月評
牧野信一




 読むのがのろいからと心配して──これで僕は四ヶ月もつゞけて(三ヶ月間は、「早稲田文学」のために──)早く出るものからぼつ〳〵と読みはじめ、さて、いよ〳〵書かうといふ段になると、十日も前に読んだものゝ記憶は大ぶんあやしくなり、また繰ひろげて、あれこれと戸惑ひ、結局時間に追はれて半分も読み損つてしまふ有様は、まるでアダムスン漫画のやうであつた。記憶があやしくなるといふても、決して不熱心な顔つきで失敬な読み方をなしてゐるわけではないので、それこそアダムスンのやうに徹底的に生真面目過ぎるわけなのだが、それがその難物で、ツケル薬が無い態の融通を欠いたあまたの悲しみに相違ないんだけれど、不思議なことには何んな稚拙な作品であつても、文芸的要素の勝つたものは、忘れようとしても忘れられるものではなかつた。通俗的とか大衆的とかといふものは、もともと本来なる文芸の起原と要求からは全く出発点を異にしたもので、それらの社会的なる花々しさに混同されて、どつちつかずの通俗味に病ひされたかの如き、そのやうなものがつい記憶が怪しくなるといふまでのことで、それにしたつて書く場合でゞもなければそれはそれで別段のこともないわけで、僕にしたつて、では誰の何の作が左様であつたかと思つても、それはもう大方忘れてゐるのだ。ともあれ、純文学は純文学であつて、ポーの口真似をするわけではないが、よしやそれらが唐丸駕籠におしこめられて、裁きの庭に伴れ込まれようとも、既にして多くの純文学徒は絶対なる、而して単なる生命の窮極に於いて払ふべき塵も持たざる本来の無一物から、夫々の、EL Doradoユートピア……への身構へであつて、おそらく誰にしろ余技的気分でなど、望んでもたづさはり得よう筈もなく、もともと左様なことが望み得ない絶対境からの出発なのだ。

 で、先に手にする雑誌はいつも大概文芸専門の「早稲田文学」「新潮」「行動」「文藝」「作品」「三田文学」等で、更に之らの創作欄は八分乃至九分どほりまでは新進作家の作品をもつて満載され、然も四ヶ月も続けて通覧して見ると、作家の顔ぶれなども大体固定してゐて、同じ作家のものが同月の雑誌に二つも載つてゐるのも珍しくなく、月々に同じ人の作品にも出会ひ、その他の雑誌にだつて種々なる新しい力作がそろひ、おそらく過去を通じてこれほど新作家の優遇された時代は絶無であつたかの観であり、品質だつて非常に劣つてゐるとは思はれなかつた。勢急なる批評の言葉をもつて、何かといふ場合にはその平凡さを云々しなければならぬけれど、創作壇が特にその他の芸壇に比べて逡巡してゐるわけでもなからうし、寧ろ順調なる発達を遂げてゐるのではなからうか。やがて追ひ詰められて俳句や和歌のやうな窮地へ陥るであらうといふやうなことは随分以前から屡々使はれる言葉であるが、それは文芸に依つて非常に華やかなる生活を望まうとする人々への忠告にはならうが、俳壇や歌壇に肩を並べることは寧ろ当然であり、何のために今更そんなことが云はれなければならないのか不思議である。われわれは、特にこの機にあたつて大陸の作家や、僅少なる我国の大作家の上を顧慮する余裕もなく、常に窮極なる生命と生活の瀬戸ぎわでデルフオイの扁額を思ふのみなのだ。



 さて今月も文芸雑誌は大方新人作家のもので埋まり、既にして僕はなじみを覚える人々が多い。はじめての作家は「文藝」で、島木健作氏の「県会」木山捷平氏の「掌痕」、「行動」で、寺神戸誠一氏の「農女」、また新作家ではないが窪川鶴次郎氏の「一メンバー」、「新潮」では真船豊氏の戯曲の他は、凡て読み慣れた作家であり、永松定氏の「ハムレツト役者」など愛読した。とつとつと語り、次第に滋味も溢れて快く読まれる作品であつた。題名は少々苦手であるが、美しい水の流れを見物するうちに、少年の悩みや復讐心などを自然と享け入れられ、このやうな作風の作品が次々と登場されることは望ましいと思つた。いつだつて、素直に、気分好く読まれる作は誰だつて望ましく、案外さういふものは僅少ではないか。素直なものは黙過され易いが、この作家のもののうちには、見得易からざる胆汁質的の頼もしさともいふべきものが含まれて居り、牛歩千里の趣きが期待されるのだ。田村泰次郎氏の「昭和絵巻」(同上)は、多血質なる筆致を揮つて一篇の絵巻を描写してゐるが、あまりに多血質過ぎるとでもいふべきか、何も悪くいふわけではないが古いといふ意味とは違つた壮士芝居沁みて、少々顔負けがせずには居られなかつた。幕切れの詠嘆詞なんて、詠嘆的な余りに詠嘆的で、昭和の文芸調とは云ひ難い。君の逞しい特質と、新時代作家にふさはしい描破力とを僕は別の作で知つてゐる。通俗小説の亡霊になど取り憑かれて、折角の悩みを二倍したまふな。徳田一穂氏の近頃のものは、一連を成す主観的なものであり、僕が読んだ限りでは全部佳作であつた。生活といふものに対して、随分と凝つた眼の所有者であり、淡々と叙してゐる中に、実にも鋭敏なる神経が隈なく行き渡り、理解力の典雅さに充ち、透明度も深く、そして視野計の狂ひなどは何処にも見出せなかつた。今月の二作「遊び仲間」(文藝)「怠け者」(新潮)など、双つながら、何気ない短篇でありながら、読む者をして舌を巻かせる類ひの力量を示したもので感心した。このやうな生活者に対して、批難の側から声を放つたならば、また何のやうにでも云へるかも知れないが、作者の眼が淙々として生活の上に君臨してゐる限り、万物は永久に新鮮であり、作家としての強みはこれに比ぶべきはなからう──などゝ、そんな尤もらしいことを思はせられるものであつた。

