浪曼的時評
牧野信一
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先月は殆んど一ト月、新緑の中の海辺や山の温泉につかつて文字といふ文字は何ひとつ目にもせず蝶々などを追ひかけて暮し、その間に何か際立つた作品が現れてゐたかも知れないが、それまでは今年になつてからといふものわたしは、その読後感を誌す目的で毎月つゞけて月々の多くの雑誌を読んで来た。大体可もなく不可もなく、純文学派に多分の通俗的脈絡が鮮明になつてゐるようであり、単に文字の扱ひ振りや修飾の度合に依つて文学的形式を保たうとするが如きものも見享けられるのであるが、要するに作品のおもしろさなどゝいふものは至極簡明なものに違ひなく、作家自身の主観上の芸術的燃焼と創作形式との適度なる合致に帰着すべきが理の当然であり、如何に高邁なる精神の発揚であらうとも難解に過ぎたならば多くの読者に理解される気遣ひもなし、また如何に大きな舞台を取材となし、万華なる物語の組立が積み重ねてあらうとも、作者なる「私」の呼吸がいはれもなく通俗的であつたならば、読者の真の興味はつなぎ得ぬであらう。斯んなことは誰しも解つて居る事柄であつても、理窟通りには容易に運ばれぬのが、つまりこの場合に於いては文学の妙であり、どうしたつて作者たるものは徹底的に自己内心の奥底へ向つての凝視を保ち、結果としての無辺なる大呼吸へ達すべきが道理であるだけだ。それ故、誰の何ういふ方法を批難するわけでもなく、いちいちの作品についての或る程度の好しあしを云ふ位ひ安易なことはなからうと思はれる。云はるゝものゝ不満もさることなから、云ふものゝ貪婪さも自ら胸の充される気遣ひはないのである。小説も批評も凡人の場合に於いては元より職業としては不向なものであり、それをもつて普通の生計を立てようとするところからさまざまな矛盾が起り、不思議な自負心に逆上したり、あたら才能を歪めてしまふ結果になつたりするのではなからうか。創作家はやはり特に物質上の満足を希ふことなしに、あらゆる不幸と自然現象の順応に身を任せることが、尤も至極なる成長への一手段ではなからうか。
いつもわたしは文芸雑誌を先に読み、主に新作家のものにふれて来た。回想して特にあざやかな印象に残つてゐるものは、別段このごろは見あたらなかつたのであるが、だからと称して一概に新人の無能呼はりを為すにはあたるまい。徳田一穂氏の作品など、一種の既成観念から見られて、寧ろ気の毒なる評言を浴びるかのようであるが、全く冷静なる読者の眼から眺めるならば、一作毎に可成りの進展も見られ、優に一家を形成しつゝあると思はれるのである。特別に目を視張る如き興味に富んだ派手なる感じは享けぬ代りに、その初期の作品に比べて、これほど地道な、そして読むにつけあざやかな飛躍を発見成し得た作家をわたしは他に求められなかつた。また近頃主に早稲田文学のみに立て籠つてゐるところの田畑修一郎氏と尾崎一雄氏など、おそらく更に作家的生活期にあるかの観であるが、人生と文学とに関して凡そひたむきなる精進を続けてゐる人達であると思はれるのだ。彼等の最近の作品を見ると、実にも悠々と文学的なる凡ゆる技巧を征服して、はつきりと一つの境地に達しようとしてゐる観が窺はれるのであつた。島の生活を書いた田畑君の一作など、就中その風景描写に於いて読む者の胸に颯々重厚なる風韻を通はしめずには置かない稀なる感慨を誘はれるものであつた。蓋し最近の名描写たるの興趣が深かつた。尾崎君の、或る一家のことを書いた短篇も近頃愛読に価した一篇であつた。技巧を棄てるといふことが、何も一概に神妙な業とばかりは思はず、これは人生にとつて余程重大な要目には違ひないが、全くそれを棄て切るといふ方法も、容易な業ではなく、たしかに精進上の確たる一方法には相違なからう。わたしは尾崎君の手法態度から、敬ふべきものを感じたのは事実であつた。
