好日の記
牧野信一




 わたしは昨今横須賀に住んでゐるので、映画などを見たいときは湘南電車で、横浜へ出かけるのであつた。ながい間の酒の習慣を、止むなく禁じなければならない健康状態から、恰度この一年ばかりの間、あちこちの田舎に移り住んで、夕暮時のてれ臭さとたゝかひつゞけてゐたわけだつたが、さう軍艦や飛行機ばかりにうつゝを抜かしても居られず、そんな健康的な軍港に移つても、灯のつく時刻になると、手もなく身柄を持ちあつかつた。こんな心持は馬鹿々々しいと申せば、それぎりだが、ある種の飲酒常習者センチメンタル・ウエツトには容易く心底から同感出来るであらう──この歎きこそ、正しく知る人ぞ知るに相違ない。

 その日は、朝からうらうらとした長閑な日和で──さうさう、わたしの田舎の遊んでばかり居るある友達で、ひとの顔さへ見れば、何かしら理由をつけて、例へば、つまり、女房が癪にさはつたから──とか、友達にだまされて口惜しいから──とか、あまり金がなくつてムシヤクシヤしてしまつたから──とかと、少々落語の主人公泌みるはなしであるが、ほんたうにそんな風に、何かしら理窟をつけて飲まずには居ない男だつた。ところが或る日、わたしと出遇ふと、何う彼があたまをひねつても、癪にさはることも、悲しいことも、嬉しいことも──何んな類ひの理由も見出せなかつたある長閑な一日、彼はひどくてれて(さういふ男に限つて、白面だと無性に内気に似た無口であるものだ、そしてわたしもやゝその種族であるが──)眼を白黒させてゐたが、やがて、

「いや、どうも……けふは、あんまり好い天気だから、まあ、ともかく、一杯やらうぢやないか!」

 と理窟をつけたのである。わたしも、その時には思はず笑ひ出して、賛成したものだつたが、その彼の言葉は妙にいつまでも、はつきりと残つてゐて、あまり好い天気に出会ふときつと、それを思ひ出して苦笑を誘はれるのであつた。

 恰度そんなことを思ひ出して、わたしにも稀には何の悲しいことも嬉しいことも、癪にさはることもない好い天気の日があつて──そこでわたしは断然たる禁酒家であるために、ついふらふらと和やかな陽を浴びて散歩に出るのであつた。わたしは、あの男の言葉を思はず口真似して、何やらなつかしささへ覚えてゐた。

「横須賀中央」といふ駅から、日の出町までの切符を買つて、わたしは何気なく、いつもの湘南電車に乗つたのである。円タクにでも乗つて、あてどもなく海岸通りなどをまはり、春霞みを衝いて出てゆく船を眺め、ゆつくりと支那料理屋にでも休んでから、夜はまたひとりでオデオン座の特等席になりとをさまつて、居眠りでもして来ようといふやうな、何とわたしには全く珍しい「好日」には違ひなかつたのである。ところが、そんな変竹林に、和やかさうな顔つきで、湘南八景あたりの、窓にうつる明るい小山などを眺めてゐるうちに、不図わたしは、やはり、ひとりが、堪らなく、厭! になつて来た。といふのは、爽やかな友達のゐる東京へ行かずには居られなくなつたのである。直ちにわたしは、車掌に訊ねて、はじめての経験である乗越なるものを申出たのであつた。



 この電車で乗越すか、それとも省線に乗換へるか? と車掌がいふので、わたしは省線の方が速いだらうと思つたから、さう答へると車掌は、では横浜で──と、五銭で乗換切符を渡し、若し車内でその暇がなかつたら、降りる時に精算所で勘定すればよろしい、こつちでは省線までの間で、向方は向方となるんだから、新橋までの乗越は、こつちの乗越切符だけを示して向方で払ふやうにと、極めて親切に教へてくれ、わたしはどうも有りがたうとあいさつせずには居られなかつたほどだつた。で、わたしは横浜で省線の東京行に移つて、なるべく車内で車掌に申出ておかうときよろきよろしてゐると、発車して間もなく、えゝ、おそれ入りますが、乗車券を拝見──といひながら、眼の細い角頤の車掌がは入つて来たので、わたしは恰度よかつたと思つて、慌て、すゝみ出て、これで新橋まで──といつたのである。するとその細眼は非常にはげしい眼ばたきをして、切符とわたしの顔を等分に凝つと見くらべてゐたかとおもふと、口の端に薄気味悪いワラヒを浮かべて、