 もうひとつ僕は、今月こゝまで読んだものゝうちで、おそらく多くの文芸愛好家が見落しはしないであらうかとおもつた佳作に出遇つたことを吹聴して置きたい。それは、石川淳氏の「佳人」(作品)である。この作家は、どんな範囲でも僕にとつては、はじめての人であり(そんなことは何うでも関はないことであるが──)、どんな概念も持合さぬのであるが、この作は、不思議な魅力に富んだ美しい力作であつた。名状なしがたき人間の悩みを──一途に悩み、別に何処に何うといふ小説的なものが介在するわけでもないのに、読みすゝむに伴れて、曠野の霧に打たれ、月の雫に袂を沾ほされる容易ならぬおもひであつた。惻々として、上等なる感慨に迫られたものであつた。──更に僕は声を放つて、推賛の辞を叫ばずには居られないのは、室生犀星氏の「早稲田文学」に於ける連載小説「弄獅子」である。この傑作に関しては、既に僕は第一章を読むに及んで随喜の筆をふるはせたものの、いよいよ出でていよいよ奇峭極まりなく──。



 ──羽化登仙の夢心地から妙義山の絶景を眺める怕さおもしろさのパノラマが手にとるやうである。「女の図」その他と云ひ、これと云ひ、慈眼山先生のたんげいすべからざるテノルドラムには正しく颯々と耳を打たれ眼をそばだてずには居られないのだ。私小説にしろ客観体のものにしろ要は作家の情感に於ける燃焼の透明度に帰着するものであらうが、豊島与志雄氏の「人の小屋」(文藝春秋)や広津和郎氏の「青空」(改造)など、客観的私的の問題もなくそれぞれ読み応えが深かつた。何んな風に云つて好いかわからなくなつたが、長い修練を経て通俗的に赴かなかつた作家のものには、どんな一幕にも年代と共に次第に深まつて行く度量とでも云ふべき澎湃模糊たるものが感ぜられるのであつた。それに引き代へ、どちらかと云へば寧ろ読み易い、そして作者にとつて得意の題材ともいふべき井伏鱒二氏の「集金旅行第一日」(文藝春秋)の私的、そして川端康成氏の「田舎芝居」(中央公論)の物語的なるものなど、僕は可成り努力して読んだに関はらず、何んな意味でゝも一向の感銘も興趣もひゞいて来ないのは何ういふわけかと寧ろ自分を疑はずには居られなかつた。この二つなど単なる読物としても全く僕には疑問であつた。「集金旅行第一日」は、いかにもおもしろさうな事柄や、さまざまな小細工が施してあるにもかゝはらず、悉くが上滑りがしてゐるといふのか、彽回のための彽回とも云ふべき悪趣味に陥入つて、恰も作者の予期するが態の何んな効果も感ぜられなかつた。僕は、これを読みながら、井伏流の模倣者の文章を見てゐるやうな思ひがして、こんなことを、ほんとうの井伏鱒二が書いたらさぞかし巧いだらうがなどゝいふ気がしたのみであつた。川端氏の「田舎芝居」も何処に何んな工夫があるのか、僕には解らず、たゞこれでは得体の知れない犯罪ばなしの筋書であるやうに見え、物語としてもおもしろさが見出せず、果して作者の企図が何処にあるのやら考究の余地もなかつた。林芙美子氏の「牝鶏」(改造)は紀行文的な、そして随筆風な軽やかなものであるが、巧まざる心懐の淙々と流れるよどみのなさにこゝろよく惑き入れられるものがあつた。紀行文的と云つたが、それは決して僕がこの作品を軽んずる意味ではなくて、六ヶし気な力作や、沈鬱な悩みに富んだ深刻や、出来損ひの小器用さなどの作品を読むより、まつたく作者がその中で述べてゐる通り「波瀾や事件のない小さな生活も何と多いことであらう、恋愛や、家族や、金や、五慾六慾を除いた外にも、悲劇はあり得る。まだ誰にも語られたことのない物語りもあり得る。煙か雲かのやうな空虚さが、自分の胸の中に空洞をいくつも造り始めた。」の如く、随所にひたひたと迫られる流麗なる情感を見出して、蓋し愛読に価するの謂である。おそらく作者も会心の作ではなからうかと、想像するわけである。

