀は清し冴えに冴えたり
丈夫やなにか歎かむ皇国の軍ならずも歌をもて我は
大将刀父のみ前にとり捧げ言ふことはなし今日はをさなさ
此の太刀は皇国の太刀胆むすびうちにうちし太刀ぞ心して守れ
神ながら清く明らけきひた心りゆうりゆうと振る太刀に子ら見よ
あさみどり満天星の芽の日に映えて新刀はよし一ふり二ふり
うち粉叩き叩きつつゐつ此の太刀の清の明りぞ花と照り合ふ
大将刀抜き放ち瞻る我が笑顔写真ニユースに見しといふかや
日の真昼我が大君はきこしめし今いさぎよし大陸軍の歌
昭和十四年十一月十三日、寒波しきりに到つて、私の眼底は痛む。立冬既に過ぎて、この私の薄明の視野には、やうやうに我が頼む光と影とが消えつつある。私は今、口述しつつ、この巻末記を妻に書き綴らせてゐる。
心貧しくしてかの春の日の夢殿を思ひ、その高貴と知性とに本来の郷愁を感ずるこの私は、抑々何であらうか。
童女の朱衣がいまだにこの網膜に映像するのに、私の短日は微かに邃い。
曾つての夏、雲海の上に出でて、飛翔し飛翔した私は、かへつて郷土のまことに触れた。
あながち歌に遊ぶとはいはない。かの夢殿の霞にやんごとなき籠りを籠りとせられた終日の春を慕ふものである。少くとも私の道に於て私は楽しんでゐる。
齢知命を踰えて、いつまで稚い私であらうか。
§
『夢殿』は、前集『白南風』の姉妹歌集である。即ち『白南風』が、大正十五年暮春、小田原より東京谷中天王寺墓畔に転住して以来、馬込緑ヶ丘、世田ヶ谷若林、砧村大蔵、等に亘る東京生活の所産であるに対し、本集は、殆同時代の覊旅の旅を主として採録した。尚、覊旅以外の人事生活篇「童子群像」「風騒四部唱」等は彼の集の「砧村雑唱」の続篇たるべきもの故是に附加した。姉妹集たる所以はここにあるのであるが、ただ年代に於てその直後、雑誌『多磨』の創刊に到る迄の、略一年間の延長がある。
尤も覊旅歌としてはなほ『白南風』と『多磨』の期間に「白良」以外「伊豆の初夏」、「音・光・風」、「雪冠」、「渓流唱」、「水戸唱」、「河童早春賦」等の創作があつたが、これらは編輯の都合上次の集に譲ることにした。
さてこの『夢殿』は主たる覊旅歌を上巻とし、副たる人事生活篇を下巻とした。
本集の内容は左の如くである。
白良 長歌 一 短歌一七 富士五湖 長歌 一 短歌二四
郷土飛翔吟 一七 二五三 初夏北越行 三四
郷土と雲海 四 九五 木曾長良行 二一
覊旅小品 一 四八 童子群像 六 九七
満蒙風物唱 二一一 風騒四部唱 九〇
夢殿 四二 巻末に 一
浜名の鴨 四九
計 長歌 三〇 短歌 九八二 総計 一〇一二
『白南風』に於て、その生活年代と、製作年月が必しも同一でない如く、本集に於てもそれらの相違がある。而もいづれも生活に準じて、編纂せられた。つまり『白南風』時代である。従つて本集は昭和二年八月より昭和十年三月に到る期間の覊旅及び身辺生活に資材を得たものであるが、その製作は昭和二年より同十四年七月に到つてゐる。
また『白南風』がその編纂に志して以来新に感興の昂騰に乗じて殆その半に達する補作を得たるが如く、本集も亦「郷土飛翔吟」、「郷土と雲海」、「満蒙風物唱」等の大連作を初めとして、「覊旅小品」「夢殿」「木曾長良行」の諸篇に亘り、凡そ六百余首の新作を追加するに到つた。この最近六月より七月上旬へかけての日夜行に因るものである。その他旧作に於ても、削除すべきは割愛し、抄録の分も更に改訂を敢てした。又新作の分もその後の推敲に於て聊か面目を改めたかと思ふ。
茲に煩を避けて一一に是等に就き解説をしないが、白秋年纂『全貌』その他今後の私抄について彼我対照して戴ければ幸甚である。
前述の如く、この『夢殿』は『白南風』の姉妹歌集である。これらは楯の両面の如きものであつて、いづれもが私のものであり、同時代のものである。かの『白南風』を通じて私の歌風に変化がないことを速断した向きは、この『夢殿』と綜合して改めて見直して欲しいと思ふ。歌風に変化がなかつたのでは無く『白南風』の編纂の法が、かくあらしめたのである。
『白南風』と『夢殿』、一は静であり一は動である。或は観照に、或は叙情に、その時々に於て私は常に自由に自らの変化を変化としてゐる。
ただ本集を読んでくださる方に願ふことは、これらの一首一首につきぢかに触れて専らに味つてほしいのである。而してまた一首を中にした四方の空間をも楽しんで欲しいことである。また作者の丹精そのものを読者その人のものとして、その鑑賞にその時を割いて欲しいのである。
本集の編纂がその年代に五年も遅れたことは、雑誌『多磨』の創刊と共にひたすらに前進を続け、過去を顧る余裕も無かつた為であつた。既にその後作歌も千三百首に上つてゐる。これらは眼疾の前後に別つて、いづれ二冊として順次に刊行する予定である。
編纂方法に就ては、上巻の覊旅歌は略倒叙の形態をとり、下巻に於てはその内容について分類し、その篇毎に年月の順を概ね正しくした。
全体を通じて最も旧き作は、「木曾長良行」の犬山城や、水車船、四季の里等の景情であり、最も新らしきものは、「飛翔吟」の雲海の一連である。歌風について云へば、眼疾以後の今日のものの多くが前時代のものと交錯してゐる。
終りにこの歌集『夢殿』は、往年の『雀の卵』編纂の当時私と苦楽を共にした鎌田敬止君が、この度八雲書林を創立するに当り、その需めに悦んで応じた。そしてまた大に柔らかに悩まされたが、それにしても私の度を超えた推敲の習癖はまた其人に煩瑣と困惑とを与へたに違ひ無かつた。
巻頭の朱衣の童女像は、永瀬義郎君の筆であつて私の永く愛蔵するものである。その童女の面貌が私の篁子に似通つてる節もあり、その篁子をまた人人が呼んで夢殿となしたことから、この歌集はこのやうなものとなつた。
狭霧立つ櫨の木群の深みどり我が水上はわけて哀しき
底本:「白秋全集 10」岩波書店
1986(昭和61)年4月7日発行
底本の親本:「夢殿」八雲書林
1939(昭和14)年11月28日初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※小見出しよりもさらに下位の見出しには、注記しませんでした。
入力:岡村和彦
校正:光森裕樹
2014年11月14日作成
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