お母さまは太陽
小川未明
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「お母さんは、太陽だ。」ということが、私にはどうしてもわかりませんでした。そうしたら、よくもののわかった、やさしいおじいさんが、つぎのようなお話をしてくださいました。
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わしは、子供の時分、おおぜいの兄弟がありました。そして、みんなが、お母さんを大好きでした。みんなは、朝起きると、眠るときまで、楽しいことがあったといい、悲しいことがあったといい、「お母さん、お母さん……。」といいました。そして、お母さんの後ろについたものです。昼間がそうあったばかりでなしに、夜になって寝るときも、みんなは、お母さんのそばに寝たいといって、その場所を争いました。それで、お母さんを真ん中にして、四人の子供らが左右・前後に、輪になって休みました。みんなは、いずれも、お母さんの方に顔を向けて休んだのです。それは、ちょうど、草が、太陽の方を向いて花を開くのと同じかったのです。
だれでもそうであるが、私たち兄弟・姉妹は、大きくなってから、いつまでもお母さんのそばにいっしょにいることができなかった。
わしも、なつかしい、やさしいお母さんのそばを離れて、旅へ出るようになった。そうすると、子供のときのように、お母さんのそばで楽しく、平和に寝たように、眠ることができなかった。けれど、お母さんを慕う情はすこしも変わらなかったのです。
「もう一度、ああした子供の時分に帰りたい。」と、思わないことがなかった。
そしてまれに故郷へ帰って、お母さんを見ることは、どんなに楽しかったかしれません。遠く故郷を離れて、他国にいるときでも、いつもやさしいお母さんの幻を目に描いて、お母さんのそばにいるときのように、なつかしく思ったのでした。ちょうど、太陽が、雲に隠れていて見えなくても、花は、その方を向いて、太陽のありかを知ると同じようなものでありました。
いま、わしの母は、もうこの地上には、どこを探しても見いだすことができない。そして、母はあの、夜というもののない天国へいって、じっと、自分の子供たちがどうして暮らしているかと見ていなさることと思っている。それで、わしは、この年寄りになっても、西の夕空を見るたびに、なつかしいお母さんの顔を目に思い浮かべるのです。
これは、一人、わしばかり考えることでなく、わしの兄弟・姉妹が、みんな同じようなことを思っている……。お母さんが太陽だということは、これでもわかるでありましょう。
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これが、ものわかりのいい、人のいいおじいさんのお話でした。私にはよくその意味がわかった。また、みなさんが、草や、花なら、お母さんは、まさしく太陽であるといえるでありましょう。
底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
1977(昭和52)年3月10日第1刷
※表題は底本では、「お母さまは太陽」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:江村秀之
2014年1月18日作成
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