書斎を棄てゝ
牧野信一
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もうわたしは、余程久しい以前から定つた自分の部屋といふものを忘れて、まるで吟遊詩人のやうな日をおくつてゐることだ。ところがわたしは、かねがね憧れの夢のなかでは寝ても醒めても、そこはかとない放浪のおもひが逞しいにもかゝはらず、身をもつてそれからそれへ酔歩を移してゆくといふことには何うやら未だ雅量にも堪へられず、所詮は書斎裡のみの夢想家に過ぎないといふ感が今更ながら深いのである。そこで、今度は何処に何んな部屋を定めようかと、わたしはあちこちの宿屋の窓で月を仰ぎながらも、今また半島の先の小さな島の漁家の離室で波の音を耳にしながらも、これからの行手の旅を考へるよりも、一日もはやく東京へ戻つて何処かの一隅にきまつた住ひを定めて、もう此処は当分うごきたくないといふやうな、つまり生活上の平和を希ふ想ひばかりが強いのである。たまに東京へ出かけて友達を訪れても決つた机をもち、本棚にとりまかれ、明るいランプが燭り、もの慣れた召使ひが茶果を運んで来るやうな沁々とした落着き振りが何よりも羨ましかつた。わたしもこれまで幾度となく家を営み、机を構へたものゝ何か若気の至りとでもいふかのやうな夢と不安に追はれて転々幾度──鳥跡の霞を追ふが如くに遥なる想ひを酣くさうといふやうな、怕れから怕れへと踏み迷うたわけではあるが、そして、そのやうな想ひはますます胸のうちには猛々しくなるばかりであるが、所詮在りのまゝなるこの身はやはり動かぬ部屋のうちに落着けて、心象上の放浪に任すより他は長風万里の彼方に鳴る逸興の夢も怪しまれると弱つて来るのであつた。
あたりはもう花時といふよりも青葉の香りが珊々と迫つてゐる。このあたりの花は、今年は時ならぬ霙や雨に妨げられて咲きおくれたといふものゝ、東京から見ると十日あまりも早いのが常例とのことである。油壺、浦賀、三崎、城ヶ島──とわたしは、まつたくのひとりで飲み歩き、早いか遅いかのいとまも知らず、どうやら花は何時咲いて、何時散つたのかも気づかなかつた。洛陽城東、桃李ノ花、飛ビ来リ飛ビ去リテ誰ガ家ニカ落ツ、行ユク落花ニ逢ヒテ長ク歎息ス──まつたくわたしはそんな詩のおもひで、少しばかりの酒にたちまち酔つた。
油壺の水族館の砂浜で二日酔のあたまを醒しながら海を眺めてゐると、どこからともなく、非常にはつきりとした音声で、それは草津節といふのか、わたしは俚謡のことは何ひとつ知らないのであるが、実にもおもしろく長閑な哀調に富んだ節まはしで、えゝ、国ヲ出ル時ハ……何とかで、ドツコイシヨと合の手がはいる力一杯の歌が聞えて来るのであつた。まはりが崖であるためか、それがまた莫迦にはつきりと反響して、直ぐの耳の傍らで蓄音機が鳴つてゐる通りに響くのであつた。ゆうべ宿場端れの居酒屋で、花見帰りの漁師といつしよになつて、レコードの謡を聞いて浮れ過ぎたが、まさかその余韻が斯んなにはつきりと残つてゐるとも思はれなかつた。
漁師達は未だ衣笠山の花は大丈夫だらうと思つて繰り出したところが、登つて見ると一夜のうちに散り果てゝゐて何のことはないわざ〳〵出かけて青空を見物に行つたも同然だつたと落胆の挙句だつたので、町へ戻つてからの飲めや歌へは此処を先途と猛々しく、まつたくわたしの耳は聾せんばかりだつたのである。
わたしは宿屋の仮寝に飽きると佗しさに身をもてあまして、その夜中過ぎまでも酒を飲ませる店に渋々ながらも出かけるのが常だつた。「海の誉」とかといふ酒樽の商標だけは、まことに勇ましかつたが、肝腎なる中味の液体は、ぷんと鼻を衝き、舌ざはりはいがらぽく、稍飲み過ぎると翌朝までもびん〳〵と琵琶の鳴るやうな余韻があたまに残つてゐる態のものなので、考へるとわたしは渋々とせずには居られなかつたのであるが、それでも更に一酔の夢を購はずには居られないといふほど、わたしはもう沁々と仮寝の宿に飽き果て、落ついた書斎を慕ふおもひばかりを募らせてゐたわけであるのだ。
何処の人かは知らないけれど、随分と根気よく毎晩々々通つて来る顔ではないか。ぼんやり飲んでゐて何がおもしろいといふものだ。さあ、今宵こそは兄弟のいきほひで飲み明さう──などゝ彼等は、わたしが、ぼんやりと飲んでゐるのは、あまりその酒が不味いからなんだといふのには気づかず、無闇と大コツプをわたしの口さきへおしつけるのであつた。わたしは、若しも、ほんたうのことをいつたならば殴られさうな心配があつたので、変な顔をして、さもさも美味さうに呑みはじめたのである、不味いものを、美味さうに呑むのも、これも憂世の何やらで──などゝわたしは凝つと神妙に堪へて、踊りを眺め、歌を聞いてゐるうちには、どうやらほのぼのと恍惚の浮れに誘はれ出したのである。成るほど、ちよつと我慢さへすれば、結局無可有の境に達した時は同じやうなもので、ふところの工合が程好いだけでも有り難いものではないか──そんな吝つたれたことを考へると益々おもしろくなつて、たうとうそこで夜を明してしまつたのである。
宿屋に戻つて眠りにつく前に、この白々と酔つた泰平なるあたまで、水族館の奥でも眺めたら、また一興といふものであらう──などと陽気の加減か、わたしはうつらうつらと青葉の径をよろこびながら、車を駆つて油壺の浜辺までのしたわけであつた。