芥川賞の「参考カード」を手にする度にわたしは考へさせられた。二三の花やかなる作品を発表した作家も意義はあるが、長年の間小暗き文学の森に沈湎して、人生にもてあそばれ、生活とたゝかひ、不断の文学的精進に没頭しながら、決して純粋なものを失はず、徐々と進歩してゐるといふべき側の作家が、思ひ浮ぶのであつた。既にして文壇的に花やかなる活動を示した作家は、それらの活動に依つて幾多の恵まれを得てゐるわけで、その上に「月桂冠」を授与される要もなく、どちらかと云へば、もう如何にしてもこの先文学のいばらの道を進むより他には何事も顧慮せず、真に生活とたゝかひながら凡てを忘れてゐる側の人生と文学上の篤学派とも云ふべき側の研究生への研究費補助ともいふべき理由の許に贈与されるのが穏当でもあり、永続的可能性があるのではなからうか。さういふ側の人々ならば、雑誌「世紀」同人をはぢめとしていくたりも数えられるであらうし、年々、誰が当るであらうかといふようなセンセイシヨナルな期待を別にして、文学賞金としての意義が増しはしないであらうかなどゝも考へられる。尤も今年度などは坪田譲治氏の活躍など賞金獲得の資格はあるであらう。
大概、何時の時代だつて極くわずかなる幾人かの作家を除いては、その質実を平凡とそしられ、野心的構図を幼稚とわらはれて、今時の新作家ほど……といふような吐息を浴せられるのがならひであり、誰それが出現した当時は──と懐古的なる風流気におどされるものであるが、却つて左ういふ風な言葉で苛められたり、おどされたりしながらも、もくもくとして己れの道をすゝみ、自己に徹したる努力のみを積み、その胆汁性を育てゝ行くより他は道もなく、われわれの多くの先進者を見ても、詳さに考へて見るならば、寧ろ才能よりも忍耐と努力にまつて多難なる作家生活を保つて来たのではなからうか。こんなに息苦しくては如何することも出来ぬではないかと思はず呟く時に、やはり彼等も左ういふ道を踏んで来たのかと弱くも思ひ浮べる場合には、まこと相当の慰めともなるではないか──これと同じ意味のことを数年以前に広津和郎氏が何かの感想記の中に誌してゐるのを読んで、わたしは何んな立派な議論よりも肝に命じて打たれたことがあり、未だにそれは折に触れては思ひ出すのである。だからといふわけでもないのだが、わたしは広津氏の主観的短篇など、それがどんなに投げやりに書かれてゐるものでも、年々読者としての興味を増し、これは作家同志の何物でもなくて、正当なる文学の魅力だと考へるに至つてゐるのだ。
STEP・ON・IT!
また無神経といふ意味ではなしに、文壇的とか時代的とかといふべきものに対しても、特に神経質になる必要はないのではなからうか。流行性といふものも決して等閑に附せるものではないが、きのふの雲行とけふの風速に従つて主張を転換したり、急に風俗小説のことを一義的に考へたりするのも、然しそれに依つて風格までも傷けるに至らず単に職業としての方便を樹立しかなふ側の人たちは幸福といふべきであるが、さういふ思想は由来芸術の敵であるべき筈で、これは即ち人生そのものゝ如く一見自由気に見えて、その実可成り窮屈なものに相違ないのだ。門は飽くまでもせまく、入るに従つて嶮しさの度を増すさまは、いつも変哲もなく、昔譚に現れた底のヒーローの気概を持たぬ限り、忽ち化物のとりこになつてしまふのだ。……時代性といふやうなものについても、何もそれを特に向ふにまはして下手な大長刀を振はずとも、われわれがその時代に生きてゐる以上は、そしてあたり前の眼を視張つてゐる限りは、どんな山の中に隠れようと、銀座を飲み歩いてゐようと、厭でもその時代を呼吸してゐるんだから、古いも新しいもあつたものではないのだ。どんな新しさうな事件を書いてゐても、云はゞ自然主義亜流の筆法に洗礼されて単に達者に走つてゐるような作品は、たしかに観念や感覚の上に置いて古臭いには相違ないが、その種のものは取材的好奇心や描写の逞ましさに於いて、十分に恵まれて居るだらうし、それよりも今時大体に於いては誰の才能にしろ特に優劣があるわけのものではなからうし、単に低調古風なる洗礼程度のものであつたならば、誰しもありあまるほど持つて余してゐるといふところの自意識の過剰なる妄想と理知を、幾分賢し気に逆用して事にあたつて見るならば案外截然と慣例的なる化物を退治出来るのではなからうか。