「慌てたね!」

 と、頤をしやくつた。

「えゝ、慌てた……」

 わたしは、ほんたうに慌てゝ差出したのでさう応へた。すると彼は、厭に片目を嘲りの如く一層細めて、

「フヽン、気がとがめたんだね。まあ、こつちへ来て──」

 とマントの袖をつかんで車掌室へ引いた。そして凡ての経過から、身分、行先をしらべた。

「務め先は?」

「務めてはゐない。」

「キセルをやつてるね。あつさりと白状してしまひ給へよ。」

「僕、キセルでなんか、煙草を喫はないよ。」

「──ふざけ給ふな。出してしまへよ。隠すとなると、おんびんには行かないからね。」

「ほんたうに、僕、キセルなんか隠してはゐないよ。うちでだつて煙管なんてものはつかつたためしもないし、電車の中に持つて来て喫ふ筈はないぢやないか。」

 あまり馬鹿々々しいので、わたしはつい笑ひ顔を浮べた。

「まさか、阿呆ぢやないんだらうな。」

 とその車掌は、もう一人の、これは温厚さうな別な車掌にさゝやいた。そして、二人はちよつと首をかしげてゐた。──その時、聞かされたまで、わたしはキセル乗りといふテクニツクを、まつたく知らなかつたのであるが、全く後になつて見ると、わたしのその時の様子は、図々しいのか、阿呆なのか? わからぬも道理だつたらうとうなづかれた。つまり彼は、わたしが、日の出町から横浜までのたつた五銭の切符を買つて、中途はキセルの管の如く、そして、後先だけをわづかに金をつけてゐるといふわけで、行先の短い間の定期券か何かを所持してゐるであらう──とにらんだのである。そして、さういふ不正乗客を検べるのが生等の職業であるから──と追及して、一層嫌疑を深めた。さう聞くと、疑はれるのも無理はなかつたと気づき、わたしは、急に自分が非常に悪い奴のやうに見られることの当然さから、申し開くすべもなく、ぼんやりしてしてしまつた。

「務めもなくて、ぢや一体、何しに新橋まで行くのかね?」

「あてもなく、たゞぶらりと……」



「呆けるのも好い加減にしたまへよ。こゝまでにらまれたら、白ばつくれたつて、可笑しくつて。」

「…………」

 わたしは、ぼんやりと窓の外を見て、何か他のことを考へてゐた。

「今日だけは、大目に見ても好いから、まあ、あつさりと定期を出してしまつたら?」

「…………」

 更に疑ひを深めたことには、その時わたしの膝がしらは、空しい不幸の悲しみから、がくがくとふるへ出してゐたのである。勿論彼等はいよいよ悪党が切端つまつて、鼠に化けようといふ段に差し迫つたらしいと、見込んで、

「おいツ!」

 と、ひとりがわたしの肩をつかんだ。わたしも、たしかに驚いて思はず──オイツ! とうなつて、ちよつと軽く、飛びあがつたやうであつた。

「臆病な癖に、大それた、ケチな真似はしない方が好いよ。」

 と角頤が声を立てゝ憎々しく笑つた。

「うるさいツ!」

 わたしは思はず叫んだ。

「へえ……」

 と彼は、皮肉にわたしの眼を見つめてゐたが、忽ちきつと形相を変へて、

「よしツ──ぢや、新橋で一緒に降りよう。止むを得んから、駅長、立会ひの上で身体検査だ。好いかツ!」

 と怒鳴つた。──おゝ、わたしは、このとき、実に吻ツとして、

「何だ、ぢや、いつそ、はじめからさういつてくれゝば好かつたのに──厭なおもひをさせられたものだ、ハヽヽヽヽ。」

 兎角、裸になるといふものは愉快なものだ。小説などを書く場合、すつかり裸になりきつてゐるつもりでも、つい、あとから見ると、やはり何かを着てゐることが目につくものであるが、そして、それはカーライルの哲学の本を開くまでもなく、止むを得ないことには相違ないが、生きることの厄介さには、誰しも屡々吐息を衝きがちなものであるが──わたしは、そんな妄想に走り、泥酔をしても裸になるといふ癖もない自分が、白面で検査官の前で裸になるといふことは、おそらく徴兵検査以来のことで──などゝ、無性に素晴らしい興奮にさへ走つた。

「行かう、行かう。僕、腕はこんなに細いけれど肉体は相当だよ、酒を止めたら、十二貫半にも増えたぜ。」

 いつかわたしは、相手も忘れて、親しい友達にでもはなすやうに浮き立つた。

「わからんね。」

 角頤が、Bの車掌にさゝやいた。

「わかつたね。」

 とBがうなづいた。するとAが、

「いや、失敬──」

 と、わたしにいつた。「ぢや、まあ、もう新橋だから──」

 とそれで終りであつた。歩廊から振り向くと走り出した窓から、Bが凝つとまだこつちを見てゐた。するとわたしは、新しい不愉快が巻き起つて、その顔を睨め返してゐたが、改札口を出ると、直ぐに、横須賀行の切符を買つて、直行の省線に乗つた。久し振りで、二等車の窓から、まだ明るい、好すぎる程の天気の空を眺めた。

底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房

   2002(平成14)年720日初版第1

底本の親本:「報知新聞 第二〇九一〇号、第二〇九一一号、第二〇九一二号」報知新聞社

   1935(昭和10)年320日、21日、22

初出:「報知新聞 第二〇九一〇号、第二〇九一一号、第二〇九一二号」報知新聞社

   1935(昭和10)年320日、21日、22

入力:宮元淳一

校正:門田裕志

2011年815日作成

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