心悸亢進が回復す
牧野信一



 今年の一月ごろから僕は持越の神経衰弱が、いよ〳〵あざやかになつて都会を離れなければならなかつた。永年飲みなれた酒が全く文字通りに一杯も口に入らず、無理矢理に注ぎ込まうと試みると、いさゝかの酔も感ぜぬうちに忽ち吐き出して了ふのだつた。そして間断もなく不気味な心悸亢進に悩まされ続けるのである。それらの症状に就いて云云すれば際限もないはなしであるが、いつも〳〵不快で憂鬱で厭世的であつた。折から、偶々旧知の鳥山君に遇つた時、彼は僕にこの薬の常用をすゝめた。──。

 現在、未だ僕は快方の域に達せず、転地先で療養生活を送つてゐる次第ではあるが、この薬草を用ひはじめて以来は──何も事更にお世辞を述べる要もなく、ありのまゝの経過をつたへるに過ぎないのだが、朝夕の動悸が余程順調になり次第に食慾も増して来る結果を明らかに認めざるを得ないのである。それ故この頃では規則的にこれを常用してゐる。友人である医学士に僕は診察されてゐるが、今や僕の症状も回復期に向つてゐる由。──それにはこの薬草の服用が可成に役立つてゐることを僕は感ずる。僕は尚当分引続いて服用するつもりである。僕は鳥山君のお蔭でこの特異な薬を最早六ヶ月も前から知つて、秘かにその効果を覚えてゐるわけであるが、此度これが一般的に発売されると聞くからには、僕などの吹聴を待たずとも、多くの実験者に依つて必らず確乎たる実証が挙げられる事を信ずる。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房

   2003(平成15)年510日初版第1

底本の親本:「経済往来 第十巻第六号(六月号)」日本評論社

   1935(昭和10)年61日発行

初出:「経済往来 第十巻第六号(六月号)」日本評論社

   1935(昭和10)年61日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年930日作成

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