ユリイカ・独言
牧野信一



 習慣と称ぶ暴虐なる先入主を打破せんと欲する者は、多くの事柄が、単にそれに伴ふ習慣の髥と皺とに支へられて何等の疑念なく認容せられてゐるのを見るであらう。然しながら一度びこの仮面を剥いで、事を真理と理性との前に引き出して見るならば、自己の従来の判断が殆んど全く顛覆したといふ感じがすると共に、却つてそれが前よりもずつと確固たる基礎を得たと感ずるであらう。

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 モンテーニュの「随想録」といふ本を購読して見ると以上のやうな言葉に出会つた。ポウの「ユリイカ」を翻くにつれて、僕の亢奮と歓喜と戦慄の奥底を揺がせたものを一言にして言ひ換へるならば、正しく凡ての習慣が真理と理性の前に引き据ゑられて、とどのつまりは神秘の極光に射抜かれたと云ふより他は無かつた。この場に於ける「神秘」を、僕は〝Serpent of Eternity〟の意訳から用ふるのであるが、神秘と永遠の分析に関して、凡そ意味ありげなる漠然たる言葉を排して、恢々たる煌星の姿を直言した斯の如き大演説に接した験しはなかつた。僕の偉大なる自慢の鼻〝Nose-of-wax〟は、まんまとへし折られたものの、遠く近く無何有に煌くアンドロメダは金粉となつて降り灑ぎ僕は何も彼も忘れて、光りの雨の中に恍惚とした。云ふを止めよう、どうやら白銀製の鼻が盛りあがつて来た感が強いだけだ。

 思へば僕がこの書に初めて接したのは七年前の初夏のことであつた。海辺の庵で、大学生の岡崎六郎と互ひに大声を挙げて朗読し、やがて互ひに威張り散らして掴み合つた。そして僕達は、不思議な笑ひ声を挙げて東西の果に別れたが、爾来岡崎から寄こす手紙は「ユリイカ」のことばかりで、僕は碌々返事も出さなかつた。野に憧れて誘蛾灯を灯し、街裏にしけ込んで銀箔のしはぶきに咽びながら僕は、「ユリイカ」の食人種奴カニバルにひつとらへられ、飽くなき魔宴サバトに籠絡されて、手紙なんて書ける筈のものではなかつた。その頃友人小林秀雄の鞭撻に誘はれて、彼はボードレエルの仏、僕は英の原文に依つて冒頭の文章に凝つて見たが、飲み過ぎ、酔ひ痴れて原稿を紛失した。あいつも多分おこつてゐたであらう。間もなく六年もの月日が経ち、これではならんと大声あげてお経を読み出したのは、去年の夏のはじめ、僕は偶々人里を離れて箱根の山中に、聴く者の耳もはばからぬ噴泉の傍らだつた。全くもつて抹香臭くないお経で、僕は蜻蛉や蝉を追ひかけながらも、ゑんえんと読みつづけて次第に颯然たる元気をとり戻してゐた。折からまた友人の小川和夫が訪れて、一日半枚一枚では待遠しい、口でばかりうたつてゐないで、早速翻文を急ぎ給へと、こいつは若い英文学の稀代の秀才で、難解を持ち扱つた言葉と言葉の移植に夜の眼も眠らず、忽ち一貫目も目方が減り、兵役が丙種に堕ちてしまつたと嘆いた。ボードレエルの仏訳は仏文学の谷丹三が参照した。小川の夢中さは今も僕の露目に映る。あの夢中さ加減は仕事の熱心よりも畢竟彼にもサバトの陶酔でなくつて、どうしてあんなに血道が挙るものか、あいつの努力がなかつたら無論今頃纏まる気遣ひもなく、いくら僕だつて六年も七年も同じお経ばかり読み返してゐたのでは、うんざりしてしまつたかも知れない。更に訂正と言葉を選んで完成しなほしたい欲望は強いが、何は兎もあれ僕はこれで一先づ魔宴の飲代を返済したとばかりに、幾人かの友へ向つて稍々得意げなる手紙を書くであらう。

 尚、上梓にあたつては友人河上徹太郎と芝隆一君の誠意に富んだ薦めに順つて、云はば偶然の機を見出した次第である。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房

   2003(平成15)年510日初版第1

底本の親本:「牧野信一全集3」第一書房

   1937(昭和12)年715

初出:「龍 第五号」芝書店

   1935(昭和10)年5

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年930日作成

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