浅原六朗抄
牧野信一
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先日銀座で保高さんに遇ひ、文芸首都に何か書くようにと命ぜられた折、わたしは浅原六朗を──と応へた。それより他に誰も思ひ浮ばなかつたのである。畢竟、彼はわたし達の文学生活にとつて忘れることの適はぬ旧友であり、やがてこれからは人生上の歴然たる友達としての行手が待つてゐるのだと、わたしは漸くこの頃になつてはつきりとして来た次第である。何しろわたし達は喧嘩ばかりして、漸くこゝまで達したものとは申せ、わたしには心底からの戦ひは求められなかつたのだ。浅原がわたしのことを鬼のやうな顔をして、やつつけてゐたとか、露骨な遊蕩児になつたとかと聞いても、何だかわたしは明らかに身に応えず、彼の内面的のことは左ういふことを云ふ人には解つてゐないのだといふ気がしてゐるだけだつた。全く彼の言葉つきなどからは、誤解といふやうなものを享けるものが在るには在つても、何時何処で何ういふことをきゝ、何とわたしが答へたにしても、何かはつきりと或る一つの安心が、わたしの心の上には明らかであつた。それは、わたし達が未だ二十歳のころ、夢のやうなことを語らひながら明るい戸山原などを歩き、いつまで歩き、いつまで喧嘩して、終ひには罵り合つて夜更けに別れても、あしたの朝顔を合せると、ちよつとわらふだけで、またきのふのつゞきがはぢまるといふ夢と閑とを充分に持ち合せてゐた級友であつたといふこと、一種異様な愚かな学生であつたといふことの、思ひ出がいつまでもそのまゝ残つてゐるので──たゞ互ひの生活上の変転から次第にさういふ機会がなくなつてゐるまでゞ、遇つて喋舌る折があれば何でもないといふ平気さがわたしの胸の中には明らかだつたからなのである。彼は口では何んなことを喋舌つても、到底わたしには彼が世俗的に才長けた羨やむべき人物であつたり、こせこせした手腕が逞しい人物に成り変つたとは信ぜられず、わたしにとつては全く単なるわたしと同様なる一介の文学青年に過ぎない、文学より他には決して心からなる熱情を傾けることの出来ない──わたし達は学生時代にそんなことばかりを話し合つて興奮した通り──その他の人物としての彼は想像も出来ぬのであつた。稍うつむき加減に眼を蓋せ、口を突らせ、僕はな〳〵……といふ時の彼の容子は愛嬌に富んでゐて、何うかすると突然腹の底から笑ひ出すのであつた。あのやうな笑ひ方をする人物には貪婪さや卑劣さがいさゝかもなく、思ひも寄らぬ誠実の涙に富んでゐる例証を、わたしは昔、見逃がさなかつたのである。──われわれにはどんな場合にも技巧といふものがなく、寧ろたゞ愚かで、オクといふ類ひのものであるだけだつたのだ。文学的といふよりも、寧ろ人生的といふことを気づいたのも漸くこのごろのことで、──それでもわたしは、多少は、こいつゴシツプ的に風聞した如く変つてもゐるかしら? と訊ねたりすると、彼はあかくなつて、止めろ〳〵といふだけだつた。やはり、稍うつむき加減に眼を伏せ、口を突らせ、「俺は」「お前は……」とはなし出すと、決して自分から先に、ぢやもう遅いからさよなら──とは云はぬのである。不思議なことにわたしは学生時代から、彼のさういふ癖に、最初の好感と信頼に似たものを感じ、何んな類ひのことを喋舌つても後で不安がないのである。むしろ変つたと云へば不幸なわたしで、いつの間にかわたしは猛々しい酒飲みと化し、大口あけて度えらい剣幕などを為すのであつたが、彼はまるでわたしが酒など飲まなかつた頃と同じように、好く聞き、好くうなづき、未だそんなことを云ふのはテレ臭い気もするのだが昔は持たなかつた如き滋味にも富んで、つい此間の晩など私はとうとう酔ひ痴れて彼におぶさつて東京の宿へおくられたりした。あまり酔てゐたので好くも解らなかつたが、車から降りるとわたしが酷く危い足どりでわいわい云つてゐると、彼はわたしを肩にぶらさげて、月あかりの射してゐる露路を、黙々として運んでゐた。わたしは誰にも云へぬ類ひの、人生上の苦悩を彼に向つて喋舌り過ぎたのである。若き日のわれわれが夢にも知らなかつた新しき苦悩に就いて深く語らひ、終ひには足どりも危ふくなつた変れる友をぶらさげて、月あかりの露路を運んでゐた時の彼の感慨は果して何んなものであつたか? わたしは夜更の夢にあらはれる笑はぬ彼のまぼろしに訊ねずには居られなかつた。もともと遅ればせのわれわれである限り、彼を語るのは今後の日に多いとわたしは思つて居り、また人生を計算することに於いてのみ共通的とも云ふべき不得意さに恵まれて来たわれわれの交遊は今後の行手に徐ろに招かれて来るだらうと、わたしは思つてゐるのだ。古き友の楽しさを、わたしは彼に依つて経験した。彼はデカダンへ傾くことなどは努めても成り得ようもなく、童心に満ちたるピユウリタンであることは二十年前から変らず、次第にそれが大らかになつてゐるやうである。
本文はわたし自ら提出したものであつたばかりでなく、悠々と語るべき快を貪らうと期待してゐた折から、突然田舎親戚に不幸が生じて悠々として居られず、中腰で筆を執るべく余儀なくされたのは遺憾であつたが、機会は又幾度もあらうと、読者諸君に詫びておく。
底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「文藝首都 第三巻第七号(七月号)」黎明社
1935(昭和10)年7月1日発行
初出:「文藝首都 第三巻第七号(七月号)」黎明社
1935(昭和10)年7月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月30日作成
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