 宮地嘉六氏の「縁談懺悔」(中央公論)は、その題名の感じなどから余程の力作かと期待して読んだが、むしろ坦々たるもので、懺悔といふやうな言葉とは適はしからぬもので、尤も何れにしても懺悔には相違ないのであるけれど、主人公の心的状態が慎まし過ぎるといふのか、それにしてもその慎ましやかさや平穏を希ふ状態などが叙述の点で淡白の趣にも達せず砂を噛む不足を覚ゆるのであつた。



 村山知義氏の「劇場」(中央公論)は、新鮮味に富んだ筆致をもつて、見るも爽快に書き進み、これらの事件的のことからはいろいろと僕は教へられるところが多いのであるが、一帯に傾向派の作品に対しては、今やそれが一般の常識になつてゐるのであらうが、僕には全く予備知識がないために、遅まきながら一通りのテキストを得た後でないと、かれこれ云ふ資格は無いのである。中野重治氏の「村の家」(経済往来)島木健作氏の「県会」(文藝)──村山氏と中野氏のものは、感覚や筆致がフレツシユなために、事件的なことは好く解らぬながらも退屈せずに読めたが、「県会」の渋りきつた沈うつな文章には、終ひにやりきれなくなつて中途で失敬した。平林たい子氏の「知識階級論の一素材」(行動)は、題名は物々しいが、普通の自然派風のもので、前半は素直に読め、面白い取材と思つたが、次第にいろいろな意味付けが多くなり、返つて空虚な感が湧くのであつた。尤も、流派から流派を追つて、終ひに虚無に達した男の姿が、可成りはつきりと描かれ、末尾の「私はその顔を見てゐるとそのむなしさに恐しくなつた。」と結ばれてゐるあたりは感慨を誘はれるものはあつた。窮屈な、陰気な世界だ。いさゝかなりとも詩情が欲しい。


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(経済往来)には、中野氏の力作の他に、久保田万太郎、小島政二郎、武者小路実篤諸氏の随筆が、創作と共に並び、尾崎士郎氏の「時間」なる、これも可成りの力作が配置され、一味清新なる文芸欄を作成してゐる。(文藝)に「白樺座談会」といふ記事があり、僕ら、齢は相当だが、まつたく知らなかつた時代の回顧談といふものは、抽象的には興味がありさうに見へるのだが、速記録などで見ると一向興趣を誘はれなかつたが、武者小路氏の随筆で読むと、興味が深く、同氏の文体に新しい奇抜な懐しみを覚えた。「白樺のことなど」といふ同氏の回顧章であるが消極的でない自然の滋味に富んでゐた。

 尾崎士郎氏の「時間」は随分と自由に手放しに書きまくつてゐるが筆勢には鮮やかなものがあり次第に特質といふべきものをはつきりと体得して、素質のうるはしさを発揮するさまが窺はれ、僕は不図、夏の月大なぎなたの光りかな──といふ子規の句を思ひ出したりした。それにしても何うして、斯んな題名を付けたのか意向が解らぬ。寧ろ内容とは不調和な感じであつた。坪田譲治氏の二作「善太の手品」(行動)「父と子」(新潮)は共にその一貫した純情味を汲むに足るべきものであり、一つ一つに就いて彼此れ云ふよりは、例へばその著作一巻に依つて纏めて通読する時には一層の雅味を得らるゝであらうと想像された。

 その他、滝井孝作氏の「彼の周囲」(文藝春秋)里見弴氏の「回復期」(同上)久保田万太郎氏の戯曲「汐干潟」(中央公論)などは月評の場合でなくても読むであらうし、今度も前に読んでゐたのだつたがつい他のことが長くなつて感想を述べる余裕がなくなつた。その他のもの、また同人雑誌に及べなかつたのも遺憾である。尚今月「スバル」の復活号を手にしたことは全く偶然の悦びであつた。吉井勇氏の戯曲「一本腕と一本足」を見出したが、氏の近詠、物部川夕さりくれば水たぎつ音さらさらと聴え初めけり──と声を立てながら無断引用を為し、遥かに朝臣の盃の夢の健かを望みながら、意を尽し得なかつた禿筆を擱く。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房

   2003(平成15)年510日初版第1

底本の親本:「読売新聞 第二〇九〇八号、第二〇九〇九号、第二〇九一〇号、第二〇九一二号」読売新聞社

   1935(昭和10)年426日、27日、28日、30

初出:「読売新聞 第二〇九〇八号、第二〇九〇九号、第二〇九一〇号、第二〇九一二号」読売新聞社

   1935(昭和10)年426日、27日、28日、30

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年930日作成

青空文庫作成ファイル:

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