猟奇的なる舞台面の工夫や悪生活の単なる記録に依つてのみ色彩の変化を糊塗する如き影灯籠の踊りを時には休止して、工夫の方向を精神的絶壁に持ち出したる大上段から無可有の虹に向つて投げ飛したるジヤベリンの弾道を見る如き気概に富んだ光景を期待する者は、何もわたしの荒唐無稽なる夢でもなからうし、たとへ失敗であらうともその種の争闘の痕跡の刻まれたるものを見度いものではないか。既にそれらの努力は新感覚派と称ばれる人々に依つて或る程度まで成し遂げられて居り、これは刮目に価するものであつたが、今やそれすらが中断されたる傾きである。驥尾に服してゐるのみで気概を棄てたる容子は、云はゞ小市民的なる安易さとも云ふべく、何処に翻さるべき反旗が織られつゝあるのか一向見当もつかぬのである。路岐有南北、素糸易変易、万事固如此人生無定期──となどうたはれてゐる通り、常に大道の流通は極りもなく、努力と工夫は決してラ・マンチアの老紳士ばかりに任しては置けぬのではなからうか。われわれにとつてはNAPの夢までが苦悶の息づかひである以外の何物でもなく、才能の過信は敵であるのみである。
こんな文章を書きながら自身のことを云々するのは悪趣味といふべきであるが、わたしはこの二三ヶ月たゞ薄ぼんやりとして、どうかして自分が小説家であるといふことを忘れなければならないといふだけの胸を抱いて、無闇とあちこちとさまよひ歩いたものだ。そして、そのわずかなる結論の蔓草の果に咲いたものは、小さく白い粉雪のような五味子の花に過ぎぬのだ。わたしは、そんなことを考へれば考へるほど単にそんな類ひの一介の小説家であることを自覚しなければならなかつた。ただ、吹けば飛ぶほどの花びらの一片にも、それがその宿命である限り、自ずと内に醗酵するほどの悩みに関しては根限りの吟味の眼を視張らねばならず、それはハーキユリイズの仕事に匹敵する大困難であらうとも、それより他に打ち鳴すべき行進曲は絶無であると考へるばかりであつた。所詮相手が、〝Serpent of eternity〟である限り惻々泣路岐の感からは逃れ得ぬに定つてゐるのだ。
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文芸雑誌の不振に就いてはさまざまなる理由もあらうけれども、その一因としては、月々新々作家の羅列を主にするだけでは読者の興味を誘ふに不足勝ちなのであらう。それらの雑誌に現れる既成作家のものとなると、どうやら二義的風な、さもなくば小品流の感想風なものであつたりして、彼等の読者としても特にその為めにその雑誌を購つて見るほどの無駄を敢行する気になれぬ類ひのものが義務的か何かのように顔を出してゐるに過ぎないのだ。新作家団が彼等に匹敵するだけの技倆を発揮してゐるならば問題はないのであるが、一朝一夕にそんなことは望めるわけでもなく、誰しも意気はあつても疲労しがちなものであらうし、やはり文芸雑誌に既成作家の力作を望むことが、この不振を打開すべき一方便に違ひなく、掛声ばかりでなしに作家自らが力作を寄すべき義務があるだらう、文壇人である限りは──。雑誌「文学界」などにしてから、多くの同人を擁しながら沈滞しがちなのは、時世の所為といふよりは、同人の怠慢であるといふより他なく、その他の文芸雑誌にしても、新作家のみ無選択に過ぎる登用が禍してゐるのではなからうか。僕は今、都を遠く離れて漁師の舟に便乗して波とばかり闘つてゐる如き月日をおくり、久しく親しい文学の友とも語らず情勢については知る由もないのであるが、単なる読者として数々の文芸雑誌を手にする時、事実左ういふ不足を覚えるのだ。徳田秋声氏や菊池寛氏や里見弴氏の長篇小説が文芸雑誌に連載されたらやはり文壇に活気を呈するであらうと思はれるのである。それは理窟ではない。