砂浜は羽根蒲団のやうにぬくぬくとして、岩々に映える光が途方もなくまぶしかつた。わたしは、章魚のやうにくた〳〵になつてゐるからだを静かに横たへて、古い自分の書斎のことなどを、別に未練といふやうなものは全く感ずることなしに、あれこれと思ひ出したりしてゐた。その一つはある草深い田舎の古びた水車小屋の二階であつた。窓の下には澄み渡つた水が流れ、蘇苔類の育つてゐる水車はもう何年も以前から翼の回転を休めたまゝであつたから、鮠や鮒の泳ぐ有様が仄見え、わたしたちは空腹を覚えると窓から釣糸を垂れた、釣糸を垂れ放しで、わたしたちが机のまはりで雑談に耽つてゐても、魚がかゝると、竿の元についてゐる鈴が鳴る仕掛けであつたから、難なく大鮒などを釣りあげた、またわたしたちは同じ窓先から古呆けたライフル銃を突き出して、河岸の猫柳や栗の繁みに現れるウヅラやヒヨを打ち落した。またわたしは、その水車小屋に附属する少しばかりの田畑を持つてゐたので、米や麦や大豆との交換で、酒樽は常に憂ふるところもなく満々として、大概の力持にも持ちあがらなかつた。ところが、やがてその樽が、終に軽々と成り放しになつて、鉛筆のやうにか細いわたしの腕でも持ちあがつて、振つて見ても、恍惚たる液体の一滴の音も聞えなくなつて──。
水車小屋は、恰もドウデエ作の「風車小屋」のやうにうらぶれ、わたしの顔つきはスギヤンさんのやうな憂ひに充ちて、止むなく出立を余儀なくされ、馬の手綱を執りながら何も彼も見棄てたのは、指折り数へて見ると早くもそれはもう六年前のはなしで、青葉の淡いころであつた──などゝわたしは思ひ出したのである。せめて水筒に一杯の酒でもとおもつたのに、その融通もなくなつて、わたしは木の間を洩れて来るまだらな光りを地面の上にテレ臭く眺め、手綱の端に鳴る鈴の音をきゝながら、山坂へ踏み出した。そんな折の風景は却々印象的にのこつてゐるもので、今でもわたしは峠にさしかゝつて、遠く窪地の水車小屋を見返すと、恰度その真上の空に一羽の鳶が諧調的な叫びをあげながら大きな円を描いてゐたのを憶ひ出す。
二度とわたしが戻らぬであらうと聞いた村境の居酒屋の亭主が大いに慌てゝ、おうい〳〵……と熊谷もどきの大声を挙げて追ひかけて来るので、わたしたちは面倒とばかりに馬の腹を蹴つて丘を駆け降りたのを憶ひ出す。わたしは別段その親爺に負債があるわけではなかつたのだが、彼は何かの勘定違ひからわたしたちが呑み逃げをするものと誤解したのであつた。馬はわたしに好く狎れてゐたので、青葉の蔭をくぐつて風のやうに走つた。もう一度たてがみの蔭から振向くと、親爺は峠の松の木の傍らで仁王のやうな拳固を縦横に振りまはして何事かを喚いてゐた。近頃彼が訴訟を起すといふことをきいたが、出るところに出るならば、どちらが黒か白かはもともとからわかつてゐるのだから、わたしは怕れてはゐない。勿論わたしが、白なのだ。だが、たとひそれが誤解にもとづくとはいへ、ひとりの人物をあのやうな不機嫌な姿のまま、打ち棄てゝ来てしまつたといふことについては、わたしは自身にこよなき悪を覚えずには居られないのである。
丁度わたしがそんなことを思ひ出してゐるところに、何処からともなく、えゝ、国ヲ出ル時……といふ謡が聞えたので、わたしは不図あたりを見回すのであつた。
何うしても、それが、どこから聞えて来るのかわからず、二日酔の余韻にしてはあまりにまざまざしいので、わたしは何処かその辺の木蔭にハイキングの一隊でもがやすんで、レコードに興じてゐるのだらうと思つたのであつたが、それが余程時がたつて、草津節が筑前琵琶となつたり、浪花節に変つたり、さうかとおもふと節まはしもあざやかなタテヤマになつたりするのを聞くうちに、やうやくそれが、ずつと向ふの崖の下の演習のひとゝきを、渚の岩の上で休憩してゐる海兵団の水兵の声であつたとわかつた時には、わたしは思はず眼を見張つて耳を疑はずには居られなかつた。何故なら、彼等とわたしとの距離は姿も定かではないほどに小さく遙かで、到底声などがそんなにはつきりととゞくとは思はれぬ遠さなのである。
おそらく崖と発声者の位置が適当な調和をとつて、音響管の工合となり、稀なる反響作用を呈したのに違ひなかつたのである。水兵諸君が休憩時間を利用して演芸会を開いてゐるのは屡々眺める光景であつたが、わたしはこの時ほど嬉しまぎれに終始して聴きとれたことは珍しかつた。写しませう〳〵と、許可証(要塞地帯)を持つてゐる写真屋が云ひ寄つて来るので、わたしは書斎に寝転んでゐるやうな心地でそのまゝの姿を写してもらつた。
底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「中外商業新報 第一七七〇九号、第一七七一一号、第一七七一二号」
1935(昭和10)年5月12日、14日、15日
初出:「中外商業新報 第一七七〇九号、第一七七一一号、第一七七一二号」
1935(昭和10)年5月12日、14日、15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年9月30日作成
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