今月など、わずかに「行動」に於ける近松秋江氏の「金」一篇が稍力篇であり、読み応へある佳品であつた。やはり秋江氏の斯様な作には、どう書かれてあつても真剣至極であり、益々光輝を増すかの密度に富み殆んど息をも衝せぬ快味が深く充分なる愛惜の念を満足された。葉山嘉樹氏の「寝鳥」は余程投げやりな書き振りではあるが、それはこの作家の寧ろ豪快味に富んだ性格的のものであらうし、その特質に覚ゆる好感は満足された。新作家のものでは充されぬ味気なさから、わたしはこれらの作の他、村山知義氏の「朝子たち」(文藝)や楢崎勤氏の「夕暮の白い蝶」(行動)などに依つて幾分医された。決して古い側の作家に古風なる愛着を覚えるわけではないが、事実力量を欲まず書かれたものである限り、それらのものゝ方に魅かれる実際を、どちらかと云へば新しもの好きであるわたしにしても主に新作家のものばかりを読んで来たこの数ヶ月の経験で感得したのである。深田久弥氏のものは今年になつてからは出会はず、それ以前折々読み、いつも薄手でないところの風格的なる長閑さに満々たる夢を湛えてゐるおもむきに好感を誘はれてゐた。何も怕れぬといふ概の逞しさに充ちて居りながら気障な度強さもなく、仲々物解りの好い苦労と滋味に富み、素樸な愛嬌や抒情味も深く、文壇臭みを脱したいつも懐しみのあるものであつた。上ツ面の技巧などには往々まどはされるとも知らず拍手をおくり度がるものだが、程好き滋味のおもしろさなど今わたしは彼の旧作など回想して却つて広々と感ぜられるのであつた。今月の「小旅行」などは力作でもなく彼としても別段快作といふほどのものでもなからうが、得てして斯様な雰囲気に附きまとふ鬱陶しさが無く、好もしき樸吶さに溢れて居り、わたしは早速と愛読したものであつた。単行本では三上秀吉氏の「髪」豊田三郎氏の「弔花」明大文科の「月水金」坂口安吾氏の「黒谷村」などを、未だ通読しきれぬのであるが、「髪」の著者は(新潮)に「檞の落実」を発表して居り、この作者はおそらく相当の年輩と想像され、観賞の態度には落着きがあり、一個の悟性を獲得してゐると想像された。「弔花」は時代的精神を身をもつて分析してゆくところに、不敵な新しさを啓示されるもので、生硬さの憾みを覚えたが、それをこの場合に欠点として数へるよりも、その意気が追々と不足を補つてゆくものであらうと期待される。坂口氏の「黒谷村」は傑作であり、わたしはこの四五年来折に触れて推賞の辞を惜まなかつた。今度もこの本の推せん文見たいなものを書かされたが、どんな大層な広告文沁みた調子に走つても誇張とも感じなかつたが、何故か彼は以来、観念の方向を見失つたと云ふべきか、才能の過信に禍ひされたと云ふべきか、絶えて久しく昏迷の虚空に滅裂してゐる。おそらく最早立ち直つて然るべき時機であり、間もなく「黒谷村」以上の佳作は出現出来るであらうと予期してゐる。異色ある作家の得て陥入る沮喪振りに、彼は早くも踏み迷つた後である故漸く意気を新にしたならば、そんなに同じ轍を踏む気遣ひもあるまいが、斯様なる作家の行手には痛ましくも幾多のゴルゴタが待ち伏せしてゐるであらう。
規定の紙数を超過して、意を尽せなくなつたが、読者は平気で読み棄てゝは何かと云ふものゝ、やをら瞠目に価するものに出会はなかつたと云つて短気な言葉を投出す要はなからうと思ふ。人間の努力が重つて、進歩のないといふ気遣ひはないのだ。「僕はローマ帝国の分裂よりも自分が現在乗つてゐるところの馬車で、二人の御者に喧嘩をはぢめられた方が余つ程苦労だよ。」とゲーテが何かで呟いでゐたが、やはり読者にとつては作者がその自己に徹した限りの作品に出遇ふことを何よりもの念願とするのは当然のはなしであらう。わたしは、もうしばらく読むことに専念したいと考へてゐる。今宵はまた網にも魚ひとつ入らず、だがうまいことなど滅多にある筈はないと誰しもあきらめてゐるので不平の声もなく、酒を賞とかけてのギヤムブルがはぢまつた。では御気嫌好う。CHEERIO!
底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「文藝 第三巻第八号(八月号)」改造社
1935(昭和10)年8月1日発行
初出:「文藝 第三巻第八号(八月号)」改造社
1935(昭和10)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月30日作成
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